4月14日土曜日の夜。
朝から外出していた文弥と亜夜子が家に戻ってきたのは、深雪と水波が夕食を作り終えたまさにそのタイミングだった。2人の帰宅が遅ければ先に食べようと思っていた深雪達だったが、せっかくだからと達也も呼んで5人揃っての夕食となった。
そうして食事を終えて水波が食器洗浄機をセットしたところで、文弥が話を切り出した。
「達也兄さん達のお耳に入れておきたいことがあります」
文弥と亜夜子がリビングのソファーに並んで腰を下ろし、達也と深雪がその正面に座る。メイドとしての自負が強い水波は腰掛けず部屋の端に控えているが、彼女はそちらの方がむしろ気楽なのを知っているため口は出さなかった。
「現在、国外の反魔法師勢力によりマスコミ工作が仕掛けられています」
「どこからだ?」
深雪が驚きで目を見張る横で、達也が表情を変えず即座に尋ねる。
「USNAの“人間主義者”です」
「それならば随分前から国内に侵入しているが、それとは別口なのか?」
「いえ、大本は同じだと思います。新たな工作段階に入ったのではないでしょうか」
「それがマスコミを使った反魔法師キャンペーンか」
「マスコミだけではありません。野党の国会議員にも手が回っています」
文弥が突き止めた奴らのシナリオは、次の通りだ。
まずは魔法師の人権を大義名分として、魔法の軍事利用を非難する。次に魔法大学出身者の4割が軍に所属していることを根拠に魔法教育機関が軍と癒着しているという架空の構図を作り上げ、第3段階として魔法大学に最も多くの卒業生を送り込んでいる第一高校を標的に『軍事利用されようとしている子供達の解放』をアピールする、というものだ。
文弥の説明を聞く間、達也は彼に賞賛の眼差しを向けていた。黒羽家は四葉一族の中で諜報を担う分家であり、そのために魔法的なものに限らず様々な情報収集の手段を豊富に有している。とはいえ、使いこなせなければ個々の事象の奥に隠されたシナリオを暴き出すことはできない。文弥達が黒羽家の組織力を使いこなしている証拠だ。
「文弥、よくそこまで調べ上げたな。大したものだ」
「あっ、いえ、ありがとうございます」
「あらあら、紅くなっちゃって。本当に文弥は達也さんが好きなのねぇ」
「ちょっと姉さん! 誤解されるようなこと言わないでよ!」
「あら、誤解なの? 達也さんのこと、好きじゃないんだ」
「そういう意味じゃなくって――」
仲睦まじげにじゃれ合う姉弟の姿を、達也は苦笑気味に、深雪は微笑ましげに、そして水波が若干白けた顔で眺める。
そうして一頻り文弥をからかって満足した亜夜子が、シリアスな空気を取り戻すために軽く咳払いをした。
「とまぁ、ここまでならばまだ分かりやすかったのですが、実際はもう少し根深い問題でして」
亜夜子はそう言うと、携帯端末を操作して画面を達也たちに見せた。
簡素な文書ファイルであるそれに目を通すと、そこには『軍用魔法師の実態』だの『青少年を兵器として徴用する国防軍』だの『魔法師に支配される国防』だの『優遇される魔法士官』だのといった、如何にもセンセーショナルな文字が並んでいた。身を乗り出して覗き込んでいた深雪が、不快感を表すように眉を顰める。
「こちらは来週の頭辺りに発信される予定のネットニュースの原稿で、大手のメディア企業の物は大体揃えてあります。こちらを見て、何か気づくことはありませんか?」
「魔法師と国防軍を結びつけて非難する点では共通しているが、魔法師を利用する国防軍を非難するものと魔法師が依怙贔屓されていることを非難するものに分かれているな」
「それはつまり、論調が大きく2つに分かれているということですか?」
深雪の問い掛けに達也が頷き、そして亜夜子が説明する。
「論調が2つに分かれているのは、単純にそれぞれのソースが違うからです。つまり背後には、2つの勢力があるということですね」
「一方が国外の人間主義者だとして、もう一方はどこだ?」
達也の質問に、亜夜子は口を閉ざした。しかしそれは情報を突き止められず答えに窮しているのではなく、その情報を口に出すことに彼女が一瞬でも躊躇いがあったからである。
