嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第ー103話「絶世の美少女と出会ったゾ」

 8月5日。

 沖縄到着初日から親類主催のパーティーに参加し、それが終わって家に戻り、結局ベッドに入ったのは真夜中近く。こうして振り返ってみても随分とハードな1日だったのだが、深雪が日も昇りきらないような時間に目を覚ましてしまったのは、体に染み込んでしまった習慣の成せる業なのだろう。

 二度寝をするようなだらしない女になりたくない、と深雪は頑張ってベッドから起き上がると、カーテンと窓を開けて部屋の空気を入れ換えることにした。この部屋は裏庭に面した2階であるため、パジャマ姿を誰かに見られる心配は無い。だとしても最低限身だしなみを整えるのが、本当のレディというものなのだろうが。

 潮の香りのする風を胸いっぱいに吸い込み、体に溜まっていた古い空気と入れ換えるように大きく息を吐き出す。先程までぼんやりしていた意識も徐々に覚醒していき、だからなのか庭の方から物音が聞こえてくるのに気がついた。

 

 裏庭では、達也がトレーニングをしていた。

 腰を落として右足を踏み出し、右手を突き出して左手を突き出す。

 腰を落としたまま左足を踏み出し、突き出したままの左手をさらに伸ばしたかと思うと、その手を素早く引いて交差するように右手を突き出す。

 右足を左足に引き寄せながら体をターンさせ、右手を内側から外側へ、左手を外側から内側へ、右手を上に、左手を下に力強く開く。

 

 両手に1キロくらいのハンドウェイトを持って1つ1つの動作を丁寧に決めていく達也の姿は、それが空手なのか拳法なのかの知識も無い深雪ですら見惚れるほどに鮮やかだった。

 そうして深雪が見つめる中、達也は裏庭の半分ほどをグルリと1周する円を描いたところで動きを止め、体の力を抜いて大きく息を吐いた。まさかもう終わりなのか、と深雪は深呼吸する彼の後ろ姿を未練がましく見つめている。

 もう一度あの素晴らしい“舞”を見せてくれないか、と深雪が淡い期待感を抱いていると、達也は自然な動作で踵を返し、そして視線を上げて裏庭に面した2階の部屋の窓を、つまり深雪へと視線を合わせた。

 

「おはよう、深雪。もう起きたのか?」

「あっ、おはようございます、お兄さ――!」

 

 突然声を掛けられたことに驚きながらも挨拶を返す深雪だったが、ここでハッと思い出した。

 自分は今、寝起きのパジャマ姿のままでいることに。

 

「――も、申し訳ございません!」

 

 大きな音をたてて勢いよくカーテンを閉めたことで、深雪の姿は裏庭から見えなくなった。

 そんな妹の微笑ましい姿に、達也はクスリと笑みを漏らした。

 

 

 

 

 四葉本家にいるときと同じように、朝食を用意するのは桜井の役目だ。この別荘にも自動調理機が備わっているのだが、彼女自身が「機械が作った料理は味気ない」と考えるタイプなので、基本的に司波家の料理は彼女の手作りとなっている。最近は深雪もよく手伝うようになったのだが、深雪としては“まだまだ”と言わざるを得ない。

 

「今日のご予定は決めていらっしゃいますか?」

「暑さが和らいだら、船で沖へ出るのも良いわね」

「ではクルーザーを?」

「そうね……。あまり大きくないセーリングヨットが良いわ」

「分かりました。4時に出港ということで宜しいですか?」

「ええ、それでお願い」

 

 深夜の思いつきに近い提案に、桜井が慣れた様子で段取りを組んでいく。これで深雪達も4時以降の予定が決まったことになるが、直射日光の苦手な深夜はそれまで別荘で過ごすことになるだろう、と深雪は考えた。

 

「お兄様、どこか行かれたい場所はお有りですか?」

「いや、こういうことを決めるのは苦手でな、深雪が決めてくれた方が助かる」

「深雪さん、達也くん。特にご予定が無いのでしたら、ビーチに出られては如何です? 寝転んでいるだけでもリフレッシュできると思いますよ」

 

