「スタッフの方ですか? こちらから呼んだ憶えは無いのですが」
突然部屋の前にやって来た自称スタッフの呼び掛けに、しんのすけが咄嗟にドアへと近づこうとするのを手で制した達也が逆に呼び掛ける。
おそらく女性と思われる自称スタッフは、いたって平易な口調でそれに答える。
「現在そちらにいらっしゃる野原しんのすけ様のお連れ様につきまして、お話したいことがございます。ドアを開けて、部屋の中に入れて頂けますでしょうか?」
「おっ? 伝言?」
「――――!」
しんのすけが首を傾げ、深雪とリーナの表情に緊張が走った。
達也も目に携える鋭さを増し、しんのすけに差し向ける腕を下ろすことなく口を開く。
「話だけなら、そこでもできます。そこでどうぞ」
「何分プライバシーに関わる話ですので、他のお客様の耳に入る場所ではちょっと――」
「構いません、どうぞ」
「達也くん、オラが構うんだけど」
しんのすけが横からツッコミを入れるが、達也にそれを聞き入れる姿勢は見られない。ジッとドアを睨みつけているだけだ。
ほんの数秒、ドアの向こうから逡巡するような雰囲気が感じ取れた。
そしてその後、再び自称スタッフの声が聞こえてくる。
「先程、そちらの部屋に盗聴器が仕掛けられていることが判明しました」
「そういう論法で来たわけね」
リーナが独り言のように漏らした言葉は、まさに達也が内心思っていたことだった。
「そうですか。俺達が盗聴器を見つけたタイミングでそれを伝えに来るなんて、色々と勘繰ってしまいそうですね」
「盗聴器が仕掛けられたことに気づかず、お客様をお通ししてしまったことにつきましては、誠に申し訳なく思っております。つきましてはお連れの方を当ホテルのスイートルームにご案内し、その間にこの部屋の盗聴器を撤去させて頂くこととなりました。もちろん盗聴器を撤去した後も、お客様はそのままスイートルームにご滞在なさることも可能でございます」
「なーんだ、父ちゃん達はそっちに居たのかぁ」
「野原くん、奴の言葉を素直に信用しては駄目だ」
すっかり安心した様子のしんのすけに、達也が間髪入れず忠告する。
「つまりこの部屋の盗聴器は、ホテル側が仕掛けた物ではないと」
「当然でございます。我々がそのようなことをするはずがありません」
「それでは俺達がこの盗聴器を撤去して、その出処を調べても構いませんね?」
「お客様のご友人のお手を煩わせる必要はございません。盗聴器の撤去はこちらで致しますし、調査についても警察の協力の下で行わせて頂きます」
「俺達としても、部屋に仕掛けられた盗聴器の出処が気になって仕方がないのですよ。こちらには警察にも引けを取らない調査能力を持つ伝手がありますので」
「えっ、そうなの?」
しんのすけが深雪に尋ねるが、彼女は苦笑いを浮かべるだけで答えなかった。
昨日のパーティーの主催者である黒羽家は、四葉の数ある分家の中でも特に諜報分野を担当している。達也の“警察にも引けを取らない”という評もけっして過大ではなく、盗聴器の出処を探るくらいならやってのけるだろう。とはいえ今回は完全に四葉とは関係無い事件なので黒羽家の力を借りられるとは到底思えないが、達也はあくまで『伝手がある』と言っただけなので嘘ではない。
ちなみにリーナは、その遣り取りに軽く肩を竦めていた。どうやら達也の言葉をハッタリだと判断したようである。
「……大変恐縮ですが、今お話されてる方は当ホテルのお客様ではございません。お客様と直接お話させて頂きたいのですが」
今の自称スタッフの発言は、本人は努めて冷静でいるよう心掛けているようだが、僅かな声の震えから達也には相手が苛立っているように感じられた。
達也はすぐには返事をせず、代わりに無言のまま壁一面を占有する大きな窓をスッと指差した。真っ先に反応したのがリーナで、彼女はカーペットのおかげで足音1つ立てることなく窓まで移動してそれを開ける。潮風が部屋の中に入り込み、リーナと深雪の長い髪が小さく揺れた。
それを確認してから、達也は口を開いた。
「成程、部外者は黙っていろということですか」
「いえ、けっしてそのような――」
「でしたら、こちらからも1つ確認させて頂きたいのですが」
