パラサイト・インクマシン   作:アンラッキー・OZ

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偽りの贖罪に君の微笑みを

 Two little Soldier boys(小さな兵隊さんが2人) sitting in the sun(ひなたに座ったら)

 

 One got frizzled up(1人が焼きこげになって) and then there were one(のこりは1人)

 

 

 

 Chapter 115

 

 

 

「ボスゥ~ボスボスボスボスボスぅ~!!!」

 

「何だまだいたのかお前。さっさと少年(ピーター)叩き起こして家に送ってけ。ああ、スーツケースもプレゼントしていいぞ。喜ぶだろうからな」

 

「もぉ~そうじゃなくてボスゥ──!! 違うんだ、そうじゃなくて、あの、レイニー……」

 

「……あぁ、レイニーの逃走に加担したのお前だったんだな。道理で頼んでもいないのにハンバーガーが運び込まれたわけだ。美味かったけどな。お前はクビだ……冗談だよ、脅されたんだろ?」

 

「あ、ああ…脅され……イヤ、違います。オレの意思で連れて行きました。そしてこれもオレの意思です! ボス、お覚悟を!」

 

「ぶはっ!?」

 

「ごめんなさいボス! これもっこれもオレの意思ですっ! くらえっ! くらえっ! バカッバカッバカぁ──!!」

 

「ぐ、ぐぅっ!? い、痛い! おま、イタッ、なんで殴る!? まてまて元ボクサーのパンチは痛いからやめろ! 傷が痛む!」

 

「あっそういえば怪我してましたねボスゥ…もういいです、ハイ! 満足しました。すいませんでしたァ──!!」

 

「何なんだお前…いきなり謝ったり殴ったり謝ったり」

 

「えっとどこにしまったっけ……あった、コレコレ。はいどうぞ!」

 

「……お前、これ、なんで持って…」

 

「レイニーに渡されたんですよッ、もし取返しに来れなさそうだったら渡しておいてって。あとこうも言ってましたよ」

 

「何て」

 

「『これを見るときは部屋を明るくして、離れてみてね♪』って」

 

「嘘だろ」

 

「ホントです。あと『アベンジャーズ全員で見るように』と」

 

「後半のだけで十分だ。おつかいありがとうな、殴ったことは許さんが」

 

「別に許さなくていいですけどー。あと彼にも見せて…イヤ、彼には見せなきゃいけない、オレはそう思いますよ」

 

「……ピーター? なんでだ、アイツはアベンジャーズじゃないだろ」

 

「どうにも……彼、レイニーの幼馴染だったらしいんですよ」

 

 

 

 

 

 Chapter 116

 

 

 

 空港での戦闘から、数日が経過した。

 ラフトにて留置されていたメンバーはトニーのヘリでアベンジャーズ基地に戻されて以降、謹慎処分状態だった。と言っても受刑者のように必要最低限の設備しかない部屋に隔離されている訳でもなく豪華なアパートの1フロア相当の広さ、ふかふかのベッド、アイランド型のキッチンに巨大なテレビ。少なくともスコットのような一般市民レベルの生活を嗜んでいた人からすれば十分快適な生活空間であることは確かだった。

 

 それでも。

 謹慎ということは、外出できないという意味でもある。

 

 ほぼ家と基地が同義であるワンダならまだしも、遠くに家があり、待ってる家族がいるクリントやスコットの場合は少なからずストレスとなったのは確かだ。一応、便宜上非公式の謹慎処分であったため「知人の家にしばらく泊まることになった」と連絡を入れて納得してもらったが、クリントの妻であるローラは元エージェント。限られた通話内容だけで、処分として一時的に帰れなくなってしまったことを悟ってしまった。

 電話するクリントは辛そうな表情であったが、それは言外に家に帰れないことよりも、喪った仲間のことを悔やんでの表情だった。

 それはスコットやサムも同じ。だが酷かったのはワンダだった。

 

 ワンダは、基地に戻ってきてから数日は飲まず食わずだった。

 与えられたベッドに包まって一日を過ごし、たまに部屋を出て外が一望できる窓の前に立ち、時折虚空にいる誰かに話しかけ、やがて誰もいないことを悟ると声も出さずに涙を流す。典型的なうつに近い状態だった。誰が見ても、医者に見せるべき様子だったのは明らかだった。

 それでも、お節介のスコットやサム、クリントらが半開きの口に無理やりスプーンで食事を流し込むことで栄養失調だけは避け、半ば介護に近い謹慎生活を送っていた。

 

 そして謹慎生活が1週間を迎えた頃、謹慎処分を言い渡されて以降掛けられた鍵が開いた。

 出てきたのは、顔に青痣左腕に包帯を巻いたトニーと、ナターシャ、ヴィジョン、そして見慣れない少年だった。

 

「………よぅ! 元気かお前たち」

 

「お陰様でな」

 

 クリントの返答は皮肉全開だった。流石にトニーも口角が引き攣る。

 

「…ローズは、無事だったか」

 

「奇跡的にな。足の骨折は酷いものだったが手術はもう終わってる。リハビリに時間はかかるが、回復次第では以前のように歩けるようになるだろうさ」

 

「よかった……」

 

