初めての方は初めまして。出会った事のある方はお久しぶりです。
1歩1歩と足を進めるたびに、ジャリっジャリっと靴底から砂利を踏みしめた音がする。
一定のテンポとリズムで歩いている彼の内心は、穏やかな春風と歩幅とは裏腹に非常に急いていた。
「どこ行ったんだか……」
彼は今、人探しの真っ最中である。ふらふらと家から出たっきり、帰ってこれなくなった迷子の海月を探しているのだ。
これだけ聞くと彼がポエマーとか、あるいは痛い人に見えたりするが、事実としてそうなのだから仕方ない。
買い物だか散歩だか、理由は聞いていないが「1人で行けるもん」と母親に高校生らしからぬ口調で言って家を出たのが凡そ40分前くらい。
そして迷子の海月から連絡を受けたのが30分前くらい。それから家から出向いて捜索を始めたのが20分前くらいだから、探し始めてからそれなりの時間は経過していた。
だというのに未だに見つからないのは、ひょっとすると捜索範囲を間違えたのか、あるいは迷子にありがちな連絡後の場所移動か。
……どちらかといえば後者かと即座に思えるくらいには慣れたことだった。
ふわっと花の香りが混じった生暖かい風に溜息を溶かし込みながら、ポケットのスマホを手に取った。
もう良い時間だ、そろそろ帰らないと昼飯を食べ損ねかねない。
しかしかといって、あの迷い海月を放っておいては更に状況が悪化するのは間違いない。
「あれは一種の才能だよ、全く」
まあ、羨ましくはないが。本人も投げ捨てたがっている逆方向の才能だし。
そう呟いたと同時、手元のスマホが振動する。画面を見れば、そこには"花音"の二文字があった。
「花音、何処にいる?」
手早く通話ボタンをフリックして、スマホを素早く耳につける。その問いに対する返答は素早かった。
《あっ、大地君。えっと、あのね……》
「……近くの目印は?」
この事態は慣れっこなだけに、彼の質問は手早い。どうせ良かれと思って目立つ場所に行こうと思ったら更に迷ったというオチだと判断していたし、事実としてそうだった。
《えっと、電車の高架下の近くかな。川のそばの》
「そんなに離れてないな……すぐ行くから、もう動くなよ」
電車の高架下……この河川敷を真っ直ぐ歩けばそこに着く。だがこの先は、決して大通りとか街に通じる道ではない。もし街に向かいたいと思うのなら、この道を引き返す必要がある。
(まったく……)
ちなみにこの先は、市だか県だかの施設が有るのか、途中からフェンスで道が塞がれているので完全な行き止まりだ。
花火大会の日なら花火が見やすいこの近辺にも人が居るのだろうが、それ以外の日で此処に人が来るのは滅多にないだろう。
「花音」
「大地君!よかったぁ……」
合流した海月……もとい、花音という少女の身体的な特徴を挙げるとするなら、その空色の髪色が真っ先に挙げられるだろう。その髪色は、遠くからでも分かる彼女のトレードマークのような物だ。
「なにやってんだ?1人で出歩くなんて、大事な用事でもあったのか?」
そして花音という少女を語るのなら、何より外せないのが"方向音痴"という特性だ。
何も持たないで歩けば十中八九迷う。地図を持っても迷う。GPSは使いこなせず結局迷う。
犬は歩けば棒に当たり、花音は歩けば道に迷う。もうそういう諺として辞書に載っても良いんじゃないかと思ってしまうくらい、それは必然性を帯びていた。
花音にとっては、ただの住宅街ですら脱出困難の巨大迷路と同義なのである。
「これ、大地君に渡そうと思って……」
そんな天才的な方向音痴の花音は小さな紙袋を持っていた。他には何も持っておらず、他の用事のついで、という訳でもなさそうだ。
「この為だけに?」
「うん。ほら、前にスマホのストラップ欲しいって言ってたでしょ?」
ガサガサと音を立てて紙袋に手を突っ込んで中身を取り出すと、手作り感の溢れるクラゲの形をした毛糸の小さなストラップが現れた。
よく出来ている。と思いながらストラップをまじまじと見ていると、何を思ったのか花音が急に謝りだす。
「ご、ごめんね」
「え?」
「その、いきなりこんなもの渡されても迷惑……だよね」
そんな事を言い出した花音は半泣きだ。
勘違いと自己評価の低さから来る自らを卑下するような発言は、これが初めてではなく、毎日のように花音の口から出てきていた。
「いや、使うよ。ありがとな」
こうなった花音に大地がしてやれるのは、花音が自己嫌悪に苛まれる前にプラスの言葉を掛けることだ。
風にゆらゆら揺れるストラップを、花音の目の前でスマホに付けて見せる。
しかし、花音は落ち込んだままだ。
「無理しなくてもいいよ……それ、よく見たら糸がほつれてるし」
「花音が頑張って作ってくれたんだろ?ならそれだけで十分だ」
それは本心である。目立つミスが糸のほつれくらいしか無いのが、花音の頑張りを表しているように思えたのだ。
しかも自分のためにわざわざ、となれば付けない方が失礼に値する。
「……ありがとう。大地君は優しいね」
