今年の九校戦は8月3日が前夜祭パーティー、5日に開会、15日閉会のスケジュールだ。競技日程だけで去年より1日多くなっているが、開催場所は変わらず富士演習場南東エリアであり、一高の選手団は前夜祭当日午前8時に学校を集合して会場に隣接するホテルへと出発した。
例年は選手用の大型バスとエンジニア用の作業車で向かうのだが、今年は小型ワゴンだった作業車がキャブコンバ―ションと呼ばれるキャンピングカーへと一新された。これは北山潮からの寄付によるものだが、その背景には去年の兄に対する境遇に不満を抱いていた深雪、そしてそれに賛同した雫が父親に働き掛けたことが大きく関わっているのは想像に難くない。
去年と違って、道中は何も起こらなかった。バスの中に不穏な空気が漂うこともなく、事故に巻き込まれることもなく、一高選手団は無事にホテルに辿り着いた。現在はバスや作業車から荷物を下ろし、自身が寝泊まりする部屋へと運び込む作業の最中だ。
達也もその作業に加わり、そして当然とばかりに深雪が彼の隣に付き従う。そうなると必然的に彼女の従者である水波もその背後に控えている。水波が入学してからよく一緒にいるこの3人は、既に上級生の間からもセットとして見られるようになっていた。
「深雪、何を笑っているんだ?」
ニコニコと笑みを浮かべる深雪に達也が問い掛けた。彼は(深雪限定で)愛想笑いか本当の笑顔か見分けることができる。
「お兄様に魔工科の制服がよくお似合いで、深雪は嬉しくなってしまうのです」
達也は面食らった表情を浮かべて、自身の制服へと目を向けた。肩には普通の一高制服とは違い八枚ギアのエンブレムが刺繍されているが、公式な物であるためそのまま前夜祭パーティーに参加できる代物だ。
「どうしたんだ、改めて。もう4ヶ月も見ているはずだぞ?」
「それでも嬉しいものなのです。去年は借り物だったせいで、お兄様のお体に合っておりませんでしたから」
確かに去年の制服は借り物だったため、違和感を覚えていたのは事実だ。
しかし彼女は
「――そうか」
そしてそのことに何となく気恥ずかしさを感じた達也は、深雪から逃げるように視線を明後日の方へと投げた。
すると第一高校の中でも一際大きな集団が目に入り、達也は何と無しにそこに目を留めた。
集団の中心にいたのはしんのすけであり、彼は何やらニヤニヤした表情で森崎に声を掛け、森崎はそれに対して怒るような、というよりはツッコミを入れるような仕草を見せた。そしてその遣り取りを眺めていた幹比古と
「…………」
そして達也はそんなしんのすけを見て、目を細めた。
微笑ましそうに、ではない。
むしろその目つきは、隠しているものを暴こうとする冷たさを伴うものだった。
* * *
「九島家への調査を禁ずる、ですか?」
『えぇ、そうです』
しんのすけが烈と一緒に奈良へと旅立った7月7日。昼頃に行われた緊急師族会議から戻ってきたという真夜が、九校戦の練習を終えて帰宅した達也に命じたのは、九島家が何を企んでいるのか調べることを禁止するというものだった。
その命令は直接それを聞いた達也だけでなく、横で聞いていた深雪・文弥・亜夜子も大いに困惑させた。特に今回はしんのすけがその陰謀に巻き込まれている状況だ、四葉家としてはむしろ積極的に介入してくるとばかり思っていたのだが。
「九島閣下が何を企んでいるのか、分かったのですか?」
『いいえ、分かっていません。ですが先生が彼にここまで介入している現状、先生が彼の“主人公補正”の支配下にある可能性が高い以上、我々が深入りすることでそれに巻き込まれる可能性があります』
「……それは、今更なのでは?」
『今までは彼の“味方”という立場だったため構いませんでしたが、仮に先生の企みが彼にとって利益となるものだった場合、それを阻止することで彼の“敵”と認識される可能性があります』
