BanG Dream! S.S. - 少女たちとの生活 - 作:津梨つな
今のままではだめだと、唐突に思うことがある。
何かを始めなければ、何かを変えていかなければ。
気は逸り、焦りは募り、不安と焦燥に煽られるように手を伸ばす。
例えば昨日…いやあれは今朝方か。何かあった時に咄嗟に動けるようにと、久しく使っていなかったVRマシンに手を出したのもそんな思いからだった。
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ぷちどり達が寝静まったのを確認してヘッドギアを装着。マウント型のディスプレイに焦点を合わせ、モーションセンサーを搭載したコントロールスティックを握る。
それらを感知するカメラの正面に立ち、周囲の安全確認を済ませた上でプログラムの始動。
飽く迄拡張現実―それも主に視界と腕の動作程の範囲だが、軽く運動をするという目的であれば然程支障はない。開ける視界とサラウンドで聴覚に作用するサウンドに、少なからず迫っていた睡魔も飛び気分が昂る。…こう言った部分は、私もまだ子供なんだろう。
ずらりと並ぶメニューから取り敢えず一時間ほどのコースを選択。ザックリ言うなればボクササイズ…というものだったかこれは。開発チームはあまり聞いたことの無い名前だったが、実際の著名なトレーナー協力のもと確かな効果を実感できるように組まれた、と話題のプログラムだった。
運動不足気味の私を気遣ってか馬鹿にしてか、昔友人からもらったそれを私なりにアレンジしてみたものだが…画面内の血気盛んそうな筋肉質の男性やしなやかな筋肉を躍動させる女性トレーナーを全て我が家の娘たちに置き換え、ボイスも差し替えてみたが中々に効果はあるようで。
まるで実際に本人たちに監視されているかのような、妙な緊張感に包み込まれた。これで私の運動不足も解消できそう―――
―――二時間ほど経ったろうか。
開始早々に震え出していた脚部や腕部はもうすっかり脱力し、肩回り・腹回り・関節各位が痛みと共にガクガク揺れている。…完全なるオーバーワークだ。
指示に従って左右の拳を突き出すだけ、ただそれだけの単調な動作でこうも人間は打ちのめされるのか。改めて各方面のアスリートに敬意を表すると共に、二度と当プログラムを立ち上げまいと心に決めたのだった。
「……おふろ、はいろ。」
ヘッドマウントディスプレイを机の上に乱暴に放り投げ自分の体を検めてみればこの時期に似つかわしくない程の汗。立っていた場所には足跡まで付いている。
恐らく毎日の日課として熟せば寿命を半分ほどに短縮することができるだろう。一先ずはこの不快な汗を対処すべく入浴を以てしてリフレッシュを図ることにした。
我が家のお風呂事情だが、私用の入浴スペースは存在して居ない。元々あった浴室をぷちどり達が溺れずに浸かれる様改修したため、通常の人間サイズが入ることのできるバスタブは消滅したのだ。
よって私が身体の衛生環境を整える時は、まだ幼かった私が開発した省スペース微粒子シャワーを浴びることにしているのだが…流石に今日はゆっくり熱湯に浸かりたい気分だった。
…暫く思案した末、結局諦めて微粒子のシャワーを浴びる。服も脱がずに全身のクリーニングを出来る優れもので研究の合間に良く利用してはいるが、今日に限っては別だ。身につけている衣服もすっかり水分を吸い重くなってしまっている為、脱ぎ捨ててその解放感を楽しむ。
人工的に作り出された微粒子の風が体に沿うように流れていく。その後には皮脂も汚れも埃一つ残らず、最後にはその日の気分で選んだ香りづけもしてくれる。…我ながら良い発明だ。
「はいこれどーぞ。」
「ん、ありがと。」
手渡された冷やしタオルで首と額の荒熱を取りつつ装置を自浄モードへ移行させる。普段は白衣のまま入ることもあり、水分が衣服や体に残ることは無い設計となっている。さっきまでベタベタだった肌もすっかりサラサラだ。
「…頑張るのはいいけど、やり過ぎはよくないよ?」
「分かってはいるんだけどさぁ……あれ?」
あまりにも自然な流れで気付くのが遅れてしまった。私は今誰と話しているんだ?
