BanG Dream! S.S. - 少女たちとの生活 - 作:津梨つな
2020/02/21 食の開拓
食というのは実にいい。何も考える必要はなく、何を気負う必要もない。
好きなだけ時間をかけて自分を満たせるだけの量を食べれば良いし、足りなければまた次を食べれば良いのだ。
社会も、生活も、仕事も、人間関係も、何の柵も考えずにただ自分の欲を満たす。
そして今日も、すっかり行きつけとなった近所の小さな民家のような店に入る。外装を派手派手しくした昨今の飲食店も嫌っているわけではないが、ここの店主とは祖母を通しての昔ながらの知り合いだ。
個人経営ながら地域の常連によって成り立っているここ「食堂 すゞや」。気持ち程度の暖簾だけを潜り入れば、テーブルに顔なじみの爺さんが座っているだけの……ん。
「いらっしゃぁい。」
「ども。」
「カウンター?」
「あぁ。」
「いつものかい。」
「あーいや、今日はどうしようかな。」
ゴトゴトと音を立てる木製の椅子を引き、カウンター席に着く。四席並んだだけの簡素なものだが、この左から二番目の席…昔から決まって俺が座っている謂わば指定席というやつだろうか。
この店、指定などせずともまともに席が埋まることはほぼ無いに等しいのだが。座りメニューを手に取ってみて気づいたが、中々この店で見ることのなかった若い女性がカウンター席にいるではないか。今時食べログにも載っていない上看板一つ無いここにどうやってたどり着いたのかも分からないが、全く以てこの店の場末感に見合わないパンクな女性である。
真っ赤な髪に胸元のはだけた肩出しの服装。…寒くはないのか。
「…………。」
「おや、今日は珍しくメニューを見るんだねぇ。」
「え?……あ、あぁ、たまにはね。」
「まぁゆっくり選んだらいいさ。…と言っても、大して多くもないメニューだがねぇ。」
初見だと爺さんか婆さんかわからない店主が言うだけ言い残して厨房へ下がっていく。老夫婦が経営するこの店に他のスタッフなどいない。先程も言ったように存在感が絶望的なほど死滅しているこの店は求人の一つも出しやしないし、若者が寄り付かないせいでアルバイトもいない。
…まぁそれほど繁盛している店でもないし、二人でも充分回ってはいるんだろうが。それよりも今は飯だ。
「…………。」
「………ん。……ぉああ、もしもーし?……おう。……………あ?……あー………うん。………おっすー。」
メニューに目を戻した直後、隣の若いロン毛がかかってきた電話にそのまま出た。大声とまではいかないがそこそこの音量で適当に受け答えをして切ったようだが…。
「おい、店だぜここは。」
「あぁ?……知ってるよ、飯食ってんだろ。」
「電話。声量をもうちょっと考えやがれってんだ…。」
「……あぁそういうことか。いやー悪いな、友達からかかってきちゃってさー。」
「そうかい。」
煩いオッサンと思われても仕方がない、が、そのあまりに周りに無遠慮な振る舞いが目に付いたのでつい言葉を発してしまったのだ。
近頃の若い子にしては珍しく素直に受け取ってくれたようだ。もう少し反駁があるかと思っていたが、少し肩透かしを食らった気分である。ついじっくりと見てしまったためか、古びたテレビの音声が支配する店内に耐え兼ねてか、彼女の方から言葉を続けてきた。
「…あんた、何も頼まないのか?」
「あー……いや、いつもはこの「サバの味噌煮定食」だけだったんだがな。…今日は気分を変えてみようとしたんだが如何せんほかのメニューは…なぁ。」
半分はお前のせいでもあるぞ、とは言わなかった。
「ふーん……。」
箸を咥えメニューを手に取る彼女。ページは無く、観音開き一発のみの小さなものだったが彼女は隅々まで眉根に皺を寄せて視線を這わせている。
選んでくれているのか?
