はるのん√はまちがいだらけである。   作:あおだるま

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その1

 いい加減、ラノベを読むのも飽きてきた。

 

 窓の外で散る桜を眺め、俺はセンチメンタルな気持ちに浸る。あの桜の最後の一片が散るとき、私の命も散るの。16年、楽しい人生だった。お父様お母様、先立つ親不孝をお許しください。……ニートよりまし?うるせえ殺すぞクソ親父。

 

 脳内で親父をタコ殴りにし、脚と手のギプスを眺めて俺はため息を吐く。このナリだとそんなこともできるわけがないが。

 

 高校入学初日の朝。俺こと比企谷八幡は、テンションが上がり過ぎて予定よりはるかに早く登校し、黒塗りの高級車に轢かれてしまう。犬をかばい全ての責任を負った俺に対し、車の主、暴力団が提示した条件は――などということは無く。

 散歩中に飼い主の手を離れた犬をかばい、普通に黒塗りの高級車に轢かれ、絶賛入院中だ。右手首捻挫、左足骨折で全治約一カ月。俺の灰色の高校生活が確定した瞬間である。……あ、三年間フルで登校した中学校でも友達いなかったね!六年間あったはずの小学校時代のことはもはや覚えてすらいない。マジで六年も何してたんだろうな。比企谷菌は小学生の秘技「バリアー」も貫通するという記憶(トラウマ)だけは覚えている。比企谷菌強すぎワロタ。

 

 と、こんなくだらないことを考えて一週間経った。存外、何もしない日々と言うのは辛い。家でニートごっこをするのは好きだが、それは自由があるからだ。ここでは食事も就寝時間も病院にコントロールされている。おかげですこぶる健康的にはなってはいるが、精神衛生上はもちろん良くない。深夜アニメも見れないし、ゲームのイベント時間には起きていないこともあるし、年頃の男の子として、色々発散することもできない。気が触れそうである。

 

 もちろん妹や親も来るには来るが、時は新年度が始まったばかりだ。そうそう来れるはずもない。妹、小町が届けてくれた見舞いの花も早くも萎びかけている。やべ、水やらないと小町に怒られる。怪我人が見舞い品の面倒をびくびくしながら見なきゃいけないの、おかしくない?

 

 事故になった車の運転手、その関係者もどうやら来ていたらしい。運転手はこちらが逆に申し訳なくなるほど、こんなクソガキにひたすら頭を下げた。雇い主の意向だろうが、本当に働くというのは大変である。

 その運転手の雇い主の女性は、直接俺の親の元に来て、半ば強引に過剰な見舞金を押し付けていったらしい。俺のところには来ていない。その姿に母親と小町は少なからず憤慨していた。しかし、父親がその見舞金から入院費を差っ引いたものを俺に無言で寄越したことで、俺個人としては思う所はない。

 

 そもそも犬が飛び出したことはあの状況では、百パーセント犬の占有者の女性の過失だ。運転手に非などありはしない。それを助けようと飛び出した俺のケガとて、本来運転手の責任の問われるところではないのだ。青信号の車の前に飛び出したのは俺だ。むしろ、高級車の修理費を求められるのではないかとビクビクしていたほどだ。

 

 俺は入学の時期が一カ月延び、その対価として金とニートタイムを得る。問題はそうして終わった。

 

 しかし先に言ったように、流石に俺以外誰もいない病室は退屈する。事故を起こした車の持ち主の意向で、俺は個室を用意されている。一カ月の個室の料金など俺には想像もできないが、安くはあるまい。それすら含めて俺の手元には高校生には似つかわしくない大金が残っているのだから、大したものである。人は人の上に人を作ったのではない。人の上に金を作ったのだ。諭吉さま万歳。

 

 人の世の世知辛さにため息を吐き、何度読んだかわからないラノベを開く。よくある学園ハーレムものだ。こんな学校生活どこにもないし、どこまでも偽物だ。俺は知っている。

しかし、つい手が伸びてしまうのはなぜだろう。俺の中にもいまだそんな空想への憧れがあるのだろうか。

 多分違う。よくあるからこそ、どこにでもあるお約束だからこそ、俺はそれを求めている。一カ月遅れで登校する俺に待つのは、いつもと同じぼっち生活だろう。それから逃げ、充実した高校生活を夢想することで、現実から逃避しているだけだ。

 だからラノベは大概が学園を舞台にしたものばかりなのだろう、と俺は愚考する。皆既に失ったそれに、もしくは今の自分の学園生活とは程遠いそれに逃避し、夢想しているだけなのだ。主人公に自分を置換し、悦に入っている。そう考えると一見煌びやかに見える学園ラブコメが、なんとも皮肉を帯びたものに見えてくる。

 

 思考を止め、俺は本を閉じる。駄目だ。狭い病室に気持ちの行き場も失い、煮詰まっている。こんな気持ちで読書をしても良いことなど一つもない。

 

 そしてふと、本から視線を上げた。夕焼けに満たされた病室。そこには。

 

 頬杖をついた黒髪の女性が座っていた。

 

