「こんばんは。久しぶりだね、イッキ君」
パーティーが終わり、完全に日が暮れ、代わりに半月が昇った頃。夜風に当たりながらも自分達が滞在するホテルに向け足を進めていた。
それを、少女の様な高い声がひき止めた。
「貴方は……っ」
「……天音くん」
声に呼ばれ背後を振り返ると、そこには中性的な少年が立っていた。
珠雫は二度、一輝は三度目になる邂逅を果たした少年の名は紫乃宮天音。暁学園の生徒の一人だ。
パーティーに参加していた生徒もいたが、彼はその時にはいなかった。だからこそ予想外の遭遇に驚くと同時に――
(気配を感じ取れなかった……!)
仁の『特訓』で鍛えられた一輝が彼の出現に全く反応出来なかったことに脅威を感じた。
「やだな~、そう身構えないでよ」
意図も何も分からない相手が突如として現れたことに警戒する二人とは別に、天音は苦笑を浮かべる。
「何か御用ですか? パーティーなら既に終わってますよ」
しかし相手が相手だけに珠雫は霊装を顕現させ突きつけた。
それに対し天音は肩を竦め、ため息を一つ。
「本当にやり合う気はないよ。ただ、“偶々”君達の姿を見かけたからね、せっかくの『同門』だし、改めて挨拶しようと思って」
「……同門?」
「何を言って――」
その言葉が出た時、一瞬一輝は嫌な悪寒に見舞われた。
それは珠雫も同じようで冷や汗がうっすらと出ている。
一輝と珠雫。二人に共通する、『同門』と呼べるような教え方をしている者など一人しか該当しないのだから。
「君達、あの人に……『ジン』に鍛えられたんだろ?」
そして予感は的中、天音の口から彼の名前が出た。
「どうして貴方が師匠のことを……」
不審に思う珠雫と何かに気付いた一輝。
二人のその姿を見て、天音の口の端が吊り上がった。
「どうしても何も、僕も彼に鍛えられたからね。まあ、君達と違って弟子なんかじゃなく、彼の『息子』として、だけどね」
そして満面の笑みでとんでもない爆弾を落とした。
「え……?」
「むす……こ?」
理解するのに数瞬の間を有した。
予想外の言葉に一輝ですら、呆けてしまう。
そして、二人がその意味を理解した時、夜の摩天楼に驚愕の声が上がるのだった。
紫乃宮天音。
本名、天宮紫音。
彼の幼少期は一見華やかなようでいて、その実当人からすれば酷く虚しいものであった。
彼が伐刀者として発現した能力は因果干渉型。しかもその中でも特に汎用性の高いものだった。
伐刀絶技《
実際天音はこの能力のおかげで様々な成果を得ることが出来た。……その代償はあまりに大きいものであったが。
望んだ結果を得る。それはある種の願望機に近い。もしかしたら人によっては違った解釈も出来るが、しかし彼の周りにいた人達にはそうだったのだろう。
それは友人であったり、恩師であったり、近所の人であったり……実の親でもあった。
だが彼等は理解出来ていなかった。彼の伐刀絶技が引き起こす結果……そこに至るまでの『過程』について。
確かに天音の伐刀絶技は望んだことを叶えてくれる。少なくとも可能性さえあれば出来る。しかしその『可能性』は何も良いことばかりではない。
例えば『大金が欲しい』と願ったとしよう。この場合、大金を得る為の
そう例えば、『家族が死んだことで保険金と財産を手に入れる』とか。
常人であれば道徳や良心が働きそんな選択をすることはない。しかし天音の伐刀絶技はそれを『自動』で行ってしまう。可能性が高ければ『それ』が起きるよう因果に干渉するのだ。
今はそんなことはないが、当時の天音は
結果、彼は失うこととなった。
両親を、友人を、生まれ育った場所すらも……。
そんな絶望にある天音をエーデルワイスは見つけ保護することとなった。
元々優しい彼女だったが、当時は『ある理由』で少し繊細になっていた。
それもあり、天音を連れ帰宅したのだが……。
「犬や猫じゃないんだぞ、簡単に連れてくるなよ」
