拝啓妻へ   作:朝人

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三十六話

「よく気付けたな」

 

 一輝が見破った仁の異能の正体。

 それを聞き驚愕のあまりに絶句してしまったステラを他所に仁は愉しげに嗤う。

 その言葉、態度から一輝の推察はやはり当たっていたらしい。

 

「そう、俺の異能は《存在》の概念干渉系。その概念が示す通り、一応この世に存在する全てのものに干渉出来る」

 

 言うと仁は右手を広げると炎が生み出された。

 それは松明の火の様にゆらゆらと揺れるが、すぐにその姿は消えてしまう。

 今度は氷を顕現させる。小岩程の大きさのそれは出現してから数秒と経たず粉々に砕け散った。

 どちらも顕現させる事は可能だが、持続性はないようだ。

 

「と、言えば耳心地良いが、実際はそこまで万能じゃあない。全てを思いのままに操ることは出来ない、出来るのであればそれは既に神の領域だ。ま、俺はそんなものになりたいとは思わんし、興味もないがな」

 

 今度はナイフを顕現する。それを握り、くるくると手馴れたように扱う。

 それだけで既に先の炎と氷の顕現時間を超えている。

 やはりこちらの方が馴染む。そういう含みがあるかのように笑うと、ナイフを投げた。

 弧を描き、宙を舞うナイフは徐々に色褪せていき、最後には透明になるように消えていく。

 力の方向性、イメージの固定化。自らの異能の特性を理解した上で自分に適した形へと落とし込む事で、最適解へと持ってきた。

 あらゆるものへ干渉出来るからと言ってその全てをものにするのではなく、取捨選択をし、伸ばせる所を伸ばす。出来そうだと感じた時にはそちらにも着手する。

 人間としては当たり前の行動だ。しかし、過去にこの異能を手にした者達はそれが出来ずに自滅していった。目の先の巨大な力に手を伸ばした末路ともいえるが、同様の状況に陥った際に誰しもが仁と同じ選択が出来るかと問われれば無理だろう。

 それだけ、この異能は魅力的に映っていたのだろう。

 そんな異能を持ちながらも振り回されるのではなく御し、どんどん手懐けていく。

 仁にとって異能はただの力に過ぎない。強くなる為の手段の一つに過ぎないのだ。

 武術も、魔術も、《覚醒》も、《魔人》も、《互眸鏡》も同様。

 ただ強くなろうと思い、日々研鑽する仁にとってどれも等しく『手段』でしかない。

 たとえ今の異能以外を保持していたとしてもきっと《魔人》に至るだろう。それ程までに『力』に対する執着心は強く、純粋だ。

 数え切れない実戦経験、何度も死に瀕することで手にした第六感、《魔人》と化して尚研鑽し続けて身に付けた魔術と武術。その全てが仁にとっては等しく同じなのだ。

 

 ――ああ、やっぱり、この人は強い。

 

 素直にそう感じ入る。

 『力』に対する探究力が今まで出会ったどの伐刀者よりも強い。王馬も相応だったが、年期が違い過ぎる。

 それに、ただ強くなる為に鍛えるだけではない。己の異能の研究にも余念がないのだ。

 武術も魔術も極めようとし、それを実行している。

 それに掛けた時間と労力は一輝やステラの想像を遥かに上回っているだろう。

 その結果は既にまざまざと見せつけられた。

 ステラの圧倒的な火力も、一輝の剣術も即対応される。

 たとえ虚を衝いた所で鍛え抜かれた第六感により、それすら躱される。

 そもそもの話、攻撃そのものが通じていない。

 仁はこの姿の時、魔力障壁の他に《位相皮》という伐刀絶技を常時発動している。触れた存在の序列そのものを強制的に引き下げるというものだ。

 一瞬で灰と化す火力はマッチの火の如く、研ぎ澄まされた剣戟は爪で引っ掻くように、そういった階位にまで強制的に引き下げてしまう。

 完全に消滅させるのではなく最小にまで軽減させ、そして軽減されたそれらは通常の魔力障壁により遮断される。

 《大六感応》とはまた別にこの二つの強固な盾がある故に仁の防御を突破するのは非常に難しい。 

 無論一輝達はこの伐刀絶技を知らない。しかし、今までの応酬でそれに近い能力があることには気付いている。

 その上で、霊装に手を掛けてもいない。

 そのまま行けば……どの道ジリ貧となるだろう。

 《ドラゴン》の力すら消せる異能の前では下手な小細工は最早通用しない。

 

