148. 夏の中でも残暑が一番暑い
「おはようございます!」
翔鶴達との戦争から約一週間、提督による処罰の宣告から二日後の事。
講堂の空き部屋に設置された仮司令本部兼仮執務室で元気に挨拶するは司令官候補生の灰色。クリップボードに挟まれた書類を持ちながら仮執務室のドアを開けた。
窓から鮮やかな青い空と白い雲、緑澄み渡る森林と太陽に照らされる岸壁が背景に写る。
エアコンから吹き続ける涼しい風が灰色の喉元を静かに通った。仮執務室に入ると執務机に提督はいらず、手前から悩み声が聞こえる。即席に用意された応接間のソファにて提督と摩耶が書類の束を見て頭を悩ませていた。
「どうしたんですか? 神妙な顔されて」
「ここ数週間、立て続けに色々な事が起きたからな。この鎮守府の運営維持がかなり難しい状況になりつつあるんだ」
■■少尉と『
一度目は提督が全額負担し、夏を迎えた時は既に完成に近付いていた。
二度目は全て■■大佐が負担してくれている。新たに司令本部や寮も改築工事が始まっており、何事も無く過ごしていた。
が、問題はそこではない。
建築工事費用は負担してくれている分、まだ楽だが問題は資材だ。立て続けに戦闘が続いた事で貯蓄していた資材が底をつきそうになっていた。燃料や鋼材、ボーキサイトは三度ほど出撃したら消えてしまうほど消失しており、弾薬に至っては翔鶴と古鷹が激突した衝撃で弾薬が引火し、大爆発した事でほぼ皆無である。
「何とか増やしていく方法ってあるか? 摩耶」
「あぁ、あるとも。提督が呉鎮守府に隠しておいた五万近くの燃料とボーキサイト。大本営の地下に何重にも施錠して隠してある十二万近くの弾薬と何千万もの資金。そして以前務めてた磐城鎮守府の地下に隠した六万近くの鋼材」
「何一つ駄目だなぁ」
「いや出来ますよ!!」
摩耶の発言から考えられる膨大な備蓄量に驚きながらも、頑なに渋り続ける提督に思わず灰色はツッコんでしまう。灰色に言われたのが癪に障ったのか、提督はムッとなって立ち上がり灰色の目の前まで歩き迫った。
「俺はわざわざ深海棲艦との来たるべき戦争の日に備えて蓄えてやってるんだ。このとち狂った戦況の中、貯蓄でもしなければ情勢を持ち返すなど不可能!! お前のような平和ボケした深アニ主人公が如何に主人公補正で恵まれている事か少しでも自覚して俺に
提督の怒濤の悪口に灰色は為す術なくひれ伏せられる。いつもの提督だと灰色は内心は安心した。とはいえ互いの顔が近い距離で悪口を大声で発せられるのは少し心が痛い。
「価値のある報告って……時雨達の事ですか?」
「アイツら以外に誰がいる。あの叢雲や吹雪のような第三次性徴止まりの戦闘大好きクソガキとは違うんだ。第一必ず成し遂げると言い出したのはアイツらだぞ、あの現状じゃ打倒七壞星など夢のまた夢だ」
一時的に潮岬町鎮守府の管理者としてまた着任した提督は艦娘達を全員、訓練に強制参加させていた。太陽から浴びせられる皮膚を焦がすような陽射しが照らし続ける夏の中、汗を滝のように流しながら艦娘達は練習巡洋艦鹿島と護神厄討艦隊旗艦『
艦娘達の理由は二つ、
「その事で報告があります、白さん」
「何だ」
「七壞星『
灰色から渡されたクリップボードの書類には事細かに記された目撃情報が記載されていた。七壞星の一人である『
また島風の身体の中にある黒い触手を取り除く為、■■医師が仲間を集めてこれから手術を行うようだ。
「なるほど。んで、報告はそれだけか?」
「え? は、はい」
「七壊星については俺の所で考えておこう。灰は訓練の様子を見てきてくれ。後島風の手術時間中は誰も医務室に近付けるな」
「分かりました!」
灰色は元気よく答えてその場を去る。
執務室には提督と摩耶だけが残り、二人は引き続き資材については話し合った。
「しっかし立て続けに面倒な事が起きたといい、テレビじゃすっかりここも有名になってきたな提督」
「別の意味だけどな」