忘れてはならないが、《比翼》のエーデルワイスは『世界最悪の犯罪者』にして『世界最強の剣士』だ。彼女の首を狙う強者やゴロツキはごまんといる。
仁のように相応の実力があれば彼女の傍にいても問題はないだろうが、己の力もまともに制御出来ていない者ではただ弱味を持つだけ。
ましてや子供。却って危険な目に遭わせるだけだ。
厳格にそう言い放つ仁にエーデルワイスは「確かにそうですが」と言いよどんだ後返した。
「彼の力はある種の暴走に近い、この状態のまま表の世界に置いておくのは危険です。だからといって裏の世界で生きていくには知らないことだらけであり、相応の力もまだ持てていない」
だから一旦でもいいから自分達が保護すべきだ、と。
その言葉に仁は眉をひそめた。
確かに天音は自分の異能を制御し切れていない。孤児院に預けてどうこうとかいうレベルではないだろう。
だからといって裏の世界で生き残るには実力も経験もない。ただ強力なだけの能力を持ってるだけで生き抜ける程その世界は甘くはないのだ。
裏の世界で恐れられる程の実力を有する仁だが、その心は冷徹冷酷という訳ではない。確かに性格的に厳しいが、そこにはまだ何処か『人間性』というものがある。
そんな彼にわざわざ『此処』まで連れてきてしまった少年を『捨ててこい』などと言える残忍さはない。
しかし、と。
やはり難しい問題だからか、再び思考の海に浸かってしまう。
顎に手を当て、思案する。
ちなみに当の天音本人は、発見時かなり衰弱しており、今はベッドに寝かせ療養中だ。
そんな夫の姿を見て、
「それに……どんな形であれ、私は『子供』が欲しいです」
「あー……まぁ、な」
それを打ち明けられた仁は歯切れ悪く明後日の方に視線を向けた。
エーデルワイスが口にしたのは他でもない二人の関係にも関わることだ。
彼等が『夫婦』という枠組みに収まって数年。本来であれば子供の一人くらい出来てもおかしくはない年数だ。
しかし彼等にその兆しはない。勿論仲が悪いだとか、そもそもの行為をしていないという話ではない。
考えられる可能性として最も高いのは二人の『存在』だろう。
仁もエーデルワイスも、人として、伐刀者としての才能の限界を超えた存在――《
表の世界では秘匿され、裏の世界でもそうはいないであろう存在。故に謎も多いのだが……この夫婦、よりによって二人共それなのだ。
ただでさえ謎が多い上に、夫婦揃って《魔人》など前代未聞どころではない。
その為如何な事態が起きるかは全く予想がつかなかった。だが二人で暮らすだけなら特に困ったことはなく、わりかし平穏に過ごしていたのだが……。
こうも長年子供が出来ないと原因はそれではないかと思い始めてきた。他にも純粋に肉体の相性とか元々そういう身体とか本当に運が悪いだけ等……考えられる可能性は幾つもあるが、やはり二人の『存在』そのものが無視するにはあまりにも大き過ぎた。
そうした理由がある為女性として、妻として、彼女は子供に飢えていた。
しかし、彼等の環境を鑑みても孤児院から子供を養子に迎え入れるというのは無理だ。片や『世界最悪の犯罪者』、片や裏の世界の住人。そんな家庭環境に表の世界の子供を入れる訳にはいかない。
だからか最近少し元気がなかったのだが、その時に天音と出会ってしまった。
行き場を失くした彼を連れて帰ったのは何も純粋な優しさからだけではない。『
「……どうでしょう」
もはや懇願に近い眼で訊く妻に仁は大きなため息を一つ。
「断言するが、こいつは面倒なこと起こすぞ」
第六感を鍛えた仁が言うのだから間違いない。
「ええ、私もそこはなんとなくわかります」
彼の境遇を考えれば、迎え入れるだけでも一苦労だろう。
――だが。
「それでもいいなら、俺からは何も。あとは本人次第だろうしな」
「ありがとうございます」
さりげなく天音本人の意思を尊重しながら仁は妻の頼みを聞き入れた。
――こうして
