この先注意です。
その後蒼色は資料室を去り、翔鶴と合流。蒼色は翔鶴と何も話さずに新幹線に乗り、潮岬町鎮守府へ帰った。
「ごめん翔鶴、またちょっと寄り道していい? 今度は二人で」
「はい……大丈夫ですよ?」
二人は寄り道の為に送迎車を降り、海が眺められる神社へ向かった。潮岬町鎮守府までは歩きで帰れる距離なので運転手には帰っていいように伝えている。雑木林の獣道を潜り抜け、着いた先は海に向かっている神社。光り輝く太陽が水平線へ沈んでいき、海に光の道を作っていた。
「俺と翔鶴が出会って一年ぐらい過ぎたな」
「そうですね……」
「色んな事があったよなぁ……」
「何かあったのですか?」
「いやいや。ただ少し思い出に浸りたかっただけだ」
翔鶴が潮岬町鎮守府に着任してから約一年半が過ぎようとしていた。数え切れない程の思い出が映像のように頭の中で流れる。辛い事も、楽しい事も、悲しい事も、嬉しい事も沢山あった。
いまこうやって二人で歩いて海を眺めているこの瞬間も、いずれは思い出の一つになるのだろう。記憶というモノは印象に残れば残る程、鮮明に映像として頭に流れる。
そしてその記憶を元に人は生を歩んでいくのだ。これがもし記憶の一部となり、誰かの為に生きていく糧となるならば。
だがその記憶を失ってしまえば、取り戻すのは至難に等しい。自分は誰なのか、自分は何なのか、別のモノに書き換えられてしまう事だってある。そうすればその時、記憶を失う前の自分は喪失したも同然だろう。自分本来の意思とは関係なく記憶を失い、改竄されてしまったのならば尚更だ。
「翔鶴……もしもの話なんだが、君達艦娘が元は人間だったとしたら……翔鶴はどう思う?」
蒼色は神妙そうな表情で翔鶴に問い掛けた。突然の重い問い掛けに翔鶴は思わず蒼色の方へ顔を振り向く。蒼色はただ只管に潮風に煽られ海を眺め続けていた。
「そうですね……上手く答える事は出来ないのですが……私達が兵器である事に変わりは無いと思います」
翔鶴は自身が考えた限りでの答えを精一杯に話した。
自分が何故この姿で生まれたのか、何故深海棲艦と戦っているのか。普通は疑いもしない当たり前の事を時々無性に考えた事がある。艦娘にとってこの事を考える事はタブーなのか、考える度に胸が苦しくなる時があった。何かに心臓を直に握られているような、悍ましく蒼白とさせる様な苦しさが残るだけ。あまり考えたくは無かったが、どうしても頭の片隅に引っかかってしまう。
例え意味の無い事だとしても不思議と信疑という感情は抑制出来ず、解明という欲求の元で考えてしまう。恐らくこれが人間の本質である「疑う」という行動なのだろう。故にそれが人間性に関わるモノなのかもしれない。
「あまり外のお話は聞かないので少し正確な事は言えないんですが、周りの方々は私達を人としてではなく兵器というモノとして見ているそうですね」
「あぁ……嫌だよな、そういうのは」
「確かに私達は兵器です。深海棲艦に対抗する唯一の兵器は私達しかいないので。でもそれ以上に私は人間だと思っています」
翔鶴からすれば潮崎町鎮守府で着任した時から自身の事など疑いもしなかった。
ただ普通に食べて、
普通に鍛えて、
普通に戦い、
普通に寝て、
普通に暮らしていくだけ。
だが他の鎮守府ではこんな生活が羨ましく思える程、人として扱われていないらしい。現に演習で相手をしていた艦隊の艦娘達の殆どは生気がまるで無かった。ただ司令を忠実にこなすだけのロボットのようで、同じ艦娘とは桁違いに変わっていた。
そこから翔鶴は知る事になった。如何にこの世界が酷悪で歪んでいるのか、考えただけでも背筋が凍るほどだった。もし自分が他の鎮守府に建造されて着任していたら、あのロボット達のように感情も無いまま戦っていたとのかと思うと、なんて自分は恵まれてるんだと心の中で安堵するばかりだった。
