拝啓妻へ   作:朝人

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三十九話

 軽やかで、ついリズムに乗ってしまいそうなジャズが流れていた。

 CDどころかネット配信全盛期の現代において、骨董品と呼んでもいいような年季を感じるレコードが置かれている。

 カウンターの後ろの棚には各種様々な酒がある。中々お目にかかることのない高級な物からメジャーではないマイナーな物までピンキリだ。

 古めかしい、レトロな雰囲気のバーに何人かの人がいた。各々が酒を飲んだり、音楽に耳を傾けたり、雑談したりとリラックスしている中、一人やたらイライラとした様子で貧乏揺すりをしている青年がいた。

 逆だった金髪に鋭い目付き。顔――右頬には山羊を模ったタトゥーが刻まれ、近寄り難い雰囲気を纏っている。

 カウンターに座っていた青年の前にウォッカが出されると、彼はそれを一気に呷る。何杯目かは覚えていない、それだけ呑み続けていた。

 空になったグラスをカウンターにドンと勢いよく叩きつける。酒による酔いにも、物に当たっても彼の中にある苛立ちが晴れる事はなかった。

 それというのも全て――

 

「戻ったよ」

 

 苛立ちの元凶を思い浮かべようとした瞬間、突如店内に三人の人影が現れた。

 その内の一人、《最古の魔女》はまるで家に帰宅したかのように軽い口調で言う。

 

「おや? 全員居ますね?」

 

「そりゃ一箇所にいてくれなきゃ、判決のラグとかあっても困るしな」

 

 次いで店内を見渡し、目測で今いる人数を確認したエーデルワイスが「珍しい」と感嘆の声を挙げる。それに対し仁はバラバラにいられても困ると苦笑した。

 実際の所、離れていても問題がないといえばないのだが、しかしわざわざバラける理由もなかった為に集まっていたのだろう。

 

「テメェ……!」

 

 苛立ちの元凶たる人物――仁を視界に収めると、金髪の青年はすぐさま席を立ち、近付くと胸ぐらを掴んだ。

 

「どういうつもりだ《千刃》! どうしてあのガキを生かした!」

 

 そして鼓膜が裂けそうな程の大きながなり声で問い質す。

 

「久しぶりに会ったというのに随分とだなディオルス」

 

 対して仁は澄ました顔で、青年――ディオルス・ハーバルドを睨む。

 ディオルス・ハーバルド。《互眸鏡》に属する魔人の一人である。

 優に180を超える長身のディオルスに胸ぐらを掴ませ、本来なら足が浮いてもおかしくはないのだが、仁の身体は微動だにしていない。

 構図から見てもディオルスの方が威圧しているはずなのに、逆に彼は仁に睨まれると一瞬息を呑んだ。

 確かに、久しぶりの再会であったのにいきなり粗暴な態度ではあったが、それは仕方ない事。

 突然呼び出されたかと思えば『世界を崩壊させかねない化物』になりえるかもしれない少女の処遇についての話し合い。更にはそれを擁護するような序列五位と彼が出した提案。

 そんな『普通なら』考える余地がないような物に振り回された身としてはたまったものではない。

 しかもその判決が覆ってしまったのだ。荒れるなという方が無理な話だし、元凶ともいえる仁に当たりたくなる気持ちも分かるが……しかし、相手とタイミングが悪かった。

 

「手を放した方がいいですよ、《雷帝》。ジンの記憶を共有したのならわかっているはず、彼の熱はまだ冷え切っていませんよ」

 

 仁の瞳の奥にある僅かに残る『闘争』という炎がまだ完全に消え去っていないことに気付いた。どうやら一輝とステラとの一戦はそれほどに心踊るものだったらしい。

 気を抜けばまた再燃し、一気にトップギアにまで上がるであろうことは用意に想像がついたらしいディオルスは、エーデルワイスの助言通り「ちっ!」と悪態をつきながらも仁の胸ぐらから手を放した。

 流石にこんな所(・・・・)で本気の仁と事を構えるのは彼も本意ではないようだ。

 

「キャッハハ! ウケるー! 自分からケンカ吹っ掛けてビビってるとかマジ小物じゃん!」

 

