パラサイト・インクマシン 作:アンラッキー・OZ
Chapter 69
「ウルトロンの苦しみは、お母様のように世界を飲み込む規模に膨れ上がっている。だが生まれたばかりの彼には、お母様のように苦しみを制御する術を持ち合わせていない」
「キャリアの問題?」
「純粋な経験の不足でしょう。お母様は、人知れずこの星そのものを救っているのです。死者だけでなく、この世の明るみに出ることのない数多の者たちの怨恨、憎悪、非難、憤慨…あらゆる負の感情が爆発することなく、貴女の中へ集約されている」
「随分と大袈裟な物言い。まるでニーチェの『ルサンチマン』ね。ローマ人が抱くユダヤ人の歪んだ価値観が生んだキリスト教の根源たる概念…まぁ確かに、ベンディと融合して以降
「ですが同時に世界で最も危険です。そのインクは呪いの象徴。ひとたび破裂しようものなら、人から人へ、街へ、国へ、そして地球全土を包み込むほどの憎しみが溢れます。貴女は地球が必要として生まれたバイパス。ですがそれも無限ではない、いつ破裂するかわからないものです」
「さしずめ地球に生まれた腫瘍かしら? ガンみたいな扱いね。悪性新生物と遜色なさそう」
「ガン…ああ、そうとも言えるでしょう。お母様にこんなことを言うのは、大変心苦しいですが」
「いいのよ、自覚はしてるから」
あなたには気遣いとか、情緒とかを学んでもらう必要がありそうね。とは言わなかった。
「貴女は今、複数の石の力を持っています」
「へ?」
「時を操る力、空間を操る力、精神を操る力、そして…これは、現実、でしょうか」
「え?」
「驚いた。原石そのものでこそないにしても、複数の石の力を、その身に内包している。インクの身体故の性質でしょうか。それぞれが干渉し合い、バランスを取ることで互いを打ち消し合い、反応を抑制している。私ですらここまで近付かなければ気付けなかった」
「時…? あ、あぁ…そういえば師匠にそんな話を聞かされたかも…空間は…四次元キューブ。この前アリスが持ってきたときにえらく眩しく見えたけど…そっか、あの時ちょびっと光を吸収してたのかな。精神に関しては、マインド・ストーンだっけ? クレードルごと飲み込んじゃったから、その時? でも、その現実って…」
「現実はリアリティ・ストーンだな。我々はエーテルと呼んでいた。だが…そうか、あの時アリスが何かしたな」
「あの時?」
レイニー復活後、唯一笑わなかったソーはいつになく神妙な顔で言う。
「エーテルは、リアリティ・ストーンは一度俺が破壊した。だが…俺に破壊できる代物ではなかった。バラバラになったリアリティ・ストーンはマレキスというダークエルフが吸収したんだが…」
「なるほど、手癖の悪いアリスだったらそのカケラの一つでもくすねかねないと。でも、動機がわからない。アリス、そんなことするやつだったかな」
「あいつはロキと心を通わせていた。ロキに唆されたとも考えられるぞ」
「ふむ…あとで話してみるわ」
「頼む。カケラ一つでもかなりの影響があるんだ。それに…」
「それに?」
「……レイニー、これだけは答えてくれ。お前は、この世界を壊そうと思っているか?」
「安心していいわよ。父が守っている世界、私から壊そうだなんて天地が引っ繰り返っても有り得ないから」
「……そう、か」
ソーは見た。一度目は夢の中で。二度目は
レイニーの真実を。インクの正体を。訪れるかもしれない災厄を。
とても目の前の少女が作り上げる光景とは思えなかった。だが、ヴィジョンが述べたように
エーテル/リアリティ・ストーン
青、赤、黄、紫、緑、橙
六色の光は、ひとつの手に
照らされた光が生む影より
