うざい提督とブラック鎮守府   作:あばずれ

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192. 片翼の鐵鶴 前編

 

『瑞鶴、瑞鶴?』

 

 深い眠りの中から微かに声が聞こえた。

 心地良い温もりを感じて瑞鶴は重い瞼をゆっくりと上げる。

 思わず瞼を閉じてしまうほどの眠気が残っているお陰か、まだ夢と現実の区別が付かず彷徨っている感覚だった。未だ眠っていたいと心の中で思いながらも朦朧とした視界から徐々に世界が見えてくる。

 そこは潮岬町鎮守府空母寮の翔鶴と自分の部屋だった。

 いつも見た事のある自分達の部屋だったが、窓はカーテンに覆われて外の景色は全く見えない状態で昼か夜かも分からず、ただ雨風の吹雪く音が微かに聞こえた。

 部屋の畳は何かに引き裂かれたかのように五本の引っ掻き傷が夥しく残っており、壁や机にはその引っ掻き傷と共に鉛筆や本などが無造作に散らかって荒れている。

 何かと暗いなと思った矢先には奥に置かれた机のデスクライトが部屋全体を淡く照らしていた。

 

『ごめんなさい……こんな事をしてしまって……本当に……ごめんなさい……』

 

 目の前には翔鶴が半ば泣きながら必死に何度も頭を下げて私に謝っていた。

 私はどうやら身動きの取れない状態のようで重い頭を動かして見上げると両手首には手錠がされており、私は今拘束されているんだという状況を掴んだ。

 私は考えた。

 この状況から察するにこれは私の過去が夢として反映されているのだと。

 両手首が拘束されているとしたら、それは恐らく提督さんが翔鶴姉たちによって追い詰められている時の過去だ。

 翔鶴姉と龍驤さん一行は提督さんを追い詰めて消し去ろうと提督さんを罠に嵌めて仲間を巻き込み、総力戦で挑み全力を尽くしていた。その主犯格の妹である私は提督さんが艦娘全員に嫌われた初日から、決して見た事の無かった戦慄を覚えるほどの殺気を纏う翔鶴姉によって拘束され、提督さんが艦娘たちの目を覚ますその時まで自分たちの部屋に監禁されて何も出来なかった。

 

 私はその地獄の数日間を決して忘れてはいない。

 いや、忘れられない、忘れてはいけない過去なのだと自分の頭に深く刻み込んだ。

 提督さんを虐め尽くしたその毎晩に翔鶴姉は私の目の前で声を荒らげて発狂し、悶え苦しむように自身の首を絞め付けては自傷行為を続けていた。

 畳は別の痛みを求めるかのように引っ掻いた爪痕が著しく残り、涙や涎で濡れて染み込んでいく。

 頭を掻き毟れば長い白髪の髪の毛がバラバラに落ちていき、何度も身体を掻く所為で肌は荒れて血が滲んでいた。

 時々落ち着いて眠りについてしまう事もあったが数十分過ぎればまた発狂して身体を壊していく。自身の姉が脆く崩れていくその見るに堪えない光景を私はただ、いつもの翔鶴姉が戻ってくる事を信じて声を掛ける事しか出来なかった。

 

『ごめんなさい……本当に……ごめん……なさい……』

 

 私はひたすら謝り続ける姉に対して、何か言葉を掛けようと口を開いた。

 私は大丈夫だよ、目を覚ましたなら謝ろうよ、私も一緒に謝るからと言葉を口に出そうとした。

 

 だけど何故か声が出ない。

 

 口は動かせていても声だけが全く出なかった。

 それはまるで寝る時に見る夢のような感覚で、不思議と身体も浮いているような感じがした。

 喉の奥にある声帯が丸ごとくり抜かれている気分だ。私は声の出せない違和感に苛立ちを覚えた。

 翔鶴姉は私に会わせる顔がないと俯いたまま頭を両手で抱えて呟く。

 

『本当は皆さんを守りたい……守りたいのに……皆さんを守ろうと思ったその瞬間から、何もかも消す事以外考えられなくなってしまって……その後はもう……止められなくなっちゃう……』