「――《一刀修羅》」

 

 それを理解したからこそ、一輝もまた奥の手を出す。

 《一刀羅刹》でも《追影》でもなく《一刀修羅》を使う理由は簡単だ。

 現状の一輝ではどれ程鋭い剣戟をしようとも、一太刀では決して届かないであろうという自覚がある。

 故に必殺の一撃ではなく最大限に動ける一分間を選んだのだ。

 青い《魔力光》を纏ったその姿を見て、仁は愉快に口を歪めた。

 

「来い」

 

 招くような口振り、その言葉に誘われるように一輝は駆ける。

 一秒も使わず浴びせた一太刀は、しかし仁には届かない。手応えがなく、斬ったという感触すらない。

 想定していた通り、やはり防がれたのだ。

 しかし、だからどうした。

 

「うおおおおおおおお!!」

 

 間を置かず一輝は剣戟を奔らせる。

 煌めく軌道は仁を中心に何重と描かれるが、その全てが無為と化す。『存在』という絶対的な原則の前ではあらゆる現象が無力だ。しかし、それでも構わず一輝は一心不乱に斬り続ける。

 そんな状態が十秒と続いた時だった。

 

「――っ」

 

 不意に仁が右手を翳した。その瞬間、一輝の一閃が振り下ろされた。

 すれ違い様に斬り抜けると同時に赤い液体が滴り落ちる。

 仁の手のひらから薄っすらとだが、赤い線が入り、血が滴ったのだ。

 存在という絶対的な序列により下位にまで引き下げられた斬撃が何故その様な結果を残したのか。

 それは単純な話。如何に序列が低かろうとも上位の存在に傷を負わすというのはよくある話だからだ。

 紙で手を切るように、蟻の一噛みで痛みを感じるように、ただそれだけの事。

 弱者が強者に傷を負わせる等よく耳にするだろう。

 ならば同じ弱者である一輝が出来ない道理はない。

 だが、無論これが出来たのは一輝自身の力にもよるが、《比翼の剣技》による所が大きい。

 ただの紙を用いてですら鉄パイプを切断できる常軌を逸した技巧。それを修得出来ていなければきっとこの剣が届くことはなかったはずだ。

 しかし、そうまでしても斬れたのは薄皮一枚。そこが現在の一輝の限界だ。

 

「――はっ!」

 

 だが、仁からすればそんな薄皮一枚でも斬れたことが驚きだ。

 ステラのドラゴンのブレスですら完封した《位相皮》をほんの僅かとはいえ突破するとは……全くもって喜ばしい。

 その傷を見て、血を舐め取ると、歓喜の声を挙げる。同時に仁は《孤狐丸》を鞘から抜いた。

 

「《擬装剣――小烏丸》」

 

 そして得物の形が変質する。

 透き通るような白さだった刃は一変し、黒一色に変貌する。両刃と片刃の中間の様な歪な形をしたそれが顕現すると、無意識に一輝は後方に下がっていた。

 本能から来た危機回避だったが、その判断は正しい。

 たった今一輝がいた所を刃が過ぎった。

 見るといつの間にか仁が接近しており、刃を振り切っていた。

 移動の素振りすら見せなかった事からまた転移なのだろう。やはり距離を離そうとも即座に縮められるようだ。

 ならばこそ、このまま詰めて攻めるべきだ。

 そう即断し、足を踏み込もうとした瞬間――

 

(いや、違う!? これは!)

