「あ、あれ?ヒッキー!?なんでこんなとこにいるの!?」
なに、誰こいつ。
突然の闖入者に、俺は言葉を失う。こんな今時のjk(笑)感丸出しの女と俺に、交流などあるはずもない。いえまあ、なんなら女子全般と関わりがないんですけどね、ええ。ちなみに魔王は女子に入らない。そんな可愛いものであるはずがない。
しかし雪ノ下はそうではなかったのか、目を細めて彼女に呼びかける。
「由比ヶ浜結衣さん、ね」
「あたしのこと知ってるんだ!」
「え、ええ。名前くらいは、だけど」
ズイ、と顔を寄せる由比ヶ浜に、雪ノ下は椅子を引く。リア充は基本的に距離が近い。なんなんだろうな、あいつらのパーソナルスペースの狭さは。それに比べて俺などは、パーソナルスペースの確保に余念がない。東京ドーム換算できるくらいには広い。はぁ。
「あたしもあなたのこと知ってるよ。国際教養科の、雪ノ下さん」
「まあ、そうでしょうね。私は有名だから」
「いや自分で言うのかよ」
あまりに不遜な言葉につい口を挟むと、雪ノ下は口の端を持ち上げる。
「あら、ただの事実よ。それとも『あなたと違って』と付けた方が良かったかしら、吐き谷君?」
「枕詞がいらな過ぎる上に、人の名前にどんだけ不名誉な字当ててくれてんだよ……」
「失礼。『淀んだ下卑た目で女子の胸元を視姦するあなたと違って』、私有名だから。引く谷君」
「被害妄想膨らませて勝手に引くな、おい。人聞きが悪いにもほどがある」
お前の慎まし過ぎる胸元など誰も見ていないし、由比ヶ浜のものも見ていない。ちなみに結構でかい。いや、だから見てはいないけどね?
俺と雪ノ下のやり取りに、由比ヶ浜は目を丸くする。いや、俺もびっくりだよ。なんで初対面の人間にここまで言われてんだよ、俺は。まあどう見ても陽乃さんと仲が良いとは見えなかったから、『彼氏』である俺への嫌がらせだろうが。性格わるっ。
「そ、それで雪ノ下さん、この綺麗な人は……」
由比ヶ浜は楽し気に一連のやりとりを眺めていた陽乃さんに視線を移し、雪ノ下にこっそりと問う。まあなんか怖いからね、この人。
「ああ、これは――」
「由比ヶ浜結衣ちゃん、ね」
雪ノ下の紹介を、陽乃さんが遮る。その目は余すことなく由比ヶ浜を捉え、値踏みするように無遠慮に彼女に向けられる。
その視線は、会った時の雪ノ下陽乃のそれだった。あの病室で、どこまでも俺を見透かすような瞳。彼女は、由比ヶ浜結衣の何かを推し量ろうとしている。
何かまでは、俺にはわからない。
陽乃さんの視線に、由比ヶ浜は居心地が悪そうに髪を弄る。あ、あの……という短い抗議はすぐに陽乃さんの深い瞳に飲み込まれる。
何秒ほどそのままでいたのだろう。俺も空気に耐えがたくなってきた時、底抜けに明るい声が響く。
「どーもどーも!雪乃ちゃんのお姉さんやらせてもらってます、雪ノ下陽乃でーす。気軽に下の名前で陽乃って呼んでね、ガハマちゃん!」
「ガ、ガハマ?……そっかー、雪ノ下さんのお姉さんだったんだ。うん、そう言われてみれば似てますね」
突然の豹変に面食らう由比ヶ浜は、それでも何とか言葉を紡ぐ。さすがリア充、コミュ力が高い。陽乃さんは雪ノ下に身を寄せ、由比ヶ浜に向けて親指を立てる。
「そりゃあもう、仲良し美人姉妹だからね、いえーい」
