第六話
ブォン、という風切り音とともに目前、鼻先にまで迫る拳を紙一重で避ける。
避けに用いた身体の流れをそのまま利用し、膝蹴りを横腹に打ち込む。必殺を狙ったものでなく、衝撃により一瞬身体を止め、有利な形で間合いを取るための布石だ。
そこで離れようとする所に、想定外の速さで追撃の拳が打ち込まれる。
回避は難しいと見てとっさに受けた手は、バチィッと快音を鳴らし容易く弾かれた。
左手の自由を一時的に失い、身体が泳いだ私にさらなる追撃が迫ろうとする……が、私の残った右手から、ほぼ予備動作無しで放たれた闘気による指弾。
この牽制が刺さり、かろうじて危機を脱出する。
しかし、このままでは決定打に欠ける。
立ち回りを変えるため深く腰を落とし私は────
「うるっせぇよ~! もういい加減寝ようぜマコト、ケン~!」
……しまった。夢中になりすぎてバットくんの不興を買ってしまった。
ただでさえ旅の疲労がのしかかっている上、成長期の身体に睡眠不足は耐えづらいものがあるだろう。
……そもそも私もまだ成長期のはずだし、いい加減寝なければ。
「す、すみませんバットくん。ではすみませんケンシロウさん、今日の修行はここまでで」
「うむ」
修行……そう、私は姉さんを取り戻すための旅に出てからも、こうして修行を積んでいる。
様々な要素、工夫により二年弱で確かに戦う力は身につけた。
しかし、それだけでこの先戦うことになる強敵達と比べて万全か、と言われると首を傾げざるを得ない。
(たとえば、純粋な力や潜在能力の使い方において、私はまだまだケンシロウさんには及んでいない)
その差が、バットくんと出会った村での鉄格子まわりのグダグダにつながったわけだ。
始めは、自分だけで修行をするつもりだったし、実際そうしていた。
……理由は、ケンシロウさんの身体に余計な負担をかけたくなかったから。
ただでさえ過酷な旅だ。
その上さらに激しい修行を続けて、それにより病の進行が早まる可能性を考えると、気が気でなかった。
が、ケンシロウさん自身の……おそらく私を心配している意志を受け、自分が早く強くなって少しでも安心させたほうがいい、という考えに切り替えた。
病は気から、という言葉も現代にある。
ましてや心の影響が強いこの世界においては、強い意志を無理に曲げて養生させるより、やるべきことをやらせるほうがいいこともある……かもしれない。
そんな経緯により、ある程度余裕がある道中はこうして二人で修行をしているのだ。
しかし、今日はさすがに長くやりすぎた。
おとなしく明日に備えようと修行を打ち切り、寝床の準備をし始める。
「ヒャァッハァ~! 待ちやがれジジィ~~!!」
────聞くからに悪漢という印象を受ける野卑な笑い声と、老人のものと思われる悲鳴が耳に飛び込んできたのは、そんな時だった。
★
小さな袋を持って必死に逃げまどう老人……ミスミさんと、それを追い詰め笑う、頭部に妙な刺青を入れた男、スペード。
会話の内容を聞くに、ミスミさんが持つ種もみを奪い取って食べよう、という私が知る原作通りの光景が繰り広げられているようだ。
…………しかし、種もみの状態でそのまま食べても特に味がするわけでも無いだろうに、よくわざわざ奪おうとしたものだ。
腹の足しと考えても、こうして追い回すカロリーのほうが高そうなものだが……
いや、彼らにしてみれば弱者を痛めつけて、あるいは殺して楽しむのが本懐で、実際のところは種もみなどどうでもいいのだろう。
世紀末ではありふれた光景とはいえ、改めてひどい話だ。
と、そこまで考えたところで、ケンシロウさんがすでに飛び降りて向かっているのを視認した。
慌てるバットくんを尻目に私も遅れて続く。
(この場で暴れて全滅させてもいいけど……いや、ここは)
一瞬だけ今の状況と"この先"に思考を巡らせ、声を上げる。
「ケンシロウさん! ご老人のほうは私が!」
そうしてミスミさんと袋を抱え距離を取る。
スペードと周りの男達は突然の闖入者、特にケンシロウさんにその注意が向けられていたため、安全の確保は容易かった。
────そしてそのまま、私が知る流れ通りにことが進む。
北斗神拳の使い手の前にスペードが使うボウガンなど止まった棒に過ぎない。
あっさりと二本目の矢を北斗神拳・二指真空把によって返されたスペードは、片目を失い絶叫とともに退散したのだった。
★
それぞれの無事の確認を終え、私達はミスミさんから話を聞く。
自分の村が食糧不足にあえいでいること。
半年という期間をかけて、ようやくこの種もみを見つけることが出来たこと。
そして。
「でもよぉ、なんだって自分で食べなかったんだ? 自分が死んじまったら元も子もねえだろーよ」
「いや……今ある食料はいずれは消える。だが、その種もみさえあれば、米が出来れば、もう誰も飢えることがなくなるんじゃ。……そうすれば、もう食料を奪い合うこともない、争いもなくなる」
……この種もみさえあれば村が救われるはずだということ。
────今日より、明日なんじゃ────
「────っ」
それを聞いたケンシロウさんは、村にまでミスミさんを送り届けることを心に決めたようだ。
もちろん、私に異存はない。彼のような未来を見据える善良な人は、今やこの世紀末では貴重な存在となった。
……それに。
(未来、未来か)
それはこの世界に来た当初、私が見失っていたものだ。……それを考えれば、なおさら守らなければならない、と。そう思った。
……バットくんはまだ不満そうだったが、村でお礼とかあるかもしれませんよ、と気休め程度になだめておく。
そして、夜。眠りに入る直前……ケンシロウさんがぼそり、と。
感慨深げにつぶやいた言葉が、耳に入った。
「……今日より明日…………久しぶりに人間にあった気がする……」
…………私達は人間に入ってますよね?
