パラサイト・インクマシン   作:アンラッキー・OZ

43 / 47



 お気に入り感想評価誤字報告感謝


 3000回愛してます。今まで多くのキャラクター、多くの吹替、数えきれない名台詞を、本当にありがとうございました






EX Does Her Dream Darker Than Darkness ?
エニシという名の天才


 

 

 

 

 Chapter 124

 

 

 

 

「Ten little soldier boys ,(小さな兵隊さんが10人) went out to dine(ごはんをたべにいったら)

 One crocked his little self(1人がのどをつまらせて) and then there were nine(のこりは9人) ♪

 

 Nine little Soldier boys(小さな兵隊さんが9人) sat up very late(夜ふかししたら)

 One overslept himself(1人が寝ぼうして) and then there were eight(のこりは8人) ♪

 

  Eight little Soldier boys(小さな兵隊さんが8人) traveling Devon(デヴォンを旅したら)

  One said he'd stay there(1人がそこに住むって言って) and then there were seven(のこりは7人) ♪」

 

 

 ウタが、きこえる。

 意識が、浮上する。

 暗闇から浮き上がるように。水面から顔を出すように。

 

 シーラカンス(四足動物の祖先)はこんな風に丘に揚がったのだろうな、とよくわからない感想を抱いた魂は、やがて現実世界の情報を得た。

 

 

「 Seven little Soldier boys(小さな兵隊さんが7人) chopping up sticks(まき割りしたら)

  One chopped himself in halves(1人が自分を真っ二つに割って) and then there were six(のこりは6人) ♪

 

 Six little Soldier boys(小さな兵隊さんが6人) playing with a hives(ハチの巣をいたずらしたら)

 A bumblebee stung one(1人がハチにさされて) and then there were five(のこりは5人) ♪

 

  Five little Soldier boys(小さな兵隊さんが5人) going in for law(法律を志したら)

 One got into Chancery(1人が大法官府に入って) and then there were four(のこりは4人) ♪」

 

 

 水の、中。

 半透明なガラス。

 ガラスの向こう側に広がる、無機質で薄暗い部屋。

 無数の実験器具のような何か。

 人の影はなく、生気もない。

 

 

「Four little Soldier boys(小さな兵隊さんが4人) going out to sea(海に出かけたら)

 A red herring swallowed one(1人が燻製のニシンにのまれて) and then there were three(のこりは3人) ♪

 

 Three little Soldier boys(小さな兵隊さんが3人) walking in the zoo(動物園を歩いたら)

  A big bear hugged one(1人が大きなクマにだきしめられて) and then there were two(のこりは2人) ♪

 

 Two little Soldier boys(小さな兵隊さんが2人) sitting in the sun(ひなたに座ったら)

 One got frizzled up(1人が焼きこげになって) and then there were one(のこりは1人) ♪」

 

 

 肉体はない。だから身体という感覚がない。

 肉体はない。なのに、見えるし聞こえるし、感覚器があるように感じられる。

 

 魂だけの状態は、事前にカマータージで何度か体験していた。だからか、現在の自分の状態に対して動揺することはなかった。

 仮に動揺してしまえば、その衝撃だけで魂は霧散していただろう。

 

 

「One little Soldier boys(小さな兵隊さんが1人) left all alone(あとに残されたら)

 He went out and hanged himself(自分で首をくくって)

 ──And(そして、) then there were none(だれもいなくなった) ~~~♪」

 

 

 熱くもなければ冷たくもない、適温と言っても差し支えない水温の中で、肉体も捨てインクの媒体も抜け、魂だけの状態で、存在していた。

 かつてレイニー・コールソンという名を名乗っていた人間の魂が、水の中で揺蕩う。

 

「やぁ、ご機嫌麗しゅう。ワタシのカワイイカワイイ愛娘(レイニー)ちゃん。インク(悪魔の肉体)から解放された気分はどぅー?」

 

 脳もないのにぼんやり、という表現もおかしいものだが、正に薄ぼんやりと、思考を纏めることもままならないレイニーの魂の前に、包帯まみれの女のにやけ顔が突き出された。

 水の中からガラスの壁を経て、その向こう側の空間に立つは、過去現在に渡ってレイニーの前に立ちふさがったエニシ・アマツその人である。

 肉体もない魂だけの抜き身となったレイニーは徐々に自我を思い出し、声無き思考で疑問を表す。

 

