作戦開始時刻の朝八時の手前、鎮守府内は艦娘達が作戦の準備を進める為に装備品の装着や艤装の最終調整などを行っていた。弾薬や燃料の補給を確認し、提督から渡された作戦資料に記された所定海域までのルートを艦隊で把握していく。
『各海域に向かう際に要する時間は日を跨ぐだろう。偵察開始時間を昼にした理由もそれらを想定して考えた、くれぐれも燃料や糧食のチェックは怠るなよ』
潮岬町鎮守府から各海域までの距離は凄まじく離れており、艦娘の通常速力だと各海域によっては日にちを超えざるを得ない。一番遥か遠くにある南鳥島海域やマウグ島海域では最低三十時間以上、小笠原諸島海域や硫黄島海域では十五時間以上の莫大な時間を要する。
特定海域から近い他の鎮守府に協力を申し入れる案もあったが、この偵察作戦自体が秘密である事や■■少尉が深海棲艦の提督であるという事実を隠す為に協力は出来なかった。
全て潮岬町鎮守府が作戦の指揮や管理をやらなければいけない。
艦娘達は仄かにその事を口には出さずとも考えていた。
『よしまずは……マウグ島海域第五偵察艦隊と南鳥島海域第三偵察艦隊、出撃』
『行くよ! 皆!!』
『出撃だ!』
朝八時ちょうどになり、最初にマウグ島海域と南鳥島海域を担当する偵察艦隊が出撃ハッチから各海域へ勢いよく駆け走った。艦隊の背後に一人ずつ『
『この十三時間後に小笠原諸島海域第一偵察艦隊と硫黄島海域第二偵察艦隊、そして南大東島海域第四偵察艦隊を出撃させる。準備をじっくりと整えろ』
『おう任せろ!』
『Verstanden! Admiral!』
『了解です!』
各海域を担当する艦隊の旗艦達が無線通信で了解の声を上げる。
予定した偵察の展開時間をなるべく同時にする為、時間をずらしての出撃を待つ事になった。
仮の執務室では急遽設置されたモニターや電子機器などが用意されており、作戦資料を手に作戦の様子を伺っていた。
「灰、お前は南鳥島海域第三偵察艦隊と南大東島海域第四偵察艦隊の指揮を任せる。何かあったらすぐに報告する様に」
「かしこまりました!」
「こちらはその他の艦隊の指揮を執る。鎮守府防衛艦隊の方はどうだ?」
司令官候補生の灰色も偵察作戦に関わり、南鳥島海域と南大東島海域の艦隊を指揮する役割を受け持つ事になった。潮岬町鎮守府に着任して以降、初めての大規模な作戦に緊張していた灰色は両頬を叩いて落ち着きを取り戻しつつ作戦に集中していく。
提督は一人で作戦展開を進行させつつ、各海域に進む艦隊との連絡や鎮守府防衛を担う艦隊の報告を受けながら指示を出していた。
『特に問題はありません。引き続き警戒を行っていきます』
「ならばよし。それぞれ海域に辿り着くまで時間はある上に作戦時間はとてつもなく長い。気を引き締めて取り掛かるぞ」
作戦開始時刻から十二時間後、島風は工廠にて出撃する準備を整えていた。
次の出撃時間まであと一時間。
久しぶりの出撃に身体が小刻みに震える程の緊張が迸っていた。
バクバクと心臓の鼓動音が耳へ波打つように直に聞こえてくる。
自分はこれからこの海へ飛び立ち、元の本拠地であった小笠原諸島を見に行く。
土産話や画面越しではなく己の目で見納め、自分自身の中にある恐怖を取り除く為に島風は勇気を出して立ち上がった。これを機に自分が変われるように、もう踏みとどまらないように島風は震える足を無理矢理押さえて二本の足で地と海を歩む。
「艤装の装備は……61cm四連装酸素魚雷と13号式対空電探……しかない、か……連装砲ちゃんは無いし、やれる事は少ないな……痛っ! さっきから足が痛いな……」
島風と共に出撃していた自立式拡張型連装砲は五年前の小笠原鎮守府襲撃による轟沈時に消失。
目が覚めた時には潮岬町鎮守府の医療施設にある病室におり、既に手元にはいなかった。
