嵐を呼ぶ魔法科高校生   作:ゆうと00

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第101話「新学期が始まったゾ」

 2096年4月6日。新年度の初日であるが入学式はまだなので、達也と深雪は水波達を自宅に残して学校へと向かった。おそらく兄妹2人きりの通学も今日と明日で終わるということで、深雪は普段よりも達也に密着していた。近づかなければ腕を組んでいると錯覚するほどに。

 普段から注目を集めている深雪にとって、自分を遠巻きに見ているだけの視線などいちいち気にしていたらキリが無い。しかし護衛役である達也としてはそうもいかず、彼女に向けられた数々の視線に悪意が含まれていないか確認しながら通学路を歩いていく。

 そんな中、明確な敵意ではないがけっして好意的でもない視線があった。深雪に向けられるものとしては珍しく、しかもそれが少年のものとなれば尚更だ。

 

 ――あれは確か、七宝家の長男か。

 

 その少年の容姿は、今年の新入生総代として立体映像付きの身上書(プロフィール)を見たために知っていた。店舗の陰に身を潜めてこちらを見つめていた琢磨だったが、達也が視線を向けたタイミングでスッと姿を消した。

 

「お兄様?」

 

 その直後、深雪が訝しげに声を掛けた。有象無象の視線はともかく、兄の意識が自分から逸れるのは鋭敏に感じ取れるのだろう。

 達也としては、深雪に余計な心配は掛けたくない。なので「何でもないよ」と笑顔で首を横に振るだけに留め、琢磨のことについては何も言わなかった。深雪も兄が何かを隠していることは気づいているが、そんな兄の想いを無駄にしないために敢えて何も訊かないでおく。

 

「達也く~ん、深雪ちゃ~ん、こんばんは~」

「それを言うなら“おはよう”でしょ、しんちゃん」

 

 後ろから呼び掛けられた挨拶に、深雪は何度言ったか分からない定型文で返した。もはや後ろを振り返らずとも分かるその声の主は、予想通りしんのすけのものだった。

 しかし3月までの彼とは違って、肩から提げる鞄が今までよりも二回りほど大きいボストンバッグとなっていた。現代の教材はほぼ電子化されているので、そのまま短期旅行に行けそうなほどに大きな鞄など必要無いはずだ。

 

 そんな彼の姿に達也と深雪が首を傾げる中、しんのすけが鞄のチャックを開け始める。

 そうして半分ほど開いたとき、鞄の中から人間の腕らしきものがニョキッと伸びた。思わず深雪が息を呑むが、人間にしては幼児くらいに小さいこと、そしてその腕がプラスチックのような素材でできた作り物であることにすぐに気づく。

 

「――――トッペマか」

「久し振りね、達也くんに深雪ちゃん」

 

 事前に話は聞いていたので、彼女が鞄から現れること自体に驚きは無い。魔法的にしんのすけと繋がる彼女がいるのといないのとでは戦力的にも戦略的にも段違いであるため、いつ襲ってくるか分からないマカオとジョマ達に備えて彼の傍にいるという彼女の行動も理解できる。

 

「それにしても、本当に100年前とは色々変わったのね。電車もかなり様変わりしてるし、せっかくだから色々と見て回りたい感じだわ」

「……分かってると思うが、くれぐれも学校で姿を見られないでくれよ」

 

 分かってるって、と返事をするトッペマだが、達也としては不安を拭いきれなかった。

 そしてそんな兄の様子に、深雪も苦笑いを浮かべていた。

 

 

 *         *         *

 

 

 校内無線で通知された所属HR(ホームルーム)の情報によると、深雪・ほのか・雫・しんのすけはA組、今年から一科生となった幹比古はB組、新設された魔法工学科はE組なので達也と美月はそこに、そしてレオとエリカは揃ってF組となった。それを知ったとき2人は盛大に嫌な顔をしてみせたが、それが本心なのか照れ隠しなのかは本人のみぞ知るといったところだ。

 新年度最初の登校日であるが、1時限目の履修科目の登録が終われば2時限目からさっそく通常通りのカリキュラムが始まった。基本的に勤勉な性質の多い魔法科高校生だが、しんのすけなどは「最初の日くらいゆっくりさせてよ~」などと愚痴っていた。

 そんなこんなで、昼休み。

 

「ねぇねぇ達也くん、E組の先生が外国の美人なお姉さんって聞いたんだけど、本当?」

「……さすが、耳が早いな」

 