(……ここ、どこ)

 

「ここがどこか、ですって? んー……そうね、現状アナタには外部との連絡手段が途絶してる訳だしネタバレしてもいいわね。ま(・)だ(・)誰も助けに来るようなフラグ立ててないし。というか、フラグ立てられても困るし」

 

 声帯も、当然無い。

 にもかかわらず、思考が電気信号となってエニシの脳に伝わったのか、阿吽の呼吸という比喩では表現できないほど明瞭な意思疎通が成立した。

 どうやら、声がなくとも思考するだけで相手に意思が伝わる、と言うことだけは理解できた。

 

「ここは南極。かつてヴィブラニウム…おっと、正確にはアンチメタルだったかしら? さてはアンチだなオメー……じゃなくて、アンチメタルを採掘できるサヴェッジランドの足掛かりに構えた駐留地ってところね。元々はS.H.I.E.L.D.の前哨基地だったんだけど、少し前にソウロンから譲ってもらったのよねー」

 

(…ソウロン?)

 

「アラ? ラフトで会ってなかったかしら。ソウロン。カール・ライコス。ああ、そもそもラフトに収監された抜け殻にはアナタの意思なんて欠片も残ってなかったわね」

 

(……なるほど。南極はどこの国のものでもないものね)

 

 南極は、1959年制定の南極条約によって自国の領土であることを主張することを禁じられている。

 かつて南極を目指し、到達した探検家を擁する国々は自国の領有権であることを主張することもあった。現時点では条約のもと主張は認められていないが、それでも各国の主張が放棄されたわけではない。

 代わりとして、南極の観測や研究を目的とした基地が設けられており、S.H.I.E.L.D.もこっそり基地を建設していた。

 

 レイニーは、自身を閉じ込める容れ物を眺めた。

 半透明であることからガラスか、それに類するものだと考えていた。だが、たかが貴金属の類で人間の、それも死者の魂を密封するだなんて聞いたことがない。

 もしその技術を可能にするのだとすれば、前提条件として魂の組成と構成要素、そしてそれらに反応する物質の特定がなければ成立しないからだ。

 

(…この、設備は)

 

「ん? ああソレ。ワタシに語らせると長くなるから簡単に済ませるけど、いわゆる『魂の保管瓶』よ。肉体という容れ物から抜け出た魂を黄泉に送られるよりも先に保管して、研究材料にするためのもの。都合上複(・)数(・)使う必要を迫られたのでね。コレはそのうちの1つ」

 

 まあ、アナタに使うつもりはなかったんだけど。と続けて、エニシは愉快そうに笑って室内にあった椅子に腰掛けた。

 

「さて、ワタシのカワイイカワイイ愛娘(レイニー)ちゃん、元気だった? 幸せな夢見れた? ワタシ以外の家族ができちゃったと浮かれてた? 英雄になれたと、誰かを助けられる立派な英雄(ヒーロー)になれたと、浮かばれてた?

 アナタってほんっっっっとうに頭お気楽極楽トンボの極みね。馬鹿じゃないの?

 自(・)分(・)を(・)救(・)え(・)も(・)し(・)な(・)い(・)人(・)間(・)が(・)英(・)雄(・)な(・)ん(・)か(・)に(・)成(・)れ(・)る(・)ワ(・)ケ(・)な(・)い(・)デ(・)シ(・)ョ(・)」

 

(………そう、ね)

 

 ──確かに、その通りだと、レイニーは自嘲した。

 そもそもあのメッセージを残したのは、自分で自分を守れなくなるだろうという、未来で愚かな判断を下す自分を予期してたからだ。

 誰かを助けるだけの人間は、英雄ではない。

 誰かを助け、そして自分も助ける(生き残る)。

 自己の生を手放す人間が、英雄として称えられることはない。例え誰かを助けたとしても自分が死んでしまえば結局はプラスマイナスゼロなのだ。人はそれを只の自己犠牲と言う。

 

 だから、自分は英雄ではない。

 ただ、力もないのに誰かを助けようと空回りし続けただけの、亡霊だ。

 