「だからあんたも自分で言うのかよ……」
やはり姉妹だった。自信過剰の似たもの同士だった。最悪の姉妹だった。
「そ、それで、ヒッキーは……」
だからヒッキーって何だよ。由比ヶ浜は何かを確認するように、怖がるように。恐る恐る俺に視線を向ける。いや、別に取って食ったりしないから。正しい意味でもヒッキーだから。精神的に引きこもり君だから。誰が引きこもり谷君だ。
「いや、俺はここの部員ってことらしいから」
「そ、そうなんだ」
へ、へ~。由比ヶ浜は大仰に相槌を打ち、何度か頷く。その様子を見て、陽乃さんが問う。
「ガハマちゃんは比企谷君のこと知ってるらしいけど、クラスメイトとか?」
「あ、はいっ、そうです」
え。
「え、そうなの?」
疑問を思わず口に出していた。誰こいつとか思っちゃったよ俺、てへ。
「は、はぁ!?ヒッキークラスメイトの顔も覚えてないわけ?」
「だから誰だよヒッキーって……。お前もクラスメイトの名前も覚えてねえだろ」
「そ、そんなの知ってるし!フツー覚えてるでしょ、フツー!あれでしょ、……比企谷、は……はちっ……はちま……」
なぜか由比ヶ浜は頬を朱に染め、もじもじと指を弄り、下を向く。蚊の鳴くような呟きが漏れる。
「……ハッチ―でしょ」
いやもっと誰だよそれ。
文句も出ない俺、バンバンと机を叩いて爆笑する陽乃さん、そんな俺たちを見てため息を吐く雪ノ下。教室に混沌が満ちてきた。俺のsan値も爆上がり中で、大分ピンチだ。
「由比ヶ浜さん、それのことはいいから、要件を言ってもらえるかしら。何か用があって来たのではないの?」
「あっ、うん。そうなんだけど――」
チラリ。由比ヶ浜は俺に目を向け、すぐに逸らす。ああ、そういうことか。
「比企谷君」
気づけば陽乃さんの顔が目の前にあった。
「お姉さん喉乾いちゃった。このお金で飲物でも買ってきて」
「ナチュラルに人をぱしらせるんじゃねえよ……。いつものでいいですか」
「うん、いつもの無糖ね。……わかってるような口してマッ缶買ってきたら、控えめにぶっ殺すからね☆」
目が、マジだった。いつも良かれと思って買ってきてあげてるのに……
「というか、姉さん。あなたもここの部員ではないのだけれど。部外者は出て行ってもらえるかしら」
「えー、雪乃ちゃんつめたーい。いいじゃんいいじゃん、女の子同士固い事言わずにさぁ、年上のお姉さんにも相談してみなって。ねぇ、ガハマちゃん?」
「え?あっ、は、はい!そうですね、出来れば陽乃さんもいてくれると嬉しいかなー、なんて……な、なんか仲いい感じだし……」
由比ヶ浜はまた俺を横目に、何かもにょもにょと呟く。なんのこっちゃ。
彼女の同意に雪ノ下は額を押さえ、しっしっと手だけで俺に外に出ることを促す。虫か俺は。むしがやくんか。あ、自分で言っちゃった。どちらかと言えば無視されるのは俺の方だしね、無視されがやくんだったね!
まあ、男がいては話しにくいこともあろう。俺はため息とともに席を立つ。
「はぁ、じゃあまあ、いってきます」
「比企谷君、私は紅茶でよろしく」
「ヒ、ヒッキー!あたしはオレンジジュースでいいから!」
あれれ、自分陽乃さんの分しかお金もらってないんですけど?あれ?
