パラサイト・インクマシン 作:アンラッキー・OZ
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「地獄はここにあります。頭のなか、脳みそのなかに。大脳皮質の襞のパターンに。目の前の風景は地獄なんかじゃない。目を閉じればそれだけで消えるし、ぼくらは普通の生活に戻る。だけど、地獄からは逃れられない。だって、それはこの頭のなかにあるんですから」
Chapter 75
腕を上げる。振り下ろす。
ぐちゅりと音を立てて、皮膚が破れる。
腕を上げる。振り下ろす。
ごつんと音を立てて、骨が折れる。
腕を上げる。振り下ろす。
ぶちゅりと音を立てて、生まれた亀裂から飛沫が飛び散る。
ああ汚い。目に入ったら感染症になるかもしれない。
失明はないにしても、視力が下がるかもしれない。ゴーグルでも持ってくるべきだった。雨で視界が酷いのに、なんで持ってこなかったんだろう。
何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も。
無抵抗だろうが関係ない。無関係だろうが関係ない。
たまたま、そこを歩いていただけだ。もしかしたら俺のように誰かを探しに来たのかもしれない。誰かを喪って、悲しんでいたかもしれない。謝るつもりは微塵もない。そんな余裕は今の俺にはない。
悲しみと、怒りと、喪失感が綯交ぜになった俺に、それ以外の感情が入り込む余地なんてない。膨れ上がるどす黒い感情が、破裂しないようにこうして解消して自分を守ってるんだ。
仕方ないだろう、そうでもしなければ俺は壊れてしまう。自己防衛だ、だから俺は悪くない。
運が悪かった──違うな、
好きな女ができて、結婚して、子どもも生まれて。
大事な家族を養うために働いて、時には両手を血に染めて稼いできた。汚れ仕事だってある。それでも、黙って仕事をすれば金が手に入る。
疲れた体で家に帰れば、妻の「おかえり」と子どもの抱擁が出迎えてくれる。誰かに恨みを買われることはあっても、家族だけは守り抜こうと決めていた、ハズなのに。
ぐちゅ
誰だ。
ぐちゅぶ
誰だ。
ぐじゅり
誰だ、俺の家族を殺したのは。
「………ァ…」
「喋るな」
思わず、石を投げ捨てて首を掴む。
こんなところで助けなんか呼ばれてしまえば、あたかも俺が加害者に見えてしまう。
殺人にメソッドはいらない。陳腐なトリックも圧倒的な力も必要ない。ただ、殺意と技術さえあれば簡単にできる。俺が暗殺部隊にいて、学んだことだ。
「世界を守る? ならなんで家族を守ってくれなかった。お前たちなんか正義じゃない。お前たちが正義であるものか。ただの殺戮者だ」
どうせあいつらも見えないところでたくさん人を殺してるんだ、俺だって一人殺したところでバレやしないだろう。後で岩に下敷きにでもすれば『ソコヴィア事件』の哀れな被災者の一人に間違えられる。
一人だけ、一人だけだ。
俺はあいつらじゃない。自分の欲のままに殺すのは、一人だけ。
あとは殺さない。いや、あいつらを殺すなら多少は犠牲になる人もいるだろう。そういう連中は、仕方ないが俺の復讐に選ばれた犠牲者と割り切るしかない。そうでもなければあいつらを殺せやしないだろう。
化け物を殺す銀の弾丸が、何の犠牲もなしに得られるわけでもない。
「お前が最初の犠牲者だ」
コヒュー、コヒューと高く鳴る笛のような音を絞り出す喉を締め上げる。
ここで俺はようやく、このみすぼらしい襤褸切れを被った浮浪者が女だと分かった。それでも、俺の手は止まらない。
溢れ出る憎悪が腕を伝い、手のひらを通り、指に力を与える。手の甲に血管が浮き出る。か細い首を、更に締め上げる。
首の皮の下を流れる血は、さぞ清純な血なんだろうな。真っ赤な鮮血は次第に酸素を無くし、黒い憎しみに混じって染まる。首から上のぐずぐずに潰れた顔は、いったいどんな表情をしてるんだろうか。泣いてるのか? 苦しんでるのか? 怒ってるのか? 悲しんでいるのか?
