BanG Dream! S.S. - 少女たちとの生活 -   作:津梨つな

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2020/01/18 地獄と天国の高低差を実感した時

 

 

 

あの不思議な少女との出会いから二週間ほど。

それはもう我武者羅に働いた。日雇いのバイトや知り合いの農業の手伝い、簡単なモニターから内職まで…自分の持てる限りのアンテナを稼働させ、生きていられる時間は全て労働に費やしただろうか。

家賃すら払えなかった末に追い出された俺は、基本的に拠点として駅からそう遠くない場所のカプセルホテルを利用している…が、日に二時間程の仮眠を取る以外の使い道はない。ハッキリ言って最初の三日ほどで体は限界を迎えていたが、生命とは不思議なもので、謎にハイになった脳から伝えられる"働け"という命令により、休む間もなく動き続けていたらしい。

気が付いてみれば、記帳を済ませた通帳を開き労働の対価を確認したところで、カプセルホテルの狭苦しいベッドから起き上がれなくなってしまっていた。

 

 

 

「情けない…がこれはなかなか…。」

 

 

 

人間やる気になれば何とかなるものだ。前職の月収には遠く及ばないが、現状の「衣食住」をかなぐり捨てた生活であれば三ヶ月は持ちそうな金額。

身体の疲労を感じる余裕が出来たのも、きっとその安心感から来るものだろう。カーテンを閉め切った狭いベッドの上に、ボロボロの服で横たわる自分と極力迄コンパクトにした荷物を詰めた大きめのリュック。

今の俺にはこれが全てであり、最大の持ち物だ。当面の見通しは立った訳だし、今日という日もまだ始まったばかりだ。一先ずの安心を胸に、今日一日は休養に充てようと眠りについたのだった。

 

 

 

**

 

 

 

すっかり日も気温も落ち、雪の降りしきる中。

俺はたった一つのリュックを抱え、また()()公園のベンチに居た。あの時違うのは神社に賑わいを感じない事、いつの間にやら自動販売機が設置されている事、そして俺が文字通り一文無しになっている事。

…そう、やっちまったのだ。

 

あの後、疲労もあってか夕方まで深い眠りに落ちていた俺。どこにでも卑劣…いや頭の切れる奴は居るわけで、その間にたった一つの通帳と財布をやられた。身分証の類に関しては別の小袋に入っていた為に無事だったが、口座の番号すら覚えていない俺にはまともな対処法も取れず。

遂には限界と諦めを感じてフラフラと放浪していたって訳だ。まさかここに辿り着くとは思っても居なかったが、成程あの出会いが余程俺を救ったと見える。

 

 

 

「……缶コーヒーも全く手の届かないものになっちまったな…。『触れられぬモノは美しい。儚さと憧れに宿る一滴の雫は何者をも癒すのか。』…ふふ、まるで"空虚な響き"たぁな…。」

 

 

 

こんな時にまでクライアントからの文句が思い出されるとは、染み付いているなぁ…。

さて、これからどうしよう。棲家も無い、先立つものも無い、恐らく俺を必要としている人も場所も無い。おまけにもう気力も――

 

 

 

「○○、()()会ったわね!!」

 

 

 

…どうやら運と救いはあったらしい。目の前でニコニコと楽しそうな笑顔を向けてくるのは何時ぞやの少女。腰に手を当て胸を張って立っている姿は相変わらずで、あの時とは違う装いながらも毅然とした気高さすら感じ取れる。

最後に()()君に出逢えてよかったよ、と感謝のフレーズを探していたところで続けざまに彼女は問いかける。

 

 

 

「ねえ、こーひーはもう買ったかしら??」

 

 

 

意味が分からない。俺は彼女にコーヒーを好むと伝えたことがあったろうか?確かに嫌いじゃなく、前職の頃は休憩時間の度に自販機で買い飲んではいたが…

 

 

 

「…いや、久しく飲んじゃぁいないな。」

 

「あら!!…ちょっと待ってて!」

 

