はるのん√はまちがいだらけである。   作:あおだるま

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その10

「まっず、なにこれ」

 

 遠慮なく感想を漏らした陽乃さんは、悪びれることなく続ける。

 

「あ、聞こえちゃった?」

「あ……え、えっと……あ、あはは……そんなにダメでしたかね……」

 

 あまりのことに、由比ヶ浜は口をまごまごとするだけだ。わかっている。由比ヶ浜結衣は、こう言われてしまえば。明確に悪意を向けられれば、それを笑顔で誤魔化すしかない。彼女も俺も、そんなことは分かっていたはずだ。

 それを分かっていて尚、雪ノ下陽乃は言ったのだ。

 

「いやー、ごめんごめん。私ここまでまずいクッキー食べたことなくてさ、ついね。なにこれ、なんかしょっぱいんだけど?もしかして砂糖と間違えて塩入れちゃいましたー、とか、漫画によくあるそういうオチじゃないよね?」

「え、えっと、そんなことは――」

 

 机の上に置かれた調味料を確認する彼女の顔が、耳まで朱色に染まる。陽乃さんはあざ笑うように続ける。

 

「それってさー、ガハマちゃん。料理とかそれ以前の問題じゃないのかなぁ。だってそうでしょう?大切に思ってる人に手作りのクッキー贈ろうとする人間が、本当にそんなミスするのかな」

 

 伝わる結果ってね、大事だよ。ガハマちゃん。過程なんかより、よっぽど。雪ノ下陽乃はそう続け、また、由比ヶ浜結衣の瞳を覗きこむ。

 

「本当にその人は、君にとって大切なのかなぁ?」

 

 やり過ぎだ。反射的に腰を浮かしかけた俺を、鋭い声音が止める。

 

「姉さん、貴女にはそんなことは関係ないでしょう。貴女に、そんなことを言う資格はないでしょう」

 

 雪ノ下雪乃は次のクッキー作りの準備を進めながら、陽乃さんを見ずに言う。

 

「ええ、そう。貴女は私の姉ではあるけど、部員ではない。そこの男も同じよ。部長は私で、依頼人は彼女、由比ヶ浜さんだけ」

 

 雪ノ下は汚れた調理場を布巾で拭い、今度は怜悧なその瞳を姉に向ける。

 

「あまり余計なことを言わないでもらえるかしら」

 

 来なさい、由比ヶ浜さん。続きをやりましょう。そう続ける雪ノ下に、戸惑いながらも由比ヶ浜は続く。雪ノ下は何もなかったかのように調理指導をはじめ、由比ヶ浜は先ほどのことを気にする余裕もなくそれに没頭する。

 

 俺はちびりとマッ缶で唇を濡らし、彼女たちをぼーっと見る。気づけば、雪ノ下陽乃は俺の横でつまらなそうに座っていた。その目はチラリと俺に向けられる。それは、俺に何かしろという合図に他ならない。

 はぁ。出かけるため息を押し殺し、俺は口を開く。

 

「俺にどうしろと」

 

 して、彼女の。雪ノ下陽乃の今回の望みは、企みはどこにあるのだろう。

 

「笑って」

「は?」

 

 間髪入れず返ってくる答えに、返す言葉はない。彼女はクスリと口元だけを綻ばせる。

 

「命令よ。他ならぬ君が、ガハマちゃんに向かって笑うの。そして美味しいと言う。それでこの依頼は解決で、由比ヶ浜ちゃんの『お願い』は叶う」

 

 文字通り、根本からね。彼女のその目に偽りはない。彼女は何時でも、何処でも。嘘だけはつかない。それは俺自身がよく知っている。

 だが、納得できない。

 

「それはどういうままごとですか。これまで散々付き合ってきて今更だが……あんたの『遊び』は、たまに趣味が悪すぎる」

 

 そう。それは所詮ままごとだ。作った彼女たち自身が失敗というなら、雪ノ下陽乃がまずいと言うなら、それは確かにまずいのだろう。それをうまいということに何の意味があるのだろう。

 

 俺の問いに、珍しく雪ノ下陽乃は答える。

 

「男の子にはわからないよ。土遊びとか鬼ごっことか、そんな事に命を賭していた高尚な人間には、多分どれだけ説明してもわからない」

 

 由比ヶ浜を拒絶し、嘲笑った雪ノ下陽乃は、誰よりも慈しむように彼女を見る。

 

「ままごとに人生を賭けられる、女の子の気持ちなんて。多分君には一生」

 

 ああ、わからない。反射的にそんな言葉を返しそうになる。そんな目を俺は知らない。そんな風に故意に、わざとらしく。他人を傷つけようとする彼女を、俺は知らない。同情する彼女を、俺は知らない。

 

 雪ノ下陽乃は今度はその同情の視線を俺に向ける。

 

「雪乃ちゃんに見惚れて、その手を取ってもいい。ガハマちゃんの普通さに付き合って、君自身が素晴らしき普通になってもいいでしょう。どっちも、私といるよりは幸せだよ、きっと」