「ならばそれを見極めるためにも尚更――いえ、それすら“主人公補正”の対象となる可能性があるというわけですか」
『そういうことです』
ウンザリするといった感情を隠しもせず、真夜が肩を竦めて溜息を吐いた。
『そういうわけですので、本人から聞き出すというのも当然禁止です』
「それは理解しましたが……。九校戦の競技変更についても九島閣下が関与していますが、そちらについては?」
『そちらも調査を禁じます。まぁ、そちらはあくまで
「つまり、全容は既に把握していると」
『全容というほど複雑なものではないですが、おおよそは』
ニコリと笑みを浮かべる真夜に、無表情のまま納得する達也。
2人は九校戦の競技変更をおまけ扱いしているが、魔法科高校生にとってはこちらの方がよっぽど大事だろう。特に“スティープルチェース・クロスカントリー”は、陸軍でも滅多にやらない大規模演習用のメニューに匹敵する過酷さだ。
それを高校生の競技会で、しかも疲労の残る最終日に行うというのはリスクが高すぎる。
それこそ、魔法師としての将来に影響を及ぼす可能性があるほどに。
――それだけの危険性を孕む企みが、しんのすけにとって利益となるものだとはどうしても思えないが……。
あるいは、九島烈にはそれがしんのすけの利益になると本人に思わせられる勝算があるのか。そしてその勝算というのが、今回の旅行に隠されているのでは――
『達也さん?』
先程よりも力の籠もった呼び掛けに、達也は思考を中断して頷いた。
「命令に関しては、確かに承りました」
『……本当に、頼みますからね?』
真夜の念押しに、達也は再度頷いた。
* * *
去年と同じくこのホテルで最も大きい宴会場にて、前夜祭パーティーが幕を開けた。
去年と同じように数百人分の料理がテーブルに並び、去年と同じように飲み物を運ぶスタッフがあちこち歩き回っている。ホテルの専従スタッフや基地からの応援だけでは賄いきれないのも去年と同じであり、明らかにアルバイトとも思える者達が紛れているのも去年と同じだ。
「お飲み物は如何ですか、ご主人様?」
「……やっぱり今年もなんだな、エリカ」
丈の短いヴィクトリア調ドレス風味の制服、つまりメイドを連想させる服装に身を包んだエリカの姿に、達也は呆れた声色でそう言い、深雪は苦笑いを浮かべた。一方1年生である文弥・亜夜子・水波は思わぬ上級生の出会いに驚きを露わにするという、エリカが好みそうな新鮮な反応を見せていた。
「千葉先輩、なぜそのようなお召し物を?」
「このホテルに泊まる条件として、パーティーの手伝いをしてるの。他のみんなも一緒よ」
「他のみんな、ということは――」
「おぉっ、みんな! お久しブリブリ~!」
しんのすけの声に全員がそちらを振り向くと、給仕服に身を包む7人の男女が会場に入ったしんのすけを出迎えているところだった。
その7人とはもちろん、野原ひろし、野原みさえ、野原ひまわり、風間トオル、桜田ネネ、佐藤マサオ、ボーという、去年も観戦にやって来た春日部の面々である。
「よう、しんのすけ! 今年も来たぜ!」
「何だか制服もすっかり着慣れちゃった感じねぇ」
「まぁ、元気そうで良かったよ」
「何よ風間くんったら、変に照れちゃって」
「前夜祭なのに、今年も豪華だよねぇ」
「基地の中とは思えない」
「あっ! 達也さんたち、あそこにいるよ! おーい!」
ひまわりがこちらに気づいて大きく手を振っているため、達也が深雪達に目配せしてから歩き出した。当然ながら深雪達もその後に続くが、エリカだけはそのタイミングで彼らから離れるようにその場を後にする。
「達也くんに深雪ちゃん、久し振り」
「はい、お久し振りです」
「ご無沙汰しております」