ぼきり、と。
まるでフライドチキンの骨を噛み砕いたときに鳴るような、軽い音。両の親指で喉頭を押し潰してから、首の骨が折れた音はあまりにもあっけなく、跨った体がびくりと跳ねた。笛のような音は血が混じった鈍い音に変わり、ごぼごぼと肺から出た空気を押し出す。
苦しかったろう。辛かったろう。でもお前はもう苦しまなくて済む。俺はこれからも苦しみ続ける。少なくとも、あいつらを殺すまでは。
「この感情は俺だけのものだ。誰にも奪わせはしない。奪わせてなるものか」
ふと、顔を撫でられる感触がした。
嗚呼、死した妻が涙を拭っているのだろうか。冷たさを感じる温もりが伝わる。死者の手とは、こうも温かいものなのだろうか。
できれば、もうここで終わりにしたい。
アベンジャーズは最強だ、俺一人で勝てる相手ではない。冷静に戦力分析したところで返り討ちに遭うのが関の山。
それが、なんだ?
「復讐してやる」
だからどうした。勝てない相手? 同じ人間だろうが。人のはらわたから産まれた同じ人間だろうが。どんなに強い力を持っていても、絶対に弱み──弱点があるはずだ。
誰しも赤子の頃から強かったわけじゃない。必ず力がなかった時期が、人生の汚点が、連中の過去にはあるはずなんだ。
別に殺せなくったっていい。復讐になるならなんだってする。
俺という存在を、呪いみたいに刻み付けてやる。
殺せないなら…そうだ、殺し合わせればいい。化け物同士なら相打ちぐらいできるだろう。片方が死のうが片方が生きようが、元は仲間だった奴を殺せば多少はそいつの心も壊せるだろう。
「復讐してやる。俺が、俺が大切なものを奪われたように。お前たちの大切なものを奪ってやる、壊してやる!
この憎しみは、誰にも奪わせやしない! 殺させやしない! この憎しみは俺だけのものだ!」
酒で憎しみを追い出せる? そうかもしれない。だが憎しみを殺すことはできやしない。
ならば俺は憎しみに従う。この一時の衝動を永遠のものにする。そしてそれを亡き家族への手向けとする。
ああ、どうせ俺は地獄行きだろう。
だがアベンジャーズ、お前たちも道連れだ。
息絶えた女を蹴飛ばし、瓦礫の下に叩き込む。華奢な体は死体にしては軽く、サッカーボウルのように簡単に吹っ飛ぶ。当てどころが悪かったのか、靴にへばり付いた血を砂で剥がして落とす。
時間はない。やることは山積みだ。
Chapter 76
「……ゲ、ボォっ…ハァ、ハァ…おぇええ…」
男がいなくなった後で、顔が潰れた女が
あらぬ方向にへし折られていたはずの四肢が僅かに身動ぎ、やがて
「……あ、あ──……」
女──レイニー・コールソンは、手足と同じ要領で顔を直し、喉を直し、声の調子を確かめる。しかし、全身元通りになったにも関わらず、瓦礫の下から這い出て地面に仰向けになったまま、ただぼうっと空を見上げていた。
「……ダメだった、かぁ…」
襤褸切れの向こうで、残念そうに、顔をくしゃりと歪ませる。
子どもの泣き顔のようなそれは、先の男の憎悪を
レイニーは、今までこの世界の表舞台にも上がらないような、数えるのも億劫なほどの悪意を吸収してきた。明るみに出ない、水面下で蠢く悪意の受け皿となることで、いずれその悪意の果てに辿り着く、将来起こるであろう事件の発生を未然に防いでいた。
最初は、悪魔とはそういうものだと思っていた。
人間が生きるために食物を食べるように、
つまり、悪魔として当然の習性。それをレイニーが習得するまで、そう時間はかからなかった。いまや意識せずとも、人間にとっての呼吸と同等のものとなっている。意識的に
それでも、
地震や噴火、津波などの災害そのものに対して、憎しみを持ち続けられるかと言えばノーと言えるだろう。純粋に、この地球という星で生活している以上は付き纏うリスクだからだ。あらゆる場所、時間にも命が脅かされるリスクがあって、例えその災害で命を落としてしまっても、憎しみを向ける対象はいない。理不尽な自然の猛威に向ける怒りが沸かない。
『ソコヴィア事件』も、そう捉えてる被災者たちのどろりとした黒い感情は、