 

 翔鶴姉は今まで自分が引き起こした理解に苦しむ行動の数々を重々と自覚していた。

 仲間を守るという蒼色との約束を守る為にどんな手でも使って仲間を守り切る。その想いが強くなると目の前が見えなくなり暴走してしまう。

 その暴走を自身で止める事は出来なかった。

 

 私は知っている。その暴走の正体は翔鶴姉の身体の中に紛れ込んだ空母水鬼(悪魔)の所業だと。

 声を大にして誰もが聞こえるように叫びたい。

 何をしようと無駄な過去の追想を見せられているのだとしても、何も出来なかった過去の自分に伝えたい。

 

 必死だった。

 決して届かない無音の声で。

 

 夢中だった。

 表情筋などの使えるモノ全てに力を入れて。

 

 舌を何度も動かし、喉の奥から絞り出すかのように声を出そうと試みた。

 

 だかそれは全て無意味だった。

 

『お願い瑞鶴……もし私が私でいられなくなってしまったら……その時は……私を殺して……?』

 

 翔鶴姉は身体の内側から溢れ出る痛みに耐えながら苦しそうに自分を殺してと訴えた。

 私は『は?』と心の中で静かに怒りに悶えながらも聞き間違いだろうと半ば翔鶴姉の言葉が聞こえていた事を思考中の頭から放棄して、もう一度翔鶴姉の言葉を思い出しながら聞き返した。

 しかし何度聞き返そうとも出てくるのは翔鶴姉の死亡願望。

 この世で最も聞きたくない台詞に私は即座に拒否した。

 

 嫌だ、殺したくない、死なせたくない、失いたくない。

 何でそんな事をしなくちゃいけないんだ、翔鶴姉は悪くない。

 悪いのは翔鶴姉の身体の中にいる空母水鬼だ。

 何で翔鶴姉が全てを抱えて殺されなくちゃいけないんだ。

 

 私は心の中で怒りに燃えた。

 

『こんなお姉ちゃんでごめんね、瑞鶴……お願い』

 

 

 

 そんな事、言わないでよ。

 

 

 

「キャハハハハハ!!!!」

「ッ!!」

 

 茂みの深い森林で突如噴炎が瑞鶴を追うように立ち昇る。

 青みがかった空には深海地獄艦爆と九七式艦戦が森林の上で駆け翔んでいた。

 落下した爆弾が地面を抉って爆発し、木々を破壊していく。

 瑞鶴は防戦一方で上空を警戒しながら退避していた。

 

「逃ゲテバッカリジャ何モ出来ナイゾ~!!」

 

 逃げ続ける瑞鶴は木々の茂みを突破する。

 そこは空母水鬼の艤装による砲撃で焼け野原となった更地。

 砲撃によって倒木は踏めば崩れるほど脆い炭と化していた。

 

 深海地獄艦爆による急降下爆撃を瑞鶴は両腕を交差して防御体勢に。

 瑞鶴の周りで爆発し、爆炎と土煙で姿が見えなくなる。

 数秒後に壁のような土煙に穴を開けて後方へ跳躍する瑞鶴の姿が見えた。

 瑞鶴が着地する寸前、土煙ごと吹き飛ばして艤装に乗る空母水鬼が現れる。

 

「喰ラエッッ!!!」

 

 空母水鬼は着地寸前の瑞鶴へ高速接近、瑞鶴の顔面へ膝蹴り。

 瑞鶴は奥深くの森林へ木々を倒しながら蹴り飛ばされた。

 瑞鶴の後を追おうと艤装を発進させる空母水鬼。

 森林へ入る直前に不知火が左方から横向きの体勢で現れた。

 

「っ!!」

 

 不知火のドロップキックは空母水鬼の顔面に直撃。

 不意をつかれた空母水鬼は体勢を崩して大きく怯む。

 

 しかし空母水鬼は衝撃に耐えてすぐさま不知火の方へ視線を移し、右拳を握る。

 鬼の形相で右腕を大きく振り、不知火の脇腹へ強く殴打。

 不知火は凄まじい衝撃と痛みに耐え切れず殴り飛ばされた。

 