 あの日あの瞬間、最もローズに近いところにいたのはサムだった。

 立場上スティーブの邪魔をする敵であったかもしれないが、それでもアベンジャーズの同士であることには変わりない。〝なるほどシベリア送りだ〟作戦(命名レイニー)における最重要項目は死者を出さないことだった。その点では、ローズが高高度からの墜落で両足の骨折程度で済んだのは奇跡的だった。

 

(……そう、あのとき、俺が躊躇わなければ)

 

 サムは、ローズの墜落を救うのを一瞬だが躊躇した。

 敵対していたというのもあるが、万が一スティーブとバッキーを乗せたクインジェットが、空を飛ぶことができるローズやトニーに撃ち落されてしまえば作戦失敗に終わるからだ。そのことが脳裏を過り、愚かにも救うことを躊躇してしまった。

 

 それでも、レイニーは飛び出した。

 

 立場も、状況も、危険も。

 何もかも関係なく、すべてを放り投げて、レイニーは飛び出した。そしてローズは一命をとりとめ、レイニーは特殊部隊に拘束され、責任を押し付ける形で投獄された。

 全身凍結、冷凍保存という死と同義の処分で、である。

 

(ああ、クソ。ボクはまた、畜生め。らしくない)

 

 自己嫌悪しているのはトニーも同じ。

 あのとき、トニーには二つの選択肢があった。一つはローズを救出すること。もう一つは墜落するローズを見捨ててクインジェットを狙撃すること。

 部下の命は何よりも大事だが、命を救ってもスティーブ、バッキーの確保という任務が達成されなかった場合に責任を取るのは作戦の主導者だったトニーだ。実際、もしレイニーが偽の犯行声明文を国連委員会に送信して首謀者として祭り上げられなければトニー自身もラフトに投獄されていただろう。それだけの失態を犯した。

 

 国際会議におけるテロ、対テロ対策本部の襲撃、空港の破壊。

 この三つの真犯人への粛正は済んでいるが、それでもアベンジャーズが犯したミスはすべてレイニー1人の処分によって有耶無耶に揉み消されることとなった。本来であればレイニーの首一つで解決できる案件ではないが、ロスの尽力と、何よりも国連委員会がレイニーの脅威を注視していたからこそ成立したと言える。

 

 

 あの悪魔を封じ込めることができるなら、行幸だ。

 ついでに処分し、その死体で悪魔とやらを解明できれば尚いい。

 

 

 仮にも国防を司る組織の発想とは思い難いが、レイニーとベンディという悪魔の一例が出現した以上、今後も悪魔の出現は楽観視していい脅威ではないのだ。未知であるならば恐れ、捉えて解剖し正体を解明することが国連委員会の総意でもあった。

 

 それを伝えに来たナターシャの顔は、トニーの中でも忘れられない。そのとき自分がどんな顔をしていたかは知る由もないが。

 

 助かったのは事実。だがトニーは助けてもらおうだなんて頼んでなければ下心を抱いていたわけでもない。勝手な行動、お節介もいいところだと邪険にしたい思いで一杯だったが、そのお節介こそがレイニーの本質、ひいては英雄(ヒーロー)の本質だと思い出して、また項垂れた。

 

(クソ、文句の一つも言えやしない)

 

「それで、そこの小僧は何者だ? 見ない顔だが」

 

「ああ、彼は──」

 

「ボッ、ぼ、ぼくは、ピ、ピーター・パーカーです! よよよよよ、よろしくお願いしまっす!!」

 

「……ピーターくんだ」

 

「いやそうじゃねぇだろ」

 

「その声、空港にいたあの赤い蜘蛛のスーツの?」

 

「そそそそそうです! スパイダーマン、あの、トニーさんに呼ばれて、それでレニーの幼馴染で……あっ…」

 

 ぎくしゃくしながら挨拶していたピーターは咄嗟にレイニーの愛称を口にしてしまい、思わずガクッと身体を強張らせた。纏まらない思考が紡いだ言葉の羅列がピーターのトラウマ、レイニーがクインジェットから落ちて粉々になって、冷却装置で凍らされて運ばれた光景を蘇らせる。

 トニーに抑えられたピーターとの位置は、それなりだった。

 しかし、全身がインクに変化し左顔面を抉られていたレイニーは残る右目で確かにピーターを視た。

 そして、小さく笑った。

 気のせいだったかもしれない妄想だったかもしれない。だがそれでも、レイニーはまた目の前の人を救い、死んだ。

 

「幼馴染? たしかレイニーの出身はクイーンズだったな?」

 

「えと、僕もクイーンズで、レニーの隣に住んでて、それで……」

 

「……まァ、わかった。奇妙な縁もあるもんだ」

 

 空港で高機動戦を繰り広げた同士として、そしてレイニーの幼馴染という奇縁も含めて、サムはピーターの肩を叩いた。

 

「それで、我らが預言者サマが何の御用で? まさかもう謹慎解除とかいうんじゃないだろうなぁ俺は嫌でも帰らんぞ。レイニーを解放するまではな」

 

「えっ、オレはできればはやく帰りたいっていうか…娘に会いたいっていうか……」

 

