パラサイト・インクマシン 作:アンラッキー・OZ
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Chapter 29
「レイニーは無事なのか?」
「その状態なら問題ない…とは、言えないわね。こちらも信号が途絶えたらしいわ」
「信号?」
「お願いよ、こんなところでお別れなんてゴメンだわ…」
S.H.I.E.L.D.の輸送車から脱出した私たちは長官の右腕とも言えるエージェント、マリア・ヒルに連れられて、地下水道を遡り、隠れ家へ向かっていた。
比較的重傷の私を支えてくれるキャプテン、疲労困憊のサム、そして…マリアが大事そうに抱えてるカプセル。
───レイニーは、何者かに狙撃され重傷を負い、ベンディとしての姿のまま気絶した直後に形が崩れて、ただのインクに成り果ててしまった。
S.T.R.I.K.E.チームはスターク・インダストリーズ謹製のカプセルにレイニーだったインクを閉じ込め、密閉し、拘束された私たちと一緒に輸送車に乗せていた。もし違う車両だったらと思うと、正直面倒だったわ。ウィンター・ソルジャー…キャプテン曰く70年前の友人バッキー・バーンズ軍曹に撃たれた肩からの出血が酷くてちょっと目眩もするし…そういう意味では、S.T.R.I.K.Eチームに潜入していたマリアに感謝しかないわね。
「銃で負傷、3L出血の疑いあり」
「私が診よう」
「その前に彼に会わせて。医療器具、あとこのカプセル抉じ開けるもの用意して」
「さっき車の底焼き切ったバーナー使えばいいんじゃないか? こう、ジュワッとさ」
「こういうカプセルは、機密性を高くするために外殻が二重、或いは三重の造りになってる可能性があるの。下手に火器を使用すると…例えば酸素とか入ってれば中身ごと吹っ飛ぶわ。火花一つ立てることなく開けないと」
「僕がやろうか」
ああ、それは確かに適任かも。あなたの筋力すごいから。
コンクリートで打ちっ放しの地下空間の奥の奥まで、ビニールの垂れ幕で覆われたベッド。ビニールの前に置かれたテーブルの一角には器に盛られた黒インクの塊と、いくつもの文字が走り書きされた複数枚の紙が散乱していたのが気掛かりだった。あれは…レイニーの筆跡? でもなんでこんなところに。
「なんだ、やっと来たのか」
マリアがビニールを引くとベッドに横たわる長官が。
ちょっと…流石の長官でもその態度は一発殴りたくなるくらいイラっとしたわ。
「フューリー長官が何者かに暗殺されたってこと。昨夜の話よ。状況から察するに、どうもアナタが主犯の候補者に祭り上げられてるらしいわね」
「……ん? え? は?」
…ああ、そういうこと。
だからあの廃工場で会った時のレイニーはどこか様子がおかしかったのね。
レイニーは、最初から長官が殺されてないと知っていた。だから困惑していた。けれど、それを隠さなくちゃいけなくて曖昧な態度で答えた。
貧血で倒れないように用意された椅子に座り、隠れ家にいた医師に圧迫止血されながら、キャプテンが器の上に置いたカプセルを抉じ開けた。相変わらずトンでもない馬鹿力ね(褒めてるわよ)。
蓋が無くなったカプセルからどくどくとインクが流れ出て、明らかにカプセルの体積以上の量のインクが器を満たした。
「レイニー、大丈夫か」
【 ……アア、まぁ、ね。ここまでありがとう」
「運んだのは私よ」
やがてキャプテンの声に応じるように、インクがレイニーの姿を模る。マリアにもありがとう、と律儀にいうとマリアは満足そうに頷いてインク入りのコップを渡し、レイニーの体調をチェックしていた。
いつもは見せないような疲弊した様子で、多分、母親に撃たれたということも心理的なショックだったのかもしれない。
千切れた右肩からインクは流れることなく、少々不恰好な、それこそ新しい苗木が育つ途中みたいな小さな腕が生えてた。借りができちゃったわね…でも、ベンディの腕を千切るほどの弾なんてあるの? 通常の弾はベンディには効かないはず。
膝をついた状態から、軽くストレッチするように体を動かして器から出ると、最初に出会った時のようなインクのドレスを羽織ったレイニーは長官を見て苦笑してた。なんだか、仕方ない父親を見る子どもみたいな眼差しね、わかるけど。
「あら長官、壮健そうで何より」
「口が上手くなったな。キミの本が役に立ったよレイニー。フグ毒は、トリカブトの毒で中和できるんだったな」
「…トリカブトの毒、アコチニンは即効性があって強いけど、フグ毒のテトロドトキシンと併用して飲むと、拮抗作用が働いて無毒化される。ただ、どっちも強力な毒だから肝臓と腎臓へのダメージが大きいはず…よく実践する気になったわね」
「別にやりたかったわけではない、やらざるを得ない状況だったんだ」
「こりゃ驚いた…聞いてはいたが、こんな子どもがそこまで専門知識を有しているなんて」
止血処理してくれてるドクターもビックリ。私も普通に驚いてる、それ義務教育でなくても習わない知識よね?