人間でいる事と兵器でいる事による意識の違いで極端にも差が出来始め、不幸と思えるこの歪んだ世界はきっと必然的な運命なのだろう。いつから歪んだなど分からない、狂ってしまったなど分かるはずもない。だからこそ深く考えずに今を生きていく方がいいのかもしれないと翔鶴は考えた。
「何故なら提督が私をそう育て、愛してくれたから。私達を人間として見てくれた貴方がいたからこそ今の私達は人間として生きる事が出来ています。だから元々人間だったとしても、変わらずに私達は人間であり兵器です。難しく考える必要はありませんよ」
艦娘という存在はどういうモノなのか、この世界の概念から考えれば人間や兵器など人それぞれだ。翔鶴はその人間として思う側の人間と共に歩んだ。着任した時から形成された無自覚の意識は固定され、自分を人間だと思い込ませてくれた事に感謝している。勿論自分が兵器である事も確信済みだ。だがそれ以上に人間である事に変わりはない。
「でも色々と人間と違う所はありますけどね。そういった所では少し羨ましいですし、人間になれたらなって思います」
「……そうか。ありがとう……翔鶴」
「いえ感謝をするべきなのは私達ですよ提督。私達を人間にしていただきありがとうございます」
翔鶴は頭を下げ、蒼色に感謝の言葉を述べる。今まで自分は恵まれていた事、その恵まれた分の恩返しの為にも蒼色に貢献しなければならない。これから人間として生き抜き、戦っていく上でも。
「これからも提督の為、仲間の為に強くなって守っていきます。共に頑張りましょう……提督」
「翔鶴……やっぱお前は天使だぁぁぁー!!!」
「ふぇ!? て、提督! いきなり、あっ!」
「また貴様カ」
「うん来たよ、白くん」
一週間が経過して、蒼色はまた白色と話していた。白色の様子はどこか不自然で包帯を巻いていたり、何かしら怪我をしているようだった。おおかた上層部による非道な拷問などの方法で強制的に情報を喋らせようとしたのだろう。鮮やかに光る紅い目の下にはクマが出来ている。そんな事をしても白色が情報を吐き出す訳が無い、まずはお互いに理解が必要であり信頼を掴まなければならないのだ。
「摩耶は……どうしてル」
「ん? あぁ君を守っていた摩耶だね。彼女は今、君と同じく特別収容施設にて二十四時間厳戒態勢の元で監視されてるよ」
白色を守る為に自ら暴走し、紅い幻影の軍艦を召喚した摩耶。彼女は特別製の拘束器具を何重にも付けさせ、三百六十度の監視カメラで二十四時間厳戒態勢の中で監視されている。一度確認した時は白い蛍光灯に囲まれた四方の壁の中央にてずっと顔を俯かせていた。
「大丈夫さ。君と同じく殺したりはしない」
「……嘘をつくナ。お前らがあの摩耶を使って実験をしてるのは分かってるんダ」
「実験……? どういう事なんだ?」
「っ……? あぁなるほど、そうい──ッガァァァァ!!!!」
白色の両腕に取り付けられた拘束器具から突然電流を流され、あまりの苦痛に悶絶してしまった。床に倒れ込む白色を見て蒼色は立ち上がり、何重もの窓越しから心配の声を掛ける。
しかし白色は一向に立ち上がらない。白色が倒れる部屋に武装した憲兵が雑に白色を運び出し、そのまま去っていった。蒼色も憲兵に誘導され、白色との面談は早くも終わる事となる。
「……すいませんが何故あんな事をしたのですか?」
「あの拘束器具には彼本人が何かしら動けば自動で電流が流され、強制的に気絶させるようになっています。恐らくあの時はむりやり拘束器具を外そうとして作動したのでしょう……大丈夫です、死ぬ様には設計されていません」
「そうですか……」
憲兵の言う事は確かに理にかなっている。摩耶の事を聞き出した白色は酷い事をされているのを聞いて、いてもたってもいられなくなったのだろう。むりやり拘束器具を外そうとして摩耶の元へ向かおうとしたなら作動する理由にはなる。
だが何故か腑に落ちない。白色から初めて実験という言葉を聞いた途端に電流が流れ始めた。上層部が情報を吐かせる為だけに非道的な拷問しているならあの方法はまだ分かる。