「……今のは空気読めよ。俺だって嫁も子どもも待ってるさ、でもアイツを見捨ててのこのこ帰りたくはねぇよ。そうだろ?」

 

「あ、あぁ…そうだな…近い近い」

 

 メンチ切ったクリントによって壁際に追い込まれたスコット。1週間も一緒に住んでいれば自然と仲良くなるものだが、未だにスコットの冗談のような本音が馴染むことはあまりない。今後も難しいだろう。

 

「……今回は、レイニーが遺したものを持ってきた」

 

「「「!」」」

 

「………それ、本当…?」

 

 部屋の奥から現れたのは、若干痩せこけたワンダだった。

 もとより贅肉とは無縁のワンダだが、綺麗に切り揃えられていた髪はほつれ、目の下に隈が刻まれ、服もくしゃくしゃの姿はトニーやナターシャ、ヴィジョンでも応えるものがあった。壁から手を放すとよろけてしまい、咄嗟にヴィジョンが駆け付けて身体を支えた。

 トニーが掲げたのは、かつて暇つぶしと教養も兼ねて贈呈した小型の3D立体投影装置だった。ニューヨークでの大戦後しばらくトニー(というより仲良くなったペッパー)と過ごす時間があり、あまりにも引っ付くのがうっとおしいと思い始めた頃(スーツ依存症発症期)に餞別の品として押し付けたものだった。

 この装置を受け取ったレイニーは大層喜び、ネットワークから様々なデータをダウンロードして遊んでいた。まさか銃のカタログをインストールして分解の練習に使うことは想定外であったが、ワシントン、ソコヴィアを経ても大事にとっておいたことは意外だった。

 それを、ブカレストに飛ぶ途中でハッピーに渡した。もし取りに来なかったら、トニーに返すようにと言付けて。

 

「受け取ったのはハッピーだ。メッセージじゃ、『アベンジャーズ全員で見るように』と言われたらしいが」

 

「……足りないだろ」

 

 クリントの指摘はもっともだった。

 病院で治療中のローズ、そしてアベンジャーズの核たる人物であるスティーブがいない。それを承知でトニーは今日を選び、わざわざ自家用車でクイーンズのピーターを引っ張って連れてきた。

 

「安心しろ、ビデオカメラも用意してある病院のローディの枕元の端末とオンラインだ、寝ながらでもラク~に見られる」

 

「そうじゃない、キャプテンが…スティーブ、」「その名を口にするな」

 

 はく、と指摘したスコットが口を噤んだ。ナターシャも流石に完全に藪蛇だったスコットに同情を禁じえなかった。

 謹慎処分によって外部との交流を絶たれていたクリントたちとは異なり、トニー側についていたナターシャのもとには情報が届いていた。スティーブの親友であるバッキー・バーンズは、トニーの親であるハワード、そしてマリアを暗殺したという情報を。

 この情報はトニー本人からだけでなく、レイニーを対テロ対策本部からスティーブとの合流地点まで送り届けたシャロンから聞いた情報だった。最も、その時点ではレイニーもまだ憶測の段階であって確証はなかったが、今回ヘルムート・ジモが目論んでいた陰謀を解明するにあたり、その真実に突き当たってしまった。

 そして、いままでなぁなぁで平行線を維持していた2人の間に溝ができてしまったと察した。アベンジャーズという組織に長くいて、そして2人を客観的に見る立場にあるナターシャだからこそ、その溝の深さを理解してしまった。

 

 だからこそ、いままでその溝を飛び越えて仲介していたレイニーの不在が恨めしい。

 

 レイニーは、アベンジャーズのメンバーを理解する人物の内の1人でもあった。子どもの容姿からは考えられないほどの理解力、洞察力を持ち、各面々の過去や経歴を知り、理解し、そして直接話し、交流を重ねることで距離を詰め、間合いにいれてもいい相手であると認識させることに長けていた。それは勿論レイニー本人が意図してやっているわけではなかっただろう、持ち前の人格由来のものだ。ニューヨーク大戦において、アベンジャーズの絆を信じ続けたフィル・コールソンの娘らしい人格だった。

 そのレイニーがいたからこそ、いままでメンバー間での軋轢が重症化せずに済んだ、とも言える。

 ナターシャは改めて、アベンジャーズにおけるレイニーの重要性を再認識した。最も、再認識したところで都合よく戻ってくるわけではないのだが。

 

「…レイニーが、ここを発つ前に何か映像を残したらしいの。それをみんなで見ましょうってこと。ワンダも見るでしょう?」

 

「……うん、うん……見る…」

 

 光が消えた瞳。

 それでもレイニーが残した遺物からは目が離せないのか、ワンダはヴィジョンに肩を預けながら適当なソファに腰かけた。

 トニーは全員を見渡し、無言の了承を得たところで投影装置を部屋の中央のテーブルに設置し、電源を入れた。

 

『ばぁ。おーい映ってる? これ映ってる? どう映写技師~? あ、オッケー? よしよし今度は上手くいったね!』

 

 パッ、と。

 映し出されたのは、ラゴスでの爆破後の小さなレイニーだった。装置の直上ではしゃぐレイニーはだいぶスケールダウンしてしまったものの、ラフトに収監される姿でもなく、基地で思い思い過ごしてたレイニーの姿と相違なかった。

 

『えー、皆さん初めましての人は初めまして。レイニー・コールソンです……これでいいのかな。ああ、あっちの名前の方が伝わりやすいかな? HYDRA創設者の一人、エニシ・アマツの一人娘のユカリ・アマツ。アベンジャーズのデビルヒーロー、インクの悪魔(ベンディ)とは私のことです。ジャンジャジャ~ン、今明かされる衝撃の真実~!