 肩まで伸びた髪は陽の光を反射し、艶やかに輝く。白のロングスカートから覗く脚はしなやかで細い。白いシャツに黒いカーディガンを羽織っているが、その豊満な双丘はその上からでも十分に感じることができ、思わず目を逸らす。

 全体として大人しく、楚々とした印象を感じる服装。しかし、その深く暗い瞳と、柔らかく形を歪める唇だけがひどく蠱惑的で、アンバランスだった。率直に言ってしまえば、俺は見とれていたのだ。そう。

 

 気味が悪いほど、その人は美しかった。

 

「や。こんにちは。ケガの方はどう?全治一か月って聞いたけど。新年度で入学したばかりなのに大変だよね。お姉さんで良ければ相談に乗るから、何でも言ってね?」

 

 しかしその人から出てきた言葉は薄く、軽かった。機関銃のようにまくし立て、その豊かな胸を強調するように俺に前かがみになる。俺は彼女から目を逸らす。

 

 可愛くて、綺麗で、明るい。おまけに胸もでかい。男の理想のような女性だ。

 

 でも、目が笑っていない。本心が全く見えない。わからない。見とれてはいたが、本能が訴える。

 

 俺はこの人が、怖い。

 

「いえ、結構です。お気持ちありがとうございます。でも全部間に合ってるんで。お引き取りください」

「……え?」

 

 とっさに俺はそう口走る。短く拒絶されたその女性は呆けたように一言発し、押し黙る。しまった、露骨過ぎた。

 

 でも、俺のぼっちセンサーと親父に鍛えられた美人局センサーがビンビンに反応している。

 この人には、関わってはいけない。

 

「あのー、お姉さんそこまであからさまに拒絶されたことないんだけどな。傷ついちゃうよ?普通こんなかわいくて明るいお姉さんをそんな無碍にするかな……」

「口の端で笑ってるの隠しきれてないですけど」

 

 俺が指摘すると、彼女はばっと口を押さえてまじまじと俺を見る。

 

「ふーん。わかるんだ、君」

「多分、誰でもわかると思います」

 

 その顔を見て、わざとらしく見開かれる目を見て、やはり俺は思った。この人は、気持ち悪い。

 今のは驚くフリ、素を見破られたと焦るフリ、だろうか。多分、演じることが日常になっているのだ。それくらい彼女のすべては自然で、不自然だった。

 

「じゃ、もう一つ。私が誰かわかる?」

「ここに入ってこれたってことは、事故を起こした車側の人でしょう。でももうその問題は解決しているので、あなたがここにいる必要はないですよ。重ねて、お引き取りを」

「あはは。まあそう邪険にしないでよ。でも、そうとは限らないんじゃない?君を見舞いに来た友達の付き添い、とかだってあるでしょう?」

「ありえませんね」

「なぜ?」

 

 答えは簡単だ。見た目は子供、頭脳は大人の少年に頼る必要すらない。

 

「俺には、一人も友達がいませんから」

「なるほど、論理的だ」

 

 彼女は俺の言葉に感心したように頷く。その笑みは先ほどよりも幾分柔らかく感じる。ぼっちがそんなに珍しいか?まあ見るからにリア充だし、そんなものなのかもしれない。ぼっち自虐もすかされては俺になすすべはない。畜生。彼女は質問を重ねる。

 

「して、君は何をもって友人を定義するのかな?」

「こいつになら騙されてもいいと思った奴、ですかね」

 

 また彼女は呆ける。しまった、ぼっち論議に火がついてしまった。ぼっちは友人の定義にはうるさい。なぜならば、友達がいないことを定義のせいにできるから。

 彼女は俺の返答にカラカラと笑う。

 

「なるほど、それじゃ友達なんかできっこないや」

「ほっといてください」

 

 何が面白いのか彼女はひとしきり笑うと、俺の方に向き直り、気安く笑う。

 

「で、どう?私は君のお眼鏡にかなわないかな?」

「……なんの?」

「わかってるでしょう。友達の、だよ」

 

 彼女の暗く深い瞳を極力見ないようにし、俺は横を向く。

 

「騙されたことすら気づかなさそうなんで、無理です。僭越ながらお断りします。知らぬ間にあなたの保証人にはなりたくない」

「あちゃー、フラれちゃったか。でも君も大概歪んでるね、うん」

 

 彼女は俺の言葉に傷ついた様子もなく、言ってのける。

 

「その臆病でなにも寄せ付けない感じ。猫みたいで可愛いね」

 

 その笑みを見て、また背筋が寒くなる。

 

 俺の勘はやはり当たるのだ。主に悪い方面においてのみ。

 

「ま、そう怯えないで。お姉さんの暇つぶしに付き合ってよ。どうせ君も暇なんでしょう?」

「読まなきゃいけないラノベがあります」

「さっき一ページ開いただけで閉じたじゃん」

 

 そこまで見ていたのか。俺が苦々し気な表情を作ると、彼女はひらひらと手を振る。

 

「別にいいでしょ、お話くらいさ。私、華の大学一年生だから。とにかく暇なの」

「大学生とは、社会の癌である」

「誰の言葉?」

「駅前の酔っ払い大学生を見たときの俺の感想です」

「あはは。あながち、ってか全く間違ってないね、それ。うん。素直な子は好きだよ」

 