「本当、こんな行儀の良い人達がしんちゃんの友達とか、未だに信じられないわ」
「ネネちゃん、それだと僕達が行儀の悪い人だってことになるよ」
「否定はできない」
「ボーちゃん……」
まさに気の置けない会話といった感じの彼らに対し、自然な笑顔を浮かべる達也と深雪。
そんな2人の姿に文弥達3人が内心驚いていると、ひろしがこちらに視線を向けて「そういやこの子達は?」と話を振ってきた。達也も即座に「僕らの
「お初にお目に掛かります。達也兄さん、深雪さんの
「同じく、黒羽亜夜子と申します。野原先輩には、日頃から大変お世話になっております」
「同じく、桜井水波と申します。野原先輩のご家族、ご友人にお目に掛かり、光栄に存じます」
丁寧な所作で頭を下げる3人。
そんな彼らに対し、ポカーンと口を開いたままのひろし達。
何か不手際でもあったか、と文弥達が不安に感じていると、
「めっちゃ丁寧! どこかのお金持ちのお坊ちゃんとかお嬢さんみたい!」
「確かに達也くんたちの親戚だってのも納得だね」
「達也くんたちの家って、実は凄く上流階級だったりする?」
「別に俺達にそんな仰々しくする必要ねぇよ! 気楽に行こうぜ!」
「は、はぁ……」
魔法的資質の一切無い人々に裏の無い笑顔とフランクな態度で取り囲まれるという、おそらく今まで経験したことの無いであろう状況に、文弥達は戸惑いを隠せない様子だった。そしてそんな3人を、達也と深雪が若干暖かい目で眺めている。
と、背後で何やらこそこそ動いているエリカの気配が気になった達也が、最低限の動きで後ろを振り返る。
エリカの隣には、艶のある長い黒髪がよく映える、人目を惹くほどに容姿の整った女性が立っていた。彼女も春日部の面々と同じように給仕服を身に纏っている。
達也の記憶には無いその女性に首を傾げていると、エリカが一瞬こちらを見遣って悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「しんちゃん、ちょっとこっち向いてくれる?」
「おっ、何?」
呼ばれたしんのすけが反応して振り返り、――固まった。
1秒、2秒、3秒――。
5秒ほど経ち、その女性がさすがに訝しげに眉を寄せ始めた、そのとき、
「――――ななこお姉さぁん!」
今までよりも一番大きな反応を見せ、ななこと呼んだその女性へと一瞬で距離を詰めた。
「ふふっ、久し振りねしんちゃん。少し見ない間に、すっかり立派になっちゃって」
「お久し振りです、ななこお姉さん。ななこお姉さんは今も変わらず、いえ、ますますお綺麗になったようで」
「あら、お上手。東京に行って、そういう言い回しも憶えたのかしら?」
「いえいえ。今のは僕の嘘偽りない本音です」
そしてその太い眉をキリッと寄せたイケメン顔を意識した表情で、やたらと良い姿勢で彼女との会話を始めた。一人称も口調も普段とは大違いで達也などは目を見開いて驚くが、春日部の面々は慣れてるようで呆れたり苦笑いだったりしている。
事情が呑み込めない達也たちが、一仕事終えて満足した様子のエリカへと近づく。
「エリカ、彼女は?」
「彼女は大原ななこさんで、他のみんなと同じく幼稚園の頃からの知り合いなんだって。――そして何としんちゃんの初恋の相手で、今でも本気で恋しているみたい」
「へぇ、彼女が……」
深雪が口元に手を添えて驚き、しんのすけとななこが会話する光景をマジマジと見つめている。やはり彼女も年頃の女の子の例に漏れず、そういった恋愛事に対して興味があるようだ。
そんな彼女の隣で、達也も2人に注目する。とはいえ、深雪のように2人の恋愛模様に興味があるわけではない。いや、ある意味では興味があると言えなくもないのだろうか。
達也の意識の矛先は、目の前にいるななこではなく、
――酢乙女家のお嬢様は、彼女のことをどう思ってるんだ?