「クッキー作り、ねぇ」
場所は変わり、調理室。俺が必要以上にゆっくりと自販機に行っている間に話はまとまったらしい。三秒とじっとしていられない陽乃さんが、さっさと調理室の使用許可を取っていた。俺は部室に戻る直前、彼女にスマホで呼び出され、現在に至る。
陽乃さんは安っぽい丸椅子に腰かけ、缶コーヒーをあおる。
「そ。どうやらガハマちゃんがど―しても、手作りのクッキーを渡したい人がいるらしくてねぇ。でも料理もお菓子作りも苦手らしくて」
「そんなもん友人に頼ればいいのに。あのナリならいくらでもいるでしょう」
「うん、私と雪乃ちゃんも同じこと言ったんだけどね、どうやらそのお友達連中には知られたくないんだってさ。なんかノリが重いとか、マジっぽい話はやだーとか」
「へぇ。そりゃまた難儀な」
「ねー」
陽乃さんは缶コーヒーを手の中で弄び、何でもないように相槌を打つ。
「で、俺は何すればいいんで?」
「あれの試食役らしいよ」
クイ。彼女は顎だけで由比ヶ浜と雪ノ下の方を差す。
彼女らは件のクッキー作りにご執心である。が、問題は匂いだ。どうにも焦げ臭い匂いが辺りに充満し、今しがたオーブンから出てきたクッキーであろう物体は、その色は、どこかサンマのはらわたを連想させる。
雪ノ下はどこまでも青い顔をして額を押さえ、由比ヶ浜はきょとんとした面で出来上がったクッキー?を眺めている。
いや、マジでクッキー?って感じだ。少なくとも俺はあれがクッキーだとは認めたくない。あれはクッキーではなく、ヒッキーでもなく、木炭である。多分ジョイフル本田で一箱499円くらいで売ってる。月末セールで399円。木炭は食すものではない。
「……毒見の間違いだろおい」
「遺書は残しておいたほうがいいかもね」
ズッコケそうになる返答に、調理中の由比ヶ浜達の声が続く。
「なんでうまくいかないんだろう……ねぇ、雪ノ下さん」
「私が聞きたいくらいだわ。なんでせめて言った通りにできないのかしら……そのくらい小学生の調理実習でもできるわよ。ねえ、由比ヶ浜さん」
「なんか酷いこと言われてる!?ていうかあたしに聞かれてもわかんないよ……」
由比ヶ浜は表情を曇らせ、俯く。
「雪ノ下さんの作ったクッキーめっちゃおいしいし、これあげることにしちゃダメかなぁ、なんて」
「由比ヶ浜さん」
調理室に冷たい声が響く。
「言ったはずよ。この部は貴女のお願いを叶えてあげる場所じゃない。貴女の自立、成長の一助となる、ただそれだけの場所。手も伸ばさずに大口あけてエサを待つだけの雛鳥に、得るものなど何もないわ。無駄口を叩く暇があるなら、どうすればより良くなるかを考えなさい」
シン。そんな音が聞こえた気がした。少なくとも、俺ならあんなことを言われて何か言葉を返す自信はない。多分泣きながら出ていくことだろう。泣いちゃうのかよ、スネ夫かよ。いや、ヒキオだよ。
しかし、当の由比ヶ浜は。
「うん、わかった。もう一回やってみる。正しいやり方教えて、雪ノ下さん」
「……そう。ではもう一度」
どうやら俺ほどのヘタレではないらしい。制服の袖をまくり、今一度食材に向かい合った。いや、貴女が食材に向かわないことが世の平和のためなんですけど……
「相変わらず志は立派だねぇ、雪乃ちゃん」
「含みのある言い方ですね」
「そんなことないよー。妹の凛々しい姿を見て感動してるだけじゃんか。それに――」
陽乃さんは調理場でバタバタと動く彼女らを見て、嗤う。
「真逆に見えて結構いいコンビだよね、あの二人」
「どうですかね」
さあ、どうだろねー。本心はどこなのか、彼女は次の瞬間にはどうでもいいように窓の外を眺め、一息つく。
「で、あの二人それぞれのことだけど」
コン。缶コーヒーを机に叩きつける硬質な音が響く。なぜか、嫌な予感がした。
「君から見て、雪乃ちゃんはどう?どんな女の子に見える?」
ほら、碌なことではない。俺は彼女を見ず、適当に言葉を濁す。