だが、男は違う。
男は、今回の騒動の発端がアベンジャーズとわかっていて、被災で失われた家族はアベンジャーズの手によるものだと認識していた。漠然とした憎しみよりも、より対象が定まった憎しみの吸収は難しい。
それでも、いままでできなかったわけではないのだが、男のアベンジャーズへの憎しみはレイニーが見てきた中でも類を見ない
人間の魂に染みついて離れない、どす黒い憎悪は見たことがなかった。
「……悔しいなぁ」
憎悪の受け皿になれなかったこと。そして何よりもその憎悪を生み出してしまったこと。
レイニーの力も万能ではない。
吸い出せる呪詛にも、救い出せる人間にも限度がある。単純なレイニーの力不足か、それともまだ憎悪の受け皿として未熟だからか。それは誰にも分らなかった。
ただ、地獄の果てを目指して修羅の道を突き進む男を止められなかったことが、レイニーには悔しくてたまらなかった。
「もし」
ふと、頭上で声がする。
雨が止んだ──のではなく、レイニーの真上に開いた傘が差されていた。四肢を脱力したまま、ゆっくりと視線を動かして傘を差しだした腕を辿ると、髭をたくわえた、褐色肌のふくよかな初老の男性が見下ろしていた。掛けられた眼鏡の奥には、鋭利な印象を思わせる、知性を宿した眼があった。
「生きて、いるかね?」
「……ええ、はい。なんとか」
「それはよかった。雨で体が冷えてしまっては風邪をひいてしまうよ、立てるかい?」
「はい」
長い黒髪は襤褸切れに覆われているせいでさほど濡れていない。雨の雫以外は例の彼によって飛び散らかされた自身のインクだ、拭わなくとも元に戻せる。
襤褸切れを羽織ったまま膝を突いて立ち上がり、改めて傘を差しだした老人と目を合わせると、レイニーの目に奇妙なものが映った。
「…黒い、猫?」
老人の首元でとぐろを巻く、金の
「キミは…」
「あ、すみませんボーっとしてました。傘ありがとうございます大丈夫ですので、それじゃ」
「待ちたまえ」
顔を見られないように襤褸を目深に被って立ち去ろうとするレイニーを、老人が呼び止める。レイニーは何か粗相でもしたかと思いつつも──複数人、しかも見えない人間に取り囲まれていることを、把握していた。
雨という、光学迷彩であっても隠れることが困難な環境下でもあるのに、人間の視野であれば気付けないほどの技術。もっとも、人間ではないレイニーには〝そこにいる〟という事実だけで人間が隠れていることは分かってしまうのだが。
そもそも、敵意を向けている相手を見つけられない訳がないのだ。数多の憎悪を飲み干してきたレイニーにとっては。
「キミの名は、レイニー・コールソンで間違いないね?」
「そうですが、どちらさまで」
「これは失礼。私の名はティ・チャカ。ワカンダで国王の座についてる者だ」
初老の男性──ティ・チャカ国王は、胸に片手を当てて小さく会釈した。その振る舞いだけで何故か周囲で身を潜ませている者たちから動揺と騒めきが走ったのだが、レイニーも何故そのような人物に声をかけられたのか見当もつかなかった。
そもそも。
なぜワカンダという国の国王が、ソコヴィアの被災地にいるのかがわからなかった。『ソコヴィア事件』から1週間も経っていない。ボランティアや軍、家族・関係者による被災者の捜索活動こそ行われているが、被害者を悼む国王が視察しに来た、というのも信憑性に欠ける。
「少々キミと話がしたくてね。時間はあるかい? 何、
「そこのデリはだめですか? 復興支援の一環にお金を落としていきたいんですけど」
「貴様」
つ、と。レイニーの首元に白銀煌めく刃が添えられていた。
別に検知していたから驚くこともないし、ましてや馬鹿正直に棒立ちになる必要もないのだが、何分横着なレイニーが回避動作を取るわけがなかった。
その刃が、ヴィブラニウムでできていて。
自分の身体に傷をつけられるものであったと、理解していても。
「オコエ」
「しかしっ陛下!」
「武器を下ろしたまえ」
