「恐らく俺がこもった時か」
昼十三時。
インスタントラーメンを食べ終え、提督は執務室で対策を練ろうとしていた。数々の資料を開き、机の上をファイルで埋めていく。それぞれの艦娘のプロフィール、過去十年間の海軍で起きた事件の記録と荒くれ鎮守府の記録、艦娘専用に使用される薬の種類。
艦娘達の提督に対する異常なまでの嫌悪感、たった一夜で翔鶴達が何か仕掛けた可能性がある。可能性が一番高いのはやはり薬だ。恐らく翔鶴達が切り札として隠し持っていたのだろう。
前にもこうなった事例が他の鎮守府で二つある。
一つ目は土佐清水鎮守府。四国地方の地方鎮守府で、それ程目立った戦果は取り上げられていない。だが六年前の春に、ある艦娘が艦娘にしか効かない好嫌薬を改造又は開発し、その薬を使用して鎮守府を運営していた■■中佐を自殺未遂にまで追い込んだ事例がある。薬を使用した本人曰く、「一人占めしたかったから」という野望故の理由だった。
好嫌薬が広まったのはこの事件から始まっている。この事件により、好嫌薬が日本中に出回ったとされていた。
そして二つ目は横須賀鎮守府。大都市東京を護る砦として数多くの艦娘が所属し、素晴らしい戦果を挙げ続けている鎮守府だ。この鎮守府でも艦娘が好嫌薬を使用し、司令官だった■■少尉が自殺した事例が存在する。使用した艦娘は「興味本位でやってしまった」と供述しており、即刻旧式解体法にて処理されている。
この事例により、大本営は好嫌薬は全国一斉に取り締まる事を決定。各鎮守府で秘密裏に出回っていた好嫌薬を徹底的に回収し、二度と使用出来ないように焼却された──、
──はずだった。
「あの嫌悪感からして好嫌薬を使ったんだろう。効果は確か──」
好嫌薬には改造によって効果が異なる物がある。
戦闘意欲の代わりに感情を操作し、ある一定の人物にだけ嫌悪感と愛好度を顕著に示す物。それぞれ艦娘によってその人物が好きか嫌いか分かりやすく、これまでの態度がまるで違うものとなる。
同じく戦闘意欲の代わりに感情を操作し、ある一定の人物にだけ好きという感情が嫌悪という真逆の感情になる物。これはその人物に対して好きであればある程に嫌悪がそのまま反対のモノとなる。
考えるならば前者が効果として妥当だろう。だがこの鎮守府の艦娘達が好きでも嫌いでもない提督に対して一斉に嫌悪感を示してくるのは効果としては似ているが少し違う。改造された好嫌薬をまた改造したに違いない。
またこれを使用するにはいくつか問題が生じる。
ある一定の人物にだけ嫌悪感を示す際、その人物のDNA組織を採取しなければならない。薬の改造時にそのDNAを組み込む必要があるからだ。二人が標的になるのなら、その二人分のDNA組織が必要になってくる。
ではどうやって提督のDNA組織を採取したのか。
答えは簡単だ。
この鎮守府では■■医師しか取り扱える者はいない。
医務室で提督の治療を施していた■■医師であればDNA組織を採取する事など自然に出来るだろう。恐らく好嫌薬の改造の為に■■医師が提供した可能性がある。
もし■■医師が翔鶴達と協力しているのなら、今頃は医務室にいるはずだ。
「入るぞ」
■■医師を着き止める為に医務室に乗り込んだ提督。
横暴にドアを開き、中に入る。だが──、
「いない……地下はどうだ」
医務室奥の床扉を開いて中へ入る。
だがまた誰もいない。
詳しく隅々まで探してもその形跡は全く見つからなかった。
「まさか■■医師でさえも、か」
考えうる可能性としては三つ。
一つ目は提督のDNA組織を提供した■■医師は翔鶴達に匿われた可能性。
二つ目は翔鶴達が勝手に提督のDNA組織を採取し、■■医師をどこかへ攫った可能性。
三つ目は翔鶴達が■■医師に提督のDNA組織を採取するよう強要され、提督に嗅ぎ付けられないように隠した可能性。
一番有り得る可能性としては一つ目だろう。話してきた中で明らかに翔鶴達の事を知っているような口だった。
だが引っ掛かる事もある。提督にこの鎮守府の未来を任せる様な■■医師がそんな容易く翔鶴達と手を組むのだろうか。