しかしあまりにも偶然的すぎる。自分も知らない実験という言葉を言ったその後には電流が流れ始めた。あの時はそんなむりやり拘束器具を外そうとしていた素振りは確認出来なかった。寧ろ自分が実験について知らなかった事に驚いていたようでその後には──、
「翔鶴……ちょっとトイレ行ってくるね」
「はい……分かりました」
エレベーターで地上へ上がり、蒼色はトイレに行った。小便を済ませ、速やかに手を洗う音が聞こえる。しかし何十分か経っても蒼色が一向に出てこない。名前を呼んでも男子トイレの中から応答の声は聞こえなかった。
「提督ー……? 大丈夫ですかー……?」
「っ! あ、うん大丈夫。今行くぞ」
とうとう翔鶴は少しだけ男子トイレを覗き、恐る恐る蒼色を呼び出す。翔鶴の声に気付いたのか突然我に返り、姿を見せてくれた。洗面所で何をしていたのだろうか、少しばかりそこが気掛かりだ。蒼色は平然とした表情で男子トイレを出ていく。そのまま翔鶴は蒼色の後を追った。
また一週間が過ぎ、白色との面会日となる今日この頃。しかしながら今回は白色とは会わずに、黒■■元帥と話をする約束をしていたらしい。まるで辞書のように分厚いファイルを鞄の中に入れて翔鶴と蒼色は大本営へ向かった。
「ごめん翔鶴、ちょっとだけ待っててね」
「……? 分かりました」
どうやら蒼色は黒■■元帥と二人で話したいらしく、翔鶴は秘書艦待機室にて待つ事になった。秘書艦待機室にはベッドやソファだけしかなく、暇を潰せるような娯楽は殆ど無い。唯一の手段としては窓から見る東京のビル群のみ。窓縁に身体を寄せ、頭を窓に寄せながら翔鶴は景色を眺め続けた。
「失礼する」
「っ?」
蒼色が黒■■元帥と話し合いが始まって十三分が経った時、秘書艦待機室にある男が入ってきた。数々の勲章を左胸にぶら下げ、威厳のある老人男性だ。とても偉い人だと分かった翔鶴はすぐさま立ち上がって敬礼する。
「敬礼はそこまで。私は■■少将だ、君のところの提督と少し話がしたくてね。彼は今どこにいるのか分かるか?」
「提督でしたら今、黒■■元帥閣下とお話をされています……いつ終わるのかは分かりません」
「そうか、分かった。では終わったら第二会議室にて私が呼んでいたと彼に伝えといてくれたまえ」
「かしこまりました」
「おっ! 君が翔鶴かね!」
翔鶴と■■少将が話し合っている中、割り込んできたのは■■大将。少将と真反対の元気な性格をしている老人男性だ。■■少将と同じ歳な為に互いに友人として気楽に話している。
「私は■■大将だ! この近くを通りかかった時にちょうどよく君達が話してるのを見掛けてね……ふむふむ、これが噂に聞く翔鶴さんか」
「ふぇ?」
「なるほどなるほど、長い白髪に清らかな性格と聞いたがまさにその通りだな、ふむふむ。少し触れて──」「やめていただけますか■■大将閣下」
艦娘の中では珍しい航空母艦とされている翔鶴を舐め回すように眺める■■大将。遂には身体にも触れようとしたが■■少将が肩を掴んで止めてくれた。■■少将は嫌悪な表情を包み隠さずに■■大将を睨んでいる。
「彼女は■■中尉の秘書艦。珍しいとはいえ触れるのは厳禁です、勝手な行動は慎んでもらいたい」
「え~? 駄目なの~?」
「ダメです。それよりも貴様はやるべき事があるだろ、さっさと行けエロジジイが」
「うわ~少将ちゃん酷い~……っ!? ハイハイ分かりましたよ、行きますよ! だからそんな目しないで!!」
友人なのか互いに敬語が無く、フランクに話している。■■少将の目が怖かったのか■■大将は焦る様に逃げていった。少なからず恐怖を覚えた翔鶴は安堵のあまりにため息を吐く。
「すまないな。あのバカは非合理的で少しやんちゃな所がある、迷惑を掛けたなら申し訳ない」
「い、いえ……大丈夫です……」
「ならいい。という事でよろしく頼む」
