三回戦第三試合。
珠雫と天音が行なう試合は正にそれであり、天音への宣言通り仁は観る為に珍しく客席にいる。その横には育ての親のもう片割れ、エーデルワイスも控えていた。勿論、周囲に正体がバレないよう、仁の認識阻害の魔術を用いている。
だから露見はしていない。そのはずなのだが、何故か顔を両手で覆っている。心なしか、雪のような肌が朱色に染まっている。元が色白のせいだろう、殊更目立っている。
「うぅぅ……お願いですから忘れてください、ジン……」
目線を合わすことすら出来ず肩が小刻みに震えている。
周りの観客からは「大丈夫ですか?」と何度か声を掛けられるが、その都度「実は人見知りで」とか適当に返している。
勿論そんな理由でこうなっている訳ではない。
『世界最強』と名高い彼女が何故このような状態に陥ったのかと問われれば、一言で表すなら……『羞恥心』といったところか。
信じられないかもしれないが、あの《比翼》のエーデルワイスが今羞恥心で震えているのだ。
その原因は分かっており、既にそれは終わっているのだが、未だに立ち直れていない。
そんなにショックだったのか、と逆に引いてしまう程に。
フォローしようにも、現在進行形で仁が何を言ったところで更に恥ずかしさが増すばかりだろう。
それこそ
さて、では何故彼女がこんな状態になったか。その理由はつい先程行われた試合が関係している。
三回戦第二試合。黒鉄一輝対サラ・ブラッドリリー。
勝敗に関しては一輝が勝った。《色》という概念を自在に操るサラは確かに驚異ではある。その実力はプロの目から見てもAランクに匹敵すると言われた程だ。
しかし、一輝は知ってる。『イメージを実体化』させるという点において、彼女よりも危険な存在を……。
仁という、その系統の能力を以って《魔人》の域に達した存在。それと何度も戦った、何度も殺された。たとえ過去の存在だったとはいえ、仁が造り出した『己』は紛れもなく本物であった。
『理不尽さ』が足りない。そう感じた一輝はだいぶ毒されている。「お兄様も
それと比較すればただ勝利を掴みにくるだけの偽物なぞ、対処のしようは幾らでもある。たとえそれがエーデルワイスであったとしても。
そう、エーデルワイス。サラは伐刀絶技を用いてエーデルワイスを造り出したのだ。
無論本物同然とはいかない。一輝も苦戦を強いられたものの結果として打ち破ったのだから。
しかし、それが現れた時の会場全体の動揺は尋常ではなかった。紛いものとはいえ、あの《比翼》のエーデルワイスなのだから。
どよめき、恐れ、驚愕。様々な感情が渦巻いたことだろう。
それは『使われた本人』も例外ではなかった。
サラが造り出した己を見て彼女は顔面蒼白となった。
サラが自分を造れたことにではない、何故よりによって『あの時』の自分を再現したのか、だ。
認めた瞬間の彼女は正に神速であった。コンマ0.01秒で
「え?」
勿論いきなりそんなことをされた仁は訳が分からなかった。理由を訊ねようとしたが……。
「ごめんなさい、ジン。でも、ほんとうに、あの『私』は見ないでください、お願いします。……見ないでぇ」
有無を言わさず、まさかの懇願である。
疑問符しか浮かばないが、妻が嫌がっている以上は仕方ない。素直にそう割り切った仁は暫しその状態を受け入れた。
何故エーデルワイスがこのような行動を取ったのかというと、偏にサラが原因だ。
より正確にいえば彼女の造り出した偽のエーデルワイスが問題だった。
彼女の異能は色の概念干渉だ。しかしそれを絵を介すことで彼女の能力は幅広く、且つ強力なものになっている。
ところで絵、特に人物画の場合モデルが存在する。架空のものを描くよりかは実在するものを描いた方がよりリアリティを出せるからだろう。
ではサラが造り出したエーデルワイスは? 勿論本人をモデルとしたものだ。
故にこそ細部に至るまで明確に再現されている訳だ。
ただ問題なのはこれがいつの頃の再現か。
遥か昔ということはない。日々強くなっていく彼女を模写するのであれば、最近のものがいいだろう。
そう、例えば……暁学園の校舎が破壊される前の時分とか。
(なんでよりにもよってあの時の私を再現するんですか! サラ!)
