それは何度目かの死合を終えての事だ。
自分と相手は果たして同じ『世界』を見ているのか? そんな疑問を抱いた。
音すらも発せずに、超速で動く彼女は自分と同じ時間と空間を認識しているのか?
もしそうなら何故こちらは捉えられないのだろうか?
もし違うのなら、その『視点』を自分も得ることが出来ないだろうか?
実に馬鹿げた考えだ。
ロケットに乗っている者と、外から観測している者が同じものを見れる訳がない。
子供でも分かることだ。
しかし、そのロケットに対して自分は徐々に対応できるようになっている。
『視る』のではなく『感じる』ことで対処が出来ている。
普通ならあり得ないかもしれないが、事実出来ているのだ。
だがそれでも防戦一方。反撃は出来ず、ジリ貧になる。
そんなどん詰まりの状態だからか、思わず馬鹿げた思考になってしまった。
それに気付いた時点で、止めればいいのに、頭の中では色々と錯綜していた。
そうして考えている内に、ふとある言葉が浮かんだ。
よく速いものに対して『世界を置き去りにする』などという形容が使われている。
ただの形容と言われればそれまでなのだが、そこで自分の異能のことが引っかかった。
概念干渉系に分類される力。概念とは性質であり、目に見えないものすら含む場合がある。
古来より言葉には力が宿るとされており、日本には『言霊』という概念がある。
目に見えないものでも概念は存在し、言葉には力が宿るとされる。
……もしや、あまりに速過ぎると本当に『世界を置き去り』にするのではないだろうか?
実際音速の壁は存在し、それを突破することは可能だ。似たようなことを出来ても不思議ではない。
ならば自分も同じような状況に到れるのではないだろうか?
突拍子も無い埒外な思考だが、彼女への対策としてはどんなものでも試す価値はある。
だが速さに関して、彼女と同等には到れない。それは《第六感応》を発現させる際に感じたことだ。
では、どうすればいいか?
長考の末に彼は一つの案を思いついた。
――そうか、ならばこちらは逆に『世界から置き去り』にされよう。
もしそこに第三者がいたら「お前は一体何を言っているんだ?」と訝しまれたことだろう。
それだけぶっ飛んだ答えを導いてしまったのだから当然だ。
しかし、そこには彼なりの理由もあった。
静と動は対照的ではあるが、世界はちゃんとその二つを包容している。どちらか片方だけが存在しているわけではない。
如何に止まっているかのように見えても、実際は劣化や摩耗という『動』を含んでいる。それは例え『死』であろうとも同じ。死とて所詮世界の中の流転の一つに過ぎないとある《魔人》は語っていた。
完全な『止』は存在せず、だからこそ静と動は世界に包容される。
エーデルワイスの《比翼の剣》もそうだ。0から100へと瞬時に行うそれだが、その0とて完全な零ではない。肉体はちゃんと生命活動を行っている、鼓動も呼吸もしている。無論血液や細胞が止まっているわけでもない。
あくまで限りなく0の状態――予備動作を必要としないというだけであり、世界最強とされる剣士ですら完全な零には到れない。
元より生命にとって生とは則ち動くことであり、死とは則ち動かなくなることだ。
生命としての正しい活動を、エーデルワイスは最大限にまで引き出しているに過ぎない。
それに掛けた時間と練度により、後追いする者が彼女を追い越すことはまず不可能だろう。
故にこその考えだ。追いつけないのであればそもそも動かなければいい。
動の極地ともいうべきそれに、静の極地ともいうべきものをぶつける。
――矛盾。
『世界を置き去りにする者』に『世界に置き去りにされた者』を相対させる。
――矛盾。
別のベクトルで『世界』から外れた者達が、その外れた側という『共通認識』を以てば知覚出来るかもしれない。
――矛盾。
考えれば考える程生じる矛盾。しかし人間なぞ思ったことと実際に行動することが乖離する場合もある。元より矛盾を孕んだ存在だ。であれば、可能性が皆無ではないはずだ。
とはいえ、そもそも静の極地など果たして存在するのかという所から始まるのだが。
《比翼の剣》の対となる考えた場合、生命活動とは真逆となる。
自らの動きを全て止める。筋肉や、呼吸だけでなく、血液や細胞、毛先一本に至るまで全てだ。
それを行うということは、つまりは行き着く先は『死』でしかない。
『勝つ為に死ぬ』なぞ正に矛盾している。狂気的ともいえる。『死ななければ負けではない』という信念を持っていた過去の自分が糾弾している。
だがしかし、それを利用しなければ出来ない以上避けては通れない道だ。
なればこそ、彼は嬉々として臨んだ。過去の自分とも決別した。
幸い自分の異能を以ってすれば、最悪の状況は避けられる。
途方もない苦難が待ち受けているが、その程度で手に入れられるのであれば安いものだ。
そうして編み出した技こそが《無動砕》。
『静』の極地に到ろうした結果、最早それは『静』ではなく『止』に到る境地。『動』により命を繋ぐ生命が決して踏み入れてはいけない領域。
最強の剣士に勝ちたいが為だけに人の……生命としての範疇を超えてまで得た力。
そこまでして得ても、その力は対極に位置するものにしか効果はない。完全な《比翼》に対してだけ使える
まさか自身以外が使うのを見る日が来ようとは、当時の仁は知る由もなかっただろう。
「――……っ……!?」
息を吸うと同時に目が覚めた。
一体どれだけ気を失っていたのだろうか?