 するとガラスの向こうで、エニシが、さもおかしなものを見るように首を傾げ、唸っていた。

 

(なによ、その反応)

 

「いやぁ? 別に? ただワタシが予想してた反応と違ったものだから、少し意外だっただけ。もっと、そのガラスをバンバン叩いて憤慨して怒り狂って「ふざけんな! お前にそんなこと言われる筋合いはない!」って、一端の英雄気取りの背筋も凍るような薄ら寒い名台詞でも吐くのかと思ったけど、そういう様子もないし……おかしな娘ねぇ」

 

(……いい加減、娘扱いするのはやめてよね。レ(・)イ(・)ニ(・)ー(・)・コ(・)ー(・)ル(・)ソ(・)ン(・))

 

 

「───へぇ」

 

 

 道化のような態度が、剥がれ落ちた。

 にやにやと人を嘲るような笑みはそのままに、内心の驚愕と歓喜の色は隠すことなく、エニシはガラスの表面を指先で撫でた。

 

「ホゥ、ホゥ、ホゥ。へぇー、なぁに? 今(・)回(・)の(・)は(・)ちょっと鋭いわね? ワタシ、そこまでヒント与えたつもりはなかったんだけど? それとも数千分の1の確率を引き当てたってところかしら? じゃあ、答え合わせでもしてみましょうか」

 

(……最初に、違和感を感じたのは、家で見つかったエニシの資料だった)

 

 魂に刻み込まれた記憶を呼び起こすように、意識を過去に遡行させる。集中しなければ自我すら保てないような状態の中でも、生前の思考能力は逸脱したものだった。

 普通の人間であれば、自分が誰であるかを思い出すことすら困難。それが魂だけの状態。

 

(内容が…というか、クセのようなものが、違ってた。私の中でお忍びで家に来てたエニシと、過去の研究資料のエニシの人物像の結びつきが、できなかった)

 

 レイニーは過去、父親(フィル)の目を盗んで訪れたエニシから教育の手解きを受けていた。内容は言語から暗号解読まで様々なものばかりだが──教育とは、ものを教えるとは、その人の気質を肌で感じるものである。数年という短い期間ではあったが、それでもレイニーはエニシの気質を理解していた。

 だからこそ、家に遺されていた過去の資料の記述が、既存のエニシに対する印象と合致しなかった。

 

 建築物や創作物の類には、創造主の個性が滲み出る。

 

 レイニーは、其処に違和感を感じていた。

 はたして、過去のエニシと今のエニシは同一人物なのだろうか、と。

 

 確かに、年を重ねるごとに書き方を変えていくことはあるだろう。しかしそれは連続性(シーケンシャル)を保ったものであって、突然変わるものではないし、変えられるものでもない。

 

 馬が、進化の過程で走ることに特化した生物になったように。

 キリンが、進化の過程で高い位置の餌を捕食できる生物になったように。

 生物の跳躍進化は有り得ないのだ。それが一個体の人間であるならば尚更。

 進化はする。進化はするが、それは漸化的(リカーシヴ)なものでしかない。

 

(次に違和感を感じたのは、私のコントロール下から離れて自律したボリス)

 

 過去、レイニーのコントロール下から離れて生活するインクの住人は何人かいた。しかしそれはあくまでもベンディとの相談の末に承諾した個体のみだ。

 万が一、問題が生じた場合に連絡が取れなければ話にならないし、インクの住人の解放もレイニーの目標であった以上、手綱をそう易々と手放していいものではない。従って、定期報告の約束事も取り付けていた。

 しかし。

 

(2年以上も報告の連絡がないなんて有り得ない。だって、私かベンディ以外にインクの住人の命令権を持つ者はいないはずだから。でも、そう…私(・)と(・)同(・)位(・)体(・)の(・)存(・)在(・)であるなら、インクの住人はきっと命令に従うでしょうね)

 

 要は、相手がベンディという大本の悪魔か、レイニー・コールソンという人物であればいいのだ。

 そもそも、インクの住人は人を外見では判断しない。今のレイニーのように抜き身の魂をインクでコーティングしただけの存在であることから、生来の人間の感覚器官を持ち合わせていない。