オコエと呼ばれた褐色の女性は、歯噛みしながらも、レイニーの首に添えた武器を下ろした。図々しくも微塵も恐怖心を抱かず、刃を向けられたというのに、軽薄そうに、仕方ないというように両手を上げて無抵抗を示しているレイニーを睨みつける。
「済まなかった…といっても、最初から気付いていたようだがね」
「ええまぁ──敵意はあっても、殺意はなかったものですから。国王陛下の手前、お召し物を汚してしまっては面目が立たないだろうと思いまして」
暗に、殺す気ない癖に何上等しちゃってんの? と言ってるのだが、それを理解したオコエは額に血管を浮かせて奥歯を鳴らすが、当の国王は楽しそうに破顔した。
「なるほど、面白い子だな。イヤこちらこそ失礼した。被災地で傷心中だというのに、女性の心情を察せなかった私の落ち度だな」
「陛下」
「わかってる。そんなに睨まんでくれ、今回は一応オフのはずだぞ」
「それでも〝公務〟の一環です」
オコエが窘めたのは、王としての振る舞いから乖離しつつあるからだ。あまりにもよそ者に対して自ら非を認め謝ることは、王の品位を損なう。いまなお身を隠しているオコエ以外の兵士だっているのだ、民への示しがつかなくなってはいけない。
「オホン…
「…自主的に同行しなかったら、武力行使でも連れていきそうですね」
かつてのソコヴィアの大地が砕け、そこから生まれた隕石で窪んだ大地でも比較的平らなところに、不可視の飛行機らしきものが着陸しているのが見えた。どうやら連れていくことは決定事項のようである。ならば、抵抗してイヤイヤ連れていかれるより、おとなしく従ってイヤイヤ連れていかれる方がマシだろうとレイニーは考えた。
小さく肩を揺らしたレイニーは、いつものインク製のゴスロリ服を肌に纏い、羽織っていた襤褸切れを折りたたんで体内に収納する。
「貴国にお招き頂き光栄に存じます」
レイニーは大人しく、ティ・チャカ国王の要請に応じた。
最新鋭ヘリに乗り、向かうは中央アフリカ。トゥルカナ湖北端に位置する、緑の大自然が広がる──ように見える、ワカンダ国。
Chapter 77
ソコヴィアで私用でお仕事してたらボコられて、ゴミ屑みたいな扱いされたと思ったらコクオー様に招待された件について。
やだ、これだけで小説の一本でも書けそう…頭悪そうで長ったらしいタイトルだけど、そこが惹く! 気がする! きっと書く文章も頭悪そうだから重版出来なんか望めないけど、数十年くらい経って逆の意味でプレミアついて高値で売れそう。ごめん、超小説馬鹿にしてる。自覚はある。
「…ウワー、キレーデスネー」
「ほっほっほ、これからアッと驚くだろう」
現実逃避してあらぬ方向に目を向けるとすかさずコクオー様のキラーパスが来る。わかってるよ、緑豊かで大自然、猿やゴリラや蛇がウッハウッハ楽しく過ごしてそうだなーって
でも、よくわからないけど目に見える景色と、そうでない──別の目で見える景色は、恐ろしく乖離してた。丁度、このハイテクヘリが境界を越えて視界でもワカンダの本当の姿が見えてきた。
「……いい国ですね」
「そうだろう」
ハイテク技術で覆い隠された、まるでSF映画に出てくる未来都市みたいな街並み。それらを一切抜きにしても、ここはいい国だと思った。
ニューヨークやワシントンは、あそこはあそこでいい場所だけど、どうしても路地裏のような、誰かが隠れられる、見えない
それも、今までは薄ぼんやりと「あれ? こういう感じの人かなー?」ってレベルだったけど、最近はいろいろな石の光を吸収してしまったせいか、そういうものがよりはっきりと見えるようになった。人間の悪意や殺意然り、さっきのコクオー様に憑いてた黒猫も然り。
「さ、着いたぞ」
ハイテクヘリが着陸して、一足先に降りたコクオー様が手招きしてくる。槍持ったこわーい女の人たちにギラギラ睨まれつつ(こわい)、まるで純真無垢な女の子のような笑顔を作って、ヘリから降りてコクオー様に続く。ヘリを取り囲むように整列した国民? というより兵士たちがいたけど無視無視! なんだこの出迎え、準備良すぎて逆に怖いわ! この後血祭りにでもあげられるのか私!?