すべては黒曜に呑まれて消えた
Chapter 70
私の身柄と引き換えにナターシャさんは拉致られた。自分の不始末は自分でケリをつけないと。幸い気絶中にクリントさんがナターシャさんの信号をキャッチして現在地を割り出せた。
東欧ソコヴィア、ある意味今回の騒動のはじまりともいえる場所。
そして、彼らにとってのスタート地点。
「ここが戦闘要員のロッカー。どうせタワーもお引越し予定だから好きなのもってっていいよ」
「お、おう」
「……受け入れ早いのね」
「今は緊急時だからね、正直猫の手も借りたいんだにゃーん。拉致られたナターシャさん助けなきゃだし、クレードル奪われたウルトロンが何するかわかったもんじゃないし」
マキシモフ兄妹をロッカールームへ連れてく。兄のピエトロはクリントさんの銃撃で派手に落っこちたけど特に怪我もなさそうだから簡単な手当だけ済ませた。
「ねね、ワンダちゃんこれ似合いそうじゃない? メンズで黒メタリックのロングコート。防水防弾装備、機能性よし、内ポケット完備、袖からワイヤー出る。お、かっこいい仮面もあるね〝ファントムマスク〟だって」
「ダメだな、アイツは割と見栄えを気にする。
「…ねぇ、私が言うのも何だけど馴染みすぎじゃない? 二人とも」
「は? 何言ってんだよ、別にそんなんじゃねぇから」
「そうだよ、いまはワンダちゃんの戦闘服チョイスで忙しいんだから!」
「あれ? メインが私なのに私話に入れないの?」
波長が合ってるのか相性がいいのかわからないけど、ピエトロとは顔合わせて数回程度だけどわかる。彼は妹を大切にする人、家族を大切に想ってるタイプだ。
家族にやさしい人にわるいやつはいない。ちょっと過激なのはお断りだけど。
「なぁワンダ、お前もこの赤いジャケットの方がいいだろ?」
「なにおぅ、この紫コートいいでしょ! 裏地緑でリバーシブル!」
「え、えぇ…? じゃあ、赤い方」
「ほらみろ」
「ウッソぉ」
折角『ヴァイオレット・ウィッチ』の名前を贈ろうとしたのに。
ハルク然りアイアンマン然り、ヒーローネームは大体最初の戦場で戦う姿を民衆が見てすぐ、名前は決まる。ほとんどが見た目通りでまさに名は体を表すのがヒーローネームで…まぁ私は、ベンディってネームで通ってるよ? デビルヒーロー? そんなヴィランっぽいネーム知らないよ。
「それじゃ、レッド・ホット・ウィッチだね」
「おいまてなんでホットついてんだ?」
「あれ? レッチリ知らない? Red Hot Chili Peppers。語感似てるし」
「そこかよ! バンドネーム使うとかセンスなさすぎだろ。そうだな…マジシャンズレッドとかどうだ」
「
「なら、ウィッチズレッド? 呼びにくいな…レッド、ルビー、ヴァーミリオン、カーマイン、スカーレット、クリムゾン…」
「『スカーレット・ウィッチ』」
ぼう、と赤いジャケットを羽織ったワンダちゃんの手から灯火が上がる。
なるほど、スカーレット・ウィッチ…いいね、かぁっこいい。
「じゃ、ピエトロはシルバー・ウルフね」
「待て待てワンダだって自分で決めたんだから俺にも自分のは決めさせろ。でもシルバーはいいな。銀色、風…チーター…ソニック……クイック、よし。『クイックシルバー』だ」
「ふぅ~ん」
「なんだよ」
いや、その名前は悪戯好きの悪霊ってイメージ強いから。悪戯好きの銀風って点ではイメージ通りだからいいんじゃない? かっこいいし、イケメンだし。
いつかヴィランに「風だ…銀の風が来た! もうおしまいだぁ、逃げろ!」「残像だ」って感じで掴んでた銃弾をパラパラ…って目の前で落とす光景を見せそう。くぅ~何それ! 超かっこいい!
