パラサイト・インクマシン 作:アンラッキー・OZ
くくりとしては2015の章ですが、実際には2016でシビルウォーよりちょっと前のお話ということをご了承ください
「すべての人間はみな世界の敵たりうる可能性を秘めているんだ。人間というのは起爆剤のようなもので、ちょっとしたきっかけですぐに
Chapter 84
『ソコヴィア事件』から半年が経過した。
ソコヴィアへの復興は、継続的にNPOなどによる組織や有志の国際ボランティアが派遣されており、国連の温情に与る形ではあるが徐々に復興の様相は見せ始めている。ニューヨークと比べれば遅々なものだが、それでも救われている元住民は少なくない。
一連の事件は『ウルトロン』というアンドロイドの暴走によるものだと発表されてるが、アベンジャーズを諸悪の根源とする声も多く、責任追及を求める声も少なくない。その煽りは、当然ベンディ・アニメーション・プロジェクトにも降りかかった。
直接的ではないとはいえ、社長たるユカリ・アマツ──ヒーローネーム:ベンディの関与は認められているため、アニメなんぞ作ってないで支援でもしろという声があったのだ。
これに猛反発したのがプロジェクトスタッフだが、中でも怒り心頭だったベックを筆頭に彼らを抑え、レイニーは公式にアニメ上映の際の数%の売り上げをソコヴィア復興費用として寄付することを発表。
そうでなくても、スタッフに止められても聞かなかったレイニーは既に莫大な復興支援金をソコヴィア政府に譲渡している。これは、アベンジャーズの総意でもあった。せめて資金提供だけでも、と考えたスティーブが声を発したのだ。
何分、ソコヴィアの復興中であっても国際犯罪は絶えず、アベンジャーズの活動は現在進行中。またいつHYDRAの残党が動き出すかわからない今、常に監視の目を光らせて世界中の動向を探り、時には現地へ赴き討伐に勤しむのが現状だった。
無論それだけでなく、トニーやソー、バナー、クリントなど一部メンバーの活動休止を受け刷新された新アベンジャーズメンバーへの、実践へ向けた訓練やチームワークの形成も急務である。いざというときに連携が取れない様では話にならないからだ。このような経緯もあって、事件直後のレイニーの居残り以降はそう簡単に人員を割くことができない。かつてのS.H.I.E.L.D.全盛期と比べれば見る影もない、しかし正義を志す有志が集いアベンジャーズを支える組織への加入を希望していたため、少しずつではあるが支援体制が整いつつある。
資金繰りに関してはレイニーやトニー、マリアなど組織財政に長けた三人が書類とにらめっこして2日ばかり唸りながら取り付けた。金銭管理に関してあまりに勝手が過ぎるトニーを同席する意味について何度も話に取り上げられたが、S.H.I.E.L.D.崩壊後の資金援助がいまのところトニーの懐に余らせた金以外になかったため、同席せざるを得なかったのが現実だった。因みに同席していなければ数時間で終わっていたであろう案件である。トニーの茶々は控え目に言っても余計が過ぎた。
「社長、お電話です」
「誰から?」
「お相手ビックリ、あのハルクですよハルク! まぁバナー博士なんですけどね」
レイニーは会社でいつものように書類業務をこなしつつ、アニメーションの声優オーディションの履歴書に目を通していると、スタッフの一人が一本の
内線に、とサインを受けたレイニーは書類をデスクに纏めて置くと、備え付けの受話器を取り内線に繋ぐ。
「はい、もしもしレイニーです」
『ああ、レイニーか繋がってよかった。僕だ』
「知ってるよ、バナー博…じゃなかった。
『おいおいやめてくれ、いつも通りバナーでいいよ。いや、博士って呼んでくれてたっけ』
バナーとナターシャは、結婚した。
結婚、と言ってもあくまでも仮だ。苗字は変えてないし結婚式も挙げていない。
『ソコヴィア事件』から数週間が経過し、新アベンジャーズ基地から二人揃って出かける日が増えたのだ。勿論外出する時間帯は
そしてある日、帰還予定時刻になっても帰って来ない日が訪れ、レイニーが
ワンダ、サム、ローズらは驚き、レイニーとスティーブはハイタッチ。心が読めるヴィジョンは知ってたようだが、それが意味するところを人間の価値観で捉えることができなかったようで、その点に関してはレイニーがお説教という名の情操教育講座を開くことになった。
