第三十九話
「…………ふぅ。終わりました、トキさん。……どうでしょうか?」
「ああ、今日も楽になったよ。ありがとうマコトさん」
トキさんの胸元に当てていた手を離し、私がそう確認を取ると、トキさんはにこやかに答えた。
これは、私が姉さん譲りの癒やしの力を身に着けてからというもの、可能な限り欠かさず行っている日課だ。
死の灰の影響が特に深い肺などの胸部を中心に、回復効果のある秘孔を押すとともに癒しの力を当てる。
もともとの秘孔の効果に加え、癒しの力によって内外から身体を照らす治癒の力は、確かな効果を彼ら……トキさんとケンシロウさんに発揮していた。
……ただ、それも完治には、まるで至らない。
出来ることは、原作よりも病の進行を遅らせることのみだ。
「────────っ」
トキさんの次に施術を行う、ケンシロウさんの身体を見る。
……そのたびに、何度割り切ろうとしても、私の心に少し暗い影が刺すのを感じる。
いくら先のことに、未来のことに想いを馳せたとしても。
この二人に近づく死期、という現実はまだ何も変わることはないのだから。
……顔に出すまいとはしていたが、そんな私の心の動きを察したのかもしれない。
ケンシロウさんが普段なら言わないようなセリフを今日、初めて吐いた。
『いつもすまんな』、と。
私はそれに対し……薄く笑ってこう返答する。
「ふっ、それは言わない約束ですよ」
「……そんな約束はしていない」
「はい」
真面目に返された。
……私の返事が強がりから出た軽口だと自覚していても、こうして会話をしているだけでほんの少しだけ心が軽くなる。
今はただ、それがありがたかった。
南斗聖拳最強の漢と決着をつけた以上……これから戦うべき、考えるべき相手は、ほぼラオウ一人に絞られる。
あの敗戦時より私は強くなっているとは思うが、それはラオウも同じことだ。
その意味でも余計なこと、というわけでないが、今は自分が強くなることだけに集中したいと思った。
そうでなければ、きっとラオウを破ることは出来ないだろうから。
(────さて、気を取り直そう)
そうと分かっているなら、私は今やるべきことをやるだけだ、といつも通り修行を行うことにした。
サウザーから教えられた技の反復など、やることはいくらでもある。
私は時間を惜しむように一人、外へと駆け出していったのだった。
★★★★★★★
「…………私からやるか?」
「そうだな……頼むとしよう」
「うむ……では」
★
ゆっくりと、ゆったりと。
少女は、太極拳を思わせるようなゆるやかな、それでいてしなやかな動を取り、技を振るう。
一つ一つ型を確認しながら振るうのは、聖帝サウザーから見取り覚えた南斗の技の数々だ。
しかし、ゆっくりとした動作とは裏腹に、瞳が閉じられた顔に浮かび上がるのは、珠のような汗。
彼女が短い期間で強くなり、またここまで生き抜いてくるために振るい続けてきたイメージ、心の力。
動作の代わりとばかりに激しく燃えたぎっているそれは、決戦の時を今か今かと待ちわびているかのようだった。
そして、そんな彼女のもとに歩み寄る気配が、一つ。
修行に集中しながらも、彼女はその気配を逃さず捉えていたが……
この時点で修行を止めても気を使わせるだけだ、と。
用事があるのかもわからない以上、声をかけられるまでは修行を続けることを彼女は選んだ。
「修行中すまないな。少し時間をもらえるだろうか、マコトさん」
が、直接声をかけられたならば是非もない。
しゅばぁっとこれまでの動作が嘘のように機敏に振り返ると、マコトはその来訪者────トキを歓待する。
「はい、もちろん大丈夫です! 今お茶をお持ち────」
彼がこういう形で話しかける以上、一言二言で済む話ではなさそうだ、と。
マコトは急ぎ、聞く準備のため駆け出そうとするが、トキは苦笑とともにそれを抑える。
そして、彼女に向かい合うと。
あえて、真っ直ぐに立ったままの姿勢で話し始めた。
「ありがとう、だがこのままでいいんだ。……マコトさんは次に見据えた戦いで、ラオウと決着をつけるつもりだな?」
「────────っ、その、つもりです」
トキの声色と、切り出された話題。
そこに込められた真剣な空気を感じ、改めて背筋を伸ばしながらマコトは答える。
それに対し、トキはしばし目を瞑り思案すると……
いつも以上にゆっくりと。
一語一語を確かめ、思い出しながら行うように。
「そうか……ならば、先にこれを聞いてくれるだろうか」
それを、語った。
「私とラオウ……二人の兄弟の因縁。いや、宿命の話を」
★
ここでトキの口から伝えられた話。
それは、マコトが知る原作で明かされたものと、全く同じものだ。
自分とラオウが、実の兄弟であったこと。