しかもそれ以前に他の人間や妖精達の気配が全く無いというのがおかしい。
普通は憲兵が寮の見回りや門前の警備などにいるはずが全く見掛けないのだ。
普段はうるさい工廠も今日に至っては物音一つもしない。窓越しから見れば働く整備士達の姿も見えなかった。
「誰も……いない……」
あまりの不自然さに、次に提督は工廠へ来ていた。窓越しから確認したように整備士や妖精達は誰一人してその場に存在していない。工具などは片付けられ、仕事終わりの様子だった。
「でもアイツらなら……!」
工廠と一緒にある明石の部屋へ向かう。
急いで明石の部屋へ入るが、時すでに遅かった。
「チッ……荒らされてやがる……!」
阿賀野達同様、部屋が荒らされていた。折角提督と大鳳で掃除した綺麗な部屋が初めて来た時と変わらない元通りの散らかりようになっている。蒼明石が寝ていた襖にも荒らされた形跡があった。
好嫌薬を開発、又は改造する上で一番に疑えるのは蒼明石だ。
蒼明石は改造した戦闘意欲促進剤を開発した張本人。この鎮守府の艦娘の記憶を洗脳し、艦娘を操れる程の薬を開発する艦娘だ。提督を仕向ける様に好嫌薬を改造する事など容易いだろう。
だが分からない。
では何故桃明石とあの蒼明石が工廠もとい、この部屋にいないのか。薬を改造した張本人ならば普通はこの鎮守府にいるはずだ。それを知らない桃明石といえど薬の餌食になっているに違いない。
いや違う。
薬を改造した張本人だからこそ、自分と接触して薬を改造した事が知られるのを翔鶴達は恐れた。だから翔鶴は二人の明石を■■医師と同じく攫った可能性がある。
逆に攫われたかどうかも怪しい。どこかへ閉じ込めたか、最悪殺された可能性すらある。
「憲兵隊寮は、当然いないか」
憲兵隊寮にも人間らしき気配は無い。
その後も倉庫内も隈無く調べたが、人間は誰一人としていなかった。
「……」
提督は執務室に戻り、また対策案を考える。
憲兵や整備士、明石達がこの鎮守府にいない。そして──、
「アイツも、か」
灰色もいない。
普段は時雨と一緒にいる事が多い灰色や食堂で働く飛行場姫でさえも食堂に来た際はいなかった。
スマホのネットワークは圏外、電話機も圏外。通信系は全てシャットアウトどころかジャミングされている。恐らくどこかに通信抑止装置か通信妨害機が設置されているのだろう。
外へ出れば、外部から応援が呼べるだろうか。
いや駄目だ。
門前には憲兵の代わりに艦娘が見張っていた。しかも壁の外にちょくちょく艦娘が通り掛かっている為に逃走は困難を要する。
もし翔鶴が自分を追い出す目的ならこんな真似はしないだろう。
であれば──、
「摩耶……いるか……?」
本来のパートナーの摩耶、部下だったプリンツ、川内、不知火しかいない。出来れば摩耶は正気であって欲しい限りだが。
「……姉さんは貴方に会いたくないそうです。さっさと帰ってください」
部屋から鳥海が現れ、代わりに答えてきた。ゴミを見るような目でこちらを睨んでくる。明らかに提督の事を嫌っているようだ。ドアを強く閉ざされ、摩耶と会話すらさせてくれない。
仕方なく提督は次の場所へ向かった。
「よぉプリンツ、訓練はどう──」「近付かないでくれませんか?」
プリンツに話し掛けるも、声を遮ってまで嫌悪の表情を向けてきた。流石に提督もイラッとなり、話を続ける。
「何で近付いちゃ駄目なんだ?」
「居るだけで気分を害するので」
「それはどんな気分なのかお聞せくださいな」
「見て分からないんですか?」
提督の方へ振り向き、プリンツは偽りの笑顔を見せる。よく見れば頬がひくついている。笑顔を見せるだけ精一杯のようだ。提督はニヤニヤとプリンツの額にデコピンする。
「相手に都合良く察してもらおうと思ってる時点でお前の考える事は薄過ぎるんだよバーカ。胸じゃなくて脳を柔らかくしましょうね~」
すれ違いざまにプリンツの頭をポンと叩いて、提督はその場を去っていく。イライラを抑えていたプリンツは低い声で愚痴を吐いた。
「……Gelberが」
次に会ったのは不知火。
広場のベンチに座り、何か本を読んでいる。
