はるのん√はまちがいだらけである。   作:あおだるま

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ごめんなさい、ガハマさん誕生日の話は3本立てになります。18まで続きます。


その17

「おはよう、比企谷君」

 

 放課後の部室前、あくび交じりの挨拶をする陽乃さんとかち合う。俺は赤く染まりかけた窓を見て、会釈で挨拶を返す。

 

「おはようって言っても、もう日は暮れてますが」

「今日オフだったからねぇ。昨日帰ってから銭形平次一気見してたら、昼前になってたよ。やっぱり北大路欣也は最高だね!」

「仮にも華の女子大生が時代劇で徹夜するなよ……」

「女児向けアニメで金曜に徹夜して、日曜に早起きする人間には言われる筋合いなくない?」

 

 やべ、反論できねえ。俺はあからさまに話を逸らす。

 

「徹夜で寝ぼけてプレゼント忘れた、とかないですよね」

「この通りばっちぐーだよ。君こそ大丈夫?」

「この通り」

「よろしい。じゃ、行こうか」

 

 片手にもった包みを見せ合って、彼女は奉仕部の扉を開く。そこに座るのはいつも通り本を読む、雪ノ下雪乃。

 

「こんにちは」

「はろはろー、雪乃ちゃん」

「うす」

 

 各々に挨拶を済ませ、席に着く。やはり由比ヶ浜の席は今日も空いている。

 陽乃さんは肩にかけていたショルダーバッグと手にもった包みを机に置く。

 

「雪乃ちゃんはプレゼント何にしたの?」

「……どうせすぐにわかるわ」

「ま、それもそっか」

 

 随分と淡白な会話だった。いつもであればもう少し陽乃さんがしつこくし、雪ノ下が嫌な顔をするのだが。雪ノ下の声は固く、陽乃さんは机に肘をついて窓の外を眺める。俺もいつも通り単行本に目を落とす。

 

 コンコンコン。

 

 俺たちが来て1時間ほど経った時、来訪者は現れる。静かだった奉仕部室に一瞬の緊張が走った。

 

「……どうぞ」

 

 雪ノ下が重々しくノックの音に応じる。しかし来訪者は中々その扉を開けようとしない。

 彼女は恐る恐る、という表現が似合う動作でドアを開き、声を震わせる。

 

「こ、こんにちは……」

 

 来訪者は由比ヶ浜結衣だった。彼女には3日前から雪ノ下がアポを取っていた。

 

 どことなく居場所がなさそうに、由比ヶ浜の視線が右往左往する。泳ぐ視線は俺と陽乃さんの間に止まり、地に落ちた。

 

「やあやあようこそガハマちゃん。お姉さんは歓迎するよ」

 

 殊更明るい声が部室に響く。しかしその文句はいつかどこかで聞いた気がした。材木座を迎えた時にも彼女はこんなことを言っていた気がする。

 しかしその言葉の裏の棘は隠しきれるものではない。むしろ隠す気がないのだろうか。由比ヶ浜の頭は更に地面に垂れ、視線は落ちる。雪ノ下が苦い顔で口を挟んだ。

 

「姉さんはここの部員じゃないでしょう。部員は、彼女よ」

「まだ部員、ね」

「――っ!姉さん、あなたは」

 

 今度は由比ヶ浜を見るでもなく、陽乃さんはいってのける。歯がみすらしそうな勢いで雪ノ下は噛みつく。

 

 しかしその反論は宙を彷徨い、消え入る。そう。今日はそんなことを雪ノ下陽乃と話すために、由比ヶ浜をここに呼んだわけではない。

 

「由比ヶ浜さん、その……」

 

 陽乃さんから由比ヶ浜に向き合った瞬間、先ほどまでの雪ノ下の勢いは消える。入ってきたときの由比ヶ浜と同じだ。視線は部室の中を泳ぎまわり、声が震える。

 

「お、お誕生日おめでとう」

「……へ?」

 

 部活に来ないことを話されると思っていたのだろう。当然の祝いの言葉に、由比ヶ浜は目を丸くする。

 

「由比ヶ浜さん、6月18日が誕生日でしょう。今日は貴方の誕生日を祝いたくて呼んだのよ」

「そ、そんなわざわざよかったのに!」

「由比ヶ浜さん最近部活に来てなかったし、慰労も兼ねて」

「……うん。そのことなんだけどね、ゆきのん」

 

 由比ヶ浜は深く息を吸い、俺たちを見まわす。

 

「辞めようかと思って、奉仕部」

「……理由を、聞いてもいいかしら」

「それは……ちょっと説明が難しいね」

 