 …でも、ないかな? あ! 待って待って映写技師そのままにしてて! 確かこの辺に…』

 

 こちらの心情そっちのけで自己紹介もなんのその、突然カメラの前からフェードアウトしてレイニーは映像から消えた。かといって装置に不具合があったわけではなく、単純に撮影時のレイニーがカメラそっちのけで何かを取りに行ったのだ。

 ややあって物音が消えて映像が回復すると、なにやら緑色の寝衣のようなものを全身に羽織って現れた。

 

『じゃーん! 緑のパジャマ! どう? どう? 私の身体透明になってる? え? なってない? あ、そっかぁ…私ガチャヒ〇ンじゃないから背景に同化できないんだ…騎空士の皆さんごめんなさい、私は君たちの友達になれなかった……え? 違う? クロマキー? あっ、そのクロマキーが緑色だから背景に同化できたんだ。なぁんだ』

 

「……なんだ、このビデオは。学芸会の出し物か何かか?」

 

「スマン、俺にも何が何だか」

 

「あぁ、コイツのパジャマ、ウチの家内(ローラ)がプレゼントしてくれたやつだ」

 

 映像のレイニーも若干の気恥ずかしさを感じたのか、いそいそと緑色の寝衣を脱いで普段着姿に戻り、仕切り直しとして小さく咳払いをした。

 

『さて…トニー!』

 

「……俺はトニーじゃないぞ」

 

「録画なんだから場所がわかるわけないだろ」

 

『ここか? それともここにトニーがいる? いやここか、こっち…? トニートニートニートニートニートニー! たまにバナー博士、トニートニートニートニートニー! 多分アベンジャーズで一番生存能力高そうだから! それかトニーのお孫さん! 若しくは子孫! あ、じゃあスタークか!

 スターク、そこで見ているな!? まぁ録画だから見てて当然なんだけどさ』

 

 あてずっぽうにトニーの名前を連呼して指差すが、残念なことにそのどの方向にも現実のトニーはいなかった。数打てば当たる戦法としては杜撰すぎた。しかし、その状況も楽しんでるのか、レイニーは笑顔だ。

 

『……多分、スティーブはいないね。スティーブ・ロジャース、キャプテン・アメリカ。彼は…うん、多分この録画は観てないと思うし、見られないと思う。何となく』

 

 じ、と。

 映像のレイニーは、録画時に誰もいないであろう一点をじっと見つめていた。だが、そのレイニーと目が合ったピーターは、息をのんだ。

 思い上がりでもいい。気のせいでも構わない。

 それでも、確かにこの時レイニーの中で自分のことを想ってくれてたのではないだろうかと、勝手に解釈したかった。

 映像として映し出されているレイニーは再びカメラ目線に戻し、両手を合わせて少し照れ臭そうに、申し訳なさそうに目尻を下げた。

 

 

『ごめんね、死んじゃった』

 

 

 ───空気が、凍り付いた。

 

 決して、映像のレイニーの振る舞いが分不相応だったからではない。失礼な振る舞いだったわけでもない。茶目っ気が笑えなかったわけでもない。

 

 レイニー・コールソンの死という事実を、再認識してしまったからだ。

 スティーブが冷凍保存された例とは、違う。超人血清があったからこそ70年間も氷の中で生きながらえていたというのもあるが、クレバスに滑落し冬山で冷凍保存されて生還したという実例は過去いくつかある。しかし、レイニーは人間ではない。血と、肉と、骨で構成された人間と異なり、インクマシンという機械とインクという液体、そしておそらくレイニー・コールソンという魂で構成されたあやふやな存在である以上、生死を人間のそれと一緒にはできない。

 インクマシンの停止と凍結は、即ちレイニーの死でもあった。

 

「ワンダ、大丈夫ですか」

 

「……ええ、平気よ。いまは、まだ」

 

 俯くワンダの肩に手を置くヴィジョン。

 震える肩、マインド・ストーンの力に頼らずとも、ヴィジョンにはワンダの後悔と、忸怩たる思いが伝わっていた。それが溢れないように、涙として流れないように、必死で抑えていることも。

 

『多分、この録画が流れてるのってことは、一万と二千年…いや、二万と四千年……? 冗談冗談。五年後か、十年後か、それともこの録画の数時間後か、数日後かな。私が死んじゃったってことだよね。ハッピーさんか、ホーガン家の息子か孫か子孫の誰かが、渡すべき人たちの手へ渡して、再生させたってことだから。

 え? なんでハッピーさんなのかって? アベンジャーズメンバー以外で信頼できる大人は、彼しかいなかったからだね。実際問題というか、正直この録画をしてる今の私でも自分が死ぬビジョンが見えないんだけど…』

