「調子はどう?」
佐世保鎮守府内の岸辺の先で腰を下ろして海を眺める艦娘がいた。
『
艦娘は背後の叢雲に気付いて後ろを振り向き、感情の無い顔を叢雲に見せた。叢雲はその仕草に微笑みながら、答え通りに調子がいい事を確認して艦娘の隣に座る。
「アンタ性格とは真逆で凄い寡黙よね、『
『
『
故に佐世保鎮守府に所属しているのは普通の漣としてであり、普段護神厄討艦隊のメンバーである事は隠している。桃色の可愛らしい髪の色に新調されたセーラー服、一つ違う点としては目の光が無い虚ろな状態で表情筋は全く動いていなかった。
【いつものこと。名前は呼んじゃダメ!】
「ハイハイ分かってるわよ。アンタの過去を考えればそうなっても仕方ないんだろうけど」
『
深海棲艦の非道な実験によって漣は視力がとても弱く声帯が麻痺しており、顔全体も神経麻痺によって表情筋が動かなくなっている。元々艦娘は食事を必要としないので生活において支障は出ない為かここ数年は食べ物を口にしていない。
コミュニケーション自体はスケッチブックに言葉を書く事で円滑に進んでいるものの戦闘時における旗艦の役割は到底進められないが、戦闘能力は佐世保鎮守府内ではトップなのでサポーターとしての役割が殆どになっている。
【何しに来たの?】
「え? 何しに来たって? そりゃ勿論、艦隊の旗艦としてアンタの調子を窺いに来たのよ。この艦隊じゃアンタが一番無茶しそうだからね」
護神厄討艦隊の旗艦である叢雲は漣の様子を確認する為に灰色達と共に佐世保鎮守府へ訪れていた。艦隊に所属する艦娘のヘルスケアやカウセリングなども旗艦の仕事と考えている叢雲は■■大将の代わりに働いてくれている。
漣は叢雲に聞かれて即座にスケッチブックへ伝えたい事を書いていく。
【何も問題は無いよ!!!】
「問題無い、ね……まぁこうやって元気にしてれば何も言う事は無いわ。任務頑張ってね」
感情の無い無表情の顔とは裏腹にスケッチブックに書かれた言葉にはビックリマークや絵文字、顔文字などが描かれており元気に溢れた様子だった。
それを見た叢雲は微笑んで立ち上がり、腰や太腿についた土埃を払う。
手を何回か開いて別れの言葉を言ってその場を去ろうとした。
「ま、ま……待って」
「……? 珍しいじゃない、アンタが私を呼び止めるだなんて」
酷く掠れた嗄声で漣は必死に叢雲を呼び止める。
小さな声に気付いた叢雲はきょとんとした表情で後ろにいる漣の方へ振り向いた。
「ん」
「何これ。メモ書き?」
漣にスケッチブックのページの一部をちぎり取ったメモ書きを渡される。
叢雲は手に取ったメモ書きを物不思議そうに何度も裏返して目を凝らしつつその内容を見た。
『奴等も私たちも
メモ書きに記された意味深なメッセージに叢雲の顔が曇る。魔法とは隠語の類なんだろうか、気になる部分が抽象的でよく分からなかった。
叢雲は内容の意味を聞こうと漣の方へ振り向く。
【だから死なないで】
「……」
スケッチブックに書かれた言葉はとてつもなく不穏で胸騒ぎを起こしそうな言葉だった。胸に何かが深く突き刺さった感覚が唐突に現れる。
漣は顔半分をスケッチブックで隠して叢雲を見上げていた。叢雲は再度メモ書きの内容へ視線を移して考えるように顔を仰いだ。
まるで嫌な未来でも見たような気分だった。
これから起こりうる出来事を知っておきながら悠々と生きている自分を想像してしまった。
必ずしも漣の助言が予想通りになるとは限らない、逆に言えば予想通りにならないとも限らない。