なにはともあれ、メンバー全員が二人の結婚を祝福した。
ただ、ベッドの上ではバナーが下だとか。流石にハルクにならなければ肉食系のナターシャには勝てないようだ。
因みに腰を据えたバナーは研究員の室長として今後アベンジャーズを支援していく予定であるが、対してナターシャはまだアベンジャーズとしての活動を継続中である。理由は二つ、バッキー・バーンズの件が片付いていないことと、
現在は拠点こそニューヨーク北部の新アベンジャーズ基地に身を置いているが、時たま二人で外出してニューヨーク郊外のオープンハウスを見に行っている。将来的にはそちらに住むことも考えていた。
「それで、何か緊急の案件? それともおすすめの一軒家無いか探してる? クリントさん宅みたいな」
『あー…それも探してるんだけど、ちょっと問題があってね…ホラ、僕ってハルク。歩く核爆弾みたいなもんだろう? 軍の監視下なしの場所に住むのはダメだって言われて』
「…は?」
びしり、と社長室に黒の罅が走る。スタッフの背中に冷や汗が流れた。中心にいるのはレイニーだ。
人間の場合、怒りという感情から発露された表現は顔や暴力行為、不遜な言動などで現れる。レイニーの場合、顔はいつものような薄笑いだが体の一部のインクがやや暴走状態だった。
その怒りは〝すこしキレた〟程度のものだが、体外から溢れ、部屋の壁を這い、伝い、侵食し、衝動のままに喰らわんとするベンディの所業に相違なかった。
社長になっても、インクの悪魔の猛威は健在。
「それ、誰が言ったの」
『…ロス長官だよ。サディアス・E・〝サンダーボルト〟・ロス長官。昔、僕が暴走してた時に追い掛け回してた将軍だ。今は退役して国防長官に就いてる』
「……へぇ」
そういえばそんなこともあったっけ、とレイニーは極めて冷静であるよう努めながら、無意識に冷たい声音で返す。
確かに、ハルクに暴走する可能性がある以上は、新アベンジャーズ基地のような防備が完全、かつスティーブやレイニーのように単身で暴走を抑制できる存在が常にいる環境が望ましい、という意図は、流石のレイニーも理解できなくはない。
だが、それを考慮しても個人の住環境の云々を一介の国防長官が口出ししていいかと問われれば、レイニーだったら「No! No! No!」と答えるだろう。ついでに唾も飛ばして中指突き立てる。
「ちなみに、ナターシャは?」
『あ~…いま、割とガチでロス長官と話し合ってる。僕は会議室から追い出されたんだけど、二人の剣幕というか、怒声がヤバくて〈ガシャン!〉あ、』
この問題はバナーの人権だけの話ではない、共に住むであろうナターシャにも影響のある事案だった。そして当然、控え目で奥手なバナーに対してナターシャは行動的なわけで。
『──何でいちいち決める住居を口出しされなきゃならないの!? 国防長官になってもまぁだ超人計画潰された逆恨みしてるとか男としてダサいわ! くどい!』
『いい加減にしたまえ! 万が一ハルクになったとしてキミに止められるのか! 周囲に被害を出さずに、無傷で、安全に! 私はキミたちの安全を考慮しているのだよ! 自由を求めるには義務という対価が必要なのだ! キミにはその義務を行使するための実力があるとは思えんがね!』
『できるわよ! 被害なく、無傷で、安全に! 知ってる? 彼ベッドの上じゃ私に乗られて大人しくなるのよ! そして情けなく鳴くの! ハルクだって私の上に乗れやしないわよ、私の女としての器を舐めないでほしいわね!』
『ベッ…!? は、破廉恥ではないかね!? え!? というかもうそこまで、そういう関係だったのか!? いやそうではないッハルクを付け狙う反社会勢力は水面下にごまんといる! もし攻撃対象になったとして、キミは彼を! …あ、いや彼はどうでもいい。周りの人々を守れるのか!?』
『できるかできないかじゃない、やるのよ!』
「……うわ、凄い聞こえてくる」
『ごめ…もう、これ以上…男としての威厳が…タスケテ』
「あ、うんそうね…カワイソ」
受話器越しに聞こえる二人の討論に、流石のレイニーも同情した。会議室の扉越しでも受話器で音を拾えるほどなのだ、恐らく会議室と同じフロア──下手したら基地全体までこの言い争いが響いてる可能性は高い。イコール、バナーの男としての矜持が他ならぬ
