月に桜、ありふれた初夏の小旅行   作:白亜迩舞

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列車は星空の中を走っていたが、ホームは地面の上にあった。でもこの地面は、砂と石と岩で、それがどこまでも続く状態。その上には、星空。星空は恐ろしいまでに澄んだ黒と、純粋な星明りに満ちていた。

地球ではありえないような光景。それもそのはず。

 

ここは――月だ。

 

本当の月であれば人間が生身で立っていることなどできない。しかし私はまだ立っている。ホームを離れて月面の只中でも、なお。それは私が人非ざる者だから、というわけではない。

私は月面の只中に立ち止まり、瞼を閉じる。

 

 

 

「――私たちの“魔法”は、誰にも負けない“想像力”」

 

 

 

列車の中でナナちゃんさんから聞いた言葉。想像することで、酸素のない世界でも呼吸ができる。重力の弱い天体の上でも歩ける。それは星天宮の奥義にも通じることだったから、私は特に支障もなくそれを実行できる。さらに、その先も。

引き金の気配がする。

瞼を開けると、月面が淡く光り始めていた。私を照らす、「本当の月の光」。かつては否定すらしたこともあったけれど、今は違う。その力すら、必要なら使う。

 

 

「いいにおい、が、する……」

 

 

現れる。ナナちゃんさんが友達と言った、彼女。

 

「姫織さん、ですね」

 

巫女装束の少女。私に似ている。姿が、ではない。彼女もまた私に似ていると、話を聞いているうちにうっすらと思っていたけど、一目で気付いた。

 

「帰りましょう? お友達のみなさんが待っていますよ」

 

「う、うー……帰ら、ない。おなか、空いた……っ」

 

姫織さんが言葉を吐いた瞬間、その気配が膨れ上がる。不可視の力場のようなものが彼女を中心に私の近くまで広がると、始まった。

まるで、蝕。

蝕。ここは月だから、まさしく月蝕だ。月面が削られる。私を照らす月の光も削がれる。消えて、取り込まれていく。巫女装束の彼女の中に。

気付く。彼女が現れた方向の先に、大きなクレーターがあることを。しかし、クレーターが多くの場合に隕石の衝突によってできるすり鉢状の地形を指すことと異なり、あのクレーターは、クレーターとなった分の月の体積を、姫織さんが食べて作ったものなのだろう。

 

「おいしい……やっぱり、おいしい……!」

 

姫織さんの目が輝く。涎を垂らし、あどけなく笑う。その幸せそうな様子にこちらも思わず笑みを誘われるが、同時に強まる蝕の気配がそれを許さない。私という存在すら危うくさせる気配に、後ずさる。私が退くと同時に、月の光も姫織さんから離れた。

 

「あう……もっと、もっと」

 

「……だめですよ、姫織さん。これは、人が食べるものではありません」

 

「いいんだもん。私が食べてるわけじゃないんだもん。私のお腹の中の怪獣が食べるんだもん」

 

そう言い放ち――姫織さんは飛びかかってきた。

 

「……っ」

 

怪獣。怪物。その言葉を裏切らない鋭い動きだった。

それに、姫織さんが手を伸ばし、その手が私の腕をかすめた瞬間に、私の霊能力とでも呼べる力が直に削り取られる感覚がした。

 

 

「怪獣……なるほど、聞いた話はすべてわかりましたよ」

 

 

夜月姫織。

かつて“魔法少女”として“夜の王”と戦った少女。今はその力を失い“夜の国”に入ることもままならなくなったが、それでも彼女がひとたび“悪夢”を産み出せば、元が“夜の王”と戦うほどの器だったため、“夜の国”のいかなる生き物でも抗することはできない。

目覚めたばかりでまだ理性の残っていた“悪夢”は、被害を広げないように、“悪夢”を倒すまでの時間が稼げるように、自分を月に運ばせた。そして私が呼ばれ、姫織さんは私と対峙することになった。

 

 

確かに、この力は危険だ。ナナちゃんさんを見た限り、この世界の“イキモノ”は全般に私の知る星霊や星神に近く、ある種の力は持つものの存在の強度は高くない。そして姫織さんが振るう力は、食べる、とでも言うべき力。蝕が星の光を食むように、存在が持つ力を食べる。それはすなわち存在そのものを食べるということだ。ゆえに“夜のイキモノ”は彼女に対抗できないし――私ですら、危うい。

だから私は――引き金の気配を、引き絞った。

 

「――っ」

 

刹那、光が弾ける。月の光。月という星が持つ本来の光。私はそれを受け入れる。姉さんが私を止めるために刃を握って止めたように、私も姫織さんが彼女を待つ方々のところに還るために刃を取ることから逃げません!