 生徒会室の会議テーブルに昼食を広げて食事会を楽しむ中、若干鼻息を荒くして尋ねるしんのすけに達也が溜息混じりでそんな感想を漏らした。

 何やら不穏な雰囲気を醸す深雪を意図的に無視して、達也が質問に答える。

 

「ジェニファー・スミス女史のことだろ? 言っておくが18年前に帰化しているから今は日本人だし、それに彼女は既婚者だぞ」

 

 その答えにしんのすけは「なーんだ」と露骨に興味を失い、深雪の座る場所からは剣呑な気配が掻き消えた。

 当日になっても実技指導の教師が発表されなかったE組だったが、最終的には先月まで魔法大学で講師を務めていたジェニファー・スミス女史がその任に就いた。USNAのボストン出身であり、年齢は推定40代前半ほど、銀の髪に青の瞳をもつ高い身長に腰の位置も高い白人種であるが、なぜ魔法技術が最先端のUSNAから日本に帰化したのか、そしてなぜ魔法大学からここにやって来たかは達也としても気になるところだ。

 

 ところで、現在この部屋には9人の生徒がいるのだが、前年度と同じ顔触れの達也・深雪・しんのすけ・ほのか・五十里・花音・あずさに加え、新たに幹比古・雫の姿もある。

 なぜ2人がここにいるのか、それは新年度にあたり生徒自治の体制に変更が生じたためである。

 一番の変化は、風紀委員だった達也が生徒会に移籍したことだろう。用意された役職は副会長であり、明らかに深雪の意思が働いているとしか思えなかったが、それぞれの長であるあずさと花音が許可しているというのであれば特に達也としてはどっちでも構わなかった。

 

「いや、中条さんは優秀な戦力が加わって満足だろうけど、アタシとしては最後まで反対だったんだからね。達也くんがいなくなったら、誰がしんちゃんという暴走列車を止めるって言うのよ!」

「それは風紀委員長である千代田先輩の役目でしょう」

「確かにそうだけどさぁ!」

 

 とはいえ、達也が抜けたことで風紀委員も人員不足であることは事実。よって達也の後任として生徒会推薦枠で幹比古が、更に昨年度末に欠員が出た部活連推薦枠として雫が指名され、両者共にこれを承諾したため風紀委員入りが決定した。

 そして今日はその2人も誘って、歓迎会的なノリで昼食会を開催したというわけである。

 

「今日の放課後もリハーサルですか?」

「リハーサルというよりも打合せですね。答辞のリハは春休み中と式直前の2回だけですし、それも段取りを練習するだけで実際に原稿を読み上げたりはしませんから」

 

 幹比古の質問にあずさが答える中、口いっぱいにご飯を含んでいたしんのすけがゴクリと飲み込み、そしてテーブルに身を乗り出して彼女に尋ねる。

 

「ねぇねぇあずさちゃん、今年の新入生ってどんなの? もう会ってるんでしょ?」

「七宝くんですか? ……そうですね、やる気がある子に見えましたよ」

「成程、野心家ってことね」

 

 せっかくあずさがオブラートに包んだのに、花音がそれを剥がしてしまった。そしてそれに苦笑いのみで否定しないあずさの反応を見るに、どうやらその評価は的外れではないようだった。

 はたして大丈夫だろうか、と達也が内心で憂鬱になる。

 そのときの視線は、昼食を摂るだけなのにわざわざ持ってきたしんのすけの大きな鞄に向けられていた。

 

 

 

 

「紹介します。今年度の新入生総代を務めてくれる、七宝琢磨くんです」

 

 そして放課後の生徒会室。既に顔を揃えていた役員一同(五十里・深雪・ほのか・達也)と、新入生を見にやって来たしんのすけを加えた5人は、あずさの紹介に合わせて彼女の隣に立つ真新しい制服に身を包む男子に目を向けた。

 先輩の注目を受けて、琢磨はペコリと一礼した。その態度は新入生としてはまずまず普通であり、あずさ以外に唯一の上級生である五十里が自己紹介をしてもそれは変わらない。

 

「副会長の司波達也です。よろしく、七宝くん」

 

 しかしそれは、達也の番になって途端に一変した。

 

「七宝、琢磨です。よろしくお願いします」

 

 不自然に苗字を誇張する言い方だが、言葉遣いよりも態度の方が礼儀正しいとはいえなかった。

 なぜなら琢磨の視線は達也の顔ではなく、左胸の辺りに固定されていたからだ。

 

「……七宝くん?」

「あっ、すみません。司波先輩が付けている歯車のエンブレムに見覚えが無かったもので」

「あぁ、それは今年から新設された魔法工学科の物なんですよ」

「そうでしたか」

 