「まったくあの人ったら、しん様がいるからってメイド服まで借りて……」
「お嬢様、別に彼女本人が率先してメイドになったわけではなく、あくまで他の方々がそうするからノリでついて行っただけで――」
挨拶の時間までの来賓者用控室であり、料理と飲み物と給仕が用意された前夜祭の別会場ともいえる小宴会場。その一番奥のテーブルでは、酢乙女あいが不機嫌なオーラを撒き散らして、彼女の秘書兼ボディガードの黒磯が必死に彼女を宥める光景が広がっていた。
その剣幕は相当なもので、先程から他の来賓者が何とか彼女に挨拶しようとしてはそのプレッシャーで断念するほどだ。まるで彼女の周囲数メートルに透明な壁でも張っているかのように、誰も彼女に近づこうとしなかった。
しかしここに来て初めて、その透明な壁を越えて足を踏み入れる者が現れた。
「随分と機嫌が悪いようですね、酢乙女あいさん」
ドイツの魔法機器メーカー“ローゼン・マギクラフト社”の日本支社長であるエルンスト=ローゼンが、にこやかな笑みを携えながら彼女へと歩み寄ってきた。あいは彼の姿を認めると、コホンと小さく咳払いしてから彼へと向き直る。
これがその辺にいるつまらない男ならそのまま捨てておいたが、彼に関してはあいも無碍に扱うことはしない。
彼の所属する会社とは、現在彼女が(個人的な理由も含めて)特に力を入れている魔法工学製品の分野でシェアトップの座を争っているのだから。
「直接こうしてお話しするのは初めてでしたわね、エルンスト=ローゼンさん」
「これはこれは、日本を代表する酢乙女家のご令嬢に名前を憶えて頂けるとは光栄です」
「あら、あなたは自分が思ってるよりも有名人ですわよ。今まで日本に寄り付かなかったローゼン家の人間が日本支社長の座に就くなんて、どういう風の吹き回しなのかしら」
「いえいえ、それこそあなたに比べれば私なんてまだまだですよ。様々な業界で幅を利かせているあなたと違って、私達なんて世間的にはマイナーな部類ですから」
本人達の表情は穏やかなものであるが、周りでそれを見ていた来賓者は2人の間でバチバチと火花が散る光景を幻視した。エルンストに続けと彼女に近づこうとしていた来賓者が、ゆっくりと後退りして元の位置に戻っていく。
「それにしても、多忙を極めるあなたが大会期間中ずっとこちらに滞在するなんて。聞けば去年からそうしているそうじゃないですか。――どこかの学校に、気になる選手でもいましたか?」
「別に、あなたには関係の無い――いえ、あなたにはお教えしても宜しくてよ」
最初は邪険にしようとしていたあいが、途中で気が変わったかのようにニコリと笑みを浮かべた。エルンストとしては最初から素直に教えてもらえると思っていなかったため、むしろそちらの反応の方が意外だった。
「第一高校の野原しんのすけ、という選手なんですけど、ご存知かしら?」
「えぇ、去年の大会は一通りチェックしていたので」
「何を隠そう、私としん様は幼馴染ですの。――しかも単なる幼馴染ではなく、将来を約束し合った仲なんですのよ!」
「それはそれは……、あなたにそのような関係の殿方がいたとは驚きです」
エルンストの言葉に、あいはフフンと鼻から息を吐いて胸を張った。彼女の年齢(実年齢ではなく見た目上の)も相まって、小さな子供が父親に自慢しているかのような微笑ましさすら覚える。
しかしこの場にいる来賓者からしたら、呑気に微笑ましくいられる状況ではなかった。
世界的大企業である酢乙女ホールディングスの後継者と目される彼女の配偶者ともなれば、それだけで得られる権力は絶大なものとなる。そんな人物と親密な関係を築くことができれば、はたしてどれだけの恩恵を受けられるか。我関せずといった装いで会話を盗み聞きしている来賓者は、ほとんどの例外無く頭の中で算盤を高速で弾いていた。
「申し訳ございませんが、もう少しこちらでお待ち下さいますよう――」
“ほとんど”ということは、つまり例外が少数ながらもいるということだ。
困り果てていることが声色だけでも分かるスタッフの呼び掛けに、部屋中の全員が一斉にそちらへと顔を向けた。
