第1話「魔法科高校に入学するゾ」
魔法。
それまでは単なる伝説やおとぎ話の産物だったそれは、20世紀の終わり頃に超能力の存在が公式に確認されたことで現実のものとなった。最初は突然変異で現れる“特別なもの”という見方が強かったが、世界各国の開発競争もあってここ100年の間にすっかり“技術”として確立されるようになった。
その開発競争を大きく後押ししたのは、大規模な寒冷化による資源不足から端を発した“第三次世界大戦”だった。他人事だった国家が1つとして存在しない凄惨極まるものだったが、意外にもこの戦争で核兵器は一度も使われていない。それもひとえに魔法師達が放射汚染兵器の使用阻止を目的に“国際魔法協会”を設立したからであり、その功績が認められて大戦後の世界でも国際的な平和機関として名誉ある地位を与えられている。
そのような経緯もあり、魔法という新たな技術を手に入れた世界はこれまでと大きく様変わりした。魔法師の育成がそのまま軍事力に繋がるようになり、有力各国はこぞって魔法師育成に力を入れるようになる。
そしてそれは、人の心にも大きく影響していった。
魔法を使える者は自分が選ばれた存在であると思い込むようになり、魔法を使えない者を下に見るようになった。また魔法を使えない者は、魔法を使える者を嫉妬の対象として見るようになり、胸の内に歪んだ想いを育てていくこととなった。そして一部の人間は、その感情を“反魔法活動”として発散するようになる。
魔法による光と影を内包しながらも、世界は22世紀の到来を迎えようとしている。
「おぉっ! キレイなお姉さんがいっぱーい! やっぱり東京は違いますなぁ」
かつて“嵐を呼ぶ幼稚園児”と称されていた、1人の少年と共に。
* * *
2095年4月3日。
この日、東京都八王子に建てられた国立魔法大学付属第一高校では、日本武道館のような形をした講堂にて入学式を執り行おうとしていた。これから始まる高校生活に対する期待と不安を胸に秘めた新入生が、若干緊張の面持ちを携えて続々と講堂に集まっている。
そんな中、他の生徒よりも表情の変化に乏しい1人の男子生徒がいた。
「さてと、早いとこ席を確保しておかなくてはな……」
彼の名は、司波達也。目を惹くほどではないが精悍な顔立ちをしており、襟が立ち後裾の長い燕尾服のようなデザインをした白と緑の制服に隠されたその体は、見る人が見ればなかなか鍛えられたものであることが分かる。
しかし彼はここに来るまでの間、幾人もの生徒から侮蔑の目を向けられていた。
その原因は、制服の左胸と肩の辺りにあしらわれた“空白”にあった。
すべての魔法科高校で採用されているわけではないが、第一高校では入学試験の結果により“一科生”と“二科生”に分けられる。
そもそも魔法科高校には一年間で輩出する魔法師の数にノルマが課されているのだが、いくら魔法の技術が確立されたからといって入学者全員に教師による授業を行えるだけの余裕は無い。かといってノルマぎりぎりの人数に抑えてしまうと、万一事故が起こって再起不能になってしまったときに都合が悪い。
そこで第一高校が採用したのがこの制度である。普段教師による授業を受けられるのは一科生のみ。そして万一一科生から再起不能者が現れたときは、二科生の生徒を穴埋めとして補充するのである。
そして一科生と二科生を区別するために、前者の制服には八枚花弁のエンブレムが制服に刺繍され、二科生の制服にはそれが無かった。それによって生徒達の間では、一科生のことを
とはいえ、達也自身に差別思想に対する不満は特に無かった。思うところが無いといえば嘘になるが、それを承知で入学したのは自分である。むしろ彼は、一科生に遠慮して後ろの席に固まっている二科生達に対して呆れてすらいた。
しかしながら彼としても、それに反発して一科生に混ざって席に着くような目立つ真似はしたくなかった。なので彼も他の二科生に倣って後ろの席へと歩みを進め、ちょうど4人ほど空いていた席の一番端へと腰を下ろした。
一息吐き、式が始まるまで静かに待とうと思ったそのとき、
「あのう、隣、空いてますか?」
聞き慣れない少女の声に達也が目を向けると、肩に掛かるほどの黒髪に眼鏡を掛けた、どこかおっとりとした印象を受ける少女がそこにいた。達也が「どうぞ」と手振りで伝えると、少女は安心したように「ありがとうございます」と控えめに頭を下げた。
「やったー! 一緒に座れるね美月!」
「ひゃぁ!」
そして後ろからいきなり抱きついてきた少女に、美月と呼ばれた眼鏡の少女は驚きのあまり変な声をあげていた。
