西暦2096年4月5日木曜日。第一高校の新年度始業式前日であり、入学式の3日前でもあるこの日、司波達也は全身を映すほどに大きな鏡の前で困惑の表情を浮かべていた。
そんな彼の隣に立つのは、花も恥じらうほどに艶やかな満面の笑みを浮かべた司波深雪。そしてその後ろには目をキラキラと輝かせて状況を見守る文弥と、そんな彼も含めて今の状況を若干引き気味に眺める亜夜子。更にその後ろには水波の姿もあるが、家政婦としての
そして姿見のすぐ横にあるハンガーには、1着の真新しい制服の上着が掛かっていた。
「お兄様、早く新しい制服をお召しになった姿を私に見せてください。それとも、じらしていらっしゃるのですか?」
「…………」
ニコニコと満面の笑みで、しかしその実達也をせっつくような言葉を口にする深雪に、達也は色々と思うところはあるが一旦それを棚上げすることに決め、しかしそれでも未練がましくゆっくりとした動きで上着に手を掛けた。袖を通す手助けをしようと水波が彼へ近づこうとするが、即座に動き出した深雪によって進路を遮られたのですぐに退いた。
深雪に手伝われながら上着に袖を通した達也は、彼女が服のシルエットを整えたのを見計らって姿見へと向き直った。その鏡越しに、うっとりとした表情を浮かべる深雪の顔が窺える。
「お兄様、とってもよくお似合いです……!」
「深雪さんの言う通りです、達也兄さん!」
「……そうか」
熱っぽい溜息を吐きながら身悶える深雪と、なぜかハイテンションで拳を握り締める文弥に、達也はこの一言を絞り出すので精一杯だった。
達也が現在着ているのは、つい昨日届いたばかりの新品である。登校日には必ず着なければならないとはいえ、普通は高校生活の3年間でそうそう取り替えるようなことのない代物だ。
しかし今回の場合、達也には新たに制服を用意しなければいけない“事情”があった。それは今まで着ていた制服とのデザイン面での変更点を見れば分かるだろう。
新しい制服の左胸と肩口――先程から深雪が焼き切れそうなほどの熱視線を送っているそこには、一科生を示す八枚花弁のエンブレムとよく似た、しかし八枚歯のギアを図案化しているため別物のエンブレムがあしらわれていた。
これは今年から第一高校に新設されることとなった“魔法工学科”のシンボルである。
入学してからこの1年間、達也は対内的にも対外的にも無視できないほどの派手な実績を積み上げてきた。そんな彼に対し、そのまま“補欠”として扱うのは体裁が悪いと学校が判断して設立された、というのがもっぱらの噂だ。
新たな学科の設立によって第一高校のカリキュラムに抜本的な変更が加えられ、2年生に進級する際に一般魔法科と魔法工学科の選択が可能となった。一科生二科生を問わずに志望者を募り、3月の試験に合格することができれば、晴れて魔法工学科の生徒として魔法工学技術系に重点を置いたカリキュラムを受けることができる。
クラス分けとしては、一般魔法科の一科生が4クラスで二科生が3クラス、そして魔法工学科が1クラスとなる。今回は試験運用ということで新入生の受け入れは行わないが、良好な成果を挙げることができれば将来的には入学時点で学科を選択できるようにする予定だ。
ちなみにこれにより、一科生から魔工科に異動となった生徒の人数分、二科から一科への転科が認められるようになった。対象者は実技の成績優秀者であり、達也の友人の中では幹比古が一科へ編入することが決定している。
とはいえ今の達也にとっては、妹の手によって着せ替え人形と化している現状の方が重要だ。鏡越しに視線だけで水波に助けを求めるが、3日前にも同じように深雪主催のファッションショーの餌食となった彼女は、諦めるような表情で首を横に振るのみだった。亜夜子も同様のため、達也が視線を向けるやスイッと視線を逸らす始末である。