 突如、甲高い笑い声が耳に入った。

 声の方を見ると一人の女が大きなソファに座り、腹を抱え笑っている。

 背中まである濃いブロンドの髪に、モデルの様なスラリとした体型。町を歩けば男女関係なく振り返ってしまうのではと思える程に美しい顔立ち。

 どうやら先程の様子を見ていたらしい彼女は、何処かツボにでも入ったのか、麗しい見た目とは裏腹にゲラゲラと笑い転げる。

 

「あ゛ぁ!? 何だと! やんのか《無垢偶像(イノセンス)》!」

 

「キャー! こわいー! 雑魚の分際で吠えるのだけは一丁前なんだから。そんなんだからアンタは万年最下位(雑魚)なのよ」

 

 馬鹿にした物言いに頭にきたディオルスが、ただでさえ鋭い目を更に細め睨みつける。しかし、女――《無垢偶像》はそれに一切の怯みを見せず、変わらず見下した口調を続けた。

 確かに彼、ディオルス・ハーバルドは《互眸鏡》に属してからまだ二年足らずの若輩であり、それ故に彼等の中において力の序列は十一位(最下位)に位置している。

 しかし、それでも常にインフレを起こし続けている《互眸鏡》という組織において、そこに属する他の《魔人》に引き離されないようについていく時点で十二分に彼も強者の部類といえる。

 ただ、他の《魔人》の格差が元々あったことと、彼等もまた強くなっていってる為に追い着くのが困難というだけの話なのだ。

 故に、序列こそ低いがディオルスは決して弱くはない。

 それを当人も自覚しているからこそ、《無垢偶像》の『雑魚』という罵倒が一層頭にくるのだ。自身の『力』に彼なりにプライドがあるのだろう。

 おかげで彼の額には青筋が浮かび上がり、身体はバチバチと電気を帯び始めた。《固有霊装》を顕現させる一歩手前にまでなっている。

 ディオルスが臨戦態勢になったというのに《無垢偶像》はカラカラと鈴を思わせるような笑い声を挙げながら、しかししっかりとその顔はディオルスの事を見下していた。

 仁の時とは違い、両者共に退く気配がなく、このまま戦闘が始まるかに思われた……その時だ。

 

「……うるさい」

 

 《無垢偶像》の座る大きなソファから新たに声が聞こえた。

 声色からして女。それも若く、やけに気怠い様子でまるで呟いたような声量。

 

「――ッ!?」

 

 しかし、その声は確かに両者に聞こえ、そしてディオルスの身体から一瞬で臨戦態勢が解かれた。

 バチバチと音を鳴らしていた電気は失せ、闘犬を思わせる眼光は鳴りを潜める。

 それどころか、動揺するかの如く目は見開かれ、額からは大量の汗が浮き出る。

 たった一言。それを発せられただけでディオルスは自身の身体が不調を起こしたことを理解する。

 

「あら、ごめんなさい、起こしちゃった? 《夜行(ナイト)》」

 

 そんなディオルスとは対照に、声の主――《夜行》の傍にいるはずの《無垢偶像》は申し訳なさそうに軽い調子で謝った。

 それに応えるように「ん」と小さい声を出しながら件の女はソファから身を起こした。

 肩まであるオレンジ色の髪に、真っ黒な大きな丸いサングラスを掛けた少女。白いTシャツと水色の薄い上着、ハーフパンツという随分とラフな格好だ。

 一見すると十代半ば程度にしか見えない姿だが、実際の所はもっと上……それこそ第二次世界大戦の時には既に活動していたという情報すらある。

 《互眸鏡》の中でも特に得体の知れない人物とされる《夜行》。大体は寝ていることが多い彼女は眠りを妨げられるのを嫌う。故に寝起きは不機嫌になる事が多い。

 安寧の邪魔をされた《夜行》は寝ぼけ(まなこ)で周囲を見渡すと、一人の意外な人物に目を奪われた。

 

「あれ? エーデ……? お前なんでいんの?」

 

 《互眸鏡》の寄り合い所のようなバーに、本来そこに席を置いていないはずの彼女の存在に疑問を抱いた。

 