「ドウシタ瑞鶴!! 攻撃シタラドウダ!!!?」

 

 森林の奥へ潜り込んだ空母水鬼は瑞鶴の姿を確認して煽り始める。

 瑞鶴は近くにあった木に弓を持った右手を伸ばして身体を支えながら立っていた。左腕は付け根から正装ごと流血で赤く染っている。

 瑞鶴は高速で向かってくる空母水鬼を鋭い目付きで睨みつけ、弓を構えて戦闘態勢に入った。

 

(見て考えろ……! 奴の攻撃パターンを!! 隙を見つけてこの融合分離体をアンタの身体の中に打ち込んでやるんだから!!)

 

 瑞鶴の隠しポケットには提督誘拐の去り際に集積地棲姫が与えた融合分離体が入っている。

 瑞鶴は空母水鬼の攻撃を見極めて隙を見つけることで空母水鬼の身体へ融合分離体を打ち、翔鶴を取り戻そうと敢えて攻撃せずに苛烈な攻撃から躱し続けていた。

 とはいえ完全に躱し続けられるほど瑞鶴の速力は程足らず、作戦を理解した不知火の援護を借りてもなお空母水鬼の攻撃は苛烈さを増している。

 もはや瑞鶴自身が倒されるのも時間の問題といえる危機的状況の中で、瑞鶴は不屈の闘志を燃やして身体全体に力を入れた。

 

「死ネェェッ!!!」

 

 空母水鬼の突き蹴りを瑞鶴は左肩を後ろに引いて回避。

 過ぎ去った空母水鬼へ彗星一二型甲と紫電、流星改を複数発艦させる。

 空母水鬼は瑞鶴の方へ身体を向け、地面を引きずりながら九七式艦攻で応戦。

 

 瑞鶴の前を不知火が走り抜けて跳躍する。

 跳躍した不知火は空中で身体を仰向けにして狙いを定めた。

 空母水鬼の九七式艦攻を二十五ミリメートル三連装機銃で援護。

 そして空母水鬼の方へ体勢を変えて殴る様に拳を突き出して砲撃した。

 

 空母水鬼は周辺の木々を遮蔽物にして直撃を回避する。

 殴り構えて向かって来た不知火の殴打を右掌で受け止めた。

 

「っ!?」

「オ前ハ邪魔ダァ!!!」

 

 空母水鬼は不知火の拳を掴んで自身の後方へ投げ飛ばす。

 投げ飛ばされた先は水平線が見える崖の上。

 受身を取れず身体を転倒させて崖の端に倒れる不知火。

 直後、深海地獄艦爆による爆撃で不知火のいた崖端が大爆発した。

 

「不知火ッッ!!」

「しまっ──」

 

 空母水鬼の爆撃によって崖端が爆煙に包まれながら崩れていく。

 海面まではおよそ二百メートルの落差。

 爆煙の中から岩片と共に歯を必死の形相をした不知火が落ちていく。

 何とか戻ろうと手を伸ばすも間に合わず不知火は下の海面へ消えていった。

 

「コレデ二人キリ、ダネ……!!」

「不知火……!! くっ……!!」

 

 空母水鬼は艤装を後方に移して瑞鶴の前に立ち、今まで邪魔だった不知火をようやく消せた事に安堵して微笑んだ。

 瑞鶴は不知火の安否を案じながらも孤立して追い詰められた状況を把握して悔しさと苛立ちを見せる。

 空母水鬼のいる位置は森林と岩場の境目、数十歩先には海抜二百メートル近くの絶崖があった。

 観光地だった場所のようで植物に侵食された看板には千尋岩と書かれている。確かその千尋岩の真下には地下軍事施設と繋がる輸入港があったはずだ。不知火を消す為にわざと瑞鶴を崖近くの方まで意図して追い込んでいた可能性がある。

 

「ッ!!」

 