 

 でもね。隣にいた彼女は、いつの間にか対面に座っていた。雪ノ下陽乃は机越しに鼻が触れ合うほどに俺の目をのぞき込む。

 

「ままごと抜きは、私だけにしときなさい」

 

 初めて重ねられた仮面の下を、覗き見た気がした。

 

 その諦めたような笑み、伏せられる視線、軽く吐かれたため息は、俺の知る彼女のものではない。なぜだろう。俺は直感する。ままごとこそ彼女とは、雪ノ下陽乃とは最も遠いものに思える。彼女はそんな欺瞞を許さない。許すわけがない。

 

 ならばなぜ、そんな悟り、諦めきったような顔をするのだろう。ままごとを蔑む彼女は、それにだれよりも憧れている。そう俺は思うのだ。矛盾する想いの中で、悟った面をしてやがる、この魔王は。

 でも、なぜ。俺にはわからない。ああ、全くわからない。思えば俺はこの人のことなど、何も知らない。一年一緒に居たが、それだけだ。わからない振りを頑なに続けてきたのだ、知ることなど何一つなくて当然だ。

 

 それでも俺はやはり、これしかできない。これしか知らない。だから。悟ったような雪ノ下陽乃の面を眺め、思う。

 

 この女の命令も言葉も考えも、今の俺には知ったことではない。

 

 知らない振りしか、俺にできることは無い。

 

「このクッキーは、駄作だ」

 

 気づけば口は勝手に開いていた。手は動き、その黒い、出来損ないのクッキーを口にしていた。今更雪ノ下陽乃の顔も、由比ヶ浜の顔もみることができない。

 

「口当たりは悪いし、焼き過ぎだ。どう考えても苦すぎる。ガンで死んだらお前を恨むとしよう。砂糖と塩をまちがったのは本当だな、塩味が絶妙に気持ち悪い。形は歪んだ台形で、色はサンマのはらわた。視覚からも食欲を削いでくる。クッキーってのはバターの匂いだけで十分いい香りだと思うんだが、微妙に鼻につく匂いがするのはなぜだ?余計なもん入れてるな、これは」

「あ、あはは、そうだよね。……今更あたしなんかに、上手くいくわけなんてなかったんだ、お菓子作りなんて――捨てるから、これ」

 

 ガタン。何かが落ちる音がした。見れば雪ノ下よりも、由比ヶ浜よりも、あの雪ノ下陽乃が。さっきこのクッキーをボロクソに言った人間が、射殺さんばかりにこちらを見ている。拳は固く握られ、それは今すぐにでも俺に向けられても不思議ではない。

 

 でも、俺はそれを見て思う。ざまあみろ。知ったこっちゃあねえんだよ、そんなのは。

 

 由比ヶ浜は顔を伏せ、早足に裏の調理準備室へと歩を進める。呆けていた雪ノ下はようやく現実に帰ってきたのか、何よりも冷たい目で俺を見る。

 

 そうだ、これが正しい。俺はその二つの視線を前に、実感する。これこそが俺の正しい立ち位置で、嫌われ者にふさわしい末路だ。

 

 俺はこのクッキーを不味いと思った。想いを伝えたいなら、その伝え方も重要だと思った。雪ノ下陽乃の言う通り、結果は大事だ。多くの人間は、目に見える結果で物事を判断する。まずいクッキーよりうまいクッキーの方が、嬉しかろう。単純にして明快な真実だ。

 

「だが、失敗作じゃない」

 

 続いた言葉も、確かに俺の本心だった。

 

「……え?」

 

 ピタリと由比ヶ浜の脚が止まる。俺は嘘は言っていない。彼女の隣に、雪ノ下陽乃の隣にいるのは、嘘を吐かなくていいから。それを曲げるくらいなら、逸脱するくらいなら。俺はここにいる意味はない。

 

 だからあれもこれも、嘘であろうはずがない。俺は由比ヶ浜に言葉を、本心をぶつける。

 

「拙さから心は伝わった。苦手なもんを懸命に作ってまで、想いを伝えたい相手がいる。苦手な分野で勝負してまで、得たい心がある。伝えたい何かがある。普通、そこまで自分をさらけ出せるもんじゃない。――正直に言えば」

 

 嘘ではないが、少し迷う。彼女のクッキーのまずさは折り紙付きだ。漫画的でなく、リアルな不味さ。それを味わって俺は嫌悪感だけではなく、確かに心地よさを感じた。

 それは彼女の整った顔に起因するものかもしれない。男好きする体に勝手に誘惑されただけかもしれない。少し足らないだろう頭の回転を見下して、悦に入っているだけかもしれない。

 それでも、そのような不純な過程をたどってでも。確かに俺が感じたことで、たどり着いた答えだ。

 

「このクッキーを貰う人間が、これを作ったお前が、羨ましいまである。だからこれは、駄作だが失敗作じゃない」

 

 だからこの言葉に、嘘はない。

 