 

 身を翻し、更に距離を取った。

 数瞬遅れて、仁が斬った空間が裂かれている事に気付いた。

 その光景を一輝は知っている。

 サラとの戦いの際に、偽とはいえエーデルワイスが見せた技そのものなのだから。

 

(転移なんかじゃない! アレは純粋な速さだ!)

 

 何故それを仁が出来るのか、答えは簡単だ。

 仁もまた《比翼の剣技》を修得したからに他ならない。

 元より優れた伐刀者にして騎士だ。その上《魔人》の領域に至り、エーデルワイスをも降している。

 武術に関しても一輝より多くを学び、修得し、研鑽し続けている。

 だからこそ出来ても不思議ではなかった。

 ――しかし……。

 

「ッ!?」

 

 咄嗟に防衛本能に従い剣を構えた瞬間、一輝は吹き飛ばされた。

 

(ッ……速い!?)

 

 だからといっても、一輝の想定より仁が速いのはどういうことか。

 一閃、二閃と放たれる剣戟を目では捉えられず、経験と本能のみで捌いている。

 一撃一撃の威力は何とか逸らせる程だが、問題なのはその速度。

 エーデルワイスを彷彿とさせる……いや、純粋な速度だけならば超えているであろうそれは正に神速の域だ。

 威力こそは劣るが、速度は上。

 《比翼の剣技》を修得している一輝の目から見てそれはおかしなことだった。

 無駄を削ぎ落とし、音すら生じさせない剣戟。それこそが《比翼》だ。仁の使っているのもまたそれではあるが、やはり違和感を覚える。

 思考を割こうにも許さないと言わんばかりに剣戟が奔る。

 《一刀修羅》状態で、尚且《比翼》すら使っているのに、防戦一方に追いやられる。

 ――何が違う、何処に違和感を覚えた。

 そんな中でも、必死に解けそうな思考の糸を結び直し糸口を探る。

 四方八方から放たれる剣戟。異能により小太刀を造り左手に持ったことで仁の手数は更に増えている。

 仁の異能なら出来ない事を探す方が難しい。そう思ってもおかしくない汎用性に富んだ異能だが、仁はそれを全て使えてる訳ではない。

 必ず今まで使った力の応用が何処かにあるはずだ。

 そう確信し、必死に思い返す。今までの出来事を。それこそ走馬灯を彷彿とさせる程に一瞬の内に過ぎっていく。

 そうして、感じている違和感とこれまでの経験で得た情報から僅かな『差異』を見抜いた。

 

(間合いが変わってる……?)

 

 一輝の感じた違和感の正体。それは間合いだった。

 武器を変幻自在に変える仁に対してそんなものは意味がないものと思うかもしれない。

 事実、現状顕現させてる武器ですら本来の物とは刃渡りが違う。

 そこに違和感を覚えるのは当たり前のことだ。

 

 ――だが、それはあくまで常人であればの話。

 

 その身一つ、剣一本で鍛え登り詰めてきた男の眼はそこではなく肉体の方を注視していた。

 腕の長さが、歩幅の大きさ、指の動き。

 基本受けの構えが多い仁だが、一輝は彼が攻めた時の動きも知っている。『過去の仁』と戦った際に嫌という程目に焼き付けたのだ。

 その時のと現在のを照らし合わせると、僅かだが仁の動きにブレが生じている。

 無論、攻め方を変えていることや使っている技巧が違うという点はある。

 だがしかし、それでも歩幅までも変化するのはおかしいのだ。

 武術とは則ち『型』を如何に最適に、最大限に引き出せるかにある。流派によって『型』は様々だが、決まった『形』が必ず存在している。

 その再現は人によって変化する事はあるだろうが、同じ使用者がそう簡単に変えれるものではないのだ。

 達人の動きが常人と違うのはそれを何度も身体に叩き込み、刻みつけたからだ。それはある種の『癖』とも言える。

 仁程に優れた騎士ならば尚の事それは切り離せないものとなっているはず。

 だからこその違和感だった。

 

(――まさか!)

