はるのん√はまちがいだらけである。   作:あおだるま

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その12

「はー。君にも友達とかいたんだねぇ」

 

 材木座の依頼の帰り。結局彼の依頼は奉仕部で正式に受理され、一週間後に彼の小説への感想を持ち寄ることになった。陽乃さんは材木座の小説のコピーを片手に、感心したように頷く。

 

「俺には友人という概念が存在しないような言い方やめてもらっていいですか……ついでに材木座は友人でもない」

「そう?でも彼は君を頼って奉仕部に来たように見えたけど」

「体育の時に余りもん同士組まされた程度の縁ですよ――あんたのような人間にはわからないでしょうが、ぼっちってのは他のぼっちを見つけると、途端に安心するもんです」

「……ぼっちってめんどくさいね」

「ほっとけ」

 

 勘違いする人間がたまにいるが、ぼっちが怖いのは一人でいることではない。真に恐れるのは集団の中で、自分だけが独りでいることだ。だから『自分と同じで集団の中で独りの人間』を見つけると安心する。それだけの話だ。

 スマホも音楽プレイヤーもある現代、一人でも時間はいくらでも埋まる。だが、他者の視線や自意識だけはどうにもならない。現に飲食店や大学の食堂のいくつかでは、一人用の仕切り席を設けている所もざらにある。

 絶対的な一人は問題にはならないが、集団との相対的な独りは問題になる。それがぼっちだ。かく言う俺もまだ他者の目が気になり、昼食時にはベストプレイスに逃げている。真に孤独を愛するぼっちへの道は、まだまだ遠いのである……一生遠いままでいいな、その道。

 

 と、そんな我々の心境を、この人に理解して欲しいとは思わない。陰キャが陽キャに求めることはただ一つ、不干渉だ。やっているゲームとか聴いている音楽を陽キャに弄られるのはきつい。いや、本当にきつい。

 

 そんな俺の心境を知ってか知らずか、彼女はそうそう、とあからさまに話を変える。

 

「で、結局君たちは材木座君の依頼を受けるんだね」

「まあ部長が決めたことですし。特に断る理由もなかったからじゃないですか」

「断る理由がない、か」

 

 彼女の言葉が少し詰まり、眉が下がる。

 

「少なくとも私は雪乃ちゃんがこの依頼を受ける意味がないと思うけどね。ガハマちゃんとか君だけのほうがまだ適性がある」

 

 その言葉を、思惑を。俺はなんとなく予感していた。

 

「……理由はあるんでしょうね。あんたのことですし」

「まあね。例えばほら――こないだテニス部のなんとかって子からの依頼、あったって言ってたでしょう?」

「ああ、戸塚ですね。はい」

 

 先日の戸塚のテニスの技量向上の依頼を思い出す。陽乃さんは珍しくいなかったが、あれもなかなかハードな案件だった。彼女は事の顛末を聞き、自分がいなかったことに随分悔しがっていたものだ……断じてそんなに面白いものではなかったが。

 勿論俺がラブコメよろしく女子二人の更衣室に闖入したことは、死ぬ気で秘匿している。由比ヶ浜と雪ノ下に土下座までして口止めしてある。ばれたら死ぬ。その確信が俺の軽い頭を必死に下げさせたのである……いやマジで。

 

「そうそう。戸塚君だ、戸塚君。女の子並みにかわいい男の子、だったっけ?私もみたかっ――」「――女子より可愛いです」

「……へ?」

 

 陽乃さんはポカンと口を開け、珍しく間抜け顔をさらす。

 

「え?お、男の子なんだよね?」

「違います」

「……え、えっと、やっぱり本当は女の子?なのかな?」

「戸塚は戸塚です。女子より、何より可愛い存在です。あんたも会ってみればその曲がった性根が浄化されると思いますよ。こないだなんか俺が一人で飯食ってたら、後ろから冷たいジュースの缶首に当ててきて、『えへへ。ひっかかった』って笑うんですよ。その時の笑顔と来たら、他に例えるものがないような――」

「――ごめん、私が悪かった。戸塚君がいかに可愛いかは分かったから。だからその気色悪いにやけ面やめてもらっていいかな。じりじり近寄ってくるのやめてもらえるかな。ほんと、わかったから」

 

 ここにきて陽乃さんと俺の距離が過去一番に広がった。物理的にも、精神的にも。やったぜ、今度からこの人がうざくなったらこの手でいこう。

 道路の端に寄った彼女は咳ばらいをいくつか、パンと手を叩く。

 

