パラサイト・インクマシン   作:アンラッキー・OZ

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インクフォビア

 

 

 Chapter 18

 

 

 

 任務の後は、必ずシャワーを浴びるのが習慣だ。

 

 それは、多分、返り血を落とすとか、飛び散った内臓や脳漿、糞尿の臭いを落とすためとか、そういう意味合いじゃない気がする。そもそも私の体はインクだ、死体や糞尿にまみれようがこいつはくせえッ──! インクの匂いがプンプンするぜッ───ッ!! ヘイヘーイ。

 そう、つまり? インクの匂いしかしない訳だ。つまりどんなに足掻こうともインク、インク、インクしかない。かなしみ。匂いもインクなら汚れもインクだ。

 

「〜〜〜♪」

 

 別に体が汚れてる訳でも、臭い訳でもない。気分の問題だ。

 気分の問題。実に人間らしくて、まだ人間としての部分が残っていることに感謝だ。それもシャワーに流れてしまったら本末転倒なのでほどほどにだけど。

 

「───3分、まだ保つ」

 

 シャンプーの容器の隣に立てかけてある防水仕様のデジタル時計がようやく「03:01」を超えた。記録更新してるけどたぶん暑過ぎるとヤバいよね。

 頭から浴びてる少し熱めのシャワーを浴びながらちょいと二の腕を摘んでみる。ふよんと肉らしい感触がするけど、インクに溶けることはなかった。劇的な進歩…エボリューション! 私感動。

 

 2年前は、水に触れるだけでインクになって溶けちゃったからね。キャップと一緒に住むアパートでシャワー浴びたらどろどろに溶けて排水溝にダストシュートしちゃったときはほんと焦った。キャップにもビビられた。そりゃ悲鳴がしたかと思ったらシャワー出したまま消えるんだから、新手のテレポーテーションかと思うわ。

 

 長官に長い間瓶詰めされてたせいか、ヒトとしての肉体を意識することがない時期が続いてたからか水に溶けちゃう系ロリータになってしまったのだ。おのれ長官赦すまじ。

 この2年間、S.H.I.E.L.D.で鍛えながら、ヒトとしての肉体を意識して訓練することで、肉体を維持する時間が比例して増えるようになった、やったね。いまシャワー浴びてるみたいに、ある程度水被っても問題なくなった。

 

「あら、随分ご機嫌な鼻歌ね。歌手は誰かしら?」

 

「レイニーちゃんじゃない? さっきご機嫌でシャワールームに入ったところを見たわよ」

 

 あらやだ恥ずかしい、そんなにご機嫌な様子だったかな(鼻歌:Build Our Machine)。

 少しシャワー浴び過ぎたと反省反省。別にS.H.I.E.L.D.のシャワールームは職員が多い分ちゃんと数用意されてるし、あとがつっかえるほど混み合う訳でもない。

 それはそれで、本来シャワールームなんて夜勤の職員しか使わないわけだから、つまるところオールの職員がそれなりにいるということと同義な訳で、もしかしなくてもブラックな職場だ。

 就職するならS.H.I.E.L.D.よりスターク・インダストリーズの方がいいよ、頭さえ良ければ昇級制で給料増えるし、社長はポッツさんだし、希望に応じて配属変えられるし。唯一の欠点はたまにスタークさんの道楽で億ドルレベルのお金が吹っ飛んで一瞬で赤字になるクレバーなところか。うん、世の中美味い話なんてないよね。

 そろそろ体溶けるかな、と思い、レバーをキュッと捻ってシャワーを止めて個室から出る。すると目の前に金髪美女のぼいんぼいん。この人絶対着痩せしてるタイプでしょ!

 

「あらやっぱりレイニーちゃんだった。任務お疲れ様」

 

「うん、ありがとー」

 

「ふふふ、相変わらずちっちゃいのねー。かわいい、こんな娘欲しいわ」

 

 タオル乗っけた頭を撫でり撫でりと撫で回される。

 やめぃ! 上から手で抑えられると下乳と黄金比みたいな括れとへそピと清楚なヘアしか見えなくなる!

 

 くっそエロい(汚い言葉!)