 桜井からの提案に2人は顔を見合わせ、そして深雪が返事をする。

 

「そうですね、午前中はそうすることにします」

「では深雪さん、お支度を手伝いましょう! うふふ、水着になるのでしたら隅々まで日焼け止めを塗っておきませんとね!」

 

 待ってましたとばかりに満面の笑みを浮かべる桜井に、深雪はなぜか言い様の無いプレッシャーを感じ取った。

 

「えっ……? いえ、自分でできるので大丈夫です」

「いえいえ、遠慮なさらずに。南国の日差しは強烈ですからね、塗り残しがあっては大変です」

「えっと、桜井さん、目つきが怪しくないですか……?」

「水着の下までしっかり処置しておきませんと。うふふふふ……」

 

 本能的に危機感を覚えた深雪がバッと踵を返し、しかし1歩も進まない内に桜井に手首をガッと掴まれてしまった。痛みを感じるほど強く握られているわけでもないのに、深雪がどうやっても振り解くことができない。

 

「さぁ、お支度しましょうね」

「ちょっと待ってください、桜井さん! ――お兄様! あの、助けて――」

 

 そのまま2階に引っ張られながら深雪は必死に兄へと助けを求めるが、達也は笑いを堪えるように肩を震わせながら顔を背けてしまった。

 弱々しい「お兄様ぁ……」の言葉を残して、深雪はダイニングから姿を消していった。

 

 

 *         *         *

 

 

 桜井の手で体の隅々まで日焼け止めクリームを塗りたくられた深雪は、達也と共に別荘から最も近い場所にあるビーチへとやって来た。

 達也は膝上丈の海パンにパーカーを羽織り、深雪はビキニとまではいかなくともかなり露出の多いセパレートタイプの水着をチュニックに隠している。当然ながらそれも深雪の趣味ではなく、桜井にむりやり着させられたものだ。

 

「大丈夫か、深雪? シートとパラソルは用意したから、とりあえず横になると良い」

「はい、ありがとうございます、お兄様……」

 

 とにかく楽な姿勢になりたかった深雪は、達也の厚意に甘えてチュニックを脱いで俯せに体を横たえた。“絶世の美少女”という形容が嫌味でなく似合う彼女のそんなあられもない姿を目の前にして、達也は眉1つ動かさずに彼女の隣に腰を下ろして水平線を眺めるだけである。

 せっかく海に来たのに泳ぎもせず自分の世話をさせていることに深雪はとても申し訳ない気持ちでいっぱいになるが、同時に愛しの兄を独り占めしていることへの充足感も覚えていた。そんな気持ちを紛らわすためか、深雪は兄から目を逸らしてビーチへと視線を飛ばす。

 ビーチにはすでに何組かグループがいて、皆が思い思いに海を楽しんでいた。

 小学校低学年くらいの女の子とそれよりも少し年上の男の子が、父親らしき男性を無邪気に海へと引っ張っていく。

 その隣には無人のパラソルがあり、2人分のパーカーが無造作に置かれている。

 更にその隣では――

 

「ん? どうした、深雪?」

 

 突然慌てたように視線を逸らした深雪に達也が尋ね、そして彼女が直前まで見ていた方へ視線を向けた。そして何やら納得した様子で、再び深雪へと視線を戻す。

 そこには高校生くらいのカップルがいて、男性が女性にオイルを塗っていた。俯せになっているとはいえ女性は人目を遮る物が無いこの場所でビキニの紐を外して背中を全開にし、男性がその背中を丹念に撫で回してオイルを塗り込んでいた。それはかなり際どい所まで及んでおり、というか深雪としては完全に触っているようにしか見えなかった。

 

 ――男の人って、ああいうことが好きなのかしら?