現状島風の攻撃性能は水上ではほぼ皆無であり、辛うじて使えるのは対空電探と四連装酸素魚雷のみ。とてもまともに戦える様な装備ではなく、攻撃手段が魚雷しかないとなれば安定したダメージも与えられない。
島風は出来るだけ足を引っ張らないように細心の注意を払おうと決心した。
「島風ちゃん……いる?」
「っ! はい……! ■■先生!」
艤装の最終調整に入っていた島風の元へ■■医師が駆け寄ってきた。
声に気付いた島風はすぐさま■■医師の元へ近付いて顔を見せる。
■■医師はどこか不安そうな表情で島風を見つめながら視線を合わせるように膝まづき、島風の両肩に手を置いた。
「島風ちゃん……本当に大丈夫なの? 無理しなくてもいいのよ?」
■■医師は島風の事を自身の事のように心配していた。
手術後の体調が素早く回復したとはいえ、精神面ではまだ不十分な所がある。作戦における最悪の可能性でまた島風の身に危険が及べば次は二度と立ち直れないかもしれない。
■■医師は島風が作戦に参加すると聞いて何時間も悩み続けた後に島風の本心を聞きに来ていた。
「……大丈夫です■■先生。私、もう一度あの場所を見てみたいんです……! 結果がどうであれ、自分の目で確認したい……」
「っ……」
「大丈夫よdoktor」
背後からビスマルクが現れ、心配する■■医師に声を掛ける。気付いた■■医師は名前を呼び、ビスマルクは話しながら島風の背後に回り島風は大丈夫だと堂々と宣言した。
「ビスマルク……」
「今回は私がいるから貴女は安心なさいな! 確かに多少不安はあるだろうけど、私がいる限りは絶対に安心だから。大丈夫よ」
「……そうよね。貴女がいれば大丈夫よね……任せたわ、ビスマルク」
「えぇこの私を頼って任せなさい!」
ビスマルクは腰に手を当てて胸を張る。
自分に自信満々な様子でそれを見た■■医師は島風が身を寄り添う理由が分かった気がした。
確かにビスマルクなら島風を任せられるかもしれない。あの提督の艦隊に所属していた艦娘で話を聞けば海外で目立たしい活躍をしている凄まじい実力の持ち主だ。
例え敵と接敵しても、最悪の可能性が当たったとしても、必ず彼女が導いてくれるだろう。
「……島風ちゃん……気を付けてね」
「は、はい! 頑張ります!」
■■医師は島風の両肩に触れていた手を離し、最後に言葉を残して二人の元を去っていった。それはまるで最後の別れを涙ぐむ様に悲しげな表情で、別れる際に振っていた手も何か躊躇っているように見えた。
「本当は……止なきゃいけない、んだけどな……」
■■医師は早歩きで医療施設に戻り、自身の部屋へ閉じこもる。
閉じた途端にドアの方へ寄り掛かりながら体育座りで落ち込む様に腕で顔を隠した。
「はぁ……」
本当は止めるべきだった。
本当は止めなければいけなかった。
だが止める事は出来なかった。
何時間も悩んだ末に島風へ作戦参加の中止を促そうとして話しかけたのに、いざ会えば頭が真っ白になって何て言えばいいのか分からない。
内心期待と不安が織り交ざっていた島風の顔を見て、参加は止めて欲しいと口に出す事が簡単には出来なかった。自ら変わろうとしている島風を無闇に止めれば、もう二度と自ら変われる事はできないのかもしれない。
逆に止めなかったとして、変わろうとしている島風の前に最大の不安が的中すれば、それこそ本当に島風は変わる事が出来なくなるかもしれない。
何時間も悩んだ。
何回も考えた。
何も出来ない自分が哀れで涙が出ながらも、脳や血管がはち切れるまで悩み、そして考え続けた。
何かもっとしてあげられていたら、何か良い言葉を掛けられていたら。
そう思うだけで苦しくなっていた。
「私は、馬鹿だなぁ……」
『小笠原諸島海域第一偵察艦隊、硫黄島海域第二偵察艦隊、南大東島海域第四偵察艦隊、出撃』
『行くぜ!』
『この私についてきなさい!』
『行くよ! 皆!』
作戦開始時刻から十三時間後に小笠原諸島海域と硫黄島海域、南大東島海域を担当する偵察艦隊が同時に出撃。