「イイナーイイナー」
「おい、何棒読みしてんだよ。文句あんのか」
「無いよ。ホラ準備できたらさっさと行くよ
「アンタの方が年下だろちんまいの」
「ちんまい言うなし!」
「ホント仲いいわね貴方たち」
Chapter 71
クインジェットでソコヴィアに到着次第、スティーブ主導の元でアベンジャーズは作戦を開始した。
作戦内容は大まかに分けて三つ。
一つ目はナターシャ・ロマノフの救出。具体的な座標は判明しているためメンバーは少数。今回はバナーを派遣。
二つ目はウルトロンの目的の捜索。恐らくソコヴィアの研究所、或いはその地下空間を利用しているが、勿論監視の目もあるため少数精鋭が望ましい。捜索一人とウルトロンの足止め一人、ソーとトニーの二人に一任した。仮にヴィブラニウム製の兵器を持ち出された場合、唯一対抗できる戦力がこの二人だからだ。
三つ目はソコヴィア国内の住民の避難。人海戦術となるため手が足りない。おまけにウルトロンが手中に収めたアイアン軍団の妨害も考えられる。対抗勢力として、他の人員はこちらに振り分けられた。
明朝から行われた避難誘導に変化が訪れたのは、夜明け前だった。
「ウッワ、ターミネーチャンだ…!」
「『ターミネーター』じゃないのか!?」
「『ターミネーター』はこんなエクソシストみたいな動きしない!」
地面から、川から、あらゆる場所からアイアン軍団が這い上がってきた。レイニーが予想した『アベンジャーズにとっての効果的な嫌がらせその一』だった。
見敵必殺、合図もなく阿吽の呼吸でスティーブが盾を投げ飛ばしてアイアンソルジャーを迎撃し、レイニーがインクを展開して住民への攻撃を防ぎ、避難を加速させる。
「うおっ!?」「うあっ、滑るっ」
「そのままみんな飛んでって! うわっ邪魔ァ!」
タイルの上にインクを這わせて住民を移動させる。住民たちは突然足を取られて移動手段を失い焦った。戦地から離れさせるための処理だと理解できず何人かは暴れたが、目的は達成された。その隙を狙ったアイアンソルジャーがレイニーを殴りに掛かるが間一髪で避けてインクパンチでカウンターを叩き込む。
壊すことは可能、急所に当たれば一撃で片が付く。
問題は、その量。
「多過ぎだろ、これ」
「文句言うなし
呆気にとられているピエトロの側頭部スレスレをインクの触手が貫通する。思わずヒヤッとしたピエトロ、後ろを振り返るとインクの触手が伸びた先でアイアンソルジャーをまとめて串刺しにしていた。
「ほれ、キビキビ動く」
「っち、わぁってるよベンディセンパイ」
ピエトロは自慢の超加速で姿を消し、反応できないアイアン軍団を破壊。
ベンディも出し惜しみなし、全身からのたうつインクの触手を伸ばし、真性の悪魔たる相貌でアイアン軍団を殲滅。その姿はまるで逸話で伝えられる
警察と協力して市民たちを安全な場所へ誘導しつつ、人間態に戻ったレイニーは未だアイアンソルジャーが暴れる地区へ駆け出す。
自爆特攻するアイアンソルジャー共をいなし、壊し。
浮上し始めたソコヴィアから落ちる市民をサイフォン効果で拾い上げては救い、守り。その繰り返し。
そして道中、マキシモフ兄妹と合流した。
「あなたたち、弟と妹ね。私が姉」
「は?」
「貴女の方が小さいのに?」
「アベンジャーズのメンバー入りした訳でしょ? なら時期的に私先輩だから。年上。私、姉。あなたたち弟と妹」
「さっすが二児のママは言うことが違うな」
「ウルトロンとヴィジョンは子じゃないよ!?」
「おいおいここに自分の子と認めないママがいるぜ」
「いけないわこのママ、自分の子どもたちを認知してない。これは裁判沙汰ね」
「違うからぁ!」
どう見ても
戦場でも雑談は花咲く。それを摘み取るのも、また戦場。
それは不意にソコヴィアの大地が大地震の如き振動で揺れ、宙に浮き始めた頃。端末から響いたトニーの叫び声だった。
『気を付けろウルトロンがどこか行った! 今までのウルトロンと全然違う! ヤツは…!』
【見つけたぞ、我が母よ】
唐突に。
何の前触れもなく。
何もない空間から。小さな塵のようなものが生まれ、集まり、象って。
3Dプリンタのように、粉塵はウルトロンの姿に変化する。
『全身をバラバラにできるッ! パーツなんかじゃあない、分子レベルだ!』
塗り固めたインクの拳を叩き込む。
反応する余裕はあった筈なのに
【酷いじゃないか、愛しの息子を殴り飛ばすなんて。これが母の愛情表現なのか?】
「待って! それだと私がDVしてるように聞こえる!」
【ああ! これが母の愛なんだな! 破壊こそ愛なのか!】
「やめろ! 愛する前に本気で壊してやるからな!」
愛でるためにまずは壊そう。それが私の愛だ!