「あっおい…」

 

 

 

言うや否や、思いの外軽快な走りで件の機械まで駆けて行く。夜の帳の中でも確かに煌めいて見える金の髪を靡かせて、その姿は幼いながらも雅であった。

…が、いざ自販機の前に立ってみるも何か行動を起こそうとはしない。その明かりに照らされた顔にはありありと困惑の表情が浮かび、やがてコテンと首を傾げた。見兼ねた様子の全身黒スーツの男が素早い動作で近づく。何処から現れたか全く見てはいなかったが、彼が少女の耳元に顔を寄せると彼女は驚いた顔をした。そのまま何かを受け取り俺の前へと戻って来る。

 

 

 

「……どうしたんだい?」

 

「あのね!!あたしあの箱の使い方が分からないの!」

 

「…………ふむ。」

 

「オギノに"おかね"は貰ったけれども、これをどうしたら良いのかしら??」

 

「おぎの…?」

 

 

 

先程の黒服の男だろうか。貰ったという金を大事そうに握りしめ、彼女は必死に言葉をぶつけてくる。

 

 

 

「ねえ○○!あたしにあの箱の使い方を教えてちょうだいっ!」

 

「箱……自動販売機のことか。」

 

 

 

お安い御用だ。人の身を捨てる一歩手前で出逢った女神のような彼女になら、残り僅かな人生でさえ捧げられるような気さえしている。

この子が知らないと言うのなら、どんな些細な事でも教えてあげよう。…頷いて返すと彼女は不安そうな顔をパァと輝かせ、金を握っていない方の掌を差し出した。数メートルのエスコート、握った手は柔らかく温かかった。

 

 

 

「さて、と。」

 

「この箱、泣いてる…?」

 

 

 

再び正面に立つや否や、繋ぐ手に力を籠める彼女。中々に詩的な表現だったが、恐らくそれはモーター音…おまけに機体自体も震えているものだからきっとそう見えたのだろう。

安心させるため、そして次のステップへ進むためにも話の進行方向を少しずらしてあげよう。

 

 

 

「寒いからね。…ところで、何を買おうと思ったんだい?」

 

「あのね、あの一番下の列の、二つ並んだ筒の右側のやつよ!」

 

「…あぁ、微糖の方のコーヒーか。…因みにどうして右側を選んだんだい?」

 

「びとぉって言うのね!…○○は"ぶらっく"?より甘いのが好きって、シキモリが教えてくれたのっ!」

 

「しきもり…」

 

 

 

あの黒服、果たして何人いるのだろうか。ここまで来て何となく予想していた事がある程度確信になりつつあった。この子…こころはかなりの()()()というやつらしい。

あれくらいの子が厳つい連中に囲まれ、自販機の使い方すら知らないなんて。絵に描いたような世間知らずっぷりに、俺はもう目が離せなかった。

 

 

 

「んっ!…あの光っているボタンを押せばいいのかしら??」

 

「うむ。…最終的にはそうなるだろうな。おかねはちゃんと貰ったのかい?」

 

「おかね??……あ、これね!見て!」

 

 

 

広げた手に載っていたのは百円硬貨が二枚。今の俺の全財産より多いのは言うまでもない上にお笑いだが、これなら釣銭の勉強にもなって丁度いいか。そのまま料金の投入口を伝え、震える手でお金を投げ入れる様を見守る。まるで爆弾の配線でも切るかのような集中力に、微笑ましく和やかな気持ちになった。

 

 

 

「…………ふぅ!ふたつ入ったわ!!」

 

「…ボタン見てごらん。」

 

「ぉわぁ!…○○っ!光っているわ!!全部よっ!!」

 

「うんうん、これは今入れたお金で買える商品を教えてくれている訳だ。それじゃあ君の買いたい……いや」

 

「??」

 

 

 

最初に言っていた微糖の缶コーヒーを押すよう言おうとして思いとどまる。何を甘んじて施しを受けようとしているんだ。今の俺なんかに百三十円のコーヒー一つだって勿体なかろうに、この子は…