 空母水鬼の背後で瑞鶴が発艦させた彗星一二型甲と紫電が狩られた野鳥のように火を帯びてゆっくりと墜落していくのが見えた。

 空中戦は空母水鬼のもとい翔鶴の熟練された九七式艦攻によって制空権は取られてしまっていた。圧倒的な戦力によって優位な位置を取れた空母水鬼は瑞鶴を見下して静かに嘲笑う。

 

「モウ誰一人、来ル事ハナイヨ……!」

 

 空母水鬼は深海地獄艦爆を大量に召喚し、瑞鶴に頭上へ目掛けて発艦。

 わざと狙いを外して瑞鶴の目の前で着弾させた。

 爆風と土煙で視界が遮られた瑞鶴。

 

 前傾姿勢になった空母水鬼は黒い鋼鉄の甲懸の穴から紅い光を放出させ大跳躍。

 空中で右踵を前面に出し勢いよく落下する。

 狙いは爆風と土煙で視界が遮られた瑞鶴。

 土煙の動きを見れば瑞鶴はまだ動いていない。

 

 狙いを定めた空母水鬼は渾身の踵落としを食らわせる。

 土煙を一刀両断して瑞鶴ごと地表を崩壊。

 衝撃で土塊が円形状に宙を舞い、周辺の木々は根を出して倒れていく。

 

「っ……ごめん……ね……!!」

「ッッ!!!?」

 

 空母水鬼は初めて戸惑いの声を上げる。

 瑞鶴は一切の防御体勢に入らず、空母水鬼の踵落としを真正面から受けていた。攻撃を受けた事によって頭頂部から血が吹き出して額から鼻の端まで赤く血に染まっている。

 受けても尚意識を失わず、怒りの炎を灯した眼で空母水鬼を睨んでいた。

 

「ごめんね……妖精さん……!」

 

 瑞鶴が言ったその瞬間、空母水鬼の真横から一機の流星改が木々を掻き抜けて現れる。

 すれ違いざまに空母水鬼の左側頭部へ雷撃用の爆弾を着弾させた。

 爆発の影響で流星改は損害を食らうもすかさず妖精が脱出。

 流星改は火の尾を出しながら地面へ墜落した。

 

 突然の流星改による奇襲攻撃によって空母水鬼は大きく怯みを見せる。

 踵落としで低空にいた空母水鬼は体勢を崩した。

 

(そう、アンタは左右からの攻撃に対処し切れていない!! さっきからアンタは不知火の攻撃を受けていたけど、攻撃を食らうか辛うじて防ぐかの二択だった!!)

 

 今だと叫んで瑞鶴は空母水鬼の足を退かして跳躍。

 空母水鬼の首元を左掌で掴み、身体に片足を乗せる。

 

 そして首元を掴んだ左掌を下に突き出して空母水鬼の頭を地面で叩き殴った。

 空母水鬼は歯を食いしばって伝わる衝撃と痛覚に悶える。

 地面に倒れた空母水鬼を拘束しようと瑞鶴は両足でそれぞれ手首を踏みつけ、身体全体を腹に乗せて身動きを取れなくさせた。

 

「何ッッ!! マサカッ!!!?」

 

 急いで瑞鶴は隠しポケットに入っている注射器型の融合分離体を掴んで外に出し、空母水鬼の首元へ突き刺そうとした。

 

「っっ!!!」

 

 が、空母水鬼から離れていた艤装の砲撃が瑞鶴の左肩に直撃する。

 とてつもない威力と痛みに瑞鶴は耐え切れず声を上げて怯み、身体を浮かせ片足の位置をずらしてしまった。

 空母水鬼は脱出する機会だと見て解放された右手で瑞鶴が持っていた注射器型の融合分離体を払い除けさせる。身体の上半身を起こして瑞鶴を右拳で殴り飛ばし、空母水鬼は後方へ跳躍して自身の艤装元まで戻って距離を取った。

 

「ハァハァハァ……!! シクジッタ……! 本当ニ殺ラレル所ダッタ……!! 一体瑞鶴ハ何ヲ……!!」

 