「おっ、これは?」
「ん。」
「どーん!味噌ラーメーン!」
「………。」
いや確かに普段味噌煮を食べているとは言ったが、この味噌は違うだろう。気付けば彼女が食しているのも恐らくラーメン。…ラーメンが好きなのか。
「あのなぁ、俺もそこそこいい歳だし、昼前のこの時間にあんまりこってりしたものは…」
「あぁ?分かってねーなー。アタシはこの辺全てのラーメンを食ったんだけどさ、ここの味噌ラーメンはまさかのサッパリ系なんだよ。」
「いやしかし、ラーメンはラーメンだろ…」
「いーかいーから、何なら今日はアタシが奢るからさぁ!一度食ってみて判断しろってー。」
…奢られるかどうかは別として、彼女の言うことは一理あるやもしれない。この店ではラーメンを食べたことがないのであれば、それが油濃いものかどうかも想像でしかない。
……彼女に踊らされるような気分で少し気恥ずかしい気分だが、今日の昼食は意見を取り入れたものにしてみようと思った。
「ふむ。わかったよ。」
「おっ、行く?ミソラ!」
「みそら…?若い子はそう略すのか。」
「若い子っつーか、アタシとモカくらいかなぁ。別に流行りとかじゃないよ。」
たまには若い文化に触れるのもいい。繰り返しの日々を生きることによって枯れ始めた脳が呼吸を始めた感覚だ。
店主を呼び
「あいよお待ち。」
「おぉ……!」
濁りのある湯気たっぷりなスープ。ラーメンと言えば専ら塩派だったが、この香りと差し出される七味唐辛子は新鮮である。隣の赤髪のおすすめ通りに二度ほどトントンと小瓶を振る…スパイスの鼻に響く香ばしさが幾分か食欲を倍増させる気がした。
さて実食。まずはスープから行ってみよう。
「………ほ…う。」
確かに油気が少ないような気がする。これであれば、この時間帯でも胃凭れを起こすことはないかもしれないな。
続いて麺……なるほど縮れ麺、すこし固めだな。先ほど振り入れた七味唐辛子の味も相まって、引き立てられる味噌味にはこの固さが合っているのかもしれない。
俺は野菜だの肉だのがこんもり盛られているラーメンがあまり好きじゃない。好き嫌いをするわけじゃないが、肝心のラーメンにたどり着く前に食べ疲れを起こしてしまうからである。ああいったラーメンを自信たっぷりに提供する料理人は一体何で勝負するつもりなのだろうか。
それに比べてこの味噌ラーメンは、チャーシュー、メンマとなると、少量のネギにわかめにコーン…とシンプルながら邪魔にならない程度の存在感を放つ。これでいいんだ。
「…どうだ?」
「あ、あぁ……これはこれで、悪くない…かな。」
「!!…だっろぉ!?いやぁーあんたが分かってくれる人で良かったぞぉ!」
「……あぁ、まぁ。」
バンバンと人の背中を遠慮なしに叩きおってからに。…間違いない、この女性は俺の苦手な部類に属する女性だ。
それも、この店と食を通していなければの話だが。
「……アタシ、
「…あん?」
「名前だよ名前、
「名前なんか聞いちゃいないが。」
「なんだよー、連れないこと言ってんじゃねえよ…。さっきおやっさんと話してたの見てたけどさ、あんたここの常連さんだろ?」
「なっ…」
店主が爺さんであることを見抜いていたのか。こいつ、ただの一見じゃない。
もし常連なのだとするならばこれからも顔を合わせる機会があるかもしれない。ならば互いに名前を知っていても不都合はないか…?
「だからさ、覚えといて欲しいんだ。…あっついでにあんたの名前も聞きたい!」
「……っあー……」
「??」
「○○、だ。」
「○○ね。……そんじゃま、アタシは行くわー。」
「ん。悪かったな、とっくに食い終わってたのに。」
「いーんだ。アタシが聞きたかっただけだからさ、感想。そんじゃっ。」
言いたい放題言った彼女は満足したように笑ったあと、その長い赤髪を翻して店を出ていってしまった。残されたのは俺とすこし残っている味噌ラーメン。
店主も苦笑いで、彼女が置いていった料金と食器類を片付けている。
「おや。」
「…?」
「○○くん、ダメだよー女の子に奢らせちゃー。」
「はぁ?」
「これ。」
見せてくれた金はどう考えても一人分にしては多い。あいつめ、まさか本当に奢って行くとはな。
「…今度会ったらお返しに奢りますよ。」
「うんうん、それがいいそれがいい。…それでどうだい、ラーメンなんて初めてだよねぇ?」
「あー……」
また次もいいかもしれないな。ミソラ。
新シリーズ、巴編です。
<今回の設定>
○○:例のごとく主人公。25歳男。
普段は近くの会社で運送業に従事している。
趣味は食べ歩き、昼飯は専らこの小さな飯屋に通っている。
因みにすゞやは作者が子供時代によく連れて行かれたお食事処です。
巴:ソイヤ要素少なめ(現状)のお姉さん。
人見知りせず、誰とでも仲良くできるような性格。
巴といえばラーメン、ラーメンといえば小泉さん。
よく食べてよく笑う子です。