嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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【作者からのお知らせ】

 現在「追憶編」が途中となっておりますが、現状のペースでは完結の目処が立たないため、先に「ダブルセブン編」を公開させていただくことに致しました。「追憶編」についても続きが完成次第、挿入投稿させていただきます。
 読者の皆様には混乱を招く形となってしまい申し訳ございませんが、何卒ご了承のほどをお願い致します。


ダブルセブン編
第99話「それぞれの新生活だゾ」


 2062年某日。四葉家当主・四葉元造の娘、四葉真夜(まや)が誘拐された。

 誘拐された場所は、台北(たいぺい)。時はまさに第三次世界大戦の真っ只中であり、この4月に中学生になったばかりである真夜が海外に渡航するなど通常は有り得ない。しかし彼女は国際魔法協会東アジア支部が主催する“少年少女魔法師(マギクラフトチルドレン)交流会”に参加するために、通常ならば訪れることのない海外を訪れていた。そしてその海外渡航には、当時彼女の婚約者とされた七草弘一も同行していた。

 悲劇は、そこで起きた。

 まさに交流会の真っ最中に武装集団が会場に突撃し、この場にいる子供達の中で最も(政治的な意味で)有力な四葉真夜を誘拐した。会場には警備として魔法師も配置されていたのだが、その被害は甚大なものだった。彼らの中に敵と内通していた者がいたのでは、と後に陰謀論めいた仮説が提唱されるが、その真相は誰にも分からない。

 そしてこのとき、彼女の婚約者だった七草弘一も重傷を負った。誘拐犯との戦闘により右手と右脚に裂傷と骨折、そして右の眼球を失うという有様だった。

 

 彼の安否も心配ではあるが、それ以上に真夜は自分のこれからのことが気掛かりで仕方がなかった。麻袋で頭を覆われ、両腕を手首の辺りで縛られ、男2人に両隣を挟まれたまま車の座席らしきものに座らされている彼女だが、耳は塞がれていないので周りの会話は聞き取ることができる。

 そしてそこから推測する限り、自分がこれから向かうのは大漢(だいかん)の泉州にある崑崙方院(こんろんほういん)であることが分かった。

 

 大漢は中国の南半分が分離独立してできた国であり、北半分を有する大亜連合とは敵対関係にある。対馬が半年にわたって大亜連合に占領されていたこともあり、日本とは同盟国とまではいかなくても共通の敵を持つ協力関係にあったはずだ。つまりこれは日本にとっては、或る種の“裏切り行為”にも見えるものだった。しかし何のことはない、ただ“敵の敵は味方”なんて単純なものではなかったというだけだ。

 そして崑崙方院は大漢の組織であり、分裂前から大陸の魔法研究の中心的な存在だった。物量では大亜連合に圧倒的に劣る大漢が互角に渡り合えるのは、ひとえにここから生み出される軍事力によるものだ、というのが一般的な見方である。

 そしてここは、四葉が属しており事実上の主である第四研究所とは別の意味で“悪い噂”の絶えない研究所だ。その噂は、特に女性にとっては正視に堪えない内容となっている。

 それを思い出し、真夜の体がブルリと震えた。今自分の両脇に座る男達が、目的地に着いた途端にその牙を向けてくるかもしれない、という思いが、成熟しきっていないとはいえ自身の“女性”たる部分が悲鳴をあげて助けを求めるような感覚を生み出す。

 

「あー、それにしても今回は随分と“当たり”じゃねぇ?」

 

 そんな中、自分の隣に座る男がふいにそんなことを口を開いた。

 

「へへっ、そうだな。まぁ、俺としては少しガキすぎる気もするが、このルックスなら充分釣りが来るわ」

「やっぱ何も言わねぇ死体じゃなくて、ちゃんと反応してくれる普通の人間の方が興奮するわぁ」

「おいおい、どうせてめぇは死体の方が興奮するんだろ?」

「何を言ってんだ。今回は“人体実験”の一環なんだろ? だったらちゃんと殺さずにヤってやるよ。俺は分別のついたオトナなんだぜ?」

「“分別のついたオトナ”がレイプなんてしねぇって!」

「はははっ! それを言うんじゃねぇよ!」

 

 自分のすぐ傍で頭を疑うような会話を繰り広げる彼らに、真夜の体が無意識に恐怖で小刻みに震え出す。

 しかし男達にとって彼女の反応は、自分達の劣情を駆り立てるスパイスでしかなかった。

 