 

「私ですか?」

 

「違う、名前としてのヴィジョンじゃなくて想像って意味だよ」

 

「いえ、そうではなく……間接的に、私が…お母様を…」

 

 指摘したサムが思わず苦渋に顔を歪めた。

 そうではない、ローズを救えなかった自分にも非があったと。もう少し早く飛べれば、レイニーが犠牲になって救うことはなかったと。

 レイニーの死の原因は自分にもあると、サムはヴィジョンを安易に窘めた自分に嫌悪した。

 

「……まぁ、とりあえず続き流すぞ」

 

『でも、人間でない私でもいつ死ぬかわかったもんじゃないからね。そこんところは人間と変わらないと思う。多分。既に命が(ノー・)ない(ライフ・)(ウーマン)である私でも、死の概念はあると思うから。消失とか、暴走とかそのあたり? 私って存在が消えたときが、私の死なんだと思う。解放かな? ちょっと違うか』

 

 レイニーが既に死人であることは、アベンジャーズ全員が知るところである。

 ただ、1人。

 ピーターという少年を救う為に、身を挺して犠牲になったことを知るのは、ピーター本人だけである。

 

『とりあえず、私も人間と同じようにいつ消えるかわからないって恐怖にビクンビクン怯えて、こうして映像として自分を残したわけですよ。ホラ、前触れのないサプライズって誰もが喜ぶものとは限らないでしょ? 突然10日間無料ガチャ10連プレゼント! って言われてもその情報が流れる前にアホみたいな額課金してたら身銭切って振り込んだ課金額が無駄になった気分でしょ? つまりそういう……ん、アレ、なんかすごいわかりにくい例えだったりする…?』

 

「「あー、うん。わかるわかる」」

 

「お前たち、分かるのか…」

 

 トニーはレイニーの例えに同調したピーターとスコットに呆れた。

 なおトニーはそのあたりわからなかった。身銭を切るという概念がまずわからないからだ。裕福である以前に、課金ゲーに没頭する性格ではないから。

 

『兎に角、人によってはベンディの死は朗報か訃報かわからないし、私にとっても突然死ぬのはちょっと前振りなさ過ぎてイヤだ。この録画してる時点では、まだまだやりたいことたくさんあったしね。映画は完成させたいし、究極完全体ハルクになったバナー博士とナターシャさんの結婚式プロデュースしたい。私の親友に、たくさん話さなきゃいけないこともあるし、ね』

 

 そう、そこである。

 レイニーには、軽率に自分を犠牲にできない事情もいくつかあった。アベンジャーズのことは勿論、会社のこと、そしてこの場で知る者はいないがワカンダのことも、その事情に該当する。

 放り出してはいけないことがあった。無責任にしてはいけないことがあった。

 それでも、レイニーはそれらを捨てる道を選んだ。

 

『でも人生ってのは儘ならなくて、死にたいときに死ねなければ、死にたくないときに死んじゃったりする。私たちが生きるこの宇宙(ユニバース)ってそういう理不尽な世界で、人間全員がやりたいことをやりきって死ねるほど優しくない。昨日まで一緒にカフェテラスで談笑してた隣人が、次の瞬間鉄骨の下敷きになるとか、車に刎ねられるとか、悪い人に撃たれたり刺されたりするとか、もしくは飛んできた隕石に頭ぶつけて死んじゃってるかもね。隕石だってぶつかる確率は宝くじに当たる確率より高いって言うよね……言うよね? 何パーだっけヴィジョン』

 

「約75,000分の1です」

 

 咄嗟に答えたヴィジョンに全員の視線が集中した。それでもヴィジョンは動じることなく視線を返し、

 

「2014年テュレーン大学地球科教授が発表した論文では自動車事故に遭う確率が90分の1、火事に遭う確率が250分の1、竜巻は60,000分の1、それらに対し宝くじに当たる確率は1億9,500万分の1だそうです。ああ、サメに襲われる確率を忘れてました。800万分の1だそうですね」

 

『……………えっと、ヴィジョン? がいたら最近の確率傾向を比較して説明してくれてるんじゃないかな。もしくはスターク家の誰か。ピム博士は…ないかな、そういうの言うタイプでもないし、うん。

 ま、そういうわけで、いつ死ぬ…死ぬっていうか、消えるかわからないから、この録画をしてる…じゃなかった、残したわけ。あー『死ぬまでにしたい10のこと』思い出した…あれそういう意味かぁ、通りで似たような映画がいくつもあるワケだ。この録画を見ているみんな! 『死ぬまでにしたい10のこと』観ようね! 個人的には『最高の人生の見つけ方』もオススメだよ!』

 

「オイ急に映画の番宣始まったぞ、特集で呼ばれた俳優だってここまで露骨な宣伝しないだろ」

 

「そういうのいいからテロップでも流しとけ」

 

『どーせトニーあたりは『テロップに流してさっさと本題喋れよ』とか言ってそうだけどね! 今回の録画は時間ないからそこまで手の込んだ編集できてないですよーだ』

 

「……」「……」「……」

 

「…ガッツリ予測されてるな」

 

「うるさい」

 

 過去のレイニーの予測されてる事実が恥ずかしいのは言うまでもない。

 