 瑞鶴の思いがけない予想出来なかった行動に理解に苦しむ空母水鬼は倒れ込む瑞鶴と何か赤い液体が入っている注射器を見て状況を考えた。

 自身の隙を見極めるように自ら一切攻撃を加えず回避し続ける様子。

 身体の中にいる翔鶴を取り戻したいと自身への憎しみと共に切に願っている瑞鶴の姿。

 『貪狼(ディアボルフ)』集積地棲姫による解放と日本海軍の連合艦隊が小笠原諸島父島にある地下軍事施設の攻撃、それと同時に潜入してきた瑞鶴と運良く接敵できた事。

 あまりにも偶然過ぎる流れに空母水鬼は瑞鶴と接敵する事がまるでこれから必ず起こる事のように上手く行き過ぎていた事に気付く。

 そしてあからさまに怪しげな赤い球体が入った注射器を自身の首元へ刺そうとしていた。

 

「……成程ネ……分カッチャッタ……!」

 

 八割ほど理解した空母水鬼は嘲笑気味に企んだ表情で()()液体が入った注射器を手に持って瑞鶴の元へ歩いていく。

 瑞鶴は空母水鬼の隙を作るためにわざと受けた踵落としと艤装の砲撃によって痛みに悶え苦しんでいた。

 露出した痛覚神経を数千本の針で刺されたような痛みに脳が対処し切れず、空母水鬼が向かって何をしてくるのか考える事もできない状態で立ち上がるのもままらなかった。

 それでも無意識に両膝を地面に着いて胴体だけを浮かせ、額を地面に擦れさせて何とか立ち上がろと瑞鶴は動いた。

 

「コレデ翔鶴ヲ取リ戻ソウトシタンダ~……危ナカッタ~、砲撃ガ無カッタラ本当ニ負ケテタヨ」

 

 産まれたての子鹿のように立つ事すらできず身体を震わせ必死に立ち上がろとする瑞鶴を見て空母水鬼は赤い液体が入った注射器を見てほくそ笑む。

 瑞鶴の計画が失敗に終わった事を知って心の底から安心し、そして嘲謔(ちょうぎゃく)した。

 瑞鶴が手に持っていたのは恐らく自身と翔鶴を引き離す為の分離液のようなもの、以前に艦娘を解体する際の工程で使用されていた液体を見た事があり、それと酷似している事から空母水鬼は深海棲艦と艦娘を引き離す為のモノだと考え辿り着いた。

 

「何故ソンナニ苦シンデルノカ分カラナイケド、マァ結果オーライ、カ……ソレッ!」

 

 辿り着いた空母水鬼は瑞鶴の背中を力強く踏んでお返しとばかりに地面に叩き付けた。

 立ち上がろうとしていた瑞鶴の身体が全身地面に触れて這い蹲る。

 叩き付けた衝撃で地面にヒビが割れていき、瑞鶴は苦し声を上げて血を吐いた。

 

「……良イ事考エタ……! フフッ……──」

 

 体勢を低くして座った空母水鬼は()()液体が入った注射器を瑞鶴の首元へ刺して注入した。

 瑞鶴は身動きが取れず反抗する事も出来ないまま、首から全体へ流れ込んでいく赤い液体を感じて呼吸が細かく乱れていく。

 この()()液体が自身と翔鶴を引き離す為の薬剤だと知った空母水鬼は仕返しに瑞鶴へ打ち込もうと考えた。

 

 潮岬町鎮守府の艦娘達ができるだけ長く藻掻き苦しみ、そして誇りや矜恃を全て踏み躙ってから惨たらしく殺す。

 それは決して計画の為や鎮守府を支配しろなどの命令でやっている訳では無く、空母水鬼の純粋な残虐的性格と本当の悪意によって生み出された考えだった。

 今まで翔鶴の身体を使ってそうやって来た。

 不要な艦娘の旧式解体、『巨門(テラスティア)』戦艦棲姫への駆逐艦特攻、差別意識による惨めな仲間割れ。

 絶望に明け暮れるその顔を見るだけで興奮が身体全体に駆け巡り、とてつもない快感で身体と共に心が躍ってしまう。

 もはや自分自身で止める事は出来なかった。

 

