手を濡らさない光の花は、優しくも、無機質だった。
風も弱く、眠ったような、物悲しい世界。
夢か。幻か。あるいは、想起。
心がこの光景、この世界と響きあう。いや、本来私というものは肉体を持たないから、肉体と精神の区別もなく、故に存在そのものがこの大気と共鳴するような感覚。それは私という存在を受け入れられているという安寧と、私という存在を知らしめられているという当惑。
そんなアンビバレントの中で私は歩き続けた。時間は長かった気もするが、退屈という概念の薄れた、忘我のような境地で私は歩き――時計のある建物の前についた。
時計台だ。特に目立ったデザインではないが、歴史的な意味から月ヶ咲の象徴となっている建物の一つ。
その前に、白い少女がいた。
「ここはね、思い出だよ」
私を待ち構えるように佇んでいた少女は、私が近付くと話しかけるまでもなく言った。
「シラハと、りっくんと、雪々。それとみんなで見付けた青き永遠の、欠片。それとも、フィムブルの冬の残雪。これはね、あの星の光がこの星にやってきてから目覚めて、まだ迷子になっている子たちをお迎えするための隙間の季節なんだよ」
物語るような説明は、説明になっていない。だけど、私のような存在にはわかってしまう。おそらくはここに来てしまうような存在の大半にはわかるのだろうか。
「――うん、わかるんだよ」
彼女は一人で話し続ける。
「あなたは雪々とは違う星の光。みんなと同じように光を還してもらうことはできない。でも、あなたが望むなら、ふたつの星の光は一緒にいることができるんだよ」
彼女は私にひとつの選択肢を開示したのだ。人として、人の時間に生きることを諦めるという選択肢。ここで一緒にいるということは、そういうことだ。
還るというのは、一面としては消えることと同じと思っていたけど、もしかしたら本当に別の居場所があったのかもしれない。そうだとしたら、これはとても優しい選択肢だ。
けれどそれは、私が選ぼうとしていた選択肢とは違う。
「あの……教えてもらってもいいですか?」
だから、私は問う。
「もしそうしなければ、私がこの世界の外で生きようとすれば、どうなりますか?」
「どうにもならないよ」
彼女は答える。
「あなたはあなたという光のまま、違う星の中で生き続ける。これまでとおんなじだよ。でも、もしあなたが迷っているなら、逃げたいと思っているなら……迷子になって、もしかしたらまたここに来るかもしれない」
それは結局、まつろわぬものが至る有り様なのだろう。どこにも行けない。終わらない冬のように。覚めない夢のように。
私は悟る。
ここは、とても普通な世界なんだと。
迷うものが辿りつく。逃げるものが流れつく。まつろわぬものが眠りにつく。それはごく普通の、あるべきと用意された仕組みでしかない。
だからこそ、私はようやく思い出す。
いや、忘れていたわけではない。でも、迷うたびに見失ってしまう。迷子や帰り路を忘れてしまうように。
でも、なくなるわけではない。私を受け入れ、守り、育んでくれた人たちのこと。その人たちがくれた言葉や想い。それはいつだって私と共にある。
「ありがとうございます。でも私は、行きますね」
私の答えを聞いた彼女は、残念がるでもなく笑って言った。
「うん。がんばってね。でも、もし迷ったら、またここに来てもいいんだよ」
また来てもいい。その言葉は甘やかしではなく、励ましだ。
知らない星ですら、私を支えてくれている。なのに私がくよくよして、逃げ出そうとしても仕方ない。
だから私は歩き出す。
白いセカイが揺らいで消えていく。
それは桜吹雪。花がほころぶように、狭間の冬が消える。
振り返ると、青い空を背負って、息を切らして姉さんが立っていた。
「こさめ……っ」
涙をこらえるような、怒りを噛み殺すような、強い表情のまま私の正面まで歩いてきた。
「……どうしてほしい?」
「できれば、痛くないおしおきがいいです」
私がおどけてそう答えると、姉さんは私を強く抱き締めた。痛いほどに。その痛みは、この――身体よりも心を罰するようだった。
「……ごめんなさい、姉さん」
「こさめ、あなたは本当に……っ」
「でも、姉さん。私は、大丈夫です」
私は自分からも姉さんを抱き締め、その耳元に誓うように言った。
「私はここで、頑張って生きていきます。だってここには、姉さんやお母さん、お父さん、みんながいて、私を励ましたり守ったりしてくれているから。だから私は、逃げません」
言ってしまえばなんてことのない、安直で、ありふれた決意だろう。でも私は、結局そういうことだった。それだけの理由で、私は私を、姫榊こさめという存在を、この名の存在が続くだろう期間は続けることを、少しは頑張ろうと、ようやくこの時に決められた。