出撃時間は夜の二十一時であり、既に点滅した光が広がる夜空が広がっていた。そして暗黒に包まれた海を照らすかのように月の光が淡く海面を写している。
各艦隊はルートを見失わないように方角を確認し、指示された方向へ舵を向けた。
「灰、南鳥島海域の方はどうだ」
「敵と接敵する事無く順調に進行方向へ進んでいます。このまま行けば予定時間には辿り着くかと」
「ならばいい。そのまま見張っていててくれ」
「了解です!」
十三時間も経過しているが作戦は滞りなく順調に進んでいた。
提督が事前に決めていた各海域までのルートが運を呼び寄せたのか、全く障害の一つもなく進行出来ている。途中で艦娘達に休憩を促しつつ、警戒を怠らない様に指示をした。
「朝、ですね」
「あぁ……そうだな」
「こちらの方は順調です。問題なく向かっています」
「分かった、引き続き何かあれば報告しろ」
作戦開始時刻から二十四時間が経過し、とうとう一日分の時間を超えた。
深夜中は一切の一睡も許されず、艦隊が常に敵と接敵してもおかしくないという意識で気を緩めずに見張っていた。灰色も襲い掛かる睡魔に負けない為に用意していたエナジードリンクを飲み干し、身体を動かしては艦隊に指示を出す。
この先何が起こるのか予想できない、深海棲艦との接敵や最悪の可能性が不安の種として残っている分は緊張は解けなかった。
『南鳥島海域第三偵察艦隊旗艦川内、目標地点に到着したよ』
『マウグ島海域第五偵察艦隊旗艦日向、いつでもいける』
『こちら南大東島海域第四偵察艦隊旗艦古鷹、到着しました』
『硫黄島海域第二偵察艦隊旗艦天龍、着いたぜ!』
『ビスマルクよ、こちらも目標地点に着いたわ。いつでもいけるわよ』
「よし、じゃあ予定通り作戦を第二展開へ移行するぞ。それぞれ各海域にある島内部の偵察を始める、何かあった次第俺か灰色に報告しろ」
了解と全員の声が重なり、各艦隊にいる偵察機を装備した艦隊達が一斉に発艦させていく。偵察機の大軍は空高く上昇し、目立たない様に散らばって行動していった。深海棲艦の敵機機動部隊や対空レーダーなどに引っ掛からないように艦娘達は偵察機に乗る妖精達に指示を出していく。
「蒼龍、何か見えた?」
「いや今のところは何も……もう少し近付いて見るね」
「分かったわ。周辺に敵の反応は?」
「今のところはありません」
「なら今は大丈夫ね」
小笠原諸島海域の周辺を通常速力で進行し、島が肉眼で目を凝らさなければいけない程の距離を保ちながら偵察を行う。ビスマルクは旗艦を日向に任せ、事前に持ってきていた双眼鏡で一度島を確認した。
「島風、見えたわ」
「っ!」
持ってきていた双眼鏡を島風に手渡して教える様に島の方向へ指をさす。
島風は慣れない手つきで双眼鏡を目に翳し、約五年ぶりの小笠原諸島にある父島を確認した。
「あそこに深海棲艦がいっぱいいると思うと、悍ましいな……」
「
小笠原諸島海域の中心にある父島は約五年前の深海棲艦による奇襲攻撃で拠点だった鎮守府は破壊され、深海棲艦の前衛基地として生まれ変わっていた。
五年前から島周辺には黒く禍々しい十字架の様な鉄柵が夥しく突き刺さっており、クレーターの様な爆発跡が至る所に著しく残っている。勿論住んでいる人間は誰一人として居るはずもなく、そこにあるのは常人であれば失禁しかねない程の空間すら歪ませる狂気と殺意が立ち込めていた。
「ん……? あれは……?」
「何か、見えるね……」
偵察機を発艦させていた飛龍と蒼龍が島内部を偵察中に突然ある物を発見する。上空から映像を見せていた妖精達が慌てふためく様子で必死に伝えていた。
「コレハヤバイヤツ、ナノネ!」
「コレハマズイヤツ、ナノネ!」
「コレハスゴオェェエエエエエエエ」
「ナニハイテンダヨ!!」
「まさかっ……! 提督、これを見て!」
急いで提督に報告した飛龍と蒼龍は妖精達が撮影した映像をモニターへ写す。