 自分で話題を振ったにも拘わらず、琢磨の素振りは興味が無いと言外に表すものだった。

 七宝家の切り札である“ミリオン・エッジ”は現代魔法にしては珍しくCADを必要としない術式であり、そのせいか七宝家は魔法工学技術を軽視する傾向がある。それを知っていた達也としては、彼の態度を特段不快には感じなかった。

 だがそれは、あくまで達也本人だけの話であって、

 

「――同じく副会長の、司波深雪です」

 

 達也を世界一敬愛して止まない深雪にとって、琢磨の態度はけっして看過できなかった。

 “ツンと澄ました”と表現自体は月並みだが、去年の生徒会長選挙ではその表情が当時の役員に死闘を覚悟させたこともある。そのときのレベルには程遠いが、それこそ“氷雪の女王”とでも形容できそうなほどのプレッシャーを放っており、それを真正面からモロに受ける琢磨が平静を失ってもおかしくない。

 深雪の威圧に琢磨は思わずたじろぎ――

 

「ケツだけ星人、ブリブリ~!」

 

 かけたそのとき、しんのすけが深雪の真正面を猛スピードで往復しながら、前屈の要領で尻を天井に向けて突き出して腰を振りまくった。その珍妙なダンスのせいで不穏になりかけていた雰囲気は一気に霧散し、誰もがその動きに目を奪われて半強制的に視線を固定される。

 特に自分の目の前で尻が行ったり来たりしている深雪など、そのショッキングな光景に体を震わせてその場に崩れ落ち――かけ、寸前で足に思いっきり力を入れて何とか踏み留まった。

 

「し、しんちゃん! なんでその動きをしたの!?」

「いやぁ、深雪ちゃんが何だか去年の会長選挙みたいな威圧感を出してたものだから、体が勝手に反応しちゃって」

「そ、それについては確かに私も悪かったけど! だからって私の目の前でアレをやらないで! もはや精神干渉魔法かってくらいの威力なのよ!」

「でもさっきは崩れ落ちなかったじゃない。深雪ちゃんも成長してるってことだゾ」

「しんちゃんのおかげね、ありがとう!」

 

 一触即発な空気から一転、まるで漫才のような遣り取りを見せるしんのすけと深雪を目の前にして、琢磨の体は小刻みに震えていた。

 まず彼の心に宿ったのは、怒りだった。しかしその矛先は深雪ではなく、先輩とはいえ女性に対してたじろいでしまった自分自身に対してだ。

 だが彼の心には怒りだけでなく、しんのすけに対する畏れの感情も湧き上がっていた。自身が動けないほどのプレッシャーに真正面から立ち向かい、魔法の兆候すら感じさせずに深雪を無力化するその手腕は見事の一言に尽きた。

 

 ――昨年の総代を務めた実力者をも寄せ付けない真の実力者……! 成程、これこそが野原しんのすけという男か……!

 

 何やら目の奥に爛々と輝く光を携えながら、琢磨がそんなことを考えていた。

 そしてそれを見ていた達也が、さすがに琢磨の心の内までは見通せなかったものの、こんな感想を抱いた。

 何やらまた妙なことになっているかもしれない、と。

 

 

 *         *         *

 

 

 その日の夜、達也の自宅にて。

 夕食を終えた後、キッチンでは水波が使用人らしく5人分の食器を洗っており、リビングでは達也と深雪がコーヒーをテーブルに置いて寛いでいるときのこと。

 

「七宝家長男の立場を考えれば、野心家になるのは仕方のないことだろう。とはいえ、まさかいきなり睨み合いになるとは思わなかったがな」

「申し訳ございませんでした、お兄様……」

「まぁ、喧嘩に発展さえしなければ無理に仲良くする必要も無いさ」

 

 昼間の失態を思い浮かべてシュンとする深雪に、達也は小さな子供に言い聞かせるように優しい口調でそう諭す。

 そうして反省の色を露わにする深雪だったが、躊躇いがちな口調で達也の言葉に持論を返す。

 

「ですがお兄様に対する彼の態度は、ただ不遜であるという種類のものではなかったように思います。もっとベクトルのハッキリした、敵対的な意思を秘めていたような……」

「確かに。彼は俺達を警戒していた」

 

 達也が思い返すのは、今朝の当校中での琢磨について。とはいえ彼が敵意を向けているのはむしろ深雪の方であり、自分はせいぜい妹に対する敵意の付録みたいなものだ、と考えている。

