「涼君、其の拳は一体なんだい?」
カウンターを貰い、赤くなった鼻に指先を当てつつ、照は氷室に問い掛ける。通常、拳による擊は横拳を用いて行うのが一般的である。
現在の空手も、横拳での逆手打ちや正拳突きが主流だ。
だが、氷室がカウンターを繰り出した際に用いたのは、縦に構えた拳。所謂
「
《切札━━━か。ふふふ…『嬉しい』ねぇ》
鬪気を帯び、深い呼吸へと変わった氷室。
照は…笑っていた。
自分が彼にとって『切札』である縦拳を使うだけの相手だと、認識してくれた事に対して。
《
刹那、氷室が攻めた。
照も釘擊を放ち、迎撃。
が、右拳で即座に横に弾かれる。同時に槌を釘に叩き付ける様に、顔面に拳が当たる。
状態が後ろへ下がり、其処に右拳の追撃が左肩に。
照、右足の回し蹴りも、左腕でガードされ即座に腹部に二発。
弾かれ右。受けられ左。止められ右。
右、左、左、右、左、右、左、左、右、右、左、右…
《速い…!これほどとは…ッッッッ!!》
照はニ虎流奥義継承の副産物として、ありとあらゆる力の流れが視界に見えている。其れ故、単調な攻撃ならば赤子の手を捻るように対処出来てしまう。
その照が、氷室の縦拳への対処に苦しんでいた。
何故か?
答えは『速度』。
一般的な正拳突きで放つ横拳は時速10km/hとされているが、縦拳の場合、其の速さは時速15km/hになる。さらに縦拳には『受即功』の特性を持つ。
空手などの受けの場合、腕の横に当たる部分を使い、横に押し出して軌道を変える。
だが、縦拳の場合は腕の甲で攻撃を逸らす。
最小の力で軌道を変える為に、腕に掛かる負担は断然軽く、通常の突きよりも早く動ける。其れが縦拳の『真骨頂』。
攻防の切り換えと、即座に動作へと転じる『速さ』。
力の流れが見えていようと、動体視力で『認知』される前に『叩く』、通常とは異なる『速擊』。
其の『攻撃速度』と『連携連打』こそが、氷室 涼の『切札』━━━縦拳の『武』であった。
《流れが見えても、対処出来ない速さか…!》
返そうとしても、連打に押し込まれる。
打たれる度に、筋肉が悲鳴を上げる。
初めて感じる、敗北の気配。
上等じゃあないか…其れでこそ倒す価値がある。
逆境と限界…其れは乗り越えるべき物だ。
最強へ至る為…此れが最初の試練。
「ハァッ!!」
ズドンッ!と空気が震えた。
「かはっ…!?」
氷室の胸に、釘擊の擊が突き刺さっていた。
ボロボロに傷付きながら、氷室が攻撃に集中した僅か数秒を穴を突いて、釘擊を叩き込んだのである。
空気が肺から出、呼吸が苦しくなる。
この上ないカウンターを貰い、後退する氷室。
「速いな…縦拳の連打は。だけど、負ける気がしない!寧ろ、燃える!」
体は傷だらけだが、其の眼は死せず。
血潮が猛り、魂が震える。
反撃が━━━始まる。
* * * * * * * * * * * * * * * * *
全身が痛む。
呼吸は荒い。
《結構…効いてるか。なら、あれを使おう》
即断即決。照は呼吸を放つ。
鳩尾から炭田へ、腹圧を高め、大きく呼吸。
ニ虎流
体内機関を調整するために使われる呼吸法の一種であり、導水を作る前の照はこの技を使い、ニ虎との組手で負ったダメージを治癒し、早期復活を行っていた。
《今回は其処に、これも使う》
空で吸い込んだ息を鼻から吐く。と、眼から涙が溢れ出し、頬へと次々に、止めどなく流れて行く。
涙には網膜を洗浄し、潤いを保つ機能が備わっている。照は泣くことによって頭を冷静に、同時に視界をクリアにし、気持ちを整理する事を目的とする新たな体系だった。
「何泣いてるのか分かんないけど、無防備だぜッ!」
氷室が吠えた。速擊連打の縦拳を食らえば押し込まれる。今の自分には、其の状況を覆すのは容易ではない。
『躱わせなければ』であるが。
「!?」
繰り出したはずの左の縦拳が、照の身体を『すり抜ける』。直後に照は左下段で氷室の右太腿を一閃した。
《痛ッ!?━━━━コイツの打撃…やっぱり何か『おかしい』!》
氷室は照との攻防を重ねた事で、ある違和感を抱いていた。照の打撃は『重く』、そして『鋭い』。速度を重視する自分とは異なり、一撃一撃に強さを感じた。
問題は其の打撃を打ち込んだ後に来るはずの『衝撃』…それが『一向に来ない』事。照は最初に打撃を与えた時、釘擊と言った事を思い出す。
《どんな打撃か分からない、だが速度は俺の方が上だ!》
迷いは捨てろ。
考える隙があるなら叩け。
連打し続けろ。
叩け、叩け、叩け。
連打、連打、連打。
神経を攻撃に集中させ、子供とは思えぬ凄まじい、縦拳の乱打が放たれる。
━━━━━━━━━だが。
《ッッッッッ……………!!!!!!?》
其の乱打が照を捉える事は無かった。
あと少しで
《当たらねぇ!?何で!?さっきまでは当たってた!なのに!!!!!》
苛立ちが積もる。苛立ちや怒りという感情は、力を高める原動力の一つでもあるが、正確な思考や動作を鈍らせる。
感情に振り回され、攻撃が当たらない事に苛立つ氷室。
そして駄目押しとばかりに、『アレ』が時間をこえて襲い掛かった。
ズグン━━━━━!!!!!