スタッフの弱々しい静止などに聞く耳を持たず部屋を出ようとしているのは、金有電機の社長である金有増蔵、そして彼の1人娘である金有タミコだった。もっとも無理矢理出ていこうとしているのは増蔵の方であり、タミコはそんな父親に居心地悪そうな表情を浮かべているのだが。
「来賓者挨拶があるまでは、こちらで待機して――」
「どうせ10分だか20分だかの差だろう? だったら構わないじゃないか」
「しかし――」
「別に学生同士で談笑しているだけだ。少しだけ儂らと話しても不都合は無いだろう」
「ですが――」
今にもスタッフを突き飛ばしそうな勢いの増蔵に、エルンストは軽蔑の眼差しを向けてフッと小さく嘲笑した。増蔵のように自身の会社での立場が様々な公共の場でも適用されると思い込む輩は、彼が最も嫌う類の人種だ。
と、隣で一緒にそれを見ていたあいが、ふいに増蔵達の方へと歩みを進めた。まさか彼らに直接苦言を呈するのか、とエルンストは慌てて彼女の後をついていく。
そしてこちらに近づく彼女の姿に、増蔵達も気がついた。増蔵は邪魔者が現れたとばかりに眉を顰め、タミコとスタッフは助け船が現れたとばかりに若干顔を晴れやかにする。
そんな彼らの視線を受けながら、あいが口を開いた。
「私も本会場に行きますわ!」
「――――えっ!? そっち!?」
エルンストも含めて、全員の台詞が一致した。
パーティーが始まってしばらく経ち、司波兄妹はしんのすけ達と別れ、第三高校の一条将輝と吉祥寺真紅郎と再会を果たしていた。
「お久し振りですね、司波さん」
「えぇ、ご無沙汰しております、一条さん」
「横浜以来ですね。変わり無さそうで何よりです、司波達也くん」
「そちらも壮健そうで何よりだ、吉祥寺」
緊張で笑顔が強張る将輝に、見事な愛想笑いで応える深雪。そして将輝に白けた目を向けながらもフォローとばかりに話題を振る吉祥寺に、ぶっきらぼうな口調ながらもそれなりに友好的な表情で応じる達也。
そして達也の目が、彼の隣の将輝へと移る。
「一条も、横浜では大活躍だったな。さすがは“クリムゾン・プリンス”だ」
達也が二つ名を口にした途端、将輝が露骨に顔をしかめた。
「……それ、止めてもらえないか?」
「嫌なのか? 別にからかってるわけじゃないんだが」
「いや、それは分かってるんだが――」
「その二つ名、読みが同姓同名の大食い選手と見事に被っているんですよ」
微妙に口元を引き攣らせながらそう言う吉祥寺に、将輝が余計なことを言うなとばかりに彼を睨みつける。
それを見て達也が謝罪の言葉を口にしかけ、逆に失礼だと思い至って直前でそれを吞み込んだ。
「ところで司波」
と、将輝がふと真面目な顔つきとなって達也に呼び掛けた。
それだけで話の流れが変わったことを察した達也が、深雪に無言で目配せする。すると彼女は「亜夜子ちゃん達の所に行ってますね」と告げ、将輝と吉祥寺に一礼してその場を去っていった。
あまりのツーカーっぷりに将輝が唖然とした表情になるが、すぐに気を取り直して先程の真面目な顔つきに戻り、声のトーンを低めて問い掛ける。
「野原しんのすけから、何か聞いていないか?」
「……何か、とは?」
「九島閣下からの
将輝に対する達也の質問に、吉祥寺が横から答える形で会話に加わった。
「彼に何があったか尋ねたり、自分で調べようとはしなかったのか?」
「特には何もしなかったな」
「あなたほどの人物が?」
「それがどういう意味かは知らないが……。そういう質問をするということは、おまえ達も知らないということか?」
「俺とジョージは知らないが、親父は何か知っていると思う。だが、俺達が詮索することは親父からきつく止められた」
どうやら奈良での出来事について詮索しないというのは、四葉家に限った方針ではないようだ。おそらく十師族の当主達は、万が一の際は九島家を切り捨てるつもりなのだろう。
「まったく、今年の九校戦についても色々と気になることがあるってのに、そっちの方にも気を配らなきゃいけないなんて……」