これは、緊急事態だ。
決して
男の沽券云々もあるが、もしこのまま暴露大会が続きバナーのガラスのハートが粉々に砕かれて怒りのままハルクが暴走するなら
無論、一生ハルクにならなくなることは悪いわけではない、ロス長官が紛糾しているのはその点だからだ。だが、ハルクが肉体的にバナーと密接状態にある以上はいくらショックで発現しなくなってもまたいつハルクとして暴走するかがより分からなくなるだけであり、潜在的な危機が去ったわけではない。加えて、先にロス長官が追及したように、テロ組織などが私宅で休憩中のバナーを鹵獲して血液採取など研究材料にされ、最終的にホルマリン漬け、なんちゃってハルクが大量生産される可能性だって捨てきれない。
それは、誰もが望まぬ未来だろう。
「……わかった。ロス長官ね、今まだ基地にいるわよね? もうちょっと待っててもらってくれる? 私が行く」
『あ、うんありがと…』
「あと、博士ってパスポート持ってたっけ。無かったらパスポートと旅行用の荷物準備しといて」
『え? なんd』
最後まで聞かず、レイニーは受話器を置いて通信を切った。
がっくりと首を直角に曲げて項垂れ、はぁと深いため息をつく。
ごめんなさいスタッフさん、今日早退しますよと。
重ねてごめんなさいスタッフさん、しばらく外国行きますよと。
そう伝えることに、若干の申し訳なさを感じながら。
それとはまた別のことに、レイニーは頭を悩ませた。
「……師匠んとこ行くかぁ」
Chapter 85
「たのもー、白熱するお二人に清涼剤をお届けするレイニーちゃん登場だよ(棒読み)」
「レイニー!? このクソトンチキ分からず屋に言ってやって! 余計なお世話ですよって!!」
「だからキミがそういう態度だから私も引き下がるに引き下がれんのだわかるかね!? そもそもKGBの頃のッ」
「はいはいどぅどぅ落ち着いて。話を整理すると、博士はハルクとして暴走する危険性があるから軍の監視下から外れない場所に置いておきたいってのが、ロス長官の主張ですよね?」
「その通りだ」
「で、ナターシャの主張は軍の監視下なんて堅っ苦しいところに住んでても公開セックスになるだけでプライバシーの欠片もないから自由にさせてってことだよね?」
「セッ…!?」
「その通りよ!」
「ロス長官、絶句してるようですがつまりはそういうことですよ。プライベートハウスを監視されるってことは、当然部下に出歯亀になれと命じるようなものです。多分隊服がイカ臭くなりますよ、ナターシャさんエロいから」
「なッ…いや、あ~それは、というかキミの見た目で平然と言われると恥ずかしいんだが!?」
「それじゃオブラートに伝えればよかったですか? あぁオブラートなんて別のこと考えてそうですね、避妊は大事ですけど」
「~~~っ…ハァ…そ、それで、この問題に何故キミが介入するのかねレイン・Y・コールソン。いや、ユカリ・アマツとでも呼べばいいか?」
「どちらでも。私が派遣されたのは博士の男としての沽券を守るためと、二人の将来の安寧を実現できるかもしれない案を提供するためです」
「何?」
「…何か、案があるのかいレイニー?」
「うん。ええと、とりあえずこの案を実現するために博士の監視を一時停止していただけますか? もしくは、監視付きでも構いませんが国外への渡航許可を。以前ハルクとなった彼を追い立てて迷惑被った過去があるんですから、それくらいいと思いますが」
「国外? 何するつもりだ」
「つまるところ、博士がハルクを完全制御できて安全が保証されればいいんですよね」
「…できるの?」
「以前、クリントさん宅でやった力のコントロール方法あったでしょ? おかげで博士は博士としての意識を保ったまま、体の一部分だけをハルク化することができた。ちゃんと段階踏んで修行すればコントロールは不可能じゃない。私の師匠のところにいけば確実にできる」
「…そういえば、そんな報告もあったな。で、その修行の為に海外へ行く必要があると。場所は?」