「なんですか、藪から棒に。んなこと急に言われても――」
「時間の無駄だから、同じ質問を二度させないでもらっていい?」
笑顔の端の額の青筋を隠しきれていない。奉仕部室に来た時から、彼女は何かに苛ついている。それはわかる。だが、その理由は俺の知るところではない。答えないと後が怖そうだから、とりあえず答えはするが。
「……まあ、大した人間なんじゃないですか。運動も勉強もできる、顔もいいし、悪い噂も特に聞かない。見る所料理もうまいようだ。多少口と性格が悪いとこくらいは、大概の男が見逃すでしょ。俺はごめんだが」
「あはは。雪乃ちゃんも君にだけは言われたくないだろうね。雪乃ちゃんこそごめんだろうね」
「ほっとけ」
口を尖らせる俺を、陽乃さんはカラカラと笑う。
「じゃ、ガハマちゃんは?」
「……世界一暇な大学生という人種に、時間の無駄とか言われたくないんですが。だから答えてほしいんですが、さっきから、一体何が聞きたいんです」
「べっつにー。君から見てああいう子はどう映るのかなって。ただの興味だよ。答えなくたっていい」
その目が、答えなきゃ殺すと言っている。殺されたくないから、やっぱり答えるしかない。
「見た目こそ派手な今時の女子高生って感じで、俺とは相容れないですね」
「まあ比企谷君みたいな拗らせぼっちとは対極の人間だよね」
「一言多いんですよ貴女は」
由比ヶ浜結衣。俺から見た彼女の感想は、一言で要約できる。
「でも、普通にいいやつ、ですね。
俺みたいなのにも同じ目線で話すし、嫌味な所がない。多少周囲を気にしすぎるきらいがあるが、それもリア充連中の中で生きるには必要なスキルなんでしょう……勿論俺目線の話であって、絶対的な評価なわけがありませんが」
ふむふむふむ。彼女は満足するように何度か頷き、キュルルと両手で空の缶をコマのように回す。
「じゃ、最後にもひとつ質問。雪乃ちゃんはあーやってガハマちゃんにクッキーの作り方教えてるけどさ」
缶コーヒーは次第に回転を弱め、コトリと机に横たわる。少しだけのこった中身が机を汚す。
それを拭うこともなく、彼女は俺を見る。
「ガハマちゃんがクッキーを作れるようになることが、ほんとに今回の依頼内容なのかなぁ?」
まあ、違うでしょうね。
出かけた言葉を自然と飲み込む。呼吸のように、俺は目を背ける。
「……さあ、どうですかね」
「ふふ。やっぱりそういう答えになるんだ。雪乃ちゃんは知ってる振りが得意だけどさ」
目を背けた先にも、彼女の瞳があった。それを見てはいけない。彼女のペースに、巻き込まれてはいけない。だが、どうしてもそちらに目が行く。深夜に見るホラー映画のように。見てはいけないとわかっていても、それで見ないでいられるほど人間は強くない。
「君は相変わらず、知らない振りが得意だねぇ。会った時から変わらないよ、なーんにも」
「……それこそ、あんたの知ったか振りで、知ったつもりなんじゃないですか」
「お、少しは言うようになったね、君も。雪乃ちゃんは大した奴で、ガハマちゃんはいいやつ、か」
でもね、比企谷君。彼女はその口を三日月に変える。
「私はあの子のこと、嫌いだよ」
笑う彼女に返す言葉は、当然ない。それは、何を指しての言葉だったのだろうか。誰を指しての言葉だったのだろうか。
俺の目の前に座っていた彼女は、その脚をツカツカと雪ノ下と由比ヶ浜へと向ける。「ちょっとごめんねー」と一言断りを入れ、由比ヶ浜作のクッキーを口にする。
突然のことに雪ノ下は文句を言いかけるが、真顔でそれを食す陽乃さんに結局彼女は何も言うことは無い。由比ヶ浜も、固唾をのんでその様子を見守る。
モグモグモグ。陽乃さんは目を瞑ってそれを食し、幾度となく咀嚼し、そして、結論を出した。
「まっず、なにこれ」
調理室は、当然静寂に包まれた。
一万字超えちゃったので切ります。続きは明日で。