★★★★★★★
「スペード様ァ! あいつら、あのジジイの村に着いたようですぜ!」
偵察に出していた部下の報告を聞くと、失った右目を眼帯で隠し、残った左目は狂気の色で染めた男、スペードは顔を歪めた。
化物のような男により負傷させられ、ほうほうの体で逃げ帰った……そう見せかけてその実、付かず離れずの距離から尾行をしていたのだ。
その理由は当然────復讐。
────オレ様から逃げやがったあのジジイは当然、あの男にも生き地獄を味わわせてやらねば気が済まない。
そう考えたスペードが取った方策は、奇襲だ。
それもあの男に正面から襲い掛かるのではなく、まずあの男が村から離れる瞬間を待つ。
その後、すぐに取って返しても間に合わない程度に離れたところで村を強襲し、ジジイ共を殺す。
男がのこのこと釣られてきたなら、その間に張った罠にかける。
あとは絶望の淵に居る男を、ジジイの死体の隣でじわじわとなぶり殺しにしてやればいい。
今からその様を思い浮かべたスペードは、ケヒッケヒッと漏れ出る笑いを抑えることが出来なかった。
「あ……スペード様! 出ました! あの男が、村から!」
「なに!? 貸せ!!」
部下が持つ双眼鏡をひったくると、自身もその光景を確認し、笑みをさらに深くする。
確かにあの男と、お付きか何かの子どもが1人、村から出ようとしているところだった。
が、そこで一つの違和感に気づく。
「────いや、確かあと一人居なかったか?」
「あー確かに、なんかちょろちょろ逃げてる女が居たような……」
そうだそうだ、確かに女だった。
最初からあの村が目的地だったか、旅に付いていけなくなり残ったか……どちらにせよ好都合だ。
────女もひっ捕らえて、せいぜいあの男の前でなぶってやろう。
より溜飲が下がる要素を得た、とスペードは自らの幸運に感謝した。
そして男たちが十分に離れたところを確認したスペードは、いきり立つ気持ちを抑えようともせず、バイクを走らせる。
自分が持つ部下全てを引き連れて向かう先は、村。
位置関係上、途中でくだんの男とすれ違う、が当然今は手を出さない。
見せつけるように腕を掲げて挑発をし、そのまま村へと進軍を進める。
男が慌てて追ってきたとしても、もう遅い。すでに村の入口はすぐそこだ。
まずは目についた村人共を、部下に手当たり次第に殺させ、ジジイと女だけは手ずから……
────とそこまで考えたところで、村の入口で何者かが仁王立ちしているのが視界に入る。
どこの間抜けが知らないが、このまま轢き殺してやろうか。
そう思いバイクのアクセルを更に回そうとし────
その何者か……女の腕が一瞬光ったかのように見えた瞬間、並走する部下の大半が爆散した。
★★★★★★★
北斗神拳において、離れた敵を攻撃するため用いられる技はいくつかある。
ジードにも使用した、練り上げた闘気を放出し秘孔を突く北斗神拳奥義、天破活殺。
さらに高められた闘気を以て、物理的な破壊を伴うレーザーのようなものを射出する北斗剛掌波。
その他、相手の技を見切り我が物とする北斗神拳……水影心によって、南斗聖拳による擬似的な遠距離攻撃をしていた場面もある。
今回、私が使ったのは天破活殺をベースに、一人に対して集中的に秘孔を突くのでなく、散弾銃のように闘気を撃ち出すアドリブ技だ。
これにより一人はバイクに穴を空けられたことで漏れ出たガソリンに引火し爆発、一人は操縦が利かなくなり隣と追突、一人はその場で周りを巻き込みながら横転……などといった形で、敵集団に甚大な被害と混乱を与えることに成功したのだった。
(────村には、一人足りとも通さない)
そう、このタイミングでのスペードの強襲。それを事前に頭に入れていた私は、わざとケンシロウさん達に先に村を出てもらうようお願いし、一人迎撃する態勢を整えた。
初めにスペードと邂逅した際、すでに戦い始めていたケンシロウさんはともかく、あの時点のスペードから見た私はただの無力な旅娘。
その場で戦い全滅させることは容易かったが、その時目に入ったスペード軍の規模から見るに、あれはあくまで軍全体から見た一部のみ。