 

 深雪は学校の友人からの又聞きで、()()()先輩がデートの度にボーイフレンドから体を求められて困っている、という話を聞いたことがあった。そのときは女の子を何だと思ってるのか、そもそも相手は中学生なのに、“フリーセックス”なんて悪しき習慣は半世紀も昔に終わってるのに、と憤慨したことを憶えている。

 とはいえ、先程の女性は深雪から見ても嫌がっている印象は受けなかった。俯せになっていたので表情こそ見えなかったが、するが儘になっているということは男性の行為を受け入れているのだろう。

 

 ――もしも私が、お兄様にそんなことをされたとしたら……。

 

 そんな想いを抱きながら、深雪は首だけを動かして達也の顔を窺い見た。

 深雪を見ていたらしい達也とバッチリ目が合い、深雪は硬直して視線を逸らすこともできなくなった。

 

「お、お兄様……」

「深雪……」

 

 真っ赤に頬を染める深雪と、そんな彼女をジッと見つめ続ける達也。

 2人の間に何ともいえない空気が流れ出した、そのとき、

 

「ねぇねぇお姉さん、オラ達と一緒に沖縄の海を満喫しな~い?」

「ゴメンねボウヤ、今日はそんな気分じゃないから」

「イヤ~ン、つれな~い!」

 

 自分達と同じくらいの歳をした水着姿の少年が、スタイルの良い水着姿の若い女性をナンパしている光景に出くわした。女性の方は達也たちの前を横切って歩きながら軽く少年をあしらい、そして少年はそれに平行しながらめげることなく声を掛け続けている。

 自分達の真正面でそんな遣り取りを繰り広げられている深雪と達也は、それを唖然とした表情で見つめていた。

 深雪は、自身が嫌悪しているタイプの人間がまさに目の前に現れたために。

 そして達也は、その少年に非常に見覚えがあったために。

 

「やれやれ、仕方ありませんなぁ。それにしても、綺麗なお姉さんがこんなにも沢山いるなんて、やっぱり沖縄はサイコーだゾ! それじゃさっそく次のお姉さんを――おぉっ! そこにいるのは達也くんじゃないかぁ!」

 

 こちらの存在に気づいた少年――野原しんのすけに、達也は「気づかれてしまったか……」とでも言いたげに顔をしかめ、そして深雪は「嘘でしょお兄様!」とでも言いたげに達也へと勢いよく顔を向ける。

 

「昨日だけじゃなくて今日もこうして出会うなんて……。やっぱりオラと達也くんは、運命の赤い糸で結ばれているのね!」

「えっと、お兄様……? その……」

「誤解だ、深雪。昨日のパーティーの会場だったホテルに彼が泊まっていて、たまたま顔を合わせただけだ」

 

 戸惑いを隠せない様子で言葉を詰まらせる深雪に、達也は若干早口で弁明した。恋人に浮気がバレたときの男の心情はこんな感じなのか、などと考えながら。

 

「そうだ、達也くん! 達也くんも一緒に、綺麗なお姉さんに声を掛けに行かない? せっかくこんなに綺麗なお姉さんがいるんだから、仲良くならないなんて勿体ないゾ!」

「……悪いが、俺は遠慮する。妹と一緒に来てるんでな」

「んもう、達也くんはお堅いですなぁ。――というか、妹?」

「あ、あの!」

 

 深雪が大声で呼び掛けたことで、初めて気づいたようにしんのすけが彼女に視線を向ける。

 

「わ、私、司波達也の妹の司波深雪と申します!」

「これはこれは。オラ、野原しんのすけ。しんちゃんって呼んで――」

「野原さん! 兄はとても真面目で、学校でも先生や友人達からとても慕われているんです! そんな兄を、ふ、ふしだらな道に引き摺り込もうとしないでください!」

「ふしだらだなんて人聞きの悪い。オラはただ、綺麗なお姉さんと一緒に一夏の淡い思い出を作ろうと――」

「そ、それをふしだらだと言ってるんです!」

 

 初対面の異性に対して詰め寄る深雪に、しんのすけは若干困った様子を見せながらも軽くあしらっている。ちなみにどちらとも露出の多い水着姿なのだが、どちらともそれに意識を向けている様子は無い。