――まぁ、深雪も“女の子”ということだな。
実物の達也と鏡像の達也を交互に見遣ってはしゃぐ深雪を横目に見ながら、達也はむりやり自分を納得させていた。
様々なポーズを取らされた末にようやく解放された達也は、満足顔の深雪に手伝ってもらいながら部屋着に着替えてリビングへと向かった。
「それじゃみんな、お茶にしましょうか」
深雪は上機嫌な様子でそう声を掛け、今にもスキップしそうな足取りでキッチンへと消えていった。そしてそんな彼女の後を、若干早足の水波が追い掛けていく。
水波としては達也や深雪も含めた4人の世話を一手に引き受けるものと考えてこの家にやって来たのだが、深雪からしたら“達也の世話をする”という仕事を彼女に譲る気は一切無かった。よって最初の5日間ほどは表面上はにこやかに、しかし結構熾烈な駆け引きが行われ、最終的には掃除と洗濯は水波の仕事、食事の支度は2人で一緒に、達也の身支度は深雪の仕事で彼以外の身支度は水波の仕事、といった具合に曖昧な協定が成立することとなった。
隙あらば相手を出し抜こうとするところはあるものの、2人の関係は達也の見る限り平和で良好なものだ。なので達也は早々に気にしないことに決めたのだが、文弥と亜夜子は未だに慣れないのか若干顔が引き攣っているときがある。
「お兄様、それと文弥くんと亜夜子ちゃんもどうぞ」
「あぁ、ありがとう」
「ありがとうございます、深雪さん」
「ありがとうございます」
5人暮らしとなったことで新たに買い換えた大きめのダイニングテーブルに紅茶の入ったカップを人数分置き、深雪は達也の隣へと腰掛けた。そして2人の正面には文弥と亜夜子が、そして更にその隣の端っこに水波が座る、というのが5人の定位置だ。
そうして始まったティータイムの話題は、自然と3日後の入学式になっていた。
「今年の総代は男か。4年ぶり……だったか?」
「5年ぶりですよ、お兄様。七草先輩の先代も女子でしたから」
「七草家の双子が入学してくるのですし、てっきりそのどちらかだと思ってたんですが」
「そうね……。もっとも、入試で本気を出して良いのでしたら、総代は私か文弥だったと思いますけど」
随分と自信家な台詞を口にする亜夜子だったが、文弥は苦笑いするだけで否定せず、そしてそれは達也と深雪も同じだった。2人がそれだけの実力を有しているというのは、けっして身内贔屓などではない客観的な事実だからである。
「名前は
「はい、そうですね。あの“七宝”の長男です」
視線だけを向けて亜夜子に問い掛ける達也に、亜夜子がニッコリと意味ありげな笑みを浮かべて返す。
七宝家は魔法師の名門を表す
つまり同じ研究所の出自であり、十師族と師補十八家という立場の違いがある両家の子息が、同級生として第一高校に入学してくることを意味している。
「凄い偶然というか根の深い因縁というか……、厄介事を起こさなければ良いが」
「少しは騒ぎを起こしてくれた方がカモフラージュになって良いのでは?」
確かにそちらが
その騒ぎを誰が収めることになるのか、という部分に目を瞑ればの話だが。
「まぁ、入学後のことについては今考えても仕方ないだろう。――差し当たっての問題は、今夜のホームパーティーについてだ」
達也がいきなり話題を変えたが、戸惑いの感情を抱く者は誰もいない。むしろ深雪も含めた全員が、それまでリラックスしていた表情を引き締めていた。
彼らは今晩、北山家(つまり雫の家)のホームパーティーに招かれている。USNAへの短期留学を終えた雫の帰国祝い兼進級祝いであり、身内と親しい者のみで行われる小規模なものと聞いている。しかし経済界の大物・北方潮(雫の父親が使うビジネスネームだ)が催すだけあって、普通のパーティーと何ら見劣りしない豪華さになるだろう。