「2つの論調の内、国防軍を非難している方を背後で煽っているのは、七草家である可能性が非常に高いです」
「なっ――!」
深雪が息を呑むほどに驚くのも無理はない。つまりそれは、日本の魔法界の中心ともいえる十師族が、日本の魔法界に不利益をもたらす輩に与していることを意味するのだから。
「現時点では共謀者がいる可能性も捨て切れませんが、少なくとも七草家が、というよりも七草家当主の七草弘一氏が中心的な役割を果たしていることは間違いないでしょう。さらにこの件につきましては、九島烈閣下にも共謀が持ち掛けられ、そして了承を受けたことを確認しています」
「そんな……! これらのニュースが、魔法師の権利を代弁しているようで実際は魔法師を社会から排斥することが狙いであるのは明白よ。このような人権擁護に、あのお2人が騙されるとはとても思えないのだけど」
「おそらくそれを分かったうえで、何か別の目的があってやらせているんだろう」
達也はそう言って、文弥と亜夜子に含みのある視線を向けた。
それを受けて亜夜子は、残念そうに目を伏せて首を横に振った。
「残念ながら、目的まではまだ把握しておりません」
「本当にそうか? ――
その言葉に、文弥はピクリと肩を跳ねさせ、亜夜子はニコリと愛想笑いを浮かべるに留める。
「どういうことですか、お兄様?」
「2人の諜報能力に疑うところは無いし、黒羽家の組織力も四葉一族屈指のものだ。だが七草家当主はそう簡単に尻尾を掴ませる相手じゃない。例えば七草先輩辺りならば2人でも何とかなるだろうが、七草殿が相手となるとまだまだ2人には荷が重いはずだ。――つまり彼に関する情報は、黒羽とはまた“別の手段”で手に入れたものだと俺は思ったが、違うか?」
鋭い目を携えた達也の問い掛けに、亜夜子は小さく溜息を吐いて肩を竦めた。
「達也さん相手に隠し事など、あまりするものではないですね」
「それで、具体的な内容については教えてもらえないのか?」
「申し訳ないのですが」
「こうして同じ屋根の下で暮らすようになったところで、結局は叔母上の掌の上ということか」
「ご当主様にも、色々と考えがお有りなのでしょう。少なくとも今言えるのは、1ヶ月以内のごく近い将来に第一高校が反魔法勢力下にあるマスコミと政治家から直接的なアタックを受ける、ということくらいです」
亜夜子の言葉に、今度は達也が小さな溜息を吐いた。文弥と亜夜子を見遣る達也の目には同情にも似た感情が見て取れ、そしてそれは彼を見つめ返す2人も同じことだった。
「まぁ良い。具体的な動きがあれば教えてくれるんだよな?」
「はい、もちろん」
「分かった。だったらそれで良いさ」
達也のその台詞には、今のところはな、という言葉が後ろに付いているような雰囲気があった。
ニコリと笑う亜夜子だったが、体が強張るのを誤魔化すことはできなかった。
* * *
4月18日水曜日。
場所は、国立魔法大学。
国立魔法大学は、国防軍旧練馬基地跡に造られている。朝霞基地を拡張して練馬基地を吸収合併したことで空いた土地を利用した格好だが、魔法大学建設計画の決定によって基地の統合が急がれた側面もあり、そういった面から見ても大学と軍の関係は密接なものと言える。
とはいえ、魔法大学卒業生の4割近くが軍及びその関係機関に進む理由がそこにあると結論づけるのは些か早計だ。魔法師の社会的需要を考えれば多少偏りすぎではあっても不自然な範囲ではないし、学内の雰囲気もそれこそ普通の大学とほとんど変わりなく、何なら魔法科高校よりも自由な空気があるほどだ。
そんな大学内にある、カフェテリアの或るテーブル席。現在そこには2人の人物が向かい合わせに座り、そしてそんな2人にカフェを利用する学生がチラチラと興味ありげに視線を遣っている。
1人は、Aライン・パステルカラーのベアトップワンピースに七分袖のカーディガンというスタイルの七草真由美。
そしてもう1人は、ノーネクタイのカジュアルスーツというスタイルの十文字克人。
