横須賀鎮守府地下研究施設B7F。
埃一つない清潔に保たれた白い床、いくつものガラス張りの部屋に挟まれた廊下をゆっくりと歩いていく。中の部屋には誰一人として人間はおらず、歩く靴の音が響くほど閑散としていた。
「どういう訳か、説明してもらえるだろうか」
奥のガラス張りの部屋で何かが荷物を整えて出掛ける支度をしているのが見えた。
「●
声を掛けられたのは●
横須賀鎮守府地下研究施設長である集積地棲姫は●
照明の消えたガラス張りの部屋がつらづらと並ぶ中で白く光る蛍光灯に照らされた部屋にいる集積地棲姫は休憩の為に椅子にゆっくりと座った。
「おやおやこれは■■大将殿、おはようございます。この件についてですが、少し興味深い事がありまして……逃がしてみました」
「貴様のろくでもない考えの所為でどれだけ迷惑がかかっていると思っているんだ。以前のように大人してくれ」
■■大将が持つ監視用タブレットには『緊急停止装置拡張型拘束檻第五十七番:LOST』と書いており、収監されていた名前は潮岬町鎮守府所属翔鶴型航空母艦一番艦翔鶴と記録されていた。
以前潮岬町鎮守府で提督の殺人未遂を謀った反逆因子を横須賀鎮守府で保護の名目の元、艦娘と深海棲艦が融合した翔鶴を貴重なサンプルとして研究していた。艦娘と深海棲艦という対となる存在をそれぞれ長所と短所を持って生まれ変わった翔鶴の存在は研究者達にとって目新しいモノであり、今後の研究を大きく発展させるモノだった。
しかし集積地棲姫の突然の気まぐれによって収監されていた翔鶴もとい空母水鬼は集積地棲姫が仕組んだ事によって隔離された檻から脱監。
この事を報告書に記載させていなかった集積地棲姫に対し、■■大将は苦言を申し立てるためにわざわざ会いに来ていたのだ。
「すいませんがそれは出来かねます。これから面白い事があると分かっては動かずにはいられません……! 申し訳ありませんが今回の研究は一時中断、メンバー達には既に連絡しています。私は小笠原諸島父島へ向かう事にしました」
集積地棲姫は一時的に全て担当していた研究を中止させ、小笠原諸島父島へ向かう事を今更報告した。聞いていた■■大将は何故この翔鶴に興味を持っているのか理解できずにいたが、言動からして何か企みがあるのは間違いないだろうと考える。
「っ……貴様、今度は何を企んでいる」
「悪い事ではありませんよ、貴方達の作戦は邪魔しません! 私は姉妹の感動的な再会を見たいだけです……それに……『ABC計画』の阻止……って言えば貴方であればご存知ですよね。艦娘を愛する私としては阻止しなければなりません」
「誰から知った? その情報は」
「私の助手からです。とても有能で助かりますね」
小笠原諸島奪還作戦について知っていた集積地棲姫は作戦の邪魔はしないとキッパリ明言する。『ABC計画』と声に出した途端に■■大将は一瞬頬を引き攣らせながらも敵視する表情は崩さない。
「私の予想でしたら……例の組織が何年も前から動いている可能性がありますね。某国際機関委員長はどういうご判断で?」
「計画阻止に揺るぎはない」
「なるほど。それは素晴らしいです」
集積地棲姫はこの『ABC計画』について全ての情報を既に把握しており、計画を止める算段やその後の報復などを既に考えているようだ。世界の発展を願う国際機関GPAKは艦娘の存在を肯定的に見ている為、集積地棲姫は『ABC計画』についてどう対処するのか気になっていた。
■■大将は辛辣な対応で最低限の情報を集積地棲姫に教える。
「では研究員達にも言っておいてください。各自、自由にしていてください、と」
二人は部屋にてすれ違う。
「私は……お前を信じるつもりはないぞ」
「これは……悲しい、と言えばいいのですかね」
「潮岬町鎮守府で何かが起きたな……」
■■大将はタブレットの画面に提督のプロフィールを表示させ、誰もいない部屋の中で独り言を呟いた。
「えぇ!? 遥か上空から落下して潜入する!!?」
廃墟のように崩れ掛けた講堂のラウンジにて治療中の瑞鶴と木曾を除いた潮岬町鎮守府に所属する艦娘全員が集合していた。灰色が地図や資料を貼り付けたホワイトボードを背に作戦について説明している。作戦の内容を聞いた五十鈴が大声を上げて驚いた。
