「時雨! 夕立! 私が君達の命令主だ! これから君達に命令を下す」
「何なりと」
「それじゃあまずお風呂に入って!」
「……え?」
命令主の言う通り、入渠施設基い風呂に入る時雨と夕立。一週間ぶりの風呂は身に染みるほど暖かく、傷の痛みが癒されるほどだった。
「僕達なんかが……何故風呂に……」
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「はい上がったね! 今度は一緒にご飯を食べよう! あ、勿論命令だからね」
「は、はい……」
風呂から上がった時雨と夕立を連れて、灰色は白露と共に食堂へ向かった。やがて食堂の前に辿り着き、扉の前に立つ四人。しかし時雨と夕立はその前で足を止めた。
「すいません、やはり無理があります」
「どうしたの夕立、ほら早く──」「兵器は人間の食べ物を口にしてはいけないからです」
「……」
夕立が兵器である意味を言葉にした。兵器だから食べてはいけない。恐らく■■少尉に嫌という程思い込ませられたのだろう。しかしそんなルールなどこの鎮守府には無い。
「……そんな事、誰が決めたの?」
「人間様が決めました」
「私は名前を聞いているんだけど?」
「……■■……少尉から」
分かってはいた事だ。
この二人が苦しい思いをして、兵器である事を強く頭に刷り込まれた事など。だからこそ提督は自分が救うように命令してくれた。ならば灰色はこの二人を救わなければならない。夢を叶える為にも。
「そんなの■■少尉が勝手に決めた事じゃないか。何で君達がそれに従う必要があるの? 今の命令主は私じゃないの?」
「違います! ですが……」
「やっぱりか」
「っ!?」
灰色の声が冷たく感じた。時雨と夕立は身体を跳ね上がらせ、顔が青ざめる。灰色は軍帽を外し、時雨と夕立を見つめた。
「君達……本当はそんな事、言いたくないんでしょ。本心が揺らぎってるのが見え見えだよ」
「違います」
「いいや違わない。本当に君達が兵器だと言うのなら何故そんなにも悲しそうな顔をしてるの?」
「っ!? す、すいません!」
夕立が慌てて灰色に謝る。しかし灰色は謝る理由が分からなかった。
「どうして謝るの? 自然に出る事なら仕方ないじゃないか」
「知らずに勝手に表情を出したから……です」
「勝手に表情が出ちゃうんだ、仕方ないじゃないか。それでもそれを直せるようには出来るの?」
「はい、出来ます」
「どうやって?」
時雨と夕立は口篭る。出来ると言っても方法は分からないようだ。明らかに無理して答えている。
「……無いじゃないか。口先だけで根拠の無い事ばかり。何でそこまで兵器だと言わなきゃいけないと思うの?」
「すいません……」
「また謝ったね夕立。君も前は可愛らしい口調があったはずだよ、何で言わないの?」
「人間様の気分を害するから……」
「んじゃ前までの私達の気分はどうだったと思う?」
一週間もこの鎮守府に離れていたとはいえ、その前の記憶は残っている。今の発言とはまるで違う記憶が夕立の頭の中を巡った。
「私はとても可愛いと思ったけどね。ここには私と艦娘しかいないよ。艦娘でも気分を害するの?」
「いいや全くだが」
「むしろ心地良いけど」
「夕立ちゃんはあの口調じゃなきゃ落ち着かないかしら」
傍を通りかかった木曾、古鷹、足柄が証言する。そのまま三人は食堂の中へ入っていった。
「憲兵さんは?」
「こんな事を私が喋っていいのか分かりませが……私はとても睦まじく感じております。私個人としては貴方達には仲良くして頂けるとこちらも働きがいがございますので。では」
「それでも……出来ません。本当にすいま──」「謝るなよ!!」
灰色が突然怒鳴る。
「君達は何も悪い事はしていないのに何故謝るんだ!! 人の気分を伺うのがそんなに怖いのか!!?」
時雨と夕立は反論出来なかった。
その通り、二人は命令主である灰色の表情をずっと伺っていた。嫌な目に会わないようにひたすらに気分稼ぎをしようとしていたのだろう。それだけ二人は■■少尉にされた事が恐ろしく脳裏に焼き付いていた。
「……君達の事は白露から聞いてる。秘書艦にされた時から無理してたんだろう。だったら何で言わなかったんだ!」
白露から時雨と夕立の本性はあの事件が起こった後に聞いていた。二人は無理して自分に近付いていた事、部屋では孤独に佇んでいる事。全てを知った灰色は何としてでも救わなければいけないと思った。
「嫌なら嫌だと言えばいいじゃないか!! 無理してまで俺に会い続けて、部屋では一人で泣いていて、苦しい思いをしてまで会わなくたっていいんだよ……自由なんだからさ……!!」