 

 常人では理解出来ないであろうほんの僅かな……それこそ指二、三本程度のズレ。

 その正体に気付いた一輝は戦慄する。

 

 ――肉体を変えているのか!?

 

 筋肉を、骨の密度を、血液を流れを、肺の大きさを。身体における至る箇所に手を加えることにより、自らの形態(スタイル)を変えているのだ。

 それは王馬の異常な進化ではなく、ステラのような底上げする形でもない。

 強いて言うのであれば《自己改造》だ。自らの肉体を瞬時に変質させているのだ。

 あり得ないことだが、仁の異能を以ってすれば可能だ。

 とはいえ常に何処かしかを変え続けている訳ではないはず。

 自分の肉体とはいえ干渉するのは存在だ。リスクは必ず生まれる。それを最小限に留めるにはやはり――

 

(あの剣か)

 

 仁の霊装が変質した剣にある。

 《擬装剣》。間合いや形を自由に変える《自在刃》とは別に仁が使用する伐刀絶技。

 特定の形と名を与えた剣に己の霊装を変えることで、霊装だけでなく肉体にすら変化を齎す。

 通常、どれだけ鍛えても自分の肉体はそれほどの変化はない。筋肉がついたり脂肪が減ることはあるが、骨が変わったり身体や手足の大きさが変わることはない。王馬の様なある種の進化であれば話は別かもしれないが、本来はそうなのだ。

 しかし、仁はこの《擬装剣》を発現することにより、その剣を扱うのに最も優れた肉体に変質させているのだ。

 速さが必要ならそれに特化した肉体に、力が必要ならそれに特化した肉体を。その都度変えているのだ。

 

(あり得ない……!)

 

 一輝は内心驚愕する。

 自らの肉体に手を加えるのもそうだが、何よりも驚いたのは変えた身体を十全に使いこなしている(・・・・・・・・・・・・・・・・・)ことに、だ。

 体格や骨格が変わるという事はそれは既に『別人』の身体だ。違和感を覚えない訳がない。

 で、あるにも拘わらず、動きにはノイズが一つも見られない。

 自分自身の身体ですら完全に扱える者は多くないというのに、仁はそれを苦もなく行っている。

 ……いや、きっとその域に達するにはとんでもない量の時間と鍛錬を有したに違いない。

 それを感じる程に仁の動きに無駄は一つとしてない。

 

(本当に、この人は……!)

 

 あまりの桁違いの技量差に驚きと共に狂喜する。

 剣士の頂とされるエーデルワイス。彼女と刃を交えた経験があるというのに、仁の剣もまたそれに引けを取っていない。寧ろ速度だけならエーデルワイス以上だ。

 恐らくは《比翼》による瞬間最大速度を出せるように自己改造を行い、極めた結果なのだろう。

 結果、パワーこそは下がったが速度はオリジナルを超えている。

 速度の重要性は一輝が誰よりも知っている。その一輝が舌を巻き、純粋に尊敬すら覚えた。

 それほどまでにエーデルワイスとは別方向に卓越した剣技。

 惜しむべきは自分の身体が彼の剣戟についていけない事。

 如何に経験を詰み、《魔人》と化したと言っても、最小限の被害に抑え、捌くのが精一杯なのだ。

 そうしている間にも《陰鉄》の罅は既に鍔にまで届き、柄に至る寸前。

 《一刀修羅》の制限時間も迫っている。

 もはや後はない。

 そう覚悟を決めると、一輝は距離を取るように大きく後方に飛び退いた。

 瞬間、《一刀修羅》は解かれ、切り替えるように《一刀羅刹》を発動。

 そして、右腕で剣を背中に構え、左手の指で刀身を握りしめた。

 

「面白い! 受けて立つぞ、黒鉄!!」

 