「別に国外に出る必要はないかもしれませんが、ニューヨークの支部でできる修行でもないと思います。本拠地は言えません、秘密ですから。なので、もし監視付けるなら長期監視が可能で、忍耐力が高くて、多少の非現実的なものも受け入れられるエージェントを付けてください」
「…なんだ、その注文は。まるで超常現象が発生する奥地にでも調査するみたいな選定だな?」
「実際超常現象を目の当たりにする場ですから。あと向こう送られたらエージェントなら合法美魔女にコキ使われますよ。外道レベルのスパルタなんで」
「……? レイニー、足元熱くない? 光ってるけど」
「ん? あ、うわあ
あ
あ
ぁ
ぁ
ぁ
:」
「「えっ」」
「え、レイにぃ
い
ぃ
わ
あ
あ
あ
ぁ
ぁ
ぁ
:」
「……えっ」
「…コレ、キミが?」
「違うわよ」
「だな…」
「……」
「……」
「……コレ、どう報告するの?」
「足元に突然発生した光の穴に落っこちて
「いい気味。あら、メモ用紙…何々? 〝しばらく二人を預かります〟ですって」
「誰が」
「差出人書いてないわ。残念」
Chapter 86
「初めまして、ブルース・バナー氏ですね。私のことはエンシェント・ワンと。こちらに」
…説明しよう! 僕とレイニーはニューヨークでロス長官と話してた筈なんだけど、足元にぽっかり穴が開いたかと思ったらまったく違う場所に落っことされた!
何を言ってるかわからないと思うけど、僕にも荒唐無稽すぎて上手く説明できないよ…幸い、目の前のスキンヘッドの女性は常識人っぽい顔してるけど、どことなく気が休まる部屋だけど…うん。
「あっ──たす──助けっ──ぇぅ──何でぇッ───!?」
「貴女にはお仕置きです。ウォン、目を離さぬように」
「御意」
大きなタイヤ…みたいなものに四肢を括り付けられて、目で追うのも困難なくらい高速回転させられてるレイニー。止めようと思ったけど、そもそも止め方わからないし意図も理解できないから静観するしかない。
ごめん。レイニー。恩を仇で返すみたいな形でほんとごめん。
「えっと、彼女に何を?」
「お仕置きです。部外者に我々の存在を広めることは本来禁忌ですから」
「嘘つけ! 外道スパルタで合法美魔女って言ったからでしょ師匠! 大人げない!」
「…あと200回追加で。スピードも上げてください」
あっ。
「ぁあああアアアアアああアアアアッ!? たッ──け──ッ―!!」
凄まじい回転が再開された。全身ばらばらになるんじゃないかってくらいすごい。というか、どんな原理で回転させてるんだ? 動力も発電機構も歯車もない、ただそこの太ったおじさんが手を翳してグルグル手を振ってるだけなのに、それに連動して回転してる……まさか、超能力?
いやぁまさか、と鼻で笑いたいけど…ハルクとかソーとかベンディとか宇宙人とかマキシモフ兄妹とか、そういう超常は見慣れてるから、あっても別に不思議じゃないか。
不思議なのは、レイニーがここを知ってたことだけど。
「ごめんなさいと、一言言えばよろしいのに」
「えぇ…あの状態じゃ何言ってるかわからないんじゃ…」
「いいえ、分かりますよ? それに謝罪の意思がないこともわかってます」
それは多分、精神的な部分を読み取れているってことかな?
流石にレイニーだって自分が悪いと思ったら素直に謝るはずだけど…それでも謝る気がないってことは、相当仲悪いんだな…この人と。
「さて、
脅しじゃない。純粋な、彼女から発せられる
でも、ダメだ。ここで尻込みなんてしてしまえば、僕は踏み出せない。前に、進めない。
それは、僕のことを考えて、体張って連れてきてくれたレイニーの思いを裏切ることになる。
「……僕は、長年この力と付き合ってきた。ですが
「……なるほど、動機にはやや不純なものもあるようですが、その志は立派なものです。いいでしょう、当院の門下生として滞在することを許可しましょう。詳しくは彼に聞いてください。
「はっ」
おっと! 急に眼の部分を布で覆った男が出てきた。
これからここにいるんじゃ、こういうことにも慣れなきゃいけないんだな…さぞ、心臓鍛えられることだろうね。
「ストレンジの部屋へ。良い出会いとなるでしょう、多少の刺激にもなるはずです」
「御意」
こちらへ、と言われて彼女──エンシェント・ワンの部屋から退室した。
指示された男の後ろを着いて行ってるけど、まるで歩みに淀みがない。盲目って訳じゃないのか?
