中の地域の一つ、ニ虎。
「フッ!ハッ!」
一晩の思考の後に弟子入りを決めた氷室は、ニ虎との組手に望んでいた。
「おーおー、速ぇなぁ~。氷室君の縦拳はぁ。
━━━━だが、動きがまだ単調だねぇ」
自分の縦拳の連打を、昨日の照と同じような技で弾かれる。しかし其の動きは、照以上のキレと精密性を誇り、まるでそれは━━━━
《何て言うんだっけ…あの、ひらひらした生き物》
まるで、空を優美に舞う。一羽の白い蝶々の様に美しかった。
刹那、氷室の身体は宙を舞った。
同時に意識を一瞬で、脳が認識するよりも早く、体から刈り取られたのである。
「ニ虎流・操流ノ型
地面に叩き付けられる前に、照が氷室を受け止める。
「ニ虎さん!あんまり強くやらないでくださいよ!涼君、まだ怪我治って無いんですからね!」
「ばかたりぃ。元々怪我させたんはお前じゃろがい。
此方はこれでも、かなり手加減してやったんだ。これ以上の加減、俺にゃあ出来ねぇ。めーんどくさいし~♪」
《本当にこの人は~!》
「ッ…ハ!」
「あ、涼君目が覚めた」
「……………負けた、のか……」
しょんぼりと落ち込み、暗い表情になった氷室。
それを見たニ虎は、彼にこう助言を投げた。
「…それでも、縦拳の速度はかなり良かった。次に繰り出すなら、肩と背筋の脱力を意識しながらやってみると良い。
後、連打の最中に下段蹴りや膝を使って、相手の体勢を崩したり出来るようになれば、御得意の連打が通りやすくなる。それと真っ直ぐだけじゃ読まれやすいから、時々上下からも攻撃してみろ」
んじゃ休憩っと、ニ虎は丸太に腰掛け無ノ型 空で呼吸を調えつつ、目を閉じて集中し始めた。
「脱力…」
氷室はそう言い、疲労で重くなった身体を地面に投げ、静かな寝息を立て眠る。
《脱力か…これは俺が、一肌脱ぐべきだろうか?》
ニ虎からの反省点を整理しつつ、照はそう考えた。
最強に至るには、より強い相手と戦い、打ち勝たねばならない。自分がやろうとしている事は、其の野望を叶える道を険しくする行為。
しかし、照はこうも思う。そんな困難で進み難い道を越えた時こそ、武道家という生き物はより強く、より高みへと進む事が出来るようになるのだと。
* * * * * * * * * * * * * * *
「涼君、少し良いか?」
翌日、ニ虎からの助言を元に縦拳の鍛練をしていた氷室へ、照は未開封の缶詰と長い板を抱えて声を掛けた。
「何だ?今、鍛練してるんだけど」
「分かってる。けど、昨日の涼君の戦いを見て、これはやるべきだと確信した。絶対にやった方が良い」
缶詰を置き、板を乗せ、照は其の上へと乗った。
「昔、曲芸師が丸い物体の上に乗りつつ、速い御手玉をしていたのを見た。初めは何だあれと馬鹿にはしたが、実際はとてつもなく難しいの分かってね。
彼等は身体の『重心と力の入り抜き』を駆使する事で、不安定な場所でも軸がずれる事なく、演技を可能にしていた。其れを知り、鍛練を積み重ね続けた。お陰で、俺は身体の力みと脱力を使いこなせるようになった訳だ。
涼君は蹴りの鋭さや脚の瞬発力、縦拳の速さが武器。其の武器が、身体の無駄な力みのせいで活かしきれていない。先ずはこれで身体から余分な力を抜いて、より速い動作が出来るようにしよう」
「お、おう…」
氷室も照に続く形で乗り、バランス感覚を掴もうとする。だが…
「うぅおおおおお!?ふげっ!!!!!」
コロコロと不規則に転がり、バランスを取らせない缶詰。身体を立て直そうと重心をずらした際に、氷室は勢い余って地面に叩きつけられた。
「俺も最初はよく転んだよ。何度もやって、何回も失敗して、そして成功した時の嬉しさが何倍にも膨れ上がる。諦めないこと…これが大事」
前世で学んだ事。どんなに長い道のりだろうと、進み続ける事、歩み続ける事にこそ『意味』がある。途方のない道の果てを目指し続け、いつか辿り着けるように。