「文弥と亜夜子が出席する以上、水波も出席した方が良いだろう。水波も2人と同じく俺達の
「……ご命令でしたら、そのように致します」
水波の返事は使用人としては穏当なものだが、殊更に乏しい表情が『本当は気乗りしない』と物語っていた。しかし達也としても提案を取り下げるつもりは無く、端的に「ご苦労だが付き合ってくれ」と労いの言葉を掛けるに留めた。
そもそも達也が気に掛けているのは、文弥と亜夜子の方なのだから。
「
達也の言う“アイツ”とは、パーティーに招待した雫でも、彼女の親友であり今夜のパーティーにも出席するほのかでも、ましてや主催者である北山潮でもない。
その人物とはズバリ、しんのすけのことだった。
「分かりました。今日のところは、純粋に北山家のパーティーを楽しませてもらいましょう」
「あぁ、それくらいの方が良いだろうな」
「それじゃ水波ちゃん、さっそくドレスを選びましょう。私も手伝うから」
深雪が手を打ち合わせる仕草に合わせてそう言うと、本人の返事も聞かずに軽く手を引いて2階へと連れて行った。
その際の水波の動揺を露わにした表情は、達也も文弥も亜夜子も見なかったことにした。
* * *
“ホームパーティー”と銘打っているように、今回はあくまで身内と親しい者のみで行われるものだ。しかし雫の父親は弟と姉妹が合わせて5人もいて、しかも彼が晩婚だったために雫の
しかし会場に到着してみると、その大人数を収容しているにも拘わらず混み合っているという印象を受けなかった。つまりそれだけ、北山邸の所有するパーティホールが大きかったのである。
「さすがに広いな……」
思わずそう呟いた達也だったが、その感想は他の4人の共感を得るものではなかった。四葉家の跡取り候補として育てられた深雪と文弥、その補佐役として共に行動する機会の多い亜夜子、使用人とはいえ幼少期から四葉本家で育った水波とでは、軍や研究所で“庶民”と関わる機会の多い達也とは感覚の差があるようだ。
達也は内心で軽く肩を竦めて、会場を見渡して雫を探した。会場が広いといえど遠すぎて人の顔が識別できないというほどではなく、料理の置かれたテーブルのすぐ近くに華やかなドレスで着飾った彼女の姿を認めた。そして彼女に寄り添うようにして、同じくドレスに身を包むほのかもいるのに気づく。
達也本人にその意思は無いのだが、結果的に後ろに引き連れる形で深雪達と共にそちらへと足を運んだ。すると自分達に近づく人影に気づいたのか2人もすぐにこちらへと視線を向け、パッと表情を晴れやかにして(ほのかは特に分かりやすく、雫は逆に分かりにくいが)向こうの方からも近づいてきた。
やがて声を張り上げなくても声が届く距離にまで近づくと、達也が口を開くよりも先に雫がペコリと頭を下げた。
「達也さん、深雪、来てくれてありがとう」
「こちらこそ、お招きいただいてありがとう」
「2人共、ドレスがとてもお似合いよ」
「あ、ありがとう深雪! 深雪もすっごく綺麗だよ!」
勝手知ったる4人で一通り挨拶を交わすと、雫とほのかの興味は司波兄妹の後ろに控える見知らぬ3人の少年少女へと移る。
それを察した達也が目配せをすると、文弥と亜夜子が揃って1歩踏み出し、水波が2人よりも僅かに後ろの立ち位置に移動した。
「お初にお目に掛かります。達也兄さん、深雪さんの
「同じく、黒羽亜夜子と申します。どうぞ宜しくお願い致しますわ」
「同じく、桜井水波と申します。達也兄様、深雪姉様のご友人にお目に掛かり、光栄に存じます」
綺麗な振る舞いで挨拶をする3人に、雫とほのかは二重の意味で驚いた。達也と深雪に従弟妹がいたことそれ自体と、そんな彼らが明らかにこういった場に慣れていることに。