「…あの、貴方は目が見えてるんですか?」
「ん? ああ、失明したのは数年前だがね。幸い師が師事してくれたおかげで、ある程度は
「それは、事故でですか?」
「事故……そうとも言えるかもしれんな。だが、これは私自身が招いてしまった不手際なのだ。私が、師の真意を理解せず疑ってしまった結果。だが、師はそんな私を救い上げてくれた。破門にされても…いや、殺される処罰であってもよかったのだ」
…何やら、エンシェント・ワンとの間で問題があったみたいだ。それに僕が首を突っ込んだり無理やり聞き出したりするのは、流石に野暮ってやつだろ。
案内された部屋をノックして入ると、そこには先客がいた。
ここ──どうやらネパールらしい──では珍しい、色白の肌に無精髭を生やした男。読みかけの本のページを捲る手はぼろぼろで、痛々しいものだった。
「彼は? 白人のようだけど」
「ああ、彼は新入りのミスター・ストレンジという。ほら、挨拶しろ」
「……なんだアンタ。まさかこいつと同室? 冗談じゃない。もっと部屋空いてるだろ」
「幸いここはWi-Fiが通ってる唯一の宿舎だからな。最近司書係のウォンのところから本が紛失する珍事が発生しているようだが、心当たりはないかね」
「……さぁ? 私に心当たりはないね」
「そうか」
「……はぁ、わかったよ。
「ブルース・バナーだ」
「知ってる。ハルクだろ? 夜に暴れ出すのだけはやめてくれよ、暴れたときは問答無用で冬山に置いてってやるからな」
「それはまだできんだろうお前」
「もうとっくにできるようになったさ!」
差し出された手を握ったけど、握手の手は震えてた。
やっぱり、彼の手は神経系にかなりダメージが及んでいる。それこそ、本を持つことすら難しいレベルまでに。再生クレードルなら可能だろうか…? いや、彼は外科医と言っていた。たとえ壊れた神経系を新しいものにしたとしても、外科医としての手は永遠に戻らないだろう。
彼も、ままならない現実をどうにかしたくてここへ来たのか。
「随分じろじろ見てくるな」
「あっ、そんなつもりは、無かったんだ…ごめん」
「別にいい。観察眼は話通りだな、あまり人の過去にズカズカ踏み込もうとするのは感心しないぞ? ま、そういうことだ…貴方みたいに力を制御したくてここに来る奴もいれば、私みたいに失ったものを取り戻そうと流れ着く奴もいる。なんでも
「善処するよ。ん…話通り? 誰から?」
「よく病んだ患者を届けに来てたガキンチョだよ……ああ、もうあいつには会うことも、無いだろうけどな」
なぜだろう、僕はそのガキンチョとやらを知ってる気がするし、彼の直感はすぐに裏切られる気がしてならないんだけど。
「……ところで先程から聞こえる、この品性に欠けた悲鳴の主はキミの連れか? 耳障りで仕方ないんだが」
「あー彼女は僕を紹介してくれた人で、」
「ちょとっとっそこどいてぇえええええええええええ!!」
「「え、」」
タイヤに括り付けられてぐるぐる回るレイニーが飛び込む光景と、頭部に響く激痛の感覚を最後に、僕は気を失った。
とても、幸先不安なスタートだ。
Chapter 86
「あ…ヴぁあああ…はぁあ…しぬ、しんだ、しんだかとおもた…」
「中々粘りましたね」
「鬼か!? いや鬼だわこのクソ×××、××…××××…!」
「まだ回されたいならそう言ってくれれば」
「ごめんなさァーい!」
「素直でよろしい」
この女郎いけしゃあしゃあと涼しい顔しやがって…と、思ったら精神体剥き出しの今じゃバレバレだから思わないようにしないと。危ない危ない。この状態じゃ思考するだけでも意思が伝わるから何が起こるかわかったもんじゃない。
「…なんで、私とベンディを分離させたんですか。そんなに彼に聞かれたくない話でも?」
そう、今の私はレイニー・コールソンという単一の精神体のみの状態。インクマシンを核とするベンディや他のインク云々はウォンさんが持ってきた瓶に詰められてしばらく保管されてる。だいぶ手間かけられたというか、マジで遠心分離された気分だから脳味噌シェイクで発狂するかと思ったのに、逆にスッキリしてる。なんでだろう?