 

 でも仕方ない。同性の私でもそう思うくらいくっそエロいのだから。やーめーてーよー、とかわいく嫌がる様子を演じつつ、バインバインな美女たちから逃れて服を着る。今度脱毛剤つけてやろうかな、そういうの好きなスケベじじい知ってるぞ、確か…えっと、上院議員さん。スターンって名前だったっけ。前にいい笑顔でスタークさんと握手してた写真見かけた。

 

 服も、以前はインクで作ったものを着用してた。

 でも、最初に家に来たナターシャさんとバートンさんが服を持ってないと伝えたら愕然として、一緒にショッピングセンターで数着選んでもらった。

 ナターシャさんはキャップに「有り得ない」と言って説教してた。曰く、同棲する女性の服を一着も見繕わないとは男として有り得ないと。アメリカを代表する英雄サマが正座で説教される姿は私以外見たことないだろうな…誰も見たくないよ…うん。そして間接的に原因作ってしまってごめん、服に頓着なかった私も悪い。

 いやだって、インクになってから服はロクなの着てなかったし、修行してた頃はハg…若作りおb…師匠は! 師匠は物欲はナントカカントカで基本一枚布を巻いただけでいいとかよくわからない超理論抜かすし! それに洗脳されてたし! つまり私のせいではない、Q.E.D.(これにてしゅーりょー)

 

 正座したキャップを置いてって、ナターシャさんとバートンさんに連れられてショッピングセンターでは着せ替え人形にされた。でも普通に楽しかった。

 よく着せ替え人形にされる側は気が滅入ると聞くけど、実際楽しかったし色々な服を選んでもらえたので結果的に良かった。バートンさんがやけに子ども向けの服のチョイスが上手でナターシャさんも驚いてたけど、あれ? 二人付き合ってる訳じゃないの?

 だが、一つ悲しかったこともある。ブラウスを着る前に首を90°下に傾ける。真っさらなダンガイゼッペキィ。

 

「……はぁ」

 

 ブラが、買えなかった。

 このAAAクラスの絶壁につける下着などない…嗚呼、無慈悲。タピオカを墜とす絶壁は伊達ではない? 悔しいでしょうねぇ!? てめぇ!

 私みたいな子どもにつけるにはまだ早いと二人に笑われた(その時バートンさんはナターシャさんに足踏まれてた。結構痛そうだった)

 寄せて上げる胸肉すらないのだ、こう言ってはなんだが、見た目ギリ10代に届くかというレベルで詰め物付きのブラをつける方が屈辱だ。

 

 一応、見た目は年相応に成長してる。胸以外はね!

 どうにも、身体がインクになってから身長体重や体格はある程度自在に変化できるみたいだけど、それとは別に私本来の成長は進んでるらしい。

 髪も相応に伸びたりしてるけど、インクでヘアスタイルは変えられるため今はショートボブがデフォルト。ナターシャさんみたいな肩までサラッサラなヘアスタイルもカッコいいけど、あれはナターシャさんレベルの年齢になってレディとしての場数を踏んでなきゃ出ない魅力だ…ちょっと今の私では手が届かない領域。仕方ない。まだ未熟者だし乱闘で髪引っ張られるのもアレだからショートボブで我慢しよう。アクセントに縮れ癖っ毛にするとなかなか個性出ると思ったけど、どこかで「陰〇頭ァー!」と大声で笑われそうだったので、当分癖っ毛の予定はない。

 

 それなら多少胸肉盛れるんじゃないかと試してみたけど、これがなかなか上手くいかない。

 どうにも、私本来の成長に合わせて肉体のイメージが付くみたいだった。お陰でこの2年間、8歳児では絶対やらないようなトレーニングをしたせいか、太腿と上腕二頭筋の筋肉がヤバい。おしりも左右別々に動かせるし、おなかもシックスパックとかじゃないけど、チャイルドボディビルダー的なムキムキになってる。でもエロくない。

 

「…鍛えてるせいで大きくならないとか? いやまっさかぁ」

 

 ナイナイ、と自分で否定しつつ脱衣室から出る。シールドの廊下はピッカピカで、おまけにシャワーを浴びた後ということもあって気分は最高だ。

 

 清々しい気分でスキップしながら着替えが入った袋をぶらぶら揺らして、先の考察を続けてみる。

 

 成長する肉体がそのまま反映されるということは?

 つまり?

 まだ成長の余地はあるということである!

 つまり!

 へそピが似合う生足魅惑なマーメイドになる未来があるかもしれないということ…!