魔法大学では知らぬ者はいない“十文字”と“七草”の直系、しかも真由美は世間的には克人の花嫁候補と噂されていることもあり、どんな会話を交わしているのか気になるところだろう。しかし現在そのテーブルは、魔法大学によって使用を許可された魔法の1つである遮音フィールドに包まれており、2人の会話を外から聞くことはできなくなっている。
「……十文字くん、いくら何でも今のは聞き捨てならないわ」
しかし現在そのテーブルで交わされている会話は、けっして周りの学生が想像するような甘いものではなかった。むしろ克人を睨みつける真由美によって冷え切っている。
テーブルの上に置かれた電子ペーパーの内容は、今週の頭から急激に増加し始めた反魔法師報道だ。克人は真由美をここに呼び出したうえで、今回の報道工作に七草弘一が荷担している可能性が高いことを彼女に伝えたのである。
「確かにウチの父は裏工作が好きな謀略家だし、何を考えてるのか娘の私にも分からないところがある。でも、どんな理由があろうと十師族の役目を忘れるような人じゃないわ。日本魔法界に不利益をもたらすような真似をするはずがない」
「では、七草殿はそれが日本魔法界の利益になると考えられたのだろう」
「……魔法師排斥の意図を分かったうえで、何か別の目的のためにやらせていると言いたいの?」
「それが何なのか、俺には分からん。我が十文字家は、情報収集があまり得意ではない」
真由美がいくら睨みつけようと、克人の瞳には一切揺らぎが無かった。
しばらくそれを続けていた真由美だったが、やがて観念したように小さく息を吐いた。
「……良いわ。十文字くん、今夜何か予定ある?」
「いや」
「だったらウチに来てくれないかしら? 直接父に訊いてみるから立ち会ってくれる?」
「何を訊くの、真由美ちゃん?」
「そんなの決まってるでしょ、しんちゃん? あの狸親父が何を企んでるのか直接――って、しんちゃん!?」
突然横から聞こえてきた問い掛けに何気なく答えていた真由美だが、ふと我に返って自分のすぐ隣に座っていたしんのすけに驚きの声をあげた。
「いやぁ、真由美ちゃんに克人くん、お久しブリブリですなぁ」
「ブリブリって……! なんでしんちゃんがこんな所にいるのよ!?」
「近くを通ったら2人を見掛けたから、挨拶でもしようかと」
「――というか、十文字くんもしんちゃんが近づいてるなら教えてよ!」
「すまない。七草の話の腰を折るのも悪いかと思ってな」
平然とした表情でそう言い放つ克人に、真由美は呆れやら怒りやらを綯い交ぜにして大きな溜息として吐き出した。
「それにしても克人くんを自分の家に呼ぶなんて、真由美ちゃんも大胆ですなぁ」
「言っておくけど、しんちゃんが考えてるような理由じゃないから。――というか、そんなことよりしんちゃんよ。なんであなたが大学に来てるの?」
「いやぁ、借りたい物があったからお願いしたら『仕事場にあるから取りに来い』って言われたもので」
「借りたい物? ここが仕事場ってことは、大学の職員ってこと?」
真由美の問い掛けに、しんのすけは「そうかも、よく知らないけど」と漠然とした回答を返す。その遣り取りを眺める克人も、表面上は平然としながらも内心は興味津々だ。
そんな2人に対して、しんのすけはその人物の名前を口にした。
「――
世間一般において、“大袋”と名のつくその科学者はほぼ無名だ。1925年4月1日北海道千歳市生まれ、東京大学・マサチューセッツ工科大学・ニューヨーク工科大学と学歴こそ華々しいが、どこの教育機関や研究機関にも所属せず、誰もが知る何かを発明したわけでは無く、学術的にも重要な法則を発見したということも無い。
しかし、しんのすけの正体を知る世界中の有力者達に限定すると、“大袋博士”の知名度は一気に跳ね上がる。
20世紀の終わり頃、秘密結社“ブタのヒヅメ”が或るコンピューターウイルスを用いて世界征服を企んだ。当時最高峰の演算能力を有するスーパーコンピューターで世界中のパソコンや衛星をハッキングして発信される予定だったそのウイルスは、自分の意思を持ち、更にはパソコンの画面から現実世界に顕現するというトンデモ技術の塊でできた存在だった。
最終的にその計画はしんのすけ達の活躍によって阻止されたが、もし実行されれば間違いなく世界はブタのヒヅメに牛耳られていたことだろう。