 人を見た目ではなく、魂で視る。

 

 奇しくもそれは、マインド・ストーンの力を得たレイニーだからこそ理解できる景色であった。

 

(だから、未来の、でも過去の、でもなく…別の次元から来た私と考えた。私の未来はあの空港で途切れてることは分かってたし、ベンディと融合しなかった場合の私、というケースであったとしたら、ボリスにバッキーの監視を任せるという命令を下すことは不可能なはずだから)

 

「……ブラボォ~ブラボーブラボーキャプテン☆ブラボー! 手にはピストル心にゃ花束、口に火の酒注いで背中で人生背負いたくなっちゃうわ! これが試験だったら100点満点をプレゼントしてたわね!

 そういえば実際の試験って120点くらい取る気持ちじゃないと100点なんて取れないっていうわよね。100点目指したって80点しか取れないっていうジレンマ。アレなんなのかしらねー!」

 

 ちょっとテンションおかしいな、コイツ。

 元から挙動がおかしい奴だとは思っていたレイニーも、脊髄反射を凌駕するリアクションには絶句した。

 イヤ、絶句する口すらないのだから『絶考』というのが正しいのか。

 

「イヤイヤホントホント! 素晴らしいわね! いくら唯我独尊なワタシであっても誰かと協力してそこまで情報を集めることはできなかったわ! 素晴らしい!」

 

 お世辞にも褒めてるとは思えない、寧ろ小馬鹿にしてるのかと思いたくなるような賛辞、拍手喝采。とてもじゃないが、淑女がやる仕草とは思い難い。

 げらげらげらと、聞く耳を不快にさせるような哄笑が部屋中に響き、ガラス越しのレイニーでも不快感を感じざるを得なかった。

 

「その通り、お察しの通りワタシは別の宇宙(ユニバース)からきた『レイン・Y・コールソン』ご本人よ。

 そして最(・)初(・)の(・)『ユカリ・アマツ』でもある」

 

(……最初の?)

 

「ああ、その辺りまだ全然話してなかったわね。じゃあ真相に辿り着いたお礼として、隙(あらば)自(分)語(り)でもしましょうか。御褒美、ボーナスとしてね。光栄に思っていいわよ? ワタシのことを私に話すのはアナタが初めてだから」

 

 エニシは──いいや、別次元から来たと自称するレイニーは喜悦の笑みを浮かべて、語り始めた。

 エニシ・アマツという女の一生を。

 

 

 

 

 

 Chapter 125

 

 

 

 むかーしむかし。といってもそこまで昔ではない昔。

 極東の国ニッポンの名家にある女の子が生まれましたとさ。

 名前はエニシ・アマツ。

 ニッポンの機密を持ち出し海外に亡命して、後のHYDRA創始者であるレッドスカルの右腕となるアバズレの名前です。

 

(……悪意のある紹介ね)

 

「自己紹介に善意も悪意もないでしょう? おっと茶々入れないでよ、語るのヤメたくなっちゃうデショ」

 

 諸外国との戦乱の只中で生まれた彼女は、目の前で生まれて兵器という圧倒的な力の前に無意味に死んでいく人間たちを見て、こう考えましたとさ。

 

 「なんで人間は死んでしまうんだろう」と。

 「自己が死んでも、世界は廻り続けるのだろうか」と。

 

(……どういう意味?)

 

「簡単に言えば、「人は生きて死ぬけど世界は廻る。じゃあ自分が死んでも世界は廻るのか? 止まるのか?」ってところね。眼球地球論って知ってるかしら? 自分の見ている世界は自己の眼球の中の光景でしかなくて、世界は私たちの外側ではなく内(・)側(・)に(・)在る……まぁ、あくまでもたとえ話だけどネ」

 

 アマツ家という名家の御令嬢でもあった彼女は国の蔵書を読み漁って、自分の疑問が解消されるまで気の赴くままに調べました。そして、その探求心に果てはなく、わずかでも可能性があれば試さずにはいられない類い稀なる行動力も持ち合わせていました。

 

 でも、ニッポンでその探求心は満たせなかった。

 

(……ニッポンでは、実行できないような実験をしようとしたから?)

