「自由ニ……マサカ──」
空母水鬼の左頬が血塗れた鉄拳によって大きく歪む。
意識が揺らぐほどの衝撃で空母水鬼は殴り飛ばされた。
「グッ……一体何ガ……」
殴られた左頬を左手で抱え、ゆっくりと立ち上がる空母水鬼。
背後から来た気配の感じとれない謎の殴打に戸惑っていた。
「オ前ハ……!!?」
空母水鬼の目線の先には黒い塔から放出された紅い光の柱を背景に立ち尽くす片翼の鐵鶴。
ツインテールだったはずが左頭部の束ねた髪は燃え尽きて中途半端に解かれ、サイドテールになっていた。そして左眼は燃え盛る蒼い炎。
横からの風でサイドテールの髪や蒼い炎が靡き、口から蒸気を排出するような白い息を吐いた。
ただひたすらに空母水鬼を視界に落とし、翔鶴を取り戻すという執念の篭った鋭い目付きで空母水鬼を睨む。
それはまるで
「馬鹿ナ真似ヲシタナ……ソコデ倒レテレバイイモノヲ、再度立チ向カウカ……!」
初めて攻撃を受けた空母水鬼は口の中に溜まった血を地べたに吐き出して左腕で口を拭う。
殺したはずの瑞鶴がまだ生きていた事に少し憤りを感じるも普段とは違う様子の雰囲気に空母水鬼は警戒した。
左眼で燃え盛る蒼い炎がその一因だ、艦娘の中であんな変化は見た事がない。
左肩が炭化して左腕全体が使えない状態でいつ失血死してもおかしくはない瀕死に近いというのにふてぶてしく立ち上がる。
再度虐められたいのかと空母水鬼は身構えた。
「イクラ戦オウガ、オ前ジャア私ニ勝テナイ……! ソウ! 勝テナインダヨ!!!」
空母水鬼の振り下ろした手と同時に瑞鶴の頭上を飛行していた深海地獄艦爆が蝙蝠の大群のように一斉に急降下爆撃。
瑞鶴の位置で周辺の木々が吹っ飛ぶほどの大爆発が起きた。
瑞鶴の身体に直撃した感覚を得た空母水鬼はもう立ち上がれないだろうと瑞鶴の死亡を確信する。
だがしかし、爆煙の中から突然穴が空いた。
「何ダッ──」
その瞬間を見た直後、空母水鬼は左頬に鉄拳を受けてもう一度殴り飛ばされた。
千尋岩の崖先まで殴り飛ばされ、空母水鬼の倒れた先で彗星一二型甲による急降下爆撃。
崖先は爆煙と土煙で包まれた。
深い森林の中から蒼い炎を左眼に灯し、口に弓を咥えた瑞鶴が現れた。
瑞鶴は空母水鬼が倒れた土煙の方へ走り駆け、再度右拳を構えて殴り掛かる。
「ウグッ……!!」
土煙の中から黒い鋼鉄の甲懸が現れ、瑞鶴は後方へ蹴り飛ばされた。
直後、土煙を払って空母水鬼が走りながら現れる。
「調子ニ乗ルナヨ!! 苦シメルノハコッチナンダ!!!」
空母水鬼は真っ先に瑞鶴に近付き、右拳を握って殴打を仕掛けた。
蹴り飛ばされた瑞鶴は空中に浮いたまま、左足の底で空母水鬼の殴打を受け止める。
左脚全体に衝撃が伝わり、至る所から血が噴き出た。
それでも瑞鶴の執念深い鋭い表情は変わらない。
空母水鬼も譲らずと殺意を込めた眼付きで瑞鶴を睨む。
空母水鬼は両足を使って瑞鶴の身体を挟み掴んで拘束。
拘束した瑞鶴を投げ飛ばして空母水鬼は跳躍する。
そして空中に浮いた瑞鶴を崖先へ蹴り落とした。
千尋岩の崖先が大きく崩れ、瑞鶴は二百メートルの崖下へ落下していく。
しかし瑞鶴は諦めない。
残り僅かの彗星一二型甲の爆撃で着地した空母水鬼の地面ごと爆発させ、空母水鬼を崖下までの落下へ巻き込んだ。
「クソッ!! 私ノ艤装ガ!!」
海抜二百メートルの崖から落下していく二人。
爆撃で砕けた岩塊と共に空母水鬼が落下しながら現れる。
瑞鶴は海抜百七十メートルで海面に仰向けた状態。