自称スタッフの言葉を遮って、達也がドアの向こう側にいる
「今こうして話している女性の方は別にして、その周りで臨戦態勢を取っている5人の男は本当にホテルのスタッフなのですか? さすがに銃火器の類は無いようですが、それでも得物を隠し持っていますよね?」
「――――!」
達也の言葉に、リーナがギョッと目を見開いて達也へと振り向いた。何故ドアの向こうにいる奴らの人数や武器を知ることができるのか、といった表情だ。そしてこんな状況にも拘わらず、しんのすけは相変わらずキョトンと首を傾げるばかりである。
ドアの向こうから、声が聞こえなくなった。部屋の中でも外でも、誰もが口を噤んだままその場を動かずにいる。
その均衡を破ったのは――達也だった。
「窓から飛び下りろ!」
いや、正確にはドアの向こうでまず動きがあり、それを受けて達也が3人に指示を出した。
「えっ? えっ?」
最初にバルコニーへと飛び出した深雪が下を覗き込み、戸惑うしんのすけを無理矢理引っ張って達也がその後に続き、リーナがドアを注視しながら
バルコニーは胸の高さほどの柵で囲まれているが、ビーチバレーで卓越した運動能力を見せつけた達也とリーナは当然として、深雪も意外と軽々とした動きで柵の上へとその身をよじ登らせる。
「野原くん。怖いだろうが、ここから飛び降りるんだ」
「えっ? いや、急に言われても――」
その瞬間、背後でドアが
全員がそちらへ顔を向けると、髪を顎の長さで切り揃えて前髪をセンターで分ける女性を筆頭に、全身黒服の男達が達也の言う通り5人、部屋の中に押し掛けてきた。こちらに向ける敵意を隠そうともしないその姿は、とてもまともなホテルのスタッフだとは思えない。
部屋の中とバルコニーとの間で行われる、一瞬の睨み合い。
その均衡を破ったのは――今度はしんのすけだった。
「おぉっ! ベージュおパンツのお姉さん! お久しブリブリ~!」
「――――はあっ!?」
その言葉に女性が顔を紅くし、若干短めのスカートを手で隠すように身を捩らせる。
それに釣られて、周りの男達も視線も女性の方へと向けられる。
「今だ!」
「えっ――おわぁっ!」
達也の呼び掛けと共に、しんのすけの体が独りでにフワリと浮き上がり、バルコニーの柵を飛び越えてその外へと投げ出された。
それと同時に、達也たち3人も柵を自力で越えて空中へと飛び出していく。
「ま、待てっ!」
女性の叫び声が、部屋の中から聞こえた。
その男は、とある芸能プロダクションの3代目社長だった。社長とは言っても先代社長である親からその地位を譲り受けただけに過ぎず、エンタメ業界の厳しさというものをその身で感じたことなど1度も無い。彼にとって社長の椅子というのは、刹那的な虚栄心を満足させるための手段でしかなかった。
そんな彼は現在、沖縄でもトップクラスの高級リゾートホテルのプールにて、1人の女性と共に大きなフロートマットの上に寝そべっていた。少女を卒業したばかりの瑞々しさと初々しさが残るその美女は、彼のプロダクションに所属する女優であり、最近テレビで存在感を見せ始めてきた期待の若手である。
彼にとってタレント達とは、いわば“宝石”のようなものだった。磨き上げたりカットして付加価値を与えるのが自分の仕事だという意味でもあるし、たとえ他の職人が磨いたものでも金さえ積めば買い取れる“商品”でしかないという意味でもある。
そういった意味では、その女性は彼が今一番お気に入りの“アクセサリー”と言える。元々は顔が良いだけの大根役者だったのをここまで育てたのは自分だと思っており、その労力に対する正当な報酬として“良い想い”をするのは当然だと考えている。そして彼にはそんな女性が、それこそ数十人はいた。
「どうだい、このホテルは? 体を休めるには最適だろう?」
「えぇ、そうね。さすが人気のホテルなだけはあるわね」
引き締まった体を惜しげも無く晒す水着姿でそう評価する彼女に、男は得意気な笑みを浮かべている。自分が建てたりプロデュースしたわけでもないのに、なぜか自分が褒められているかのような態度で胸を張っている。