ぷちどり達は皆眠りについたはずだし、サポート用の機械類にAIを搭載したものもまだ少ない。それに自発的な会話なんて…
先程服を脱ぎ捨てた場所を見ると、ぐしゃっと纏められた汗で重くなった衣類を小さな背中が一生懸命に運んでいるところだった。うんせうんせと小さな歩幅で洗濯機を目指すのは昨日目覚めたばかりのぷちどり。BD-015Tの名をつけた彼女、「ちゅぐみ」は何ともしっかり者のようだ。
とは言え、あれだけの汚物を運ばせるのも少々忍びない。体格的にもまるで拷問のようだと思いながら、その洗濯物を拾い上げる。
「あっ」
「…ごめんねぇちゅぐ。これは汚いから私がやっとく。」
「えっ、で、でも、お手伝いできることはしないと…」
「…あのねぇ。…よいしょ、ちょっとそこで待ってて?」
「あぅ。」
机の上まで彼女を運び、何か言いたそうな顔にウィンクを飛ばして黙らせる。さーややリサにも見られる特徴ではあるが、こちらが何かを頼む前に率先して手伝いをしたがる個体が稀に生まれる。いつか記したかもしれないが、性格・思考傾向については大まかな誘導こそ可能でも行動指針やら趣味嗜好までは踏み込むことができない。そこまでやってしまえばもう禁忌どころの騒ぎではないだろうし。
だというのにどうしてこの子らは…。洗濯機に衣類を突っ込むも騒音で他のぷちどりを起こしてしまう事を考慮しスイッチは入れずに放置することにした。どうせ朝が来れば他の洗濯物も出てくるのだし、その時にやってしまえばよいだろう。
洗濯問題は置いといて、机の上のちゅぐみの様子を見てみると落ち着かない様子で机の整頓をしてくれていた。忙しなく動き回る茶色のショートカットヘアに苦笑いしつつ湯を沸かす。少しの菓子を皿に取り二つのマグカップを持って机へ戻った頃にはやり切った様な顔で待ち構えられていた。
「机、どうして汚いの?」
「はは、それはそれで落ち着くのさ。…片づけてくれてありがとうね。」
「気になっちゃって…つい。…わっ、お菓子食べるの?もう夜中だよ?」
「運動したらおなか空いちゃってさ。ちゅぐはクッキー嫌い?」
「んー…甘いのはすき。」
「よし、じゃあ一緒に食べよ。」
親睦を深めるために――。
私はいつも、新しい個体が誕生する度にこうして個別にコミュニケーションの時間を設けるようにしている。勿論複数人での応対を要求する個体もあるが、基本的には二人きり。どうせこの後は他のぷちどりに溶け込んで行ってしまうのだし、最初の真っ新なうちにしか出来ない質問だってあるからね。
ちゅぐみは誕生から一日経った今日でもあまり交流を図ろうと輪に入っていくようには見えなかったし、この時間で少しでも思考傾向を掴めたら、というのも狙いの一つである。
「…おいし?」
「うん。……おっきい。」
「体格の差だねぇ。」
「…ちゅぐも、いつかは"まま"みたいに大きくなれる?」
「どーかな。ぷちどりの外殻成長についてはまだ研究中なんだよね。」
「???」
ちゅぐみが目覚めて他とは違った点、それは真っ先に意識をこちらに向けてきた事と、私を「まま」と呼ぶこと。
確かに私自身ぷちどり達の事は自分の子供のように扱っているつもりだし、漠然と親子のような関係を保っている。がしかし、しっかりと母親を感じさせるニュアンスのワードを口にした個体は彼女が初めてで。以前のいぶの一件もあり私の中にも多少変化があったとして、果たしてそれがぷちどりの生成に作用するのか否か…研究項目がまた一つ増えた訳である。