『というわけで、それらが()()()()()()()私がみんなに残すメッセージとしては…なんだけど……

 うーん、こうしてみるとあんまり言いたいことって、無いね!』

 

 快活に宣言したレイニーの姿に思わず肩の力が抜けた。

 

『イヤ、こうしてビデオレターという試みをしてみたけどさぁ…これ初めてだし、言いたいことって…言いたいこと? え、時間押してるって? やばば。えっと、うん!』

 

 何が「うん!」なんだ、と若干怒りが募る面々もしばしば。

 

 

『とりあえず、私が死んだのは誰のせいでもないよ』

 

 

 その怒りが、急に霧散した。

 映像を見れば、お茶らけていたレイニーの空気はそのままに、けれども佇まいはどこかしっかりしたものに変化していた。

 

 ──かつて、ニック・フューリーはレイニーをこう評価した。裏表がない、素の状態のままスイッチを切り替えるタイプだと。故に()()()()()

 感情の機微を。情緒の変化を。身に纏う空気を。

 

『ベンディが暴走したんだとしたら紛れもなく私の管理責任だろうし、もしそうではなく…例えば…うーん思いつかない。兎に角、今の私じゃ思いつかないような突拍子もない出来事の末に死んだとしても、それは私の自己責任だと胸を張って言える。言えるね!

 

 だって、私はもう決めたもの。自分の道は自分で選ぶ。選んだ道は曲げない、後悔しない。

 

 あ、でも私以外から見てそれが間違ってたらスティーブに指摘されて直されてる、叩き直されてると思う。ゲンコツで。そういう約束したから』

 

 サムとナターシャには、心当たりがあった。

 ワシントンでS.H.I.E.L.D.に潜んでいたHYDRAの奇襲に遭い、追手から逃れてフューリーのセーフハウスで休んでいた際のことだ。スティーブとゴキゲンな様子で外から戻ってきたレイニーが、年相応の腕白な子どものようにぶんぶん腕回して打倒S.H.I.E.L.D.を意気込みながら、約束事について話していた。

 

 

「約束よ! 私は私の意思で、あなたはあなたの意思でこれからも生きていく。でももし万が一、あなたが道を踏み外してしまったと私が思ったら絶対止めるから。だから、もし私が道を踏み外してしまったと思ったら、ぶん殴ってでも止めて!」

 

「なるほど、互いに互いを牽制し合う訳か」

 

「違うわ! 互いを信じるのよ!

 よし! じゃあ、私たちの復讐(ヴェンデッタ)をはじめましょう! 最後まで、とことんやるわよ!」

 

 

『でも…うーん、多分私がそんなヤバい選択したってことは…でも一つ言えるのは、私は家族の為に何かするんだと思う。で、して死んだんだと思う。え? エニシのため? 違う違う、あんな女私の家族だなんて思ってないよ。あの女の(ハラワタ)から産まれちゃったのが人生最大の汚点だね、モー…唸り過ぎてウシになっちゃう 。パパは普通にパパだけどね。でもいま言ってるのは血のつながりの家族じゃないよ。

 私の本当の家族は、アベンジャーズだから』

 

 ──幼少期、ほとんど親と交流することなく過ごしていたレイニーにとっては、家族というものの在り方がわからなかった。

 カマ―タージで修行していたときも、レイニー自身は師範たるエンシェント・ワンを母親と思ったことはないし、ましてや家族だなんて一欠片も思っていない。確かに共に生活した時間は長いかもしれないが、そこにレイニーは家族の在り方を見いだせなかった。

 

 そのレイニーが見つけた家族とは、アベンジャーズだった。

 

『というか、アベンジャーズが家だね、うん。アベンジャーズは、世界の敵と戦うわけだから戦ったあとはみんな疲れるし、ボロボロだし。でもそんな家族が帰ってくる場所を守るなら、私は命賭けてると思う。「命、捨てます!」でも「命、燃やすぜ!」でもないけど、多分そんくらいの覚悟はしてるよ、毎日。だから──アレだね。この言葉がしっくりくる』

 

 小さく、息を吸って。

 

 

『私は好きにした。君たちも好きにして』

 

 

 じ、と録画された自分を見る全員を見渡すように。

 まるで、そこに誰がいるのかわかっているように。

 これが、伝えたかったことなのだと、言外に示した。

 

『あッ…流石にアベンジャーズぶっ壊す! みたいなのはカンベンね! 子豚だって藁でも木でもレンガでも建てた家壊されるの嫌だしさ。あれ、イヤ…どーなんだろ、ダークアベンジャーズとかになってないといいけど。協定はもう可決されてるから大丈夫だとは思うけど。

 えっと、私は好きに選んで行動して、その末に死んだなら満足。だからそれに対してアレコレ議論したりしないで頂戴。で、その代わりにみんなも好きにしてってこと。これぞ条件付き等価交換…! 錬金術の基本だね、分かるとも!