考えれば考えるだけ時間を無駄にしているような気がした。何故今になって漣が自分にこんな事を伝えたのか、ため息を吐きたい気持ちでいっぱいだった。
「……大丈夫よ。私は死なないわ、安心なさい」
叢雲は小さなメモ書きを握って槍を掴み、再度横へ座って空いた左手で漣の肩を掴んだ。今この事を考えてもしょうがないと叢雲は心配してくれた漣に言葉を掛けて安心させた。
これから起こる事が何であれ、叢雲は立ち向かって打ち破ると心の中で誓う。
例えその書かれた言葉がいつか現実に起きてしまう事だとしても、破滅の運命に抗い続けると意志を固めた。
「忠告ありがとね……じゃ、頑張って」
叢雲はその場を去ろうと立ち上がって背筋を伸ばし、手を振りつつも漣の返事を待つ。
漣は急いでスケッチブックに伝えたい事を書き示して叢雲に見せた。
【うん、分かった。そっちも頑張ってね、あと──】
「あと?」
漣の書かれた言葉の最後に気を引かせるような一文を見た叢雲。
文字を追いつつその先を読んでみた。
【あと叢雲ちゃんの下着って編み編みの黒なんだね、エロいね】
「ぶっ飛ばすわよ」
「いや~凄いタメになったなぁ~」
「そうだね。色々と可能性を感じたよ」
夕方の十七時過ぎ頃に灰色と時雨は桃■中将の講演会を終え、叢雲との連絡で決めた集合場所まで向かっていた。
外は夕焼け空で暖かみのある色に満ちており、日が暮れる時を告げるカラスの鳴き声がどこかで聞こえてくる。
「明日も午前と午後であるようだからこれを機にもっと頑張らなきゃね」
「僕も学ぶ事が沢山あったな……後で皆にも教えよう」
灰色と時雨が持っていたメモ帳にはずらずらと並べられた講演会の内容が書かれており、提督が桃■中将へ頼む理由も分かった気がした。後で潮岬町鎮守府にいる艦娘達にも教えようと時雨のメモ帳には一つずつ要点をまとめている。
何故自分達に直接この事を言わなかったのか分からなかったが、差し向けてくれた提督を心の中で感謝した。
「講演会は終わり?」
「はい終わりましたよ。叢雲さんは?」
「こっちも用事を済ませたわ、さっさと帰りましょ」
待ち合わせ場所には既に叢雲と摩耶が待っており、それぞれスマホなどで暇つぶしをしていたようだった。灰色と時雨が来たのを確認した叢雲は手配してくれていた運転手の白■と合流し、提督が予約してくれた宿泊施設へ向かう。
「部屋は二つ取ってて時雨達の方は三人部屋だから大丈夫だね」
「う、うん……そうだね」
部屋は灰色と白■、時雨と叢雲と摩耶の二部屋に別れていた。
各々自身の荷物を確認してそれぞれ部屋へ共に向かう。
灰色が説明している中で何故か時雨は少し悲しげな表情をしていた。
「お疲れ様! また明日もよろしく!」
「うんありがと灰さん、お疲れ様」
皆が部屋の中へ入っていく中、最後に灰色と時雨だけが廊下に取り残された。灰色は微笑みながら敬礼して時雨に労いの言葉をかける。
時雨は手を振って灰色と別れ、笑顔を崩すこと無く部屋の中に入った。
「おやおや時雨さ~ん? 随分と不服なようで~?」
「っ! べ、別に僕は残念とかそういう事は思ってない!」
部屋では既に摩耶と叢雲が荷物を開きながら正装を脱いでラフな格好に着替えていた。叢雲が入ってきた不満そうな時雨を見てはからかって声を掛ける。
「ごめんって、隠さなくても馬鹿にして笑ったりしないわよ。良いじゃない、艦娘が恋する事ぐらい。おかしい事ではないし、寧ろ羨ましいくらいよ」