「はいそうです。潜入捜索艦隊は高度約一万フィートから輸送機にて降下し、他の艦隊と深海棲艦が戦闘中による混乱に乗じて地下軍事施設へ潜入します」
灰色が事前にまとめた作戦内容の資料を片手にホワイトボードへ指し棒で注目させながら説明していく。
提督の救出作戦は近日行われる小笠原諸島奪還作戦を利用して行う潮岬町鎮守府限定の秘匿作戦だ。潮岬町鎮守府以外の誰にも口外は許されず、作戦中にも味方には悟られてはいけない。
提督が拐われたという事実を知られれば上層部は黙っていない可能性があり、何かしら強硬手段を投じてくるはずだ。決してミスを隠したいが為に知られたくないわけでは無い。潮岬町鎮守府に所属する全員の命を守る為に秘匿する必要性があるのだ。
「地下軍事施設に潜入する潜入捜索艦隊と護衛艦隊、陽動として小笠原諸島奪還作戦に参加する攻撃艦隊の三つに分けられます。潜入捜索艦隊は提督の捜索と救出、護衛艦隊は救出した提督の護衛、攻撃艦隊は小笠原諸島奪還作戦に参加し、この救出作戦の陽動の役割も担ってもらいます」
提督の救出作戦は三つの役割を持つ艦隊によって行われる。
地下軍事施設に潜入して提督を捜索または救助する艦隊、救助後の提督の身を護る為に身体を張って潮岬町鎮守府まで護衛する艦隊、小笠原諸島奪還作戦に参加して深海棲艦の気を引く他鎮守府との連合艦隊と組み合わせた攻撃艦隊。
それぞれの艦隊を用いた作戦の流れを灰色と不知火が交互に補足して説明していく。
「作戦のフローチャートはまず小笠原諸島奪還作戦の開始時刻■月■日午前四時に合わせ、提督救出作戦を開始。潜入艦隊は作戦開始時刻から三十分前に空軍の輸送機にて離陸し、鎮守府合同の連合艦隊と深海棲艦との戦闘を確認次第、降下」
「連合艦隊の戦闘中に施設に潜入して提督を捜索。護衛艦隊は攻撃艦隊と共に行動し、提督救助の報告が来るまで待機していてください。深海棲艦の接敵やその場の状況については灰■司令と『
提督の救出作戦の総指揮感として灰色と『
作戦途中では深海棲艦の接敵や提督の捜索状況について把握すべき事が沢山ある。
その際には灰色と叢雲が率先して指揮を行うようだ。
「白さんを発見した場合、場所と戦況の状況報告をしてもらってこちらで考えた脱出ルートへ案内します。連合艦隊と深海棲艦の戦況を見て護衛艦隊はどさくさに紛れて連合艦隊と離れて合流地点に待機してください。潜入捜索艦隊と合流した後に提督を抱えて施設から脱出します」
「父島周辺にはエネルギー感知型炸裂式浮遊機雷が至る所に設置されていますが、深海棲艦用にいくつか回避ルートが残っていますのでそのルートを利用して脱出します。ルート近くにある機雷には赤い光で分かりやすく設置されているので大丈夫かと」
提督を救出後は独自の脱出ルートへ灰色が指示をして誘導し、護衛艦隊は戦闘中に攻撃艦隊と交代して合流地点へ向かってもらう。
父島周辺海域には沢山の浮遊機雷が設置されているものの、小笠原諸島奪還作戦の為に事前に調べた偵察艦隊よって深海棲艦用に作られたルートがいくつかあるらしく、そのルートを利用して脱出する作戦だ。
「なおこれら全てはあくまでも作戦の大まかな流れです。作戦途中に七壞星との接敵や提督救助中にトラブルが発生するなどのイレギュラーが必ず起こります。各自その事を把握しつつ挑んでもらいたいと思います」
「はい!!」
灰色の呼び掛けに応じて艦娘達は一斉に声を挙げて意気込む。
小笠原諸島奪還作戦と同時に行う提督の救出作戦はこれまで以上に過酷で危険のある作戦だ。命を落とす事すら容易く行われるかもしれないほど危険度がある。
決して作戦の流れが上手く行くとは限らない。
必ず障害が立ちはだかるはずだ。
「次に艦隊編成です。潜入捜索艦隊は『
「護衛艦隊には旗艦を鳥海として、飛龍、蒼龍、秋月、涼月、ビスマルク。攻撃艦隊は旗艦を北上、扶桑、祥鳳、鈴谷、球磨、白露。第二攻撃艦隊の旗艦を武蔵、神通、加賀、電、雷、青葉。以後は皆さんと交代して艦隊を再編成し、連合艦隊の援護へ向かいます。何か質問はありますか?」
提督救出作戦と小笠原諸島奪還作戦における艦隊編成について灰色と不知火は一人ずつ名前を呼んでいく。順に述べた後に質問は無いかと問い掛けると浜風が手を上げて立ち上がった。
「あれほどの損傷を受けてた古鷹さんは大丈夫なんですか? 少し心配だなと思って……」