自由という言葉を強く強調する灰色。それを聞いて時雨と夕立は身体を僅かに震わせる。灰色は少しばかり涙を流していた。
「本当にごめん……! 君達の思いに気付けなかった……! 本当に謝るべきなのは……俺なんだ……!!」
「ッ!? 灰さん!?」
「やめてください!!」
「いいややめない!!」
時雨と夕立の前で土下座をする。自分が不甲斐ない所為で二人は酷い目に会ってしまった、会わせてしまった。今更許されるとは思っていない。
「……嫌な思いをしながら一緒に仕事をして、あんな事に巻き込まれて、身体を傷つけられて……俺の所為なんだよ……全て……!!」
「灰さん……」
自身の所為で二人を苦しませてしまった事に負い目を感じていた。今まで気付かずに接していた自分を呪う程に。時雨と夕立と仲良く話していたはずがそれは逆効果であり、二人に嫌な思いをさせるだけだった。白露の事も合わせて一度謝りたい。己の無力さと不甲斐なさを痛感した上で謝りたかった。例え周りから自己満足だと思われても構わない。
「そんな……! 夕立……?」
「助け──ッ!?」
「さっきの声……夕立は!?」
「今さっき倉庫裏に誰かと……」
確か聞こえた言葉は『助け』。誰かに助けを求めるような言い方だった。何か嫌な予感がする灰色は時雨と白露を連れて倉庫裏に向かう。するとそこに夕立を抱えた謎の男が走っていた。
「待て!! お前!!」
「チッ……ガキは預かったァ!! 一歩でも動いたら頭に風穴開くぞゴラァ!!」
謎の男は夕立の頭に銃を向け、灰色達を脅した。フードを被っていて顔がよく見えない。しかし声はどこかで聞いた事のある声だった。次第に雨が振り、風が強くなる。フードで隠された顔が見えるようになった。
「お前は!?」
「ヒッ……!!」
駿河鎮守府の責任者、■■少尉だ。
鼠色のパーカーに紺のジーンズを着ている。確か■■少尉は大本営の留置所に囚われているはずだ。しかし何故かこの鎮守府にいる。更には銃まで所持していた。
「白露! 早く提督を──」「させるかァ!!」
提督に知らせようと白露が走ったその時、プシュッと掠れた音が鳴る。すると白露は突然転び、甲高い声を上げた。よく見れば白露の脹脛辺りに穴が出来ており、赤い血が流れ出ている。雨により出来た水溜まりが赤く染まった。
「消音筒か……!!」
「この銃弾は対艦娘用の徹甲弾が入っている……!! 例え艦娘だろうと命は無いぞ!!」
「ッ……!! 何が目的だ!!」
躊躇いもなく白露を撃った■■少尉。どこまで性根が腐っているのか、人間以下だ。今すぐ夕立を助けたい、時雨と白露も助けたい。自由に動けるのは自分だけ。
「そこの時雨を寄越せ!! さもなくばコイツを殺す!!」
「させる訳無いだろ!! 夕立を解放しろ!!」
「するか馬鹿共!! 早くしないと殺すぞアァ!?」
まさに一触即発。
ここにいるのは自分と時雨と白露、そして■■少尉と夕立。提督を呼び出せば■■少尉は何をするのか分からない。かといって自分が動けば時雨と白露、夕立が殺されるかもしれない。頭をフル活用し、今出来る事を精一杯考えた。どうしたら全員救えるか、■■少尉を殴り飛ばせるか。
だがどれもデメリットが多過ぎてまともに考え切れない。すると灰色の前に時雨が現れた。すかさず灰色は時雨の肩を触れ、歩みを止める。
「……灰さん。行かせて」
「駄目だ。もう二度とあの地獄に行かせる訳にはいかない」
「でも夕立が……」
「大丈夫、夕立も助ける」
勿論確証は無い。
それでもこの三人を救わなきゃいけない理由があった。例えそれが三人に対する償いだとしても、ただの自己満足だとしても。この困難に立ち向かわなくてはいけないと悟った。
「何でそこまで……?」
「……時雨。私、いや僕はね……多くの人を救えるヒーローになりたかったんだ」
小さい頃からひたすらに思い続けた。テレビで見た戦隊ヒーローや仮面ライダーを見ていつしか夢見る様になった。中学生でも、高校生でも、軍学校生でも、司令官候補生になっても。皆にその夢を隠して生きてきた。言えば馬鹿にされる事ぐらいは分かっている。所詮は子供の頃の陳腐な夢だと周りが言っていたように、自分もそんな風に考えていた。それでもその思いを断ち切れる事は出来なかった。
ならば振り返らずに目指してやろうと半分自暴自棄で海軍士官学校に入学した。必死に勉強し続け、東京大学を薦められるにまで頭が良くなるほど頑張った。ヒーローになる為ならどんな事でもしてやる。そう思い続け、いつしか自分も上に立つ者として敵と戦う事を待ち望んでいた。