そう思ったのは紛れもなく意識が飛んでいたからだ。
(僕は、一体……?)
幾つもの亀裂が入った《陰鉄》を握り、振り下ろした形で身体は止まっている。
「ぐっ……ぅ……!!」
動かそうとして、激痛が身体を奔った。
膝を着きそうになったが、《陰鉄》を地面に突き刺し、杖の代わりにすることでなんとかそれは間逃れた。
試合がどうなったかはまだ分からないが、自分が未だにリングにいるのは確かだ。
爆弾でも落ちたかのように抉られて、最早見る影もないが、未だに観客はいる。だから間違いなく、試合の最中だ。
ざわざわとどよめく観客達の声が耳に入る。
皆、この惨状に驚いている様子。
それはそうだろう。一輝ですら自分達の必殺の一撃の衝突でこんなことになるなど想像していなかったのだから。
(そうだ、確か……)
そこで思い出したのだ。
試合開始と同時に自分が《一刀羅刹》を使ったことを。そして、天音が例の『魔剣』を使ったのも感じ取った。
《無動砕》。あの技を使われた瞬間、一輝の見ていた世界は突如一変した。
世界を遠く感じた。音はなくなり、周囲は色彩がなくなり、あらゆる像が失せていた。
そして全力で踏み込んでいるにも関わらず、何故か天音との距離が
本来ならあり得ない事象。存在しないはずの距離が生まれていたのだ。
驚愕すると同時に理解する、これが仁の助言の正体だと。
二の足を踏みそうになったが、止まらなかったのは事前に彼の言葉を聞いていたからだ。
そうでなければ、足が止まっていたかもしれない。
だが、そうして駆け続けようとも中々その差は埋まらなかった。
本来なら一秒と掛からずに到達する距離。それに一体どれほどの時間がかかった事か。
僅か数秒の事か、はたまた一分か、それとも一時間か。
実際にそんな時間も掛かっていないはずだが、不思議とそう感じたのだ。
それでもその距離は徐々に縮まっていく。
十m……五m……一m……数十cm。
そうして辿り着き、彼に刃が届く範囲で、一輝は振り下ろす。
感じたことのない感覚に襲われながらも、あり得ない距離を踏破し、迫った刃は――しかし斬るは叶わなかった。
《陰鉄》が天音に触れる瞬間、世界は急速に元に戻った。
色が、音が、像が、あるべき形として戻る。
正常な世界に引き戻されたことに驚く暇もなく、一輝の意識は奪われた。
(あれは……一体?)
そして気付いた時にはこの惨状だ。被害を鑑みても五体満足なのが不思議な程だ。
いや、正確には満足ではないか。
全身の何十という骨は砕けており、筋肉も裂けている。皮膚は裂傷だけでなく、抉れたり剥がれたりしている。思いの外出血量は多くないが、代わりに内側は酷い有り様だ。
それほどの重傷、のたうち回るような激痛に苛まれながらも瞼はひたすらに重い。
気を抜けばそのまま倒れてしまいそうな程の倦怠感。
最早まともに戦うことは出来ない。
それでも命があり、こうして足が地に着いている事に驚いている。
(未完成か……僕も、彼も)
対エーデルワイス用として編み出された技がこんなものであるはずがない。
確かに脅威的な威力ではあったが、それでも一輝は生きている。この程度では恐らくダメージを与えられこそすれ倒すのは無理だろう。
本来ならエーデルワイスの速度を考慮して練られているはず、その速度に達していない時点で不発でもおかしくはない。
だが、恐らくは天音の《無動砕》もまた不完全なものなのだ。
互いに不完全なもののはずが『技量が近しい故に条件が一致した』お陰で発動したと考えるのが妥当か。
想像でしかないが、仁とエーデルワイスが衝突したら被害はこんなものでは済まないだろう。
自分よりも遥かに速く鋭いエーデルワイスの剣に対し、より完成された技で真っ向から迎え撃てたとしたのなら……。
嫌という程痛感する、自分達は未熟だと思い知った。
「は、はは……」
思わず乾いた笑いが出てしまいそうな彼我の差。しかし実際に笑ったのは一輝ではなかった。
「天音くん」
声がする方を見ると瓦礫に埋もれている天音の姿があった。
仰向けに空を見上げる形で転がっている。手に握られている《アズール》はボロボロで、いつ砕けてもおかしくはない。
「なるほど……『使えない』って意味がわかったよ……確かにアイツ以外に、こんな自爆同然のカウンターなんて使える訳がない、か……」