「照…お前━━━━━オッサン臭いな」
「涼君。俺、君と同い年位なんだけど?地味に俺、言った事を気にしてるんだけど?」
「オッサン臭いっつって何が悪いんだ、思った事を言っただけだ」
「縦拳みたいに真っ直ぐってか…って上手くねぇよ!?」
ワーワーギャーギャーと口喧嘩を始めたと思えば、何時の間にやら組手に発展し、互いに殴り合いで血を流し合う少年二人。
《仲良いなぁ、アイツ等》
そんな様子を片腕腕立て伏せをしながら見たニ虎は、心中でそう呟いた。
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雨が降る日も━━━━
「こうか!?」
「違う、膝と足首が硬い!左足が離れてる!外向きに出てるのは、了君の癖みたいな所があるから注意して!」
雪が降る日も━━━━
「肩に余計な力が入ってるから、重心取る前に必ず深呼吸!」
「がぁぁぁぁぁ!!わっかんねぇええええええ!!」
二人の特訓は休む事なく行われる。
氷室は照から学び、照は氷室から学ばされた。
教える事の難しさ、感覚と理論は背反している事。
だからこそ。何度も、何回も。
特訓と組手を繰り返し、二人は互いに何をするべきかを汲み取り、自分の物にしてゆく。
* * * * * * * * * * * * * * *
月が昇っては沈み、太陽が其れを追い掛ける。
そんな日々が過ぎ、アキラがニ虎の弟子となって九ヶ月、氷室は三ヶ月が経った、ある日の組手…………
「フー…!フー…!」
「ゼェ…ゼェ…!!」
その日は風も凪ぐ、雲一つない、中では珍しい快晴日和。
照と氷室は、互いに身体に内出血と打撲傷が目立つ。
《くっそ…!相変わらず縦拳が速い…!》
《釘擊…ホントに厄介過ぎる…!》
喧嘩と組手を繰り返す度に、両者は相手の武を思う。
氷室にとって、照の繰り出す打撃は、相手の防御を通り越したガード不能の貫通する打撃。
照にとって、氷室の放つ打撃は、動体視力の認知を上回る速度を持ち、対処する事が困難な打撃。
互いにダメージを負い、消耗した体力を加味。繰り出せるのは、おそらく一発限りだろう。
故に二人は最後の一撃を放つために構える。
《━━━━━━━何だ?》
其の感覚を、二人はほぼ同時に感じ疑問とした。
照は奥義を継承した時と同じ、感覚が研ぎ澄まされ。
更に全身の力が『心臓』の中心から溢れ出す感覚を。
氷室は膨らませた風船から空気が抜かれ、萎んでゆくように。
全身から『力』が抜け、あらゆる『力み』が失くなる感覚を覚えた。
《今なら…撃てるかもしれない!最高の擊をッ…!》
《今なら出来る…!最速の縦拳が!》
同時に、二人は動いていた。
《分かる…感覚が━━━━━!!!!!》
全身を絶え間無く流れ続ける血流。
其の流れを、鬼鏖の原理と同じように操り、背筋→肩→腕の順に連鎖的に伝導、加速させて行く。
其の打撃は至って
放つは血流の加速+筋肉流動。
直線の擊で敵を貫き、破壊する。
後に照は、此の擊に『
《脱力から緊張へ!全身をバネに…たった一撃に全部乗せる!》
深く、深く、深く。息を吸い込み、其れを一気に吐き出す。吸い込みに連動し、氷室は身体を低く、低く下に構え━━━息を吐いた瞬間に地を蹴る。
彼が行った一連の動作は、武士の放つ居合に酷似していた。だがしかし、其の拳速は居合の比に非ず。
まるで夜空を駆ける、一閃の星光の様に煌めき。
拳の風圧を、拳の擊音を、彼の後ろへと置き去りにしていた。
後に氷室は、光速へと到達した此の必殺の縦拳に『
カッ!!!!!と、拳は一瞬でぶつかり合い、爆弾が弾けた様な轟音が、ニ虎に響く。
「おい━━!!!!!しっかりし━━━━━━お━━!!!」
この日、二人の少年が薄れ行く意識の中で最後に見た景色は、血相を変えて二人へと走り寄る、十鬼蛇 ニ虎の姿だった。