「おやおや、どうしたんだいお嬢ちゃん? そんなにブルブル震えちゃって、寒いのかなぁ?」

「そりゃいけねぇなぁ。だったら俺の体で暖めてやらなきゃなぁ」

「あぁ、俺もう駄目だ。我慢できねぇわ。ここで始めても良くね?」

「おいおい、一応実験なんだからよ、ちゃんと実験室でヤらなきゃ意味ねぇだろ」

「どうせ向こうでもヤるんだろ? だったら別に構いやしねぇって」

 

 あまりにも身勝手な会話を交わす男達に、真夜は恐怖と怒りとおぞましさと悔しさに体を震わせた。麻袋に隠れた顔は涙に濡れ、奥歯にヒビが入るのではと思うほどに噛みしめる。しかし今の彼らは真夜のそんな反応すら可笑しいらしく、聞くに堪えないノイズを彼女に浴びせ掛ける。

 そして彼らは一頻り笑った後、彼女の腕を引っ張ってむりやり自分達へと引き寄せた。

 

「大丈夫だよ、お嬢ちゃん。怖いのは最初だけで、すぐに何も考えられないように――」

 

 

 ずどぉん――――!

 

 

「きゃあっ――!」

 

 すぐ傍で爆発でも起こったかのような音と衝撃に、真夜はなす術も無く悲鳴をあげることしかできなかった。どうやら自分達が乗っていた車ごと横転したようで、彼女は体を強く叩きつけられながらも意識を失うことなく、それどころか頭を覆う麻袋や手首を縛る紐が()()()()緩まったことで、真夜はどうにかそれらを解いて視界と自由の身を取り戻した。

 男達は全員頭から血を流して気絶しており、真夜はその隙に粉々に砕け散った窓から車の外へと脱出した。どうやらそこは幹線道路から数本裏に入ったビル街の細道のようだが、それ以上に真夜は車の進路を塞ぐように道路に鎮座する“それ”に目を奪われた。

 “それ”はとても大きな、電飾に彩られた巨大な看板だった。おそらく元々はすぐ傍にあるビルの屋上にでも設置されていたのだろうが、車が通り掛かるタイミングで壊れて落ちてきたのだろう。それは看板が突き刺さっている道路に張り巡らされている無数のヒビからも推測できる。

 

 そしてその看板の上には、ヒーローの登場シーンのように堂々とした佇まいで1人の子供が立っていた。

 

 その子供は小学生にも満たないほどに幼く、綺麗に刈り揃えられた坊主頭と激太の眉毛が目を惹く男の子だった。真っ赤な半袖のシャツに黄色の半ズボンというシンプルな服装をしたその子供は、訝しげに仰ぎ見る真夜の視線に気づいたのか、ピクリと肩を跳ね上げてこちらへと視線を下ろした。

 そしてその子供は、開口一番こう言い放った。

 

「アンタ誰?」

「へっ? ――わ、私は四葉真夜と申します。えっと、あなたは?」

「オラ? オラは野原しんのすけ、5歳。ネギは嫌いだけど、納豆にはネギを入れるタイプ。しんちゃんって呼んでね」

「あ、えっと、よろしくお願いします……」

 

 同年代との交流がそれほど多くないとはいえ、明らかに今まで出会った中で類似性が見当たらない目の前の子供――野原しんのすけに、真夜は挨拶しながらも戸惑わずにはいられなかった。

 

「んで、マヤちゃんはなんでこんな所にいるの? 迷子?」

「えっと、私はその、その車にいる奴らに連れ去られそうになって――」

「おぉっ、マヤちゃんも? それは土偶ですなぁ」

「それを言うなら奇遇では? ――というか、マヤちゃん“も”?」

 

 何とも聞き捨てならない台詞を口にするしんのすけに真夜が尋ねようと――

 

「やっと見つけたぞ、ジャガイモ小僧! 我々と一緒に来てもらおうか!」

 

 その瞬間、そう叫びながらビルの屋上から飛び降りたのは、今時本場の人間でも着ないだろうというコテコテのチャイナ服を身に纏った、スタイルは抜群だが化粧が濃い美人の女性だった。そして彼女の周りには手下っぽい仮面の男達(こちらもチャイナ服だ)が多数見え、そして全員がパラシュートを背負ってフワフワとこちらへ向かってきている。