それを伝えると、落ち込んでいた花音の表情が少し明るくなった。どこか安堵を滲ませた彼女の目には、少し涙が滲んでいる。
大げさな奴だなと思いながら、大地は花音のスマホにぶら下がっている物に目を向けた。
「そういえば、これって花音も付けてるんだな」
「そうだよ。えっと、素材が余っちゃって、でも捨てるのも勿体ないから……もう一つだけ作ったんだ」
花音のスマホにもぶら下がっている、だいたい同じ感じのクラゲのストラップは、大地に渡された物より幾分か小さかった。
「お揃い、だね」
「そうだな」
もじもじしながら花音は言った。花音の前でストラップが欲しいと言った記憶は無いが、どこか記憶に無いところで言っていたのだろう。そもそも自分の行動を全て覚えてなどいない。そう大地は考えて深くは詮索しなかった。
それに、美少女に分類される花音からの手作りの贈り物だ。一般的な男子高校生の大地が、それを貰って嬉しくない筈がなかった。
だからまあ、別にいいか。とも思っていたのである。
「さ、帰るぞ。もうそろそろ昼飯の時間だし、早く帰らないと家の人も心配するだろうしな」
「…………あのっ」
「どうした?まだ他に用事があるとかか?」
「そうじゃないんだけど……えっとね?」
花音は躊躇いがちに、大地に向かって片手を伸ばした。
「手、繋いでほしいな……」
花音のお願いに大地は一瞬キョトンとしたが、しかしすぐに頷いて自分の片手を伸ばした。
「放っておいたら、またはぐれるもんな。ほら手」
「うん。だから仕方ないよね」
自分を納得させるように呟いて、花音は大地の手を取った。
何度も迷った実績があるだけに、その言葉には凄い説得力があった。
「……にしても、ストラップを渡すだけなら、学校でも良かっただろうに。なんでわざわざリスク負ってまで今日渡しに来たんだ?」
「学校でも良いけど、それだと色んな人に見られちゃうよ?千聖ちゃんとか、あと美咲ちゃんとか」
「今日でありがとう。奥沢さんはともかく千聖の奴、花音が絡むと途端に面倒くさくなるんだよな……」
花音と彼、大地の付き合いは小学生の時からだ。
当時から方向音痴だった花音が住宅街で迷子になり、帰れなくなって泣いていたところに通りがかったのが関係の始まりである。
日が落ち真っ暗になった住宅街という、当時小学生の花音には恐怖でしかなかったところで出会えた大地が、花音には何より心強く頼りになったのだった。
当時の大地からすれば、門限を大幅に過ぎて遊んでしまい、急いで帰ろうと普段は通らない道を通った時に偶然、出会っただけだが。
しかしその後、狙ったかのように大地の行き先で花音が迷子になっているという事が頻繁に起こり始め、それから花音を経由して一部の女子とも繋がりが出来た。
最初こそ偶然の出会いだっただろうが、その偶然と出会った時点で、なにやら奇妙な縁が出来たのは確かなようであった。
「大地君、千聖ちゃん苦手だもんね」
「苦手じゃないさ。ただちょっと、馬が合わないだけだ」
「それ苦手って言うんだよ」
2人の脳裏に浮かんだのは、お揃いの手作り海月ストラップを見て無言で笑みを深くする元子役の姿。
大地は肩を竦めて、そのイメージを振り払った。
「ああ嫌だ嫌だ。なんで想像の中まで、あいつの薄ら笑いを見なきゃいけないんだ」
「あはは……」
河川敷を引き返すように歩いていると、やがて人通りがある道に戻ってくる。通り過ぎていく人の姿を見た花音は、安心したようにホッと息を吐いた。
「戻ってこれたぁ……」
「良かったな」
「うん。大地君のお陰だね」
「……毎度の事だろ」
えへへ、と花咲くような笑みを向けられた大地は照れくさそうに顔を背けた。
その笑顔は大地にとって見慣れたものであったが、いくら見慣れていても照れくさいものは照れくさい。
「毎度の事でも、毎回見つけてくれてるから」
「見つけてるっていうか、なんて言うか……」
見つけてるというより、行き先に勝手に現れるというイメージだっただけに返答に詰まる。
さて、どう答えたものかと頭を悩ませていると、風に乗って甘い香りが鼻をついた。花の香りとはまた違う、スイーツじみた甘い香りだ。
「……あれか」
「何が?」
「甘い香りの発生源」
クレープのワゴンが、その甘い香りを周囲に撒いていた。ちょうど親子連れがクレープ片手に横を通り過ぎるのを目で追いながら、大地はチラリと花音を見る。
「クレープかぁ。……食べたい、けど、お昼ご飯まだだし……」
それを見た花音は目を輝かせた後、昼食がまだな事を思い出したのか、悔しそうに歯噛みした。
「どうする?」
「……今回はパス。今クレープ食べちゃうと、絶対お昼ご飯を食べきれなくなっちゃうから」
と言いつつ、諦めきれていないのか目線はクレープのワゴンに向きっぱなしである。
その様子を見かねた大地は、歩きながら花音に言った。
「後で来るか?」
「え?」
「だから。昼飯終わったら、また来るかって」
花音はその言葉の意味を理解するのに5秒ほど時間をかけ、そうしてから明るく頷いた。
「うんっ!」