視線にはいっとう敏感なので、それなりの数の好奇な視線がぐさぐさと突き刺さってるのがわかる。見ないふりしてドでかい宮殿に入るコクオー様についてくと、これまたご立派ァな口髭と顎髭たくわえた褐色ダンディなお方が待ち構えてた。あら、コクオー様にそっくり、もしかしてご子息?
「父上」
「戻ったぞ息子よ。紹介しよう、第一王子ティ・チャラ。私の息子だ」
「お初御目にかかります、ティ・チャラです。ワカンダへようこそ」
やば、この国での最敬礼知らないわ。アフリカってどういう仕草だったっけなー。胸の前に両手クロスする奴だっけ。こう、フォーエバーな感じに。
「どうぞこちらへ、リトルレディ。ワカンダは貴女を歓迎します」
こういうとき、ミーハーで異世界トリップした女性だったら、唐突な姫プレイに大歓喜で舞い上がって浮かれるんだろうけど、残念なことに今の私にはそんな気力さえない。
いや、確かにオージ様に女何人も落としそうなスマイルされたらコイゴコロ? がどっかーんってバクハツして…ええと、どうなるんだっけ? そうヒトメボレってやつだ、それになるんだろうけど…うん、私には無理だ。
火薬の臭いこと百億パーセント、こんな地雷臭しかしない招待で喜べるわけないでしょ! 何されるのよホント!? あっスティーブたちに連絡してないや、どうしよ。ま、いっかぁ。
引き攣らせないように笑顔を象ったまま、オージ様に案内されると、豪華絢爛という言葉が正に似合うような広い部屋に辿り着いた。部屋の真ん中にはいかにも南国ゥ~な感じのフルーツや料理の品々がドでかいテーブルに所狭しと乗せられてる。あっこれもしかしてコクオー様の誕生日? ビュッフェスタイルとは気前いいっすね、ケーキは無いんですか!(キレ気味)
「あの」
「うん? どうしたね」
「……もうすこし、落ち着ける場所がいいかなぁ、なんて」
チェンジで。と言わなかっただけ褒めてほしい。
ファインプレーどころかパーフェクトリー。流石に『ムトゥ 踊るマハラジャ』にでも出てくるような派手な場所でおしゃべりできるほど私も肝座ってない。
え? トニーの趣味に慣れてるって? アレまだ控え目な方だし、派手さのベクトルが違うよ。別に楽しく食べて飲んで話す程度ならいいんだけど、今回呼ばれてるのって単にパーティーの人数埋め要因ってわけでも無さそうだし。
…無いよね? 流石にオージ様とかコクオー様とか、コウゴー様とかどえらい人が誕生日とか、建国記念日とかそういうのじゃないよね!? もしそうだったら私不敬罪に問われるんですが?
「そうか…父上、客人に気を使わせては元も子もないでしょう」
「それはそうだが…折角の客人だぞ? このワカンダに招待した初の客人だぞ? できれば総出で盛り上げたいだろう、溜まってる資金だってこういう時にパーっと使わねば、国の経済は回らんからな」
「父上?」
「覚えておくのだ。〝国は体、金は血液〟…いくら
実はわかってないでしょこのコクオー様。いやわかっててやってるんだなこの人。見た目以上にお茶目が過ぎるぞぉ。
ワカンダの文字はまだ完全に覚えきれてないからわからないけど、どうやら記念日のパーティーらしい。送迎は例の近未来的な車でしてくれるそうで、国民誰もが参加OK。それでもみすぼらしい格好の人がいないのは、正にコクオー様の言ってること有言実行されてる証か。本当にすごいな。
いや、鎖国下にある国であれば国民の全員を把握することは難しくないかもしれない。子を身籠ったなら援助を惜しまず、手厚い支援体制が整っていれば子は健やかに育ち、やがて次代を担う国民になる。自然と愛国心も生まれ、身も心も国に捧げたいと、愛される国になる。
少なくとも、この現代でそれを実行している国はない。このワカンダ以外は。