空母水鬼は海抜百九十メートルで海面にうつ伏せた状態。
完全に有利なのは瑞鶴の頭上にいる空母水鬼だった。
空母水鬼はより下の方へ落下する瑞鶴へ深海地獄艦爆改を発艦させ、爆撃。
左肩、右脇腹、左額に直撃し、瑞鶴は更に距離を付けられ落ちていく。
急所を尽く当てられた瑞鶴は意識を失いかけ、右手に持っていた弓を手放した。
「コレデ終ワリダ!! 瑞鶴ッッ!!!」
もはや動けない状態だと見た空母水鬼はトドメを刺そうと背後の岩塊を蹴って急速落下。
一気に瑞鶴との距離を詰めて、突き蹴りを仕掛ける。
違う。
まだ終わってなんかいない。
まだ失ってなんかいない。
翔鶴姉はまだ取り戻せる。
『もし、私が私でいられなくなったら……』
翔鶴姉が一番辛いのは妹の私が知ってる。
流した涙の熱も、血に染まった指先も、全部知ってる。
事情を教えれば皆も理解ってくれる。
だから……──、
『その時は……私を……殺して……』
──大丈夫だよ、翔鶴姉。
「絶対……!」
今まで動かなかった左腕と左手が微かに動きを見せる。
震えながら細かく指を動かし、弓を掴んだ。
「ッ……!?」
「取り戻すから……!」
瑞鶴は自身の上空にいる空母水鬼へ覚悟を決めた表情で優しく笑みを浮かべた。
そして右拳を握り、姉の名前を叫ぶ。
「翔鶴姉ェェェェェァァァッッッ!!!!!」
「ッッッ!! ンナッ──」
姉の名前を叫んだ瞬間、その声に反応するかのように空母水鬼は身体の内側から来た謎の痺れに怯んだ。
渾身の突き蹴りが逸れ、瑞鶴の脇腹辺りを通過。
それに合わせてカウンターするように瑞鶴の右拳の殴打が空母水鬼の鳩尾へ直撃した。
海面まであと百二十メートル。
空母水鬼は身体の表面に血管を浮かばせ、殴打による衝撃に耐える。
空中で互いに決死の表情で相手を睨んだ。
瑞鶴は弓を使って爆撃機を発艦しようと構える。
空母水鬼は共に落ちてきた岩塊を蹴って瑞鶴の発艦を阻止。
岩塊が弓を持つ左手に直撃し、瑞鶴は弓を離した。
海面まであと七十メートル。
互いに同じ位置で海面へ落下していく。
無防備になった瑞鶴の左手を掴む。
空母水鬼は黒い鋼鉄の甲懸の右脚を紅く光らせた。
「二度ト……!私ノ前ニ現レルナッッ!!!」
瑞鶴の胸腹へ渾身の前蹴りを食らわせる。
凄まじい衝撃に瑞鶴は口から大量の血を吐いた。
が──、
「っっ!!」
瑞鶴は右手に持っていた注射器を空母水鬼の首元へ突き刺す。
空母水鬼はその光景を見て瞳孔を開かせ目を疑った。
瑞鶴が刺した注射器が
「あれ、
瑞鶴が血を吐きながら口を開く。
注射器の中に入っているのは『紅い』液体。
先程刺した注射器の
「マサカッッ……!!」
空母水鬼の推測通り、一本目の注射器はブラフだった。
瑞鶴は空母水鬼を欺く為に一本目の注射器には自身の血液を入れていた。
この血液は集積地棲姫の襲撃後に高速修復剤で無理やり治療した際に身体の外から出てきた不要な血液。
それを瑞鶴は違う注射器に入れて、本物と見間違うようにわざと持っていたのだ。
そしてそれを最初に空母水鬼へ見せて刺そうと工作し自演。
二本目の本物である融合分離体が入った注射器を隠して、騙せるように仕組んでいた。
海面まであと五十メートル。
瑞鶴は空母水鬼の上に乗って別れを告げる。
「アンタはちょっと……黙ってて」
「クソ
直後、二人は勢いよく海面に衝突。
落下していく岩塊を巻き込んで大きな水柱が立ち上った。
水柱の中から瑞鶴が飛んで現れ、海面にゴロゴロと転倒していく。