赤面して怒りを露わにする時雨を前に叢雲は畳んだ膝に頬を乗せては羨望の眼差しで微笑んだ顔を見せた。
「別に僕は恋なんか……!!」
時雨は頬を膨らませ、そっぽを向いて否定する。
「いやまぁ……認めようが認めまいがそれは貴女の勝手だし、無理に素直になれとは言わないけど」
頑なに認めない時雨を見て叢雲は半目で若干呆れた視線を送った。
そして時雨に指を指して忠告するように言い放つ。
「後悔しないように言いたい事だけは言った方がいいわよ。あ、これ経験者は語る的なやつね」
自称恋愛経験者の叢雲は出来る事はやった方がいいと時雨に念を押して注意させた。何か叢雲にも後悔するような出来事があったのだろうか、何故かその言葉がとても重く哀しく感じる。叢雲の元気に満ちた笑顔から悔やまれた表情が無意識に現れていた。
「……二人はした事あるの」
「勿論」
「まぁな」
時雨の質問に叢雲は藍色の髪を左手で浮かして堂々と答え、摩耶ははにかんだ笑顔で少し照れながら返答した。時雨は納得いかないといった表情で荷物を確認して身支度を整えていく。
「今も付き合ってるの?」
「付き合ってるのかと言われればまぁ、イエスだな」
摩耶が先に提督と共にいる事を認知されている上で時雨の質問に答えた。時雨も提督と摩耶がケッコンしている事は知っており、互いに信頼しあう関係は少し羨ましいと感じていた。
「叢雲は?」
摩耶が答えた後に時雨は叢雲へ視線を移す。
叢雲は先程の微笑みを消して真面目な表情で神妙そうに語った。
「えぇそうね~……恥ずかしい話、別れた」
「別れたの!?」
「大きい声出さないで、流石に私もあまり言いたくないんだから」
予想外の答えに時雨は思わず大声を上げてしまった。
叢雲は一瞬で時雨の口を片手で塞ぎ、人差し指を自身の口に寄せて静かにと合図する。
突然の接近に焦る時雨は何回も首を縦に振って了解の意志を示した。それを見た叢雲は塞いだ手を離して静かに元いた場所へ座る。
「で、何で別れたの!!!?」
「あのねぇ!!!!」
どうしても気になった時雨は今までの仕返しとばかりにわざと大声を出してもう一度聞いた。
反射的に叢雲はツッコミを入れて時雨の方へ飛び掛る。
二人の取っ組み合いを遠くから見ていた摩耶は呆れた視線でため息を吐き、部屋着を抱えて一人で風呂に入っていった。
「何で別れたんですか」
「秘密。教えられないわ」
「えぇ~……」
取っ組み合いが始まって数分後、叢雲の力に為す術なく敗れた時雨はベッドに大の字になって寝そべっていた。敬語を使ってまで叢雲に別れ話を聞き出そうとしたものの即刻で断られ、あからさまに残念な表情で天井を見ている。
「他人の別れ話聞いたってロクな事にならないわよ。大体こんな話聞いたとしても何の為にもならないでしょ、自重しなさい」
「でも他人の不幸は蜜の味ってよく言うじゃん」
「さてはアンタ性格悪いわね」
喋りながら時雨はベッドから起き上がって風呂に入る準備を進めた。
さりげない時雨の台詞に誰に似たのやらと叢雲は呆れた視線を時雨に送る。
テレビのリモコンに触れて電源を入れた叢雲はそのまま流れていたニュース番組を見続けた。
間接照明だけを照らして薄暗くなった部屋の中でテレビの画面の光が眩しく映る。ニュース番組では呑気にも恋愛関連の情報が流されており、光を浴びる叢雲は頬杖を着きながらつまらなそうに黙って見ていた。
二人の会話は途端に無くなり、テレビから発せられる環境音と摩耶が隣でシャワーを浴びている音だけが部屋の中を埋めていた。
