「おはようございます。今日の予定、お訊きしてもよろしいですか?」
起床し、身仕度をしてから朝食を摂る為に宛がわれた部屋を出ると、それには最愛の妻がいた。
「……ホテルはともかく、部屋番教えたか? 俺」
「受付に『夫の部屋はどこですか』と訊いたら答えてくれましたよ」
さも当たり前のように扉の向こうに立っていた姿を見て、一瞬記憶を昨晩まで遡ってみたが、連絡自体は入れたものの、どの部屋に泊まっているのかまでは伝えていないことを改めて確認する。同時に、エーデルワイスの口から疑問への回答が出た。
思っていたよりも真っ当な手段だったので、内心安堵した。
流石に千里眼的なものを修得した訳ではないらしい。
そんな仁の心境など知らないエーデルワイスは「それで予定なのですが……」と再度訊いてきた。
「ああ、悪い。基本俺は予定ないぞ」
無視した訳ではないことを謝り、告げる。
仁が連れて来られた主な理由は『いざという時の為の戦力』だ。
暁学園、ひいては創始者である月影獏牙が
そうだとすると何かしらの妨害……最悪民間人に被害が及ぶようなこともあるかもしれない。
そういう『いざという時の為』に仁はいる。
だがそれは裏を返せばその時以外は出番がないことも意味している。
ましてや仁は本来国外追放された身。下手に関わって身元を詳細に調べられると色々と危ない。だからこそ有事の時以外は静かに息を潜める必要がある。
とはいえ、要は目立った行動さえしなければいいのだ。外出も禁止されていない。
故に物見遊山でもしようかと思っていたのだが……。
「では、ご一緒しても?」
「いいぞ。むしろ有り難い」
思わぬ誘いに、しかし仁はすぐに頷く。
一人寂しく徘徊するより、二人の方が断然良い。
なによりも仁にとって、エーデルワイスと二人だけで出かけるのは久しぶりのことであり、その申し出は正直嬉しかった。エーデルワイスの方も、暁学園での主だった行動はない為時間が余っているのだろう。暁での彼女の役割はただ名前を貸すことと天音の保護者としているだけなのだから。
「デート、久しぶりですね」
「……面と向かって言うなよ」
仁とは対極に嬉しさを隠そうともしない妻の笑顔に仁は少しだけ気恥ずかしさを覚えるのだった。
「何か希望は?」
「露店とか見て回りたいです。日本独自の料理など、興味もありますから」
「なら、そうするか」
朝食を終え、改めて身仕度を済ませた仁はエーデルワイスに何処に行くか質問すると考える素振りすら見せず即答してきた。
その要望に応えるべく、ケータイ片手に周囲の情報を収集する。
七星剣舞祭という一大イベントで店を構えるということもあり、全国の名店が出張しているようだ。全部を回るのは流石に無理だろう。軽く調べただけでも数十店以上あったのだから。
さて、どの辺りから回ろうか。
そう思い、思考する時の癖でつい顎に空いた手を当てようと――したのだが、その腕が動かない。
違和感に気付き目を向けると、本来空いてある腕を妻がガッチリと捕らえていた。……いや、『絡め取っている』と言った方がいいだろうか。密着する程の至近距離で彼女は仁のケータイを覗き込んでいる。
「どうした?」
手を繋ぐ程度であればよくあることだが、こうも積極的なスキンシップはそうはない。しかもホテルを出てまだそんなに歩いていないとはいえ、外でこういう行為をするのは今までなかった。
どういう心境の変化かと思い訊いてみるものの、「いえ、その……」と口ごもってしまう。
白い頬が赤みを持っていることから、当人も少しは恥ずかしいようだ。
その様子を見ても彼女一人で思案して出したものとは思えない。入れ知恵をした者は確実にいるはず。
「何か言われたのか」
とはいえ二人の交友関係的にそういったことをする人物は一人しかいないのだが。
「……はい。実はアマネに『もっと夫婦らしいことをしたら』と言われまして……」
その返答を聞き「やっぱりか」と呟く。