それほどのコンピューターウイルスとスーパーコンピューターを作り出したその人物こそ、まさしくその大袋博士なのである。
魔法大学内の様々な研究室が並ぶ建物の廊下を、しんのすけが先頭に立ち、真由美と克人がその後ろをついて歩いていく。十師族の一員である2人を(世間一般的には)無名の少年が引き連れるその光景は、見る者が見れば目を丸くして驚くに違いない。
「おっ、ここかな?」
とある部屋の前でふいにそう言って立ち止まったしんのすけに、真由美と克人が揃ってドアの脇に提げられた表札に目を遣る。
その表札には、直筆で“
2人が内心で首を傾げる中、しんのすけはドアをノックもせずにいきなりドアを開けた。
「どもども、お邪魔しま~す」
「邪魔するんやったら帰って~」
すると中から返ってきたのは、しんのすけの言動を咎める声ではなく、一部の者達の間ではテンプレとなっているお決まりのものだった。現にその声色に機嫌を損ねた様子は無く、むしろ若干楽しそうに弾んでいるようにも聞こえた。
その部屋は、一言で表すならばとても散らかっていた。現代ではほとんどの書籍が電子化しているため紙媒体の本が無くても珍しくないのだが、壁際の本棚だけでなく部屋の中央にあるテーブルにも開きっぱなしの本や紙の書類が散乱しており、更にはその一部が床の上にまで浸食している。特に一番奥のテーブルはより深刻な状況で、いつ崩れるか分からない本のタワーが幾つも形成されていた。
そしてそんなタワーの向こう側から顔を出すのが、部屋の主である老人だった。頭頂部は禿げているが真っ白い眉と髭は伸びきっており、目や口を覆い隠しているため表情が読みづらい。
更にその老人の隣には、俗にいう“バーコード”の髪型をした小太りの人物がいた。生物学上は男性なのだろうが、化粧やアクセサリーで自身を着飾っているところを見るにセクシャルマイノリティの気が感じられる。
「お~お~、しんのすけくん。こうして顔を合わせるのは何年振りかのう」
「いやぁ、お久しブリブリですなぁ」
「それにしても、しんちゃんったら大きくなったわね~! でも私としては、あなたのお父様みたいにくたびれた感じの方が好みかしらぁ!」
「アンジェラちゃんも相変わらずですなぁ」
老人は椅子から下りてテーブルの前まで歩いてしんのすけを出迎え、アンジェラと呼ばれたオカマも彼の来訪を満面の笑みで歓迎する。
ちなみにその遣り取りを若干距離を空けて眺めていた真由美は、口をあんぐりと開けて大きく目を見開いていた。普段から感情をあまり表に出さない克人ですら、彼女の隣で普段より大きく目を開けて驚きを露わにしているほどだ。
「あれっ、真由美ちゃんも克人くんもどうしたの? 鳩が鉄砲玉になったみたいな顔して」
「“鳩が豆鉄砲を食らった”ね。――って、そうじゃなくて! えっ!? 滝口博士と大袋博士って同一人物だったの!?」
「おぉっ、そうだった! ねぇねぇ博士、なんで“滝口”なんて偽物の名前使ってるの? そのせいでオラ、ここまで来るのにあちこち歩き回ったんだゾ」
しんのすけの言葉に大袋が「そりゃスマンのぅ」と返事をしてから、真由美の疑問に答えるべく彼女へと向き直った。
「その様子じゃと、気づいとらんかったようじゃのぅ。儂もまだまだ捨てたモンじゃないわい」
「ほら、また“ブタのヒヅメ”みたいな奴らに誘拐されないとも限らないでしょ? だから博士、あれから何か研究成果を発表するときとかは偽名を使うようにしてるのよ。あるいは、手頃な身代わりを立てたりしてね」
「儂が今この大学に客員教授として呼ばれたのも、“滝口”って名前で発表した幾つかの研究成果が認められてのことらしい。――まぁ、何の研究かは忘れたんじゃが」
大袋の発言に真っ先に反応したのは、なぜかひどく驚いた様子の真由美だった。
「いや、滝口博士といえば、日本どころか世界の現代魔法の歴史で外すことのできない超重要人物ですよ! 何てったって、私達が今使ってるCADを世界で初めて形にしたんですから!」
術式補助演算機、英名でCasting Assistant Device、通称でCAD。