 

「へん、しん? あなたも“魔法少女”……?」

 

弾けた光が弱まり、それでも先ほどより強くなった月の光に、私の姿が照らし出される。目の前の少女とは異なる、星天宮の巫女装束。そして採り物である薙刀。正確にはこの薙刀は、星天宮にある薙刀を模して月の光で作ったレプリカだけど。

 

「手荒なことはしたくありません。それに、まだ送り還すべきものがわかりません。だから、もう少しお話できませんか?」

 

「――いや!」

 

駄々をこねるように、手を振り回しながら突進してくる彼女。私はやむを得ず、彼女の攻撃をかわしてから、薙刀の峰をその背に振り下ろした。

 

「……受け止めますか」

 

だけど、姫織さんは振り向いて薙刀を受け止めた。まるで慣性を殺したような動き。いや、実際に慣性をないものにしたんだろう。人間でも、雪菜先輩ぐらいならそういうことができるし、星霊の類なら容易い。そして彼女がどちらかと言えば――

 

「やはり、あなたは私と同じ――誰かが強く願い、もう一度生まれ落ちた、そういう存在なんですよね?」

 

「……違う」

 

否定の言葉。だけどそれは、私の言葉をすべて否定する言葉ではなく――

 

「あなたは――私みたいに空っぽじゃない!」

 

――「私と同じ」という言葉だけを否定する、拒絶の言葉。

 

「……っ」

 

薙刀を握った手に、凄まじい力をかけられる。同時に、私の力と存在を蝕べる力も襲い掛かってくる。危険な状況だった。だけど私はそれを暫くでも受け止めることにした。なぜなら、

 

「そんなことはありませんよ。私も――あなたのように考えてた時もありました」

 

人ではないという感覚。この身が夢幻でしかないという悲観。この世界に居場所はないと何度も妄想し、逃げようとした。今日もまた。

しかし、私は幸運だった。天才と言うべき力を持つ姉と、十分な質量の隕石。隕鉄の採り物。それらにより奇跡的に降霊が成功し、私は意識すれば人と何ら変わらないように存在できるようになった。私は夢幻ではなく、人とは違っても、ちゃんと生きていたのだ。

そして、私は幸福だった。身近に私の存在を理解する人たちが数名いた上に、友人にも恵まれた。何度私が自分の存在を終わらせようとしても、そのたびに諦めることなく、私の手を引いてくれた。

一方で彼女はそうではないのかもしれない。不完全な降霊により本当に何か足りず、満たされていないのかもしれない。そして自分の正体と状態を誰かに打ち明けることができていないのかもしれない。

 

「だけど――あなたにも、私にも、大切に思ってくれている方々はいるでしょう!」

 

私は彼女を突き放す。

少しの力の衰えを感じたけど、研ぎ澄まし、薙刀を振るう。距離が生まれたところで刃を突き付け、私たちは対峙する形になった。

 

「姫織さん。あなたにもあなたを大切に思っているご友人がいます。そうでなければ、私はここに呼ばれていない。私を呼ぶという“魔法”のために、あなたのご友人方が“代償”を払っているのですよ!」

 

「……でも!」

 

「……大丈夫です」

 

刃を素手で跳ねのけ、姫織さんが再度突進してくる。

私は跳ね上げられた薙刀の勢いを使い、石突きを繰り出す。

石突きが掴まれる。

私から手を伸ばし、彼女の襟首をつかむ。

彼女が薙刀を押し流そうとする方向に彼女自身を押し、体勢を崩す。

その瞬間に私は薙刀を廻し――姫織さんの悪夢を刈った。

 

「姫織さん、生きましょう。あなたは……私たちは、生きているんです。世界が、みなさんが、私たちを望んでくれています」

 

「……うん。本当はね、知ってたんだよ」

 

それでも、迷わずにはいられない。

ふとした折に、せつなさや、さみしさを、感じないでいることは難しい。

“迷子”になってしまうこともある。

だけどきっと――誰かが迎えに来てくれる。手を差し伸べてくれる。

 

「ありがとう。……また、会いたいな」

 

「そうですね。――私、姫榊こさめと申します。また、お会いしましょう」

 

それはきっと夜闇に紛れる程度のささやかな約束。

でも、何となく私は悟る。約束は、星霊にとっても、“夜のイキモノ”にとっても、大切なもの。それそのものではない私たちだけど、きっとこの小さな約束は、私たちにとっても確実なものになる。

地上遠く離れた月の、夜の夢の中で、私は新しくできた友達を見送りながら、約束を胸に刻み付けた。

 

 

 

 

 

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