幸いにも時間制限の無いタイプらしく、釣銭口に二百円は戻ってきていない。もう一つ、質問を重ねることにした。

 

 

 

「…こころは、どんな飲み物が好きなんだ?」

 

「あたし??……んーとねぇ、普段は紅茶とか、日本茶をよく飲むわね!」

 

「日本茶に紅茶…なるほど。炭酸とかは飲まないのかね?」

 

「たんさん……??どんな人??」

 

「あぁいや、タンさんでは無くて炭酸飲料……つまりはこう、シュワシュワと弾ける様な、刺激的な飲み物なんだが…」

 

 

 

どうやら本気で分かっていない様子。あればかりは苦手な人間も居るから押し付けようとは思わないが、どうせ教えるならば飲み込む味も感触も全て新しいものでこの子を満たしてあげたい、そう思った。

まん丸の目をまっすぐに向けてまだ見ぬ炭酸飲料を一生懸命に想像しているこころから自動販売機へと視線を移し、「それなら」とラインナップを確認する。

 

 

 

「…こころ、ぶどうとオレンジならどっちの方が面白いだろうか。」

 

「ぶどう!!」

 

「ほほう、その心は?」

 

「ぶどうはあんなにぶら下がっているのに全部で"一つ"でしょう?」

 

「ふむ?」

 

「オレンジも綺麗で美味しいけれど、ぶどうはその粒の分だけ可能性があると思うのっ!」

 

「……決まりだ。」

 

 

 

彼女の手を取り缶コーヒーの一段上、ファ○タグレープの缶に該当するボタンへと誘導する。クエスチョンマークでいっぱいの表情をするこころに頷いて見せると、彼女は恐る恐るといった様相でその突起を押し込む。

直後大きく響く落下音と、釣銭口から払い出される十円玉。その度にビクリと体を震わせ視線を動かす彼女の何と愛らしい事か。それぞれにブツが戻ってきていることを伝えると嬉々としてそれらを取り出して見せてくれた。

 

 

 

「すごいわ!まるで魔法ねっ!」

 

「そうともさ。科学ってのは最早魔法の域まで行っているんだよ。」

 

「でも、おかねを二つ入れたのに三つも戻ってくるのは変ね。…あっ、こっちのは穴が開いてる!」

 

 

 

子を持つ親というのはこんな気分なんだろうか。一つ、また一つと、新たな発見を経て大きくなっていく我が子。そんな姿をこころに重ねた。

 

 

 

「中に誰か入っているのかしら…?」

 

「どれ、出てきた缶を貸してごらん。」

 

「かん???…これね!はいどーぞ!」

 

「ありがと。」

 

 

 

ぷしっ、と小気味よい音と共に甘い香りが漂ってくる。中には聞き慣れたしゅわしゅわと弾ける発泡音…学生の頃は良く飲んだものだ、と昔を懐かしみつつこころに渡す。

初めは受け取ろうとしなかったこころだったが、「君のあとに俺も少し貰うから」と伝えたことで飲むことを決めてくれたようだ。緊張の面持ちで缶に口をつけ――

 

 

 

「ぷぁっ!?…こ、これ、ちくちくしてぱちぱちするわ!これも○○の魔法なの!?」

 

 

 

漫画的表現で言うなら><(こんな)目をして慌てて口を離す。こくん、と確かに飲み込んだようだが、本当に炭酸は初めてらしい。その独特の感覚に目を輝かせ、魔法のようだと息巻く…あぁ、本当に愛らしい。もう少し早く、仕事に追われる前に君と出逢っていたならば少しは人生も変わっていたかもしれない。

興味津々といった様子で二口、><、三口、><と繰り返すこころの頭をぽんぽん撫で……そろそろ別れを切り出すことにした。

 

 

 

「??」

 

「それじゃあこころ。…俺は君に会えて救われた気がする。」

 

「のまないの??」

 