「お久しぶりです《夜行》。私はただジンに着いてきただけなのでお気になさらず。貴女達の事情に口を出すつもりもありません」

 

「ジン……? ああ、《千刃》のこと。そういや夫婦になったっていってたっけ?」

 

「はい」

 

「へぇ、それはメデタイ」

 

「ふふ、ありがとうございます」

 

 その疑問はすぐに融解し、気怠げながらも祝福の言葉を送り、エーデルワイスはそれを笑みを浮かべて受け取った。

 懐かしい顔を見たお陰か、彼女から発せられる威圧感は徐々に薄れていく。

 しかし、ディオルスの表情は変わらず、瞳孔が開き硬直したままになっている。

 蛇に睨まれた蛙とは正にこの事を指すのだろうか?

 既に蛇にとっては眼中にないというのに、潜在的な恐怖心が刺激され、その影響が未だ続いているらしい。

 そんな新参者の姿にため息を一つ漏らし、仁は軽く肩を叩いた。

 

「っ!? はぁ……はぁ……っ!!」

 

 その衝撃でようやく正気を取り戻したかとも思われたが、動悸は激しく脈打ち、過呼吸に陥っている。

 

「まったく、しっかりしてくれよ」

 

 情けない姿につい呆れてしまう。

 実は、ディオルスを《互眸鏡》へ誘ったのは仁なのだ。二年前《魔人》と化した彼へ『警告』に行ったのが仁であり、その際に一戦交えることとなった。

 結果はディオルスの惨敗で終わったのだが、彼の持つ将来性や負けても尚強くなろうとする心意気……他に色々と要素はあるが、端的に言えば仁は彼を気に入った。だからこそ勧誘し、ディオルスもまたその誘いに乗った。

 そういった経緯であるが故に、仁はディオルスを高く買っている。実際、仁の期待以上に成長もし、行く行くは序列も上がると踏んでいる。

 それだけの価値と実力があると見込んではいるのだが……。

 やはりまだ別次元と称される序列四位より上の者達に対しては身が竦むようだ。

 ――そう、《夜行》の序列は四位。実力は仁よりも上であり、現状彼ですら敵わない圧倒的強者、その一人だ。

 だからある意味では仕方ない。寧ろ寝起きで不機嫌な彼女の魔力に当てられたのにも拘らず、その瞳から光が失くなっていない(・・・・・・・・・・)辺り流石は《互眸鏡》の一人ではあるか。

 もし仮に此処に、同じく仁が買っている一輝やステラがいたとした場合、今の彼等では間違いなく目から光が奪われていたことだろう。

 ただの寝起きに発した不機嫌な一言で、他者に一生の傷を残すことすら可能。それほどまでに埒外な存在なのだ、《夜行》という《魔人》は。

 

「っ……!」

 

 そんな彼女に対して、一応は抵抗出来たらしいディオルスだが、仁に叩かれるまでは身体が硬直しており、それが解けると同時に悪態をつきながら元いた場所に戻った。

 そうしてまた自棄酒をする姿を見て、仁の口の端が上がる。

 不貞腐れたように見えるが、実際は《夜行》との力の差を認識した結果「まだまだだ」、「もっと強くならなければ」と内心で思ったのだろう。

 ああ見えて《互眸鏡》の中でも向上心は高い方だ。だからこそ仁はディオルスを目にかけているのだ。

 そしてディオルス自身もその自覚があり、性格や人間性はともかく仁の実力を認めているからこそ、今回の一件は彼が荒れるには十分な要因だった。

 何分、確かにステラの実力は想定よりも強く、より強くなる可能性はあったが、わざわざ仁が手を煩わせる程ではないだろうと思っていたからだ。

 だというのに彼の予想は裏切られた。

 それこそ酒を呑まなければやってられない程だ。

 そんなディオルスを尻目にし、仁もまたカウンター席に着く。無論彼とは距離を離している。

 

「やあ」

 

 気さくにそう声を掛けたのはバーテンダーの男だ。

 見た目は三十代中程。美しい銀髪は肩先まで伸びている。着ている服の印象だろう、その姿は紳士的に見える。

 朗らかな表情で、穏やかな口調のその男は、先程まで仁に突っ掛かっていたディオルスとは真逆の人間だ。

 