チラリ、と周りに目を遣る。高級なだけあって客層も身なりや言動に気を遣う富裕層が多いが、そんな彼らの間でも彼女の顔が知られているのか、あるいは純粋に彼女の外見が目を惹くのか、露骨にならない程度にチラチラとこちらを窺っていることが分かる。自分のアクセサリーに皆が見惚れているのを肌で感じ、男はますます悦に入った様子だった。
一頻り下衆な欲求を満たしたところで、男は心の中で気持ちを切り替えた。こうしてわざわざ高級なリゾートホテルに彼女を連れてきたのも、ひとえに“見返り”を求めてのことだ。もっと言ってしまえば、男としての“より直接的な欲求”を彼女で満たすためである。
彼女だって馬鹿ではない。こうして旅行に同行しているということは、少なからずそういった展開になることは織り込み済みのはずだ。男は逸る気持ちを抑えつつ、コホンと咳払いをしてから口を開いた。
「なぁ、ところで今夜は――」
「あら? 何だか暗くない?」
他ならぬ彼女に出鼻を挫かれたことに怒りの1つも湧いてくるが、それを懸命に抑えながら頭上へと視線を遣る。
快晴の沖縄の空に、2人の少年と2人の少女がいた。
そしてその少年少女は、こちらに向かって落ちてきていた。
「――――はあっ!?」
男が声をあげたその瞬間、4人は男達のすぐ近くにドボンと着水した。その際に大きな波が立ちフロートマットが大きく揺れるが、それ自体が大きいのでひっくり返るには至らなかった。
その代わり、男の顔には思いっきり水が掛かった。
「エフッ! ゴホッ! エフンッ!」
水が鼻の奥に入った男が半分溺れかけたような咳をするが、少年の1人が「早くここから脱出するぞ!」と呼び掛けるからか全員男には頓着せず、そのままプールサイドへと泳いでその場を離れようとする。
「ま、待て! 謝罪の1つでも――――!」
それに文句を言おうと男が詰め寄ろうとしたが、2人の少女を認識したところでその言葉が中途半端に呑み込まれた。
自分の連れの女性を宝石とするならば、その2人は金を出せば買えるような代物ではない、例えるなら
しかも今の2人は、プールに落ちたことで全身が濡れている。どうやら服の下に水着を纏っているようで下着が見えるなどということは無いが、首筋に張りついた髪などが中学生くらいの少女とは思えない艶めかしさを演出している。その二律背反を両立させる視覚情報の暴力が、男の発言と思考を無理矢理停止させた。
男が我に返ったのは、4人の少年少女がプールサイドに上がり切ったときのことだった。
「今のはいったい――」
「可愛かったわね、今の女の子」
背後から聞こえる軽やかな、しかし男にとっては禍々しく聞こえるその声に、男はビクッと肩を跳ね上げて後ろを振り返った。
自分の連れである女性が、惚れ惚れするほどに晴れやかな満面の笑みを浮かべていた。男が自分の手で育てたと豪語する演技力をフルに発揮し、胸の内をまったく悟らせない見事な笑顔だった。
完全に余談だが、その日2人は別れた。
* * *
「いただきマンモス!」
ホテルから少し離れた場所にある、大勢の客で賑わうステーキハウス。円形のテーブルに達也・深雪・リーナ・しんのすけの順に座り、タッチパネルで注文した料理がウエイターによって運ばれると、しんのすけが興奮した様子で真っ先にステーキに齧りつき、それを横目に達也たちも料理へと手を伸ばしていく。人気店だけあって、舌の肥えた達也たちも満足する味だった。
ステーキを所望したのはしんのすけだが、この店を選んだのは達也だった。ホテルでの遣り取りから相手はあまり事を荒立てたくないのだと推測され、ならば無関係の人が多いここでは下手な真似はできないと読んだからである。もちろんしんのすけにはそういった考えは伏せたうえで、たまたま目についた店を選んだ風に装っている。
「それにしても、深雪ちゃんが魔法使いだったなんてビックリだゾ! 服もあっという間に乾いちゃうし、やっぱり魔法って便利だゾ!」
「魔法使いじゃなくて、正確には“魔法師”だけどね」
深雪が使用した魔法は、プールに飛び込むときの重力制御魔法に、その際に濡れた服の水分を飛ばす発散魔法。自分に敵意を持った相手から逃走するという精神的負荷が掛かった状態で自分も含めた4人に対して同時に作用させるという、中学1年生にしてはかなり高度なことをやってのけているのだが、案の定しんのすけはそれに気づいた様子は無かった。