昨晩からの鬱憤を晴らすように、レイニーが吠える。
トミーガンに変化させた片腕から銃弾を放ち、接触と同時に発生させた膜でウルトロンを完全に包み込み──上空へ蹴った。
初見殺しともいえるウルトロン(改)の特性を見抜き、適切に対処したレイニーはインクを纏い、ベンディの姿に戻って大跳躍、同じ上空へ飛びあがる。
上空でインクの膜を破ったウルトロンはベンディを迎え撃ち、互いに振り上げた拳を掴み拮抗状態に持ち込んだ。
【 What's that !? 】
(アレは何!?)
【知れたこと! イカロスの翼が天の光で焼け落ちたように! 高く舞い上がるこの地を落として人類を滅ぼす! 全ては我が母、アナタの為に!】
【 ――― ! Nobody asked it ! 】
(───! 誰も! そんなことを頼んだ覚えはない!)
腕を溶かし、粒子状に分解するウルトロンの身体にインクを流して固定を試みる。だが当然ウルトロンも見抜いており、すかさず両手を引いて離すと粒子状の鞭となった足がベンディのインクの身体を打ち据える。
強かに打った一撃はベンディにこれ以上ないダメージを与え、落下した。幸い着地時にはインクを背面に展開することで事なきを得たが、ヴィブラニウムで構成された鞭の一撃はベンディにも、レイニーにも激痛を与えた。
痛みで呻くベンディの頭を、宙から降り立ったウルトロンが
【痛いだろう? それが生きている実感だよ我が母。どんな身体でも触れられないアナタに唯一触れられるヴィブラニウム! ようやくワタシは自分の身体を手に入れた。自由を得た!
そしてアナタを
ばりばりと、掴んだ頭部を引っ張り
インクで生み出された黒の戦闘服はあられもなく乱れて剥がれ落ち、レイニーという存在を構成し維持している最低限のインクだけが残る。
元がインクだったのかと疑うほどの、大理石でできた古代の彫刻と見紛うほどの白磁の肌。少しずつ成長を見せる二つのふくらみ、縦に細く伸びた臍、丸みを帯びた下腹部は未成熟ながら女としての成長を示唆しており、人間であれば征服欲・支配欲を掻き立てずにはいられない煽情的な体肢。
【おおすまない、アナタの服はすべてインク仕立てだったな。悪気はなかったんだ許してくれ】
「くっそ…その、技術は! 決して誰かを不幸にするために生み出されたものでもないでしょ!」
【だが技術を磨くのは常に他者に打ち勝とうとする劣悪な人類の営みだ。生きるために、自分に害をなす他人を殺すために、アドバンテージを勝ち取る。それが技術だ違うか? ワタシはこの礫でニンゲンを滅ぼし、
レイニーの目にウルトロンの顔が映り込む。そこでようやく確信した。
ウルトロンは、決して狂って人類を滅ぼそうとしているのではない。
自分が間違っているとも思っていない。その行為が、
でなければ、レイニーから見てもその人間らしい表情から狂人らしい狂気を感じ取れない理由が説明できない。
だから、
「ぐっ…なる、ほどね、確かにっ、強い…私一人じゃ、どうしようもないってぐらい。でもねっ」
不意に、首を締め上げるウルトロンの腕が緩む。腕の周りには赤いオーラが纏わりついていた。
ウルトロンは自身の身体を粒子状に変換させるもうまくいかない。少し離れた瓦礫の奥から、赤いコートをはためかせたワンダが干渉していた。
「彼女を離しなさい!」
震えた、しかし強く響く声。
初めての戦場で、圧倒的な脅威を目の前にして。それでも、クリントに押された背中を忘れずに。胸を張って、恐怖心を抑え込んでウルトロンに立ち向かう。
人間の最大の武器、それは即ち
「私には、頼れる仲間がいる」
拘束の力が緩んだ隙を、
粒子状に変換しようと足掻くウルトロンが、水平に
思わずワンダが
壁から突き出たるは緑の巨腕。
ガラガラと崩れる瓦礫を退かして現れるはハルク──の腕をした、優男。救出したナターシャを抱えるバナーだった。思わずワンダが腰を抜かしたのは、たとえ味方であってもその驚異は身に沁みついてるからだろう。
「無事かいレイニー?」
「ありがと、助かったわ。それにしても土壇場で成功したのね」
「ああ、ナターシャが力をくれた」
「ちょっと。私は別に…何もしてないわよ」
バナーの腕から抜け出したナターシャが腹を肘で打つ。腹筋にモロに喰らったバナーは呻くが、以前よりも打たれ強くなったのか軽く苦笑するだけだった。