時雨はもう一度ベッドで横になりつつテレビを見続け、隣りのベッドで座っている叢雲の後ろ姿を時々目に移す。
意味も無くその姿から哀愁を感じた。
それは苦しく物悲しそうに、一緒にいるはずが叢雲だけが孤独から離れられていないような気がした。
「はぁ……そうねぇ~……じゃあ明後日、私についてきたらその理由を教えてあげる」
「明後日? 休みの日?」
静寂を突き破って叢雲が時雨に話し掛ける。
色々と考えていたのか少し躊躇った表情でついてきたら別れた理由を話すと伝えた。
明後日は訪問が終わって自由になる日、灰色との社会見学が待っている。
「そ。知りたければその日についてきたらどう? って話よ。最も、知りたければの話だけど」
「……いいの?」
「いいから言ってんでしょうが。なに? 今更悪気でも感じちゃった? 別にこっちはそれならそれでいいんだけど」
「だって……何か悲しそうだったから……」
時雨は叢雲に背中を見せるように身体を横にして顔を隠しては不貞腐れる。何か申し訳ないような気持ちなのだろうか、素直になれず反抗的な態度を見せつけた。
流石に察されたと気が緩んでいた叢雲は時雨の方へ身体を捻って顔を見せる。
訂正しようと口を開いたが、急に面倒だと感じたのか言うのを止めた。そして再度テレビの方へ身体を戻して顔を合わせずに話し掛けた。
「……大体別れ話なんてそんなものよ。大概はどちらかの過失で起きるものだし……まぁ隠しても意味無いわね、私は……悲しいわ」
叢雲に言葉に対して時雨は何も言う事が出来なかった。今までからかわれた分やり返してやろうかと言った事に罪悪感を感じていたのもあって余計掛ける言葉が分からなくなる。
「とにかく、この話は明後日までお預け。今日は早く寝て仕事しなきゃならないんだから、ね? 摩耶」
「あ~そうだな~」
叢雲の見た先にはタオルを肩に掛けたシャワー上がりの摩耶がいた。緊張が解けたような穏やかな表情で珍しく部屋着に着替えた姿は少し新鮮に見える。
摩耶は一番奥に設置された椅子に座り、背もたれに身を任せて大きくため息を吐いた。
「え? 二人も何かあるの?」
「明日はちょっとした任務があるの。まぁ訓練官を請け負う的なやつよ、潮岬町鎮守府で貴女達がやってる特殊訓練みたいな事をやる感じね」
「最強の北上様と同等の力を誇る叢雲様と対空関連のあたしなら任せられるとか言ってたからな、桃■中将は」
明日叢雲と摩耶は潮岬町鎮守府で行っている護神厄討艦隊の艦娘達による特殊訓練を大規模な軍事力を持つ佐世保鎮守府でも行うようだ。『
文字通り身を削るような地獄の訓練を受けている時雨にとっては佐世保鎮守府の艦娘達に対して少し同情の念と羨望を感じた。自分もこの二人のように強くなりたいと常日頃から思っている分、やれる事はやっていきたいと時雨は決心していた。
しかしそれよりも気になった事が一つある。それは──、
『後で後悔するんじゃねーぞ……お前はまだ知らないだけだからな
『いいでしょう、ですが私は……認めるつもりなど毛頭ありません』
「……」
シャワー上がりの摩耶を見て思わず時雨は昼時の事を思い出していた。
敵視するかのように睨みつける摩耶と派手で元気な振る舞いをガラリと変えて豹変する桃■中将。
あの時の極度に高まった緊張と胸焼けしそうな不穏な空気を時雨は鮮明に覚えていた。突然の情報とその量の多さに頭が破裂しそうな程、顔には困惑の表情しか出なかった。
「ん? どうした時雨? 次入っていいぞ?」
「……っ! いや、何でもない。ありがとう、今行くよ」