テレビでは連日で潮岬町鎮守府と提督の事で持ち切りになり、最近では着任予定の軍人が不慮の事故で亡くなった事を取り上げている。表向きに事故として広まっているおかげで裏の事実を知る事は無いが、それでも専門家や芸能人は軍の対応に不安を隠し切れない様子だ。
以前にも時雨と夕立が話題に上がった事と提督が古鷹を殴った写真の事で日本海軍の信頼、そして潮岬町鎮守府に対する信頼は右肩下がり。更には潮岬町鎮守府から五キロメートル離れた地域から雲空が紅黒く染まった画像が異常現象として各地に広まり、これもまたニュースやワイドショーなどで物議を醸している。日本海軍はこの事についてはあまり詳細を話さず、あくまで深海棲艦の襲撃としてこの事象を裏付けた。
その影響でネット上では『紅黒い空が突然光った』や『紅い流星群が見えた』などと一部の戦闘現象を目撃しており、また深海棲艦も見た者がいると現れた事で完全に襲撃の事だと思い込んでいる。
「提督が着任にしてから全く退屈じゃなくなったな」
「俺らに退屈という時間は存在しないだろ摩耶。暇という時間なんて過去も今も全く無かった」
「まぁな。でもこうやって気楽に話せる時間はあるけど」
提督が座る一人用のソファの肘掛けに座る摩耶。足を組みながら背もたれに肘を置いて提督を眺める。その表情は
「……摩耶らしくない」
「いいじゃんか、たまには」
摩耶は提督の頭を抱くように腕で囲み、自身の腹辺りにゆっくりと寄せる。頭を抱かれた事で露わとなっている摩耶の腹の素肌から心地いい暖かさを感じた。
頭ごと抱かれた提督は反応せずに次々と別の書類に目を通した。摩耶が仕事をサボっている事に対して何も言わず、ましてや抱かれている事に関しても何も文句は言わない。抱かれたまま二人は何も言葉を発さずに十五分が経過した。
「なぁ提督」
「何だ」
「夏ってなると……あの時の事、思い出すよなぁ……」
摩耶は仮執務室の窓から見える夏の光景に黄昏た。遠くから蝉の鳴く音が幽かに聞こえてくるのが徐々にしまっていた過去を思い出させてくる。
飛んでいる虫を捕ろうと虫あみ片手に虫かごを抱えて走る子供と、それを追い掛け汗を掻きながら見守る艦娘。
木に張り付いた虫を捕る為に艦娘に抱きかかえてもらい、高い所まで子供を持ち上げる。
しかし後ちょっとの所で逃げられ、泣いてしまう子供を見て艦娘は慌てふためたいた。代わりに一緒にかき氷を食べ、満腹になった子供は疲れて寝てしまう。
艦娘は眠った子供をおんぶして鎮守府に帰っていった。
そして──、
「摩耶ー? 聞こえてるかー?」
「……? あ、悪い。少し黄昏てた……ホントは色々と人間らしい事したかったんだけどな」
「
摩耶が提督を抱き締める事は滅多に無く、こうやって二人になる時間でしかやらない事が殆どだ。摩耶自身も恥ずかしいと思っているのか提督に甘えるのは少しぎこちないらしい。
数少ない平和なひと時を作るのが精一杯なこの世の中で、艦娘が甘える事など珍しい事だと思われてもおかしくはないだろう。
それほど今は残酷な世の中になっている。
「案外口に言われると恥ずかしいなそれ」
「事実だろう」
「そうだけど……それを言っておきながら注意しない提督も案外満更じゃないよなぁ?」
「勿論。俺が唯一信頼している相手の数少ない愛情表現を無闇に止めたりするわけないだろう……お前だけだ、こんな事を出来るのは」
提督は一度摩耶の方へ顔を振り向かせ、少しだけ下手な笑顔を見せる。提督自身も摩耶が愛情表現をしてくれるのは嬉しいものがあり、何事も無ければ止めはしないようだ。提督が唯一信頼している、且つ愛している相手であれば文句は何一つ言わない。
「……そうかよ。だったら……オラオラっ! もっと摩耶様の暖かい抱擁を味わえ!」
「摩耶、流石に苦しい」
──二日前
『どういう事か、説明願えないでしょうか』
時は少し遡る。
着任予定の軍人が亡くなった事を報告されたその日の翌日、朝から提督は即席で用意されたモニターにてミーティングをしていた。画面に映っているのは大本営の■■元帥、横須賀鎮守府の■■大将。日本海軍のトップに等しい二人と大佐である提督がテレビ越しに話している。三人の周りに艦娘やその他の関係者は執務室を立ち入り禁止にして一切の入室を余儀なく禁止していた。