 

「ん?」

 

 ちょっと待て、マーメイドって足ないじゃん。んん? 新手のスケベヒロインか? ナターシャさんとは別路線でウケが…うーん、ダメだ。想像力が足りなくてイメージできない…イメージしろ、生足魅惑なマーメイドになる自分を…!

 

 無理だ。

 

Ahahaha

 (ッハハハ)

 

「あ! 今笑ったでしょ失礼ね!」

 

No ,nothing I'm not laughing … Buhuhu

 (イ、イヤ別ニ笑ッテナンカ…ッブフォ)

 

「笑うなし!」

 

「ちょっとレイニー! 下下!」

 

「え? あっ」

 

 やばい。

 下すっぽんぽんだった。

 スウェットシャツの裾がギリ太ももまで届いてたせいで下半身のスースーする感覚とかなかったから、気がつかなかった。

 どおりでさっきから男どもが女性職員に目潰しされてる訳だ! それでベンディが笑ってたのか! 教えてよ!

 

 いや男の衆、ごめんて。家ではリラックスモードで穿いてないんよ。

 

 

 

 

 

 Chapter 19

 

 

 

「…失礼しまーっす」

 

「ちゃんと穿いているか?」

 

「セクハラ!」

 

 シャワー浴びたあと、黒酢をインク代わりに呑んでいたレイニーが館内放送でフューリーに呼ばれて司令室に戻った。

 放送時、もうノーパンの件バレたのかと黒酢を喉に詰まらせたのは無理ないことだった。いくら狭いと言えど、数分と経たないうちに上層部のフューリーまでどうでも良さそうな情報が伝わるとは、流石シールドの情報網と言ったところか。

 レイニーがショートボブの髪をユラユラ揺らしてイーッと威嚇しながら入室すると、はたと盾を背負ったスティーブと目があった。ぽかんと口を開けたスティーブを見て、ん?と首を傾げたレイニー。ついさっき任務が終わったばかりだが、人質も全員無事、敵もレイニーが軒並み銃火器を分解したせいでたいした抵抗もなく全員捕まえたから問題ない筈である。

 海賊の首領であったバトロックを取り逃がした件と、もう一つを除いて。

 

「レイニー、ナターシャの任務知ってたか?」

 

「え? 知らない」

 

「だよな」

 

 別任務についていたナターシャと、それを伝えなかったフューリーという二人の事例に遭遇して若干疑心暗鬼になっているスティーブだが、レイニーの反応は本当に知らなかったと見抜いていた。伊達に2年間同棲している仲ではない、レイニーもある程度腹芸は得意かもしれないが、こういう場面で嘘は吐かないと信じていた。

 

「僕だけじゃない、レイニーにも伝えていなかった。どういうことだ長官?」

 

「情報の分散だよ。さてレイニー、約束通り私物を片付けろ今すぐだ 」

 

「えー」

 

「えー、じゃない。約束は守れ、そのためにわざわざ放送で呼んだのだ。それとも命令されたいか?」

 

「はいはい」

 

 はーとため息をついて、レイニーは胸元のボタンを全部外す。

 は?とレイニーの行動に驚く男二人だが、そんな彼らを見向きもせずレイニーはデスクに積まれていた参考書や引き出しから出されたプラモデルを手に取ると、そのまま露わになった白磁が映える胸元へ突っ込んだ。本やプラモデルは肌に衝突することなく、ずぶずぶとインクのさざ波に飲まれて消えていく。質量保存の法則を無視したような光景に思わず唖然とした。同時にフューリーはなぜ手ぶらで来たはずのレイニーがあれほどの大荷物を一度に持ち込めたか理解した。

 

「ん?」

 

 見られていたことに気付いたレイニーが振り向く。思わずフューリーとスティーブが視線を外す。決して気まずい訳では、ないはず。

 

「…キャプテンは私に同行してくれ。レイニー、片付け終わってもしばらく待機してろ」

 

「…あぁ、はい。了解」

 

 レイニーはプラモデルを次々と体の中にしまいつつ、フューリーの言葉で漸くそっちが本題かと理解した。

 私物の片付けも建前ではないだろうが、呼び出すにはうってつけの口実であり、何より他の人に不審がられない案件だった。何も知らない殆どの人はノーパン騒動のお叱りを受ける為と思い、レイニーが私物を司令室に持ち込んだことを知る一部の人にはそれを片付けるために呼ばれたと思う。

 