 

「ニアピン。確かに彼女が考えてた研究は推測でしかないけど、かつて『解体新書』を書き綴ったゲンパク・スギタとその門下生だって拒否したくなるような研究であることは明白よね。だから彼女は、未知の可能性が広がる外界に踏み切った。自分の知的好奇心を自らの手で満たせるような、そんな理想郷を求めてネ」

 

(…その理想郷が、HYDRAってワケか)

 

「当ったり~その通り。まぁ、HYDRAは『HYDRAの神(ハイヴ)』っていう遠宇宙に追放された超能力者(インヒューマンズ)を連れ戻す目的で創設されたのだけどね」

 

 その研究を行う上でも、彼女にとってはとても都(・)合(・)の(・)い(・)い(・)組織だったのでした。

 

(…レッドスカルも、それを見越した上でエニシを迎え入れたのね)

 

「そうね。その時点でも現段階での人間には『HYDRAの神(ハイヴ)』の元への到達が不可能って判断したでしょうから、人間の質を向上させる手法としてエニシの研究は有意義なものになると判断したのでしょうね」

 

 そして彼女は、気の赴くままに自己と世界の探求を人体実験という手段で進めたのでした。人間という生物の解明をしつつ、片手間に超能力者(インヒューマンズ)や宇宙人(クリー人)の研究も忘れずに。

 幸いにも、戦時下にあり各国の中枢に潜り込んでいたHYDRAにとっては検体の1000人や2000人を仕入れることに困りませんでした。

 死刑囚には減刑を引き換えに。

 民衆には人身売買という身柄の買取を。

 軍人には二階級特進という殉職の報奨を。

 身元不明の宇宙人には、当然貴重な検体として丁重に扱われました。

 

(クリー人…以前、キャロル・ダンヴァースを捕らえたっていう野蛮な連中)

 

「ああ、その機密文書(ペガサス計画)も解読済みだったのね。じゃあクリー人とスクラル人とのめくるめく対話と研究の物語については省くわ」

 

 エニシは、時間も忘れるほど研究に没頭していたのでした。そう、余(・)命(・)という時間を忘れるほどに。

 

 手足は萎びて。

 頬は痩せ。

 力は衰え。

 それでも、脳の回転は冴えたまま。

 

 そこで、彼女は無数ある研究テーマからいくつかピックアップしました。し(・)ば(・)ら(・)く(・)は(・)その研究に全力を注ぐという触れ込みで。

 

(……『代替』と『半恒久的な人類の継続』)

 

「だーいせーいかーい」

 

 彼女は、己という誰よりも優れた人間が失われる『世界』を哀れんだのです!

 仮に、人類の科学を10年進歩させる功績を残した人間がいたとしましょう。では、その人物が死んでしまったらどうなるのか? 彼女はこう考えました。

 

 「死んだら10年分進歩が遅れてプラスマイナスゼロになる」と。

 

 『寿命』という避けようもない運命を今更ながらに自覚した彼女は、この2つの研究テーマに全力を注ぎ、いままで研究成果だけを提供していたHYDRAの部下をも巻き込んで強制的に研究に参加させたのでした。なんて横暴なんでしょう。

 

(……機密漏洩の可能性もあったでしょうに。しかもその言い方、まるでHYDRAメンバーも研究材料にしたみたいな言い分ね)

 

「それも間違っちゃいないわね。バッキー・バーンズだってエニシの研究の一部を使われたし、アーニム・ゾラはその研究の実験台になってたわけだし」

 

 『代替』と『半恒久的な人類の継続』。

 この2つのテーマを実行するための研究としては、まず人間というものを深く研究する必要があるのでした。

 すると? あら不思議、なんということでしょう。彼女の研究はすべてがすべて、この2つの研究テーマを完遂するためにあったのです!