「北山雫といいます。3人共、よろしくね」
「光井ほのかです、よろしくね! へぇ、達也さんたちに従弟妹がいたなんてビックリだよ」
「ちなみに3人共、第一高校に入学するんだ。何か困ったことがあったら助けてあげてほしい」
「もちろん。それが先輩の役目だしね」
力強く頷く、雫とほのか。どうやら2人との初顔合わせは無事に成功したようだ。
できればこの流れで、しんのすけとの初顔合わせも済ませておきたいところだが、
「ところで、しんのすけはまだ到着していないのか?」
「しんちゃんですか? もう来てますよ。さっきまで一緒に喋ったりお料理食べたりしてて、トイレに行くって離れていきましたけど」
「そうか……。まぁ、少し待っていれば戻ってくるだろう。せっかくだし、何か料理でも摘まませてもらうか」
「遠慮しないで沢山食べて。深雪の好きなケーキもいっぱい用意してるから」
「も、もう! 雫ったら……」
雫の(表情に乏しいながらも)からかいを多分に含んだ言葉に、唇を尖らせる深雪。
高校生としてはひどく平凡な遣り取りに、文弥・亜夜子・水波の3人は珍しいものでも見たかのように驚きの表情を浮かべていた。
「いやぁ、さすが潮おじさんのお
そんな独り言を呟きながらパーティーホールに入ってきたのは、今日のために実家から送ってもらった黒の礼服に身を包むしんのすけだった。よく鍛えられた体は引き締まっており、成長して精悍な顔立ちとなった今の彼は黒い出で立ちも相まってスタイリッシュに決まっている。
しかしそんな彼の頭の中は、出席者に振舞われる豪華な料理の数々で占められていた。先程主催者である潮にも「存分に食べて飲んで楽しんでくれ」と言われたこともあり、トイレで小休憩を挟んだ彼の胃袋は臨戦態勢だ。
内心で気合を入れ、大きく1歩足を踏み出したしんのすけ――だったが、
「そこのあなた、ちょっと良いかしら?」
「おっ?」
しんのすけほどにでもなれば、声を聴いただけでその人物が美人かどうかすぐに分かる。普通ならば出鼻を挫かれて不機嫌になるところだが、美人だというだけで彼の機嫌を持ち直すには充分な理由になる。
そうして振り返った先にいたその女性は、間違いなく美人だった。見たところ、年齢は20代半ばほど。ルックスもスタイルも非凡であり、華やかな(もちろんTPOは弁えられている)ドレスやアクセサリーにもまるで負けていない。
「初めまして、
その美人――真紀は、自己紹介もそこそこにしんのすけの名前を確かめてきた。自分をアピールすることに慣れていない控えめな性格、というわけではない。彼女の表情に見え隠れする自信は、わざわざアピールしなくても相手が自分のことを知っていると確信していることの表れである。
そしてその考えは、けっして彼女の自意識過剰ではなかった。
「おぉっ! もしかして女優の!? オラ、真紀お姉さんが出てた大河ドラマ観てたゾ!」
「あら、アレを観ててくれたの? ありがとう」
しんのすけの言葉に、真紀は上品な笑顔を保ったままそう答えた。少し得意げな色が混ざっていたが、それくらいはご愛敬だろう。
彼女は若手と呼ばれるこの歳にして既に数多くのドラマや映画に出演する人気女優だ。ルックスだけでなく演技力でも評価されており、昨年夏に公開された『真夏の流氷』という映画でパン・パシフィック・シネマ賞の主演女優部門にもノミネートされている。
そしてしんのすけが話題に挙げた大河ドラマというのが、一昨年に放送された『青空侍』という作品だ。
戦国時代の