それに、私はベンディの憎悪と継ぎ接ぎで再構成された筈なのに…ああ、だからこんな、不安定なのか。
『手』とか『足』とか、そういう体の部位を、正確に認識できない。足がボヤけて上半身だけやけにハッキリしてる亡霊よりも成り損ないの精神体だ。
「ところで、この前のおじさんは? 」
「彼は人気のない安全な場所に匿っています。この世界に影響を及ぼす危険な存在ではありますが、彼自身の脅威・実害は皆無です。事情聴取の後でしかるべき場所へ連れて行きました。監視は継続中ですが」
「へぇ、そうですか。あのおじさんソーのお父さんらしいですけど何かあったんでしょうか。それに…」
アリスではなく、私そのものを恐れていた。ように感じられた。
でも、師匠はそれに関しては教えてくれなさそう。
「新しい人いましたね。というか、ニューヨークで見た顔でしたけど」
「ストレンジです。彼は事故に遭い両手の自由を失いました。別の患者の伝手を頼りにここへ訪れ、修行を積んでいます。学習意欲があり、修行にも真面目に取り組んでますね。性格に少々難ありですが」
へぇ、そんなことが。人生何があるかわからないもんだなぁ…その筆頭たる私が何言ってんだってツッコまれるだろうけど、こんなの世界中にありふれた無数の不幸の一片でしょ。自分を特別だと思うのは最も愚かで危険な思考回路。
それにしても、医者って全員
部下を左遷させるときは『ニシンは好きかい?』で、
手術費請求する時は『メロンです領収書です』だっけ。
「貴女は一度、タイム・ストーンの力を行使していますね。大規模に、それこそ貴女に蓄積されたエネルギーの殆どを放出するレベルで」
「え?」
「気付いてなかったのですか? 2年前に使った痕跡がありますよ、例のアニメスタジオです」
「…ジョーイ・ドリュー氏の家?」
今まで、私は自分の中に吸収された石の力を意識的に使った覚えはない。
意識的にはないってだけで、もしかしたら無意識に使ってしまったかもしれないってこと…? まぁマインド・ストーンみたいに既に感覚野に追加されてしまった機能とかもあるけど。やば、使うなって師匠に言われたのに約束破ってしまった。折檻コースはもう勘弁!
「あの時、貴女はあの家の狂った時間軸を直しました」
狂った時間軸?
……そういえば、タイム・ストーンとやらの石の光って緑色だったっけ。あのよくわからない現象…ジョーイ・ドリュー氏の家が空き地になる直前、私の中にベンディの全てが
あれが、タイム・ストーンの力が作用した証ってこと?