 雪ノ下は、縋るような目で由比ヶ浜に問いかける。由比ヶ浜はその視線から目を逸らし、また俯いてしまう。

 

 俺から見ても彼女たちの関係は、控えめに言って良好だった。周囲に壁ばかり築いていた雪ノ下の懐に由比ヶ浜は自然に潜り込んだし、また由比ヶ浜は強く、美しい雪ノ下を尊敬していた。ように俺には見えた。

 だから俺も些か驚いていたのだ。まさか由比ヶ浜結衣から今日そんな言葉を聞くとは、思ってもいなかった。

 

 俺も何も言うことができない。由比ヶ浜は沈黙が降りた奉仕部の空気に困ったように笑い、頬をかく。地面に向けていた視線を雪ノ下に戻し、部室を見渡す。最後に俺と陽乃さんを見る。

 

「あたしにはどうしようもないっていうか、かなわないことだから」

 

 由比ヶ浜結衣は何かを諦めるように、空虚に笑った。

 

「違うでしょ、由比ヶ浜ちゃん」

 

 口を挟んだのは誰だったか。俺の横から声は聞こえた気がする。その声にいつもの軽薄さは欠片もない。

 それは時々俺に。俺だけに向けられる声だった。

 

 陽乃さんは立ち上がって由比ヶ浜を見据える。

 

「君がここから逃げるのは別にいい。嫌なことから逃げるのなんて、生物として正常だ。何の恥でもない。でも嘘はやめようよ」

「……嘘なんて、ついてないです」

「嘘だらけだよ、君は最初から」

 

 か細い声で由比ヶ浜は反論する。しかし陽乃さんにそれは届かない。冷える声に今度は笑みだけを貼り付ける。

 

「君が逃げるのを私と比企谷君のせいにするのは、やめてね。私、君の学校生活に責任なんて持ちたくないから」

「そんなこと――」「あるね」

 

 わかるよ、由比ヶ浜ちゃん。

 

 そう。彼女はいつでも一番見たくないものを突き付ける。

 

「罪悪感を見ないふりするのも、いい加減限界だ」

「……陽乃さんは、あたしの何を知ってるんですか」

「お姉さんは何でも知ってるよ。君の可愛い犬のことも、毎日使ってるリードのことも、黒い車のことも」

 

 歪む唇を見て、空気が薄くなった気がした。

 

「手足を折ったバカな男の子のことも」

 

 由比ヶ浜の質問は続かない。陽乃さんは今度こそいつもの笑みを取り戻し、由比ヶ浜の肩を軽く叩く。ビクリと由比ヶ浜の体が震えた。

 

「ちょっとだけガハマちゃんよりお姉さんの私から、アドバイス。立つ鳥跡を濁さずっていうけれどね。いなくなるにしても、心残りは無くしておいたほうがいいよ。嘘は君の心を守ってくれるかもしれないけど、いつだって負い目を生む」

 

 だから陽乃さんは嘘を吐かないのだろうか。俺は呑気にそんな事を考えていた。

 

「比企谷君の顔を見る度に負い目を感じる高校生活なんて、嫌でしょう?」

「……ヒッキーも、もしかして知ってるの?」

 

 由比ヶ浜は陽乃さんの問いには答えず、俺に問いかける。はぁ。ため息の一つも吐きたくなる。俺はここで、雪ノ下陽乃の前で嘘は吐かないと決めている。

 

「……まあ、な。でも初めて知ったのはついこの間――川崎弟の依頼があった時だ。小町から聞いた」

「そっか」

 

 少し前に川崎沙希という女生徒に関する依頼を受けた。依頼主は小町の級友であり、奉仕部の二人は小町と顔を合わせている。

 由比ヶ浜が犬の飼い主として見舞いの品を持ってきたことも、当然に知っている。

 

 でも、その話は。

 

「あ、あたしがサブレのリードを離したせいで、ヒッキーは――」「その話は、もう終わったことだ」

 

 由比ヶ浜に声を被せる。

 

「すべて終わったことで、済んだことだ。お前は菓子折り持ってうちまで来たと、小町に聞いた。まあ俺には想像しかできんが、かなりの勇気と踏ん切りがいることだっただろう。俺にとってもお前にとっても、それで十分だ」

「でも、それでも……」

「そもそも俺が勝手に道路に飛び出して、勝手に轢かれただけなんだよ。謝られる筋合いはねえし、俺もそれを必要としてない」

 

 はい、終了。

 

 少しおどけて言ってみるが、効果はなかったようだ。由比ヶ浜の表情に変化はない。まいったな、本当に謝られる謂れはないんだが。

 