始め、師であるリュウケンはラオウと自分のどちらか一人のみを養子とすると言い、自分たちは崖から突き落とされたが、ラオウが自分を抱えて登ったことで、二人とも育てるよう認められたこと。
ラオウの修行を覗くうち、自分にも拳法の才があることが発覚し、一子相伝である北斗神拳の伝承者候補となったこと。
……そして、ラオウが道を誤ったその時は、弟である自身の手でそれを止めるよう、ラオウから伝えられており……それを自身の宿命としたこと。
この過去から分かること。
それは、ラオウの覇王としてだけではない、確かな人としての心の有り様と。
そして、如何にラオウとトキの心に、それぞれが大きなものとして存在していたか、ということ。
マコトは、トキ直々に語られるその過去の一語一句に至るまでをも、聞き逃さないよう腐心していた。
それは、原作との差異が無いことの確認をするためもあったが、それ以上に今トキがこれを語ることの重大さを。
彼女は薄々感じ取っていたからかもしれない。
「……私は、病や怪我に苦しむ人々のために、この北斗神拳と残された寿命を使い。その上で、病により死期が目前に迫ったならば、この命が燃え尽きる前に。ラオウとの決着をつけ宿命を果たすつもりだった。……いや、今でもそうだ」
「…………」
それも、マコトは知っている。
ここで止めようとするケンシロウにトキが力を見せ、その後命を賭してラオウと死闘を演じたのが、彼女が読んだ原作本来の流れだ。
「…………だが」
だが、と。マコトに向け少しばかりの苦笑を滲ませながら、トキは言葉を続ける。
「だが、今それをするにあたり。……困ったことに、三つほど心残りというか……少し、考えるべきことが出来たんだ」
「考えるべきこと、とは……?」
「──── 一つは、死期だ。マコトさんのおかげで私の死期は、始めに思っていたよりもずっと後になっている。果たしてまだ幾ばくかの時間があるうちに、村で待つ
それは、身体的な理由。
これはマコトの癒しの力に加え、ラオウが拳王として動き出した時に、トキがラオウと戦うことが無かったのも要因だろう。
あの場面でダメージを負わなかったこともあり、この世界でのトキの身にかかる負担は、本来辿る道筋よりも小さなものとなっている。
「────二つ目は、これまで見てきた、マコトさんの生き方」
「…………私の……?」
「私はこの世界において、宿命とは何よりも重いものだと思っていた。が、一子相伝であるはずの北斗神拳を学び始めた時から、あなたはそれらに囚われない、新しい形の可能性を私達に見せ続けてくれている。これを受けると、ただいたずらに宿命ばかりを追い求めるのも必ずしも正解とは限らない、と。最近、そんな風に考えるようになった」
加えて、価値観の変革。
トキに取って宿命が大事なものであることは今でも変わらないが、それのためだけに他の全てを捨てる、となるには。
マコトを含めた周りの環境が今のトキに与えている影響は、大きなものとなりすぎていた。
「それなら────…………っ!!」
それならラオウとの戦いはもう、と。
思わずマコトが口に出そうとした、その瞬間。
これまでの……真剣でありながらもどこか穏やかで、安心感をもたらすような。
そんな空気が、一変した。
「────────そして、三つ目」
その時彼女が感じたものは、これまで相対していた敵と比べてもさらに最上等と言える、とてつもなく圧倒的かつ精錬、清廉たるプレッシャー。
家屋すら薙ぎ倒す、嵐の轟音。
それが耳に刺さった、と錯覚に陥るほどのそれを受け、弾かれたように構えるマコトに、トキは続ける。
「ラオウ、そしてサウザーとの戦いを見させてもらった。……驚いたよ。彼が天破活殺すらをも破ったことも、それを受けてなお、マコトさんが間髪入れず打ち倒したことも。あの戦いの最中私が考えたことは、あなたがこれまで歩んできた道程の、確かな素晴らしさと……そして」
「────そして、私ならあれをどう破っただろうか、ということ。……あれを破ったマコトさんと、私ならどう戦うだろうか、ということ」
「────っ」
「その時私は気づいた……いや、思い出した。私がラオウとの戦いを目指したのは、強くなったのは。宿命以上に私の心を燃やす、ただの拳法家としての望みであったのだ、と」
「ただの拳法家、としての……つまり、トキさんは」
「ああ」
溢れ出した闘気が、再びトキのもとへと帰り、そして流れる。
神々しさすら覚えるほどに白く美しく、そして力強いオーラに包まれながら、トキは。
いや、一人の拳法家は、マコトに言った。
「思えば修行以外で。本気で"こう"したことは、一度も無かった」
「────マコトさん。今この場で、私と。全力で戦ってもらうことは、出来ないだろうか」
★★★★★★★