魔法を発動するための起動式を魔法師に提供する補助装置であり、“感応石”という合成物質によってサイオン信号と電気信号を相互変換することで魔法師と疎通する仕組みだ。CADが無ければ魔法を発動できないわけではないが、CADによって魔法発動速度を飛躍的に向上させている現代魔法師にとっては実質必須ツールとなっている。
そして現代魔法師にとって『滝口博士がCADを世界で最初に作り上げた人物だ』というのは、もはや魔法歴史学で最初に学ぶレベルで常識となっている。そもそも“感応石”という物質自体が滝口博士の発明であり、まさに滝口博士によって現代魔法の歴史は始まったといっても過言ではない。しかし今まで滝口博士が人前に出ることはまず無く、一時期その存在すら怪しまれるほどだった。
そんな歴史的人物が今年になって魔法大学に客員教授という形で所属することになったというニュースは、日本を飛び越えて世界中に衝撃を与えた。しかもそれを知らされたのが入学式の最中であり、壇上で挨拶をする博士の姿に新入生からのどよめきは収まらなかったらしい。
「あぁ、そうじゃったな。いやぁ、趣味で研究していたヤツがなかなか形にならなくてな、手っ取り早く金が欲しかったから当時流行だった現代魔法研究に手を出してみたんじゃ。おかげで結構稼がせてもらったわい」
「小遣い稼ぎ感覚で世界的な発明をするなんて、本当にしんちゃんの知り合いって規格外な人達ばかりね……」
「そういう嬢ちゃん達は、どうやら“大袋”としての儂を知ってる感じじゃの。七草に十文字……成程、
普通の人間が聞けば何てことない単語に、真由美と克人がピクリと反応した。
「……大袋博士は、魔法技能師開発研究所での研究に参加されたご経験が?」
「さすがに全部じゃないがの。せいぜい半分くらいじゃし、大体は訊かれたことに意見を言っただけじゃ。――じゃが、“四”には割と深く関わった記憶があるのう。アレはなかなか
「――――!」
あっけらかんとした感じで言い放つ大袋に、真由美と克人は背筋に寒気が走る心地がした。
魔法技能師開発研究所の中で現在でも稼働しているのは半数のみであり、戦時中は黙認されてきた非人道的な研究を続けてきた研究所から次々と閉鎖されてきた経緯を持つ。その中でも第四研究所は特に悪名高く、その研究所から輩出された四葉家に恐怖を覚えぬ魔法師はいないとさえ言われている。
そんな研究所に関わり、そして懐かしむような口振りで「楽しかった」と感想を述べる大袋に、真由美などはまるで人間ではない何かを見るかのような視線を向けていた。
「そんなことより、オラが頼んでたヤツってどこにあるの?」
「ん? あぁ、アレじゃな。ちょっと待っとれ」
だがしんのすけの呼び掛けによって、大袋の雰囲気は途端に普段の呑気なものへと戻った。まるで先程までのシリアスな雰囲気が幻だったかのような変わり身で、部屋の奥に積まれた書物を次々と脇に避けていく。
そうしてしんのすけの前に差し出されたのは、見た目には何の変哲もないジュラルミンケースだった。
「使う場所は選ぶことじゃ。下手に使えば、自分も巻き込まれるぞ」
「ほっほーい! どうもどうも。それじゃ、少しの間借りてくね」
「ちょ、ちょっと待って、しんちゃん!」
用事は済んだとばかりにそのまま部屋を出ていこうとするしんのすけを、真由美が慌てた様子で引き留めた。
「そのケースの中に入ってるの、もしかして博士の発明品? 何に使うの?」
「えっとね――」
「しんのすけくん、そこの嬢ちゃんと坊ちゃんには内緒での」
「えっ? なんで?」
しんのすけの疑問は、そのまま真由美と克人の疑問でもあった。
警戒心を露わにする真由美と、表情の変化に乏しく“滲ませる”程度の克人の視線を受けながら、大袋は声に喜色を含ませて答える。
「正直、儂の立場でその発明品の存在を知られると少々面倒臭いんでな」
「ちょっと待ってください、滝口……大袋博士。あの発明品は、結局何なのですか?」
「さぁ、何じゃろうの~? ホッホッホッ」
大袋の煙に巻く応答に苛立ちを覚える真由美だったが、すぐに気を取り直してしんのすけへと向き直る。