「でもそんな事は出来なくて、ろくに艦娘一人も守れない。ヒーローにはなれない傍観者だった」
「ヒーローになりたかった!? おいおい笑わせるなよ!! お前みたいな権力も無い奴がヒーローだって!? いつまで小学生気分なんだバァァカァァァ!!」
だがどこかで自分に才能が無い事は気付いていた。学校では自分より成績のいい人間が何十人も存在し、前の学校ではトップクラスの成績がこの場では中位程度。如何にこの世界で生き残るのが難しいのかを思い知らされた。
時間が続く限り悩んでいた。自分はこんな事をしてていいのか、ヒーローになりたくて入ったんじゃないのか。自問自答し続け、部屋で一人蹲っていた。
提督に選ばれる者は雀の涙程度。元々の才能はゲーム開始直後のステータス、更に才能を身に付けた者が提督として迎えられる。自分が司令官候補生になれたのは、駿河鎮守府にいる先輩の推薦だ。元々才能が開花していた訳では無い。ただのヒーローを夢見るだけのお子様だ。そのズルした結果がこれだ、今はこうして死との窮地に立たされている。
自分に力は無い。
人を助けるような力は無い。
僕はヒーローが助ける場面を見る傍観者だ。
あの提督と出会ってそう思ってしまった。
「……でも、もう傍観者でいるのはやめたいんだ。多くの人は救えるほど僕に力は無い……だけど君達を救えるヒーローにはなれるはずなんだ……」
「なァに戯言ほざいてんだァ!!」
今度は時雨に銃口を向けて発砲。時雨を突き飛ばし、銃弾は灰色の右胸を貫いた。味わった事の無い痛みが灰色を襲う。初めて口から血を吐いた。右胸から迸るような熱さと痛みがじわじわと込み上げる。血が流れる右胸を手で抑え、灰色は■■少尉を睨んだ。雨はより一層強くなり、軍服が赤く滲む。革靴が泥に塗れ、口から吐き出る血が雨と一緒に降り注いだ。
「グッ!!」
「灰さん!!」
自分が傍観者だって事は自分が一番良く分かっている。
どうせ力が無いのなら、自身を滅ぼしてでも人を救う。
自分が今最大限出来る事をするまでだ。この三人を相討ちで命を呈して守れるのなら、救えるのなら。喜んで神に差し出してやる。
「……例えそれが自分が殺す運命だとしても!! 君達が望んでいない事だとしても!! 僕は!! 君達を救えるヒーローに!! なりたいんだ!!」
「「ッ……!」」
灰色の必死の叫びに時雨と白露、夕立は目に涙を浮かべた。初めて心の底からヒーローになりたいと声に発した灰色。血を吐きながらも自身を指さし、堂々と訴える。
「だからお前なんかに……! ここでくたばる訳にはいかないんだよ……!!」
「ッ!?」
銃撃を受けても尚、灰色はゆっくりと歩み寄る。血を地面に零しながら、精一杯の呼吸をしている。灰色の右胸は風が通れる程の半径ニセンチメートルの穴が空いていた。いくら人間といえど重傷では済まされない。それでも灰色は必死な目で■■少尉に訴えた。
「ヘラヘラしながら艦娘達の自由を奪うお前なんかに!! 負ける訳にはいかないんだよ!!!!」
「黙れ!! クソガキがァ!!」
装弾数八発の銃弾が灰色の頬を掠め、左腕の肉を削り、太腿を貫く。三発が灰色の身体に命中し、灰色はその場でうつ伏せになって倒れた。銃弾を撃ち尽くした■■少尉は息が荒れながらも銃を捨てる。
「ハァハァハァ……手こずらせやがって……!! 来い!!」
「うっ……やめっ、うあぁ!!」
──嫌だ。
──またあんな地獄には会いたくない。
──初めて会うまで救いなんて要らなかったのに。
──初めて会うまで感情なんて芽生えなかったはずなのに。
──心が苦しい。とても悲しい。
──自分の人生に救いなんて絶対に無いと思っていた。
──無様に使用され、惨めに死ぬ。まともな死に方はしないと思っていた。
──仲間も死んだ。妹達も死んだ。
──僕もその後を追い掛ける為に死にたかった。
──でもそんな度胸は無かった。
──何故、皆は僕を置いて先に行ってしまうのか。
──いつも一人になって残された。
──艦の頃の過去も、艦娘の頃の過去も。
──周りが居ても孤独感は全く消えなかった。
──例え仲間でも、姉妹だろうと、大切な人だったとしても。
──どうせ僕は惨めに死ぬ。
──そう思い続けていたはずなのに、提督と灰さんと出会って考えてしまった。
──今まで必死に僕を救おうとしている。
──自身を犠牲にしてまで僕達を救おうとしている。
──こんな人がいるなんて夢にも思わなかった。
──だったら僕だって……!