しかし達也はそれよりも、深雪が魔法師であると分かってもしんのすけが一切態度を変えないことの方に興味を持った。達也と深雪が通う中学校は魔法的素質の無い者の方が多い一般的な学校なのだが、彼女はそこでクラスメイトから若干の距離を置かれている。高嶺の花でおいそれと近づけないという見方もできるが、おそらく魔法を使う彼女に対して恐怖心が拭い切れないのだろう。
だが、しんのすけに関してはそれが一切見られない。深雪の美貌に対して頓着しないだけあって、そういったことにも動じない性格ということなのだろうか。
あるいは――
「それで野原くん、これからどうするつもりだ?」
「そうですなぁ……。やっぱり暑いからアイスにしようかな?」
「いや、デザートのことじゃなくて、奴らに連れ去られた野原くんのご家族のことなんだが」
達也が(おそらく本人にその自覚は無いだろうが)ツッコミを入れると、しんのすけは「あっ、そっち?」と今まで忘れてたかのような反応を見せた。敢えて惚けることで強がっているのだと達也は思うことにした。
「っていうか、ヘーキじゃないの? スイートルームに移ったって、さっき言ってたじゃん」
「客の部屋に武器を持ってやって来て、挙句の果てにドアを蹴破って中に入ってきた奴らの言葉をそのまま信じるならな」
「ふーむ……。それじゃ、父ちゃん達がどこにいるか調べる?」
「問題はその方法だが――」
「それならシンちゃん、ワタシに任せてちょうだい」
食器を一切鳴らさずにステーキを切り分けていたリーナが、待ってましたとばかりに横から会話に割り込んできた。
「パパの知り合いに人探しが得意な人達がいるから、彼らに協力してもらいましょう。きっとシンちゃんのご家族もすぐに見つかるわよ」
「おぉっ! それは頼もしいですなぁ! それじゃ――」
リーナに素直な賞賛を贈るしんのすけに、達也は手を伸ばして彼の発言を一旦制止させると、その鋭い視線をまっすぐリーナに向けて質問をぶつける。
「リーナ、そろそろ説明してくれないか? 君達は何者だ? なぜ親子だと偽って俺達と接触してきた?」
「――タツヤ、こっちからも言わせてもらうけど、あなたとミユキだってワタシと立場は大して変わらないのは分かってる? 元々シンちゃんの友達ってわけでもないのに、どうしてそこまで気に掛けているの?」
達也とリーナの睨み合いに、深雪は固唾を呑んでそれを見守り、そして彼女の向かいに座るしんのすけは自分が話題の中心だというのに我関せずの態度でステーキを頬張っていた。
そして質問を質問で返された達也は、図らずも虚を突かれた気分となった。確かにしんのすけと出会ってからの自分の行動は、普段の自分の性格から大きく逸脱している。彼は旅行先で初めて出会った人物と交友を深めるような性格ではないし、ましてや昼食を共にするなど一度として無い。
ほんの数秒の間だけではあるが、達也はリーナの質問について真剣に考え、
「……いくら初めて出会ったとはいえ、明らかに犯罪に巻き込まれているのを見過ごせるわけがないだろう」
初めてのケースだから普段と違う行動を取ったのだろう、という結論に達した。
「リーナの立場については、この場では一旦置いておこう。だったらせめて、あのホテルに関する情報は教えてくれないか? 敵を知らなければ、こちらとしても対策を立てづらい」
達也の申し出に、リーナは迷う素振りを見せながらも口を開いた。
「……正直なところ、ワタシもスウィートボーイズという組織についてはよく知らないの。表向きはホテル事業をしていることくらい。そしてワタシ達は、あの組織から逃げ出したっていう1人の男の亡命を手助けしている」
「その男は何者だ? なぜリーナ達が亡命を手助けする?」
「それについても、ワタシは聞かされていないわ」
「――使えないな」
「悪かったわね! 所詮ワタシはただの“候補生”よ!」
「候補生?」
ピクリと眉が動いた達也に、リーナは「あっ」と自分がしくじったことを悟った。
「その外見、言葉のイントネーションからして、出身地はUSNA辺り……。俺達と同じくらいの年齢で他国の亡命者に助力する任務に従事、しかし自分の立場は“候補生”……」