 だが、それらはあくまでも真の目的を悟らせない為の、偶発的なカモフラージュに過ぎなかった。

 スティーブは額面通りその言葉を真実として受け止めていたが、ヒーローというよりもスパイ・エージェントとしての側面が強いレイニーにはフューリーの伝えたいことがわかった。

 レイニーは二人の退室後、あくまでも片付けるという体でプラモデルで遊んだり、途中で飽きたと言わんばかりにゴロゴロ転がったり、しまおうとしていた本を読んだりして時間を潰す。

 

 しばらくして、フューリーだけが司令室に戻った。

 

「荷造りは終わったか」

 

「確認分は」

 

 目の高さまで上げた手を開き、そこにある黒く細々とした装置を見せた。

 司令室に取り付けられていた盗聴器の数々だ。既に電源は切られている。

 それでも「確認分は」と言ったのは、暗にまだ盗聴器が残っている可能性も捨てきれないと判断してのことだ。隙間さえあればどんなところにでも潜ることができるインクの肉体を持つレイニーでも、生物由来の盲点への警戒は怠らない。

 

「ちょっと量多かったからね。持ち込み過ぎちゃった」

 

「あぁ、全くその通りだ。それに作り過ぎだ」

 

「手先の訓練にはちょうど良くて。ついつい」

 

「…購入費は経費で落としてるな?」

 

「ソンナコトナイヨー」

 

「……ハァ、あとで請求書送っておくからちゃんと払え」

 

「ええぇー」

 

「ああそうだレイニー、少し〝手〟を貸してくれないか?」

 

 ヒュッ。フューリーの手から何か、小さく半透明なものが投げられる。レイニーはそれを難なく受け取る。

 手のひらに転がるのは小さな空の瓶だった。とても、見覚えのあるものだ。

 

「……〝手〟は嫌ですね」

 

 小さく笑ったレイニーは()()()()()()()を投げ返す。

 受け取ったフューリーはそれをしげしげと眺めたりはせず、すぐにコートの内ポケットに大事にしまい込んだ。

 

「請求書はいいですよ。そのまま返せればいいですもんね」

 

「…だといいがな。期待はしないでおこう」

 

「じゃ、家戻ってます。お疲れ様でしたー」

 

「まっすぐ家帰れよ…まっすぐ帰れるか? 車で送ってやろうか」

 

「問題ないですよ。でもちょっと買い物してから寄り道して帰ります」

 

「あぁ例の…程々にしろよ」

 

「大丈夫ですよ。私は悪魔でも、街に染み付いたインクみたいなものですから」

 

 そのまま、レイニーは少しご機嫌そうに足をひょこひょこと動かしながら退室した。扉の奥でエレベーターが動く音がし、やがて音源が下へ移動したことを確認すると、フューリーは外部遮断モードを起動させ、ガイダンスに従い室内の隔壁が下される。

 

「インサイト計画について、プログラムファイルを開け」

 

 

 

 

 

 Chapter 20

 

 

 

 最近乗り馴れたバイクを病院の前に止め、カウンターで名前を告げるとナースたちが驚きつつも、慣れた様子で通してくれる。

 

 氷から目が覚めて、彼女が存命であったことに僕は驚きを隠せなかった。70年近く氷の中で眠っていた僕にとっては、若々しかった彼女がつい数日前に会っていたように思える。そういう、時間感覚だった。

 でも現実は違う。彼女は僕が眠っている間に何十年も過ごして、老いていた。まるでタイムカプセルだ。

 

 

 

 ダンスパーティーの招待状を、硬い箱に一緒に詰めて。

 シャベルで土を掘り起こして、まるで埋葬するときのように。

 蓋された棺の上に、名残惜しむように土を掛けていく。

 やがて、10年、20年、30年と年を重ねて、思い出した時に掘り起こして。

 文字も読めない、虫に喰われたぼろぼろの手紙だけが残っていた。

 約束なんて、もう誰も覚えていないのだと、流れた歳月が残酷に真実を突きつけられた気がした。

 

 

 

 ふと、レイニーと一緒に観た映画『タイタニック』を思い出す。

 あの話は船で亡くなった主人公の妻が、長い歳月を経て指輪を海に投げて終わる。ラストシーンでは豪華絢爛なタイタニック号で彼とダンスをするために差し伸ばされた手を重ねていたが、過去の情景に想いを馳せた彼女は記憶の中で若々しい姿を取り戻していた。

 

 そう、時が巻き戻されたように。

 