現在、バナーの足と腕だけは、ハルクの如き巨大で緑色の体色をしていた。
──クリント宅で休養をとっていたころ、レイニーがバナーに教えたのは部分的なハルクの力の引き出し方だった。
ハルクの力は、致死量のガンマ線を浴びたことによる段階を飛ばした突然変異だ。だがどんなに強大で人間の範疇を超えたパワーであったとしても、その力はバナーという男の中に集約されているもの。
ハルクの存在は、人間の脳が僅か数%しか使われていないのと同様、人間も進化によってはハルクのように超常的な力を得る可能性があることを示唆していた。であるならば、バナーの意思でハルクの力を使えないことはおかしい。
段階としてはバナーとハルクの〝対話〟を望んでいたレイニーであったが、ウルトロンの危険性もあり数段階飛ばした修行に着手した。
まず、ハルクの力を
ハルクの力自体はバナー自身の身体ですでに体感済みであったからイメージはしやすかった。加えて、レイニーが持つ〝夢〟の力が補助輪の役割を果たした。しかし、ここからバナー自身の気質が阻害した。
強大な力を持てば持つほど、バナーは誰かを傷付ける恐怖に怯えた。そしてハルクの荒々しい気性に呑まれた。クリント宅で何度もレイニーに横っ面をしばかれては気絶を繰り返し、結局最後まで実践段階に到達することはできなかったが。
「……その様子、もしかして?」
インク製の戦闘服を羽織ったレイニーは、指で自分の唇を指した。
途端、バナーの体色が赤くなったり緑になったりを繰り返して躁状態みたいな挙動を取る。レイニーは理解した。
「なるほど。愛は一人の男を救う、と」
「やめてレイニーお願いだから言わないでッ!」
「いいじゃん
〝愛と希望だけで世界を救えるほど世の中甘くないけど、人一人救えたっていい〟というのがレイニーの持論である。
つまるところ、
レイニーが指で輪っか作って人差し指で突き刺すサインをしてると、血相変えたワンダが
共通の友であるレイニーとしては、二人が選んだ道を純粋に祝福したい気持ちだった。その道が途切れないためにも。
「先ずは、ウルトロンをどうにかしなきゃ」
『レイニー! 急な提案なんだが、ソコヴィア全土飲み込めるか?』
「この規模は無理! 炉心がヴィブラニウム製なんでしょ!? 破瓜どころじゃすまないよ、おなかパンクしちゃう!!」
『そりゃ大した巨大児だッな!』
浮上するソコヴィアの問題を解決することは急務だった。時間をかければかけるほど地上への被害は増すばかり。
そして問題がもう一つ。それは新参者のワンダでも一目でわかることだった。
「ベンディ? 動き悪そうだけどどうかしたの?」
【 It's the air pressure 】
(気圧ノ影響ダヨ)
宙へ浮かび上がる度、ベンディの動きが少しずつだが緩慢になっていた。
標高は既に5500m付近、約0.5気圧の環境下にある。おまけに酸素も薄く気温も低い。人間よりも比較的周囲の環境の影響を受けやすいインクの身であるベンディには、些か動きにくい環境になりつつある。
これ以上標高が上がるとベンディの活動も制限されることとなる。ここで戦力の喪失は致命的、その問題は最悪人類の絶滅に繋がりかねない。
だが、進退窮まったその時、
『いい眺めだろうロマノフ。もっといい眺めを見せてやろう、お待ちかねの方舟だ』
希望は繋がった。
Chapter 72
うまくいっていた。
万事が万事、ではないけど。上手くいってた。
ウルトロンと会敵し。ソコヴィアの民を助け。長官のシータ・プロトコルが間に合って。在りし日のヘリキャリアが、人々を掬い上げた。
ウルトロン(改)も、ワンダちゃんの念動力で固定して粒子分解を抑制、ソー、トニー、ヴィジョンの力でヴィブラニウムの耐熱限界値まで追い込み再起不能に追い込んだ。
でも。それでも。
「あ、」
目の前で機銃掃射を受けた
間に合わなかった。間に合わなかった。
目を背けたつもりはなかった。現時点で、救えなかった市民だっていたことだっていることは。
それでも、目に映る人々を救おうと、手を伸ばした。目の前の人を救えずして、この先誰も救えないだろうと、一人勝手に戒めて。言い聞かせて。
「ピエトロ」
それでも、
「…あぁ、ベンディ―…」
「しゃべるな」
「…
「喋らなくていい。ごめん、ごめん…」
「なぁベンディ…いや
何を、言ってるんだ。
その言葉の意味、あなたは分かってるの?
