はるのん√はまちがいだらけである。   作:あおだるま

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その5

 パチパチパチパチ。

 

 俺と雪ノ下陽乃だけの病室に、乾いた拍手が響く。

 

「お見事ね。その様子だと適当に誤魔化すのは無理かな、もう」

「お褒めにあずかり光栄です。まあ、そうですね」

 

 彼女に悪びれる様子は全くない。貼り付けたような笑みのまま口を開く。

 

「面白い。君は本当に面白いよ、比企谷君。あ、こういう時は儀礼的に、お決まりの台詞から入ったほうがいいかな?」

 

 コホン。彼女はわざとらしく咳ばらいを一つ。

 

「いつから気づいてた?」

「最初からだよ、ワトソン君」

「えっ、ウソやろ!?せやかて工藤!」

 

 彼女は椅子に乱雑に腰掛け、長い足を投げ出す。俺が想定していたのはホームズではあるが、『平成の』ホームズじゃないんだよなぁ……。

 

 理由は複合的なものだ。到底、一言では言えない。似非関西弁を無視し、俺は口の端だけ持ち上げて誤魔化す。

 

「こんなぼっちの所に綺麗な女性が来て毎日居つくわけがない――と、言いたいところですが」

「違うの?」

「ええ、まあ」

 

 違う。俺は始まりから思い出す。それも要素の一つではあるが、本質とは程遠い。スタート地点は、そう。

 一目見たときの、あの気味の悪い完璧さだった。

 

「こう見えて、俺はあなたを信用してるんですよ」

「はい?」

 

 呆ける彼女に、俺は続ける。小さな疑問の種は、その完璧さへの信頼だった。

 

「だってどう考えてもおかしいでしょう。あなたは……いえ」

 

 その呼び方は、もう相応しくないか。咳払いとともに訂正する。

 

「あんたは」

 

 雪ノ下陽乃という人間は。

 

「あんたは、全ての物事に理由をつける。『確からしい』理由をつける。そうじゃなければ人が動かないことを、あんたは知っているから」

 

 人が動くことには必ず理由があり、人を動かすことに慣れた彼女は、他者への動機づけを怠らない。

 

「でも結局、あんたは俺にここに来る理由を説明しなかった。どう考えても不自然なのに、ただ煙に巻いた。それはなぜか」

 

 完璧な彼女が動機づけをしなかった。答えは簡単だ。

 

「恋には理由がない方が美しいし、運命的だから」

 

 女性が理由もなく自分に関わろうとすれば、男は勝手に勘違いする。彼女は俺のそれを操ろうとした。

 

「雪ノ下陽乃が三週間をかけて為そうとしたのは、俺を惚れさせること。しかしそれは手段ではあって、目的ではない。目的はその先にある」

 

 問題はここからだ。彼女は俺の話に、うんうんと首を振る。その余裕の笑みは、崩れない。

 

「その根拠は?」

「あんたは嘘を極力吐かないようにしている。嘘はいつかバレると、嘘を吐く労力とリターンが見合ってないと知っているから。俺を真実のみで騙そうとした。

あんたは事故の関係者だということも、金を持ってきたのは自分の母親だということも偽らなかった。

そしてあんたはいつか言った。『付き合いなんて毎日してたら、退屈過ぎて死ぬ』と」

「そんなこと言ったっけ、私」

「はい」

 

 あー、やだやだ、と彼女は首を振る。

 

「細かい男は嫌われるよ」

「小町以外なら全人類に嫌われてもいい所存です」

「その気持ち悪いシスコンっぷりは、正直引くけどね」

 

 彼女は椅子を引き、あからさまに俺と距離を取る。ちょっとは嘘を吐いてほしい

 

「雪ノ下陽乃は退屈を疎んでも、それを放棄する人間じゃない。人脈作りを放棄してまで、色恋に時間を費やす人間じゃない。

あんたは毎日暇つぶしと言っていろんな話をした。その中には、大学の友人との話も多かった。付き合いを疎かにしてはいない証左でしょう」

 

 彼女はまあね、と軽く口の端を歪める。

 

「もっと言えば、雪ノ下陽乃はその見た目ほど奔放でもなければ、怖いもの知らずでもない。人脈作りを多少犠牲にしてまで、俺のところに来るだけの理由があって然るべきだ」

「そしてそれは恋愛感情によるものではない、か」

 

 なぜ?彼女は目で問いかける。その余裕の笑みに、俺も口の端を持ち上げる。

 

「親御さん、県議会議員で建設会社の社長さんなんですってね」

 

 ピクリ。初めて彼女の笑みが凍る。

 