『私の言った通りだ。着任予定の■■大尉が不慮の事故で亡くなった。■■元帥が手配するまでの期間は君にいてもらいたい、と』
『そういう事だよ、白くん。すまないね、迷惑をかけてしまって。まぁこれも一部の罰だと思ってね』
『……色々言いたい事はありますが、致し方ありません。それで、今日は何故このような会議を? しかも三人のみのテレビ会議とは』
突然の対応に色々と疑問を呈したいところだが、自身への罰として仕方なく提督は受け入れる。それよりも今回この三人でのテレビ会議にした事に疑問の念を感じていた。厳重且つ徹底的、あまりの警戒さにまるでこれから話す事を誰にも知られたくないような雰囲気だ。
その雰囲気とは裏腹に気さくに話しかけてくる■■元帥を見て、警戒しなければならないとは分かっていても少し腹が立ってきた。情勢が不安定なこの状況で■■元帥が黒■■に操られている可能性があるという事を知っていなければ、この親しみ易い話し方にも疑問には思わなかっただろう。
もし本当に■■元帥が黒■■に操られているとしたら、その親しみやすさは誰にも悟られないようにする為の演技として考えられる。自身が誰かに脅されている事を匂わせない為に必死に隠しているのだ。
であれば提督が潮岬町鎮守府に着任し、初めて■■元帥が訪れた時から既に脅されている事になる。その時何か伝える事が出来なかったのか、それとも脅されたモノが大切なモノだったのか。考えても全く想像が追いつかなかった。
『実はね、君のところの翔鶴……どうやら摩耶と同じく深海棲艦を取り込んでいるという話を聞いたんだ。だから私の所でちょっとした調査をしたいなと』
『……横須賀鎮守府ではなく、大本営で行う……と?』
『そうそう。駄目かな?』
本来は横須賀鎮守府の研究施設にて翔鶴の調査を行う予定だったが、■■元帥はわざわざ大本営の研究施設にて調査をしたいと言ってきた。それを聞いて■■大将と提督は表情は崩さずとも内心では一気に勘づく。
二人の思惑は殆ど一致していた。
何故翔鶴を横須賀鎮守府の研究施設ではなく、わざわざ大本営の研究施設にて調査を行うのか。確かにどちらとも設備や環境においては明確に差は存在しない。どちらで調査をするかなど争う必要もないほどだ。
しかし大本営の研究施設で翔鶴を調査したいと言うのならば、裏で操る黒■■は翔鶴の存在を欲している可能性がある。
恐らく考えうる目的は計画をバラされた事による翔鶴の報復、又は潮岬町鎮守府の情報奪取。前者は別として問題は後者、黒■■に潮岬町鎮守府の情報を提供されてしまう事だ。
もしABC計画の主犯格である黒■■が■■少尉と何らかの手段で繋ぐ事が出来るとしたら、潮岬町鎮守府の艦娘達の情報は相手にとって有益な情報でしかない。
これから敵対する上で戦闘が勃発するとなれば戦況は大きく左右されるからだ。艦娘の精神状態、得意な戦術、艦娘の強みや弱点が知られれば必ずこちらが不利になる。
それだけは絶対に避けなければならない。
故に安易に■■元帥へ翔鶴を引き渡すにはリスクが大き過ぎる。
そう簡単に翔鶴を引き渡す訳にはいかない。
出来れば拒否したいが、この状況ではそうも上手くいかないようだ。
相手に意見を聞くのではなく、イエスかノーかで聞いてくる厄介さ。前に■■元帥と■■大佐が潮岬町鎮守府の艦娘達の処罰を決める際、提督の意見を聞いてきた時とは全く違うやり方だ。余裕がないほど■■元帥は追い詰められているのか、それとも黒■■と■■少尉が追い詰められているのか。
深く考えたいが時間だけが過ぎていく始末だ、熟考すればするほど怪しまれる可能性がある。かと言って無闇に発言するのも危険過ぎる状況、提督は脳の血管がはち切れるまで考え続けた。
『……■■元帥、翔鶴の件は私の横須賀鎮守府で調査を行う事になっています。以前にもその書類は目に通したはずです、何故わざわざ大本営で行うのでしょうか?』