そこにあったのは──、
『……やっぱりな』
地中に開かれた大穴の中にマウグ島攻略作戦時で大きく目立っていた巨大な機械。
何かを打ち出すような砲台の形をしており、三本の禍々しい黒い柱が中心にある塔を囲っている。
時々点滅して紫色や青色に光り出し、その周辺に深海棲艦の姿も確認された。
『よくやった飛龍、蒼龍。それさえ見つければそれ以上の偵察はしなくていい。作戦の目的を八割がた成功させたようなモノだ、帰っていいぞ』
「え? は、はい! 分かりました」
「ビスマルク、帰還してもいいって提督が言ってるよ」
「えぇ聞いてたわ。まぁ確かにこれ以上の偵察はやめた方がよさそうね……進路方向を変えるわ」
作戦の目的を発見出来た小笠原諸島海域第一偵察艦隊は即座に進路方向を潮岬町鎮守府に合わせ、小笠原諸島海域を離れていく。
島風も充分に見る事が出来たのか不満を言う事なくビスマルクの指示に従った。
「Admiral、無理矢理だけどこれからsquallに突入するわ。出来れば迂回したいけど敵との接敵を考慮すると大幅に進路方向は崩せない」
『分かった。じきに『
帰還する途中で大きな積乱雲が光さえも遮る壁の如く目の前に聳え立っていた。積乱雲の真下は青黒く澱んでおり、波が暴れる様に荒れている。雲底が目に見えて黒み帯びており、無数の水の粒が風と共に降っているのが分かった。
その先の水平線に光が差し込んでいる事から規模自体は小さく、ものの数分で切り抜けられるかもしれない。
だが迂回すれば深海棲艦との接敵率がとてつもなく上昇する為に危険を冒してまで変更するのは面倒だ。ビスマルクはこのまま切り抜けていく方向で提督に報告し、艦隊にそれぞれ見失わぬように声を掛け合いながら嵐の中へ突入した。
「島風、多分これから始まるだろうと思うけど」
「はい、何でしょうか……?」
「恐らくまたあの島は取り戻せるわよ」
ビスマルクは自身の隣にいた島風へ話し掛ける。小笠原諸島を双眼鏡越しに見る事が出来た島風へ希望を持たせるかの様にビスマルクは勇気づけた。
雷の音がする。
「青葉が言っていたように近々奪取作戦も実行に移せる段階まで来てるみたいだし、その時作戦に参加は出来ないと思う」
「それは……私も、分かっています」
横須賀鎮守府の責任者であり参謀総長の■■大将が立案した小笠原諸島海域奪還作戦が近々実行させる段階にまで来ているという。
今回は七壊星との戦闘を考慮して護神厄討艦隊を出撃させるらしく、作戦の展開と様々なイレギュラーを予想して確実に奪還出来るよう組んでいるらしい。
その時に潮岬町鎮守府の艦隊が参加出来るのかは分からないが、万が一に参加出来たとしても現在の島風では出撃できなかった。それは島風自身も身に染みる程理解しており、この作戦以降からは解体又は退役して身を引くつもりでいる。
黒い雲底から稲妻が放たれた。
「だからせめて取り戻した時は仲間を弔って、そして仲間の分だけ貴女は生きなさい。死んでいった仲間もきっと貴女を……
一瞬艦隊の前を碧色の稲妻が通り過ぎた事にビスマルクは先に気づいて叫んだ。
直後、叫んだ瞬間に大きな碧色の稲妻が積乱雲から澱んだ海面へ激しく波を穿ち落ちていく。
碧色の稲妻は海を食う龍の如く落下し続け、消えた瞬間に巨大な水柱を立ち上らせた。
「ゴ機嫌ヨウ」
その声が聞こえた途端、背筋が凍る程の殺意がビスマルク達を襲った。
それはまるで地震のように、海面や波だけではなく空気さえも揺れている様に感じた。
身体を動かしてはいけないような謎の恐怖が身を包んでいた。
ビスマルク達の目に映るのは特徴的な尻尾の艤装と黒いフードを被った深海棲艦。
黒いフードから覗き込むように碧色の雷眼が稲妻を迸っており、尻尾の先端にある口のような艤装から稲妻を放出させている。
その姿に誰もが戦慄を覚えた。
「『
「ヤァ……ドウモ」
さぁ長い長い戦闘の始まりだ。