 『タイタニック』で指輪を海へ投げるシーンが、僕を乗せた飛行機が墜落するときと重なって見えた。

 ただの感傷かもしれないけど、海へ落ちたあの日から僕の時が止まっていたとして、『タイタニック』だったら指輪を投げたと思ったら亡くなった筈の主人公が海から引き揚げられたのが僕なんだろうなと考えてしまう。一緒に観てたレイニーはそれを聞くと、不思議と笑ったりはせず、何故かしきりに何度も頷いて、温かいココアを煎れてくれた。どの部分に反応したかわからないけど、彼女なりの気遣いだったのかもしれない。

 

「失礼するよ」

 

「どうぞ」

 

 ノックした病室のドアを開くと、換気のためか少し開けられた窓に掛かるレースがゆらゆらと揺れていた。病室に強くもなく弱くもなく差し込む日差し。視点を窓から右側へゆっくりと移せば、変わり果ててもなおその美しさを残すペギーが、ベッドから体を起こしていた。

 

 マーガレット・〝ペギー〟・カーター。

 

 S.H.I.E.L.D.の創設者の一人であり、僕が氷の中に眠る前に、恋い焦がれた女性。

 

「久しぶり、今日は体調良さそうだね」

 

「そうね、最近は少し楽になったわ」

 

 昔と変わらない茶目っ気のあるウインクを見て、緊張していた肩の力を緩める。病室のドアを閉めると、壁に立てかけてあった来賓者用のパイプ椅子を持ち上げてベッドに寄せて座る。

 楽になった、という言葉に思わずどきりとしたけど、僕が考えるほど苦しい思いをしてる訳ではなさそうだ。単純に少しずつ、体調が良い傾向にあるんだろう。

 柔らかく微笑む彼女の視線が少し恥ずかしくて、気を紛らわせようと視線をずらすと備え付けのテーブルに見慣れない花が添えられていた。僕以外にも見舞いが来たのか? 匂いや見た目からしてもつい最近持ってきたもののようだ。

 

「誰か来たのか?」

 

「ええ。まあるい目をした、小さな黒髪の子がね、少し前から娘と来てたのよ」

 

 丸い目、黒髪、小さな女の子とくれば、思い当たるのは一人しかいない。

 レイニー…通っていたのなら教えてくれればいいのに。そういえばたまに帰りが遅い日があったけど、てっきり買い物で遅かったのかと思っていたが。なるほど、ここに通っていたのか。

 

「いつもお花と、紙を持ってきてくれるの。折り紙っていうのよ。昨日も一緒にツルを折ったわ」

 

「ツル?」

 

 これよ、とペギーが震える指をぴんと伸ばす。指差した先に、オレンジやピンクの紙で折られた、ひし形の両翼とぴんと垂直に立てた尾、ニワトリのようにしゃくれた首のように見える折り紙がいくつか並んでいた。

 形はどれも同じだけど、いくつかはすこし羽が曲がっていたり尾に白い裏地があったりしたけど、僕にはその不恰好さも綺麗だと思った。

 

「鳥なんですって。ほら、あの子が折ったのと比べると、ちょっと不恰好だけれど」

 

「いいや、綺麗に折れてると思うよ。これと、これだね」

 

「あらやだ、バレちゃった? ふふふ、ありがとうスティーブ」

 

 そう言って笑う彼女の姿は、老いてなお眩しく見えて、またこの笑顔が見れて良かったと思った。

 また来るよ、と伝えて、すこし風が強くなってきたから窓を閉めると、病室から出た。

 

 ───最初に彼女の元へ訪れた時は、弱々しく痩せこけ、僕の顔を見る度に昔に戻ったような様子で涙を流していた。その姿は衝撃的だった。

 

 きっと、最初に再会した時よりも認知症が改善しているのは、ナースたちの手厚い看護や僕の訪問だけじゃない、レイニーの見舞いも関係している。

 なぜか緊張した顔持ちのナースから話を聞くと、折り紙のような指先を使った細かい作業も少なからず状態を改善する効果が見込めるらしい。でも、ペギーほど劇的な変化を見せることはそう無いと言っていた。

 流石にレイニーが何かしら非合法なやり方で干渉してるとは思えないけど…でも、それぞれの要素がお互いに干渉した結果が実ったと考えれば、すこし気が楽になった。

 

「…あとで、ツルの折り方を教えてもらおう」

 

