「師匠、お聞きしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
そう言い訪ねてきたのは珠雫だった。
時刻は二十時を回った頃。
昼間
「飯、まだなんだが?」
「付き合います」
見るからに厄介事だと感じた仁は夕食を理由に逃げようとするが、どうやら無駄なようだ。
頑固なのは誰に似たのか? そんな疑問が一瞬過るが、あの兄を見るにそういう血筋なのだろう。分家とはいえ、自分にもその血は通っているし、よくよく思い返せば自分も『頑固』と言われることがある。もしかしたら本家分家問わず『黒鉄』とはそういう一族なのかもしれない。
そんな半分現実逃避染みた思考をするも現状が変わる訳もなく、渋々仁は珠雫を連れ滞在中のホテルのレストランに向かうことにした。
「単刀直入に訊きます。師匠と紫乃宮天音は本当に親子なんですか?」
「そうだ。まあ、孤児だったのを
レストランで、テーブルを挟んで座りナポリタンを食べながら仁は答えた。
その回答に珠雫は「なるほど」と頷いた。
確かに『家族』の形は一概に同じとは言えない。血が繋がってるから幸せだとか、繋がってないから不幸だという訳では決してない。
だから彼らの関係もそれは間違いではなく、彼らにとっての正解なのだろう。
さて、問題はここからだ。天音と仁が家族であることは確認できた。あと一つ、どうしても訊かなくてはいけないことがある。
「その過程で彼を鍛えたんですか?」
「ん? まあな」
意を決して問うた珠雫に仁は呆気ないほど簡素に返した。
彼が『同門』と言ったのはやはり間違いないようだ。
問題は何故仁が彼を鍛えようとしたか、だ。
仁の性格は知っている。少なくとも誰彼構わず鍛えるようなタイプではない。
一体どういう心境でその決断をしたのか、そこが気になった。
「理由を訊ねても?」
不躾かとも思ったが、単純に興味もある。
何よりその相手は本戦において『自分が当たる可能性が高い相手』だ。情報は多いに越したことはない。
そんな珠雫の思惑を知ってか知らずか、「そーだな」と宙に視線を向け逡巡する。
そして待つこと十秒。
「気に食わなかったから、だな」
「……え?」
長考の末出された回答が予想の斜め上をいった為か、呆けた声が漏れてしまった。
「アイツの境遇とかに関してはまあ同情の余地はあったが、だからといって何でもかんでも異能のせいにしてたのが癪に触った」
「……あー」
納得。
彼の境遇を珠雫が知る由はないことだ。しかし、『
何せかつての自分も持って生まれた才能を盾に傲慢な事を行い、その態度故に本来なら『仁が蹴るはずだった教育の依頼を受ける動機』にしてしまったのだから……。
事情は知らないが珠雫は天音に少しだけ同情した。
事実、当時の天音の『悪いことは何でも能力のせいにする』という行いは仁の逆鱗に触れることとなった。
その結果彼は手始めに『おつかい』をさせられることとなった。ただ『ミネラルウォーターを買ってくる』という至極単純で簡素なものだ、子供だって出来る。
……そこが普通の町ならばの話だが。
エーデルベルク。《剣峰》とも称される標高九千mを超える世界最高峰の山。
彼らが住まう場所は正に『そこ』だ。正確には標高八千m付近の断崖絶壁の合間にポツンとある石造りの小屋。そこがエーデルワイスの家にして、ジンと天音も住んでいる所なのだ。
そこから麓の村までは距離なぞ考えるのも億劫になるだろう。ましてや『おつかい』なら往復だ。外は猛吹雪、視界が悪いどころの話ではなく、命すら奪う絶対零度の世界だ。
そんな中を『水を買って来い』というのだ。
鬼か悪魔か、お前には人の血は流れていないのかと暴言を吐きたくなった天音に――
『お前の異能なら出来るんだろ?』
半ば挑発染みた物言いに、しかし天音は乗ってしまった。……というよりは乗らざるを得ないのだろう。
彼は起こりうる出来事の大半を自らの能力のせいにしていた。責任転嫁をしなければいけなかった。
