ですが現実の日本でも、どうしようもない悪質な犯罪を起こす人間が毎日のように報道されています。
良い人間もいれば、悪い人間もいる。
そして良い悪いの条件も場所や時代、あるいは見方によって大きく変わります。
この作品はそんな考えのもと書きました。
パーパルディア皇国属国 ドネチア国 ドネチア統治機構
第3文明圏における覇権国家であり、列強の一つにも数えられるパーパルディア皇国。
ドネチア国はそれに支配された73の植民地の内の一つで宗主国から見て西の果てにある属領である。
この国には他の属領と決定的に違う点があった。
なんとこの国、パーパルディアの植民地でありながら、まともな領地経営がされているのである。
一般的なパーパルディアの植民地と言えば、国力を無視した苛烈な搾取が行われ、現地民は奴隷扱いされ誇りを持つことさえ許されず、逆らえば問答無用で命を奪われる過酷な圧政を強いることで知られている。
一方ドネチア国では徴収は国力と現地民の体力に見合ったものであり、統治機構が無茶な要求をしてくることもない。
統治軍の横暴も許されず、横領や賄賂等の不正も適切に取り締まられている。
それどころか最低限の衣食住を保障した農場での雇用を積極的に行った為、失業率の大幅な減少にも成功していた。
お陰で国民の生活は決して豊かではないが食うものに困るような事はなく、宗主国に対する反感もそれほど高くはなかった。
そんなドネチア国の統治機構の責任者を務めるのが、今年で27歳になるエーネルフである。
パーパルディア皇国の皇族、それも現皇帝の従兄弟にして王位継承権も持つ生まれながらの勝ち組でありながら、パーパルディア皇族としては異質な感性を持つがゆえに中央の拡大路線に息苦しさを感じ、10年前に強引に現在の赴任地に異動してきた変わり者として知られている。
そんなエーネルフは現在、難しい顔をして自身の執務室で一枚の書面を睨んでいた。
既に中身は確認しているが、おもむろにもう一度拝読する。結局、内容が先ほどと変わり無い事を確かめると力なく嘆息する。
「まさか、我が祖国が文明圏外の国に敗北するとはな。」
兆候はあった。パーパルディア皇国軍が日本国という国に大敗を繰り返しているという話は、戦地から遠く離れたドネチアにも聞こえている。
先月には、パーパルディアの支配を脱したアルタラス王国の新女王ルミエスによって全属領地域に武装蜂起を促す声明が発表され、パーパルディア皇国の支配地域各地で大規模な反乱が発生していた。
幸いドネチアでは独立を求めるデモ隊が結成されるくらいで武装蜂起が起こる気配はなかったが、それでも本国が非常に苦しい状況であることは察せられた。
そして本日、本国からの通信文書によりパーパルディアでクーデターが起こり、実権を握った新政権が日本国と講和を結んだ事を知らされた。
「講和内容については詳しく書かれていないが、恐らく状況から見て実質的な降伏を新政権は呑んだのだろう。私やここの職員達も早急に帰国するようにと命じてきている。」
エーネルフは書面を正面に座る初老の紳士に手渡す。
「それは…果たして大丈夫なのでしょうか?相手は皇帝を拘束するような輩達なのでありましょう。不用意に戻られるのは殿下の身に危険が及ぶのでは…」
そう言って心配そうにエーネルフの顔を伺うのは、現地協力機構の長であるリゴットだ。
元はドネチアの王族であつた彼は、エーネルフに能力を見込まれ統治機構と現地住民の折衝や統制、統治下での行政の補佐をする職務に任じられている。
このように現地民を植民地経営の中枢に据えるのもパーパルディアではドネチアくらいである。
「その危険性はある。だが祖国が危機的状況にあるにも関わらず他国で身の安全を図るというのは、皇族として流石にまずいだろう。それに僕自身も国の様子が気になる。」
「…わかりました。差し出がましい事を言いまして申し訳ありません。」
「いや、リゴット殿の心遣い寧ろ有難い。さて、そういうわけで僕は国に帰らなければならないのだけど、出来る限り引き継ぎはやっておかなければならない。」