 よいしょ。彼女は掛け声を一つ、椅子に深く座りなおす。しまった。今のでここにいることを容認してしまったような空気を作られた。どれもこれも大学生が悪い。

 

 夕焼けの病室に、スリリングな会話劇が始まった。

 

「君、この春から総武なんでしょう?」

「ええ、そうです。今はこのざまですが」

「あはは、災難な高校生活のスタートだね」

「別に。どうせ十全なスタートなんて俺に切れるはずがないことは、分かってます」

「だから運転手も同乗者も犬の飼い主も、恨まない?」

「金は十分貰ってるし、自由な時間も貰ってる。そもそも運転手の過失ですらない。これ以上求めるものなんてないですよ」

「ふーん、そっか。じゃあ」

 

 彼女は窓の外でうるさく鳴くカラスを疎むように見て、言う。

 

「その車に乗ってた子が、今、君の通う学校で楽しく学校生活を営んでたとして。君の所に見舞いにすら来なくても、なんとも思わない?君は、それでもそう思える?」

「……少しくどいですよ。さっき言ったように問題は終わってるし、来られても話すことがない。それに」

 

 いい加減、俺は腹が立っていた。いや。腹が立ったふりをしてまで、早くこの人から、この得体の知れない『生き物』から遠ざかりたかったのかもしれない。

 

「ケガしてる身です。疲れてるし、しんどい。いまさら関係者に見舞いに来られる方が、百倍迷惑です」

 

 だからつい、言ってしまった。自分で言っておいて、俺は彼女を見ることができない。

 

 こんな時に女がとる行動は二つ。愛想笑いで誤魔化して退出してから友達に愚痴るか、直接俺にキレて部屋から出ていくか。さて、彼女はどっちだろう。恐らく前者ではあるだろうが。

 

 だが、俺はまだこの人を甘く見ていたのだ。

 

 彼女はまたその大きな瞳をこぼれんばかりに見開き。

 

 そして。

 

「ぷ」

 

 ぷ?

 

「く、くくっ……あーはっはっは!」

 

 大口をあけ、ただ笑った。

 

 その笑みは、さっきまでの蠱惑的で、綺麗で完璧なそれとは程遠い。

 

「君、ほんとバカだね!最初からそうだけど、こんなかわいいお姉さんが来てくれてるってのにそんなこと言うかな、普通」

 

 あっはっは。いっひっひ。下品に笑い机をバンバンと叩きながら、彼女は目じりに涙すら浮かばせる。その姿に、思わず肩の力が抜けた。

 

「あいにく普通じゃないんですよ。あなたと同じで」

「言うね。……そっだね。普通なんてつまらないもの」

 

 彼女はまだ笑いながら、問う。

 

「君、名前は?」

「表の札見ませんでした?比企谷ですよ」

「違う違う、それは知ってるよ。下の名前だよ、下の」

 

 一瞬逡巡し、観念する。彼女が当事者の関係者なら、どうせそんなものすぐにわかる。

 

「比企谷、八幡」

「八幡?変わった名前だね。由来は?」

「……8月8日生まれだから」 

「ぷ……き、君らしいね」

「ほっといてください」

 

 肩をプルプルと震わせる彼女からプイと顔を逸らし、口をとがらせる。大体、名前なんてそんなもんでいいのだ。三月に生まれたからやよい。五月に生まれたからさつき。八月に生まれたからはづき。

 

「名前に大層な意味を持たされても、子供にとっては重荷にしかならないでしょう。記号でいいんですよ、そんなもん。しがらみの多い世の中、そんなものに縛られてる暇なんてない」

「へぇ。やっぱり面白いね、君」

 

 彼女はその黒髪をかき上げる。それもまた演技臭く、どこまでも俺を掌で転がしていると思っているのだろう、この人は。そう思うとまた腹が立った。

 

 意趣返しではないが、俺は問い返す。

 

「そう言うあなたは?」

「私?ハルノ。雪ノ下ハルノ」

「春に生まれたから、春乃ですか?」

「違う違う、お日様の方だよ。私7月7日生まれなの。太陽の陽で、陽乃」

「あんたも大概そのままじゃねえか」

「あはは、そうだね。でも」

 

 雪ノ下陽乃は俺の目をまっすぐにのぞき込む。

 

 その瞳は深く、暗く、どこまでも見通されているような、観察されているような。俺は底まで人の目を深く見る人間に、会ったことがなかった。

 

 やはり、この人は怖い。俺は直感的にそう思った。

 

 彼女はそんな俺を一瞥しクスリと笑い、くしゃくしゃと頭を撫でる。

 

「とびっきり明るいお姉さんに、ピッタリの名前でしょう!」

 

 ぶるり。もはや桜も散るほど暖かいのに、思わず身震いする。

 

「あはははは。そーですね」

 

 俺の空笑いと共に、桜が一片散る。

 

 それが何よりも気味の悪い雪ノ下陽乃と、俺の出会いだった。

 


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