ちなみにこの作品のモデルとなった又兵衛について、彼が命を落とした戦にて『鉄の塊でありながら馬よりも早く戦場を駆け抜ける謎の兵器が現れた』という記述が歴史書に残されている。これが現代でいう車であり、つまり未来からタイムスリップした何者かが彼を手助けしていた、などという都市伝説が時折テレビやネットを賑わせているが、ドラマではそういった怪しげな部分を一切削ぎ落として2人の関係を集中して取り上げたところも大いに評価されている。
「あの作品はとても思い出深かったわ。あなたのような子にも楽しんでもらえて嬉しいわ」
「――まぁ、オラにとっては廉ちゃんの演技は“ちょっと惜しかった”って感じだけどね」
それまで上品な笑顔だった真紀だが、しんのすけのその一言で纏う空気が一瞬だけピリッと張り詰めた。
「……あら、そうなの? 具体的にはどの辺りがそう感じたのかしら?」
「真紀お姉さんの廉ちゃんはシャキッとしてて格好良い美人さんって感じだったけど、本当の廉ちゃんはもっと柔らかくて可愛い美人さんなんだゾ。それでいて、いざってときには大胆な行動に出たりとかするのがギャップがあって良かったんですなぁ、これが」
「……そう。貴重な意見だわ、今後の演技の参考にさせてもらうわね」
さすが人気女優、といったところか。真紀は笑顔を崩さず相手に自分の感情を読み取らせることなく、台本の台詞を読み上げるようにそれだけ言葉にした。
そして小さな呼吸1つで調子を整えると、再び上品な笑顔に戻して会話を続ける。
「それにしてもさすが優秀な魔法師さん、普通の人とは着眼点が違うのね」
「おっ? そういえばオラの名前を知ってたけど、どこかで会ったっけ?」
「いいえ、会うのは初めてよ。でも前に九校戦の中継であなたを観たことがあってね、とても絵になる男の子だなって感心してたのよ。私の知り合いの俳優とか映画監督も同じ意見だったわ」
「いやぁ、照れますなぁ」
頭を掻いてデレデレと笑うしんのすけに、真紀はクスリと笑みを深くした。
「そうだ。来週は空いてるかしら? 良かったら、私達のサロンに来てみない?」
「うーん、そうですなぁ」
「ねぇ、良いでしょ? せっかくこうして知り合えたんだもの」
内緒話でもするかのように顔をズイッと近づけて、真紀はそんな誘い文句を口にした。無邪気な表情で無垢な雰囲気を演出しつつ、絡め取るような色気を忍び込ませている。
そんな彼女に、迷う素振りを見せていたしんのすけが口を開き――
「何やっているんだ、しんのすけ? こんな所で立ち話なんて」
かけたところで、ふいに呼び掛けられた声にしんのすけはそちらへと振り向いた。
声を掛けたのは達也だが、彼以外にも深雪・雫・ほのか・文弥・亜夜子・水波がその後ろに続いており、つまり先程顔を合わせていたメンバー全員がこちらに移動してきた形となる。
「おぉっ! 達也くんと深雪ちゃん、来てたんだね。――それと」
しんのすけが一旦言葉を区切って文弥達に目を向け、達也へと視線を移す。
後ろの文弥達からでは分からないほどに小さく、達也が首を横に振る。
「……いやぁ、知らない顔ですなぁ」
「俺達の親戚で、今度一高に入学するんだ」
達也がそう言って文弥達に目配せすると3人が同時に動き出し、先程雫とほのかにしたときとまったく同じ文面で自己紹介をした。しんのすけはそれを受けて「これはこれはご丁寧に」と頭を下げる。
そしてそれが終わると、まるで自然な流れとでも言わんばかりに真紀が自己紹介を始めた。
「初めまして、小和村真紀と申します。宜しくお見知りおきください」
「えっ! もしかして女優の――ぐえっ」
ミーハーなきらいのあるほのかが大きな反応を見せたが、すぐ隣にいた雫に襟首を引っ張られ発言を中断させられた。ほのかが恨みがましい視線を雫に向けるが、彼女はどこ吹く風とばかりに無視を決め込んで真紀を見つめている。
雫以外の面々も真紀へと視線を向ける中、注目されることに慣れている彼女は微塵も気圧される様子も無く上品な笑みを浮かべている。