「え、えーっと……そう!比企谷くんがクラスのリア充二人相手にテニスで立ち向かい、雪乃ちゃんの足を引っ張りまくったあれね。お姉さんもその無様な姿見たかったなぁ」

「ひでえ言われようだなおい――まあ実際は、足を引っ張ることすらできなかったんですけどね。俺が例えかかしでも、あいつ一人で勝ってましたよ……体力さえあれば」

「あはは、違いない!あの子の弱点はなんといっても体力の無さだからね。もうお姉さんも心配になっちゃうくらい」

 

 それでも。彼女はどこか遠くを見て続ける。

 

「それでもサッカー部のエースと元テニス部を、ほぼ未経験者の雪乃ちゃんが圧倒する。できちゃうの、あの子にはそういうことが」

 

 陽乃さんはタタタと俺の前に小走りで駆け寄り、そのロングスカートをくるりと翻す。

 

「何でもできる雪乃ちゃんは出来ない人間の気持ちも葛藤も、わかりようがない。だからこういう依頼を受ける意味がない。わかるかな?」

 

 彼女の言いたいことは、頭では理解できる気がした。雪ノ下雪乃は普通ではない。尋常ではない。雪ノ下との付き合いが短い俺でも、それを肌で感じていた。

 

 しかし、それをあんたが言うか。

 

「……そんなのあんたも大して変わらないんじゃないですか?」

「ん?どゆこと?」

「できない人間の気持ちなんてわからないでしょう。あんたも」

 

 そう。彼女こそ、その気持ちはわかるはずがない。俺はそれを確信していた――いや、確信してきた、この一年で。

 雪ノ下陽乃に付き合って一年。雪ノ下陽乃には凡そできないことは無い。俺は知っている。勉学でもスポーツでも人間関係でも、彼女は最高のレベルでこなす。

 

「私は誰よりもわかるよ、できない側の気持ち」

 

 しかし彼女の口から出てきたのは短い否定だった。彼女は形だけの笑みを浮かべ、言ってのけた。

 

「だって雪ノ下陽乃は、つまらないほど凡人だもの」

 

 俺は今、自分がどんな顔をしているかわからなかった。彼女は何をして凡人を定義するのか。誰を凡人と称すのか。

 

 だから俺はいつものように、動揺を誤魔化すように。口の端を持ち上げるしかなかった。

 

「――スポーツ万能容姿端麗コミュ力お化けのクソリア充が何言ってんですか。あんたそろそろ刺されますよ、全国のボッチから。主に俺を筆頭とした」

「だからリア充に親でも殺されたの?君は」

 

 彼女は呆れたように嘆息を吐き、肩までの黒髪をかき上げる。チリリン、と後ろから自転車のベルが鳴り、自然と彼女は俺に体を寄せる。

 

「……君との付き合いも一年か。君の私への決定的な誤解はそこにあると、お姉さんは思うな」

「誤解、ですか」

「うん」

 

 そもそも俺も彼女も、互いのことは大して知らないとは思う。一年付き合ってはきたが、会う場所は決まっていた。互いの家にも行ったことが無い。家族にもほとんど会ったことは無い。

 何より、互いに踏み込むことは無かった。物理的にだけではなく、心理的に。だから一年間続いた。多分彼女もそんなことは承知だろう。俺も承知の上だ。

 

 だが。俺は首を振る。彼女のその自己評価は、流石に認めかねる――凡人。彼女はそんなものとは全然、遥かに、最も遠い。

 

 しかし彼女は、そんな俺の内心をあくまで否定するように、自己を評価する。

 

「正しい労力、濃密な時間、莫大なお金。私の『天才性』には純然とした理由があって、再現性がある。だから私は天才には程遠い。どこまでだって凡人なの」

 

 わかる?すぐ横の彼女は俺の顔をのぞき込み、諭すように言い聞かせる。

 

「これは傲慢と取られて一向にかまわないけどね、比企谷君。世間一般の言う努力なんて、私に言わせれば的外れの徒労でしかない。凡庸なはずの雪ノ下陽乃に具わる『天才性』が、その傍証になるでしょう?――性質は違えど、誰だって私程度にはなれる、本当は」

「……あんたは俺から見れば、十分恵まれている」

 

 思わず漏れ出る抵抗に、彼女うんー?と間延びした声で答える。

 

「それは例えば、どんな面の話かなぁ?」

「……まあ、運動神経、記憶力、容姿とかのあらゆるパラメーターで、ですかね。性格以外の」

「比企谷君、ぶっ飛ばされたいならそう言いなさい?」

「ごめんなさい」

 

 茶化すしかない俺に、彼女は大きく嘆息した。

 

「私が思うに、君は天才と才能程度のものをごっちゃにしてるんだ、多分」

 

 天才と才能。口の中で言葉の響きを転がしてみるが、やはり少し納得いかない。陽乃さんは今度は俺ではなく、前を見て呟くように続ける。

 