 その構えは決勝戦で見せた技。自らの影すら置き去りにする速さ、『斬る』という概念の究極形。

 《追影》。それを一輝は使用した。

 距離を取られたが、他にも攻撃する手段は幾らでもあるだろうに、仁は愉快に笑い一輝に接近する。

 顕現させた小太刀を消し、一輝と同じ一刀で以って挑み掛かった。

 互いに超速の一撃。

 接近も抜刀も肉眼で捉える者はいないだろう。

 事実、ステラですらこの時二人の衝突する瞬間を捉える事が出来なかったのだ。

 だが、如何な過程があれど結果は必ず生まれる。

 

「……はっ!」

 

 すれ違い、残心そのままに愉快に笑う仁だったが、その胴体には綺麗に斜めの一閃が入っている。

 《追影》は『斬る』という概念が収束されている、その為発動と同時に『斬った』という概念を与える。

 故にこそ『斬る』ことが出来たのだ。

 

「――惜しいな」

 

 しかし、そこから血は流れない。

 

「かっ……!」

 

 対して一輝は膝をついてしまった。

 見ると彼の身体にも鋭い一閃が刻まれている。

 それは見事な袈裟斬りであり、心身共に消耗した一輝にとっては決定打だった。

 そして、同時に彼の霊装は砕け散る。罅が完全に達した為だ。

 結果、一輝の意識は奪われる。

 薄れいく意識の中、何故仁に自らの必殺の一撃が届かなかったのか。

 そう思い、ありったけの神経を以って観察し、彼の霊装がいつの間にか黒い剣ではなく、白銀の刀に変わっていた事に気付き、そのまま意識を失った。

 

 《擬装剣――童子切り》。仁が造り上げた最初の《擬装剣》、その一振り。あらゆる概念、因果干渉を以ってしても不壊不傷の絶対不変の刀。

 この刀の前ではたとえ『斬る』という概念付与ですら意味を為さない。何故ならその様に定まっているからだ。

 人間に酸素が必要なように、血が逆流しないように、そう定まって出来ているからこそ何人も壊すことも傷つけることすら出来ないのだ。

 更に《童子切り》は《無動砕》の発動に必要な要素だ。それ故に肉体もそれ用に調整され、《擬装剣》の中では最硬の防御力を誇っている。必然、《位相皮》と魔力障壁の強度もまた跳ね上がる。

 その結果は見ての通りだ。

 一輝の《追影》を真っ向から斬り伏せ、その身には傷一つ付くことはなかった。

 だが、《童子切り》は仁のとっておきの一つだ。瞬間的とはいえ、それを使用しなければいけない程に《追影》は強力だったのだろう。

 弱点はあるが、確かに強力な技だ。故にこそ、敬意を払って正面から打ち破ったのだ。

 

「さて」

 

 一輝は敗れ去った。

 残るは本命(ステラ)のみ。

 そうして、彼女の方を向くと同時に、眩い灼熱の巨剣が天を穿つ様に顕現した。

 

「……ありがとう、イッキ」

 

 《天壌焼き焦がす竜王の焔(カルサリティオ・サラマンドラ)》。

 彼女を象徴する伐刀絶技。あらゆる物を焼き尽くす炎剣。その熱量は未だかつて見た事がない程に上がっていた。

 一輝が全力を以って稼いだ一分。その間に彼女は魔力を溜めに溜めて、そして今解放した。

 これまでの戦闘から感じた仁の防御の高さから、通常の《天壌焼き焦がす竜王の焔》では仕留め切れないと悟ったステラは七発分の魔力を全て(・・・・・・・・・)注ぎ一つに束ねたのだ。

 その火力たるや空気中にある水分が瞬く間に蒸発していく程だ。

 

 

「――はっは!」

 