 2人の遣り取りを眺めながら、達也は内心しんのすけに感心していた。

 達也は妹のことを、一切誇張抜きで“絶世の美少女”だと認識している。実際彼女と顔を合わせた者は同性異性の区別無く、そして年齢の区別無く彼女に見とれるのが通常運転だ。そんな彼女の水着姿となれば、どれだけ無関心を装おうと本能には抗えないとばかりに意識を向けるのが普通なのである。

 だがしんのすけは、彼女を目の前にして一切それを気にする素振りを見せない。そもそも彼女に話し掛けられるまでその存在に気づかなかったというのが、達也としては結構な衝撃だったのだ。

 

「仕方ないですなぁ。だったら達也くん、一緒に海で泳がない? 母ちゃんとひまが買い物で父ちゃんがその荷物持ちだから、1人でずっと暇してたんだゾ。――深雪ちゃんも、それなら良いでしょ?」

「まぁ、それでしたら……」

 

 深雪がそう言って、チラチラと達也へ視線を向ける。

 2人分の視線に、達也は小さく溜息を吐いた。

 

「分かった、それなら構わない」

「やっほ~い! んじゃ、オラは先に行ってるね~!」

 

 しんのすけは嬉しそうにそう言って、海に向かって全力で走り出した。浜辺では足が取られてスピードが出せないはずなのだが、今の彼はそれこそ短距離走の選手かと見紛うほどの速さだった。達也は再び心の中で、彼に対する評価を上方修正した。

 と、そのとき、

 

「いやぁん」

 

 語尾にハートが付きそうな声色で、海に向かって走っていたしんのすけが突然バランスを崩した。とはいえ、転ぶまでには至らなかった。反応が早かったために足を砂に突き刺し、その場に踏み留まることができたからだ。

 しかしながら、無事にそれで終わったとは言い難い。

 

「おいおい、どこ見て歩いてんだよ、あぁん?」

 

 しんのすけがバランスを崩したときに傍にいた男性グループが、凄んだ声で彼に因縁を付けてきたからだ。

 最初に絡んできたのは、軍服を着崩した肌の黒い大柄な男だ。その後ろにも同じように軍服姿の男が2人いて、同じように海外の血が入った見た目をしている。そしてその全員が、彼を見下ろしてニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべている。

 

「お兄様! あの人達は……!」

「あぁ、おそらく“取り残された血統(レフト・ブラッド)”だな」

 

 レフト・ブラッドとは、20年戦争の激化によって沖縄に駐留していたアメリカ軍(当時はまだUSA)がハワイへ引き上げた際、沖縄に取り残されてしまった子供達のことを指す。

 親を戦争で亡くした彼らの多くは、米軍基地を引き継いだ国防軍の施設に引き取られ、そのまま軍人となった者が多い。彼ら自身は立派に国境防衛を果たした勇猛な兵士だったのだが、その子供(つまり第2世代)は素行の良くない者も多く社会問題になっている。レフト・ブラッドには近づくな、というのがガイドブックでの定型文になっているほどだ。

 そうでなくとも自分より頭1つか2つ分は大きな男達に対し、しんのすけは一切怯える表情を見せなかった。

 

「えぇっ? オラはちゃんと避けようとしたゾ。そっちからぶつかってきたんでしょ」

「あぁ? ガキのくせに、俺達に喧嘩売ろうっていうのか?」

「止めとけよ、ガキ。その歳で死にたくねぇだろ?」

「ほら、さっさとママの所へ帰んな」

「んもう、メンド臭いですなぁ。そんな絡み方、師匠ですら高校卒業する頃には止めてたゾ。もう良い歳なんだから、いつまでもチャラチャラしてないで大人になりなさい」

「な――何だとテメェ!」

 

 こめかみに血管を浮かび上がらせて顔を赤らめる男達に、達也の背中に隠れる深雪は逆に顔を青ざめていく。

 それを感じ取った達也が、小さく溜息を吐いてから彼らへと歩みを進めた。

 