「彼女は勤勉家だからな」
「長官…レムリア・スターの任務の間に私の本読んでたでしょ」
「何もせず待ってるということができない男でね。部下思いのいい上司だろう?」
「それなんか違う」
フフッ、思わずレイニーの一言で笑っちゃったわ。でもみんなも笑っちゃってるからおあいこね。
「レイニーは、長官が生きてるのを知ってたのね」
「ん? あ、いや別に知ってたっていうか、最後に会った時に私の〝片足〟を渡してたのよ」
それ、と指差された報告にはテーブルの上に鎮座しているインクが注がれた器。やがてそれが小刻みに、まるで生き物みたいに震えると、インクが唸り、海中を泳ぐウミヘビみたいな動きでテーブルから飛び上がって、レイニーの指先から吸われていった。すると萎びていた片足が元の形を取り戻していく。ドクター、驚いていいわよ私も十分驚いてるから。
でも、これでサムの家でレイニーの片足が異様に萎れて欠損していた理由がわかった。インクの足部分を長官に預けていたのね。それに…
「…『
「怒らないでよぅ…怒ってないよね?」
「別に怒ってないわ。エージェントとしては正しい振る舞いよ」
一人の〝友人〟としては、黙ってられたことはそれなりにショックではあるけど。
でも状況が状況だから仕方ない。自分だって同じシチュエーションであれば黙ってる。そう言い聞かせて、自分の中に沸く感情を押し留める。
レイニーはインクで綴られた紙の端を摘み、
「いまはまだ情報の〝送信〟しかできないけどね。まだ頭以外に目玉があるとか、別の場所に目があるってイメージが私自身できないから。ベンディならニューヨークの時みたいにそれくらいできるだろうけど…信用するのは危ないっていうか」
【 Huh ? What are you afraid of ? Don't you believe me ? 】
(エェー? ナンダイナンダイ、ボクヲ信用デキナイノカイ?)
「単純に自分の目で見たものしか信用できないってだけ。ベンディのことは信用してるっていうか、もう一心同体なんだから安心して」
【 That's fine 】
(ソレナライイケド)
レイニーの背中からひょっこり出てきたベンディが不承不承といった態度で引っ込む。その急にニョキッと出てくるのはやめなさい、私たち以外だったら飛び上がるくらい唐突よ。
「キミの足は随分器用になったものだな、足指でも文字が書けるのは訓練の成果か?」
「まぁね」
「…あ、それもしかして前に言ってた〝腕を磨けば磨くほどできることが増える〟ってアレ?」
「そうそう。両手両足でも、何も見ずに文字書けるようになったからね」
…この子、自分がどんどん成長してってることに満足してるようだけど、いつか周りからその成長が脅威になったりしないかしら。まだ子どもである分、レイニーの成長は私でも予想できないわ。まぁ、今回は本当に有り難かったけど。
チームメイトとして、一人の友人として。
できる限り、支えになりたい。
それにまだ、レイニーは子どもだからね。降り掛かる火の粉くらい引き受けさせて欲しいものだわ。
Chapter 30
フューリーから、インサイト計画を止めるためのヘリキャリア標準補足システム書き換えのデータコードが入力されたサーバープレートが渡される。
プレートは三つ、ヘリキャリアも三つ。
HYDRAの構成員が配備されている三機全てのヘリキャリアに侵入し、プレートを入れ替えることが今回の騒動の最後のミッションとなった。
だがスティーブが異議を申し立てた。ヘリキャリアは回収せず、そしてS.H.I.E.L.D.も倒すと。
隠れ家を設けたのは、そもそもHYDRAが潜り込んでいた、そして大反抗を仕掛けてくることを見越して最後の拠点とするためだったが、それまでの犠牲はあまりにも多過ぎた。
S.H.I.E.L.D.のエージェント。
不運な一般市民。
そして、ジェームズ・ブキャナン・〝バッキー〟・バーンズもその一人。