水柱は小雨となって落ちていき、次第に空母水鬼の姿が見えてきた。
空母水鬼は海面にうつ伏せた状態で大の字に倒れていた。
融合分離体を注入された事で痺れが身体中を襲っている所為で、身動きが全く取れなくなっている。融合分離体の効果は既に目に見えるほど現れており、徐々に空母水鬼から翔鶴の姿に取り戻しつつある状態だった。
「クソッ……コノ私ガ、オ前ナンカニ……!」
徐々に翔鶴の身体から切り離されようとしている最中で空母水鬼は何としてでも抗おうと反発し、制御できなくなりつつある身体を震えながらも無理やり起こしていく。
自分自身をこんなに追い込んだ憎き瑞鶴を殺してやると躍起になって歯を食いしばって手を伸ばした。
「オ前ダケハ……! オ前ダケデモ……!!」
伸ばした腕や手でさえも力が入らなくなり、空母水鬼は瑞鶴を攻撃しようと醜くも左肩や右肩を動かした。
が、もはや身体の制御も不能となって再度海面へ倒れる。
身体の感覚や意識が身体の核の中へ吸い込まれていくように遠のいていき、空母水鬼の姿は完全に無くなって目を瞑った翔鶴の姿が戻ってきていた。
「っ……翔鶴姉……!」
地べたを這い蹲るように海面でうつ伏せの状態のまま辛うじて動く右腕で身体を引っ張り、翔鶴の元へ向かおうとする瑞鶴。
先程の謎の一時的な覚醒による戦闘の反動で全身に耐え難い激痛と感覚麻痺に襲われており、両足や左腕は感覚が全く無く右腕に力を入れるのが精一杯だった。
それでも瑞鶴は取り戻した翔鶴の顔を見ようと必死になって歯を食いしばりながら身体を引っ張っていく。
「翔鶴姉……へっ?」
数分掛けて翔鶴の元へ辿り着いた瑞鶴はいつも見ていた本当の姉の姿を目に収めて安堵した。
その時翔鶴の身体に変化が起こり始め、身体の上半身が大きく反らされる。
すると胸の間にある鳩尾から紅黒く鮮やかに輝く球体が身体をすり抜けるように現れた。
まるで宝石のような輝きに瑞鶴は一瞬見蕩れそうになる。数秒後にして翔鶴の身体は海面に仰向けに倒れ、紅黒い球体は身体の上でゆっくりと静かに乗った。
「これは……」
「恐らく……空母水鬼の核となるモノです」
「その声は……! 不知火!」
翔鶴の身体の中から現れた紅黒い球体に困惑する瑞鶴へ話し掛けきたのは不知火だった。
よく見れば右頭部や右腕から右手血が流れて正装が赤く染まっており、左手で損傷した右腕を抱えている。
「無事、だったのね……」
「はい……崖から落とされた時、無理やり右腕で掴もうと引きずったので。何とか致命傷は間逃れました」
空母水鬼に崖から落とされた際に不知火は凹凸だらけの崖に手を伸ばして無理やり掴み、引きずらせて落下していく速度を最小限に抑えて海面に着水していた。
例え艦娘であろうと高さ二百メートルの崖から落下しすれば大損害は間逃れない。瑞鶴も空母水鬼の身体の上に乗った事でそれがクッションとなり、墜落時の衝撃を緩和させて身体へのダメージを抑えていた。
「よかった……それで、不知火。これが空母水鬼の核、なの……?」
「はい。恐らくですが。これを破壊すれば空母水鬼は討伐した事になります……瑞鶴さん……頑張ったんですね……凄いです……!」
不知火は海面にうつ伏せた綺麗な翔鶴の身体と紅黒い空母水鬼の核、瑞鶴の痛ましい損傷の姿を見て瑞鶴が成し遂げた事に思わず嬉し笑みが口に出た。
瑞鶴は潮岬町鎮守府を地獄へと変えた元凶である空母水鬼を討ち取り、翔鶴を取り戻す事に成功したのだ。