「
あの惨劇の
二人目の声? あのとき聞こえたのは、件のジョーイ・ドリュー本人と……
「ああ、これで、オレは安心して逝ける」
「ここに来てくれて、ありがとう」
あっ。
「その声が、
そうだ。
そうだった。てっきり、自分の意思で家を探索していたのかと思ったけど、あのときの私はベンディの殺意を抑制するので手いっぱいで、それ以外のことは考えてなかったし、
じゃあ、あのときの私を動かしたのは誰なのか。
「…それって」
「ええ。ベンディの創造主、ヘンリー・スタイン氏でしょう」
…ああ。
そうか、じゃあ、ヘンリー・スタインはあのときまで、永遠に魂をアニメスタジオに囚われ続けていたのか。
輪廻転生、なんて信じるつもりはないけど。その魂はきっと、彼岸まで辿り着くこともない。記憶も肉体もゼロに戻して新しい人生を歩む、なんてこともできないほどに、肉体を失って、精神を擦り減らして、魂も摩耗して。
それでも、
「確かに、ヘンリー・スタイン氏の過失も、ベンディの存在も赦されるものではありません。ですが、貴女の手で彼の魂を救ったことは称賛こそされても叱責されることではないでしょう。無論、ベンディがどう思うかはお察しでしょうが」
「…間違いなく怒り狂いますね、癇癪起こして暴走…いえ、どうでしょう? 彼も成長しているし、多少は」
「いいえ、悪魔に『成長』という概念はありません。人間の憎悪や欲望を嗅ぎ付け、不釣り合いな対価と引き換えに歪んだ夢を実現して不幸を喰らい、人間を弄ぶ邪悪なる存在です。それは勿論、貴女も例外ではない」
──そう、生態系の頂点が人間であるならば、人間限定でその生態系の一歩上に立っているのが悪魔。
人間が生み、人間なしには生きられず、人間を破滅に陥れ不幸を嗤う、超常にして邪悪の存在。それが悪魔。
だけど。
「…であれば、私も同様に人間を不幸へ導く邪悪な存在、ということですよね? でも、私とベンディは好き好んで誰かを破滅させようとしてないし、それを好んでもいない。これは成長…とは言わずとも、ある程度の『変化』と言えるのではないですか?」
「
……まぁ、予想はしていた。
『ソコヴィア事件』でソーが見た
つまりは、
オマケに
であるならば、私は死ぬべきなんだろうけど…単純に私が自殺すればいい、って話でもなさそう。それに、まだ解決していないこともある。
私の母…違う、エニシ・アマツという存在の謎。
「エニシ・アマツって何なの?」
「貴女の母君の名前です」
「違う、そういう意味じゃない」
「それは、貴女自身が知るべきことです。私が口出しすることはできません」
「師匠は御存知なんですか。かつてのエニシ・アマツと、今のエニシ・アマツを」
「ええ、
この次元…?
ええと、どういうこと? 知ってるだけなら人伝で噂を聞いたとかそういうことになるけど…そういう訳ではない? でも会ったことないって言ってるしなぁ…魔術的なことは未だに理解できてないところもあるからね。数年単位で修行してたのに、師匠の言うことが理解できない部分も多い。
なろう系主人公でもないので!
「目に見えるものすべてが真実とは限りません。故に、貴女が考えたことすべてが正解とも限りません」
「……結局、また調べ直せってことでしょう? 真実を知ってるのに教えないなんて、酷い
「助言があるだけ温情を感じてほしいですね」
「それならスリング・リングくださいよー! アレないと覚えた魔術全然使えないじゃないですかー!」
なんと! この師匠! 私にスリング・リングを渡していないのである!
散々拉致監禁してコキ使って拷問みたいな修行にも健気に耐えてきた私に対し! 免許皆伝すら寄越さないのであるッ!
たまに思う。この師匠、どのヴィランよりも悪辣な屑だと。
まぁリングなしに魔術を行使できれば苦労しないんだけど、私にそこまでの実力はない。
「貴女のような危険因子にスリング・リングの使用は許可できません。ですが、そうですね…」
すると、思案顔の師匠は袖からアクセサリーらしきものを取り出した。茶色の革紐で繋がれた先には、二枚の白い羽と木彫りの板らしき物。小さくはあるが、蓋のように閉じられた部分を師匠が開くと鏡らしきものも見えた。
それを私の〝首〟部分(?)らしき場所に引っかける。
「これは?」
「お守りです」
お守りかよ!
いや、師匠が手ずから贈ってくれたんだから、ただのお守りなんかじゃないはず。きっと魔術礼装的な何かが…絶体絶命から守ってくれる鏡とか、死んだら一回だけ黄泉返れる羽とか、きっとそんなんだ。
コンティニューOKなデスゲームとかヌルゲーじゃん勝ったな!
「魂を封印するレリックです。持ち主の魂を彼岸へ送ることなく、器に閉じ込める媒体の類ですね」
「だめじゃん! くらえ
「言い忘れましたが、それは貴女が死ぬまで外せません。魂に括り付けられた」
呪いのアイテムだった!
ていうか魂レベルのタグ付けとか嫌がらせってレベルじゃないだろ! こんなダッサイいわく付きアクセサリーなんか要るか!
「…〝あなたの笑顔をずっと守ってくれますように〟」
「何か言いました?」
「愚かな弟子、と」
「やっぱきらいだわアンタ!!」