他にも、HYDRAの手に掛かり人知れず消された人だって大勢いるだろう。
マリア、ナターシャ、サム。
皆一様にスティーブに同意していた。
そこでふと、フューリーはいままでずっと黙り込むレイニーと目が合う。レイニーは黙したまま顔をあげて、フューリーをじっと見つめる。
「長官…あなた、S.H.I.E.L.D.に固執してない?」
「…何故そう思う?」
「あなたの中で、まだ納得も踏ん切りも付いてないからよ。スタークさん…トニーパパのハワードさんやペギーさんが作った思い出があるのは知ってるけど…世界を守るための組織が、〝S.H.I.E.L.D.〟って形で存在してなくてもいいんじゃない?」
「S.H.I.E.L.D.でなくてもいい?」
「形ある組織は目に見えて強固だろうし国民の安心感も強いと思う。でも、そういう形でなくても、世界を脅威から守ることはできると思う。ほら、HYDRAに習う形になるからアレだけど」
「…キミたちみたいに、か?」
それはベンディと私? それともキャップたちと私って意味? という問いかけに対し、フューリーは後者だと応えると、レイニーは呆れたようにため息をつく。
「私たちはいるだけで影響あるでしょ。いいも悪いも、善人にも悪人にも。S.H.I.E.L.D.って巣箱には、HYDRAって雛が既に陣取って、もう全く別物になってしまってる以上、仕方ないと思う」
「お前の父親もいるんだぞ」「父さんなら」
間髪を容れず放つ言葉にレイニーはハッとして口を抑える。文字通り〝思わず〟といった様子だったのは親のことを引き合いに出されたからだろう。だがフューリーは相手が10歳前後の子どもでも容赦しない。S.H.I.E.L.D.とレイニーは既に切っても切れない関係にあるからだ。
そのことも
「父さんなら、たとえ組織が変わろうともやるべきことは変わらないよ。今だって、己の職務を全うしている。昔からあなたの部下だったなら、それくらいわかるでしょ」
「…そうか…そう、だったな。あいつはいつだってそうだ」
「私もキャップに同意見なので賛成多数。ハイ解決! ちょっと、気分転換してくるね」
パン、と場を終わらせるように拍手を一回打つと、レイニーは椅子から立ち上がって隠れ家の出口へ、若干早足で向かう。やがて暗がりに消えていく後ろ姿が、スティーブの妙な焦燥感を駆り立てて後を追おうと立ち上がる。が、
「キャプテン、待て」
「まだ何か言ってないことがあるのか?」
「ああ、
フューリーは、折れてない腕の方でテーブルに置かれた一枚のディスクを摘む。そのディスクには『B・W』と書かれたラベル、そしてパッケージには『
「マリアの報告でもあったが、レイニーの最初の指示は〝確保〟だった。だが俺の暗殺の連絡を受け先走った連中が〝殺害〟と早とちりしてレイニーにエージェントをけしかけた。それに気付いたピアースは命令を撤回し、S.T.R.I.K.E.チームにレイニーの〝回収〟を命じた。その証拠が、キミが先程抉じ開けたカプセルだ」
「…何が言いたい」
「レイニーは、HYDRAの洗脳処置を受けていた」
──掴みかかろうとするスティーブに待て、とジェスチャアをして、
「だが、
呆れたように、そう付け加えた。
やがて、スティーブが振り上げた手がゆっくり降ろされると一触即発の張り詰めた空気が霧散していく。サムの溜めていた息を吐いた音が大きく聞こえた。
「僕も聞きたいことがある」
「なんだ」
「エニシ・アマツとは何者なんだ?」
ゾラが語った、レイニ───―正確にはレイン・
HYDRAへの技術・情報提供に深く関わった恐るべきスパイ、エニシ・アマツ。
それを知らなかったサム以外、全員が知りたかったことだった。フューリーもそれを承知の上で、一つ問いかける。
「奇遇だな、私もその件で聞きたいことがあった。ロマノフ」
「何?」
「
「……私も、あの時左肩を撃たれて意識飛びそうだったし、出血してたからってのもあると思うけど、私は見てないわ。ただレイニーは『流石母さんだ』って言ってた」