■■大将が話に割り込み、本来の案件を簡潔に伝えていく。そしてそれと同時に大本営ではなければならない理由を聞き出した。
■■元帥に潮岬町鎮守府の翔鶴を調査する件については既に書類を通して把握させている。まさか目を通さないなどと職務を放棄する事は何があっても無いはずだ。大本営の研究施設でなければいけない理由があるのなら、簡単にその理由を答えるのが当然の事だろう。
もし答えられないのなら──、
『分かってる、把握済みだよ。だけど君の摩耶の様に深海棲艦の力を身体に有していたからね、その時纏めた資料を照らし合わせて上手く扱えないか試してみようかと思ってるんだよね』
■■元帥の狙いは深海棲艦の力を操っている摩耶の様に、翔鶴も深海棲艦の力を上手く扱えるように実験するという事のようだ。
近年の研究では摩耶の様に深海棲艦を身体に有している艦娘は凄まじい戦闘能力を秘めており、研究者達は実験体が来るまで準備を進めているらしい。その実験体が既に深海棲艦を身体に有している翔鶴となれば研究は大いに進み、必ず発展を遂げると■■元帥は豪語した。
勿論■■大将はその極秘研究について大体把握している。 ■■大将のような上層部の中でも指で数える程の人数しかその情報は知られていない。提督も元は中将だった為にある程度の情報は認知していた。
しかし■■大将はその極秘研究の件を提督が知っている事に少しだけ不安に感じざるを得なかった。■■元帥は気付いているのか分からないが、今の提督は明らかにあの
『……私の摩耶と同じように……翔鶴も、ですか?』
『そう。戦力強化の為の案として悪くないとは思わないかい?』
『確かに、今の戦況であれば良いかもしれませんね。ですがそれは急がなくても出来るはずです……一刻を争う事態ならまだしも、聞いている限りでは緊急の事とは思えません。横須賀鎮守府の研究施設で調査が終わった後では駄目なのでしょうか』
とはいえ、提督が感情任せに暴れて取り乱すような男ではないと■■大将は分かっている。■■元帥の狙いを冷静に分析し、提督は横須賀鎮守府での調査に交渉を求めた。
『……確か、潮岬町鎮守府から横須賀鎮守府への搬送日は後四日、横須賀鎮守府横須賀鎮守府での調査期間は五週間、だったかな』
『間違いはありません』
『だったら……期間を少し、長くしようか。搬送日は変わらず後四日、横須賀鎮守府での調査を六週間にしよう』
意外にも■■元帥の口から発せられたのは調査期間の縮小ではなく延長。予想しなかった■■元帥の発言に二人は表情は動かさずとも内心は驚愕していた。
もし黒■■に脅されて命の危険が及んでいるのなら普通は調査期間を縮小するはずだ。しかし■■元帥は敢えて調査期間を逆に延長し、実験の期間を遠ざけた。それでは今まで語っていた戦力強化の為による実験の下りが意味を成さない。予想外の発言に思わず何か裏があるのではないかと怪しんでしまうほどだった。
『六週間、ですか?』
『そう、どうせなら私も拝見したいと思っていてね。横須賀鎮守府の調査期間があと一週間あれば、ちょうどよく見られるんだよ。だから伸ばした』
自由気ままな性格である■■元帥ならばあってもおかしくない事だ。ただ鎮守府を訪問したいが為に他の仕事の期間を少しずらすなどよくある事でもある。完璧に仕事はこなす為に誰も文句は何一つ言わないが、今の状況もあってか少し複雑な心境だ。
『……分かりました。ではその日程で始めたいと思います』
『私も把握致しました。順次、準備を進めてまいりたいと思います』
『うん、我儘に付き合ってくれてありがとね! んじゃ、これにて会議は終わり!』
テレビ会議は何の前触れもなく終了し、■■元帥は腕を伸ばして背伸びし始める。■■大将もため息をこぼし、提督は肩を解すように揺らした。それぞれ通話を終了しようと切ろうとしたその時、■■元帥は最後に伝える。
『……頼んだよ──』
ネット開通しといて思うのもアレなんですが正直な話、一話投稿の方が気が楽だなって思ってます。
詳しくは活動報告にて。