 そもそもの要因である女に視線を寄越すと、彼女は肩をすくめる。

 

「甘やかしちゃ意味ないんだって。的外れ。まったくもって的外れだよ、比企谷君。君が必要としていなくても、ガハマちゃんは謝罪を必要としているの――いや、違うか?」

 

 彼我の距離が縮まる。陽乃さんは試すような上目遣いで、俺の目を覗きこむ。

 

「もしかして君、謝られたくないの? 一年経って、今更謝られても納得できない? 謝って楽になることなんて、許したくない?」

 

 随分狭量だねぇ。

 

 乾いた笑いが教室に響く。俺もそれに合わせて精々、不敵に笑う。

 

「かも、しれませんねぇ」

 

 言葉とは裏腹に、一瞬で耳が熱くなるのを感じた。

 

 そんな意地が、黒い気持ちが本当になかったか。いや、あっただろう。あるに違いない。むしろあって当然なのだ。俺は品行方正でも、聖人君子でもない。むしろ自堕落で、傲慢で、愚かで、どうしようもない人間だ。

 そんな汚い全てを隠して、さも懐が深いかのように振る舞い、あまつさえ謝罪すら許さない。

 

 ああ、これを狭量と言わずしてなんというのだろう。

 

「ごめ、ん、なさい」

 

 しかし、それでも。由比ヶ浜結衣は頭を下げた。未だに笑うことしかできない俺に、彼女は頭を下げた。

 

「ヒッキー、ごめんなさい」

「……なにをだ」

 

 俺の声に、由比ヶ浜の体が震える。些か冷たく、固い声だったかもしれない。自分でも驚いた。

 由比ヶ浜は震えながらも頭を上げる。その瞳一杯の雫は夕陽を反射し、しかし零れることは無い。真っ白の歯が唇を覆い、口の端から血が滲んでいた。

 

 綺麗だと思った。

 

「あたしの不注意で、ヒッキーに怪我させちゃったこと。それに今まで怖くて謝れなかったこと。ほんとうに、ごめんなさい」

「怖かったってのは、何が」

「……ヒッキーに軽蔑されるのが怖かった。今まで、1年以上謝れなかった、あたしの弱いところを知られるのが怖かった。言わなきゃ言わなきゃって思ってたけど――事故と、ヒッキーと、弱い自分と向き合うのが、怖かったの」

 

 もう一度深々と、由比ヶ浜結衣は頭を下げる。

 

「だから、本当に、ごめんなさい」

 

 教室の床に、黒い染みが一つ落ちた。

 

 由比ヶ浜は頭を上げなかった。いつまでも、いつまでも。恐らく俺がいいと言うまでは。

 

 そんな彼女に、ずるい、と思う気持ちはある。許されるまで謝る。なんとも卑怯で狡猾な手だ。

 

 でも彼女はそれを含めて、俺に頭を下げた。許したくないと言った俺に、それでも頭を下げた。涙を必死で食い止めた。

 

 多分そこには、考えて考えきれない、気持ちがある。

 

 自然とため息が出る。何度か頭を掻き、またため息。

 

「……はぁ、いいよ。許した。だから顔上げろ。そりゃ病院生活は退屈だったし、1年生の初めは周りからおいてかれた気分で若干きつかった。でもな」

「うん」

「車道に飛び出したのも俺の勝手だし、運転手にも避けようがなかった――リードをちゃんと握っとかなかったお前の過失は、確かにある。でも慰謝料も病院費もお前の謝罪も、貰うもんはきっちり貰った。貰いすぎな程な」

「う……うん」

 

 過失、と言うところで由比ヶ浜の表情が曇る。そりゃ、事実は事実だ。

 

「だからお前の気がすんだなら、謝罪はもういい。……ただ、まあ。勝手に俺が飛び出して偶々お前の犬が助かっただけなら、礼の一つくらいは貰ってもいいとは思うが」

 

 今度こそ、上手く笑えただろうか。いや、恐らく思いっきり引き攣っていたに違いない。由比ヶ浜の引いたような苦笑いを見る限り。

 ――ちくしょう。格好くらいつけさせろ。

 

「……そだね。サブレのこと助けてくれて、ありがとう。ヒッキー」

「どういたしまして」

 

 今度はその頭は下がらない。由比ヶ浜結衣は俺の目を見て、綺麗にほほ笑んだ。

 

 




次のその18は、プレゼント回最終回。且つ書くのが一番楽しかった回です。正直書いてる時のことあんまり覚えてないんですけど。どうしよう、やっぱりさっさと上げようかな。

一万字くらい一気に読ませろや☆って感じだったら、今日中に上げるかもです。

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