■■少将は流れる風のように秘書艦待機室を去っていった。蒼色が黒■■元帥との話し合いが終わったのはそこから二十四分後、呼び出された翔鶴は青と合流を果たした。黒■■元帥と話し終わった後の蒼色は神妙そうな表情をしていて、考えるような仕草をずっとしていた。
「……提督?」
「うん翔鶴、何?」
「■■少将から伝言で第二会議室で待っているそうですよ」
「あ、ほんとに? んじゃ今すぐ行かないと」
■■少将との会議もやがて終わり、翔鶴と蒼色は潮崎町鎮守府に帰還。その日は白色と一度も会わずに話だけで終わった。
「大本営にて■■大将に呼ばれたので行って参ります」
「うん……気を付けてね。あれ? 随伴艦は?」
「いえ、一人で来いとの事なので」
「そ、そう……分かった」
蒼色が黒■■元帥と話し合った日から三日が経過。
通常通り仕事をしていた蒼色と翔鶴だったが、■■少尉からある報告を受けた。どうやら■■大将の命令により、一時的に■■少尉が大本営に行かなければならないとか。内容は昇進についてらしく、詳しくは大本営にて話すとの事。■■少尉は手短に蒼色へ報告を伝え、荷物をまとめて大本営へ向かっていった。
「……っ? 提督? どうされました?」
「いや……何でもない。ちょっとした考え事をしてただけだ。さ、仕事を再開しようか」
更に時は進み、■■少尉が大本営に行ってから一週間が経過。
ここ最近の蒼色は神経質で食事をする前は必ず匂いを嗅いでから食べている。翔鶴が出したお茶や憲兵からのお土産にも注意を配り、必ず物色して確かめては食べている様にしていた。まるで誰かに命を狙われているような危機感の出し方に翔鶴も心配だった。
蒼色曰く、最近花粉症で鼻詰まりが激しくて一々匂いを嗅がないとやってられないとの事。確かに今は花粉症の季節だ、多少の鼻詰まりなど有り得る事だろう。翔鶴はインターネットで調べ、乳酸菌飲料や部屋内の空気を清浄する事で蒼色の花粉症対策に勤しむ事になった。
「ちょっと提督さん! 最近翔鶴姉に気遣わせ過ぎじゃないかしら?」
「え? マジ?」
「マジよ。見なさいよ、翔鶴姉が疲れてるこの表情!」
いつもの通りに仕事をしていた翔鶴と蒼色。しかしそこに瑞鶴が現れ、姉の頑張りようを見て蒼色に訴えた。恐らく瑞鶴は頑張り過ぎた翔鶴姉の事を心配しているのだろう。
「一度くらい翔鶴姉を休ませたらどうなの?」
「大丈夫よ瑞鶴、私は──」「駄目! 翔鶴姉にも休息は必要だー! 断固有給を要求するー!」
「ソウナノネー!!」
「ヤスマセテヤレ、ナノネー!!」
「ツイデニワタシタチモ、ヤスミタイノネー!!」
瑞鶴と共にいた妖精達がボイコットし始めた。航空機を執務室内に飛ばし、旗には「休暇を与えろ」などと直接的に訴えてくる。瑞鶴も腕を上げては大きな声で蒼色に翔鶴姉の休暇を訴えた。
「困ったなぁ、明日は白くんとの面会日なんだけど……」
「私が行けばいい話でしょ!? ねぇ休ませてあげて?」
「確かにまぁ……最近は頑張らせ過ぎたかな……よし翔鶴。今日から一週間、自由に休んでいいよ」
確かに最近は出撃と演習が度重なり、二人とも疲労は静かに溜まっていた。自然と肩は重く、全体的に倦怠感を感じている。出来れば蒼色も休みたいが仮にも鎮守府の司令官が無闇に休む訳にはいかないだろう。
それに明日は白色と面会日で絶対に休めない日だ。確かに代わりに瑞鶴が来てもらえれば翔鶴の負担も少しは減らせるだろうか。蒼色は翔鶴に今日から一週間休ませる事にし、瑞鶴と交代という形で翔鶴は休む事になった。
「提督は大丈夫なんですか……? 瑞鶴もちゃんと出来る?」
「大丈夫大丈夫、瑞鶴が頑張ってくれるみたいだし。ね?」
「任せなさい提督さん! 翔鶴姉! ちゃんとこなしてみせるわよ!」
蒼色は瑞鶴がいれば大丈夫と安心しており、瑞鶴は高らかに豪語して自信満々だ。少し不安で寂しい分もあるが、蒼色の為にも休んだ方がいいのだろう。翔鶴は蒼色に甘えて休暇をもらい、自身の部屋へ戻っていった。
「……ハッ! あ、そうね……昨日から休みよね、私……」