辛うじて動く視線で自らの霊装の状態を確認し、一人納得した。
《無動砕》は本来いる世界から外れた者達が対峙することが発動条件だ。
エーデルワイスの『世界を置き去りにする』速さ、仁の『世界から置き去られる』停止。相対する対極の存在。
彼等の視点には本来では『あり得ない彼我の差』が生まれる。
仁曰くはそれは『矛盾の距離』という。この世界にはあり得ないはずだが、しかし確かに両者はそれを認識している。二人だけが持つ共通認識。
どれだけ置き去りにしたか、どれだけ置き去られたかによってその距離は変わる。
そしてその距離が大きければ大きい程矛盾も大きくなり、それを縮めようとすると矛盾は肥大化する。
本来存在しない
世界から外れて生まれたとはいえ、その世界の人間が認識出来てしまった以上は『在る』ことが確定される。エネルギーは行き場を失い暴発を起こす。それを利用して、諸共に消し飛ばそうとするのがこの技だ。
『カウンター』などと小気味よく聞こえるが、やってることは死なばもろともの道連れ精神。
仮に肉体か霊装のどちらかが無事でも片方は深刻なダメージを受ける。天音は発動させる事だけに全能力を使用した為に、両方共多大なダメージを受けることとなった。
何故自爆染みた事が起こるのか? それは最初の矛盾が《無動砕》を行った者にあるからだ。
自らを生命としてはあり得ない『完全な停止』へと追いやる。そこが肝心なのだ。
その後に続く事象も全てはこれが出来なければ始まらない。だからこそ起点であり、中心でもある。
故にその者が爆心地の起点になるのは必然といえる。
無論、そんな所にいて無事でいられる訳がない。
事実、天音は一輝以上に凄惨な状態だ。瓦礫に埋もれて見えないが、左腕は千切れ飛んでおり、全身粉砕骨折状態だ。特に脚は感覚はないが、両方共あらぬ方向に曲がっている。
意識を失っていないだけでも驚愕だ。
……なるほど、確かにこれは■■の概念を司る仁でなければ扱い切れない代物だろう。
「……おめでとう、イッキ君、キミの勝ちだ」
しかし、それすらも残り僅かとなる。その事を悟った天音は一輝に賛辞を送る。
「え……?」
「聞こえなかったかい? もうカウントは終わってるんだよ」
天音の言葉で、改めて周囲を見ると、無事であった審判が高らかに勝者――一輝の名を挙げている。
どちらも満身創痍だが、天音は倒れており、一輝は膝を着いていない。
その状態ではダウンと見なされカウントが始まっていたのも当然といえば当然だ。
未知の体験と感覚により、まだ正常に五感が働かなった為か、一輝には審判の声が聞こえていなかったらしい。
「今回は、僕の負けだよ、イッキ君……でも、次は必ず……っ」
全身全霊全力を出し、結果負けてしまった。そこは素直に認めるが、それ以上に『次こそは』とリベンジをする気概を見せた。
だが流石に限界だったのか、そのまま意識を失ってしまった。
「ああ、受けて立つよ」
既に聞こえていないだろうが、一輝は彼の挑戦に受けることを約束した。
負けず嫌いなのは自覚しているし、その気持ちも分かる。
だからこそ、受けることで彼の気持ちを最大限に尊重した。
「っ……!!」
そして、一輝も限界がきたらしく、ついに膝から崩れて落ちた。
準決勝第二試合の勝者は黒鉄一輝となった。
意識を手放した彼等の下に駆けつける医療班。
何が起きたのか、結局最後まで分からなかったが、それでも貴重な一戦を観れたとして困惑しながらも興奮する観客。
慌ただしくなった会場からいつの間にか姿を消していた仁に気付いたのはそんな最中だった。
「まったく……」とタバコを吹かしながら黒乃は呆れる。
そうこうしている内に近くにいた教え子達も一輝を心配して、医務室に向かって行った。
一人残された黒乃はため息の代わりに紫煙を吐いた後に彼等の後を追う。
もし、最悪の事態であった場合は彼女の出番だが……それが杞憂に終わる予感がし、そして現実のものとなる。
元々は初期プロットにあった一輝戦において使う予定だった《無動砕》。
初期では某海賊漫画の鉄塊のような技のハズだったのに、対エーデルワイス用に生まれ変わったらとんでもない面倒くさい技になってしまった。
でもエーデルワイスに対抗するにはなんかぶっ飛んだものじゃないと無理じゃねと私の中のゴーストが囁いていたから仕方ないんや……。