先の国全体を覆う光学迷彩然り、外界との接触を最低限に抑えることで生まれた文化というべきか。アフリカなんて発展途上国も甚だしいと侮蔑されがちだけど、ここの技術は先進国以上──
「ここならば問題あるまい?」
「エッあっはい、そうです、ね…?」
大広間の次に案内されたのは、庭園のような場所だった。大広間ほどではないが、それでも貴族然とした高価そうな調度品とかあるし、明らかに座るのも躊躇われる椅子とかあるんですが。
ああ、そっか。私は見つかった時点で、既に喉元を噛みつかれてたのか。つまりこの国は獣の腹の中、あとは消化されるだけ。
そんなー、せめて『注文の多い料理店』みたいにある程度段階を踏んだ告知看板くれ。一枚目で速攻逃げ出すから。ピンポンダッシュどころかノーピンポンで逃げ出すから。
「気を楽に。いま飲み物をお持ちします」
違う、これ気遣いじゃなくて私への注文だよ。
確かに遮蔽物もないし、そこに人影もないから盗み聞きされる心配もないってコンセプトなんだろうけど、如何せん圧倒的場違いなゴスロリ女がいて異物感半端ない。仕方ないじゃん、ワカンダの
「どうぞ」
「……どうも」
侍女らしき従者が持ってきたティーセット。オージ様自ら注いでくれました…銀食器とかじゃないからわからないけど、毒とかないよね? いや別にあっても私には意味ない物なんだけど。寧ろ銀食器かと思ったらヴィブラニウム製でしたーって方が困る。多分飲んだら喉辺りがイガイガ起こして、風邪に似た症状出る気がする。
ティーカップを傾ける。生憎、味覚はあっても未知の飲み物への理解はなかったりする。それでも、カフェインこそないけど明らかに高級茶葉であることは分かる。値段は聞きたくない、聞きたくないよ! 製作過程とかそのあたりもね!
「……さて、落ち着かれましたかな」
「ええ、まぁ、そうですね」
インクの悪魔になっても〝緊張〟という
心の中でベンディと自問自答していると、席についていたコクオー様から話を切り出し始めた。
「それでは、本題に入りましょう。実は…貴女に、探してほしい人がいます。その捜索を一任したい」
「……もう少し詳しく」
「資料はこちらに」
コクオー様は宝石が嵌められたブレスレットを外してテーブルの真ん中に置く。キヨモ・ビーズというものらしい。宝石が光ると、私たちがよく使う空間投影型のディスプレイが浮かび上がり、その人物の写真とデータが開示された。待て、こいつ先日見かけたぞ。
「ユリシーズ・クロウ? 何故彼を」
「彼が武器商人だということは知っていると思う。彼は、30年前に我が国に侵入し秘密裏に重要資源を盗み、多くの同胞を殺害して逃亡、今や
「ヴィブラニウム、ですね。しかし、此度の『ソコヴィア事件』で彼の貯えていた資源は根こそぎ奪われ、そして失われました。ならば再び密入国して奪ってくるときに拘束すればよいのでは?」
「いや、別に我が国に入らなくても、彼はヴィブラニウムの在処を知っている。古の時代に作られた調度品や、以前蛮族が国を攻め入った際に流失した武具、防具。それらにはヴィブラニウムが含まれている。彼はその鑑別が可能だ。ヴィブラニウムが市場に出回り悪人の手に渡るのは、キミたちとしても避けたい事態だろう。『ソコヴィア事件』の二の舞になりかねない」
残念なことに。
残念なことに、そこを突かれると強く拒否するのも難しい。まぁ拒否する気は無いし、それでこの国との繋がりが生まれるのであればメリットの方が大きい気がする。
ただ、できればスティーブやナターシャさんとかと相談してから、そのうえで引き受けたいけど。
「それと、もう一人…」
「父上?」
オージ様が訝し気に顔を歪める。これはオージ様も知らない案件だな? 嫌な予感しかしないんだけど。
次に、端末を操作して出された情報には、顔写真がなかった。
ただ、〝ウンジョブ〟と綴られた名。そして〝〜1992〟──既に死亡していることが確認されている。死人を探せと?