「もう……逃げない!!」
「ッ!?」
髪を掴まれたまま引き摺られる時雨は■■少尉の足を両腕で抱く。片足を掴まれ、身動きが簡単に取れなくなった。夕立を抱えながらまず脱出する事は出来ないだろう。■■少尉は泥に這い蹲る時雨を何回も蹴り飛ばす。頭や腕、背中や脇腹を泥まみれのスニーカーで蹴り続けた。
「クソッ……! お前!! 離せ!!」
「……離す……もんか……!!」
「離せクソガキがァァ!!」
壊れたくない。壊されたくない。もう壊れない。今まで不幸で凄惨な人生でも、僕の周りには救ってくれる人がいる。
もう嫌だったんだ。
自分を苦しめる事なんて。
何も変わらない事ぐらい分かってた。
ただ逃げてたんだ。
でも……逃げてたから──生きたかったんだ。
「絶対に……──」「あぁそうだ……!! 絶対に離さない!!」
「ッ!?」
死んでいたと思っていた灰色が泥に這い蹲りながら■■少尉のもう片足を掴む。白く清らかな軍服は血と泥濘によって汚れ、右胸の風穴に泥が触れた。迸る激痛に耐えながら、灰色は決意を固める。
「絶対に……救うんだ……!! 死ぬ訳には……いかないんだァァァ!!」
「足を!? うわッ!?」
灰色は■■少尉の足を掴みながら立ち上がる。足を掬われた■■少尉は泥濘の地面に叩きつけられながらも、抱えた夕立をやめない。立ち上がった灰色は左手で■■少尉の首を掴み、それと同時に右腕を後方へ引く。
「その手をォォォ……!!」
■■少尉の首を持ち上げ、血に塗れた濁る声で灰色は叫んだ。
「離せェェェェェエエエェェ!!!!」
灰色の右拳が■■少尉の顔面に直撃。地面に再度叩きつけられた■■少尉は白目を向いて、抱えた夕立の腕の拘束を解いた。
「灰さん……!」
いつの間にか雨が止んでいた。鼠色の雲から次第に太陽の光が差し込み、灰色達を照らす。灰色は殴った姿勢のまま、その場に佇んでいた。そして二人の名前を叫ぶ。
「時雨! 夕立! 白露!」
「「っ!?」」
「君達は! 僕が……絶対に!! 守るッ!!」
光に照らされた灰色は苦しそうにしながらも訴えた。これ以上艦娘達のような悲しむ者が増えない様に。艦娘達を救えるヒーローになる為に。
「もう悲しい思いなんて流させやしない!! 君達は……自由なんだァァァ!!」
鼠色の空からまるで水溜まりのような空が現れた。そこに太陽の光が満遍なく差し込み、灰色達を、荒くれ鎮守府を照らす。灰色の言葉に時雨達は目に溜めた涙を流した。
時雨達にとって初めてな事ばかりだった。初めて嬉しくて泣いた事、初めて救ってくれた人がいた事。抑えていた感情が一気に爆発し、盛大に咽び泣く。そして時雨は立ち尽くす灰色に答えた。
「うん……!!」
その言葉を聞いて灰色は笑顔を見せ、事切れる。しかしそこに摩耶が現れ、倒れ込む灰色を抱えた。そして提督や艦娘達が現れ、■■少尉を拘束している。灰色は重度の外傷で意識不明の重体だ。即刻に医務室で治療させる必要がある。灰色を抱えた摩耶は医務室に向かおうとした。その時提督はまだ意識がある灰色とすれ違いざまに伝える。
「よくやったな、ヒーロー」
そこで灰色の意識は完全に途切れた。