「不知火~、訓練はどうし──」「消えてください」
「何かデジャブ感あるんだけど」
「知りませんよ」
不知火は本をしまい、またどこかへ行ってしまった。
「結果はまぁ……予想出来た事だな」
艦娘達とロクに話せないのは分かっていた事だ。嫌悪感が表に出ている時点で嫌な相手と話すのは誰でも拒むのが当然。このまま会話を続けてみても、耳を傾ける事すらないだろう。
だが逆にそれがいい。
提督はそもそも艦娘とは馴れ合うつもりは無い。前々は計画を行うまでに邪魔な話し相手が多かった。しかし話し相手が自ら居なくなるのはこちらとしても都合がいい。
──摩耶以外は。
「少し傷ついたがこんな状況だ、仕方あるまい……グハッ……!」
執務室内で吐血し、縮こまる提督。またあの時の激痛が提督を襲った。身体の内側から蝕まれるような感覚だ、何も喋る事が出来ない。
またペースが早くなってきている。またこもらなければならない。
「失礼するぞ」
執務室のドアを蹴破られ、堂々と中に入ると艦娘達。
入ってきた艦娘は総勢七名。木曾、最上、金剛、長門、天龍、時雨、電。
とても懐かしい面子だ。
確か提督と摩耶が着任した際に、初手から砲撃した艦娘達だ。
「何の……用だ……!」
「また衰弱している所申し訳ないが……ここから出てもらいたい」
「断る……!」
長門達の要望を即断で断る提督。息が荒れながらも壁に寄り添い、ニヤニヤとした笑顔は絶やさない。
「お前のように我々を罵る様な奴がこの鎮守府にいてはいけない。拒否するならば強制的に立ち退いてもらうぞ」
「出来るものならやってみろよ……これは俺個人と大本営の元帥が決めた事だ……お前らが勝手に決めれるような事じゃない」
既に長門達は艤装展開済み。提督を殺す気満々のようだ。抵抗すれば強制的に追い出されるか、その場で殺されるかの二択。
だが提督にそんな二択など存在しない。
「いいかー? お前らは俺達に良いように使われてんだ……いい加減自覚しろよ。それとも何か? ここ数ヶ月の怨みを今晴らす為だけに来たのか?」
「ならば……実力行使だ」
戦うつもりだ。
全員して砲口をこちらに向けている。
──ふざけるな。
──こちとら睡眠不足、謎の激痛、栄養失調による衰弱で死にかけてんだよ。
──こっちの方がめちゃめちゃなハンデ背負ってんだ馬鹿共。
「やめてください、長門さん」
「ッ!?」
長門達の背後から翔鶴が現れた。立場が逆転した事により、余裕の笑みを浮かべている。この艦娘こそ鎮守府の支配者にして全ての元凶。艦娘達を洗脳させ差別意識の延長を施し、提督がこもっている間に好嫌薬を使用した。差別している側ならまだしも差別された側までも一気に懐柔して手懐け、味方に仕上げた正真正銘の頭脳派艦娘。今から提督をどう追い込もうかとでも考えているのだろう。
「翔鶴……てめぇ……!」
「確実に追い出すなら……日々じわじわと痛めつければ、いつの間にか逃げますよ……まぁそれまでに──」
「──貴方が生きていたら、の話ですが」
「そうか……それもそうだな。分かった、撤退するぞ」
「精々頑張ってくださいね」
執務室のドアを直さずに長門達はその場を去っていく。提督は丁寧にドアを直し、やっとの思いで椅子に座った。天井を見上げて両目を腕で隠す。
「ハナから追い出すつもりなんて……無いくせによ」
提督 VS 鎮守府所属の艦娘全員。
提督側は一人、味方や救援は全て不可。
デバフとして睡眠不足、定期的な謎の激痛、栄養失調による衰弱。
まさに孤立無援、断崖絶壁の状態。毎日艦娘達の暴言暴行を受け続けながら逆転の一手を探さなければならない。
翔鶴側は艦娘全員、総勢約七十名。
味方や救援は全て有り。
提督を思うがままに虐め抜き、殺すか追い出したら勝ち。
ただの大虐殺だ。
しかも決め手となる一手は
薬による効果が消える時間も分からない。
全てを一から探さないといけないのだ。
とても無謀且つ無理難題な戦争。最早逃げた方が得策とも思える。しかし翔鶴達はそれを許さないだろう。ゆっくりと慎重に、じわじわ痛めつけ、確実に殺しに掛かる。
「さぁ、戦争は既に始まってますよ……提督」