思い出すのは
それでもその時はあと一歩の所まで行けていたのだ。だからまだ軽傷で済んだというのに……。
よりによって再現されたのは正に
一瞬で判った、一目で理解出来た。何せ散々姿見の前で見た自分自身なのだから。
確かに天音を鍛える名目で彼女達の前に姿を現した時がある。恐らくその時にサラはエーデルワイスの姿形を脳裏に焼き付け、元々あった記憶に上書きしたのだろう。
(恥ずかしい……)
正直第三者、知り合いとかならまだいい、大丈夫だ。しかし
エーデルワイスは仁が好きだ、愛してる。その熱は結婚をして夫婦になってからも衰えることはなく、寧ろ増している。
彼の前では『綺麗でありたい』という乙女心すらある。
だからこそ見せれない。あんなだらしない自分なんて……。
……まあ勿論そう思ってるのは本人だけであり、別段著しい変化がある訳でもなく、仁も気にしないだろうが、それでも当人からすると許容出来ないらしい。
(お願いですから早く倒してくださいイッキ!)
一刻も早く偽物の自分をこの世から消し去って欲しい。
許されるなら自分の手で一秒すら使わずに塵芥に還してやりたい。
しかし悲しきかな、これは七星剣武祭。手を出していい訳がない。
だからこそ彼女は心の中でエールを送った。かなり身勝手な理由な気もするが、仕方ない。だってそれ以外に出来ないのだから……。
果たして、一輝が偽のエーデルワイスを倒すまでの間、彼女が感じた時間は途方もなく長かった。
恐らく、今日初めて彼女は無力感というものを実感したのだろう。
どんなに強大な力を持っていようとも時と場合、状況によって全く意味を為さないことを思い知らされた。
「……嫌いにならないで」
その結果、試合が終わった後だというのに傷心状態から抜け出せないでいる。
彼女からすれば瞬間的にでもあの自分が仁の目に映ったのが嫌だったらしく、未だに鬱々としていた。
「いや、だからそんなんじゃ嫌いにならないって」
大袈裟な気もするが、それはやはり彼女の恋愛経験の無さからくるものか。人との接触もそんなに多くなかったから寂しさを感じていたのかもしれない。
そんな中、出逢い、好きになり、結婚し、夫婦になれた。
正直彼女の境遇や経歴を鑑みれば奇跡に等しい。
だからこそ手放したくない。失いたくないという気持ちが強いのだろう。
「離婚……」
「する気はない」
「……ほんとうに?」
「本当だ」
慰めるように頭を撫で、出来る限り優しく答える。
気持ちが通じたのか、顔を覆っていた両手がようやく離れた。
向けられた顔は何処か自信なさげだ。こんな弱々しい姿、仁の前以外では決してしないだろう。
「落ち着いたか?」
「……はい。その、すみません……」
泣いてはいない。しかしまだその顔はうっすらと赤い。
己の行動を振り返り、さっきまでとは別の恥ずかしさが湧いた。
だが仁は「気にするな」と頭を軽く叩いた後、リングに目線を向けた。
清掃が終わり、そろそろ第三試合が始まるのだろう。
大事な息子と弟子の試合だ。余所見をしては申し訳がない。
その切り替えの早さを倣いエーデルワイスも目を向ける。
言葉数は少ないが、それでも大事に、ちゃんと愛してくれていることを感じた。
他者から見たら淡々としているように見えるだろうが、その実エーデルワイスには確かに伝わっている。
色々と厄介で面倒な女だという自覚はあるが、そんな自分を好きでいてくれる彼はやはり手放したくない大事な存在なのだ。
意識はしていない。しかし無意識下でそう思い、自然と身体は動いた。
求めるように左手が彼の右手に触れた時、躊躇いも迷いもなく優しく握りしめてくれたことに、エーデルワイスの口元は弛んでいた。
ここの天音くんと珠雫はちゃんと戦います。