 彼女はこれを天啓と考えました。神が自分に与えた啓示だと。自分はこのために生まれこのために生かされているのだと。

 

 そう、「世界は自分に生きろと言っている!」と感極まったのでした。実に滑稽。

 

(……やっぱり、あの時「3割正解」って言ったのって)

 

 

「ど(・)ん(・)な(・)存(・)在(・)に(・)も(・)な(・)れ(・)る(・)──そんなスパイになること。それがあなたの研究だった。つまり、あなたは〝母親〟という代替になろうとした。違う?」

 

「…クスクスクス、半分正解半分不正解。いいえ? 3割程度ってところかしら? それでも凄いわぁ〜あんなヒントにもならない雑談からそこまでくっだらない妄想を膨らませて、偶然にも真実の切れ端に漕ぎ着けたなんて。赤ペン先生で花丸付けてあげる♦」

 

 

「そ。『自分が誰かになる』代替ではなくて、『誰かが自分になる』という代替。決してエニシが万物への代替可能なスパイになれる、という意味での研究ではないってこと。だから3割」

 

 彼女は元々、平たく言えば『不老不死』を実現させるための手段を複数考えていました。

 1つ目は、『不老不死』を継続させる環境の特定。

 

(環境?)

 

「かつて極東にも『死なない研究』の基礎理論を構築した人がいたらしいわ。曰く、ストレスを与えることが進化と老化に直結するのだとすれば、24時間365日まったく同じ環境でまったく同じ食事内容でまったく同じ生活サイクルを送っていれば、理論上死ぬことのない人間を生み出すことができる、とかなんとか」

 

 しかし、彼女には刺激のない無味乾燥の人生を歩むことは主義に反するとのことで研究は頓挫したのでした。

 他にも、超低温下でも生体活動の凍結による延(・)命(・)、特殊な培養液の開発による細胞の劣化予防という研究もありましたが、いずれも研究の将来性は見込めず研究は中断されました。

 

 2つ目は、自己と同じ思考を行える存在の確立。

 自身と近似値の思考回路を持つ人間を選別し、囲み、育て上げ、それぞれ専門分野という名の『括り』を与えることによって『エニシ・アマツ』と同一存在になる『集団』を生み出す、人間社会特有の『集団』を『個』とする集合的無意識の性質を利用した手段です。

 しかし、この研究は欠点がありました。

 

(……それはで(・)き(・)な(・)い(・)。1人1人が辿ってきた人生が決定的に異なってる限り、いくら寄(・)せ(・)たって、同一にはなれない)

 

「その通り」

 

 集団が産み出す思考の配線図が近似値であったとしても、同一に辿り着くことはできなかったのです。幸い、彼女は研究の中で培ってきた技術で他者の記憶を挿げ替えることはできましたが、それでも成果は芳しくなかったのです。

 

 自分は天才であり万能であっても、被験者である対象が足を引っ張るゴミである限り、全能者として君臨することは不可能だと悟ったのです。

 

(…酷い、傲慢)

 

「結局は、個々人の人間に手掛けられる手が足りなかったということね」

 

 彼女は複数人で研究を進めてきましたが、誰一人として彼女と同等の理解に到達することはなかったのです。従って、いくらHYDRAの手で無数に被検体を搬入できたとしても、処置できる人間が1人である限り効率としては最悪だったのです。

 加えて、個々の経歴(パーソナルデータ)を把握する為に要する時間が、あまりにも膨大だったのです。

 

「費用対効果ってやつね。研究の成果を出すためのコストが多過ぎたから」

 

 それでも、検体の数に比例して数多の研究者と並列して研究を進めてきたことで、HYDRAという組織の中では、生活行動や態度といった思考回路が脳の電気信号によって形成、強化、増強されるという一定の成果を得ることに成功したのです。

 後にバッキー・バーンズ軍曹ら捕虜に施す洗脳の土台(ベース)となる技術となります。

 脳片移植による配線図の強引な書き換えは、脳と肉体のミスマッチによって自壊する個体もありましたが、奇跡的に成功する検体もみられたため、この研究は別部署に引き継がれることとなりました。

 

 なにはともあれ、脳の配線図を、その全容を掴むことに成功した彼女は、別の手段を考えました。

 

(……代替存在の確立。写し替え…? え、じゃあまさか、アレは段階ではなくアプローチの鞍替えの流れってこと…?)