 明らかに普通の奴らではない集団の登場に真夜の顔が引き攣る中、

 

「おぉう! また追ってくるなんて、しつこい奴らだゾ! マヤちゃん、ここは逃げるゾ!」

「えっ、私も? ――きゃっ!」

「子供が逃げたぞ! 追え!」

「我々“回鍋肉院(ホイコーローいん)”から逃げられると思うな!」

 

 変態の誘拐犯から逃げたのも束の間、返事も待たずに手首を掴んできたしんのすけに引っ張られ、真夜は謎のチャイナ服集団からの逃亡劇にむりやり参加させられることとなった。

 

 

 これが後に“触れてはならない者達(アンタッチャブル)”と称される四葉家の当主となる真夜と、“嵐を呼ぶ幼稚園児”として世界中の権力者に畏怖される野原しんのすけとの出会いである。

 

 

 *         *         *

 

 

 旧長野県との境に近い旧山梨県の、山々に囲まれた狭隘(きょうあい)な盆地にその村はあった。

 その村に名前は無く、だからなのか地図にも載っていない。しかし名前以外のものは一通り揃っており、役場も警察署も消防署もライフラインも存在している。道はきちんと舗装されているし、小中一体とはいえ学校もきちんと存在する。

 2月のどんよりとした分厚い雲から降り続ける雪で、村は白く染まっていた。そのせいで家の中に閉じこもっているのか、村人らしき人々の影はどこにも見当たらない。せいぜい見掛けるのは、白っぽい雪中迷彩を身に纏いアサルトライフルを背負う10名ほどのグループくらいだろう。

 

 そんな村の中心近くに、一際大きなお屋敷があった。広大な敷地の中に幾つもの家屋が立ち並ぶ武家屋敷調日本家屋という見た目に反し、その中は利便性を優先してか近代的な洋風のデザインとなっている。

 そんな屋敷の中でも一番大きな母屋、その中でも“執務室”とでも表現されそうな部屋にて、この屋敷の主である四葉真夜がソファーにて軽く目を閉じて座っていた。異性を妖しく惹きつける妖艶な魅力と思春期の少女を連想させる可愛らしさという相反した印象を同居させ、実年齢は40歳を超えているはずなのにどう上に見積もっても三十代前半くらいにしか見えない彼女がそんな仕草をすれば、それだけで幾十億もの値がつく名画のモデルかと思わせるほどだ。

 

 コンコンコンコン、と小さくノックが鳴り、それに反応した真夜が目を開ける。

 「どうぞ」とドアに呼び掛けると、即座に「失礼致します」と1人の老執事が腰を折って入室してきた。

 

「皆様、応接室にお揃いでございます。――おや、お休みでいらっしゃいましたか」

「少し目を瞑っていただけです、休んでいたというほどではありませんよ」

 

 老執事・葉山の言葉に、真夜はニコリと優雅な笑みを携えてそう返した。それに対し、葉山は軽く会釈するのみに留める。事実はどうであれ、主人がそう言うのであればそれ以上追及することは何も無い。

 

「さてと、せっかく集まってくれたあの子達を待たせるのは可哀想ね。行きましょうか」

「畏まりました」

 

 その代わり葉山は、ソファーから立ち上がる主人をエスコートする役目を即座に買って出た。

 

 

 

 

 応接室のソファーには現在、3人の少年少女が実に緊張した面持ちで並んで座っていた。

 1人は黒羽文弥(くろばふみや)、そしてその隣に座るのは黒羽亜夜子(あやこ)。苗字が同じことからも分かる通り2人は姉弟、それも双子であり、この春に中学卒業を控えた15歳だ。しかし2人はその歳で既に、四葉家の分家の1つであり諜報部門を担う黒羽家の一員として暗躍しており、今日も真夜の命令で静岡の本拠地からわざわざこの村までやって来た。

 そして残る1人は、桜井水波(さくらいみなみ)。年齢は先の2人と同じだが、彼女は遺伝子操作により人工的に魔法力を付与された調整体の両親から生まれた“桜”シリーズの第2世代であり、普段は四葉本家の住み込みメイドとして働きながら将来的に“守護者”(ガーディアン)となるべく訓練を重ねている。

 