だがもしも仮定としてだが、創造主の精神状態や思考が反映されるのだとしたら、何よりも重要なのは秘匿性になる。研究者の驕りなのかもしれないが、私はこの可能性達を「共に過ごす」目的以外で扱う気は無いし一生命体以外の存在として認識することも無い。…が、同様のテクノロジーが外界に漏れるとなると話は変わって来る。
果たしてこの人間という生き物は己の願望を叶えることのできる、人には余りあり過ぎる力を前にして自らの業を抑えることができるのだろうか。広がり続ける可能性は常に破壊と終末の色も孕んでいる。忘れてはならない付帯リスクでもあるのだから。
「ははは、難しかったか。」
「うん。…さーやちゃんがね、ままはとっても難しい事を研究してて、ちゅぐ達のいるこの世界をもっと良くしようと頑張ってるんだって教えてくれたの。」
「…さーやが?」
「うん。だからちゅぐは、早く大きくなって、ままのお手伝いが出来るようにならなきゃいけないんだ。」
「うーん……気持ちは嬉しいけどね、ちゅぐ。私は――」
私は君を「お手伝いさん」として生み出した訳じゃない、と続けようとして思わず言い淀んだ。では何のために?研究の為?具体的には何の?
中々続きの言葉を発さない私を前に、手のひらサイズのクッキーを両手で持ったちゅぐは首を傾げて見せる。
この子達は何故生まれ、何のために生きているのか。そもそも生の概念とは何だ?死んでいない事か?では命さえあればそれは生と言えるのか?ならば命とは何だ?身体的に生命活動を行っている状態?いや、それではあまりに現物すぎる。とはいえ俗に言う脳死の状態で行われる延命治療やそれに付随する――
「コップ空っぽだね。今ちゅぐがコーヒー淹れて来てあげ――ひゃぁっ!?」
「!!…ちゅぐっ!!」
思わず深い思考に入ってしまっていた私の視界の端で、気を利かせて私のマグカップを持ったちゅぐみが机から落ちる様が見えた。まるでスローモーションのように小さな手足をバタつかせながら、真っ逆さまに落下を開始するちゅぐみを見て、体の痛みなど気にならない程の必死さで手を伸ばす。二の腕と肩甲骨あたりにビリっと電流が走る様な錯覚を覚えたが、私も崩れ落ちるようになりながらも何とか彼女の小さな体が地面に着く前に抱き留めることに成功する。
両掌の中でハッ、ハッ、と荒い呼吸を繰り返す泣きそうな表情は一瞬の恐怖を物語っていて、その目にいっぱい溜めた涙は今にも零れそうで。これは全て私の不注意から起きた事故。言いたいことも言うべきことも色々あったけど、今はとにかく…
「……よかったぁぁ……」
安堵の溜息と同時に吐いた言葉は、珍しく思考を介さない素直な気持ちだった。
**
「とにかく、危ない事はしないこと。」
「はいぃ…。」
「それから、何でもお手伝いしないとーって思わないこと。」
「はいぃ……。」
「あと、私の前から居なくならないこと。」
「は、はいぃ……。」
一頻り二人して泣いた後、簡単な片づけをした後の会話。説教…までは出来る立場じゃないので、飽く迄今後の確認程度だが。
名目上は私のお願いとして、一つ一つ聞いてもらっている。ちゅぐみはずっと私の両掌で作ったお椀の中で正座をして聞いていて、時折ふやっとした返事を返す玩具の様になってしまっていた。