「了解しました。こちらからも適当な人間を見繕っておきます。出発は何時になりましょうか?」
「一週間後にはこの国を出なければならないそうだ。かなり急ピッチでやっても時間が足りない。そこで何人かはこちらに残り、引き継ぎが済み次第後発で帰国させようと思っている。」
「でしたら、この国で家庭を持った者を優先的に残してはどうでしょうか?この地に残るにしろ、本国に渡るにしろ、家族と話し合い考える時間が必要でしょう。」
「なるほど。確かにその通りだな。分かった。残るもの達の身分保証も同時に進めてもらっていいか?」
「はっ、かしこまりました。」
それから、あっという間に一週間が過ぎた。
その間エーネルフは行政の引き継ぎを進めると共に、本国と連絡を取りながら帰国の計画を作成し、駐在する職員のリストをチェックしたりと慌ただしく駆け回った。
そして、別れの日。
パーパルディアに向かう船が出港する港には多くのドネチア国民が集っていた。
「すごいな。これは全て見送りの者達か?」
「ええ、皆殿下に感謝の言葉を告げに来たのです。」
笑みを浮かべながらのリゴットの言葉にエーネルフは気恥ずかしげ頭を掻く。
「そう言われると何だかむず痒いなぁ。僕はただ自分が試してみたかったことを実践しただけで、感謝されると逆に申し訳ないというか…」
「例えそうだとしても、殿下のやり方はこの国では正解だったのでしょう。あそこにいる人々がその証拠です。」
「…そうか。そうなんだな。」
感慨深げに群衆を眺めていたエーネルフの顔に影が射す。
「この事をもっと早く証明していれば、我が国は変わっていたのだろうか?恐怖や暴力を使わずとも、国は栄えることが出来ると証明していれば…」
「……殿下、過ぎた事を申しても今を変えることは出来ません。しかし過去の教訓を生かし未来を変えることは出来ます。」
果たして自分に国の未来をかえられるだろうか?
口から出かかった弱音を飲み込み、エーネルフは小さく頷いた。
やがて船の警笛が鳴ると二人は自然と握手を交わした。
「どうか御自愛を。この地より幸運を祈ってます。」
「ありがとう。僕も君とこの国の発展を祈っている。」
別れの言葉を交わし、お互いの手が離れた。
船に乗り込んだエーネルフが後ろを振り向くと、ドネチアの人々と駐在するパーパルディアの人々が船に向かって手を振っている。
その中にはドネチア人の母親とパーパルディア人の父親に挟まれた子供もいた。
エーネルフは笑みを浮かべると彼らに向かって大きく手を振った。
「さようなら、ドネチアの人々よ。今度この地を訪れるときは友人として訪ねよう。」
約10年もの間、青春のほとんどを過ごした土地が少しずつ遠ざかっていくのをエーネルフはずっと見ていた。
ふと気づけば目元に熱い雫が流れ落ちていた。
最初はただ逃げたも同然で渡った土地であったが、いつの間にか第2の故郷と呼べる場所に変わっていた。
それでも帰らねばならない場所がある。
過去に経験したことの無い挫折を知り、大きな転換期を迎えた祖国がエーネルフにはあった。
これから直面するであろう苦難を想像すれば気持ちは重く沈んでいくが、皇族としての僅かな矜持がエーネルフの気持ちをパーパルディアに繋ぎ止めた。
無論、首を跳ねられるのは御免だがドネチアでの活動を纏めた報告書を渡せば、利用価値があると認められて生き残れるかもしれない。
そんな悲観的なのか楽観的なのか分からないことを考えながら一週間の船旅を終えて10年ぶりに祖国の地を踏みしめたエーネルフを待っていたのは、新政権より派遣された皇国歩兵であった。
彼らは問答無用でエーネルフを用意していた馬車に乗せると、そのまま皇城まで連行した。
まさか本当に首を跳ねられるのか、とエーネルフは顔を青くするが、そこで告げられたのは全く予想だにしていなかった言葉であった。
「エーネルフ殿下、あなたに皇国の新皇帝になっていただきたい。」