 そんな3人が緊張から会話も交わさずに静かに主人の到着を待つ中、形式的なノックと共に「失礼致します」と葉山がドアを開けて入室してきた。

 その瞬間に3人が一斉にソファーから立ち上がるが、それは返事も待たずにドアを開けた葉山を叱責するためではない。メイドである水波はともかく、分家とはいえ使用人を使う立場である文弥と亜夜子をしても、この家に勤める使用人の中でも1番の地位を持つ“執事長”である彼を無下に扱うことなどできやしない。

 もっとも3人がそのような行動に出た一番の理由は、葉山がドアを開けてすぐに部屋に入ってきた真夜を迎えるためなのだが。 

 

「文弥さんと亜夜子さんには、静岡からわざわざ出向いてもらってごめんなさいね。3人共、どうぞ座ってちょうだい」

「し、失礼します」

 

 緊張で体を強張らせながら、3人は再びソファーに腰を下ろした。特に普段は使用人として働く水波など、文弥と亜夜子と並んで座ることに恐縮している様子だった。この部屋に呼ばれたときに葉山から座るよう促されていなければ、おそらく葉山と同じようにソファーの後ろに立って話を聞いていたことだろう。

 葉山が紅茶の注がれた白磁のティーカップを、真夜と3人の前に置く。ここでも水波は上司である彼に紅茶を振舞われて恐縮していたが、真夜はそれを無視して紅茶を一口飲み、そして話を切り出した。

 

「3人共、もうすぐ中学校卒業ですけれど、高校はどうするか決まっているのかしら」

「……いえ、具体的にはまだ決めておりません」

「わ、私も、まだ決まっておりません」

 

 文弥と水波がそのように答えるが、文弥(と亜夜子)と水波では事情が違う。

 黒羽姉弟の場合、全国に9つある魔法科高校のいずれかに通うことはほぼ決定している。願書はオンライン化されているためこの時期に進路が未定でも問題は無いし、そのための勉学は積んでいるのでどこに通うことになったとしても合格は確実だろう。

 しかし水波の場合、進学自体が彼女の意思で決められるものではなかった。彼女は四葉に“買われた身”であり、本人が進学を望んだところで主人が必要性を感じなければそれまでだ。彼女の言う「決まっていない」は「まだ指示を受けていない」と同義なのである。

 そもそも、その程度のことは真夜も把握済のはずだ。つまりこの問い掛け自体が単なる形式的なものでしかなく、故にその次の台詞こそが彼女にとっての本題ともいえる。

 

「それならば3人共、東京の第一高校に進学するのはどうかしら?」

「――――!」

 

 彼女の問い掛け(の形をした命令)に、3人が驚きで目を丸くした。

 当然、それを見逃す真夜ではない。

 

「どうかしましたか、文弥さん。ひょっとして、第一高校は嫌ですか?」

「いいえ、滅相も無い! むしろ嬉しいくらいで――」

 

 ハッと我に返った文弥が顔を紅くしながら小さく頭を下げ、そして気を取り直して話を続けた。

 

「我々とたつ……深雪さん達が1ヶ所に集まるのは良くないだろう、と父が言っていたので、おそらく自宅から一番近い第四高校になるかと思っておりました」

「あらあら貢さんったら、当主の意向を勝手に解釈してそれを子供に吹き込むなんて」

「えっ!? あの、えっと――」

「なんて、冗談ですよ。実際、最近まではそう考えていましたしね」

 

 分かりやすく狼狽える文弥に真夜がクスリと笑ってそう告げると、彼は如何にも安心したという感じに胸を撫で下ろした。そしてそんな彼を、隣に座る亜夜子が無言で睨みつけている。

 と、悪戯っぽい笑みを浮かべていた真夜が、急に笑みをスッと消して真面目な顔つきになった。

 それに合わせて、3人の顔も改めて引き締まる。

 

「事情が変わったのは、先日の吸血鬼事件を受けてのことです」

 

 世間ではオカルトの面ばかり取り沙汰された“吸血鬼事件”だが、その真相はそれにも増してオカルト染みたものだった。異世界から地球侵略を目論んでやって来たオカマの魔法使いが引き起こした一連の事件は、最終的に彼らの作戦の要であったヘンダー城をしんのすけがぶっ壊したことで終結した。

 ヘンダーランドに客として潜入し、陰ながらそれをサポートしたことについては、文弥も亜夜子も未だ記憶に新しい。

 