「いい時代になりました。今やスマホでちょいちょい、ってなもんです。ま、最初はうちの親父に聞いて、ネットで軽く調べた程度ですけど。

親に聞きましたよ。あのお金置いていった綺麗な人は、その議員の奥方らしいですね。そして、その人はあんたの母親だ。

あんたには実家と言う枷がある。奔放にも無責任にもなれない枷が。地元での人脈作りも、将来のために必要不可欠なものでしょう。こんな所で油を売ってる暇はない」

「なるほどね。でも少し弱いかな。だからこそ私が何も考えてない、ちゃらんぽらんの放蕩娘だとは思わない?金持ちの親に反抗して、こんなとこで高校生に熱を上げた馬鹿な女だって」

「思いません」

「どうして?」

 

 その理由はもう言った。

 

「だから最初に言ったんです。俺はあんたを信用してる。

それを判断するために三週間、あんたを見た。あんたは頭もいいし、容姿もいい。俺みたいなクソガキと話していても、上から目線の嫌味を一切感じさせない器量もある。不用意な嘘が愚かであると知っている。嘘を吐かず人を騙す度量がある。とてもじゃないが、馬鹿には見えない。それに――」

「それに?」

 

 いや。俺は言いかけ、口をつぐむ。

 

 それを言うには、少し早い。わざとらしく彼女に一礼する。

 

「で、どうですか。一連の俺の推理は、ワトソン君」

「いや工藤。やっぱり今のは推理やのうて妄想やろ!証拠も何もあらへんやんけ」

「妄想であることは否定しませんが、似非関西弁は関西圏の読者がウザがるのでやめてください」

「うん、私も言ってて自分でうざかったから、やめるね」

 

 ふぅ。彼女はマッ缶に口をつけ、ゆっくりと息を吐く。

 

「そうだね、そもそも証拠なんて必要ないか。そこまで言うってことは、ここで証拠がないって私が開き直っても、君は納得しないでしょ」

「しませんね」

「うーん、困ったなぁ」

 

 彼女は何らかの理由から、俺を懐柔しようとした。本来俺に不信感を持たれた時点で、半分敗北しているようなものだ。

 

「とりあえず要件を言ってくださいよ。三週間も時間を取る必要があった、その要件を。懐柔して、俺にやらせたいことがあるんじゃないですか」

「えへへー、気になるぅ?」

「そうやっていちいち『上』を取ろうとしないでください。別に俺は聞かずに面会拒絶したっていいんです」

「ぶー。可愛くないなぁ、ほんと」

 

 彼女はわざとらしく口を膨らませ、大きく息を吐く。

 

「ふー、そうだね。負けたのは私だし、こっちから頼むか。ほんとは君に『頼ませる』予定だったんだけど」

「なんです」

 

 雪ノ下陽乃は椅子から立ち上がり、後ろ手に手を組む。そして、いつものように飛び切りの笑顔で言う。

 

「君、私の彼氏になる気はない?」

 

 頬がひきつるのを感じた。

 

 やはり、雪ノ下陽乃はよくわからない。この人が俺に惚れているということは絶対にない。それを今証明したはずだ。

 ならば、なぜ。

 

「えーっと、この期に及んでまだ俺を篭絡できる気ですか?」

「篭絡?違うよ、言ったでしょ。これはもうお願いで、交渉だよ」

 

 彼女はクルリと、空中で指揮棒を振るように、人差し指を躍らせる。

 

「私が『もういい』と言うまで、私の恋人になってほしいの。期限は短くても一年。長ければ四年。報酬は私との時間。未経験者歓迎。みんな仲良くアットホームな職場です、ってね」

 

 そのふてぶてしい言動は、とても人にモノを頼む態度ではない。彼女は人の上に立つことに根っから慣れてる。だが不思議と腹は立たない。

 

 答えは決まっていたから。

 

「わかりました」

「はい?」

 

 彼女の軽い言葉を吐く口が止まる。

 

「だから、わかったと言ったんです。その依頼、受けます」

「え、ええ!?理由とか訊かないわけ!?」

 

 彼女はあたふたと距離を縮め、俺に問い詰める。

 

「訊きません。あんたは真実を言わないことはあるが、嘘を吐かない。この期に及んでそれだけが虚言なんてことはないでしょう」

「いや、こんなくだらない嘘吐く意味ないし、そんな趣味もないけど――でも、なんで?」

 

 今度は俺が返答に詰まる。それを言葉にすることは、非常に難しい。

 

 黙り込む俺に、雪ノ下陽乃も何も言わない。俺を手玉に取る彼女も、俺の気持ちは理解できていないのだろう。彼女はただ俺の言葉を待った。

 静寂が包む病室に、時計の音だけが無機質に響く。もう時間も遅い。外からは一切の物音も聞こえない。

 秒針がちょうど一周したところで、言葉は見つかった。

 