「っ……かっ……! が、かっ……!!」

「一体コノ液体ガ身体ノ中ニ入ッタラドウナルノカ、私ジャ怖イカラ瑞鶴デ試シテミルネ~! モシカシタラ人間ニ戻ッチャウカモシレナイケド~何カ面白ソウダカラ頑張レ頑張レ~!!」

 

 身体の感覚が徐々に無くなっていくのを感じて次第に呼吸が出来なくなって窒息しかける瑞鶴。

 その瑞鶴を見て空母水鬼は赤らめた頬が引き裂けんはがりの笑みを浮かべて興奮が止まらなくなっていた。

 特に瑞鶴に関してはもっと長く虐めて殺したいと思っていた。

 身体の中にいる翔鶴には自身の視界と共有できるようにしている。

 身体を貸してくれた翔鶴が自身の目の前で妹が殺されていく様を眺めて絶望してくれるように徹底的に嬲ってやろうと考えていた。

 

「全部入レチャッタ! ア~ア、モウ終ワリダネ~? 可哀想ニ、唯一翔鶴ヲ取リ戻ス手段ヲ奪ワレタ挙句、自分ノ身体ニ打チ込マレルンダモン。本当ニ可哀想、可哀想過ギテ見ルニ堪エナイ……」

「っ……! ぐッ……!!」

ネッッ!!!!

 

 空母水鬼は計画が失敗に終わった瑞鶴を惨めに見下しながら後頭部を鷲掴みにして持ち上げ、思い切り瑞鶴の背中を蹴り飛ばした。

 瑞鶴は先程戦闘していた焼け野原となった更地に放り出される。地べたに這い蹲る瑞鶴は左手と左膝を地面に着いて身体を起こそうと最後の力を振り絞った。空母水鬼の艤装の砲撃によって直撃した右肩は炭化して右腕全体は感覚が無く、先程蹴られた背中の衝撃が未だ身体全体に響いている。

 意識も朦朧としている中で瑞鶴は絶対に諦めないと執念深い眼を放ち、まだ発艦できる弓を手に持って身体を起こした。

 

「モウ諦メナヨ。ドウ見テモ勝テル道筋ハ無イヨ? イマ命乞イスレバ殺スノハ止メテアゲルヨ。何ナラ翔鶴ト話ヲサセテアゲヨウカ? 翔鶴モ妹ノ最期ノ言葉、聞キタイダロウシネ」

 

 瑞鶴がようやく上半身だけを起こして見上げた目の前には空母水鬼が右手を前に出して待ち構えていた。

 空母水鬼の後方には艤装があり、全ての砲口が瑞鶴に向けられている。

 微かに耳から聞こえるのは深海地獄艦爆の飛行音で近くには九七式艦攻も飛んでいた。

 とある用を思い出した空母水鬼は面倒を避ける為に瑞鶴を虐める計画を止めて始末しようと考えて砲撃準備を整える。

 攻撃する体力や身体を動かす力も無い絶望的な状況で瑞鶴はふと優しく笑みを浮かべた。

 

「……大丈夫……だよ……翔鶴姉……」

「ッ……?」

 

 予想外の表情に空母水鬼は違和感を感じた。

 何故この状況で笑うのか理解不可能だった。

 

「絶対に……取り戻す……から……! だか──」

 

 瑞鶴の遺言を最後まで言わせる暇すら与えず空母水鬼の全門斉射と爆撃によって瑞鶴の位置で大爆発。

 凄まじい爆音と共に地表ごと抉り切って爆発させ、巨大な黒煙と土煙を立ち昇らせた。

 

「……マァ、イイカ」

 

 そよ風によって掻き消された黒煙の中には瑞鶴が白目を向いた状態でうつ伏せになって倒れていた。

 直後に瑞鶴の身体から赤い血が水溜まりのように広がっていく。

 完全に死亡したと判断した空母水鬼は冷徹な表情で見下しながら後方へ振り向き、不知火が落とされた千尋岩の元へゆっくり歩いて向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『瑞鶴』

 

 

 その時、右手の小指がピクリと動く。

 

 

『明日、君のお姉さんが来るぞ。良かったな』

 