休暇を貰って一日目。
翔鶴は蒼色を起こさなければと突然起き上がり、急ぎの声を思わず出した。が、休暇を貰っている事に気付き、安堵したのかため息を吐く。隣で寝ていた瑞鶴の布団は既に片付けられ、蒼色と大本営に向かっているようだ。
「何しようかしら……」
休暇を貰ったとはいえ、何をすればいいのか分からない。ただ窓から見える艦娘達の訓練光景を眺めるだけだった。今思えば蒼色との仕事で娯楽など手を出していなかった翔鶴。興味津々に瑞鶴の所有する二つ折りの板状の機械を少しだけ触ってみた。
「……分かる訳無いわよね……私が」
「失礼します」
誰かが挨拶をして部屋をノックしてきた。翔鶴は入室を許可し、中へ入らせる。入ってきたのは普段は翔鶴の艤装をメンテナンスしている整備士だ、マスクをしながら何かクリップボードを持って来ている。
「すいません翔鶴さん、少し艤装について確認したい事がありまして」
「はい、何でしょうか?」
「翔鶴さんの弓、あるじゃないですか? すいません、見落としてしまってメンテナンスするのを忘れていました……少しだけお時間掛かりますが見せていただけないでしょうか?」
「あら、そうなんですね。分かりました、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます」
整備士も疲れていたのか弓をメンテナンスするのを忘れていたらしい。快く翔鶴は艤装を展開し、弓を整備士に渡す。
やはり戦闘のし過ぎで弓の一部がが壊れていたようだ。確かに少し弓に違和感は持っていた為、原因が分かったのなら難しく考える必要は無いだろう。そう思っていた翔鶴だったが、突然違和感のする音が聞こえた。
「あれ……どうしました?」
気の所為だろうか、鍵を閉められた音がした。確か寮の部屋にあるドアは全て外からしか施錠出来ない仕組みだ。誰かにイタズラで閉じ込められたのだろうか。整備士が確認の為にドアへ近づき、ガタガタとドアを揺らしている。すると何故か整備士はドアノブを握ったまま、ピクリとも身体を動かさない。
「閉められたんですか? 整備士さ──」
いきなり頬を殴られ、その反動で壁に激突し、畳に倒れ込む翔鶴。殴られた頬を手で覆い、目の前に立つ整備士を見上げた。翔鶴は整備士の理解の出来ない行動に怯え、恐怖のあまりに涙を浮かべる。普段は心優しい性格の整備士がこんな酷い事をするはずが無い、何かの間違いだと翔鶴は思うばかりだった。
だが目の前に立つ整備士の目ら明らか翔鶴を見下しており、マスクの外から見えるニヤケ顔が翔鶴の思いを粉々にしていく。
「やめっ、やめて……何でこんな事を……」
整備士は表情一つ変えずに倒れ込む翔鶴にゆっくりと接近していく。恐怖に包まれた翔鶴は後退りしながら、整備士との距離を離そうとした。
「まだ俺の事整備士だと思ってんのか。本当に馬鹿だな」
普段の整備士の声とは違った声に翔鶴は更に恐怖に襲われる。この整備士は違う、整備士に装った別の誰かだ。偽りの整備士はポケットから小さいナイフを取り出し、翔鶴の正装をズタズタに引き裂いていく。
「やめてください……! やめて……やめっ、嫌っ!!」
「……ほぉー、随分といい身体してんじゃんか。そりゃあのバカもお前に惚れる訳だ」
「貴方は……一体、誰なんですか……?」
「ん? 俺か? 俺はな……」
整備士の帽子と被ったマスクを外し、翔鶴にその素顔を見せる。偽った整備士の正体は翔鶴にとって全く予想のつかなかったある人物だった。
「■■でーす。まぁ正確には■■少尉、だったかな?」
翔鶴の目の前には蒼色と同じ司令官だった■■少尉がいた。普段寡黙な性格とは裏腹に絶望に染まる翔鶴を見て嘲笑っている。■■少尉はナイフを翔鶴の瞼あたりの横に突き刺し、畳に刺しては翔鶴を脅した。
「これからヤるから、騒いだら殺すぞ。いいね?」
「ヒッ……いやっ、やめ……やめて……い──」
この時から、私の人生は一気に狂い出した。