二人の義理の息子である天音は、二人のやり取りを見て偶にやきもきすることがあるらしく、そういう時は決まってエーデルワイスの方に進言するのだ。そして真に受けた彼女がそれを実行し、仁を困惑させる。そんなことが度々あった。
その前科故に彼の仕業であることは容易に察しがついた。
今回は比較的『大人しい』入れ知恵なのは幸いしたが……。
普段の姿からは想像し難いが、エーデルワイスの仁に対する独占欲は相当なものだ。それこそ、浮気対策に因果干渉の伐刀絶技を使う程には。
だからか、『彼が喜ぶことをしよう』と考え、実行してしまう。それは良い方に転ぶこともあるが、悪い方になるのが大半だ。
自爆することもあるが、主な確信犯は天音である。
「そうだな。ま、偶にはいいか」
思惑こそはあるものの、そこにあるのは二人の仲を思ってのこと。
仁とエーデルワイスは『恋人』を経ずにすぐ『夫婦』という関係になった。そんな特殊な関係故に、ちぐはぐな距離感があり、そこを天音は心配しているのだ。
抱いてくれる思いが思いだけに余計なお世話と一蹴することは出来ない。今回のような程よい助言を出すこともある。
過剰なものは却下だが、これは素直に受け取ろう。
その気持ちを表すようにエーデルワイスの手を握り返した。
「あ……フフ」
一瞬驚くものの、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべる。
そんな妻を伴い、とりあえずは近場の露店に向かうことにした。
会場となる湾岸ドームの周辺には目当ての露店が並んでいた。百m以上の距離を所狭しと並んでいる。これで一部だというのだから七星剣舞祭が如何に大規模で人気のイベントかが伺える。
そこを練り歩くこと暫く。
太陽は真上に上がり、一日で最も暑い気温になる。快晴であることもあり日陰を求める人も増えてきた。
それでもこの祭りの如き賑わいが収まる様子はない。本格的に始まるのは明日からであり、今日は前夜祭の様なものだ。
しかし、彼らの興奮は抑えられず結果彼らなりの『前哨戦』で発散しているのだろう。
「すみません。これとそれと、あと、そちらもお願いします」
そんな中、エーデルワイスは次々と気になった食べ物を買っている。片腕は未だ仁の腕を絡め取っている為片手に会計を済ませ、商品を貰う。
その際、店主がやたらデレデレとしていたのを仁は冷めた目で見ていた。
――まあ、見た目は良いからな。
たとえすぐ傍に妻や彼女という存在が居ようとも、綺麗な女性には少なからず見惚れてしまうのは男の性なのだろう。
実際、仁も初めて見た時は一瞬とはいえ心を奪われたのだから。
だがしかし、それと同時に思うのは――
「……知らないってことは幸せだな」
彼女の外出に合わせ、今回も認識阻害の魔術を掛けている。あの店主がお気楽な態度でいられるのもそれがあってのこと。
目の前にいる見目麗しい女性が、あのエーデルワイスだと気付くはずもなく、思いすらしないだろう。
正体が露見しようものなら店主だけでなく、この辺り一帯がパニックになり、最悪大会運営とかも出てくることになる。
改めて思うことだが、下手な爆弾よりも危険物としての知名度は高いのだろう。
「あ、おまけしてくれたみたいですね」
「フフ」とあどけない笑みを浮かべてそう語る姿を眺めながら、なんとなしに仁はそう思った。
「いい加減休んだ方がよくないか」
それはそれとして。
自分達の状況を客観的に見てみる。
互いの腕同士は絡まり――俗に言う『恋人繋ぎ』――空いた手には五つのビニール袋。
袋の中身は露店で買った食べ物。手の大きさ、買った品の容量などを考えるにそろそろ片手では限界だ。
「腕を解放してくれるのなら問題なく続行出来るが?」
「休みましょう、アナタ」
両腕の自由よりも片腕の拘束を選んだ妻の答えは速かった。