あそこでリーダーだけを倒しても、残った部下が近くの村にとっての後の禍根になると考えた私は、あえてケンシロウさんだけに任せて傷を与え、放流したのだ。
スペードたちにとっての脅威が村から離れたこのタイミングで、復讐を誓い襲い来る本隊をこの場で確実に葬るために。
もちろん、自分たちが手のひらで踊らされていたことなど知るよしも無いスペードたちは、混乱と怒りの声を上げる。
「てってってめぇええ! 今一体何しやがったあアァ!!」
声が上がると同時、部下の生き残りと思わしき大男が、こちらに鎖を投げつける。腕で受けると鎖はそのままぎゅるりと巻き付き、私の腕を絡め取った。
……器用に投げるものだ。
「グフ、グフフ……! かかったな女がぁ……何をしたか知らんが、このまま引きずり込んでやるぅ!」
如何にも力自慢といった風貌のその男は、そのまま鎖を握った手に血管を浮かばせて、力任せに私を引っ張りこもうとする。
「────────ッ」
対して私は北斗神拳の真髄……すなわち潜在能力の解放によって"その男にわずかに勝る程度"の力を出して、それに抗う。
鎖は拮抗────どころか、わずかに自分のほうが引っ張られ始めていることに男は気づき、驚愕の声を上げる。
「な、なにぃ!? こんな、女ごときが、この俺様にぃ!?」
ありえない。そんなはずがない。そんなことは起こってはならない。
男は眼の前の現実を否定する為か、絶対の自信を持つ自分の力を誇示するためか。これまでにないほどの気力と共に、鎖を引きちぎらんばかりの勢いでそれを引っ張る。
「ゴアァアアァッッ!!」
「すぅ────────フッ!!」
「え、な、ぎぃあぁあ!」
────その瞬間を待っていた私は、即座に闘気を込めた手刀で、絡まる鎖を根本から断ち切る。
……後に出会う漢、レイさんが使う南斗水鳥拳。
あの切れ味にはまだ遠く及ばないまでも、使い古された粗雑な鎖程度なら、集中すれば切断など容易い。
当然、ギリギリまで張り詰めていた鎖の端は、その力の行き場を持て余し、引っ張っていた男と仲間の下に荒れ狂うかのように飛びかかる。
突然の被害を受けもんどり打って倒れた男達。
その混乱を見逃さず文字通り"一足飛び"で懐へ飛び込んだ私は、秘孔を突いてトドメを刺していく。
そして男たちの混乱の声が断末魔の悲鳴に、そして悲鳴から完全な静寂に変わる頃には、その場に残っているのは私とスペードだけとなった。
「ヤッ……ヤロウッふざけやが」
────バキィッ
右手に斧を構えて襲いかかってきた瞬間、その腕をへし折る。
叫びながら左手に斧を持ち変えれば即座に左腕を。
一瞬にして戦闘不能となり恐慌状態に陥った男は、悲鳴とともに私から背を向けて走り出す。
が、ドンッという音と共に目の前に居た男とぶつかり、尻もちをついてしまった。
ぶつかったのは当然スペードの部下などでは無く、スペードにとっての死神……戻ってきたケンシロウさんだ。
「ひっああっうわああああああっっ!!」
これで、スペードの逃げ場は、完全に無くなった。
物理的にももはや抵抗の余地はないだろう。
────すぐに殺さず、わざわざこういった甚振るかのようなマネをしているのは、何も犯した罪を自覚させるためなどではない。
彼には、やってもらわなければならないことが一つあるためだ。
もとより、未然に防ぐことが出来たとはいえ、今回の所業だけを見ても同情の余地などまるで無い相手。
(……悪いけど、容赦なくいこう)
十分に心が折れたことを確認した私は、両手で男の頭と尻を支えるような形で横向きに持ち上げる。
そのまますかさず首元後ろに位置するその秘孔を、四本の指を用い貫くかのように突き穿った。
「ぼげぇッッ!?」
「────
「ごげ、が……っ! な、なん、だ……!?」
「……今あなたが突かれた秘孔。それは、私の質問に正確に答えない限り、全身の毛根に至るまで血を吹き出しバラバラに砕けるという効果を持ちます」
「な、は、なんだっ何を、何を言ってやがんだ!?」
「分かりませんか? ……質問に答えないなら、その場で殺すと言っているんです」
「ぃっ……ひ…………!」
────原作のように、わざわざダイヤだのクラブだのに情報を小出しにさせて回る必要もない。