「キミは何にする?」

 

 しかして、《魔人》という埒外の巣窟である所にいるのだ。真っ当な人間でないこともまた事実だろう。

 常人であれば既に卒倒していてもおかしくはない空間にいるにも拘らず、彼には恐れや怯えといった感情が見受けられない。それが意味するのはやはり彼も例外ではないということなのだろう。

 

「今は熱を冷ましたいからな、水でいい」

 

「承ったよ」

 

 綺麗な所作で頭を下げた(のち)、手慣れた動きでグラスに氷を敷き、ミネラルウォーターを注ぐ。

 そうして、瞬く間に仁の前にグラスを差し出した。

 躊躇いなくそれを口にすると、キンキンに冷えた清涼感溢れる液体が喉を潤す。

 分かっていたことだが、やはりミネラルウォーター一つ取っても特注品を使っているようだ。市販されている物とは何もかもが違う。そういった物に対してあまり関心を持たない仁だが、そんな自分でも『違い』が分かる程の一品。それを気前よく出せる辺り懐事情はよろしいのだろう。

 

「《隔絶僧》は?」

 

「君達が来てから少ししたら出ていったよ」

 

「何か言われると思ったんだがな」

 

 水を飲んだ後に、周囲を見渡した後気になった事があり、訊くと瞬く間もなく返事が返った。

 《隔絶僧》。その二つ名に相応しく僧侶の如き装いの男であり、《魔人》の一人でもある。

 しかし、彼に関しては《互眸鏡》の中でさえ特殊な立ち位置にいる。

 それというのも彼は『闘争』を好まないからだ。《魔人》であり、《互眸鏡》という修羅地獄に席を置いているにも拘らず争い事を嫌う。

 まったく理解に苦しむことだが、そもそも《隔絶僧》の目的は『(さと)り』。その境地に至る為にあらゆる修行をし、苦行に挑んだ。その結果、自らの運命を超えてしまったイレギュラー中のイレギュラー。

 ……まあ、世の中にはダイエットしてその境地に至った者もいるのだから、『修行してたら魔人になった』はまだ現実的かもしれないが……。

 兎角、《隔絶僧》は今回の騒動の一端でもある。

 彼が『予見』をした為にステラの危険性が浮き彫りになり、彼女を巡る事態に発展したのだから。

 故に一言何かあってもおかしくはないと思っていたのだが……肩透かしを食らった気分だ。

 

「まあ、ちゃんとした多数決で決まったことだ。それで喚く程彼の心は狭くないよ」

 

 そう、いない人物に対してフォローをされたが、それは先程まで喚いていた者の心が狭いと暗に言っているのでは?

 横目で一瞬ディオルスの方を覗くと、小さくくしゃみをしていた。

 

(……まあ、否定のしようはないか)

 

 静かに心の内でそう呟く。

 

「それより、どうだったんだい?」

 

「何をだ」

 

 そんな中、興味深々とばかりに訊ねられ首を傾げる。

 

「決まってる、キミが何の見返りもなしにただ『勿体ないから』というだけで助けるなんてあり得ない。

 ――目当てのもの(・・・・・・)は手にしたんだろう?」

 

 穏和な仮面の下から、嘲るような笑みが一瞬垣間見える。

 それは瞬く間のことではあるが、誰にも……エーデルワイスにも話していないステラと戦った『もう一つの目的』を看破した辺りやはりこの男は侮れないと改めて戦慄する。

 

「ああ、あんたの予想通りさ……《流動王》」

 

 そうして、隠しても無意味と悟った仁は、素直に明かすことにした。

 ――《互眸鏡》序列二位に位置する、《流動王》という二つ名を持つその男に。




二部構成を想定し、その二部で暴れる予定だった連中の一部。
二部行くの難しそうなので軽く紹介。

ディオルス・ハーバルド
二つ名《雷帝》
異能:《雷》の自然干渉系
序列十一位。

《無垢偶像》
異能:《熱》の概念干渉系
序列八位。

《夜行》
異能:《夜》の概念干渉系
序列四位。

《流動王》に関しては次話で。
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