「例の事件の首謀者であるマカオとジョマ達については、未だ捕縛には至っていません。それにここ1年で“彼”の周りが随分と騒がしくなってきたようですし、文弥さんと亜夜子ちゃんには東京での仕事に集中してもらった方が良いと判断しました。であれば、学校も第一高校に通う方が色々と都合が良いでしょう?」

 

 真夜の口から出た“彼”という言葉に、文弥と亜夜子の表情に僅かながら緊張の色が浮かんだ。一方、使用人でしかない水波は事情が呑み込めないようで、そんな2人に対して困惑の色を隠せないでいる。

 ともあれ、当主からの命令とあれば受けないわけにはいかない。

 

「お話は理解致しました。であるならば、我々が住むのは調布の東京本部ということですか?」

「いいえ。文弥さん達には、深雪さんと達也さんと一緒に住んでもらうことになります」

「えっ――――!」

 

 真夜のその言葉は、ともすれば第一高校に進学しろと言われたとき以上の衝撃があった。

 

「そこまで驚くことですか? いざというときには達也さんたちにも手伝ってもらうのですから、常に情報は緊密に遣り取りする必要がありますし、自宅が一緒なら作戦会議のときにも場所や時間に困ることはないでしょう」

「た、確かにそれはそうですが……」

 

 未だに衝撃が収まらない様子の黒羽姉弟を一旦放置し、真夜は水波へと視線を向けた。

 

「水波ちゃんの場合は、文弥さん達とは少し仕事の内容が異なります。4人のお世話をするハウスキーパーの役目を担うのと同時に、達也さんが何らかの事情で深雪さんの傍を離れる際に、達也さんの業務を一時的に肩代わりすることになるでしょう。とはいえ周囲の不審を招かないよう、表向きは文弥さん達と同じく2人の親戚ということにしてもらいます」

 

 達也の業務というのは、すなわち深雪の“守護者”(ガーディアン)を指している。これに関しては1年ほど前からいずれ深雪の世話係になることは聞かされていたため、予想より早く、そして世話する相手が多いことを除けばそこまで意外感を覚えるものではない。

 しかし彼女にとって最も大きな懸念は、まともに受験勉強していない自分が最難関校の1つである第一高校に合格できるのか、という点だ。

 

「試験の方は心配しなくて良いですよ」

 

 それはもしかして裏口から手を回してもらえるのだろうか、と水波は正直期待して、

 

「試験日までの3週間、必要な知識は直接脳に書き込んであげるから」

 

 四葉家はけっして甘くはない、と水波は内心落ち込んだ。洗脳装置のノウハウを利用して知識を脳に定着させる装置を使えば確かに試験には間に合うだろうが、その装置は神経をひどく消耗するのである。おそらく1週間は寝込む羽目になるだろう。

 明日からメイドの仕事を免除とし、受験後にはしばらく休みをやると真夜は言うが、それは裏を返せば「逃げ場は無いから大人しく従え」という意味だ。もちろん命令とあれば否やは無い水波だが、正直なところ憂鬱である。

 

「話は以上となります。皆さんの働き、期待していますよ」

「――――はいっ!」

 

 真夜の激励に、3人は揃って力強い返事で応えた。

 

 

 *         *         *

 

 

「……成程、事情は理解した」

 

 時と所変わって、雫がUSNAから戻ってきたその日、達也たちの自宅。

 突然やって来て四葉家当主・真夜から一緒に住むよう命令されたことを報告する文弥と亜夜子に対し、達也は何とも言い難い複雑な表情を浮かべながらそんな一言を漏らした。

 ちなみに深雪は現在キッチンにてコーヒーを淹れている最中であり、その隣で水波が所在なさげにその様子を眺めている。

 

「まぁ、部屋は空いているから好きな場所を選ぶと良い。ご覧の通り、この家は2人で住むには広くて手に余っていたところだ」

「えっ?」

「ん?」

「い、いえ、何でもありません。ありがとうございます、達也兄さん」

 

 慌てた様子で頭を下げる文弥に、亜夜子が「深雪お姉様にも感謝申し上げます」と付け加えてそれに続いた。

 実は3人が達也たちの家に来たのは今回が初めてなのだが、その際に感じた第一印象は『平凡すぎて達也たちには似合わない』といったものだった。表面上はただの高校生なのだから普通の家に住むのが当然なのは理解できるが、2人ならば人里離れた古い洋館だとか高い塀に囲まれた秘密研究所とかの方がよっぽどお似合いだ、と本気で思ったのである。

 