「…………」
「余計なお世話だろうが、リーナに軍は向いていないと思うぞ」
「うるさい! というかそれだけで見当を付けるとか、あなた本当に何者!?」
勢いよく立ち上がって大声をあげたからか、さすがに周りの客が不審な目を向けてきた。リーナはハッと我に返って再び椅子に腰を下ろし、小声でも聞こえるよう身を乗り出す。
「ワ、ワタシのことよりもシンちゃんよ! シンちゃん、さっきホテルでワタシ達を襲ってきた女性を知ってる素振りだったけど、もしかして知り合いなの?」
「ベージュおパンツのお姉さんのこと?」
「……あの、できれば別の呼び方にしてあげて」
リーナのお願いに深雪が顔を紅くして、達也が気まずそうに口を引き結んだ。
そんなことはお構いなしに、しんのすけは「うーん」と首を捻る。
「と言われましてもなぁ……、オラもよく憶えてないゾ。ずーっと昔のことだし」
「憶えてるだけの範囲で構わない」
「えーっと……、今夜は焼肉だって父ちゃん達とはしゃいでたときに、よく分からないおじさんがいきなり家に入ってきて、そのおじさんを追い掛けてきたよく分からないおじさんがそのおじさんを捕まえて、後から来た方のよく分からないおじさんが何か出せって言ってきて、オラ達何のことだか全然分からないから家から逃げたんだゾ」
「凄いわね、まるで要領を得ないわ」
思わず真顔でツッコミを入れるリーナの正面で、達也が難しい顔をしながらも何とかしんのすけの言葉を解読し、
「……つまり先程の女性は、そのときの男の仲間だったということか?」
「おぉっ、さすが達也くん! いやぁ、あのときは大変だったゾ。指名手配されたせいで街のみんなが追い掛けてくるし、あのお姉さんとにかくしつこいし――」
「ちょっと待て。――指名手配?」
聞き捨てならない単語に、達也は思わずしんのすけの話を止めた。
「そうそう。テレビのニュースでオラ達が凶悪犯だって言われちゃって、懸賞金も掛けられちゃったからみんな目の色を変えちゃって。ホント、あのときは大変でしたなぁ」
「いや、さすがにそれは――」
「ホント、大変だったゾ……。アクション仮面にはハレンチ呼ばわりされるし、ななこお姉さんには嫌われるし……」
「ちょっとシンちゃん、大丈夫!? 何かトラウマ引き起こしてない!?」
急にテーブルに突っ伏してしまったしんのすけと、そんな彼を宥めるリーナ。
そんな2人を余所に、達也と深雪は困惑顔を互いに見合わせていた。
「お兄様、さすがにこれは嘘か誇張の類では……?」
「とはいえ、彼にそんなことをする理由が無いが……」
『臨時ニュースです』
と、困惑する司波兄妹の耳に飛び込んできたのは、店の壁に設置されたテレビの音声だった。先程までは昼間によくやる過去のドラマの再放送だったのだが、突然画面が切り替わり、ニュースキャスターがたった今渡されたであろう原稿を片手に緊迫した表情を見せている。
『沖縄広域警察は先程、沖縄本島にて凶悪犯が逃走中との情報を発表しました。
――犯人の名前は、野原しんのすけ、13歳。
容疑は“児童変態罪”であり、警察は犯人逮捕に協力した方に懸賞金1000万円を授与するとのことです』
「…………」
「…………」
どこで手に入れたのか、証明写真のように真正面を向いたしんのすけの画像をでかでかと映すテレビ画面を、唖然とした表情で見つめる達也と深雪。
「今はそのななこお姉さんって人もシンちゃんにメロメロなんでしょ? なら大丈夫よ」
「そうかなぁ。いやぁ、照れますなぁ」
そんなテレビと司波兄妹の様子にも気づかず、懸命に励ましの言葉を掛け続けてるリーナと、すっかり調子を取り戻したしんのすけ。
「…………」
そして満席になるほどに大勢の客が入っているにも拘わらず、誰1人言葉を発することなく全員が(ウエイターでさえも)しんのすけの座るテーブルに目を向けている店内。
「――あれっ? なんでお店の中、こんなに静かなの?」
そんな静寂は、1人の客の呼び掛けによって壊された。
「――凶悪犯がここにいるぞぉ!」
* * *
『それにしてもこの歳で指名手配とは、凶悪犯罪の低年齢化が叫ばれますね』