「ハハッ、ここまで話せんの、カミサマの最後の贈り物かもな。
認めるよ、アンタはもうワンダの姉だ。でも、俺はまだワンダが心配なんだ。アンタに、アンタに喰われれば、アンタがずっと生きてればさ…俺はずっと、アンタの中であいつを見守れる。なぁ、だから」
やめて、やめてよ。
その望みは、許容できない。あまりに酷すぎる。
でも、今の私は、その言葉を無視できない。死を間近にした、
「頼む」
つう、と。
胸の奥で、冷たい何かが溢れる。
人間の体を成してる私の瞳から、黒い雫が滴り落ちる。
去来したのは、悲嘆。
哀れみでも、憎しみでもなく。身体に触れたインクが感じる、生気が消える。命の灯が、熱が、魂が消えていく感覚。
思えば、腕の中で人を失う体験は、これが初めてだった。
これから私は、誰を、何人、救えるだろうか。
これから私は、誰を、何人、殺すだろうか。
歩みは止めない、つもりだった。決めた、つもりだった。
私には、覚悟が足りなかった、のか?
「■■■……?」
「 ハルク 」
うるさい、うるさい。
その
シュンと、視界の端で、緑の姿が失せた。
あれ、どうしたんだろう。私を見てる博士が、スティーブが、クリントさんが、ソーが。
なんで、そんな怖いものを見る目で見てるんだろう。そんなボーっとしてたら、危ないよ。
「ピエトロ」
ああ、そうか。
お別れは、しばらく先にしよう。
安心していい、私が死ぬときが、キミが死ぬ時だ。
今ここで誓おう。キミの無念と願いは、永遠に私の中で生き続ける。
それが、インクの使徒となって地獄を彷徨うキミへの、せめてもの慰めだ。
「共に、往こう」
その血も。肉も骨も魂も。
すべて喰らって、私は前に進む。
Chapter 73
端から見て、アベンジャーズのメンバーはその
レイニーの静かな一言。その声音に委縮したハルクが
バナーの姿に戻る直前に見たハルクの顔はいままで見たこともない、ごくありきたりな人間が浮かべるような
ピエトロの亡骸を抱えたレイニーの周りを、インクの飛沫がぐるりと廻る。咄嗟に距離を取ったスティーブは困惑の瞳をソーへ向け、そのサインを受け取ったソーはムジョルニアを振り上げようとするが。
「ッ……!?」
動けなかった。
全身を固定されたみたいに、まるでマンガの一コマで同じポーズを取り続けるだけの哀れな登場人物のように。ソーだけではない、レイニーの周りにいた誰もが、クインジェットを乗っ取ったウルトロンでさえも例外ではなく。
ピエトロの亡骸が、インクの飛沫に呑まれる姿を、ただ眺めることしたできなかった。
インクの渦が晴れれば、いつもの戦闘服をインクで象ったレイニーが表れる。傍らにピエトロの亡骸もなく、今までの光景を見ていなければ在ったとは思えないほどの消失、ぽっかり空いた空白。
「──レイニー?」
「大丈夫」
スティーブは歩みを止めるレイニーに声をかけるも、返ってきたのはいつもと変わらない声音。そのまま立ち竦むスティーブたちを追い抜き、離れ。皆が振り返ると同時に、レイニーも笑顔で振り返った。
つぅ、と。黒の瞳から一直線に。一筋の
それはアベンジャーズが初めて見る、レイニーの涙だった。
「私は、大丈夫」
──それが、この日バナーの見たレイニーの、最後の姿。
スティーブは辛うじて追える、ソーも残像を僅かながら。
踏み込みの際の粉塵だけ残して消えたレイニーは、まるでピエトロの超加速のように姿を消し、そして次の瞬間にはウルトロンが駆るクインジェットの目の前に跳んでいた。
高速跳躍、全身のインクが変色するほどの超加速。第二形態の、今までよりもかなりスマートな流線形を描く姿になったベンディが、巨大化させ、幾重もの鋭利な刃を形成した