「ごめんなさい、あなた方のご友人をお借りしてしまって。九校戦の中継で彼のファンになったものだから、偶然彼を見掛けて柄にも無くはしゃいでしまったの」
「そうなんだって! しかもサロンに誘われちゃって、オラ困っちゃったゾ~」
全然困ってるようには見えない笑顔でそう言うしんのすけに、達也は真紀を見つめるその目を少し細めた。
それでもなお、真紀の笑顔は崩れない。
「でも今日はせっかくのお友達のパーティーだし、彼もあなた達とお喋りした方が楽しいわよね。――それじゃあね、しんのすけくん。機会があればまた会いましょう」
「ほいほ~い、またね~」
軽く手を振ってその場を去る真紀に、しんのすけも軽口を添えて手を振り返して応えた。達也たちも自然と、軽やかな足取りで会場を歩く彼女の背中を目で追っていく。
その中で最も鋭い目つきだったのは、意外にも文弥と亜夜子の2人だった。
* * *
都心にある20階建てのマンションが等間隔に林立している“高層マンション街”の一画に、20世紀後半に流行したスポーツカーを模した
その車の運転席(といっても自動運転だが)に座るのは、軽薄な印象だが身なりは安っぽくない青年。この青年、実は雫の従兄であり、更に言うと真紀の恋人でもある。年内には結婚の約束もしているほどの親密さで、だからこそ今日のパーティーにも彼女が出席していたのだが、それを雫が知ったのはパーティーが終わりかけの頃だった。
「ここで良いわ。送ってくれてありがとう」
真紀の言葉に青年は明らかに物足りなさそうだったが、彼女が身を屈めて唇を彼の頬に触れさせてニッコリと笑い掛けるだけで、青年は満足そうな笑顔であっさりと車を発進させた。
軽く手を振って笑顔で見送る真紀だったが、車が角を曲がって視界から消えた瞬間にその笑顔も消えた。白けた表情と共に溜息を吐き、彼女はマンションのエレベーターホールへと歩いていく。
彼女の部屋は、20階建てマンションの最上階。さすが大河ドラマのヒロインに抜擢されるだけあって都心のマンションの最上階に住めるほどの稼ぎがあるのか――と思われがちだが、彼女の場合は別の“事情”があった。
彼女の父親は、テレビ局を含む複数のメディア企業を傘下に持つ持株会社の社長。酢乙女家や北山家ほどではないが、小和村家もかなりの財力を有する上流階級の一員である。自宅には雑用兼務ではない正真正銘の女性ボディーガードが2人いるし、部屋の調度品は彼女の稼ぎだけでは到底手に入れられない代物ばかりである。
シャワーを浴びてリラックスドレスにガウン姿となった彼女は、ソファーに腰を沈めながらHAR(Home Automation Robot)にワインのボトルとグラスを持ってこさせた。
一通り香りを楽しみ、グラスの半分ほどに注いだワインが更にその半分になった頃、リビングのドアを開けてボディーガードが入ってきた。
「お嬢様、七宝様がお見えです」
「琢磨が? そういえばそろそろ約束の時間ね。構わないわ、通しなさい」
とても来客を迎える格好には見えないが、ボディーガードは「かしこまりました」と簡潔に答えて部屋を出た。そして彼女は慌てて着替えることも無く、少し経って部屋に入ってきた来客をそのまま迎えた。
勝手知ったるといった感じで真紀の向かいに座るのは、170センチ半ばで肉付きの薄い体、整ってはいるが子供らしさの残る少年だった。少し生意気そうな印象に見えるのは、その瞳に宿る自己主張の強い光によるものだろう。
「こんばんは、真紀」
「いらっしゃい琢磨、時間通りね。何か飲む?」
「いや、止めておく。アルコールは思考を鈍らせるからね」
真紀に酒を勧めた意図は無かったのだが、来客の少年――琢磨にはそれを指摘しなかった。口調も振る舞いも大人っぽさを過剰に意識している少年に付き合う大人の余裕を、彼女は持ち合わせている。