その少女は美月と対照的にとても活発で、明るい栗色の髪とスレンダーな体つきが目に留まる、まさに“美少女”と呼んで差し支えない外見だった。どこか日本人離れした容姿に見えることから、ひょっとしたら彼女に外国の血が混ざっているのかもしれない。
「ええと、そちらの方は?」
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は柴田美月っていいます、よろしくお願いします」
「あたしは千葉エリカ! よろしくね!」
「司波達也だ。よろしく」
互いに自己紹介を終え、エリカが「何だかアタシ達って似た苗字だよねぇ」などと言っているのを横目に、達也は1人考え込んでいた。
――弱視なんて簡単に完治できるこの時代に眼鏡を掛けているということは、彼女の眼に何か秘密がありそうだな……。それにもう1人の彼女は“千葉”か……。確か“
日本において魔法に優れた血を持つ家は、慣例的に数字を含む苗字を持っている。数値の大小が実力に直結する訳ではないが、苗字に数字が入っている場合、魔法師の血筋が濃いことを表し、魔法師の力量を推測する一つの目安となる。
“個人的な諸事情”を多く抱える達也にとって、2人は警戒を持つに値する相手だった。しかし彼はそれを表に出すこともなく、新たな友人に対するコミュニケーションと何ら変わらない会話を2人と交わす。
そうして時間は進み、入学式の始まる時間がすぐそこまで迫ってきた。達也の3つ隣、つまりエリカの隣の席は、未だに空席のままである。
このまま空席の状態で入学式を迎えることになると達也が思った、そのとき、
「おぉっ! 危ないところだったゾ! ねぇねぇ、まだ始まってないよね!」
ほとんど歩く者のいなくなった通路を全力疾走し、その空席に滑り込むようにしてやって来たその少年は、額から汗を流して大きく息を荒げながら、たまたま隣にいたエリカへと人懐っこい笑みで話し掛けてきた。
「大丈夫よ、ギリギリセーフ」
「おぉっ、良かったぁ! んもう、アクション仮面の目覚まし時計が壊れたせいで、駅からここまでずっと走りっぱなしだったゾ!」
生徒達の雑談で騒がしい講堂の中でも一際騒がしい少年の声に、達也は何の気なしに少年の方へと視線を向けた。
その少年は達也と同じくらいの身長で、短く切り揃えられた黒髪がスポーツ少年のように爽やかだった。太い眉毛がとても凛々しいものの、少年の浮かべる気の抜けた笑顔のせいか全体的な印象は柔らかい。
そして彼の制服には、八枚花弁のエンブレムが燦然と輝いていた。
「ねぇねぇ、“シャトーブリアンも胡椒が変”ってことで自己紹介しない?」
「……もしかして“袖振り合うも他生の縁”って言いたいの?」
「おぉっ! そうとも言うー」
「そうとしか言わないって……。アタシは千葉エリカ。隣にいる子が柴田美月で、その隣にいる彼が司波達也」
「よろしくお願いしますね」
「よろしく」
エリカの紹介に合わせて頭を下げる2人に、その少年は「ご丁寧にどうもどうも」と同じく頭を下げた。
そして彼は、自分の名前を口にした。
「オラ、野原しんのすけ。“しんちゃん”って呼んでね」
「――――!」
「――――!」
その瞬間、エリカと達也の目が大きく見開かれた。
「えっ! 野原しんのすけって……、もしかしてあなた、去年の中等部剣道大会の全国チャンピオンのっ!」
「おぉっ! もしかしてオラのファン? いやぁ、照れますなぁ」
「いや、別にファンって訳じゃないけど……。へぇ、まさか剣道のチャンピオンが第一高校に、しかも一科生として入学するなんてねぇ……」
「おっ? そんなに珍しい?」
「魔法が使える人って、大体は“剣術”に流れてっちゃうからねぇ。そういうアタシも剣術だし」
「おぉっ! エリカちゃんも剣道やってるんだ!」
「いや、だからアタシは剣術で――」
共通の話題で盛り上がるエリカに反して、達也のしんのすけを見つめる表情は実に緊迫したものだった。
――成程、コイツが“あの人”の言っていた野原しんのすけか……。
『静粛に! 只今より、国立魔法大学付属第一高校入学式を始めます』
と、そのとき、会場にアナウンスが鳴り響いた。達也を始めとした4人は揃って前を向き、それが合図だったかのように入学式は始まった。
いくら時代が変わったとはいえ、入学式のような儀礼的なものは100年前とさほど変化は無い。第一高校の校長が壇上に上がって長々と挨拶し、一般の生徒にとっては初めて聞くことの多い来賓者紹介(場合によっては挨拶も含む)が続く。それは非常に退屈なものであり、現にしんのすけ辺りは大きな欠伸をして今にも寝てしまいそうである。