 そうすれば、僕も彼女と一緒に前に進める気がした。

 

 ダンスパーティーの招待状は無くなってしまったけれど、新しい紙が僕らを繋いでいる。それはそれでいいと思う。

 

 

 

 

 

 Chapter 21

 

 

 

 S.H.I.E.L.D.本部の裏口からDoDo(堂々)と出た私はというと、第二形態(成人頭身)姿のベンディのままアパートへの帰路についていた。以前は驚かれたこの姿も、最近は順応性の高い人々のお陰で慣れつつある、いちいち騒がれることもなくなってありがたい。

 のっしのっしと大股で歩き、信号が赤の時はちゃんと止まる。道路交通法は守らないとね、事故る車ってロクに車輌検査しないでいる車ばかりだから。

 

 さて、S.H.I.E.L.D.のフロントで拝借した今日の日付のワシントン・タイムズの記事を読んでみる。

 

 チタウリ襲来で壊されたニューヨークにスタークさんが派遣したダメコン局(ダメージコントロール局)の進捗状況や都市再開発事業のリスト、避難住民の様子、ストーンヘンジで出没した全裸教授による5000年に一度の惑星直列に関する考察、ロンドンで出没した宇宙船の残骸物質に関する研究の続報などなど…最近の新聞社はこういう事件の後の情報に対する余念がないなぁ。

 つい最近まではソーさんと彼女のジェーンさんの逢瀬を隠し撮りしたパパラッチによるストーカー紛いの記事が続いていたけど、不運にも雷に落とされてカメラがイカれて本人も病院送りにされたそうな。絶対ソーさんのせいでしょ。「力は知識じゃない、筋肉だ。脳も腕も体も筋肉! つまり俺は全身脳だから誰よりもかしこい!」とかいう超理論をドヤ顔で抜かす筋肉おバカさんだから、めちゃくちゃ強いのに残念なんだなぁ…すこしは誤魔化し方というものを考えて。

 

 他の記事を読んでみると、ダメコン局と並行してスタークタワーをアベンジャーズの新しい拠点としての再開発が順調に進んでるらしい。先日胸のアークリアクター摘出後の手術祝いの時は、そりゃもう絶好調でお酒がぶがぶ飲んで、酔っ払いながら「あぁ新設タワーのことか? 9割9分ボクが頑張った。あと1分はペッパーだ」ってぐでんぐでんになってた。その後ローズ中佐に連れられてトイレでゲロってた……頭はいいし天才だしすごい人なんだけど…まぁ完璧な人なんて世の中いないよね、天は二物を与えず。

 

 アベンジャーズの新拠点にはバナーさんのラボも併設途中だった。

 バナーさんとは、スタークさんの手術祝い以降あまり連絡は取れてないけど、通信制で通ってる講義内容がわからない時はメールで聞いたり、たまに電話をすることはある。

 最近は友人のゴーストガールことエイヴァちゃんの透明になる体について、本人のプライバシーに抵触しないレベルで情報交換してなんとか解決の糸口を見つけようと共同研究してる。体が透明になるのに、元の体を維持してるのはどうしてか。分子結合とか? バナーさんはSERN研究員のマクシミリアン氏とコネがあるらしいからタイミングあったら話してみよう。

 

 新聞紙を折り畳んで脇に挟み、メールを打とうと携帯端末を取り出すとビデオ撮影するキャップを隠し撮りした待ち受け画像が浮かび上がって思わず吹いた。この前の教育用ビデオの撮影面白かったなー。

 

 体育の授業とか、授業態度が悪い生徒向けの教育ビデオの撮影である。お願いをしてきたのはミッド…なんとかハイスクールとやらなのだが、撮影を担当したのはなんとS.H.I.E.L.D.

 うせやろ? と思いたくなる新事実。でもガチなんよ…そして私も参加させられたのよ。

 

 キメ顔でポーズを取りつつ、なんか最もらしいセリフをカメラ目線で喋るキャプテン。

 その姿をカメラで撮影するラムロウさん。

 クラップボードを構える私。

 

 うーんカオス。しかもそれには続きがある。

 

 何故かカメラの前で牙を乱杭歯スタイルに並び替えて、おどろおどろしいセリフを吐き捨てるベンディの図。

 

 ……まさかベンディとして参加するとは思わなかった。アメリカの象徴とも言えるキャプテン・アメリカがモデルになって撮影するならともかく、アイアンマンより新参者のベンディが教えるのはどうなのって思ったけど、存外楽しかった。