「あのねちゅぐ。私はちゅぐに出逢ってまだ一日ちょっとしか経っていないけど、ちゅぐのことはとっても大切に思ってるんだ。だから、ちゅぐが怪我したり危ない目に遭うのはすごーく嫌なのね。…お手伝いについてはさーや達が言っていたから…ってのもあるんだろうけど、私はちゅぐと一緒に毎日楽しく過ごせるだけで幸せなんだ。だから、"こうしなきゃいけない""ああしなきゃいけない"って事よりも、"こんな事やってみたい"とか"こうしてると幸せ"っていうことをいっぱい見つけていきたいと思うの。…って、一気に話過ぎても難しいか。」
言いたいことはいっぱいあった。それをなるべく噛み砕いて話しているつもりだが、如何せん子供相手というのは難しいものだ。その上今の彼女は怒られていると思って話を聞いている訳だし。
それでも一生懸命に相槌を打って、一生懸命にうんうん唸っている姿を見るに、真面目で一生懸命というのが彼女の核になっているんだろう。少し反応を待ってみる。
「……ちゅぐ、ままにききたいことあるんだけど。」
「どうぞ?」
「他の皆は、すっごく楽しそうに遊んでるんだけど、ちゅぐ達って、何のためにつくられたの?」
「……。」
此方を見上げる真っ直ぐな瞳は真剣そのもの。刺し穿たれそうな視線と核心を突く言葉。答えは分かっている。
科学者とか言う傲慢で愚かな動物のエゴだ。研究・科学の発展などと都合のいいことを言いつつも、私だって結局は汚い大人なのだ。マッドサイエンティスト…かつてそう呼ばれていた時期もあったが、私は科学者でも何でもないのかもしれない。ただ、生まれてこの方碌に人間を見ようとしてこなかったツケが回ってきたとでも言うべきか。
「…私、寂しかったんだ。」
「え…?」
「許されない事をしているとは思う。…でもきっと、寂しかったんだよ。誰かを近くに感じたかった。誰かに叱ってもらいたかった。誰かと互いを温めたかった。…その為の、研究だったかも、しれない。」
「…………。」
何のために生み出されたか。生後二日にしてその疑問を抱いてしまったちゅぐみ。ある種当然とも言える問いだが、答えてあげられない自分に不甲斐なさと憤りを感じる。私だってわからない。でも、この研究に手を出した切っ掛けはきっと些細な事だったはずなのだ。
やがて口を開いたちゅぐみは質問を変えたようだ。
「…ちゅぐ、お手伝いしなくていいの??」
「いいよ。」
「お手伝いしなくても、机から落っこちそうになっちゃっても、嫌いにならない?」
「………ならないよ、絶対。」
つまるところ彼女等も不安なのだ。訳も分からないうちに生命を与えられ、何も分からないままに何も目指さない日々を生きていく。その中に一際体の大きな女が居て、どうやらそいつが全ての元凶らしい、と。
何も考えないまま、本能の赴くままに走り回るもよし、自分の仕事を見つけて、担当となって時間を費やすもよし。…要は、自由過ぎることは不自由で、掛値の無い愛情など不安にしかならないということ。生きる意味と保証が欲しい、ということ。
「…ちゅぐみ。私とずっと一緒に居て。危ないこともしないで、何でもやりたいことだけやっていていいから。皆と同じように、私と一緒に生きて。」
「………ちゅぐね、お手伝い好きだよ?…さーやちゃんも好きって言ってたけど、お掃除も花壇の水やりも機械のめんてなんすも、全部ままが喜んでくれるから好き。」
「ちゅぐみ…。」
私が実は相当の寂しがり屋で、誰かを近くで感じたかったのだと気付いたことも、研究成果なのだろう。
ちゅぐぅ
<今回の設定更新>
○○:次の日全身筋肉痛でバッキバキになり、研究どころじゃなくなった。
心の温かいマッドサイエンティスト。
ちゅぐ:かわいい。真面目さん。
BD-015Tが正式名称に当たる。
色々手伝いたがるが、理由は研究中。