そして、来賓者紹介が終わった頃、
『続きまして、新入生答辞。――新入生代表、司波深雪』
アナウンスと共に壇上に現れた少女の姿に、会場のあちこちから溜息のような声が漏れた。
その少女は、一言で表せば“非常に美人”だった。背中に届くほどに長く艶のある黒髪、透き通るような白い肌が見る人の心に強く焼き付き、男女の区別無く魅了する可憐で神秘的な容姿をしている。それはまさに、オーバーテクノロジーによって青少年の願望が具現化した立体映像だと言われても信じられるほどだった。
そんな彼女は、苗字が同じことから何となく察しがつくだろうが、達也の妹だった。
「うわぁ、あの子美人だなぁ」
何の嫌味も無しにそんな感想をぽつりと呟くエリカに対し、美月はちらりと達也の方を見遣って再び壇上へと視線を戻した。
そして多くの羨望と陶酔の眼差しに晒されたその少女は、それでも表情1つ変えることなく答辞を読み上げ始めた。
『このハレの日に、歓迎のお言葉を頂きまして、誠に感謝致します。私は新入生を代表し、第一高校の一員としての誇りを持ち、皆等しく勉学に励み、魔法以外でも共に学び、この学び舎で成長することを誓います――』
「――――!」
一見すると何の変哲も無い答辞のように思えるが、それを聞いた達也は一瞬体が凍りつくような反応を見せた。
“皆等しく”“魔法以外でも”という言葉は、試験の結果で一科生と二科生に分け、魔法師を育て上げることを第一の目標にしているここにおいては、決して相容れるような言葉ではなかったからである。下手をすれば、選民意識の強い生徒達の神経を刺激することにもなりかねない。
しかしそれを聞いている生徒達は、ほぼ全員が彼女自身の姿に夢中になっており、答辞の内容について思いを巡らせることは無かった。それを知った達也は安心したようにホッと胸を撫で下ろし、彼女の答辞を聞くことに集中する。
そして、しんのすけはというと、
「うーん、式が終わったら起こして……」
そう言い残して、1人夢の世界へと旅立っていった。
* * *
入学式も終わり、生徒達が続々と講堂を後にする。
「あたしE組なんだけど、みんなは?」
「私もです」
「俺もだな」
「えぇっ、オラだけA組? 今からでも二科生になろっかなぁ?」
「何言ってんの。せっかく一科生になれたんだから、素直にそっちに行きなさい。別に教室が別ってだけで、授業以外でも別々に行動しなきゃいけないわけじゃないんだから」
エリカの言葉に、しんのすけは「ほーい」と渋々ながら了承した。エリカ達3人は苦笑するものの、自分達と一緒のクラスになりたいという言葉に悪い気はしていないようだ。
「そういえば、この後のホームルームはどうします? 自由参加みたいですけど」
「あっ! だったらさ、この後みんなで喫茶店でも行かない? アイネブリーゼっていう、何だか雰囲気の良さそうな店を近くで見つけたんだよね」
「ほーほー、それは良いですなぁ」
エリカの提案にしんのすけが乗り気になっていると、達也が申し訳なさそうな表情で軽く右手を挙げた。
「あ、悪い。俺は妹と待ち合わせしてるんだ」
「妹って、ひょっとして司波深雪さんですか?」
「えっ? それって、さっき新入生代表で答辞をしてた子よね? ってことは双子?」
「いや、俺は4月で、深雪は3月の早生まれだから同じ学年なんだ。――それにしても柴田さん、よく俺と深雪が兄妹だって分かったね。全然似てないのに」
「いえ、それは……、お二人とも苗字が一緒でしたし。それに何より……、“オーラ”が似ていましたから……」
「……柴田さんは、随分と“眼が良い”んだね」
美月の言葉で、達也は確信した。
魔法などの超心理現象が起こるときに観測される粒子として、“
しかも美月の場合、常に特殊なレンズで遮断しなければいけないほどに症状が重い。つまりそれは、それだけ彼女の目が“特別”であることを意味している。
――これ以上彼女に見られるのは、危険かもしれないな……。
達也がそんなことを考えていた、そのとき、
「お兄様! お待たせ致しました!」
聞き慣れたその声に、名前を呼ばれた達也、そして美月とエリカとしんのすけが顔を向けた。
先程壇上で“神々しい”とまで表現できる姿で答辞を読み上げていた彼女が、晴れやかな笑みを浮かべてこちらへと駆け寄ってくるのが見えた。そんな彼女の姿に、美月もエリカも驚きで目を丸くしている。