「いい加減にしろ」

 

 特別大きくはないがやけにハッキリ聞こえたその声に、全員がそちらへと顔を向ける。

 

「さっきのは、明らかにおまえ達の方からぶつかってきた。本来なら謝るのはこちらではなく、おまえ達だ。――詫びを求めるつもりは無いから、来た道を引き返せ。それが互いのためだ」

「……何だと?」

 

 まるで少年らしくない口調で、まるで少年らしくない台詞を吐く達也に、男達は怒りの矛先をしんのすけから彼へと向け直して詰め寄ってくる。

 しかし達也は、一切表情を動かさない。それは彼の背後にいる深雪も同じで、しんのすけが絡まれていたときと比べて今はむしろ落ち着き払った様子だ。

 

「おい、そこのガキ。今何か言ったか?」

山葵(わさび)を求めるつもりは無いとか言ってましたぜ、アニキ!」

「聞こえていたはずだが」

「そうだそうだ! 聞こえてなかったフリは白々しいゾ!」

「……地面に頭を擦りつけて、許しを乞いな。今なら青痣程度で許してやる」

「本来できるはずなのだ……! 本当にすまないという気持ちで……胸がいっぱいなら……!」

「……土下座しろ、という意味だったら、“頭を”ではなく“額を”と言うべきだ」

「そうだそうだ! “頭を”だと三点倒立でもOKになっちゃうゾ!」

「ちょっとしんちゃん! あなた、どっちの味方なの!?」

 

 コロコロと立ち位置を変えて口を挟むしんのすけに、ようやく深雪がツッコミの言葉を入れた。「さすが深雪ちゃん、良い間でツッコんでくれたゾ」と達也の脇へと戻る彼に、達也も男達も呆れたような白い目を向ける。

 

「なぁ桧垣(ひがき)、止めようぜ。正直、そういう空気でも無いだろ」

「うるせぇ! ここまで虚仮(こけ)にされて黙ってられっかよ!」

 

 桧垣と呼ばれた男がそう叫び、その勢いに任せるように達也へと殴り掛かった。これにはしんのすけもさすがに焦ったようで、「あっ!」と目を見開いて声をあげた。

 情け容赦の無い、普通の子供が受ければ間違いなく吹き飛ばされて重傷を負うであろう一撃。

 達也はそれを、真正面から受け止めた。衝撃を完全に受け流したのか、その体はほとんど後ろに下がっていない。

 

「おっ? おっ?」

 

 困惑の反応を示すのはしんのすけだけだが、桧垣達も同じように驚きの表情を浮かべていた。魔法でも使ったのかと思われるが、それらしい兆候はまるで見当たらない。

 

「面白いな……。単なる悪ふざけのつもりだったんだが」

 

 桧垣はニヤリと笑うと達也から距離を取って腕を引き、左右の拳を胸の前に構えた。ボクシングかあるいは空手か、格闘技や武道に詳しくない深雪やしんのすけにはよく分からない。

 ただ1つ分かるのは、遊び半分だった相手が本気になった、ということだ。

 

「良いのか? ここから先は、洒落じゃ済まないぞ?」

「ガキにしちゃ、随分と気合いの入った台詞を吐くもんだな」

 

 達也の挑発に桧垣はそう答え、大きく1歩前へ踏み出し――

 

 

「君達、子供相手に何をしているのかね」

 

 

 桧垣の背後から近づいてきたその男が、今まさに振り下ろそうとしていた拳を掴んでその動きを止めた。桧垣本人だけでなく彼を見守っていた仲間達、そしてしんのすけも男の存在に気づいていなかったようで、目を丸くしてそちらへと勢いよく振り向いた。

 その男は白人系の見た目をしており、日本人の血が入っている桧垣達と違って純粋な外国人のようだ。そしてその身長も体格も、軍人である桧垣達と何ら見劣りしないほどに鍛えられているのが服の上からでも分かる。

 