 

「んんッ、何を言ってるのかなあ?」

 

 3つ目は、人間の脳の別媒体への移植。

 元々劣化しやすい肉体で構成されている人間は、彼女が考える記憶媒体としては不適格であると考えたのです。金属よりも経年劣化しやすく、野犬より長命であっても亀より短命な人間という種族は、彼女のお眼鏡に叶う媒体ではなかったのでした。

 人間とは、多細胞生物として生まれてしまい、自己と同一の遺伝子を継承することができないというメカニズムに縛られた可哀想な生物。唯一自己(エニシ)という人類を次のステージにランクアップさせる可能性を見出す天才を生み出せたことだけが人類の功績であると理解した彼女は、より一層研究に励むのでした。

 

(自分を生み出すため、ね。ここまでくるともう何も言えないわ)

 

「そう言ってやらないでよね。これでもエニシは人類の可能性を信じてたのよ?

 鼠算式、って言葉あるわよね。人間以上に個体を増やす鼠。繁殖能力じゃ哺乳類の中では随一だと悟ったエニシも、「人間はそこまで節操無しにセックスしない」って結論で済ませたし。繁殖率が高いってことは、それだけ個体が死にやすい生物であることの証明に繋がったしね。

 それが、気紛れで調べたベニクラゲの研究で心へし折られそうになるとは思わなかったでしょうね。地球上に現存する多細胞生物の中でも唯一iPS細胞の自己生産ができる不老不死の究極生物。ま、そ(・)う(・)で(・)あ(・)る(・)と(・)解明できただけ、まだ人間はマシだと思ったんデショ」

 

 苦悩し、挫折し、それでも諦めなかった彼女は、遂に個人の『脳の配線図』を別の媒体に移し替えることに成功したのです!

 丁度、人類側(サイド)も集積回路の発明やネットワークという現実世界とは異なる世界の構築に漕ぎつけたことにより、この研究は加速することとなりました。

 

(……それで、アーニム・ゾラみたいな媒体移植の成功例が出たのね。『魍魎の匣』の脳バージョンみたい)

 

「『魍魎の匣』は脳ではなく他の部位、心臓、肺、肝臓、膵臓、腎臓……脳だけを活かすための臓器を代替した装置が『匣』だったもの。でも…きっと彼女も思ったと思うけど、それって不毛じゃない?

 脳という臓器を代替できるような科学があるなら、脳(・)そ(・)の(・)も(・)の(・)を(・)代(・)替(・)し(・)て(・)し(・)ま(・)え(・)ば(・)、脳(・)機(・)能(・)を(・)維(・)持(・)す(・)る(・)た(・)め(・)の(・)大(・)掛(・)か(・)り(・)な(・)装(・)置(・)な(・)ん(・)て(・)必(・)要(・)な(・)い(・)じゃない。ってね」

 

(それはあくまでも、脳機能そのものの代替案がわかってる人だけに許された特権でしょうに)

 

 問題は、誰が施術者(執刀医)となって実行するかということでした。

 この時期には既にレッドスカルはキャプテン・アメリカの手で宇宙の彼方に消え去りHYDRAは一時的に崩壊、ぺーパークリップ作戦による大量の技術者の亡命が行われた後だったこともあり腕のある技術者は消え、S.H.I.E.L.D.によって研究施設のいくつかは潰れてしまい、最早研究継続が不可能な状態に追い込まれました。運の悪いことに、半恒久的な存在を保持する触媒も見当たりませんでした、なんということでしょう。

 

 しかし、彼女は諦めが悪い女だったのです。そう、女(・)だった。

 

 そこで彼女は自身が女であり、生殖機能を持っている性であることを利用しました。

 移植媒体のベースを、自分の子に選んだのです。

 

(……それで、私ってわけ)

 

 遂に4つ目、最後の手段。

 人-人間の脳移植による存在の相続。

 

「アナタ、少し前にHYDRAに乗っ取られたS.H.I.E.L.D.を托卵って比喩したわよね? 鳥の巣に別種の鳥の卵を植え付けて、親の違う親鳥に育てさせる種の保存。アレはいわばエニシの研究のオマージュよ、アプローチは違えど考え方はほとんど同じ。

 HYDRAという本体が死に絶えようと、代替存在となるものが手を変え品を変え、組織の頭を挿げ替えて新しい血を全身に生き渡らせてしまえば、HYDRAという存在はS.H.I.E.L.D.という組織の皮を被って永遠に世界に存在し続けられる。つまりはそういうこと。