『詳しいことは逮捕してからになりますが、やはりこのような凶悪犯が生まれる背景には社会や政治に対する不満が背景にあると――』
恩納瀬良垣にある司波家の別荘のリビングにあるテレビからは、先程流れた速報ニュースに対してコメンテーターがそれらしい表情でそれっぽいことを話していた。
「…………」
「…………」
そしてそれを正面のソファーに座る
リビングにテレビの音声だけが流れる中、ようやく深夜が口を開いた。
「――穂波さん、貢さんに電話を繋いでちょうだい」
「畏まりました」
深夜の命令を最初から予測していたかのように、桜井は即座に返事をして自身の携帯端末を取り出した。
その最中にも、深夜は口元に指を添えて考えに耽る。
そしてポツリと、こんな言葉を漏らした。
「――まさか、“物語”が動き出したというの?」
* * *
「クソッ! どこに逃げやがった!?」
「まだ遠くには行ってないはずだ! とにかく探せ!」
「俺の1000万はどこだぁ!」
通りを縦横無尽に走り回る人々を見下ろしていた達也が、小さく胸を撫で下ろしてその頭を引っ込めた。
達也たちがいるのは、先程のステーキハウスも属する商業地区にある小規模なショッピングモールの屋上。変圧器や水道タンクくらいしか無く一般客は立入禁止となっているそこで、つい先程まで走っていた影響で荒くなった呼吸を整えている。特に女子の深雪とリーナは、大きく肩を上下させているほどに辛そうだ。
「いやぁ、大変なことになりましたなぁ」
そして渦中の人物であるはずのしんのすけが、まるで他人事のような口調でそう言った。達也たちと同じくらい走っているはずなのだが、その元気な姿はまったく疲れを感じさせない。
「リーナ、スウィートボーイズの連中は地元警察を牛耳られるほどの力を持っているのか?」
「そ、そんなの聞いてないわよ! っていうか、何なのあのニュース! 訳分かんない罪状で指名手配とか、誰も不思議に感じないの!?」
「方法はともかく、奴らはそれだけ野原くんを捕獲したいようだな……。野原くん、前回も同じようなことがあったみたいだが、そのときはどんな目的だったんだ?」
達也の質問に、しんのすけは「うーん」と考え込む素振りを見せる。
そうして悩むこと、およそ10秒。
「――――あっ!」
突然大声をあげたしんのすけに、達也が若干驚きながらも身構えた。
「何か思い出したか、野原くん?」
「オラ達、さっきのステーキのお金払ってないゾ!」
そして彼の口から飛び出した言葉に、達也は途端に体の力が抜けた。
「……そんなこと今はどうでも良いから、奴らの目的に心当たりは?」
「いやぁ、全然憶えてないゾ」
「……まぁ良い。とにかく早いところ、ここを離れる必要があるな」
「ですがお兄様、ここを離れたとして、どこに行くのですか? 私達の家は、というよりもお母様が受け入れてくれるかどうか……」
「あら、それならワタシ達がシンちゃんを匿ってあげるから――」
ここぞとばかりにリーナが会話に割り込んで自分を売り込もうとするが、それは達也が彼女の前に掌を差し出してきたことで中断された。
リーナが不満を口にしようとするが、達也の視線は彼女とは別方向に固定されていた。
この屋上に唯一繋がる、出入口のドアへと。
「誰か来る」
「――――!」
達也の言葉に、深雪とリーナの間に緊張が走る。しんのすけは、そのままだった。
4人は水道タンクの傍に移動して身を潜め、僅かに顔を覗かせてドアに注目する。
少し経ち、ドアがギィと軋む音をたてて開けられた。しかし開けたはずの人物の姿は見られず、そこから更に数秒ほど間隔が空けられる。
そうしてようやく姿を現したのは、1人の中年男性だった。その体はよく鍛えられており、そして見る者が見ればスポーツの類で身に付いた筋肉でないことが分かるものだった。それを裏付けるように、彼の顔は日焼けや火薬焼けによってなめし皮のようになっている。
しかし達也がそれ以上に気になったのは、彼が身に着けている軍服だった。
「ここに居る者達に告げる。私は国防陸軍大尉、風間
「おっ? 風間?」
その中年男性――風間の名乗りに、なぜかしんのすけが真っ先に反応した。