そうしなければ故郷で起きた『制御不能な能力が暴走した災厄』が、自分は悪くないという免罪符が成り立たなくなってしまう。
だからこそ、無茶とも言えるジンの言葉を呑んでしまったのだ。
まだ子供、感情のコントロールが難しい為だろうが、こうして天音は極寒地獄への旅に出ることとなった。
最低限の防寒対策と水を買うだけには余分過ぎるお金を渡されての出立。その道程は過酷という言葉では済ませられなかった。
まずスタートラインからして断崖絶壁だ。そこを降りるのでさえ命懸け。何度足を踏み外し転落したことか……その度に彼の異能は全力全開で発揮され、『奇跡的に』何とか軽い怪我程度で済んだのだが、問題はまだあった。
単純に道が険し過ぎるのと、村までの距離だ。
エーデルベルグは人が住むには過酷な環境だ。それ故にレジャーで登山をするような山では決してない。だからこそ、道は自然のままであり悪路という言葉すら生温い山道しかない訳だ。
そしてそんな山の麓までの距離は優に数km以上ある。
天音は騎士の血筋や家柄という訳ではない。ついこの間まで普通の学生だったのだ。体力など平均的か、良くて少し上程度。
世界最高峰の山を登山も下山も出来る体力を持ち合わせている訳がない。
ここにきて天音は自身の異能の欠点に気付いた。
確かにあらゆる状況を運でどうこう出来ることは多分にある。しかしそこには誰かしら、第三者の関与があることが多い。
例えば自身が見舞われた不運などはその最たる物だ。第三者の思惑や思考が絡みに絡んだ末に起きた悲劇だった。
だが、今はどうだろうか?
見渡す限りの雪景色。険し過ぎるその山岳には人っ子一人見えない。
そうなった際、運というものはどこまで働くのだろうか。
奇跡的に誰かが登ってくる?――あの《比翼》の根城に?
もし仮に居たとして、それは果たして善人か?――《比翼》を狙ってくる以上名を上げたい挑戦者か賞金稼ぎだろう。
そんな者達と遭遇したとして自分を救ってくれるのだろうか?――答えは限りなくゼロに近い。
そしてもし仮に、それらを全てクリアしたとして帰りはどうする?
考えれば考える程自らの能力への理解の甘さを思い知った。
一番簡単な手である『ジンの考えを改める』という行為にしても、相手は因果干渉すら受けつけない《魔人》という怪物だ。同じ魔人であるエーデルワイスならまだしも、たかだか一介の少年の異能ではどうにもならない。
つまり他者への因果干渉はほぼ当てにならないと思っていいだろう。
本当の意味で一人になった時、彼は己が無力さを痛感した。
幸いなことに吹雪は止み、天候は安定したが強いて言うならそれだけだ。
息も絶え絶え、身体中傷だらけ、足は棒に、体力も底を尽きそうになっているにも拘わらず、麓まではまだ五kmもある。
絶望的なこの状況を本当に
ただ、それでも……むざむざ帰るような真似はしたくなかった。
あるのはどうしようもなく下らない意地だけだ。
『どうせ諦める』などと思っている男の鼻を明かしてやりたい。こんなもの朝飯前だと、買った水を叩きつけてやりたい。
彼の心中に渦巻く感情は未だ
小さな、しかし確かに根付いた衝動を原動力に彼はまた歩き出す。険しい道程のその先へ。
途中滑り落ちたり、危うく賞金稼ぎに遭遇しそうになったりと命の危機に何度か見舞われたが、子供とは思えない根性を見せ、何とか彼が村に辿り着いた頃には日が完全に暮れていた。目当ての物を手に入れても今から帰るには体力的にも時間的にも無理がある。
幸いにして、
翌日。天候は快晴、厄介事に巻き込まれることなく件の品を手にした天音が、山を丁度登り始めた頃。
「アマネ!」
彼を呼ぶ声が聴こえ、次の瞬間には素早い何かに捕えられていた。
一瞬の拘束。何が起きたのかはすぐに分かった。
天音は、彼を引き取った義理の親の片割れ――エーデルワイスに抱きしめられていた。
「無事でよかった」
少し苦しいくらいに力が籠められているのは安堵故だろう。
本当に心の底から心配していたのが分かる。
同時に、天音は思い出した。
(あ、そういえばいなかったんだっけ?)