 因みに悪いことをする子どもを食べちゃうワクチンマン的キャラだった。そう…人間の環境破壊(ゴミのポイ捨て)とか、大気汚染(タバコの喫煙)とかそういうことするとベンディが来るよーって…あれ? ベンディの扱い悪役になってない…? でも実際ベンディ自身はノリノリだった。しかし、ベンディ演じるベンディ(?)には問題があった……そのせいでリテイク6回はやっちゃった…うん、いい思い出だよ。対象年齢はジュニアスクール向けだから、過激な言葉はダメなんだよね、言語規制厳しい教育現場。

 そっぽ向いて引きこもったベンディに代わって演じた私は一発オーケー。いつでも女優になれるよ、やったね。

 

「ひぃいぃぃ」

 

「黙ってレジの金出せ」

 

Yeah ?

 (ん?)

 

 ベンディの鬼のツノのような…耳にも見えるような部位がピコピコ動く。これは…悲鳴と脅迫の気配。強盗ですねわかります。ならばやることは一つ、全速前進DA!!

 新聞を投げ出して、これでもかってくらい口角釣り上げて、意気揚々と閉じられた店のガラス扉を貫通して侵入完了、ちょろい。

 すると数時間前に見たテロリストたちの銃よりチャチなオモチャを持つ人はっけーん。犯人はコイツだな?

 

Don't steal store products , No No No

 (店のもの盗んじゃダメよ、ノーノーノー)

 

 そう、ベンディ姿で街を徘徊してるのは、ワケがある。犯罪防止だ。

 強盗に怯え、そして突然のベンディ登場でカチコチになってる子どもにお店のチュッパチャプスを握らせる。笑ってくれた、お姉さん嬉しいよ。でも犯人にはそんな甘い対応をするほど私も甘くないのである。

 

No More robber , uncool

 (強盗ダメ、かっこ悪い)

 

「アァ?………っ!? べ、」

 

Be ?

 (べ?)

 

「べっ、ベ、ベベベベベベベンベンベン」

 

The banjo ? Sounds good . Your head , hand and leg …

 (バンジョー? いい音鳴らしてるね。キミの頭、手、それに足…)

 

 ここでヘイ、と気さくにショルダータッチ。

 

It must be delicious . Can I have a bite ?

 (美味しそうだなぁ。一口いいかい?)

 

「」

 

 掴んでる肩がガクッと落ちた。あらら、刺激が強かったかな? 白目向いて泡吹いちゃったよ、ああもう、ズボン濡れて汚い…公衆の面前でお漏らしとか子どもじゃないんだから。

 

 一枚いいかい? と硬直してる店員さんに一声かけて大きめのレジ袋を貰う。失神した強盗の下半身をすっぽりと包んで取っ手を結び、動けなくなった状態にしてから袋に「私は強盗しようとして漏らしました」とインクで書いておく。店を出てすぐ近くにあった電柱を登り、すこし高めの位置に袋ごと強盗を吊るしておく。これで警察も見つけやすいでしょ! いやぁベンディは親切だなぁ。

 

「あ、あああああ!! ベンディだぁ! あの、写真いいですか!?」

 

Hmm ? OK ,Would you mind taking a photo for us ? Thanks . Smile smile , Hey Bendy

 (ん? いいよ、そこの人カメラ持ってもらえる? ありがとう。笑って笑ってー、はいベンディー)

 

 旅行に来ていたらしき褐色肌ボーイに撮影をせがまれた。最近こういうことも珍しくない。

 

 ベンディとして街を歩くのは、巡回もかねてだったりする。

 

 犯罪者にとって恐怖の権化とされてるベンディが闊歩する街では、出没から数日前後は犯罪件数も控えめになるらしい。たまに巡回ベンディに遭遇した犯罪者は、皆さっきの強盗みたいに白目向いて失神とか土下座とかしてる…大の男が泣きべそかいて命乞いする姿は流石に失望しかない…流石に殺したりしないから。胴体残してゴミみたいに道端に捨てるとか、そんな事しないから。

 

 最初の内は逃げたり、勇猛果敢に立ち向かう勇ましい犯罪者さんもいたけど、まぁインクの悪魔(ベンディ)から逃げられるわけがない訳で、世界中に潜んでいるテロリストたちと比べたら稚児の戯れみたいなものなので、ベンディも愉しく愉しく犯罪者さんを追いかけてる。どんなに逃げても必ず追ってくるインクを見れば、そりゃ誰でも諦めるわ。