「ッッッッッッッッ~~~~~~~!!!!?!?」
右太腿が『痛い』。其れも縄で締められた上で、内側から空気を入れられ、最後には破裂した風船のような。
鈍重にも関わらず、鋭利過ぎる痛み。
直撃箇所が見々内に、内出血で真っ青になってゆく。
「其の反応、漸く『轟いた』みたいだな。涼君の『骨芯』に」
照はニンマリと、してやったりの顔をしていた。
完全に乗せられた…氷室がそう確信した時。
今度は右腕が爆ぜる痛みに襲われた。
「ッ━━━━━!!?
アアアアァアァァアアアアァアァァァァ!!?!!」
《そうかッ!コイツの本当の狙いは!衝撃の『炸裂時間』を稼ぐ為だったッ!!》
痛みの中で、氷室は照の『真の狙い』を理解した。
そして同時に彼は、完全に『やられた』と理解するに至る。
「チクショ━━」
言葉が紡がれる前に、頬に食らった釘擊の衝撃が炸裂し、脳を大きく揺らす。顎を殴られた以上の一撃に、氷室は耐える事が出来ず、白目を向き、地面へと倒れ伏したのだった。
* * * * * * * * * * * * * * *
「う、ぅぅ━━━…ん。あ…ぐッ!」
目が覚めた時、当たりは暗くなっていた。起き上がろうとしたが、右腕と右足に思うように力が入らない。
其の理由が分かった。生活に支障をきたさない、短めの木棒で当木され、包帯で巻き付けられていたからだ。
「あ、涼君。目が覚めたようだね」
焚き火が炊かれ、照が火の近くに座っていた。彼もまた、腕や足に包帯を巻き、其の戦いの苛烈さを静かに、だが確実に物語る。
「此処は…五熊、か?」
「ううん。此処はニ虎、俺の生まれた場所?なのかな。取り敢えず、故郷…だと思う。あの後、涼君を抱えて蝗跳でニ虎に戻ってきて、師匠に治癒をお願いしたんだ」
「師匠?」
「む、目が覚めたか」
此方に歩いてくる影一つ。其処には三十代の男が一人、薪を抱えて歩いてきた。彼は照の師でありニ虎流の使い手、十鬼蛇 ニ虎である。
氷室は見ただけで、彼の底知れぬ実力と圧力を感じ取り、脂汗を垂らす。
「照と戦ったって聞いたが、成程…こりゃ強いな」
「でしょう?特に縦拳の速さは俺でも防御に集中しないと、全然対処出来ませんでした」
「ほぉ…そんだけ称賛するとはなぁ。
━━━━よし、氷室 涼君よ。俺の弟子になって今までより、もっと強くなっちゃおうか?」
「……………は?」
まさかの弟子入れ宣言に、氷室は唖然となり、やっとのこと絞り出した言葉も「は?」だけだった。
「生きるために随分無茶してるようだしな。こっから先、確実に生きて行くなら弟子入りしちまった方が楽になるぜ?
ま、照にとっても君にとっても、互いが居る事で実力を磨き、伸ばし合える
最後に決めるのは君だし、な」
ニ虎はそう氷室に告げ、石ブロックで即席の調理台を作り、其処に鉄板を乗せて、肉を焼き始めた。
「晩飯は食うかい?氷室君」
「……………食う。いただきます」
「食べよ食べよ!二人より三人の方が食事も美味しいよ!」
照と氷室の手合わせ。そして始まった関係は、二人にとって、
後に拳願仕合において、照は