 注がれたであろう馬鹿げた魔力についぞ口元が歪む。

 人一人を殺すには随分と物騒で派手だ。

 しかし相手は《魔人》。こうまでしても完全に倒し切れると断言は出来ない。

 だからこその全力だ。

 惜しむべきはこの場に一輝がいた事だ。彼のお陰で時間を稼ぎ、万全の状態と化した《天壌焼き焦がす竜王の焔》を用意出来た。

 しかし彼がいることでその余波に巻き込まれないよう注意をしなくてはいけない。

 常時であればともかく、今は気を失っている。その状態で身を守る術などあるはずもない。

 ステラの抱いた唯一の懸念。

 

「ほらよ」

 

 それを見抜いた仁は倒れていた一輝をステラの後方に移動させていた。

 その事に一瞬驚愕するものの、考えてみれば当然だ。

 仁の狙いはあくまでステラのみ。一輝は巻き込まれた……いや、勝手に首を突っ込んだに過ぎないのだ。なればこそ、この行動に不自然な所はない。

 唯一の後顧の憂いがなくなり、ステラは今度こそ己が持ち得る最大火力を仁に向け放った。

 

「蒼天を穿て! 《天壌焼き焦がす竜王の焔》!!」

 

 全長百mもある灼熱の暴力。

 幾重にも束ねられた巨大な炎剣。

 ステラの文字通りの必殺の一撃が振り下ろされた。

 

 迫りくる膨大な魔力と火力の塊。

 一輝もだが、ステラもまた成長をしている。《天壌焼き焦がす竜王の焔》を連続で放つのではなく、一つに集束させるまでに魔力制御も上がっている。

 いやはやなんとも、その成長速度には恐ろしさすら感じる。

 だからこそ、避けるのは容易いその一撃を正面から挑んでやろうという気になった。

 刀を鞘に収め、腰を落とす。

 先の一輝と似た姿勢。それが意味するのは仁もまた抜刀――居合い切りの態勢に入ったということだ。

 一輝とは違い、鞘を造り出すことが出来る為それに納刀する。

 一輝然り刀華然り、その一撃の恐ろしさを知っているステラは、しかし構わず炎剣を振り下ろし続ける。

 

「《閃刃・断空》」

 

 そうして仁を呑み込もうとしていた巨大な炎は突如として、真っ二つに両断されてしまう。

 そのタイミングは仁が抜刀するのと全く同時であり、然るにそれが彼の放った伐刀絶技だ。

 

 《閃刃・断空》。その名が示す通り、空すらも断つ閃刃。通常の閃刃は魔力による斬撃だ。ノーモーションから放たれる数多もの魔力の斬撃はただでさえ脅威だ。

 《断空》はそれをより鋭く、強力にすべく開発された。

 《閃刃》は確かな実感を以って発現させるものだが、それでも僅かな差異がある。それはどう足掻いても『想像した斬撃』だからに他ならない。どれほど理想とした一撃であろうとも想像と現実には誤差が生じる。

 本当に僅かなものでしかないが、それを解消しようとした際に思い至ったのが、《閃刃》と同時に剣を振るということだった。

 無論ただ振るのではない。己が理想とし、最高の一振りを以って、想像と現実両方で全く同じ一撃を放ったのだ。言うなれば伐刀絶技を二つ同時に使ったようなもの。

 軌道も速度も寸分違わずに放たれたそれは、従来の《閃刃》より遥かに強力であり、その一閃は正に空間を断つ程。

 

 そんな必殺の一撃を受けたステラの炎剣は見事に両断された。

 そして、絶対的な彼我の差を思い知らされたステラの心と共に必殺の炎剣は――

 

「なめるなぁぁぁ!!」

 

 更なる燃焼を起こした。

 増す火力、渦巻く炎。蛇の様に蠢きながら、まるで互いを喰い合うようにして再び剣へと戻った。

 何故、と。そんな疑問は尤もだろう。

 しかし仁はすぐにその理由を看破した。

 

(面白い! 空間そのものを歪めてそのまま自分の領域にしたな!)