「ふむ……」
「……? それがなんだというんだ?」
「いや、私もレイニーの言葉には未だに半信半疑でね」
フューリーはテーブルに散乱した紙の一枚を取り出す。『
だがフューリーはその紙をくるくる回し、あらゆる角度から矯めつ眇めつ観察して、深くため息をつく。まるで厄介ごとを抱えたように。
「エニシ・アマツは既に死亡している。レイニーが生まれて数週間の内にだ。勿論死体も確認されている。拳銃で脳天に一発。即死だった」
Chapter 31
ぴーひょろろ、鳥が啼く。
そんな啼き声アメリカにいないって? 耳に聞こえた啼き声がそんなだから実際は違うと思うよ。ハァー…鳥はいいなぁ、自由に飛べて。なんで私は人間に生まれてきたんだろうか。
私が来たことは、
───それが、いつもママンが家を出るときの口癖だった。
幼い私はママンとの約束を従順に守り、複雑な顔をするパパンに「今日はお客さんでも来たのかい?」と聞かれると「誰も来てないよ」と答えた。
まぁ、流石に子どものウソなんて見抜けられるパパンだった。
後から知ったことだけど、家の周りに張っていたりいない間に家の中を捜索してた連中はパパンの部下だったらしい。いつも心の中で変質者呼ばわりしてごめんなさい。
──でもひかぬ、こびぬ、かえりみぬ!
ストーキングするならバレないようにやれよと言いたい。確かに私は小さい頃から細かいことが気になる癖はあったけど(俗に観察眼とも言う)、監視が子どもにバレるエージェントって
別に「俺には養わなければいけない家族がいるんだ!」的なエージェントが解雇されようが既に昔の話だし知ったこっちゃないんだけど。
養うために働くなら、ちゃんと責任持って働こうねと言う話であって、小さなミスが大失敗に繋がるような職場に就いてしまったことがそもそもの失敗なんだよ…就職は慎重に決めようね。私みたいに流されちゃダメだよ?
いや、私は流されたかもしれないけどブラックでもないし普通にいい職場だったわ。ただ世界を守るための一大組織かと思ったら世界征服を目論む中古組織だったというだけで。
はぁ…憂鬱のため息が重い。
「隣、失礼」
「……」
「ペギーと会っていたこと、黙ってただろう」
「……あれ? バレちゃった?」
「今度ツルの折り方を教えてくれたらチャラにするさ」
「あー……優しいね、スティーブは」
本当に。
本当に、スティーブ・ロジャースは優しい心をずっと持ち続けるヒーローだ。
親と死別しても。
強化人間になっても。
恋人と別れても。
氷から目覚めても。
組織に裏切られても。
何があっても、自分の芯を持ち、それを貫き続ける。
ママンに教えられた『気心腹口命人己心腹気』ってこういう人のこと…あれ? アレは菩薩っぽい人のことだっけ。どっか違うな、ナシナシ。
「…レイニー、今のキミは…僕たちの味方、でいいのか? その、例のディスクを観たって」
「ん? ああ、生憎私には洗脳とかそういうの効かないみたい。でも、もっと大人のヒトには効果あるんだと思う。多分あれ、自分の中にある正しさを上から厚塗りするみたいに上塗りさせる感じなんだと思う。こうやって」
空中にふよん、とインクで
「私はまだ、自分の中での正しさがわからないから。スティーブやナターシャさん、サムさん、長官みたいな、ちゃんとした自分の中での正しさ…ううん、信条? みたいなのがない。何もないから、洗脳にすらならない」
そう。だから私には、あのサブリミナル効果マシマシの洗脳ビデオも単なるC級映画にしか観れなかった。あの赤いお面の人、特殊メイクじゃないマジモンのレッドスカルだったなんて知らなかったけど、つまらなかったし、吐き気がしたかもしれないけど、ただそれだけ。
「ここ最近、よく考えるんだ。正義ってなんなのかなって。正しさの在り処ってどこにあるのかなって。
もしかしたらHYDRAのいう自由を束縛した安全で平和な
でも、スティーブのいう自由を放棄しない社会が正しいのかもしれない。