「ところで」

 

 と、そんな後ろめたい思いを抱いていた文弥だったが、達也の呼び掛けを受けて即座にその顔を上げた。

 気の弱い者ならばそれだけで委縮しそうな鋭い目つきをした達也と、真正面から目が合う。

 

「4年ほど前の夏、沖縄での出来事を憶えてるか?」

 

 どんな問い掛けが来るかと内心身構えていた文弥だったが、思いもよらぬその内容にキョトンとした表情を浮かべた。そしてそれは、彼の隣で同じように耳を傾けていた亜夜子も同様だった。

 

「えっと……。4年前というと、僕達が小学6年のときですよね。ホテルのホールを借りて黒羽家が主催したパーティーに、達也兄さんと深雪さんと奥様がご参加くださったのを憶えてますよ」

「文弥ったら、せっかく達也さんと久し振りに話せて喜んでたのに、達也さんが会場を出ていってしまって不機嫌になってたわね」

「ちょっ――! 何言ってるの、姉さん!」

「本当のことじゃない。――それで達也さん、それがどうかしましたか?」

「……いや、何でもない」

 

 狙いが読めない質問と一方的に打ち切られた会話に、文弥と亜夜子はますます訳が分からないといった様子でキッチンの深雪へと顔を向けた。しかし彼女も自分達と同様に、疑問で彩られた表情を浮かべていることを知るのみで終わった。

 

「…………?」

 

 3人の頭を占める疑問は、結局のところ解決されることは無かった。

 

 

 *         *         *

 

 

 第一高校から数駅ほど離れた場所に建つ、何の変哲も無い単身用アパートの一室。しんのすけが現在暮らすその部屋は、実家からの仕送りで充分に払える家賃でありながら、1人で過ごす分にはまるで窮屈さを感じさせない広さとなっている。

 少なくとも、人形1体が動き回っても何ら支障が無いくらいには。

 

「いやぁ、届いた届いた」

 

 今やどの賃貸にも標準装備となっている宅配ボックスから荷物を取りに行っていたしんのすけが、軽やかな足取りで部屋へと戻ってきた。その箱は両腕で抱えるほどに大きい代わりに薄く、それほど重量も無いように見える。

 

「何が届いたの、しんちゃん?」

 

 ソファーにちょこんと座ってテレビを観ていたトッペマが、その荷物に興味を持ってしんのすけの傍までやって来た。とはいえ床を歩いていったのではなく、ソファーから魔法を使って飛び上がり、緩やかなカーブを描いて彼の傍にフワリと下り立った形となる。

 トッペマの問い掛けに、しんのすけは蓋を留めていたテープをビリビリと雑に剥がし、その中身を取り出して彼女に見せる。

 それは、見るからに高級そうな生地で作られた、黒の礼服だった。

 

「立派な礼服じゃない。どうしたの?」

「いやぁ、雫ちゃんからパーティーに誘われちゃってさ、家に置いてたヤツを母ちゃんに送ってもらったんだゾ」

「しんちゃん、礼服なんて持ってたの? 何だか意外ね」

「あいちゃんから時々パーティーに誘われるから持ってたんだゾ。有名人に会えるし、美味しいお料理がタダで食べられるしね」

 

 何とも現金な、とトッペマが呆れ、ふと話の中に出てきた名前にハッとした。

 

「雫ちゃんって、潮さんの娘さんの?」

「そうそう。いやぁ、雫ちゃんの家に行くのは初めてだから楽しみだゾ」

「いや、事情があったとはいえ、自分の会社が経営する遊園地を破壊した子を自分のパーティーに呼ぶって、潮さんもどんだけ懐が深いのよ」

「トッペマも一緒に行く?」

「……いや、今回は遠慮しておくわ。さすがにちょっと顔を合わせづらいし」

 

 苦笑いを浮かべるトッペマに、しんのすけは「そう?」と言いながらハンガーラックに礼服を掛けた。

 

「さてと、そろそろご飯にしよーっと。今日は何にしようかな~?」

「冷蔵庫から食材を勝手に取り出して自動で料理を作るなんて、本当に便利な世の中ね」

「使い切ったのに気づかなくて、料理を作ろうってなって初めて気づくときがあるのが少し不便だけどね」

 

 100年ぶりに人間世界へとやって来た人形の魔法使いは、浦島太郎の感覚を味わいながらも存外楽しく過ごしているようだった。


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