そしてそんな彼女の後ろをついていく、ウェーブの掛かった長い黒髪を少々大きなリボンで纏めた小柄な少女がいるのに気が付いた。童顔ながらも見る者のほとんどが美人と称する整った顔立ちをした彼女は、達也たちに対してもその微笑みを崩すことなく凛としている。彼女の隣に付き従う、こちらに対して不審の表情を隠さない少年よりも遥かに頼もしく見えた。
ちなみに達也は講堂に行く前に1回顔を合わせていたために、彼女がこの学校の現生徒会長である
「みゆ――」
「お兄様?」
そんな彼女となぜ一緒にいるのか尋ねようとした達也だったが、それは深雪によって遮られた。
彼女の視線は、達也の後ろにいる美月とエリカに注がれている。
「その方達は?」
「ああ、同じクラスの柴田美月さんと、千葉エリカさんだ」
「そうですか……。――早速クラスメイトと、デートですか?」
それを聞いた達也は、美月でもないのに、彼女の背後で吹雪が巻き起こっているかのようなオーラが見えたような気がした。エリカと美月も同じような印象を受けたようで、2人共顔を引き攣らせて固まっている。
「おぉっ、達也くん! モテモテですなぁ!」
「……からかわないでくれ、しんのすけ。――深雪も、そんなことを言ってはいけないよ」
子供を叱るような口調で窘める達也に、深雪はシュンと顔を俯かせた。
「……申し訳ございません、柴田さん、千葉さん。司波深雪です、お兄様同様、よろしくお願い致します」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「よろしくね! ――ねぇねぇ、あたしはエリカで良いから、深雪って呼んで良い?」
「ええ、お兄様と区別がつかないものね」
「あはは! 深雪って実は案外気さく?」
楽しげに話す深雪達を横目に、達也は真由美の方をチラリと見た。彼女はニコニコと笑みを携えて彼女達を眺めるのみで、特に口を挟もうとはしない。
「深雪。生徒会の方々との用があるんじゃないのか?」
達也が気を利かせてそう言ったが、真由美は手を横に振って、
「大丈夫ですよ、今日は挨拶だけですから。先にご予定があるんですもの、また日を改めますわ」
「会長! それでは、こちらの予定が――」
真由美の言葉に、彼女の隣にいた少年が口を挟む。しかし真由美は特に意に介した様子も無く、チラリと彼に視線を遣っただけで黙らせた。一応は引き下がったその少年だが、それでも納得していないのか達也のことをギロリと睨みつけた。
真由美は彼の行動には気づいているようだが、殊更取り上げるつもりも無いらしい。彼女はそのまま「それでは、またいずれゆっくりと」と言って、その場を後にしようと――
「――――あら」
ふいに彼女はそう呟いて立ち止まると、ゆっくりとした動きで向き直った。
しんのすけに対して。
「そちらにいるのは、野原しんのすけくんかしら?」
「おっ? オラのこと知ってるの?」
いきなり声を掛けられたしんのすけだけでなく、美月やエリカ、さらには真由美の隣にいる少年さえも不思議そうな表情を浮かべていた。それはそうだ。生徒会長という生徒自治のトップにいる人間が、一科生とはいえ新入生総代でもない一生徒のことを事前に知っており、さらにはわざわざ立ち止まって声を掛けたのだから。
「私はこの学校の生徒会長をやっている、七草真由美といいます。これからよろしくね、野原しんのすけくん」
おそらく誰もが同じことを思っているであろうしんのすけの質問には答えず、真由美は自己紹介をして優雅に頭を下げた。
「オラのことは気軽に“しんちゃん”って呼んで良いぞ、真由美ちゃん」
「――お、おまえ! 会長に向かって馴れ馴れしく――」
「ええ、よろしくね、しんちゃん。――それじゃ、今日はここで失礼するわね。深雪さんも、また今度ゆっくりお話しましょう」
真由美はそう言い残して、その場を去っていった。一瞬反応の遅れた少年も慌てて彼女を追い掛け、この場にはしんのすけ達1年生だけが残される結果となった。
「しんちゃん。会長とは知り合いだったの?」
「ううん、全然」
「じゃあ、なんで会長はしんちゃんに声を掛けたんでしょうね?」
首をかしげながら会話を交わす3人の後ろで、深雪が緊張の面持ちで達也に近づいてきた。
「お兄様、もしかして彼が――」
「あぁ。昨日“叔母上”が言っていた、あの“野原しんのすけ”だ」
達也はしんのすけを見つめながら、自分の学生生活に嵐が吹き荒れることを確信した。
「ねぇねぇ、そこのキレイなお姉さーん! 今からオラと一緒に、コーヒーを飲みながらお喋りしなーい?」
「えっ、えっと……」
「ちょっと! 何やってるの、しんちゃん!」
「
「えっと、如何しますか、お兄様……?」
「……今すぐ止めるぞ、深雪」