夕方十六時。
そろそろ空が茜色に染まる頃だ。依然として提督は駆逐艦寮の掃除をしている。口笛を吹きつつ、窓縁を拭いていく。
現在駆逐艦は六人しかいない。殆どは度重なる出撃の疲労による轟沈、捨て艦戦法や解体による死刑。何十人といたはずの駆逐艦寮はとても静かだった。
「いやースッキリするなぁ、掃除は心が洗われる。よし次!」
「ねぇ」
誰も近寄り難い提督に声を掛ける。振り向くと時雨と夕立が怯えて待っていた。
「なんだ?」
「司令官は……その、悪い人なの?」
悪い人。
恐らく前任の提督の事でも思い出したのだろう。小学校中学校程度の身体を持つ駆逐艦達は大人より小さい事からよく痛めつけられたと聞いている。そのトラウマを抱えながらも時雨は勇気を持って話し掛けてきたのだ。
「……さぁね分からん」
「そんな……」
「それはお前達が決める事だ、勝手に決めとけ。あ、でも俺有能だからァ!! そこんとこよろしくゥ!」
突然のハイテンションについていけない二人。本当は軽巡と重巡を集めてリンチする準備の為に呼びかけようとしたが、最早それをするのも失せてしまった。
「何が有能なんだか、聞いて呆れる」
遠くから聞こえたのは多くの艦娘を連れた木曾の声。前も後ろも取り囲まれ、脱出出来ない状態を作られた。空気がピリピリする。
皆殺気を放ち、手を握っていた。
「お前の馬鹿さ加減は最高級らしい」
「……」
「時雨、夕立、こっちに来るクマ」
球磨型姉妹の長女、球磨が時雨と夕立を誘導する。提督を取り囲むのは駆逐艦、軽巡洋艦と重巡洋艦の十二名。時雨、夕立、球磨、多摩、木曾、最上、鈴谷、青葉、加古、阿賀野、矢矧、那智。
全員改装済みだ。
「これはこれは大所帯で……挨拶でもしに来たのかな?」
「は? これから貴方はサンドバッグになるのよ? 何言ってるの?」
「え?」
「えっ、て。寮を掃除して優しいアピールしてるみたいだけど私達はそんなので何も影響しないよ? 馬鹿なの?」
「お前らこそ馬鹿じゃね? 駆逐艦寮に入ってくるとか変態かよ」
「アァ!? ぶっ飛ばされたいのアンタ!!」
提督を挟んで怒号が飛び交う。一部良く思っていない輩もいる。それよりも提督は余裕の表情で笑っている。
「まぁサンドバッグにはなれないけど喧嘩相手にはなれるぜ」
「何が喧嘩相手だ、仲間に暴行したくせに」
「ん?」
恐らく木曾達は摩耶にボコられた天龍の事を知って来たのだろう。イラついた提督が摩耶を使って暴力をさせた的なシナリオでも思い込んだかもしれない。仲間思いも良いところだ。
「あーそんな事あったのかぁー……」
「なに寝惚けて――」「晩飯は何?」
「カレーだ……って知るかァ!!!」
木曾のツッコミが炸裂。周辺の不思議な雰囲気に艦娘達は反応に困っている。
「とにかくだ! お前をリンチしてやる!」
「……リンチねぇ……別に殺さなきゃやられても構わないがそれ相応の罰を受けてもらうぞ」
「は?」
罰と言った途端、艦娘達が一斉に怖気ついた。
頭を抱えて身を守ろうとする者や涙を浮かべながら反抗の眼をする者が殆どだ。提督の予想通り、この鎮守府にいる艦娘達は全員、前任の提督による罰がトラウマ化している。故に罰を受ける前に提督を殺そうとする守衛本能だ。
その罰など反応からして容易に分かる。
「どうしたぁ一斉に泣き出したぞ?」
「お前……分かってて地雷を踏みやがったな……!!」
「此方は一方的に殴られようとしたんだ。対策ぐらいチンパンジーでも考えるだろ」
「だからと言って……!」
「弱いなぁ」
提督の声に皆圧倒された。外まで響いているのが分かる。
「弱い弱い弱い弱い弱いんだよお前達は。地雷? んなもん知るか現実逃避し過ぎだ。アイツに嬲られた屈辱を、大切な仲間や友人、姉妹を奪われた痛みを、何も出来なかった自分を、その苦しみをお前達はその現実を変えようと思わなかったのか?」
一方的に喋り続けながら木曾に近づく提督。その言葉を聞いた艦娘が耳を塞ぎながら次第に腰を下ろしていく。
聞きたくない、嫌だ、やめてと嘆き始めた。しかし提督はそれぞれに指差しながら言い続けるのをやめない。
「お前らなんてどうせ使えもしなかった鉄屑だそんな事など思いつかなかったんだろう惨め過ぎてかける言葉すらない」
「やめてよ……!!」
懇願するのは最上。目に涙を浮かべ、こちらを見ている。必死な思いで口を開いた。