「君達はこの国の軍人なのだろう。君達が日々鍛えているのは、自国の子供達に暴力を振るうためなのか?」

 

 淀みない日本語を紡ぐ白人系の男だが、それ以上に目を惹くのはその眼光の鋭さだった。しかしその言動に粗野な部分は無く、毅然とした態度も併せてどこか紳士を思わせる。

 そんな男の対応に、桧垣はヒートアップしていた表情を落ち着かせ、そして居心地悪そうに歪ませる。

 

「――ふん、興が削がれた。テメェら、行くぞ」

「あっ、おい待て!」

 

 その場から逃げるように去っていく桧垣を、仲間の男達が慌てたように追い掛ける。

 チラチラとこちらを見遣っていた男達が遠くなっていくのを見送って、白人系の男は達也たちへと向き直った。

 

「君達、怪我は無かったかね?」

「自分達は大丈夫です。お手数をお掛けしました」

「気にしないでくれ、と言いたいところだが、君の挑発的な言動は少しいただけなかったな。自分の実力に自信があるのかもしれないが、面倒事を避けるための処世術というのも憶えておくべきだろう」

「……以後、気をつけます」

 

 軽く頭を下げる達也の背後で、深雪は若干不満そうな目で白人系の男を見つめた。

 それに気づいた彼が苦笑いを浮かべる中、しんのすけが彼に話し掛ける。

 

「日本語上手いね。オラのお隣さんのベルトくんより上手いかも」

「そうかい? ありがとう。日本には旅行で娘と良く来るんだ。今日もちょうど娘とビーチに遊びに来ていたところでね。――【リーナ、こちらに来なさい】」

 

 しんのすけの問いに白人系の男は日本語で答えた後、少し離れた場所に英語で呼び掛けた。ちなみに【 】内の台詞は英語とする。

 彼に呼ばれてその場に駆け寄ってきたのは、“絶世の美少女”という形容がまったく嫌味にならない少女だった。

 高級な絹糸のように煌びやかな金色の髪に、晴れやかな青空がそのまま閉じ込められたかのような碧い瞳。人形かホログラムかとばかりに整った容姿をしたその少女は、その華奢な体躯から見て年上に見積もっても中学生を超えないくらいの年齢だ。

 深雪という存在を普段から目にする達也でさえ、彼女の容姿には一瞬動きを止めたくらいだ。まさか自分の妹に匹敵する美貌が存在するとは、などとシスコン全開の思考を脳裏に過ぎらせる。

 

「自己紹介させてもらおう。私はベン、アメリカから旅行でここに来ている。――リーナ、挨拶しなさい」

「初めまして、ワタシはリーナ。多分みんなと同じくらいの歳かな? 宜しくね」

 

 ベンと名乗ったその男に促され、ニコリと華やかな笑みを浮かべてその絶世の美少女――リーナはそう挨拶を口にした。

 

 

 

 

「何だ何だ? 俺達があの子達に絡みに行く予定じゃなかったか?」

「どうやら本当に地元の奴らに絡まれてたようだな。最初に作戦を聞いたときは随分とベタだと思ったが、どうやら問題無く接触できたようだ」

「臨機応変にってヤツか。それじゃ俺達は当初の予定通り、遠くで待機してるとしよう」

 

 彼らから少し離れた場所にて、鍛え上げられた体を持つ外国人の男達がそのような会話を交わしていた。

 

 

 *         *         *

 

 

『ターゲットが潜伏していると思しきホテルを発見』

「了解。地図データをこっちに寄越せ、俺もすぐに向かう」

『はっ!』

 

 短い遣り取りの末に通話が切られ、その男は携帯端末をコートのポケットにしまった。真夏の沖縄にしては暑い服装に思われるが、サングラスを掛けたその男は汗1つ掻いていない。

 男が横に目を向ける。南国特有の青く澄んだ海が視界に広がる。

 それを眺めながら、男はポツリと呟いた。

 

「沖縄か。俺からしたら、些か華やかに過ぎるな」


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