半ば独り言の愚痴のように吐き捨てた将輝の言葉に、達也が秘かに反応した。
「九校戦について、というのは?」
「今回の競技変更についてだ。少々戦闘的な面に偏った構成に見えるのは、昨今の情勢を考えれば納得できるものではある。だが“スティープルチェース・クロスカントリー”については、明らかに行き過ぎてて異質だ」
「2年生以上は全員参加、というのも気になる要因です。強制ではないですが、1時間以内に完走すればポイントを獲得できるとなれば参加しない選手はいないでしょう」
「それに九校戦というのは、言い方は悪いが一種のショーだ。魔法師が社会に対してアピールする見世物という側面も間違いなくあるが、この競技の場合は観客やテレビの視聴者にそれを伝える手段が用意されていない。“モノリス・コード”の森林ステージですらモノリス前での攻防は観戦できるようにしているのに、だ」
「つまり他の競技とは明らかに違う、別の目的があるとしか思えないんです」
2人の話を聞きながら、達也は本気で感心していた。彼は四葉家などからの情報によって今回の九校戦に裏があることを知っているが、2人は自分の思考力だけでその存在を嗅ぎつけているのだから。
とはいえ、その存在に九島家が関わっていることまでは突き止めていないようだ。
だとするならば、
「一条。そのことについてだが――」
「おーおーおー! 久し振りじゃないか、司波達也くん!」
まさしく2人の間に割って入るかのように、無遠慮で不躾な大声が達也に掛けられた。話を切り出そうとした達也の出鼻を完全に挫くタイミングでの呼び掛けに、達也は自身の表情が不機嫌に彩られるのを意識的に抑えながら声のした方へと振り向く。
紫のスーツに金色のネクタイという派手な出で立ちで歩く金有増蔵に対し、将輝も吉祥寺も特に疑問の表情は無かった。どうやら彼らも、4月に国会議員と共に第一高校に来訪した記事を読んでいたようだ。
疑問があるとするならば、彼の背後を付き従うように歩いてくる、自分達と同世代らしき少女の方だろう。彼女は見るからに高価で豪華なドレスを身に纏っているが、来賓者ではあってもパーティーの主役ではないことを考えると若干派手に過ぎるきらいがあるように達也には見えた。
「お久し振りです、金有さん。4月に一高に訪問して以来ですね」
「ハハッ、そう畏まらなくとも良い! 儂と君との仲じゃないか!」
少し離れた場所で困り顔のスタッフが所在無さげに佇んでいる様子からして、彼らの静止も聞かずむりやり本会場に押し掛けたのだろう。内心抱いている感情を一切表に出さず頭を下げる達也に、増蔵はやけに馴れ馴れしく笑い掛け、達也の背中をバシバシと叩いた。体をよろけさせるなんて真似はしないが、達也の鉄面皮が若干の綻びを見せる。
一方、会話の最中にむりやり割り込まれ、現在も存在を無視されている形となった将輝と吉祥寺は、増蔵の背中に向けて若干の睨みを利かせた。しかしそれも増蔵の背後に立つ女性の申し訳なさそうな会釈によって消え、小さく溜息を吐いて静かにその場を離れていく。
「去年の九校戦での君の活躍は、色々と観させてもらったよ。エンジニアとして担当した選手は互いに戦った場合を除いて無敗を誇り、更には君自身も“モノリス・コード”の代表選手としてチームを優勝に導いたそうじゃないか!」
「担当選手やチームメイトが頑張った結果です。自分は特に何も」
「いやはや! 自分の実力をひけらかさないとは、実に謙虚で素晴らしいじゃないか! さすが儂の見込んだ男だ! その調子で、今年の九校戦も活躍してくれたまえよ!」
距離感を間違えているとしか思えない大声をあげる増蔵に、学校の区別無く周りの選手達が2人へと顔を向ける。新聞記事に掲載された写真を再現しているかのような光景に、幾人かの選手が納得顔で小さく頷くのが見られる。
それに気づいた達也が、増蔵にバレないくらいに小さく舌打ちをした。何かテキトーな理由を付けてこの場を離れるかと画策するが、増蔵がそれよりも早く次の策に打って出る。
「おぉっ、そうだそうだ! 実は君に紹介したい者がいてね! 儂の娘なんだが、奇遇なことに君と同い年なんだ!」