 

 最近は新たに〝インク恐怖症(フォビア)〟とかいう新たな精神疾患が追加されそうで、大方私たちが原因なので医療関係者には新しい社会問題作ってどうもすみませんとしか言いようがない。この間メトロポリタン総合病院でお会いしたすっごい神経質そうな医者に愚痴られた。やーめーてー、お医者さんのマシンガントークはバナーさんの講義よりも難解だから。

 仕方ない、取り締まるのがインクの悪魔で、悪いことをする犯罪者が自分からタゲ取りに来てるのだから、因果応報だと思いたい。わたしはわるくぬぇ。

 

Oh , That's a great photo of you . Have a good one

 (お、いい笑顔で撮れてる。それじゃ、またネ)

 

「ありがとうベンディ! バイバーイ!」

 

 別れを告げると、陽が落ちてだいぶ経過、そろそろ晩御飯時なので壁にずぶずぶ入ってとんずらする。流石に路地裏でレイニーの姿に戻ってしまったらバレるから、いつも壁や排水溝に消えて別の場所でリスポーンするのが習慣だったりする。最近は写メってすぐにトゥイッターとかに上げられるからね…SNS普及率やばい。

 

「うわ、ホント消えた…! まじですげー! ナマのベンディはじめて見た! 今日ワシントン来れてよかったぜ!」

 

 それはそれは何よりで。

 褐色肌ボーイの歓声が遠退き、アパート近くにリスポーン。誰かが置いたまま放置してる山積みの木箱をどかすと今夜の晩御飯用の食材が入った袋が健在であることを確認。今晩は趣旨替えしてボルシチ、ロシア料理の予定である。

 そういえば、夕方買い物中にどっかで派手な事故があったかな? と思ったけど警察のサイレンがひっきりなしに鳴ってたし多分大丈夫でしょ。

 

 大丈夫? 大丈夫!…多分。

 

 と、首を傾げたり頷いたりを繰り返しながら帰路につくと、

 

「え?」

 

 アパートの前に警察車両が殺到していた。

 

 そして、おそらく自分たちが住んでたであろうフロアの窓が盛大に破られ、道路にガラス片が散乱していた。

 

 これはヤバイ。途轍もなく厄介ごとの香りしかしない。

 

 ぐるぐる回る赤ランプの光から逃れるように!

 

 お気に入りのパーカーのフードを被ってそそくさ退散。来た道をリターン。山積み木箱の小道に戻る。おや、見覚えのある白衣装。

 

「ハァイ、レイニー。いい夜ね」

 

「…あれ? エイヴァちゃん?」

 

「ちゃん付けは止めてよ、私の方が先輩なのよ?」

 

「でも友達でしょ」

 

 配色ストームトルーパー似のゴーストガール、エイヴァ・スターが何故か待ち構えていた。いやほんとなんで?

 

「みんな貴女を探してるの」

 

「みんなって誰」

 

「それは当然、S.H.I.E.L.D.よ」

 

「……違う、そうじゃない」

 

 そうじゃない。そうじゃないんだよ、エイヴァちゃん。

 あなたはもうエージェントとしてではなく、未知の疾患に罹った患者としてS.H.I.E.L.D.にいる筈でしょ? それを手伝ったのは他ならぬ()なのだから、それは間違いない。だから、もうエイヴァちゃんはS.H.I.E.L.D.による()()()()()()()()()()()()()()。なのになんでエージェントの頃のスーツを着て、私の目の前に立ってるの。

 

「…レイニー・コールソン、貴女には捕縛ないし殺害命令が出てる。長期の無期限休暇を貰ってた私だけじゃない、他のエージェントもみんな貴女を狙ってるわ」

 

「…なんで、って言っても、教えてくれないよね」

 

「理由は問わない、上官からの任務は絶対。これがS.H.I.E.L.D.の鉄則だから」

 

「だよね」

 

「……ねぇ、大人しく捕まってくれない? 友達って立場もあるから、あまり力づくで連れて行くのは気がひけるの。それに私も楽できて助かるんだけど」

 

「…んー」

 

 ああ、残念。

 

 夕飯のボルシチ、キャップと食べられそうにない。

 

 

 

 

 


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