何故なら彼が目を覚ますと、そんなものが可愛く思える程の理不尽な存在がいたのだから……。
「あー面白かった!」
上機嫌に笑いながら天音は夜の街を歩いていた。
一輝と珠雫に対して放った特大級の爆弾は予想以上の効果を発揮した。
『ジンって……まさか先生!? え、でも、確か先生はまだ二十代のはずじゃあ……』
『落ち着いてください、お兄様。あの人なら別に不思議なことではないです。ええ、おそらく、たぶん、そう……思います……』
『いや、流石に物理的、時間的に無理だよ! 珠雫こそ落ち着いて!』
天音が仁の息子――正しくは義理だが――である事実に二人の慌てふためく姿があまりにも滑稽で、過呼吸になる程笑い続けてしまった。
あともう一つの爆弾。『エーデルワイスと仁が夫婦である』という取って置きがあったが、それはまたの機会としよう。
「……まあ、でも、これで少しは気を引き締めてくれたかな」
天音が彼等に接触したのは暁学園の生徒としてではなく個人的な理由だ。
それは彼が『ジン』の息子として、そして鍛えられた者として、同じ立場にいる二人をただ倒すのはつまらないと感じたからだ。
同じ師を持つ者として優劣を決めたい。自分の方が強いのだと『ジン』に証明する。
その為には彼等に素性を明かし、万全の態勢で来て貰わなければ困る。
彼に鍛えられた騎士だと知れば、あの二人は必ず警戒し、全力で挑むはず。
それを真っ向から叩き潰す。
「僕の強さ。ちゃんと見ててよ」
『認められたい』という、子供らしい欲求。しかし、それに見合わない闘争心が彼の瞳に宿っていた。
「――はっ」
口の端が上がり、鼻で嗤うようなその姿は誰かによく似ていた。
「アマネ」
だからか、彼の妻にして育ての親の片割れが声をかけてきた。
「用事は終わりましたか?」
変装というにはおざなりな、眼鏡をかけ、地味めな服を着ただけのエーデルワイスがすぐ傍にいた。
いつ居たのかなど訊くだけ野暮だろう。
「はい。もう終わりました」
特に意味はないが、内容は伏せる。あくまで個人的にやっておきたかったことだし、改まって言うのは少しばかり恥ずかしい。
「貴女の方はいいんですか? アイツに逢わなくて」
天音が向けた視線の先にはパーティーが行われていたホテルがあった。
もう既にいない可能性が高いが、もしかしたらまだいるかもしれない。
そう思い訊ねたのだが。
「彼とはこの間逢いましたから」
首を横に振り、その時握りしめた手を見て答えた。
愛おしそうに微笑む姿に、天音はふとした疑問を投げ掛けた。
「ちなみにどこまでやったの? キスくらいはした?」
「………………………………え?」
純粋に夫婦なら『そのくらい』するのでは? という軽い気持ちで訊いた天音に対し、数秒を置いてエーデルワイスは声を漏らした。
そして次の瞬間からどんどん顔が赤くなっていく。
「その、さすがに外でしたし、学園の敷地内でもありましたから……だから、その……キ、スまでは……」
たどたどしく、且つ弱々しい声で当時の状況を語るが、最後は最早消え入りそうで上手く聞き取れない。
「あー……はい、分かりましたから」
その姿から天音は大体察した。
つまり、僅かなスキンシップで満足したと。キスまではしなかったと。
(ホント、この人達過剰なスキンシップはしないんだよなぁ)
恋人ではなく夫婦。しかも既に数年を共にしているからか、彼等の雰囲気は新婚のそれとは違う。しかし熟年と言うには初な所もある。でも、やることはちゃんとやっている。
なんとも不思議な夫婦関係だ。
長年彼等と共に暮らしてきた天音だったが、やはりどうしても変な違和感を感じてしまう。
原因は仁が特殊な環境で育ったことや、エーデルワイス自体色恋とは無縁だったことだろう。
しかし、だとしても。
(結婚生活数年の人の反応じゃないよね)
未だ赤くなったままの育ての親を見て天音は改めてそう思った。
実は番外編予定だった寧音ルートだと普通に子供いたりする。