どの道、買った物を食べる時は両手を使わなければいけないので、ここで彼女が固執しようともすぐ腕は解放しなくてはいけなくなるのだが。
離れていた期間が長かった弊害か、はたまた普段とは違った甘え方に味を占めたのか、もしくは両方か。
とにかく中々離れてくれない現状。嫌ではないが、終始それでは気疲れしてしまう。主に周囲からの好奇や妬みの視線のせいで。
その中から抜け出したかった仁の願いは、思いの外早く叶うこととなった。
「さて、そろそろ露店巡りをした理由聞いてもいいか?」
時間は経ち。少し遠くの公園まで足を運んだ仁とエーデルワイス。
露店で買った品々に舌鼓を打ち、食べ終わると同時に仁は質問を投げ掛けた。
「物見遊山というのは本当ですよ。後は、料理のレパートリーを増やしたかったからです」
「なんでまた?」
エーデルワイスの料理の腕は知っている。真の意味でその力量が発揮されるのは菓子類だが、通常の料理も劣らぬ出来だ。
『知りたい』という欲求自体は別に不思議なことではないだろう。
しかし、それだけではないような気がした。ただの勘だが、仁のそれは『ただの』と切り捨てるには難しい。
だからこそ、聞くだけでも聞いてみようか。そう思い話を振ったのだ。
「……アナタの故郷の味を覚えるため」
恥ずかしそうにハニカミながら返ってきた言葉に仁は何ともいえない気持ちになった。
嬉しくもあり、そんな手間を取らせてしまった申し訳なさもある。
つまる話、エーデルワイスは自分が原因で国を捨てた仁のことを案じていたのだろう。
事情が事情だ。今は偽りの身分によってこの国に滞在はしているが、所詮それは仮初め。
用事が終わればすぐにまた出て行かなければいけない。そうなればもう二度と帰ってくることはないかもしれない。
生まれ育った国を離れるというのは並大抵の覚悟では出来ない。ましてや『捨てる』など想像するのも難しいだろう。しかし仁はそれをした。理由は他ならぬ
気軽に帰ることも出来ない身にしてしまった負い目。確かに自分の下に戻って来てくれるよう頼んではいたが、まさか正面切って連盟を敵に回すような行為をするとは思わなかった。
彼女としては定期的にでも逢いに来てくれるだけでも良かったのだが、仁はそれ以上……寄り添う道を選んだ。
正直に言うのならば、それは嬉しかった。彼を好いた者として、一人の女性として。
しかし同様に、そんな決断をさせてしまったという罪悪感がある。
彼女の仁に対する執着や『彼の為に』という想い、行動はそれも加味されたものだ。むろん全てがそういう訳ではなく、純粋な愛情や好意からくるものだってある。
だがやはり、無意識に『負い目』というのは感じているのだろう。
今回の件もその一つだ。
故郷に帰れない彼の為にその国の料理を覚えたい。
その想いの裏にはそういった複雑な事情もあるのだ。
「……ありがとう」
妻の抱える想いを察した仁は、謝るのではなく礼を言った。
そうした理由は謝ったところで解決する問題ではないのと、やはり素直にその気持ちが嬉しかったからだ。
「フフ、腕に
そしてエーデルワイスは微笑を以て応える。
再び空いた互いの手を握り、彼女は暫しの間目を閉じる。
恐らくは自宅でも作れるよう、イメージトレーニングをしているのだろう。露店で直に作って出している所では、目を皿のようにして一挙一動を見ていたのだから。あとは材料や器具が揃い、少しばかり練習でもすれば彼女ならすぐにでも作り上げてしまうことだろう。
「ああ、楽しみにしているよ」
お世辞でもなんでもなく思ったこと、本心を口にする。
やはり好きな人の手料理というのは嬉しいものだ。その日が来るのが今から待ち遠しい。
手を握り返すことで仁はその想いも確かに伝えるのだった。
リア充書くのなんかキツい……キツくない? でもこれからも頑張るぞ
ちなみに永続的な純度百%の好意とか信用していないひねくれ者なので、愛やら色恋関係には必ずマイナス要素を何かしら入れてしまうのは私の仕様です。