 私は、悔いのない選択をした。だから、みんなもやるべきことはきちんとやって、やりたいことはしっかり決めてって意味で、好きにしてってことね。全部自己責任なのは当たり前だけど、選んで、それを誰かのせいとかにしないでね。これ、伝えたかった。子どもの私でも難しかったんだから、きっと大人でも割と苦労すると思う。生きてるってことは、友人、家族、知人、宿敵、組織、過去、未来、私じゃ想像もつかないようなたくさんの(シガラミ)が干渉し合うわけだし』

 

 映像のレイニーは、ふぅと息をついて呼吸を整えた。

 ここまで言いたいことを整理しながら言い続けた弊害だろう。台詞からもわかる通り、台本なんてない。恐らく本当に二つ目、三つ目のビデオレターを計画していて、その最初の、あくまでも試験的な一発撮りに過ぎなかった筈だ。

 

 だがそれが、最初で最後のビデオレターになってしまった。

 

 それでも、レイニーが言いたいことは、伝わっていた。

 トニーも、ナターシャも、クリントも、サムも、ワンダも、ヴィジョンも、ピーターも、スコットも。

 これを見ている全員が、レイニーの()()()()()()を理解した。

 

『……それじゃ、さよならしよっか。

 最初の録画、終わり。え? もうハッピー来たの!? 早く来いとは言ったけど時間にスピーディー過ぎない? って私が時間かけ過ぎただけかー。あーもう、まだ準備終わってないのに! ん、映写技師なんでまだカメラ向けて……あれ!? もう切っ〈ブツッ〉

 

「……最後まで、彼女らしいわね」

 

 焦り顔で録画の停止指示を出した姿で止まっているレイニーの姿はインクマシンの不調で幼くなってしまったが、それでもアベンジャーズにいたいつものレイニーと相違なかった。少なくとも、ナターシャにはそう見えた。

 

 子どもっぽい姿で、でも大人顔負けの知識があって。

 うじうじ悩んでいるようで、でも決断を実行に移す行動力があって。

 肉親(エニシ)が嫌いで、でも家族(アベンジャーズ)を大事に想う。

 

 英雄(ヒーロー)でもない、悪魔(ベンディ)でもない、レイニー・コールソンのありのままの姿が、其処には在った。

 

 もう二度と取り戻せない。

 けれど、取り戻す必要はない。

 

 

『私は好きにした。君たちも好きにして』

 

 

 悔やむより前を向けと、背中を押されたような気がした。

 

「ハッ……まったく、言われるまでもないさ。そんなの」

 

「ハンカチ要る?」

 

「それはワンダにでもくれてやれ。ああ、これは持病の副鼻腔炎だ。空気が汚いといつもコレだ、鼻炎カプセル飲まなきゃ」

 

「アンタ、誤魔化し方ヘタだよ」

 

 鼻声のスコットに茶化されたトニーは早々に部屋から出て行った。

 ナターシャは、目尻に垂れる雫を払って。

 サムは、硬く握った拳を解いて。

 クリントは、去り際に感謝の(「ありがとな」と)一言を。

 ワンダは、溢れる涙を隠すように顔を覆って。

 ヴィジョンは、ワンダの肩を抱いて慰め謝罪を(「すみません」と)告げて。

 スコットは…はにかむような、煮え切らない表情のまま。

 

 英雄(ヒーロー)は、前に進む。

 振り返ることはあっても、立ち止まることはない。

 如何なる困難があろうと、障害が、宿敵が立ち塞がり、その力に屈することがあろうとも、何度でも立ち上がる。

 それが、英雄(ヒーロー)だから。

 

「好きにして、って……」

 

「ホラ、さっさと帰るぞピーター。叔母さんに心配かけないよう顔は洗っとけ……ピーター?」

 

「僕には好きにしたいことなんてわからないよ、レニー……」

 

 一人、部屋に残って項垂れていたピーターは、床を見つめて立ち竦んでいた。

 レイニーの話は、聞けた。理解できた。

 だがそれでもピーターは、自分の「したいこと」を見い出せていなかった。

 

 ピーター・パーカーは、英雄(ヒーロー)ではない。

 まだ、親愛なる(スパイダー)隣人(マン)でしかなくて。

 たった一人の幼馴染を二度も失った、ただの少年だった。

 

 

 

 

 

 Chapter 117

 

 

 

(確か、映像には)

 

 洗面台で顔を洗い涙を流し落としたワンダは、アベンジャーズメンバーの目を盗んで女性用ロッカールームに向かっていた。

 新アベンジャーズ基地には女性職員も少なくないが、それがすべて使われているわけではない。各分野ごとに区画を割り当てられており、割り振らえた番号のキーを所持することを許されている。

 だが、キーは事務からの発行制であり無断に空きロッカーを使えるわけではない。故に未使用のロッカーは開けることもできず、未使用の状態で放置されることが多い。

 

(あった)

 

 だが、そのうちの一つ。

 大型の荷物を入れるロッカーだけは、5桁の暗証番号で利用できる仕組みになっている。それを使えるのは利用申請を最後に提出した者だけであり、同様に番号を知っているのもその者だけである。

 

 映像の中で、レイニーはアベンジャーズのメンバーへのメッセージを伝えていたが、それは何も言葉だけではない。仕草や手にも、隠れたメッセージは存在していた。

 唯一ワンダは、手慰みにレイニーとのじゃれ合いの中で教えて貰った手信号を習っており、映像の中のメッセージがある番号を伝えていた。

 