「しんちゃん、私にもそれを見せてくれない?」
「えぇっと――」
「しんのすけくん。黙っててくれたら、この前話してた“伝説の写真集”をしばらく貸してやっても良いぞ」
「ほっほ~い! それじゃ真由美ちゃんと克人くん、またね~!」
「あっ、ちょっと!」
真由美が呼び止める暇も無く、しんのすけはスーツケースを抱えて勢いよく部屋を飛び出していった。2人が彼の去っていったドアを見つめる中、大袋は「ふー、やれやれ」と腰を叩きながら自分の椅子へと戻っていく。
真由美も克人も、元々はしんのすけについていくことでこの研究室にやって来た。つまり彼がいなくなったことで2人がここにいる理由も無くなり、よってそのままの流れで退出するのが自然だろう。
しかし真由美は、この質問をしない限りはそのまま退出する気になれなかった。
「博士、お尋ねしたいことがあります」
「言ってみぃ」
「なぜ博士は、魔法技能師開発研究所にご参加なさったのですか? CADのように金銭に繋がる研究とも思えませんし、純粋な好奇心によるものだったのでしょうか?」
「確かに、好奇心があったのは確かじゃな。――純粋な、と呼べるかは知らんが」
その答えに真由美の疑問が晴れないのを感じ取ったのか、大袋はそのまま続きを話し始めた。
「現代魔法の原点である超能力が観測されてから、世界中でその実用化に向けた研究が行われておった。最初の内は魔法技能の開発じゃったが、実験の内容は次第に魔法師の開発――つまり“人間の改造”へと移っていった」
「…………」
「超能力が遺伝するものだというのは既に分かっておってな、魔法の開発はすなわち“優れた血筋”の開発じゃった。“交配実験”の名の下に先進国では人工授精による試験管ベビーの大量生産、後進国では国家公認の強姦が罷り通っておった」
真由美が思わず手で口を押さえるが、大袋の話は尚も続く。
「複製卵子から生まれた子供は、なぜか全員が幼い内に死んでしまった。オリジナルの卵子から生まれた子供はそうでなかったから、おそらく生殖細胞複製技術に問題があったんじゃろう。儂が担当したのはその複製技術の改良、そして研究所ごとの卵子と精子の
「……生意気な口を利いてしまい、申し訳ございませんでした」
「構わん、当然の反応じゃろうて。別に儂も、使命感などで動いとったわけでもないからの」
終結というよりは自然消滅といった感じに会話が途切れ、真由美と克人は今度こそ研究室を後にした。
「それじゃ博士、アタシはお茶を淹れてくるわね~」
「おぉ、頼んだぞ」
そうしてアンジェラが部屋の隅にある給湯コーナーに行くと、大袋は背もたれに体重を掛けてゆっくりと息を吐いた。
思い起こすのは、先程話した研究のこと。
大袋が作成したゲノムマップを基にして生み出されたのが“魔法師の名門”であり、その代表が真由美達“十師族”であるが、日本が世界で最も整理された形で血筋を生み出せたのは、国家がお見合いのお膳立てをして
散々人間性を踏み躙ってきた魔法開発が最終的に文化的要因によって左右される結果となったのは、人間性が最後に意地を見せたからなのか。その審判が下されるのは、おそらく今後の歴史に委ねられることだろう。
いや、そんなことよりも、
――ゲノムマップを作成した儂じゃから分かる。しんのすけくんの強大な魔法力は、あのゲノムマップでは説明がつかん。もちろん儂のマップが完璧とは思わんが、少なくとも彼の魔法力が十師族を頂点とするコミュニティとは別物であることは確かじゃ。
別物とはいっても、汎用的な魔法は使えることから根っこの部分では繋がっているのだろう。例えるならば、幹は共有しているが枝葉の部分で異なるといったイメージだ。なので別物だからといって即座に異分子だと断定できるものではなく、特に気にする必要の無いことだと結論づけることもできる。
とはいえ、この事実はゲノムマップを直接閲覧できる者ならば辿り着けるものだ。
それこそ、研究所のデータを閲覧できる立場にある二十八家などは。
――はてさて、これからどうなっていくことやら。
窓から差し込む麗らかな春の陽気に包まれながら、大袋はそんな感想で思考を打ち切った。