「……彼は、私の弟だ。既に亡くなっている」
「…クロウの被害者ですか?」
「いや、協力者だった。クロウと結託してヴィブラニウムの密売に加担していた。そして……我々が、殺してしまった」
「そんなことが…」
この反応、これは多分オージ様も知らされていないこと。
つまり? 国の重要機密と遜色ないレベルの情報ってことでしょ。なんでそんなことを私に。
「彼には…いや、これは
「…ちょっと、ちょっと待ってください。もしそれが仮に本当だったとして、国王様の弟のご子息だとしたら…」
言うことがわかったのか、目が合ったオージ様も緊張を噛み締めていた。
彼は王位の第一継承権を持っている、でも、話を聞く限りワカンダは世襲制。となると、そのご子息を見つけてしまった場合、次期王位を揺るがしてしまうのでは? やだよ国の崩壊を招く片棒担がされるのは。
でも、それを現国王が望んでいる? 矛盾している。
「……私はもう現役を退いた。後先短い老いぼれだ。でも、だからこそ、死ぬ前に私自身の罪と向き合いたい。
清算できなくたっていい。だが、もし弟の忘れ形見が生きているのなら…彼にも、我が息子と同等の権利を持っているはずだ」
「…おっしゃってることの意味を、理解して言ってるんですね? もしその忘れ形見を見つけてしまったら、次期国王がご子息ではなくなってしまうかもしれないんですよ」
出会って数時間程度ではあるけど、オージ様…ティ・チャラ氏の佇まいといい振る舞いといい、次期国王としての英才教育を受けてきたことは分かる。
対して、30年以上も放置されていた遺児に国王が務まるかと言われれば、NO!
国政の何たるかを理解せず、国民への労りも、他国との折衝も知らずに務まれるものじゃない。下手したら国が瓦解する。
それは、
何より把握し、理解してしまった。
クロウが持ち出した〝微量の〟ヴィブラニウムでさえ
…まぁ、世界が滅んだところでインクの悪魔が滅ぶわけでもなし、私自身には何の影響もないんだろうけど。
アベンジャーズとして、いま、この時期に、世界の崩壊が起きるのは看過できない。地球外で狙ってる連中がいるのに、内側から崩壊するなんて冗談じゃない。
「確かに、弟は大罪を犯した。だが任意同行の際の不手際で殺めてしまった我々にも落ち度がある。それに、産まれた子が親の罪を背負う必要はない。権利があるなら、その正当性は尊重すべきだ」
産まれた子に、罪はない。
それは、そうだけど。
──まだ、私の手には
彼は、産まれたときに呪われてしまった。
でも、人間の赤子は違う。親が犯罪者だからといって虐げられていい訳がない。犯罪者の子が犯罪者? 親と子は別の生き物でしょ、育つ環境も時代も変われば考え方だって千差万別。そんなレッテルを貼られて生きた方が、より強大な悪になってしまう。
偶発的に生み出されてしまった不幸な悪意ならともかく、産まれたときから染みついた悪意を吸い出すのは、多分私でも難しい。
人間は変われる。変わることは難しいし簡単ではないけど、本人の気付きと力で。或いは本人を取り巻く環境か、もしくは気付いた誰かが。
後悔とか、負い目とか、恥ずかしさとか、そういうのを取っ払って前に踏み出せば、人間はきっと変われる。コクオー様…ティ・チャカ氏は、自分の罪に向き直って、踏み出した。
「それに、キミには見えるのだろう? 我々の守護霊が」
「──まさか、彼女は、我々の神
シリアスから一転、やや茶目っ気のある風に言わないで。というか、私を呼んだのはそれが理由か。あれ猫じゃなくてヒョウなんだ。ネコ科だから一緒っちゃあ一緒か。
このワカンダという地勢の独自の風土かは不明だけど、コクオー様同様にオージ様にも同様の〝黒猫(?)〟らしきものが視えてる。でも、いままで彼ら以外の国民にそれは憑いてなかった。
共通点は一つ。恐らく血統による王位継承権。
どの石かは…多分、マインド・ストーンだ。その石の力のせいで、彼らの守護霊とやらが観測できるようになってしまった。ヴィジョンやワンダにもできない訳ではないと思う。
だから。
だからこそ、私にこの件を依頼しているのか。
「無論、この依頼を引き受けてくれれば、我が国はアベンジャーズへの支援を惜しまない。世界を脅かす危機から守る尖兵として、喜んで傘下に入ろう」
「…それはつまり、当国は鎖国状態を解いて国交を開く、という見解で?」
「うむ、そうだ。我が国は長年鎖国状況下にあったが、豊富な
なら話は早い。返答は決まってる。
「謹んでお断り致します」