空母水鬼が翔鶴の身体を奪って鎮守府に猛威を齎した時から既に五年以上の歳月が経過、瑞鶴達は空母水鬼の呪いの鎖からようやく解き放たれる。
思わず瑞鶴や不知火は報われた気持ちから涙が出てしまった。
長い年月を掛けて過ごした残酷な日々から白い提督のお陰で解放され、巡り巡ってやっとの思いで空母水鬼を倒す所に辿り着いた。
本当に五年も経った。
五年も経っていた。
長い時間だった。
もう誰も苦しむ必要は無くなったのだ。
「ごめん不知火……核は不知火が破壊して頂戴……私は今、あまり動けそうにないや……」
「っ……分かりました、瑞鶴さんも無理をなさらずそのままでいてください」
感傷に浸っている最中で瑞鶴は空母水鬼の核が微妙に動いているのに気付き、代わりに不知火に破壊してもらうよう頼んだ。
不知火は目に溜まった涙を拭い、無傷な左手で空母水鬼の核を掴んだ。
そして──、
「っ!!」
硝子の割れた音と共に空母水鬼の核は飴細工のように砕け散った。
砕けた瞬間に一瞬紅く光り始めて核の中から紅黒い煙が空へと上り、頭を抱えた空母水鬼の姿が煙に現れて耳をつんざくほどの金切り声をあげながら霧となって消えていく。
核の破片らしきものも霧となり、風に流され消えていく。
これまでの凄惨な過去の全ても二度と思い出さないように消し去り、犠牲になってしまった仲間への弔いを忘れず、瑞鶴と不知火は霧が無くなるその最後まで空を見上げた。
「っ……」
「っ! 翔鶴姉が目を覚ました!」
空母水鬼の核が不知火によって砕けた直後、翔鶴が深い眠りから目覚めるように声を出した。瞑っていた瞼を少しずつ開きながら声のする方向へ耳を傾ける。
「この声は……」
「翔鶴姉!
「……えぇ、分かるわ……瑞鶴……」
ぼやけた視界から鮮明に映ってきたのは血まみれの右腕を左手で抱えて座る不知火と海面にうつ伏せの状態で顔面が血まみれの瑞鶴だった。
翔鶴は瑞鶴の顔を見て思わず笑みを零した。
「……水を差すようで申し訳ないのですが、お二人とも身体に重大な損害を抱えています。今後の戦闘は不可能と言って間違いないでしょう」
顔に浮かんだ笑みを無理やり消して不知火は二人へ今後の行動について話し掛けた。
瑞鶴は頭部や右腕の大量出血と炭化した左肩で見ての通り何故沈まないのか不思議に思えるほどの轟沈寸前の状態で、翔鶴は空母水鬼から開放された直後の反動で身体があまり動けそうにない状態。
逆に不知火は右腕と右手が擦り傷と骨折で出血と内出血を起こしているものの【耐久】によって既に完治済み。
状況から考えて二人とも今後の作戦においては戦闘は不可能と不知火は判断した。
「ですので動ける私が輸入港の確保を行います。お二人は提督救出時と同時にこれから合流予定の護衛艦隊と一緒に鎮守府へ帰還してください。それまでは輸入港の足場で待機していましょう。有無は聞きません、必ずです」
「わ、分かったわ……」
戦闘に参加したいと反発しそうな瑞鶴を見て不知火は恐ろしい戦艦の眼光で睨みつけ無理やり決定させる。
瑞鶴はかつてないほどの視線に言う事を聞くしかなかった。
これからはまだ戦闘可能な不知火が輸入港の確保を行い、制圧が終わって安全になった次第に瑞鶴と翔鶴は合流予定の護衛艦隊が来るまで輸入港で待機する事になった。
現時点ではこれが最善策として瑞鶴と翔鶴も受け入れる。
「お願いします。帰還時ですが私が瑞鶴さんを抱えますので翔鶴さんは──」
「不知火……? どうしたの、って……え……」
「わた……し──」