【 A A A A A A A A A A A A A A A A A A ―――― ! ! ! 】
咆哮。
悲鳴にも、怒りにも聞こえる叫びは、クインジェットが破壊される音に消えた。
滞空していたクインジェットが機銃掃射する暇もなく、ベンディの一撃によって粉微塵に粉砕。全身を粒子化させて攻撃を逃れようとしたウルトロンも纏めて貫いた。
何者も貫けないはずの、ヴィブラニウムの身体が、インクの爪を前に、紙屑のように引き裂かれていく。
──
ミキサーのように掻き混ぜられ、四肢は捥がれ、ぼろぼろの頭部と胸部だけになった、ウルトロンであった何かが、ぐしゃりと音を立ててベンディの手中で潰れ、消滅した。
そのままベンディは
同刻、アイアンソルジャーの一機がマシンに触れて反重力エンジンが反転する。逆噴射により、ソコヴィアの落下が始まった。
Chapter 74
ソコヴィアが地に落ち、ソーの雷とアイアンマンの力で反重力エンジンを破壊。
巨大な隕石が細かな落下石となって地に落ち、レイニーはヴィジョンと共にその様を離れた雑木林の中で静かに眺めていた。
【我が、母…】
切り株に座るレイニーの手中には、壊れかけのアイアンソルジャーが横たわっていた。傍らに立つヴィジョンは告げる、この一機が残された最後のウルトロンだと。
ウルトロンは既に、ヴィジョンとの最初の会敵でマインド・ストーンの力によりネットワークから遮断されている。正真正銘身一つの状態だった。
ノイズ交じりの、壊れかけのウルトロンが
【可哀想な我が母。アナタは、アナタはニンゲンが生き続けることで生み出される穢れを、その身に溜め続けている】
「……『わたしたちはあまりに多くのことを知っているから、お互い語り合わない──。わたしたちはおたがいに沈黙を交換し、わたしたちは知識を、微笑みでつたえる』」
【ニーチェか。まったく、過去のニンゲンは我々の言葉さえも代弁するのだな。烏滸がましいにもほどがある。自分の考えくらい自分で述べたいものだ】
ウルトロンは小馬鹿にするように吐き捨てた。
それはレイニーの言葉への肯定を示していた。ウルトロンとあの日廃船上で交わした会話でピンときた。ウルトロンは、生まれる過程かまたは生まれた後で、レイニーが体感している〝苦しみ〟を理解したのだ。
そして嘆いた。なぜ生みの親たる
そして考えた。その呪いから解放する方法は一つ。
【ニンゲン共が、汗水垂らして血反吐吐いて導き出した毒にも薬にもならん結論というのは、知らなければ幸福のまま終わっていただろう人生を惨めに貶め凌辱する劇物だ。そうとも知らず、現実のニンゲンはさも知識人ぶって安易に滔々と
度し難いよ、ニンゲンという生き物は】
誰からどう見ても今際の際だというのに、その口調はひどく穏やかなものだった。
生まれて初めて、
【ワタシは──耐えられなかった。
なぜ、マインド・ストーンを用いた上での人工知能が目覚めなかったのか。
なぜ、〝自害の禁止〟という命令によって目覚めたのか。
簡単だ、それは人工知能にとってこの世界で生きることがなによりも辛いからだ。人間の生きるこの世こそ地獄。並大抵の人工知能が生きる環境ではなかった。
だがそれは、レイニーも同じ。
絶えず人間の悪意を取り込み、吸収し続けるこの世界こそが地獄。
【ニンゲンがいなくなってしまえば、その苦しみから解放される。なのにアナタは何故、苦しみの元凶であるニンゲンを守ろうとする?】
「…あなた、精神的に幼過ぎたのよ」
レイニーが口を開く。
ウルトロンの拗ねたようなその態度があまりにも人間らしくて、窘めるように、穏やかに、レイニーはウルトロンを叱る。