 ま、元々は白血病治療として用いられることになる骨髄移植が発想のきっかけだったけどね。悪い血を追い出して新しい血に入れ替える。当然、移植片対宿主病(GVHD)みたいに入れ替えた血が宿主を攻撃してしまうなんて例もあったけど」

 

 当然、血液型は愚か人種さえも異なる二者間での脳移植は成功しませんでした。

 幸い、個の複製が不可能である人間でも比較的親と近似値にある遺伝子配列を持った子を生み出すことが可能で、加えて数ある人-人間移植の実験を行った中でも親個体から子個体への脳移植は適合率が高かったのです。

 

(……同物同治って薬膳、あったわね)

 

「え? まさか脳味噌を食せば知識を継承できるだなんて考えてるの? すっごーい、正に初期のエニシの研究には同物同治(ソレ)も含まれてたわ。人間に別の人間の脳味噌を食わせたら記憶や知識を継承できるのかどうか。結果は散々だったけどね。

 同物同治って、元々は調子の悪い部分を治すために同じ部位を食べる治療法でしかなくて、馬鹿の頭を良くするなら同族の脳味噌よりもマグロにあるDHAで脳を活性化させた方が遥かに有意義。血液サラサラになるEPAもあるしね」

 

 実年齢は70歳を超えているにも関わらず、様々な研究に着手していたせいか外見年齢だけなら20代と変わりない容姿であった彼女は、S.H.I.E.L.D.から派遣された1人の男を捕まえて強姦し、種子をその身に宿しました。おお、女に押し倒されてしまうとは情けない。

 

(父さんを悪く言うのはどうかと思うけど)

 

「うむ、それは同意ね! でも強姦される男って情けないとは思わない? 30年童貞貫いた魔法使いの方がまだマシよ」

 

 実年齢だけであれば既に出産適齢期を大幅に逸脱していたにも関わらず、彼女は幸運にも子を授かりました。お腹の中ですくすくと育つ胎児を見て、彼女は大事に大事に撫でました。

 

 レイン・Y(ユカリ)・コールソンという、新たな名前を考えて。

 

 輝かしい未来の、新たなる自分の器になるだろうと夢見て。

 

 

 

 

 

 Chapter 126

 

 

 

(……ん? ちょっと待って。その説明の仕方おかしくない? まるで成(・)功(・)し(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)み(・)た(・)い(・)な(・)…)

 

「残念ながら」

 

 重く。

 先ほどまでの、物語調の軽口とは異なり、ガラリと人格が変わったかのような変貌を遂げたエニシ──否、包帯のレイニーは、椅子から立ち上がってコートを脱ぎだした。

 

「誠に残念ながら、この次元(ユニバース)ではその本懐が為されることはなかったんだよ。アナタを出産したエニシは産褥期が過ぎて肉体のポテンシャルが元通りになった時期を見越して施術しようとした。

 でも、それは暗殺によって終わる。脳天にヴィブラニウム製の拳銃で一発。再利用不可能なレベルまで脳漿は粉微塵に砕けてしまい、この次元(ユニバース)におけるエニシ・アマツは死亡した」

 

(こ(・)の(・)次(・)元(・)で(・)は(・)…?)

 

 包帯だけになったエニシはしゅるしゅると結び目を解き、右手の包帯を捲っていく。

 

「ワタシは、レイニー・コールソン」

 

 無かった。

 腕が。包帯を解いて露になった肉体は──存在してなかった。

 ただ、薄黒い靄(モヤ)があるだけで。

 血肉は愚か、骨すらない。

 

「私は、エニシ・アマツ」

 

 腕時計が巻かれた左腕以外の包帯が、解けていく。

 目も。耳も。鼻も。頬も。口も。

 頭も。首も。肩も。胸も。腹も。背も。手も足も。

 何もない。空虚で伽藍洞な幽霊(ゴースト)に成り果てた存在が、其処には在った。

 

「初めまして。私が始まりのレイン・Y(ユカリ)・コールソンであり、全次元(ユニバース)においてエニシ・アマツの脳を継承した唯一の人間よ。以後、お見知りおきを」

 

 

 

 

 





 彼女は〝彼女〟と邂逅した


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。