「そのまんま渡せばいい。それで拒否されるようなら、引かれるようなら、捨てられるようなら。それまでの相手だったって話だろ。そん時は笑って見捨てちまえばいい」

 

 誰かの代わりなんて、いくらでもいる。

 

 流石にここまでひたむきに努力する彼女に、そうは続けられなかった。由比ヶ浜は俺を見ず、背を向けたまま、震える声で問う。

 

「ヒ、ヒッキーでもそう思うの?……これを捨てずに食べて、受け止めてくれるの?」

 

彼女の問いに、笑顔で応える。最初から答えは決まっていた。

 

「俺なら二秒でダストシュートだ。単純にクソまずい」

 

 今度こそ調理部室に白けた空気が流れ、大気が震える。

 

 そしてそれは、爆発した。

 

「サイッテーー!!!!ヒッキーマジキモイ!!!死ね!!女の敵!」

 

 まあこれは、全面的に俺が悪い。

 

 

 

 

 

 

「私は笑えって言ったはずだったんだけどねぇ」

 

 由比ヶ浜の依頼が終わり、帰り道。呑気に桜に手をかざしながら歩く陽乃さんの横で、自転車を押す。あの後は結局なんだかんだで由比ヶ浜から出来損ないのクッキーを残飯処理として押し付けられ、俺の鞄の中にはいくつかの劇物が入ったままとなっている。今ならば職質で危険物所持云々みたいな理由で捕まっても文句は言えまい。言えないのかよ。これ、ただのクッキーだよ。

 

 ため息交じりに陽乃さんの声に、俺はそっぽを向く。

 

「ぼっちなんで愛想笑いとか苦手なんですよ。ひきつってもいいならやりましたが」

「ああ、比企谷君のよく見る気持ち悪いあれ?私には絶対やらないでね。鳥肌立ちそうになるから」

「ひどい」

 

 まじで傷ついた、本気で傷ついた。だから愛想笑いは嫌いなのだ。鏡で見ても、本気で気持ち悪いから。鏡の前で愛想笑いの練習してること自体キモいですか、そうですか。

 

 口を尖らせる彼女に、俺も文句がある。俺は目障りな小石を蹴飛ばす。

 

「大体、役が逆じゃないですか。『悪い警官』の役は、本来俺がやるもんでしょう。わざと嫌われようなんざ、あんたの手段じゃない」

「あ、やっぱり気づいてたんじゃない、君も」

 

『良い警官と悪い警官』ヤクザから警察まで、随分と使い古された手だ。一方が悪役を担い、片方の見せかけの善を殊更大きく見せる。大きく見せた善は対象を油断させ、目的遂行を容易にする。

 

「ま、普通ならそうかもね。でもこの場合は、彼女の場合は。他ならない君しか『良い警官』にはなれないの。わかる?」

「全然」

 

 まったく、わからない。理解に苦しむ。嫌われ者は俺の役だろう。それこそ小学校から高校に至るまで、比企谷菌の名は伊達ではない。涙は花粉のせい、悲しくなんてない。

 

「はぁ、まーたそうやってわからない振りをする。挙句の果てにどっちも『悪い警官』になってどうするのさ、全く」

「不味いものを美味いと言えるような人間なら、今頃山ほど友達出来てますよ」

「口だけは減らないんだから、本当に」

 

 彼女は軽く俺の額にデコピンをかまし、少し前を歩く。彼女の顔は、散る桜に囲まれるその顔は、一体どのような表情を形作っているのだろう。

 

 それもまた、俺にはわからないことだ。

 

「一つ、聞いていいですか?」

「ん?なに?」

 

 先を行く陽乃さんはくるりと俺の方へと振り返る。その顔に浮かぶは、いつもの余裕の笑み。しかし今日は余裕のない彼女を、随分と見た気がする。

 

「なんであんなことしたんですか?」

 

 それを知りたいと、なぜか思った。一年一緒に居て、なぜか初めて、そう思った。

 

「聞いたらいつでも答えが返ってくると思ってるのは、甘ったれというものだよ。学生気分というものだよ。比企谷君」

「あんたも俺も学生なんだよなぁ……」

 

 いつものように、俺からの質問ははぐらかされる。その何よりも、誰よりも美しい笑みに躱される。

 

「そういえば、君が私の命令に正面から背いたこと、初めてだったね」

「あー、そうでしたっけ」

 

 彼女は質問への回答を忘れたように言い、俺もまたそれに応える。こうなったらいくら聞いてもどうせ答えは返ってこない。ため息を吐く俺を彼女は笑い、妖しく俺の耳元でささやく。

 

「罰として、今週末デートだから」

 

 一日中、ね。

 

 その危うさに、妖しさに、艶やかさに。思わず肩が震える。しかし、彼女との付き合いも一年だ。俺はそれを気取られぬよう、何とか言葉を紡いだ。

 

「光栄です、魔王様」

 

 頭を殴られる音とともに、どこかで間抜けなカラスが鳴いた。

 

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