「はは、それは君の記念すべき第一歩の味だろう?俺なんかが貰う訳にはいかないさ。」

 

「あら…一緒に飲めると思ったのに。」

 

「ん、ごめんなぁ。…俺はそろそろ行くから、さよならをしなくちゃな。」

 

「………。」

 

 

 

長居をしてはいけない。この子に情でも移ってしまえば、その時はもっと甘えてしまいそうになるから。

中身の波々と入った缶を持ち何も言わずに見つめてくるその顔をしかと目に焼き付け、公園を後にするため背を向ける。さようならこころ、これからも元気に――

 

 

 

「……?」

 

 

 

おかしい、いくら夜と言っても視界が真っ暗になることはないだろう。街灯もあるだろうし、何より目の前には道路があった筈だ。

とは言えこころに背を向けてしまった以上立ち止まっている訳にはいかない。暗くても歩き出そうと一歩踏み出したところでその()()()にぶつかった。

 

 

 

「あいたっ」

 

「…………君は人が居ても構わずぶつかって行くよう教育されてきたのかね?」

 

 

 

…黒が喋った。

声が上から降ってきた気がして見上げると、数十センチ上にあまりにも厳つすぎる男の顔があった。ほぼ垂直に見降ろしてくるその男はまるでライオンのようにその顔を金の鬣で囲み、髭だか髪だか分からない毛をツンツンに尖らせていて…おまけに彫りが深く浅黒いその顔に海賊のような眼帯を掛けている。

…いや怖ぇ、そしてデカすぎる。何だこの怪物は。

 

 

 

「あいや、その、お、ボクは…」

 

「………ふぅぅぅぅ…。全く、こころに頼まれて来てみたら何だ君は。」

 

 

 

厳つすぎるその人相と、睨みを利かせたような鋭い眼光に恐れ戦いていたがその口ぶりはどっしりと落ち着いていて。

聞き取れた彼女の名前から身内であることが窺い知れた。

 

 

 

「お父様!!!」

 

「お父……!?」

 

 

 

成程、言われてみれば確かに毛色は同じだ。だがあれ程の可愛らしい可憐な少女が、とてもこの目の前の二メートル超えの怪物と同じ血筋に居るとは思えない。

それでも彼女は確かに父と呼び、呼ばれた巨体の男もその表情を緩めはしたがいやしかし…っ!

 

 

 

「お父様っ!!これが○○なのっ!!すっごく優しくて、すっごく面白いのよ!!」

 

「………そぉかぁ!こころは、この○○くんの事がすきなのかぁい??」

 

「うんっ!!あたし、毎日でも○○に会いたい気分だわっ!!」

 

「ングッ……そ、そうかぁ!!それじゃあご招待しちゃおうかぁ!!」

 

「ほんとっ!?やったぁ!お父様大好きぃ!!!」

 

 

 

あぁ………。父が俺を押し退け、飛び込んでくる小さな体を大切そうに抱き締める。穏やかな声を出しつつもその目は確実に俺を睨みつけていて…

要するに極度の()()鹿()。それの最たるところに居る、とても堅気と思えない風貌の男…それもかなりの財力を擁した人間に、嘸かし大切に育てられたのだろう。そんな一人娘がどこの馬の骨とも分からない男を気に入ったとなれば…その心情は察するに値するだろう。

あれ、早く逃げないと俺殺されるんじゃ、と馬鹿な考えを抱いてしまう程に凶悪なオーラを放つ男を見ていると、後ろからガシリと肩を掴まれる。今度こそ死を覚悟しつつ後ろに意識をやると、先程まで遠巻きに見ているだけだった人間の顔がそこにはあって。

 

 

 

「○○様、どちらへ行かれようと?」

 

「…あぁいや、このままいてもこころに悪影響与えちゃうかなーと。…特に宛は無いんだがね。」

 

「ですよね。○○様に帰る場所も住む場所も無いのは当方リサーチ済みでございます。」

 

 

 