 しかしそれを感じ取ったように、深雪はズイッと達也へと体を乗り出した。

 

「理由は分かりませんが、あまり軽く考えない方が良いように思われます。去年のようなことが無いとも限りませんので」

「いや、さすがにそれは無いだろう。仮にも彼は二十八家の人間だ」

 

 俺も彼の為人(ひととなり)を知ってるわけではないが、と達也は前置きしたうえで、

 

「七草家への対抗心から、七宝家は師補十八家の中でもとりわけ十師族の地位に執着が強いと言われている。ただでさえ俺達の年頃の男というのは、自分の力を認めさせたいという自己顕示欲が強いからね」

「まぁ、お兄様もですか?」

「そりゃあな。俺も人並みにそういう欲はある。――七宝くんの場合、その自己顕示欲が人一倍強いんだろう。自分が十師族に相応しいと示したい、だから自分の邪魔になりそうな相手には攻撃的な態度を取ってしまう」

「私達は七宝くんの邪魔などしておりませんが」

「周りに認められたい奴にとって、既に認められている奴は邪魔なんだよ」

 

 苦笑したまま告げられた達也の言葉に、深雪は納得したように手を叩いた。

 

「成程。つまり彼は、お兄様の名声を妬んでいたのですね!」

「……いや、嫉妬を向けられている、というよりライバル認定されているのはおまえの方だぞ」

「私が、ですか?」

「おまえは去年の新入生総代、そして九校戦でも大活躍している。俺はまぁ、深雪の付属物としてついでに敵視されてる程度じゃないか?」

「そんな……! お兄様は深雪の付属物などではありません!」

「いや、七宝くんから見た場合、という仮定の話なんだから」

「そのようなとんでもない仮定は受け入れられません!」

 

 いきなり妙なスイッチが入ってしまった深雪を、達也は少々持て余し気味だった。思わずキッチンの水波に視線を向けるも、使用人モードの彼女が主人同士の会話に口を挟むはずがない。

 さてどうするか、と達也が考えを巡らせようとしたそのとき、

 

「深雪お姉様、何を子供みたいなことを仰っているのかしら」

 

 最近この家に住み始めた亜夜子の声に、達也は助け船とばかりにそちらへ顔を向け――ほんの一瞬だけ硬直した。そして彼の隣では、深雪も同じように口をポカンと開けている。

 亜夜子はフリルなどの装飾品が過剰に添えられた、例えるならば『過激なビジュアルを売りにする系統のロックコンサートへ赴くサブカル少女』とでもなりそうなド派手な格好をしていた。長い髪も内巻きにカールされて大きなリボンで彩られ、更にその左目には分厚く大きな眼帯が当てられている。

 そしてそんな彼女の後ろにいるのは、髪型は顎の線で切り揃えたストレートショートボブ、服装は黒いミニ丈のジャンパースカートに同色のレギンス、顔だけ見ると十代半ば特有の中性的な顔立ちのため性別の判断は難しいが、胸は僅かながらも確かに膨らんでいるのが確認できる人物が、恥ずかしそうに頬を紅く染めて立っていた。

 

「えっと……、亜夜子と文弥、その格好は何だ?」

「これからご当主様の命により、海外から来た人間主義者に情報を売り渡そうとする自称ジャーナリストを捕まえに行ってきますの」

「その格好だと目立たない?」

「分かってませんわね、深雪お姉様。こんな格好だからこそ、この時間に出歩いても『あぁ不良少女か』で済まされるのではないですか」

 

 自信満々にそう言ってのける亜夜子に、達也はそれ以上何も言わなかった。合同で任務に当たるのではない限り、互いの仕事に口を出すべきではない。

 だからこそ達也は、亜夜子の後ろで恥ずかしそうに肩を震わせる少女の格好をした文弥についても一切触れないのである。

 

「というわけで、行ってまいりますわ」

「……行ってきます」

「あぁ、言うまでもないだろうが、気をつけるんだよ」

 

 本当の不良少女のように繁華街へ出掛けるノリで家を出ていく亜夜子と文弥を、達也と深雪は様々な感情を抑え込んだ表情で見送った。その心情は図らずも、不良となってしまった子供に何て話し掛ければ良いか分からない両親のそれと酷似していた。

 亜夜子の横槍によって何となく微妙な空気になりかけたが、達也が小さく咳払いをして強引に軌道修正した。

 