「大丈夫だよ、ちゃちゃっと高速修復材で修復させたから。それに私個人としてもこの作戦には参加したい気持ちがある。ちょっと無理言ったけどね」
「■■先生から出ても構わないという判断をもらっています。治療完了報告書と共に判断して、私としても大丈夫だろうという結果に至りました」
先日の『
浜風の質問を代わりに答えた古鷹が腕を振り回して元気そうに答え、それを見た加賀が手を挙げて灰色に質問した。
「瑞鶴と木曾は今も治療中、かしら? そうなると二つの作戦参加は難しそうだと思うのだけれど」
「はい、二人は現在も各部の損傷が酷い為に治療中です。この作戦と小笠原諸島奪還作戦には参加させない方向で考えてはいます」
古鷹と同じく酷い損傷を負った木曾や瑞鶴は今もなお■■医師の治療を受けている。
■■医師から当分の出撃は不可能と判断され、二つの作戦には参加させないように灰色と二人で話し合ったようだ。
加賀自身も二人が無理してまで参加するのをあまりよく思っていなかったのか、灰色の話を聞いて安堵していた。
「なら……いいけど」
「基地の潜入中に七壞星が出たらどうするのですか? あの叢雲さんと木曾さんが出張るのですか?」
「そうですね。作戦の流れでは小笠原諸島奪還作戦が先に始まってから提督救出作戦が始まるので、恐らく七壊星は島を出て連合艦隊にいる護神厄討艦隊の艦娘と戦闘する事になるかと思います。なので基地の中に現れる可能性は低いでしょう」
扶桑が七壊星の対策について不安げな表情で手を挙げて質問する。もし潜入中に地下軍事施設で七壞星と接敵した場合は『
一応作戦上では小笠原諸島奪還作戦の連合艦隊と戦闘中の予定なので地下軍事施設の中で接敵する確率は低いだろう。
「でも低い、なんだね。必ず現れないとは限らない……でも上手くいけば深海棲艦のチームワークを掻き乱す事が出来るわけだ。どちらにせよ覚悟は決めるべきだね」
「そうですね、覚悟をもって挑みましょう。白さんの為に、私たちのためにも……この時が……運命の分かれ目です」
灰色は二つの作戦が如何なるモノなのか、唾を飲んで真っ直ぐ目を見開き覚悟を決めた。
この二つの作戦で自分達の未来や国の未来の方向が決まる。
今まで学び鍛えた鍛錬の日々、深海棲艦と人間の混血である提督の真意、七壊星という強大な存在、鹿島の裏切り、全ての艦娘の祖を生み出した集積地棲姫。
皆の想いはこの時まで生き続けて積み上げてきた希望の証だ。
「以上でミーティングを終わります。質問がある人は私に直接聞いてください。潜入艦隊の艦娘は今夜午後十八時鎮守府門前に集合してください」
「……っ……」
夕方の十七時半。
鮮やかな橙色の光が差し込む照明の消えた寮の廊下を早歩きで歩く艦娘がいた。
歩いていく度に夕陽の光は消えては現れての繰り返しで点滅するかのように艦娘の姿を照らしていく。
「駄目ですよ」
「……」
否定する声が聞こえた。
艦娘の目線にはちょうどよく曲がり角で日陰となった階段で、下る階段の踊り場には灰色が出待ちしていた。
「瑞鶴さん、何をしようとしてるんですか」
窓から漏れる夕陽の光を背に瑞鶴は踊り場にいる灰色を見下ろす。
灰色は真面目な表情を全く変えないままどこかへ行くつもりの瑞鶴を睨んだ。
「……アンタには関係ないでしょ」
「
瑞鶴はあからさまに嫌な表情で目を逸らして階段の一段に足を落とす。
灰色は瑞鶴の意図を知っている前提で話し掛けた。
瑞鶴は一瞬顔を揺らし、再度灰色を睨み返す。
「それを聞いて、アンタは参加させてくれるの?」
「いえ、しませんよ。勝手ながら心身共に傷を負っている貴女達を見守る役目があるので、当然この作戦に参加させるつもりはありません。恐らく木曾さんも今頃摩耶さんに止められてる所でしょう……でなければ……ここで貴女達二人を待っている意味が無いですから」
瑞鶴の影に染まる灰色は瑞鶴や木曾が作戦内容を盗み聞きして身体の無理を考えずに参加する事を予見していた。
『
「私なら大丈夫よ。姿見れば分かるでしょ?」
「どうやって修復されたんですか? まさか……耐え抜いて修復させた、訳ではありませんよね」
瑞鶴の身体の至る所にある治癒した直後に見える傷痕を見て灰色は何かを察したのか僅かに眉を寄せる。瑞鶴は右手で左腕を掴み視線を真下に逸らして重々しく伝えた。
「アンタの言う通りよ。怪我は