 

 膨大な熱量により、切断された空間が更に歪曲を起こしている。そしてその歪曲された空間を、エネルギーの塊である炎が喰らうように侵食していってるのだ。

 二つに切られた鉄が高熱により、融解してまた一つに戻るように、ステラはそれをやってのけたのだ。

 只の熱いだけの炎ならば無理だろう。しかし、ステラの炎は魔力であり、魔術であり、異能であり、そして――彼女の想いの強さだ。

 通常の炎では出来ぬことだが、不可能を可能とするからこその伐刀者、その頂点に君臨するAランクだからこそ出来た芸当。

 

「――……ああ」

 

 零れたのは感嘆。

 素晴らしい、実に素晴らしい成長速度だ。魔力量、異能も含め正に逸材。

 学生騎士の段階で既にこの域。将来はどれ程に化けるか、想像しただけで口元が歪む。 

 そんな極上の原石を前にして歓喜せずにいられるか。

 笑みを浮かべたまま仁は刀を構える。

 下から上への下段からの放たれる斬撃は、それもまた必殺と呼べる一撃だ。

 《閃刃・断空》は理想と現実が噛み合いさえすれば、如何な斬り方でも発動できるのだから。

 故にこそ、確信出来る。今度こそあの炎剣を斬り裂き四散させれると断定出来るのだ。

 そう判断し、すぐさま動いた仁の刃が再び空を斬る。今度は炎剣だけでなく、その使い手たるステラすらも両断すべき一撃を放つ。

 

「は……?」

 

 ――その間際、驚愕に目を見開いた。

 

 親指に薄っすらとだが痛みが奔った。

 見ると付け根が刃物で斬られたような痕があり、出血していた。

 指が切り落とされた訳でも、多量に出血した訳でもない。

 ただ鋭利な刃物で斬りつけられたかの様な真新しい傷があった。

 何故と、一瞬思考を巡らすが答えはすぐに出た。

 ただ一度だけ一輝が浴びせた一撃。右手の平を斬りつけたあの一撃だ。

 その時受けた傷はすぐに完治しているが、それでもその事実は残っていた。

 《第五秘剣・狂い桜》。一輝の秘剣の一つであるそれは、相手がある行動を起こした時に傷口が開くようにする時間差攻撃。

 本来なら気付かれないように斬りつけるのだが、今回は相手が悪い。《位相皮》の前ではそんな余裕はなく、《小烏丸》を使用された速度の前には掠ることすら出来なかった。

 故にこそ、仁が本格的に動く直前に与えたあの一撃を、一輝は布石として打ったのだ。

 《第三秘剣・円》を完全な形にしたことで人体を巡る力の流れを理解し、浸透勁の技術を有する《第六秘剣・毒蛾の太刀》も応用することで可能とした時間差による内部からの斬撃。

 それは仁の《刻傷切開》からインスピレーションを受け、新たに編み出した技。三つの秘剣の複合技ともいえるそれは、まだ試作段階であり、威力もそうあるものではない。故に名はまだない。

 ステラが仁と対する時に手助けにでもなればと放った決死の一撃は……仁にとって最悪のタイミングで発動した。

 

(マズイ)

 

 即座にそう判断出来たが、もう遅い。

 《断空》は僅かな誤差すら許さない技だ。少しの握力の弛みすら不発の原因となる。

 ほんの僅か、本来ならすぐに治せるような小さな傷でしかないそれは、しかし瞬間的とはいえその弛みを生み出してしまった。

 

 ――あ、ダメだな、これは。

 

 悟ると同時に放たれた《閃刃・断空》は、仁が予想した通り不完全な状態だった。

 通常の《閃刃》よりは強力ではあるが、しかし至高の一振りと言うには遠く及ばない。

 空を断つことも出来ず、ただ鋭いだけの斬撃は、巨大な炎剣と衝突する。

 しかし、それは炎剣を断つことは出来ず、寧ろそのまま呑み込まれ――勢いそのままに灼熱の螺旋は仁に直撃した。

 

 


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