「この三週間。毎日あんたと色んなことを話しました。くだらないことからどうでもいいことまで」

「それじゃ全部どうでもいいことでしょ……」

 

 実際どうでもいいことしか話していない。退屈ではなかったが。

 

「あんたと話して、あんたを観察した。どう見ても胡散臭かったし、何を考えてるか全くわからなかった。見た目通りの完璧な女性なんかじゃないことは知ってたけど」

「一言二言多い。女の子には優しくしなさい」

 

 ポカリ。頭に軽くゲンコツを落とされる。女の子ってガラじゃねえだろ。そう言ったら今度こそ本気のゲンコツが飛んできそうなので、もちろん心の声に止める。

 

「年上ぶっててうざいし、所作の一つ一つが嘘くさいし、そのすべてが許され――そして、それらを自覚している。底が見えない。覗こうとしてもわからない」

「覗くって。比企谷君のえっち」

 

 んもう。彼女は両腕で自らの体を抱き、頬を染める。ほら、そういうとこだ、そういう。

 

 でも。

 

「そういうあんたの隣にいるのは、楽だったんです。理由を挙げるなら、そんなとこです」

 

 彼女からの返答はない。俺はその顔を見ず、問いを問いで返す。

 

「ところで気になりませんか、雪ノ下さん。俺は最初からあんたを怪しんでいた。最初の二、三日は様子見でしたが、それ以降はあんたと会わない方法なんていくらでもあった。でも、俺はそれをしなかった」

「うん。だからこそ私は、今日いけると思ったんだけどね。少なくとも君が私に好意を感じていることは間違いないって思ってた。……あーあ、私の目もとんだ節穴だね」

「そうでもないんですよ」

 

 その勘は、決して間違っちゃいない。方向が違うだけで。きょとんと目を丸くする彼女に、続ける。

 

「初めて俺と話したこと、覚えてますか?『友人の定義』ってやつです」

「うん、覚えてるよ」

「まあ要するに」

 

 本当は初めてその笑みを、佇まいを、昏い瞳を見たときから、薄々気づいていた。嘘を吐かず、適当なおためごかしもせず、正面から俺を手玉に取る。騙されていると彼女の口から聞いた時ですら、思ってしまった。

 

 俺はこんなにバカだっただろうか。

 

「あんたにだったら、騙されてもいい。三週間でそう思ってしまった俺の負けです」

 

 人生で初めてのその感情は、理屈ではなかった。彼女は瞠目し、俺の目を見る。

 

「でも、やられっぱなしってのも癪でしょう?せめてそのムカつく鼻を明かしてから『騙されてやろう』と思いました」

 

 この人とは対等でありたいと思った。多分、恋愛でも友情でもない。

 

 ただこの人の隣なら、嘘を吐かなくていい。

 

「彼氏、でしたっけ?俺につとまるとは到底思えませんが、あんたがそう頼みたいなら引き受けましょう」

「バカねぇ。比企谷君」

 

 黙って俺の話を聞いていた彼女は、ため息を吐き、額を押さえる。

 

「あのね、君、自分から進んで騙されるの?」

「そうです」

「理由も訊かずに?」

「訊く必要性を感じてないですから。俺の動機にあんたは関係ありません」

「でも、短い間じゃないよ。君は女の子と向こう4年間付き合えないかもしれない」

「いりません。友人より先に彼女作っちゃったら、その後の人生生きにくいでしょ」

「……わかってるようだけど、私に君への恋愛感情は無いよ?一ミリも」

「恋愛なんていう相手に依存する、あやふやな関係はこっちから願い下げです」

 

 彼女は問い、俺は答える。雪ノ下陽乃は俺の答えに瞠目し、困ったように頬をかき、また深く、深くため息を吐く。

 

 しかし結局前を向き、腰に手を当て、その豊満な胸を張る。

 

 その姿は、俺よりはるかに大きく映った。 

 

「合格――ううん、期待以上だよ、比企谷君。君を私の彼氏にして『あげる』」

「違います。騙されて『あげる』んですよ、俺が」

 

 この人相手に引けば、一瞬で飲み込まれるだろう。彼女にとってその返答は及第点だったらしい。満足げにうなずき、親指を立てる。

 

「おーけー。これからよろしくね、ダーリン」

「乗った。よろしくお願いします、ハニー」

 

 パチン。肩まで上げられた彼女の手を、軽く叩く。それで契約は完了した気がした。彼女は、笑っていた。多分俺も笑っていたのだと思う。

 

 腹を探り合った3週間に、偽物の恋愛関係。とても綺麗とは言い難い。しかし、なぜだろうか。

 

 偽物だらけのそれを、何よりもほんとうだと感じていた。

 


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