瑞鶴が行ったのは高速修復材の直浴び、点滴による時間経過の摂取ではなく高速修復材の原液を自ら全身に浴びて身体の傷を修復させていた。
高速修復材は艦娘の格納された損傷後の艤装や身体の傷等を全て修復させる力がある。その際に生々しく残る身体の傷の修復は高速修復材を摂取したエネルギー核が活性化する事で、細胞や神経を損傷部分から直で再構築していく為にとてつもない激痛が身体全体に伝わるようになっている。
集積地棲姫の攻撃をまともに受けている瑞鶴は瀕死状態から■■医師の応急処置で一命を取り留めるも、複雑骨折や内臓破裂などの身体の損害は計り知れない。
その状態で高速修復材を直浴びで摂取すれば折れた骨は細胞や筋肉をすり抜けて外へ飛び出し、一から新しく骨が再形成されていく。破裂した内臓は損傷部分から隙間を埋めるようにして再形成されていき、不要な血液は口や肛門などから排出される。
そのような地獄とは生温いような事を瑞鶴や木曾は自力で耐え抜いて完全回復を成し遂げていた。
「そこまで無理をして……何故作戦に参加したいのか聞いてもいいですか?」
「……ただ単純に、提督さんにはお世話になってるから……せめて帰って来て、またこの鎮守府を支えてほしいと思っただけよ」
「それだけじゃない……貴女は翔鶴さんの事を気に掛けている。あの集積地棲姫に頼んだとはいえ確実に救えると言える保証はどこにもない。訳も知らず聞けば命知らずの愚か者……いや、裏切り者と揶揄されてもおかしくないんですよ……死ぬ気ですか?」
図星を突かれた瑞鶴は頬を引き攣らせる。
灰色の言う通り、言われた事は全て本当だった。
「酷い言われようね……まぁでも、間違ってないわ。私だって出来ればこんな事にはしたくなかった」
瑞鶴は赤い液体が入った注射器を持った右拳を胸に当てて顔を俯き、灰色に心情を赤裸々に語る。灰色と目を合わせずに階段を一段ずつゆっくりと降りていった。
「でも翔鶴姉を救う方法はこれしかない……多少のリスクを背負ってでもやるしかないの。確実じゃない? 保証なんてない? だったら少しは自分で動いて確実にするようにやるしかないんじゃないの? その為なら私は私を捨ててだってやってみせる……これは私個人の事情よ、皆は関係ないわ」
ようやく灰色と目を合わせた瑞鶴は踊り場まで一段の所まで降りていき、足を止めた。
瑞鶴も灰色と同じく階段の影に染まる。夕陽が陸へ吸い込まれていくように消えていった。
「だから貴方が私を止めようとあらゆる手段で動いても、私は必ず作戦に参加する……それは貴方も分かってるはずでしょ?」
今度は灰色が目線を下にそらして顔を俯かせる。図星だったのか僅かに溜めていた息を漏らすも、臆する事なく瑞鶴に反論した。
「……いずれにせよ私は貴女を止めなければなりません。方法はともあれ、今は大人しく待ってくれますか? 瑞鶴さん」
止めようと瑞鶴の前に立ちはだかるも灰色は目の前まで来た瑞鶴に対して手段は何も持っていなかった。
瑞鶴の言う通り、灰色は瑞鶴を止める事が出来ずにいた。
瑞鶴の人生を考えてしまえばそこから生まれる情は決して離れられるものではない。姉である翔鶴を救いたい瑞鶴の気持ちを灰色は手伝いたいと思うほど理解していた。
だが自分には白との話し合いでこの鎮守府の艦娘達を守らなければならない義務がある。
瑞鶴の気持ちを尊重するか、瑞鶴の気持ちを無碍にして白との約束を守り通すべきか、どちらも叶えたいと願う灰色は葛藤していた。
出来れば動かないで欲しい、またあの時のようにこれ以上失わせる訳にはいかない、止めるしかないんだ、と心の中で説得するように念じていた。
だが──、
「木曾とペアで動くわ……ごめんね。灰さん」
瑞鶴はとうとう踊り場に足底をつけ、灰色の横を通り過ぎてすれ違いざまに伝えた。
灰色は踊り場からまた下へ降りる瑞鶴を止めようとはせず、身体を硬直させ歩く音が過ぎるのを待つかのように佇んでいた。
「やっぱり……ダメだな……こういうの」
歩く音が聞こえなくなったのを計らって灰色は溜めていた息を大きく吐いて肩を崩した。
瑞鶴を止められなかった事に苦笑いしながら更にため息を吐いて腰を少し下ろす。
顔を俯かせ床を見続け、数秒後に灰色は勢いよく顔を上げて言い放った。
「……甘いなぁ、私も」
次回は作戦開始。