「あなたが所属する組織────KINGについて。知っていることを全部話してもらいます」
ここで、核心の情報を根こそぎ拾ってしまおう。
★
念入りに追い詰めたかいもあってか、さすがに幹部格ということもあり、この段階としては十分といえる情報を得ることが出来た。
KINGという組織がどのような非道を行っているか。
残る幹部ダイヤ、クラブ、ハートの存在と主に担当している場所はどこか。
組織のボスであるKINGがおさめる街、南十字星-サザンクロス-の所在はいずこか。
そして。
「では、最後の質問ですが……ボスであるKINGとは何者ですか? 居場所はサザンクロスとやらで間違いないのですか?」
「居場所はそうだ……です! た、ただ正体は、誰も知りません! 得体の知れない、恐ろしい拳法を使います!」
「サザンクロス……拳法……!」
……ケンシロウさんが意味ありげにつぶやく。彼もKINGの正体に思い当たり始めているようだ。
「────では、見た目の特徴は? 髪の色や長さなど、見たことはあるんじゃないですか?」
「ひっそ、それ、は………あぁ……き、き……」
「き?」
「ぃ、ぃいいいぃあぁぁあ言えねえ、言えねええっっ! おゆるし、お許しください、KING様ァァ!」
「な────」
そう白目を剥いて叫ぶと、突かれている秘孔のことなど忘れたかのように意味を持たない言葉を吐き散らしながら、最後は秘孔の効果によりスペードは爆散したのだった。
(しまった、追い詰めすぎた……)
KINGの粛清の恐怖と間近に迫った死の恐怖で精神が限界を超えてしまったのだろうか。
ここまで無惨な殺し方をする必要は無かったかも知れない。
実際、予定では情報を手に入れ次第…………いや、もう済んだことだ。
どのみち後のことを考えれば生かしておく理由も無かったわけで、その過程にこだわるのは自己満足に過ぎない。
────今はそれよりも。
(彼の……シンの恐怖政治は、こちらでも変わらないか)
私が知る原作でも、生き延びたスペードの部下を手ずから処刑する場面があった。
スペードの最後の反応を見るにこちらでもそれは変わらない……いや。
(姉さんをさらったタイミングの早さを考えると、より長い統治で強調されていてもおかしくはないかも)
……こちらがやることは変わらないが、より気を引き締めていく必要がありそうだ。
★
「ありがとう……ありがとう……おかげで、おかげで村は救われました……!」
私とケンシロウさんに向けて涙ながらに頭を下げるミスミさん。
種もみを無事持ち帰り、さらに村を襲う脅威の存在がなくなったことでようやく肩の荷が下りた気分なのだろう。
その後、私たちが持つ知識と併せて、種もみを実らせるための方策を少し話し合った。
私の現代の知識と照らし合わせて……というのも少し考えなくも無かったが、専門家でも何でも無い素人だし、あまり余計なことを言う必要も無いか。
……それに、今思い出す事例としては少々不謹慎だが、荒野に倒れた死体の形に草が生い茂る、なんて無茶な場面も原作であったぐらいだし。
強くたくましい人が生きる世紀末は、植物もまた強くたくましいのだ、きっと。
半年かけて事をなし、ケンシロウさんの心を動かしたミスミさんの強い意志があれば、この種もみはきっとこの大地に豊かな実りをもたらすことだろう。
「────ふぅー……」
「あん? どうしたよマコト?」
「いえ、なんでもありませんよ」
目前に迫ったKING……シンとつける決着のこと、私自身に足りないもののこと、これから変わる未来のこと。
不安要素は考え始めればキリがない。
────それでも。
(……これは、多分私がこの世界に来た意味の……その第一歩だ)
満面の笑顔で未来に思いを馳せるミスミさんと村人たち、そしてそれを穏やかな微笑とともに見守るケンシロウさん。
彼らを見て、これまでやってきたこと……
そのほんの一部だけでも、今このとき報われていることを実感し、私は胸に灯る熱を噛み締めていた。
ミスミじいさん、生存。
アメトーークの北斗の拳芸人などでも、墓に種もみぱらぱら撒いてるだけやんけってツッコミが入っていましたが、この世界の生命はいろいろ強いので多分アレも立派に実ったことでしょう。