いや俺のプライバシーはどうなったのかね?リサーチとは、これが金の成せる業なのだろうか。黒服の男は表情の読めないサングラスのままで続ける。

 

 

 

「一応合意頂けないと違法手段を取る羽目になってしまいますので意向のみ確認致しますが…よろしければ、こころ様のお屋敷に来ては頂けませんか?」

 

「…その質問が形式だけであることは何となくわかる。実質、俺に拒否権はないのではないかね。」

 

 

 

まるで異世界の出来事のように、親子の微笑ましい対話を眺めつつ漫然と答える。これから自分がどの坂を転がり落ちていくのか皆目見当もつかないわけだが、どうやら俺の身柄は最早俺自身でどうこうできる問題ですらなくなるらしい。

あれだけの巨きな家柄だ。人一人消すなんて――まぁ既に存在なぞしていないに等しいが――簡単であろう。ならばせめて、少しでも事実を見極めて身を預けよう。知ることはタダなのだから。

 

 

 

「お話が早くて助かります。とは言え、○○様にとっても悪い話ではないと思いますが。」

 

「というと。」

 

「我々は何も貴方様を誘拐しようというわけではないのです。…こころ様、お嬢様たっての願いにより、貴方様を雇いたいと。」

 

「雇う…ね。あんなに小さい子に情けをかけられるたぁ情けないものだが…それに素直に甘えるほどプライド捨てちゃあいないんだが。」

 

「……そう仰られるとは思っておりました。…だからこそ、ご多忙の身であられる御当主様が直接参られたのです。」

 

「…どう繋がりあるのか俺には分から」

 

「なぁ青年。…○○君とか言ったか。」

 

「へっ?」

 

 

 

黒服との会話に夢中になりすぎたようで。いつの間にやら目の前にはあの大男と心配そうな顔のこころ嬢。父親の方は少しご機嫌そうに見えるが、外見だけでは計り知れない何かで出来ていそうな体だ。

彼がしゃがみ込み、少し目線を下げて語りかけてくる。

 

 

 

「正直なところ、私としてもあまり歓迎できる話ではない。」

 

「……。」

 

「それでも、だ。…先程の一部始終も見させて貰ったが…こころは随分と君に懐いているようだ。」

 

「……はぁ。」

 

「私はなぁ青年。色々と巨きくなりすぎたこの会社の舵取りで精一杯でな。構ってやれ無い分、こころの望むものは何でも与えようと誓ったのだ。…その結果付けたSP連中も、与えた金も、全てがこころを現実から遠ざけてしまったように感じる。」

 

 

 

過保護にしすぎて箱入り娘状態にしてしまったということか。そしてそれを悔やんでいると…。

あれ程の大企業を一代にして創り上げた男の描いた理想がどういったものなのか、俺如きに想像できるものじゃあないが、少なくとも今のこころの置かれている状況は好ましくないものであることは推察できた。

今の彼の放つオーラには先程のような威圧感は無く、一人の父親としての後悔と戸惑いの色があるのみだった。

 

 

 

「このままじゃぁこころは、娘は世間知らずなまま、子供のまま大人になってしまうと心配していたんだが……まさかこころが自販でジュースを買うとはなぁ。君に教えて貰っているとは言え、未知のものへの興味を示したのが嬉しくて嬉しくて…。」

 

「……本当に初めてだったんですね。」

 

「もうすぐ高校生だというのに…恥ずかしい話だがなぁ。まぁ、俺の知らない部分も多いんだろうが、「○○公園に飲み物を買う機械を置いて欲しい」と直接頼まれた時なんか嵐が来る予感に怯えたもんよ。」

 

「……ん!?あの自販、こころが??」

 

「なんだ聞いていなかったのか。…君に出逢ったのが余程響いたんだろうな。黒服に調べさせたらしい「こーひーっていう飲み物」を買える機械が欲しいなんて言い出すもんだから…だが今日君の姿を見て決めた。」

 

「……ずっと、見られていたんですか。」

 

 

 