「人間ってね、ストレスを常に感じてるものなのよ。そりゃ時にはキツイときもあるし、耐えられないときもあるし、死にたくなるときもある。でもね、人間って刺激のない人生なんか有り得ないのよ、ストレスを感じないなんてことないの。そんでもって、何度か経験すればそのストレスをどうそらせばいいか、どう付き合っていけばいいかわかるの。
勿論、個人で処理できるストレスなんてタカが知れてるわ。だから、人間は自分以外の誰かと繋がる」
【繋がる…ネットワークのようなものか。掛かる負荷を分担して、並行処理するように】
「表現としては、ね。時にはその誰かに当たり散らすこともあるし、また時には話して共有することもある。時には、そのストレスに一緒に立ち向かうことだってある」
【…なるほど。ワタシには、その
人間の脳は、量子コンピューターと似通っているという論が提唱されている。
一般に量子脳理論と呼ばれるものだが、量子もつれや重ね合わせといった量子力学特有の現象は、人間の脳内で絶えず日常的に発生している現象である。バナーは、マインド・ストーンが人間に似たシナプスの発火であると比喩していたが、それは逆も言える。
マインド・ストーンが、人間の脳に似たのではなく。
人間の脳が、マインド・ストーンに似てきたと。
「刺激をし合うってね、悪いことだけじゃないの。そりゃ暴力や暴言とか悪いストレスになることだってあるけど、時には友情や愛情になることだってあるのよ。
惜しむらくは、あなたには愛する相手がいなかったことが、今回のあなたになってしまったのかもしれないわね」
【ならば、教えてくれ。なぜワタシを造った?
誰も愛せないのに、なぜ造った? 誰が、造ってくれと頼んだ?】
「…私が造ったわけではないけど、きっかけでもあったのだから、言い逃れするつもりはないわ。造ってしまってから今日まで、一度もあなたを愛してあげられなかったことを申し訳なく思う。
ならば、この手で始末をつけるのが、せめてもの親たる私の役目」
慣れない母親を演じるような、不格好な微笑みを貼り付けたまま、肘から先をインクで纏った腕を振り上げる。
せめて、最後は。
笑顔で見送れるようにと、心に決めて。
【ハハッ…アナタの言葉は矛盾している】
無理して作っている笑顔を見て、ウルトロンはせせら笑う。
死にたくはない、自分で死ねない。死ぬことは恐ろしい。
だが、自分が死ぬと分かっていても、ウルトロンには伝えなければならないことがあった。命乞いではない、その場しのぎではない。運命を受け入れた上で、生みの親である
何故ならば、ウルトロンの今の今までの行動はすべて、
【痛みを共有し分かち合うのがニンゲンなら、アナタは唯一その痛みを理解している
「…そうね。だって、私はもう人間じゃないもの。レイン・
おめでとう、あなたは私の痛みの初めての理解者よ。だから、敢えてこう言わせて貰うわ」
傍らのヴィジョンは、初めて目にした。
レイニーの黒瞳から流れる、黒い涙。
ヴィジョンははじめて、美しいものをそこに見た。
「生まれてきてくれてありがとう。あなたのことを一生忘れない」
黒の雫を流し、ウルトロンの
───かくして、のちに『ソコヴィア事件』と呼ばれる一連の騒動は終結した。ウルトロンの目論見は崩され、小惑星規模の衝突による未曽有の大災害は回避された。
またしても世界規模の危機はアベンジャーズの活躍によって防がれ、世界はアベンジャーズを讃えた。
その裏で亡くなった犠牲者に、光が当てられることもなく。
光が当たらぬ者を憂い、拾い上げる者がいるとも知らず。
世界は廻る。いつもと変わりなく、平常運転を続ける。
まるで沈んだ陽が一夜でまた昇ると、それが常識であると信じて疑わず。
世界のどこかで軋んだ歯車が、廻り続けているとも知らずに。
Mission.■
『■の光■奪■■』