一連の発端の際、彼女は家にいなかったことを。いや、そもそも彼女があの場にいたのなら、こんな事態にはならなかったはずだ。
「あの人から聞きました」
呆れ気味にエーデルワイスは言った。
ジンの売り言葉に易々と釣られ、まさかの世界最高峰の山を往復する羽目になったことを。
詳細をジンから聞いたエーデルワイスはそれはもうカンカンだった。優しい彼女からすると彼の行いは虐待と見てもおかしくはない。
ジン本人としては天音に異能が万能でないこと、本当の意味での『無力』を知って貰う為に仕向けたことなのだが、第三者から見れば荒療治とかそんなレベルの話ではない。
いや、もし本当に虐待を行おうとするなら余分過ぎるお金も防寒対策も与えるような真似はしないのだが。おまけにその余分なお金も宿に泊まれる程の金額ともなれば、なんだかんだで天音が麓に辿り着くと信じていたのだろう。
だからこそ彼女の怒りは既に呆れへと変わっているのだ。
(……本当に不器用なんですから)
Aランクという魔力制御に反し、人との関わり方はEランク程度ではないだろうか?
一人でいる時間が長過ぎた為だろうが、相変わらずの不器用さだ。
もっと素直に、真摯に天音に『それは違う』と説くことが出来なかったのか?
確かに今腕の中にいる彼からは、以前の様な陰鬱さは消えている。今回の一件で彼なりに異能に対する見方が変わった事、本当の意味で『出来ない事』や『限界』というものを感じたからだろう。
そういう意味では間違いなく効果はあったし、エーデルワイスでは絶対にこんな危険な真似はさせない為かかる時間は相当な物になっていたはずだ。
幸いにして良い方向に転んだが、それは結果論に過ぎない。
「帰りますよ、アマネ」
だからこそ、これ以上危険な行為は行わせたくないとエーデルワイスは天音の手を引く。
しかし――。
「……アマネ?」
彼は頑なにその場から動こうとはしなかった。
いや、動こうという気配はある。しかし、エーデルワイスに引かれる形を嫌がっているのだ。
見ると彼の目はエーデルワイスではなく、その向こう――《剣峰》を捉えて固まっている。
――ああ……。
その『目』をエーデルワイスは知っている。
どれほどの敗北を噛み締めて尚、何度も自分に挑み続けてきた『
どうして『男』というのはこう意地っ張りなのか。諦めが悪いのは時として美点だが、限度というものがあるだろう。
そう思いつつも、我慢勝負になろうものなら根負けするのは間違いなく自分だ。これも過去の経験から分かってしまう。
無理矢理連れていくのは簡単だ。しかしそれは天音の気持ちを蔑ろにするも同然。
自分達の所に来て、初めて自発的に抱いた衝動を奪うのは酷なことだ。
「……わかりました。行ける所まで行ってみなさい、アマネ」
諦めにも似た口調で促すと天音は歩み始めた。
世界最高峰の山に。今度は降りるのではなく登る者として……。
標高八千mにある彼らの家に辿り着くには、今の天音では何もかもが足りない。きっと途中で力尽きる。
だからこそ、彼女は少し離れた位置から彼を見守ることとした。
気持ちだけでどうにかなるほど世界は甘くない。しかしその気持ちがなければ世界は変えられない。
久しく忘れていた人間が持つ特有のジレンマを目の当たりにし、複雑な気持ち半分、これもまた一つの『成長』なのだろうという嬉しさ半分を胸に、エーデルワイスはハラハラと天音を見守り続けた。
――結局。この時の彼の挑戦は標高三千mにも達しない所で終わってしまった。
しかし、それから天音は変わった。
無力を味わった、能力を万能でないことを知った。他者の助けがなければ自分なぞその辺りにいる子供より出来ることがちょっと多いだけのガキだと思い知らされた。
惨めだと思った、本当の意味で自分が嫌いになった。
だからこそ、そんな自分から脱したいと彼は願った。
異能のせいとか、ただ想ったとかではなく、心からの願いだ。
それを叶えるべく、彼は新たに生まれた衝動をジンに吐露した。
――強くなりたい。
『ハッ――』
それを聴いたジンは鼻で笑うかのように一笑した。
だがその表情に侮蔑の色はなく、むしろ喜んでいるようにも見えた。
そこがきっと『紫乃宮天音』という騎士のスタートラインだったのだろう。
《魔人》という規格外の存在、それも二人の手によって育てられた天音の強さがどれほどのものか。本当の意味で知るものは、本戦出場者の中にはいない。
そんなダークホースに当たるであろう予感を珠雫はヒシヒシと感じ、そしてそれは現実の物として刻一刻と近付いていた。
天音君、はじめてのおつかいで改心するの巻。