(ffffで、16とマイナス1…確か、16進数って0から9とAからFだったわよね。それでFが4つだから…16の4乗。つまり、65,536で…そこから1引いて、『65535』)

 

 大型ロッカーに暗証番号を打ち込むと、グリーンの表示がされてロックが解除された。

 そこにあったのは小さなケース。蓋を開けると中にあったのは分厚く綴じられた一束の書類と、茶封筒が一つ、ホッチキスで綴じられ裏返しされた数枚の書類だった。ワンダは暗がりの中でそれを掴み、薄い書類の方を捲る。

 

 

Congratulations(おめでとう)!! これを手にしたあなたは超ラッキー!』

 

 

 小さなケースの中身、分厚い書類の一番上にインクで手書きされたメッセージがでかでかと綴られていた。思わずワンダも面食らった。

 恐る恐る、ワンダは書類を捲る。

 

『というのはジョーク。It's Joke . OK ?

 これを誰かが手にしたということは私に不測の事態があったということ。なんだかんだS.H.I.E.L.D.やらHYDRAやらの機密を知ってしまった身としてはこの情報を有益に活用していただきたく用意したものです。きっとこれを手にしたあなたは、極めて弱い立場にあるでしょう。そんなあなたを救うラッキーアイテム!

 情報は、命より重かったりする! 重かったりするんだ! 金にするもヨシ! 揺さぶるもヨシ! 裏をかくもヨシ! 安全確認、ヨシ!』

 

 文面のテンションが踊ってる。自分の義姉ってこんなキャラだったっけと、涙は引っ込み震えも止まった。

 

『できれば、この書類を手にしているのは、私の大事な人であってほしい。もしそうであれば、頼みがある』

 

 大事な人。

 レイニーにとって大事な人って、誰?

 キャプテン? ナターシャ? スターク? ヴィジョン? それとも、他の誰か?

 ワンダの心に仄暗い嫉妬と欲望が渦巻くが、次の一文を読んで我に返った。

 

『できればこれを手に取っている人物が、張本人であると嬉しい。この持ち主の義妹、ワンダ・マキシモフという人物に、これを届けてほしい』

 

 メッセージが書き込まれた書類を捲ると、他の書類とは区分けされた茶封筒があった。

 

『ワンダ・マキシモフの住民票です。一応代理人として申請手続きしたものなので、既に発行されているようでしたら破棄してください』

 

 そこには、ワンダ・マキシモフという本名のものと、仮名としてワンダ・()()()()()という、レイニーと籍を同じくする書類の二つがあった。

 あとは本人の署名する部分のみが空白になっていて、然るべき場へ届ければ、面接と試験を経て米国における市民権を手にすることができる。そこまで御膳立てされた書類が、封筒に収まっていた。

 

「…義姉さん……義姉さん、義姉さんっ……!」

 

 何度も、何度も呼ぶ。

 だがその声に応える者はなく、レイニーが最後に残した優しさだけが手中に残った。

 

 

 そんなものは、要らなかった。

 優しくなくてもいい。

 ただ、ずっと自分の傍にいてくれれば幸せだった。

 

 生きていれば。

 生きてさえいれば、どうでもよかった。

 だから、ヴィジョンと共同戦線を築いてまで小さくなった彼女を基地に閉じ込めた。

 

 だがその願い(祈り)は、叶わなかった。

 大事なものは手のひらから滑り落ち、手の届かぬ監獄で惨たらしい最後を迎えた。

 

 

 レイニーは、家族の為に自分が犠牲になる道を選んだ。

 墜落したローズを救い、アベンジャーズという組織を守った。

 

 レイニーは、自分の価値を見誤った。

 家族にどれほど想われていたのか、それを考慮していなかった。

 

 

 心にぽっかりと空いた穴から、なにか大事なものが零れ落ちる。

 それは涙となって流れ落ち、ワンダには感情を堰き止める術を持ち合わせていなかった。

 否、たとえ心を抑制する術があったとしても、ワンダは決してそれを行使しなかっただろう。

 

 英雄(ヒーロー)は立ち上がる。

 でも、英雄(ヒーロー)は心がある。感情がある。

 

「私を、置いて逝かないでよ……約束、したのにッ!」

 

 一度目は、半身(ピエトロ)を。

 二度目は、義姉(レイニー)を。

 失うものが、多過ぎた。

 

 切り付けられた心は、いつか癒える。

 だが何度も切り付けられた心を癒すのは、今の彼女には難しかった。

 

「……ワンダ?」

 

 ハッ、とワンダが暗闇に身を竦ませる。

 暗がりのロッカー室の向こう。入口に、赤肌の偉丈夫が立っていた。

 ヴィジョンが、心配そうに暗闇の奥のワンダを見つめていた。

 

「……大丈夫、ですか?」

 

 身体はもちろん、心も同様。死を前に、人は愛や温もりを希求する。

 愛する家族を喪った英雄(ワンダ)は、すぐには立ち上がれない。

 それでも彼女は、立ち上がるための支え(ヴィジョン)と出会った。

 

 

 

 

 







 アフター第1話。彼女がいなくなったあとで 了

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