「黒木さん。
俺の発した其の名を聞いた黒木さんは、落ち着いていた。だが、表情に現さずとも空気が少し変わった事を、照は静かに感じ取る。何か関わってはならない事に触ったか…そんな心配をした。
「平良 厳山…奴は俺の古くからの同業者であり、そして友でもある。二虎から、事の顛末は聞いた。
今度、奴と久方ぶりに会うことにしている」
「じゃあ…其の時、付いていっても良いですか?」
何を思っているのか全然分からないのだが、これは好機…駄目元で同行の許可を貰おうと、頼んでみた。
黒木さんは数秒間を置いた後で「……勝手にしろ」とだけ呟いた。今思えば、顔に断ろうとも絶対に付いて行くと言っていたのだと、そう考えずにはいられない。
何せ、顔は口ほどに物を言う…そんな諺が在るのだから。
* * * * * * * * * * * * * * *
そんなこんなで、約束を取り付けてから五日が過ぎた日の逢魔が時。夕方と夜の丁度中間とも言える時間帯、俺と涼君は黒木さんの後に付いて行き、一軒の建物の入口に立った。
「いらっしゃい、黒木さん」
扉を開けた先の景色…まるで隠された宝物庫の
薄暗く。だが…とても煌美やかな光と、凝縮され、熟成された年代物の地酒の様な、淡く漂う高級な香り。まるで祝福の政の時に流れ、場を演出し盛り上げる音色が、子守唄の如く、奏者達が部屋の中心で奏でている。
「久しいな、黒木」
椅子に腰掛け、黒木さんを呼ぶ声が一つ。所々に白髪が混じる黒髪に、着物を纏う軽装の男性。しかし、其の出で立ちは強者特有の気質を纏い、其処に在る。涼君も彼の強さを感じ取ったのか、ゴクリと唾を飲み込む。
この人が黒木さんの友人、
「む…其処の
「
黒木さんの隣の椅子に涼君が、俺は平良さんの隣の椅子に各々よじ登って、二人の会話に耳を傾ける。
其の時の話を簡潔に纏めると、仕事の話をしていたようだった。…何でか、複数人の名前や場所を確認していたようだけど何だったのだろう?
まぁ、そんな事はこの際置いておき…「平良さん」と俺は声を掛けた。無論、俺が彼の隣に座った事も計算の内。其の狙いは唯一つ。
「照か…何か言ったか?」
「はい。…俺と、『組手』をしていただけませんか?貴方の『強さ』を俺は知りたい。知った上で、貴方に『弟子入り』して、其の強さを学びたいのです」
「お願いします!」と正面に向き直って、頭を深く下げた。俺の言動に、平良さんは少し驚いた表情で、涼君は「マジかよ」と言った具合に口を開け、黒木さんは表情に出さずとも、呆れているのが眼に見える。
「黒木よ、この少年…鬼灯 照とは、こうゆう人間なのか?」
「あぁ。俺も初対面で組手を頼まれ、三分だけ相手をしてやった。こいつは、俺との実力差を承知し、怖じ気付く事無く、最後まで戦った。
…『悪くない』時間だった」
そう言い、黒木さんは硝子の器に注がれた酒を静かに口に含み、喉へと送った。
…あれ?これって、黒木さんに『褒められた』のか?
「…『あの』黒木に、こうも言わせるか。…照と言ったな。明日の朝、黒木の屋敷から近い浜辺に来なさい。其処で力を見極める」
交渉は成立。約束を取り付け、弟子入りの為の段取りは付いた。後は自分の持てる力を、平良さんに対して示しきるだけだ。
* * * * * * * * * * * * * * *
翌日。未だ日も海から顔を出さない時間帯、俺は待ち合わせ場所の浜辺に立ち、平良さんの到着を待ちながら準備運動をしていた。
体を暖め、怪我を防止し、力を存分に奮う。
強くなるためにも、必ず彼に弟子入りして、其の強さを学び取り、自身の糧にする。
「来ていたか」
声が聞こえた。振り向くと平良さんが歩いてきており、俺は「はい」と答えつつ、深く頭を下げる。
「分かっているとは思うが、組手をする以上、此方は手を抜くつもりはない。もし辛いと思ったのなら、直ぐに言う事。無茶をしてまで、戦う事は無いからな」
首と手首を回しながら、戦うに当たり、平良さんは俺にそう言って警告した。ありがたいことだと、素直に頷き賛同の意を示す。
「どちらかの降参、もしくは戦闘不能。組手と弟子入りの試験を同時に行う。照…覚悟はいいな?」
ビリリ!と全身を駆けた、絶大な殺気。
分かっている、この人は只者じゃない。
だからこそ魂が滾り、身体中が熱く燃える。
自分自身の力を、この人に全てぶつけられるように。
最初から全力全開でいく。
「きなさい」
彼の言葉を受けて、俺は即座に仕掛けた。
繰り出したのは
蛇が獲物に狙いを定め、音もなく近付く様に、平良さんとの間合を一気に潰す。次に繋げる為、拳を手刀に変えた其の時、平良さんが左足で砂浜の砂を蹴り上げ、砂塵を此方に飛ばしてきたのだ。
「くッ!」
反射的に目を守る為に腕を差し込む。其の直後、全身に悪寒が走り、俺は
空気が肺から漏れ、防御の為に硬化した体が『解かされる』。俺は砂浜を一尺程吹っ飛ばされ、背中から地面に落ちた。
「くそ、やら…!な…なんだ、これ…!?」
即座に立ち上がった時、自分の左脇腹を見た俺は衝撃を受けた。其れは、自分の皮膚が『捻れて』小さな渦を描いた事。そして其の中心は赤く腫れ、出血を起こしていた事。
《何だこの傷は!…今の打撃か?!》
自慢では無いが、不壊と凱甲の硬化には自信がある。だが、平良さんは其の防御を難なく突破し、自分に手傷を負わせてきた。
《………あぁ。良いね、そうこなくちゃ》
世界にはまだまだ、沢山の強者が居る。黒木さんも、そして平良さんも、其の『格上の強者』の
《俺は負けるだろう。けれど、負けるなら最後までやりきってやる!》
瞳は闘志を失わず、更に強く、真っ直ぐに彼を捉えている。構えも何時も以上に力が満ち、それでいてとてつもなく落ち着いていた。
《黒木が言っていた意味が分かった。負けると分かっていても、自身よりも格上の相手との戦いを望む、生粋の『挑戦心』。そして貪欲なまでに強さを求め、唯ひたすらに武を極めんとする『求道者』。
これが…鬼灯 照という男か》
平良 厳山も微笑し、柔術家特有の両手を前に出した形の構えを取った。
勝負は此処から、更なる熱を帯びる。