ごめんなさい。正直なところ、私にはどちらが正しいのかわからない」
どんなにエージェントとして働いたとしても、組織の暗い部分に潜ったとしても。
私はまだ、13歳の子どもだ。
死にかけて、悪魔に乗っ取られて、修行して、宇宙人と戦って、アベンジャーズに入って、S.H.I.E.L.D.のエージェントとしての使命を全うしたとしても、所詮は背伸びした稚児。子どもの考えられることなんてたかが知れてる。
「どちらが正しいかなんてわからない。
ある人は〝勝った側が正義〟って声高に言ってたけど、私はそうは思わない。
たしかに歴史の教科書は勝者の日記だけど、戦う前の彼らが正しかった訳じゃないと思う。正しさって、その時はわからなくて、あとからわかってくるものなのかもしれない」
だから。
「だから、私は私の
パパンが、そうであったように。
「あのビデオ観たんだけど、どんな言葉を投げかけられても素通りしちゃうのよね! 空虚っていうか、『
中身がないわけじゃない。ただ、その言葉と情熱が私とは噛み合わないのよ。決定的に」
「……」
「でも。
あの時のスティーブの言葉は、私にとって正しいと思う。だから私はスティーブを信じる。…あはは、自分の正しさを他の人に委ねる、結局は誰かについてくだけ。ヒーローなんて夢のまた夢ね」
「…そんなことはないよ、キミはその年齢でよく考えてる。僕が同じ歳だったときにはそんなに考えたりしてなかったさ。
それに、キミは自分のことを空虚だと思ってるようだけど、ちゃんとしたヒーローとしての在り方を、既に見つけている。誇っていい。
だって、キミもアベンジャーズで、僕らの仲間なんだから」
嗚呼、そうか。
私も、ヒーローとしての在り方を、見つけてるの。そう言ってくれるのね。
そうやってあなたは、悩める人の背中を押してくれる、ヒーロー。
「でもそれじゃ、一方通行でダメね!」
「何がだい?」
「約束よ! 私は私の意思で、あなたはあなたの意思でこれからも生きていく。でももし万が一、あなたが道を踏み外してしまったと私が思ったら絶対止めるから。だから、もし私が道を踏み外してしまったと思ったら、ぶん殴ってでも止めて!」
「なるほど、互いに互いを牽制し合う訳か」
「違うわ! 互いを信じるのよ!」
ならば、私は、私たちは、
「よし! じゃあ、私たちの
敵はS.H.I.E.L.D.に巣喰うHYDRA。
武器は脅威、規模は未知数。
味方はキャップにナターシャさんにサムさんマリアさんオマケの長官(負傷中)、援軍なし。
なんの心配もないわね。
Chapter 32
銃撃戦騒ぎがあったワシントンの、沈んだ街。
警察の現場検証があるはずもなく、S.H.I.E.L.D.お得意の証拠隠滅によって
人気のない街を、背丈ほどのギターケースを背負った包帯だらけの女が悠々と歩く。
こつこつと。靴を鳴らして。
のしのしと。我が物顔で。
そして、ある一箇所で立ち止まるとしゃがみこみ、指先まで包帯で包まれた手を翳し、ぶつぶつと、おおよそ常人には理解し難き言語と
するとどうだろうか。
均一に並ぶアスファルトの間から、まるで滲み出るようにふつふつとインクが浮かび上がり、やがて立ち上がった女の背丈ほどの体積になるとゆっくりとその全貌が明らかになる。
全体的に細い体躯。
耳が二つ、頭頂部に長く。
犬のようなシャープな鼻。
くりりと瞬くつぶらな瞳。
黒い肌に黒い靴に四本の指。
白のオーバーホールと手袋、ただし左手は物々しいアニマトロニクスの義手。
隻腕ボリス/トマス・コナーその人である。
隻腕ボリスは目を覚ますと目の前の女性を訝しむように睨むが、やがて考えることをやめたのか包帯だらけの女性の言うことを黙って聞き、全て聞き終えると一度だけ頷いて夜のワシントンの暗闇へと消えていった。
その後ろ姿を見て、包帯だらけの女性は背中ほどの長く艶やかな髪を揺らして口を歪めた。
人はそれを、シニカルな笑みと呼ぶ。