増蔵がそう言うと、今まで背後で黙り込んでいた少女がスッと達也の前にやって来た。若干陰のある表情を動かさず音も無く移動する様は、ほんの一瞬だけだが給仕ロボットの3Hと見間違えたほどだ。
「初めまして、司波達也さん。――金有タミコと申します」
「しん様ぁ! お会いしたかったですわぁ!」
「あいちゃん!? いきなり抱きつくとビックリするゾ!」
一方、本会場の別の場所では、ワインレッドのドレスでシンプルに着飾ったあいが、ビジネス中ではけっして見せない天真爛漫な笑顔と共にしんのすけに駆け寄って、そのままの勢いで抱きついていた。一般的な少年ならば見目麗しい少女にそんなことをされて喜ばないわけがないのだが、彼は普通に迷惑そうに眉を顰めている。
そんな彼女の行動に対する周りの反応は、大きく分けて2つ。文弥・亜夜子・水波のように彼女の行動そのものに驚く者と、春日部の面々や深雪・エリカのように彼女がここに現れた経緯も含めて呆れたり苦笑いする者と、である。
「ちょっと何やってんのよアンタ! 来賓者挨拶はまだ先でしょ!」
「しん様に会うのが待ち切れなくて来ちゃいましたわ!」
「止めなさいよ! そういう金持ちだから何しても許されると思うヤツ!」
「あら、別に私が言い出したことではないですわ。金有電機の社長さんが最初に言い出したことですもの」
「結局それに乗っかったんでしょ!」
ネネの言葉にも、あいはどこ吹く風といった感じでしんのすけに抱きついたままだ。
そしてその様子に、ななこが微笑ましげにフフッと笑う。
「しんちゃんとあいちゃんは、随分と仲良しなのね」
「当然ですわ。あなたの入る余地など無いほどにね」
「あいちゃん、余計なこと言わないで! ――誤解だゾ、ななこお姉さん! オラはななこお姉さん一筋だゾ!」
「まぁ、しん様! 100年も一緒にいたというのに、つれないですわ」
「それはななこお姉さんも一緒だゾ! というか、あいちゃんの方が後に出会ったんでしょ!」
「親しくなるのに時間は関係ありませんわ」
「あいちゃん、さっき言ってたのとムジュンしてるゾ!」
しんのすけですらツッコミ一辺倒にさせるほどのあいに深雪が改めて彼女の凄さを感じていると、後ろからトントンと軽く肩を叩かれた。
深雪が後ろを振り返ると、若干機嫌を悪くした様子の亜夜子が視線だけで或る方向を指し示す。
「金有社長が達也さんを相手に、何やら企んでるみたいですよ」
「えっ?」
深雪が兄の名を聞いて咄嗟に顔を向けると、達也とドレス姿の少女が向かい合うのが見えた。そして彼女の背後で、金有増蔵がニタニタと嫌らしい笑みを浮かべているのにも気づく。
その瞬間、その少女が何者なのか、そして増蔵が何を企んでいるのか、深雪は即座に悟った。彼女の機嫌が吹雪に晒された温度計のごとくグングンと下がっていき、彼女の体に接する空気がにわかに冷え始めていく。
そんな彼女の変化に真っ先に気づいたのは、殺気など人の気配に敏感なエリカだった。深雪の変わりようにギョッと目を見開き、そして達也と少女へと視線を向けて成程と納得する。
その流れでひろしやみさえなど他の面々も、達也へと目を向けていく。
勿論その中には、しんのすけも含まれていた。
「――あれっ? タミコちゃんだ」
「しん様? お知り合いですか?」
「うん。オラの元花嫁さん」
「へぇ、そうなんですか。――――はっ?」
あいの体から力が抜けた隙に彼女の抱擁から抜け出したしんのすけが、唖然とする周りの面々を置いて達也たちの所へと駆け寄っていった。彼の後をついて行ったのは風間・ネネ・マサオ・ボーの4人だけで、深雪も水波も文弥も亜夜子もエリカもひろしもみさえもひまわりもななこも、呆然としたまま動かない。
「やっほー、タミコちゃん。お久しブリブリ~」
「へっ? えっと、どなたです?」
「何だおまえは? 達也くんと娘の邪魔をしないでくれたまえ!」
「……あれぇ?」
遠くでそのような会話が聞こえてからも、彼らが回復するのはしばらく後のことだった。