 

 右手を握り、次に右腕が震えながら動き出す。

 

 

『瑞鶴が居てくれて良かった。ありがとね、瑞鶴』

 

 

 ゆっくりとゆっくりと右掌を前に出して地面に着ける。

 抉れた地面の土を握り潰して右肩を少しだけ上げた。

 

 

『ありがとう瑞鶴。私、すごく幸せ』

 

 

 次に右膝と左膝を動かして腰を上げる。

 

 

『ごめんなさい……瑞鶴……皆さん……』

 

 

 喉から大量の血を吐きながらも歯が砕けるほど食いしばる。

 頭から流れた血と涙を混ぜた血涙を流した。

 

 

『助けて……』

 

 そうだ。

 

 翔鶴姉はずっと誰かに助けを求めていた。

 

 提督(蒼色)さんが殺されてあの男(■■少尉)が鎮守府を支配した時から。

 身体の中にいる空母水鬼という己自身(翔鶴姉)では気付く事のできない悪魔から。

 

 口ではそんなハズないと否定していても、心の底では開放されたいと願っていたはずだ。

 

 このままではいけない、誰かに止めてもらわなければいけない。

 このままじゃ仲間を殺してしまう。

 守るはずの仲間がどんどんいなくなってしまう。

 

 誰かこの手を止めて、誰か私を倒して。

 

 誰か私を助けて。

 

 

 

 翔鶴姉の発する全ての台詞から私はそう聞こえたんだ。

 

 

 

「ッ……!!」

 

 立て。

 

ッッ!!

 

 立て! 

 

ッッッ!!!!

 

 立て!!! 

 

「うッ……!!」

 

 痛い。

 

 物凄く痛い。

 

 このまま意識を失えば楽なんじゃないかと思うほど痛い。

 死ぬ事が羨ましいと思うほど痛い。

 

 炭化した左肩から左腕の感覚が無い。頭頂部から溢れるように血が流れて出てくる度に激痛が走ってくる。身体全体の骨が今にでも折れそうなほど悲鳴を上げて軋めいている。

 視界もぼやけてあやふや、身体が物凄く重い。

 

「違……う……!」

 

 だけどこんな所で倒れてる場合じゃない。

 

 私は翔鶴姉を取り戻す為にここに来たんだ。

 

 力が奪われたとしても、力を創り出していけ。

 例え人間に戻ってしまっても今までの戦いや生き方の全てが無駄になった訳じゃない。

 

 立て。

 

 立つんだ。

 

 まだ手段はある。

 

 

 今度こそ私が翔鶴姉を救うんだ。

 

 

 だからお願い、私に最後の力を。

 二分でいい、一分でいい。

 奴と戦えるだけの力を私にください。

 翔鶴姉を取り戻すだけの力を私にください。

 

 過去の冴えない惨めな自分(わたし)は捨てた。

 何も出来なかった哀れな鉄人形から私は生まれ変わろうと頑張った。

 

 これからも頑張るから。

 提督さんを、皆を、翔鶴姉を、守れるように強くなるから。

 

 

 

 だから……、だから……──、

 

 

 

「頑張れ」

 

 

 気付けば私の目の前で、蒼色が笑って立っていた。

 

 

「瑞鶴なら出来る」

 

 

 そして私は眩い光に包まれて──、

 

 

 

 

 

 

「チッ……時間ガ無イ、急ガナケレバ……」

 

 不知火が落下した千尋岩の崖先へ木々を別けながら歩く空母水鬼。

 少しばかり急いでいる様子で艤装を連れながらとある場所に向かっていた。

 瑞鶴は始末したが崖下へ落下した不知火の安否が気になっていた空母水鬼は深海復讐艦攻を複数発艦させ、崖下の状況を確認しようと立ち止まったその時だった。

 

「サッサト合流シテ、ヤル事ヤッタラ自由ニ……マサカ──」

 

 空母水鬼の左頬が血塗れた鉄拳によって大きく歪む。

 意識が揺らぐほどの衝撃で空母水鬼は殴り飛ばされた。

 

 

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