「背の高さ、手足の長さ、動体視力、瞬発力、脳の処理能力、記憶力、音感、親の経済力や家柄――ある程度先天的に人に付随するアドバンテージは、全部才能だよ。そういう観点から見れば、なるほど私には才能がある」

 

 そう、彼女には紛れもなく才能がある。そんな無数のアドバンテージが要素となって彼女を天才足らしめている。俺はそう思ってきた。

 

「でも天才にはそんな些末な要素は必要ない」

 

 能力にはその人望、能力、容姿に見合った才能が存在する。雪ノ下陽乃はそれを否定しない。

 しかし彼女は言う。天才は――いや、違う。俺はそれは確信できた。彼女が見ているのは、引き合いに出しているのは、妹だけだ。雪ノ下雪乃の天才性は、雪ノ下陽乃の持つあらゆる才能すら歯牙にかけない。

 

 その諦観を帯びた瞳に、ため息に、俺は軽い返事を返すことができない。

 

 なぜなら俺はそんな風に諦めた雪ノ下陽乃に、憤りを感じていたから。

 

 雪ノ下陽乃以上の何かなど、やはり俺が納得できない。認められない。

 

「――やっぱり誤解してるよ、君は」

 

 陽乃さんは駄々をこねる子供をあやすように柔らかく、慈しむように微笑んだ。

 

「納得できないなら、少し具体的な話をしようか。例えば――雪乃ちゃんが長続きしたスポーツ、武道、芸術は一つもない。なんでかわかる?」

 

 その理由は、戸塚のテニス部の依頼で雪ノ下自身から聞いたところだった。俺が彼女の近くにいて予感したことだった。

 だが、答えたくない。やはり諦めたように笑う彼女に、俺は瞬間的にそう思った。

 

 幸いなことに、陽乃さんは俺の返答すら気にせずに続けた。

 

「半年とかからずにコーチを超えちゃうから。あの子に教え、あの出鱈目さにあてられた何人かは、その道から足を洗いもした。

これはね、比企谷君。こんなことは才能程度のものがいくらあっても、ありえないんだよ。だって――ある分野で秀でた才能が他の分野では足を引っ張ることなんて、普通にあるから」

 

 分野によっては、高身長が前提になることがある。身長が低くなくてはならないことがある。癖のある自我が武器になることがあれば、強すぎる協調性が弱点になることもある。

 しかし何に対しても最高のパフォーマンスを発揮できる人間には、そのようなあらゆる前提が通用しない。彼女はそう言いたいのだろう。理解はできる、理屈としては。

 

 だが。

 

「だけど」

 

 皮肉にも、俺と彼女の否定が重なった。

 

「だけどね、雪乃ちゃんは違う。極端に体躯に恵まれているわけでも、強靭な精神を持っているわけでもない。端的に言ってしまえば――あの子にはあまねく分野において、秀でた才能なんて無い。

でも文字通り、雪乃ちゃんは『何でもできる』 才能なんて要素は、一個の天才の前では些末な事柄に過ぎない。自分の能力を証明するための言い訳に過ぎない――全く、馬鹿げてるよ。嘘みたいな理不尽が、理由のない天才が、この世には確かに存在する」

 

 私はそれを知っている。そう続ける彼女の横顔は、わざとらしいほどに穏やかだった。既に幾度も諦めたように、敵意も戦意も嫉妬も読み取れない。

 

「その反面、器はぐらぐらで脆い。挫折をしたことがないから、精神が育たない。精神が育たないから、その天才性を正しく使えない。他者の痛みも弱さも挫折も、今一つあの子には実感が湧かない。寄り添えないし、味方を作れない。そもそもあの子にはそんなもの必要ない――天才過ぎることが雪乃ちゃんにとっての一番の不幸だと、私は思うな」

 

 もともと俺に理解を求めていないのか、彼女は暮れかける空だけを見上げて零した。俺は俺で、彼女のその言葉に妙に納得し、心の内で反芻する。

 

 妹を前にした雪ノ下陽乃は、奉仕部室での彼女は。どう考えてもおかしかった。いつでも厚い仮面を被り周囲を手玉に取る雪ノ下陽乃の、不自然な妹への執着、確執、愛情。俺といた一年では決して見せることのなかった、なんといえばいいのだろうか。そう――雪ノ下陽乃の、らしからぬ人間臭さ。

 

 つかえていた違和感が、すとんと胸に落ちた気がした。

 




都合上、材木座と戸塚のお話が時系列的に前後し、テニス部案件は回想です。戸塚推しの皆ごめんね。こんな長くなるなら戸塚の方で書けばよかった......

あと2話

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