「わわわ私達だって……私達だって抵抗した!! でも……仲間を人質にされて抵抗出来なかったんだよ!? そんな事も知らない癖に知ったような口しないでよ!!」
「あぁ!? だったら人質がいればお前らは反抗しなくなるのかぁ!? よくもまぁこの状況で被害者ぶって考えたがるねぇロクに戦いもしないポンコツ兵器共が!! それに知りたくもないねこんなクソみたいな鎮守府の事情なんざ。抵抗出来なかった? 違うね人間以上の力を持ったお前達が何であんなクズを俺みたいに殴ろうとしなかったのか、殺せなかったのか、答えは簡単だ……保身に走ったからだ」
「違う……!!」
「いーや違わないねぇ最上、前任に反抗すればその後の予想出来る人生に恐れをなして何もしなかった、だから結果的にお前達は現実を変えようとしなかった、最終的には逃げられて何も出来ずにくたばるまで放置された、なーんて愚かで醜く卑劣なんだろうつくづく反吐が出る」
ついには多くの艦娘が泣き喚いた。執拗な提督の言葉の弾幕に屈してしまったのだ。耳を塞いでも聞こえるその叫びは艦娘のあらゆるプライドを崩していく。
「自分を道連れにしてまでも反抗しようと思わないポンコツ兵器共がよーくここまで生き残れたものだよ賞賛に値するねぇ。お前らを残して沈んでいった仲間も生き延びてと祈って無様に沈んだのだろう、何て惨めな人生だこちらまで恥ずかしくなってくる馬鹿みたいに」
「黙れ!!」
「いいや黙らない!! いいかお前らの心情は一切聞かないし聞きたくもない、今俺に構う暇があるなら戦争という言葉の意味を空洞化した脳みそで愚かなポンコツ同士惨めに話し合いながら部屋に閉じこもってろ、暇があればの話だがな!!!」
提督による言葉の弾幕が終わる。その声は外や他の寮まで聞こえるほど響いていた。廊下では泣き声が重なって聞こえる。
いつの間にか皆、床に座っていた。
「……俺がお前達を変えていく」
「え……?」
「何も出来なかったお前達を俺が変える。お前達がやりたい事、叶えたい事、何でも出来る範囲で聞いてやる。なんせ俺は有能だからな!!」
言った後に提督はこの場を脱出する為、窓縁に乗る。ここから飛び降りるつもりだ。とはいえここは駆逐艦寮の三階。人間では怪我を負ってしまう。それを見た最上は思わず手を伸ばした。
「待って!!」
「あ、俺からもう一つ」
「え……?」
「強くあれ! じゃあな、また明日!」
そのまま提督は飛び降りる。必死になり窓から頭を出した。下を確認すると平然と歩いている提督の姿が見える。地面には着地した僅かな跡が。何とも理解し難い状況に最上はただ立ち尽くす事しか出来なかった。
――夜
鎮守府の周辺は深い森林に囲まれている。少なからず虫の音が聞こえた。大体は割れた窓ガラスのせいでもある。
「あんな事言って良かったのか提督」
「ん? 夕べの事か? 心配するな、じき面白い事になる」
「面白い事……って一体何があったんだか……」
「んーただのストレス発散だろ。結局は俺という提督を殴って殺す事で過去に助けられなかった仲間や姉妹の為に償おうとしてるだけの話。全く無駄で無意味で無価値な行動だ、まだ空気でも殴ってた方が遥かに世界に優しい、それにアイツらは戦争とは何かを勘違いしている」
不気味な笑みを浮かべこれから起こる出来事に興奮する提督。摩耶は大きい溜息を吐き、不満を漏らす。
「何故私はこんな奴に惚れたんだか……」
「ウヒャヒャヒャ、精々頑張ってくれよ摩耶君」
「はぁ……で提督、資材の状況なんだけど――」
摩耶は書き上げた報告書を渡す。資材の枯渇状況、工廠の整備状況など事細かく記されている。提督が珍しく静かに読んでいる中、補足を加えて説明した。
「なるほどな。まぁある程度は予測してた事だ、別に慌てる様な事じゃない。既に手配はしてあるから資材は大丈夫だろ」
「そうだな、しかし工廠には明石も居たがどうするんだ?」
「あーいるのね、了解。んじゃ明日にでも色々話に行こうかな」
書類と報告書をまとめあげ、机の引き出しにしまう。夜二十二時、消灯の時間だ。艦娘達にとってはだが。
「摩耶は重巡寮か?」
「あぁ、荷物は既に届いてる。恐らく提督のも自室に届いてると思うぞ」
「おう了解。さすがはウチの摩耶」
「褒めて撫でたって何も出ねぇよ、クソが」
「別に何か欲しいのとは一言も――グフェッ!!」
余計な一言で提督はまた殴られ、床に叩きつけられた。
「罰、ねぇ……」
「何か分かった?」
「いや……下半身の社会の窓が開いててヤバ――」