「まぁ、七宝くんが単なる野心家ならばさほど問題は無い。問題があるのは、俺達が十師族の関係者だと知っていて敵視している場合だ」

「私達を四葉の関係者と? それはさすがに考え過ぎではありませんか?」

「そうだな。彼に、というより七宝家に四葉の情報統制を突破する力があるとも思えないが、彼の目にはそれくらい強い思い込みが宿っていた気がする」

「そうですか……。確かに相手は二十八家の1つ、注意はしておいた方が良いかもしれませんね」

 

 琢磨に関しては生徒会室での遣り取りでしか知らない深雪は、達也の懸念にいまいちピンと来ていない様子だった。それでも愛しい兄の言葉というだけで、心に留めるには充分な理由足り得るのである。

 一方達也も、琢磨に関しての情報は深雪を僅かに上回るというだけで、その全てを把握しているというわけではない。

 だからこそ、七草との関わりを疑っている故の敵愾心であると気づけるはずも無かった。

 

 

 *         *         *

 

 

 十文字家と共に伊豆を含む関東を監視・守護している七草(さえぐさ)家の邸宅は、東京の都心に近い高級住宅街にある、お金持ちと聞いて真っ先に思い浮かべるような洋風の豪邸となっている。十師族の中でも社交的な家柄で子供達の誕生日パーティも招待客を大勢呼んで毎年盛大に祝っており、それもあってか普段から数多くの使用人が住み込みで働いている。

 そんな使用人の1人である妙齢の女性メイドを介して父親に呼び出された真由美は、面倒臭いという感情を一切隠すことなく廊下を歩き、父親の書斎のドアを軽くノックした。

 

「真由美です」

「入りなさい」

 

 中から聞こえる声に真由美がドアを開けると、部屋の主である父親・七草弘一が正面奥の椅子に座って彼女を出迎えた。

 表向きにはベンチャーキャピタル企業を経営しており、スマートな経営者然とした見た目もその印象を補強している。しかし部屋の中にも拘わらず彼はレンズに薄い色の付いた眼鏡を掛けており、そのせいか表情から感情が読み取りにくくなっている。

 しかしそれは、右目部分に嵌められた義眼の違和感を隠すためである。弘一は14歳のときに魔法師を対象とした国際拉致事件に遭遇し、その際の戦闘で右の眼球を失っている。成長が止まって義眼を使用するまでは眼帯を愛用しており、そのため十代の頃は“眼帯の少年魔法師”として魔法師界では有名だったらしい。

 

「何かご用ですか、お父様?」

「明後日の入学式についてだが」

 

 つっけんどんな物言いで尋ねる真由美だが、弘一は特に気に留める様子も無く本題に入る。

 

「私も母さんも、明後日は用事があって行けなくなった。だから香澄(かすみ)泉美(いずみ)には真由美が付き添いなさい」

「……かしこまりました。お話は以上ですか?」

 

 一刻も早くこの部屋から立ち去りたいと言わんばかりな真由美の態度に、弘一は何か言いたげに口を開きかけるが、結局小さく溜息を吐いて別のことを尋ねた。

 

「……それとも何か、別の用事でもあったかな?」

「いいえ、そんなことはありませんが」

「なら、宜しく頼む。せっかくだし、仲の良かった後輩の様子でも見てきたら良い。――確か、司波達也くんと司波深雪さんだったかな?」

 

 この場面でなぜ2人の名前を出したのか知らないし、ましてや新入生総代だった深雪を差し置いて二科生でしかない達也を真っ先に出す意図も分からない。

 真由美が分かるのは、父親がまた余計なことを考えている、ということくらいである。

 

「そうですね。せっかくですし、お父様の言う通りみんなが頑張ってるところを見てこようかと思います。――久し振りだなぁ、しんちゃんとか元気かしら?」

「その“しんちゃん”というのは、誰のことかな?」

「あら? お父様もよくご存知でしょう?」

 

 真由美の言葉に弘一は答えず、サングラス越しに娘をジッと見遣る時間が続く。しかし真由美もその笑顔を一切崩すことなく、父の視線を真っ向から迎え撃つ。互いに顔を見合わせる親子だが、2人の間に流れる空気はけっして“親子の団欒”などといった温かなものではなかった。

 その均衡を崩したのは、軽く肩を竦めるジェスチャーをした弘一だった。

 

「……まぁ、先も言った通りだ。明日は宜しく頼んだよ」

「はい。失礼します」

 

 真由美は腰を折って一礼すると、そのまま部屋を出ていった。

 

「――野原しんのすけ、か」

 

 弘一以外誰もいなくなった書斎にて、彼の独り言が小さく漏れた。


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