そう考えると少し気恥ずかしい気もする。斯く言う俺も、こんな小さな子の面倒をしっかり見たのは初めてだったわけだし。

 

 

 

「私は…弦巻家は、君を雇いたいと思う。こころに付ける、一般教養の講師として…だ。」

 

「………弦巻家の雇われ講師とは、少し荷が重すぎやしませんかね。」

 

「はっはっは…!なあに、肩書きこそ堅苦しいがね。……こころと、あと下に妹が居るんだが、その二人の遊び相手になってくれるだけでいい。」

 

「…うまい話には裏があると聞きますがね。」

 

「ええい中途半端に頭の回る青年だな君は…!…タネを明かすとだな、まあ別に隠すつもりもないのだが、給料は出ない。」

 

 

 

雇う=賃金、と思っていたが、成程そういうわけか。彼の言いたいことはわかったし、確かにその目的なら俺のような現状を持つ人間は都合がいいだろう。

 

 

 

「…成程?つまりは…ふむ。」

 

「その代わりといっちゃぁ何だが、生活についてバックアップをさせてもらう。部屋も君用の物を用意するし、使用人もつけよう。生活に必要な金に関しても心配はいらない、兎に角…この子の傍にいて欲しいんだ。」

 

「何処の馬の骨とも知らない人間にそんな…」

 

「私の娘が選んだ人間なんだ。…それを信じてやれなくて何が父親か。」

 

 

 

…あぁ。この人はきっとその目と懐で"弦巻"のブランドをあそこまで大きくしてきたのだろう。片手を愛娘に握られて顔こそ崩れかかってはいるが、その瞳は真剣。真に娘のことを考えている父親の精悍な顔つきだった。

そもそもそこまで言われておきながら選択肢を選べる立場じゃない俺。答えは決まっていた。

 

 

 

「……お世話になります…でいいんでしょうかね?」

 

「…請けてくれるか!」

 

「待遇からして俺が断る理由もないですし、俺もお嬢さんに救われた人間ですから。……精一杯、仲良くさせてもらいますよ。」

 

「…私が目を掛けてやれないばかりに…本当に済まない。娘たちを、どうか頼む。」

 

 

 

大企業の頭首が住所も仕事もない見窄らしい男に頭を下げる。この非現実的な光景に、俺は冗談紛いで呟いていた神とやらの存在を信じそうにすらなっていた。

思わず涙を堪える形になった俺の返事は、雪の降る公園に吸い込まれて消えていった。

 

 

 

「やったわ!これからは毎日一緒ねっ!○○っ!!」

 

「……ありがとうこころ。君の言うとおり、()()()()に巡り会えたようだ。」

 

「うふふっ、そうでしょうそうでしょう!」

 

「これから宜しくなぁ。」

 

 

 

 




お話全体で言えばここまでがプロローグ




<今回の設定更新>

○○:ようやく働き口が見つかったかと思えばとんでもなく重大な仕事だった。
   二人のお嬢様と共に過ごす本編、次回から始まります。

こころ:天使。彼女の機嫌一つで国が浮き沈みするといっても過言ではない。
    四月からは高校生。まだまだ無邪気なものである。
    八歳下の妹が居る。

父:こころのお父様。弦巻という名を世界に轟かせた張本人。
  各国の首脳も頭が上がらないほどになった弦巻をコントロールするため、日夜
  奮闘しているのである。超がつくほどの子煩悩で、甘やかしすぎとも取れる娘
  達の待遇は、傍に居られない父親の精一杯の愛情である。
  こころの妹が生まれると同時に妻を亡くしているが、人生で愛する女は一人と
  心に決め、娘たちには悪いと思いつつも再婚せずにいる。

オギノ:黒服の一人。最近お洒落なネクタイを故郷の母親よりプレゼントされたが
    SP規定に反する為着けられずにいる。梅干が好き。

シキモリ:黒服の一人。辛いものが苦手なのに好き。
     汗まみれで中辛のカレーをチマチマ口に運ぶ姿は最早黒服内での名物。

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