もっとも彼女にとって、琢磨は年下の恋人でも、ましてや“ツバメ”でもないのだが。
「北山雫とはコンタクトは取れた。でも今のところ、顔と名前を憶えてもらっただけね」
「……芸能人には興味無しか」
「でも彼女の友人の光井ほのかは、随分と私に関心を持ってた様子ね」
「そうか。光井ほのかも新2年生トップクラスの優等生だ。味方にできればきっと役に立つだろうし、北山雫も取り込めるかもしれない」
「最初は同じ新入生の間で仲間を増やしていく方が良いと思うけど」
「俺達の目的はお互いの世界で
真紀と琢磨の関係、それは言うなれば“同盟者”だ。2人はそれぞれの理由で魔法師の味方を、手駒を欲していた。その一環として、一高内で将来有望な生徒で派閥を結成しようと目論んでいるのである。
最初のターゲットは光井ほのかにするか、と琢磨が脳内で皮算用をしていると、ふいに真紀がクスリと笑みを漏らした。
「どうした、真紀?」
「いえ、芸能人の私に興味を持ってくれた子がもう1人いたなと思って。ほら、この前あなたが九校戦の中継映像を見せてくれたでしょう?」
「そこに映っていた誰かということか?」
「えぇ。モノリス・コードに出ていた野原しんのすけって子なんだけど――」
ガタンッ!
その名前が出た瞬間、あれだけ余裕たっぷりな演技(もちろんプロである真紀の目を誤魔化せるほどではないが)をしていた琢磨が目を見開き、座っていたソファーを動かすほどに体を跳ね上げさせた。
「……どうしたの、琢磨? その子がどうかした?」
「……い、いや、何でもない、大丈夫だ」
どう見ても大丈夫ではないが、こういうときの琢磨は下手に聞き出そうとしても口を割ることは無い。なので真紀としても、それ以上は訊かないことにした。
「それで、野原しんのすけは元々真紀のファンだったのか?」
「どうかしら。私のというよりは、私が演じてた大河ドラマの役柄のファンって感じだったわね。歴史が好きなのかどうか知らないけど、まるで本物を知ってるかのような口振りで私に駄目出しをする様は、ちょっと言い方が悪いけど厄介なオタクみたいで少し気持ち悪かったわね」
彼女にしては随分とストレートな毒舌に、彼女と知り合って1年ほど経つ琢磨も「そうか……」と若干引き気味だった。
「真紀の目から見て、野原しんのすけはどうだ?」
「彼自身は問題無いと思うけど、問題は彼の周りにいるお友達ね。彼をサロンに招待しようとしたら、司波深雪のお兄さんにそれを邪魔されちゃったの」
「何? 確かに司波深雪と野原しんのすけは同じクラスだと聞いていたが、その兄とも付き合いがあったのか……」
「そのようね。――そしてどうやら、その兄妹は前の生徒会長と特別な関係にあるみたい」
「前の生徒会長――七草か!」
司波兄妹とほとんど会話を交わさなかった真紀が口にした明確な嘘を、琢磨は気づくことができず頭に血を上らせた。
「これは推測だけど、2人は七草家に取り込まれてるんじゃないかしら? もしそうなら厄介ね。特に妹の方は校内に支持者も多いだろうから」
「味方が多ければ敵だって多いのが世の中だ。七草の手先なら遅かれ早かれ衝突は避けられない。やってやるさ!」
「私が聞いた話によると、妹さんは重度のブラコンで、お兄さんは結構嫌われてるみたい。その辺りが攻略のポイントになるんじゃないかしら」
「成程、良く分かった。しかしそうなると、その2人を通して野原しんのすけも七草の毒牙に掛かっている危険もあるな。ならば俺が彼の目を覚ましてやれば――」
何やらブツブツと呟く琢磨を、真紀が期待の籠もった目で見つめる。
その日の琢磨が彼女の“真意”に気づくことは、ついぞ無かった。